追悼、ラッシャー木村。

24/Ⅴ(月).2010 雨
ラッシャー木村が死んだらしい。
追悼の意味で、ラッシャー木村の思い出を書いてみる。
記憶だけを頼りに書くので事実とは異なるところもあるかもしれないが、
主旨を汲んでいただいてそこはご容赦を。
僕がプロレスを観始めた頃、ラッシャー木村は国際プロレスにいた。
ビル・ロビンソン、カール・ゴッチ、モンスター・ロシモフ(のちのアンドレ・ザ・ジャイアント)が参加した
伝説の第3回ワールド・シリーズを僕は全部TVで観ているが、ラッシャー木村の記憶はない。
多分、ヨーロッパに修行に行ってて大会には参加しなかったのだろう。
その後、国際プロレスは徐々に欧州の技巧派レスラーの参戦が少なくなり、
アメリカや北米の荒っぽい血生臭いレスラーばかりが来日してきた。                                                    それを金網デスマッチなどで一手に迎え撃っていたのがラッシャー木村だった。                                             子供心に「なんだかなぁ。洗練されてないなぁ」と思ったものである。 
その後のラッシャーにはあまり注目してないのでよく覚えていない。
前田日明がユニバーサルプロレス(のちにUWFに進化する)を旗揚げした時の旗揚げメンバーに選ばれ、
実質№2で活躍を期待したが何のインパクトも残さなかった。                                                         そもそも色が違ったのだから仕方ない。
国際軍団として、アニマル浜口&寺西勇の3人で猪木と戦った、
1vs3ハンディ・キャップマッチは面白かった。
国際プロレスの元・エースを格下扱いした猪木のやり方は実に猪木らしく、
ジャイアント馬場なら絶対そんなことはしない、と馬場信者からの批判もあったが試合は面白かった。                                確か2回、やってるはずだが2回とも面白かった。
その後、アニマルや寺西は長州力の維新軍団入りし、ラッシャー木村はひとりぼっちになった。
毎週のように誰かとタッグを組み翌週には仲間割れ、また誰かとタッグを組み翌週には裏切って仲間割れ。
観ていて僕は「一体、この人は何をやりたいんだ?」と疑問に思った。
丁度、その頃、新日本プロレスはタイガーマスクが離脱したりUWF問題が出始めていたり
藤原喜明が「問答無用の仕事師」として長州を札幌で襲ったり混迷の一途をたどっていたから、
ある意味最も新日本プロレスを体現していた男なのかもしれない。
しかし、ラッシャー木村は決してセミファイナル以降の重要な試合にはマッチメークされなかった。                                  輪の外側で騒いでるような印象だった。
ある日、突然、ラッシャー木村はライバル団体である全日本プロレスに電撃移籍した。
当時はレスリング・ウォー真っ盛りで引き抜き合戦など日常茶飯事だったから、
中堅の日本人選手の移籍など別に驚きもしなかった。
ラッシャーの全日参戦には「世界最強タッグ」という最高の舞台が用意された。
ラッシャーは御大、ジャイアント馬場とタッグを組みリーグ戦に参加。                              
さすがジャイアント馬場は人格者である。
元・国際プロレスのエースに失礼のないような扱いをした訳である。
確かに、猪木と大違いだ。
開幕戦では、優勝候補のジャンボ鶴田&天龍源一郎組とぶつかった。
この時の、ラッシャーは強かった。
本っ当に強かった。
ラッシャー木村の生涯ベストバウトと言ってもいいのではないか。
コーナーに佇み何もしないジャイアント馬場に
「兄貴、ここはオレに任せてくれ」と言わんばかりに果敢に一人で鶴田&天龍に挑んでいった。
ボンボンとラリアートをぶち込んでいく。
あまりの迫力と破壊力にさすがの鶴龍がたじろいだ。
当時、全盛期のハンセン&ブロディとガンガンぶつかってた鶴龍だ。
受けの強さなら世界一だろう。
天龍が試合中に本気でビックリした表情をしたのである。
僕はこの試合をTVで観た後、いてもたってもいられなくなった。
同じような気分になっている奴らと新宿の「北の家族」で待ち合わせ、朝まで大討論だ。
「日本実力最強の男は、猪木でも前田でも鶴田でもなく、実はラッシャー木村なのではないか」と。
「誰が本当に強いのか!?」酒席も大荒れ、掴み合いになった。
その位、ラッシャー木村の試合は我々のハートに火をつけた。
その後のラッシャーは普通に弱くなり(笑)、特にリーグ戦を引っ掻き回すこともなく終了。
あとは全日の「お笑い路線」というか「和み路線」の中心メンバーになっていく。
僕はそういうのはあまり興味がないので東スポの記事で読むくらいだった。
以上、ラッシャー木村の思い出でした。ご冥福をお祈りしたい。
BGM. ドアーズ「ハートに火をつけて」


3 Replies to “追悼、ラッシャー木村。”

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です