18禁

9/Ⅵ.(水)2010 曇りのち雨
今日のお題は「18禁」である。
「18禁」について語る、のではなく今日の内容自体が18禁なのである。
つまり、18歳未満の人には有害と判断され自主規制するという申告であります。
俗に言う、下ネタに該当します。
18歳以上の人でも、
不快感を抱いたり、抗議をするクセがあったり、アレルギー反応を起こす人はこの時点で読むのをやめてもらいたい。
あとになって、不愉快である、とか好感度が下がったなどとクレームをつけられても一切、受け付けられません。
ここから先は自己責任で。  ソコントコ、4649。
それでは、スタートです。
僕の後輩にエフ(仮名)という男がいる。
一見してマジメで、その実、礼儀正しく親切で義理堅い。
毎年、年賀状は送ってくるしお歳暮も贈ってくる。
話も面白く、頭も切れる。
かと言って出しゃばらず、タンタンとしている。
毒もあり、エロスもあるが、決して表には顕さない。
チクリとしている。
中々、憎い男である。
ある日、エフ(仮名)が寿司屋で‘魚片’のつく漢字がいっぱい書いてある湯呑みを見ながら、
「川原センセー、魚片に69と書いて何と読むか知ってますか?」と訊いてきた。
なぞなぞである。
ロックゥ?ウォロッキュー?
思案すれど答は出ず。
奴は横でお新香巻きか何かをポリポリさせてニヤニヤ楽しんでいる。
ついにギブアップ。
すると、エフ(仮名)は飄々と正解発表。
「こたえは、‘あいなめ’です」。
‘69’とはシックスナインと発音する性行為におけるバリエーションの1つで、
お互いの陰部とお互いの顔面が向き合う体位のことである。
数字の‘69’を象形文字的に‘〇’の部分を顔面に、‘|’の部分を体幹に見立てた訳である。
その状態から繰り広げられるだろう性行為と、‘魚片’が担当するだろう魚類の名称をひっかけて、
「あいなめ」とした訳である。
…やられた。
ま、どこかに出典はあるのだろうが。オリジナルとは思えない。
後日、エフ(仮名)に、以前、恩師に連れて行ってもらった中華街の店の名を知りたくメールした。
すると、戻ってきた返信が「萬珍楼、ではないでしょうか?」。
どうしても、エフ(仮名)を相手にすると、‘あいなめ’で一本取られた弱味が消せない。
マンチンロウと聞き、反射的に、
<それはマジメに答えてるのか?それとも、ふざけてイヤラシイ店名を言ってるのか?どっちだ!?>
と怒ってメールをしてしまった。
すぐさま、「ふざけていません、すみません」と律儀な後輩から返信が来た。
6月9日、という数字の並びを見ると、そんなことを思い出す。
僕の別の友人は、村上龍の「69sixty nine」をエロ小説だと思って買って読んだのに
1969年の佐世保を舞台にした学生運動やらの話で騙されたけど感動をした、
と何を言ってるのかよくわからない読後感想を述べていた。
村上龍の確信犯的なしたり顔が目に浮かぶ。チッ。
BGM. ビル・へイリーと彼のコメッツ「ロック・アラウンド・ザ・クロック」


サティスファクション

8/Ⅵ.(火)2010 くもり
古いビデオの整理をしていたら、ストーンズのハイド・パーク・コンサートが出てきた。
コントキのミック・ジャガーはカッコE 。
髪型といい、白いパンツといい、ドレスみたいなシャツといい。
サティスファクションの映像はとくにカッコE 。
途中あぐらをかいたりする。
「二人でお酒を」の梓みちよ、以前である。
ハイド・パークは、ブライアン・ジョーンズの追悼コンサートだ。
ブライアンはストーンズのリーダーでR&B色の濃い人だったが、
ミックとキースが台頭しオリジナル色が強くなって、主導権とアイデンティティイを奪われ、
酒とドラッグに溺れて、プールで溺れて死んだ。
中学時分、そういうのに詳しい友人は「ミックとキースがイジメて死に追いやった」と吹聴した。
その追悼コンサートのオープニング、何万羽の白い蝶がステージから飛び立った。
「その一羽づつを丁寧に踏み潰して、ミックが歌った」そんな映像の記憶があるが、
今、ビデオを観返すと決してそんなことはしていない。
普通に歌っている。
先入観とは怖ろしいものだ。
実際は、猛暑のために飛び立つ前に大部分が死んだらしいが。
「サティスファクション」に関するミック・ジャガーのインタビューはカッコよかった。
以下のごとく。
<詞には満足してますか?> 「性的に?思想的に?」
<両方です> 「性的には満足さ」
<思想と金銭上は?> 「金銭的には不満さ。思想的には努力中さ」
中学生の僕らが、「努力」というコトバをカッコE と思った貴重な瞬間だ。
BGM. 遠藤賢司「満足できるかな」


ジューンにやられないように

7/Ⅵ.(月)2010 はれ
ジューンも7日目。
ジューンは降雨や気圧を操って僕らに襲いかかってくる。
去年はA.がやられた。
スタミナのつく物を食べるように心掛けよう。
昨日は馬刺しとレバ刺しとテール・スープ、今夜はホルモンを食した。
今日は校医のあと、中野へ。
ブロードウェイの地下でソフトクリーム4色を食べ、
タコシェという本屋でマンガを買う。著者のサイン入り。
その後、フジヤというアニメ専門の中古CD&DVD販売店で
「地獄少女 二龍」の全巻セット、全箱購入者特典・『憂鬱えほん 地獄少女』付き、を購入。
良い買い物が出来た。
BGM. じゅんとネネ「愛するってこわい」


情熱大陸600回記念・爆笑問題

6/Ⅵ.(日)2010 はれ
6月6日はロールケーキの日だそうだ。
6・6を横から見るとロールケーキに見えるからだそうだ。
「ポケモン・サンデー」でショコタンがそう言ってた。
ブルーレイに録り貯めた番組を観る。
「情熱大陸600回記念」は2回に渡り爆笑問題にスポットを当てた。
爆笑問題は1988年結成。
1998年4月「情熱大陸」第4回に爆笑問題は出演している。人気が出始めた頃だ。
太田光は天才・鬼才と世間をにぎわしていた。
田中祐二は飄々とその傍らに寄り添う「普通の男」。
デビュー間もない頃、ある大物芸人から2人はこんな言葉を贈られた。
「お前ら天下、取っちゃえよ。田中は切るなよ」。
立川談志だった。
太田の値打ちを発揮するために、田中を切るな、とそう言ったのだ。
友人の伊集院光は田中を
「超普通です。もはや異常の域の普通」と評して、田中の普通さを
「何でも切れる刀を入れとくサヤってすごいな」と最大限の賛辞で表現した。
田中あっての爆笑問題だという声である。
そういえば、昔、コント55号にも似たような議論があったな。
二郎さんは欽ちゃん以外ともコンビを組めるが、欽ちゃんの良さは二郎さんにしか出せないと、
坂上二郎が評価されていた。
番組に話を戻す。
売れない頃、田中はコンビニのバイトに励んだ。
太田は読書とゲームに耽った。
田中は売れ残りの弁当を太田に差し入れていた。
<太田に働けよと思わなかった?>というインタビューに田中は
「それは思わないんですね。働けるワケがない!、とオレが思ってましたからね。
毎日、時間どおりに行くとか普通の仕事ってできないですからね。
興味のあることしか、ちゃんとできないんですよ、太田は。
僕は出来ますよ。
たとえば明日から生花店で働きなさいと言われたら、そこで一生懸命やる自信があります。
僕、そういうの出来るんです。太田は絶対!できない」。
才気走った小学生、
10歳「殺人事件」11歳「刑事と泥棒」、作・演出・主演、こんな題目の劇を学芸会で発表した太田は、
高校に上がると一転して友達も出来ず、言葉を交わす相手さえなく3年間1人自分の殻に閉じこもった。
インタビューに答え太田は
「それはもうホント、絶望してましたよ。ホントに何にも感動できなくなってしまった。
色も失われているような感じで、最終的にはね、飯がまずかった。
で、そん時はもういい、オレ、生きててもしょうがないと思ってた」と述懐する。
その頃、太田の孤独を癒したのは1人の喜劇人だった。
チャールズ・チャップリン。
哀しみの中にも怒りの中にも笑いがある。
笑いながら全てをくるんで表現することを彼が教えてくれた。
それが一筋の光となり、道も決まった。
17歳の太田が書いた詩が紹介される。
「笑わすために努力をつんだ芸こそ その研究されつくした滑稽な体の動きこそ感動的なのだ」。
爆笑問題の漫才は一切、アドリブなし。
番組は
「相方の一言半句にまでこだわり指示する太田の才能も、
それを受け容れる大きな器がなければ無駄にこぼれて人の目には届かなかったこましれない」
と語り、田中祐二のネタ帳を映し出す。
静止画像にして見てみると、
「そんなワケねーだろ」を消して「無理にきまってんだろ」に、
「そこまでいくとね、ヤワラちゃんが強いっていうより、」を消して「そこまでいくと、まわりが弱いんじゃないか、」に、
「確かにね」を消して「そうそう」に。
素人の僕には違いがワカラナイ。
番組の最後に2人に広辞苑を渡し『情熱』から連想するコトバを選ばせる。
田中祐二は「松岡修造しか思い浮かばない」と笑いながら『走る』を選ぶ。
太田光は迷わなかった。
1つの言葉にまっしぐら。
『爆笑』を選んだ。大勢が大声でドッと笑う、爆笑の渦につつみこまれる。
太田は「爆発させたいんだよ、木端微塵に」と言った。
余談だが、ショコタンの新しい猫の名前は田中が命名したらしい。
ショコタンがコンサートのMCで発表していた。
名前は「ねぎ」。理由はよくわからない、と。さすものしょこたんも苦笑するしかなかった。
爆笑問題&中川翔子、豆情報でした。
BGM. チャック・ベリー「ロックン・ロール・ミュージック」


ちょっとピンぼけ

5/Ⅵ.(土)2010 はれのち曇り
若い友人に借りた西島大介著「ディエンビエンフー」というマンガを読む。
ベトナム戦争が舞台だ。
お返しに、ロバート・キャパの「人民軍兵士の死、スペイン内乱1936」の写真を見せてあげて、
あとは高橋留美子の「めぞん一刻」を全巻貸す約束。
ベトナム戦争と聞くと、ウルトラセブンを思い出す。
ウルトラセブン(S42年10月~43年9月)の第42話『ノンマルトの使者』は、
「もし人類が侵略者だったら?」という常識を根底から覆す内容のドラマである。
海底開発センターの船上基地シーホース号が大爆発を起こして沈没。
その事件を予告した真市少年は、「海底を侵略すればノンマルトが黙っていない。
地球はノンマルトのものであり、人間はノンマルトを海底に追いやった侵略者だ」という。
ノンマルトは怪獣ガイロスを操って攻撃を開始してきた。
ウルトラセブンは宇宙の平和のために戦っているが、それはうぬぼれに過ぎないのか?
第42話『ノンマルトの使者』において、
一つの星の主導権を握る人間ともう一つの種族・ノンマルトの戦いに巻き込まれたウルトラセブンは、
第三者としての無力を思い知らされたのだった。
写真はこの番組放映直後のもの。
幼稚園児だった僕は、悩めるウルトラセブンに何と声をかけていいのかわからず、目を合わせられなかった。
折りしもベトナム戦争、真っ只中の時勢である。
円谷プロの大人たちは、
ウルトラセブンを通じて我々子供たちに真剣に何かを問いかけ、我々子供たちも正面からそれを受け止めた。
テレビに栄光と誇りがあった時代である。


BGM. 岡林信康「アメリカちゃん」
ちなみに題目の『ちょっとピンぼけ』とは、
写真の解像度のことではなく、ロバート・キャパの自伝のタイトルである。
ロバート・キャパ、1913年ブタペスト生まれ。
ユダヤ人。本名、エンドレ・フリードマン。
ナチスの手からのがれるように祖国を捨て各国をさまよった後、
‘ロバート・キャパ’というアメリカ人風の不思議な偽名を得て歴史に名を残す写真家となった。
報道写真の古典と言われた「人民軍兵士の死、スペイン内乱1936」をはじめ、多くの写真を残したが、
1954年5月、ベトナム・ハノイ南の戦場で地雷に触れて死亡。


「変」という字は「恋」という字に似てる

4/Ⅵ.(金)2010  快晴2連荘
書庫の整理をしていたら、古い教室年報を見つけた。
1990年3月、僕が医者になった時のもので、新入医局員たちの「入局にあたって」という作文が掲載されている。
僕のもあった。
折角なので下に無断転載しませう。
    ↓    ↓
『父の魂ー入局にあたって  川原達二』 
小学校2年の時だったと思う。
ごくありふれた1日だった。
私はいつものように遠回りをして家路を歩いていた。
ふと道端にキッカイな物体があるのに気がついた。
亀のミイラだった。
私は何の気なしに近くの貯水池にそれを投げ入れた。
するとどうだろう。亀は息をふき返し泳ぎ始めた。
私はしばらくその光景を見ていたが直にあきた。
そしていつもと同じ様に暗くなるころ家に帰った。
翌朝、学校に行くとまわりのフンイキが変だった。
妙に慣れ々々しく女どもが寄ってくる。
競い合うかの様に、私の靴をぬがしてくれたり、
お弁当のおかずを分けてくれたり、鉛筆を削ってくれたりしてくれた。
きのうの一件を誰かがこっそり見ていたらしい。
誰が付けたか「川原浦島ばなし」。
1日にして私はスターだった。
嘘の様にモテた。
事実私は今でもモテるが、あの時は「第一期黄金時代」と呼んでもいいだろう。
下校時には列をつくり、こぞって女たちが私のあとをついてきた。
みんなで私が救った亀を見に行くのだ。
女は口々に「元気に泳いでるね」「タッちゃんはやさしいのね」などと私を賞賛した。
他人の評価というものはどこかいい加減なもので、
いつもマジメなA君がちょっと魔がさしてカンニングしたのをみつけられようものなら
「実はズルい奴だった」「あいつは善人の仮面をかぶった悪魔だ」「私はウスウス感づいていた」
などと散々である。
ところがふだん意地悪なB君が帰り道で捨て犬の頭なんか撫でてる処を見つけたりすると
「実はやさしい人なんだ」「ただ照れ屋なだけなのよ」「私はウスウス感づいていたワ」
なんて勝手なものである。
今までの‘行ない’のスコアでも付けてたら、A君の方が全然いい子なのに、だ。
然しこれは私にとっては好都合だ。
私はよく「変な奴」だと思われる。
だから損するかというとむしろ逆で、ちょっと普通のことをすると
「意外とマトモだな」「あなどれない奴だ」「私はウスウス感づいていたよ」
などと、思いもよらない評価をうける。
だから「変な奴」と思われるのはけっこう得なのだ。
損とか得とかの問題じゃないのかもしれないけど。
子供の頃、よく父親に「損得勘定ばかりするな」とおこられたものだ。
しかし、今だに直っていない。
父は私が大学2年の時、胃癌で死んだ。
生前、父が楽しみにしていたのは、
私が医者になることと、ザ・ローリング・ストーンズの来日だった。
今年その夢が一遍にかなえられて、さぞや草葉の陰でよろこんでいることだろう。
   ↑    ↓
よくも入局の挨拶にこんなふざけたものを提出したものである。
と言いながら、恥の上塗り、またここに載せているのだからさすが同一犯の考えそうな仕業である。
実際、他の新入医局員の文と読み比べてみると決定的な温度差を感じる。
それは「異彩を放つ」とか「個性的」という意味ではない。
他の人が希望を語ったり抱負を述べたり、ベクトルが未来へと向かっているのに対して、
僕は一人だけ昔話をし、まるで何かにしがみつくように過去を振り返っている点である。
「ヨ~イ、ドン!」の合図で一人だけ背走するコントみたいだ。
BGM. GO-BANG’S「かっこイイダーリン」


ギャップ萌え

3/Ⅵ.(木)2010 快晴
木々高太郎の
~「木々」はペンネームで本名の「林」を分解して作ったようだ~
「わが女学生時代の罪」という探偵小説を読む。
若い女主人公が、
女学生時代のレズビアニスムの体験によって処女でありながら妊娠してしまったという話である。
渋澤龍彦は
「パルテノジェネーズという言葉がある。
ギリシャ語でパルテノスは処女、ゲネシスは生殖を意味するから、処女生殖ということになる。
この言葉が私にとってすこぶる魅力的にひびくのは、おそらく互いが相反する性質を示す二つの概念を
強引に一つに結びつけたところの言葉だからにほかなるまい。
パルテノスはそもそも不毛でなければならないのに、豊饒であるべきゲネシスと強引に結合せしめられる。
そこでパルテノジェネーズは奇妙な効果を発揮する。
コインシデンティア・オッポジトルム、
すなわち『相反するものの一致』といってもよいかもしれない」と書いている。
「乞食の王」とか「輝ける闇」とかいう言葉もいくらか似ているという。
悠久たる「ギャップ萌え」の歴史を感じる。

画像は中野ブロードウェイ4階で見つけたツンデレガチャポン。
面白かったので写メに撮っておいた。
「誰がツンデレよ!あんたが嫌いなだけよ!」。
まさかこんなところで披露できるとは思わなんだ。
BGM. ザ・クールス「シンデレラ」


コカコーラ・レッスン

2/Ⅵ.(水)2010  はれ
こんな夢を見た。
ベスト10番組の段田男のセットの饅頭を僕が食べてしまった。
おかげで番組の段どりはメッチャクチャ。
仕方なしに、即興で超ドタバタを僕と段田男で繰り広げる。
その内、賑やかし芸人達が集まって来て人間ピラミッドや相撲を取り出したから後は任せた。
僕は海岸通りを抜け防波堤へ出る。
テトラポットに腰掛けてポケットに入れてきたコカコーラの缶をよく振ってから開けた。
プシュッ。
たくさんのコトバが文字や記号に因数分解され上空を染めてゆく。
コカコーラ・レッスンみたいだ。
それに5月も終わりだというのに、何と寒い沖縄だろう。
BGM. ARB「ダン・ダン・ダン」


少女地獄

1/Ⅵ.(火)2010  今日から6月だけど五月晴れ
書庫の整理をしていたら、永島慎二の「その場しのぎの犯罪」という漫画を見つけた。懐かしい。
そういえば僕は昔しばしば、その場しのぎの嘘をついた。どうでもいい嘘。切羽詰った訳でもない。
その気になればもっと計算できる頭脳があるのにすぐバレる嘘をつく。
大人は首をひねる。手を抜いているのか?
大人は途方に暮れる。嘘のための嘘?マニエリスム?
ある日、サングラスをかけて登校し服装違反でつかまる。
僕がついた嘘は「直射日光を浴びると目が変質する眼病を患っている」。
心配した教師は一言も叱らずに、有島武郎の「一房の葡萄」を気取ったのか、一冊の本をくれた。
タイトルは、夢野久作著「少女地獄」。
中身を読んでみる。
天才看護婦・姫草ユリ子は虚言壁があり、嘘を支えるためにまた嘘をつく。
そして自らついた嘘で地獄へ堕ちていく。
そんな話。
ちなみに「一房の葡萄」は「おいしかった」と書いてあったが、「少女地獄」は後味の悪さしか残らなかった。
話は変わるが、アニメに「地獄少女」というのがあったがあれは面白かった。
K-1MAXで長島☆自演乙☆雄一郎が、主人公・地獄少女こと閻魔あいのコスプレをしたのを一度見たことがある。
BGM. オフコース「君が、嘘を、ついた」


ブログとヴァレリーとH.と私

31/Ⅴ.(月)2010 くもり 5月最期の頁
5月1日からブログを始めて、ひと月経った。
意外と書くことがあるものだ。
フランスの思想家で詩人のポウル・ヴァレリーは「なぜ書くか」という問いに対して、
「弱さによって」と答えた。
ヴァレリーの殆どは依頼原稿だったというが断り切れないという弱さだけでなく、
書こうとする内部の突き上げる衝動に易々と負けてしまうという意味を含んでいるのだろう。
まったく関係ない話だが、高校の時の英語の先生が
「ポウル・ヴァレリーと木々高太郎はよく似ている」と言っていた。
ブログの最後に必ずBGMをつけることにしたのは、コトバで伝えきれない気分を補足するためだった。
楽しそうに日記を書いてても案外気分は暗かったり、
一見重い内容でも気持は明るかったりすることがあるのが人間だ。
その日のジャスト・フィーリングな音楽をBGMで流そうと思ったのだ。
しかし、最近はもっぱらその日の記事のダジャレだったり言葉遊びが主となっている。
それでも面白ければいいと思う。
今日は二子玉川でH.と会った。
彼は今日が誕生日だったらしい。
僕より一廻り年下だ。
現在の精神科医療や今後我々がなすべきことについて話し合った。
H.といい、うちの徳田さんといい、若いのに真剣にものを考えている医療従事者がいる。
こういう人が何人かいれば日本の将来は大丈夫なんじゃないか、と思った。
BGM. シテュレイ・ティスディル「ヒー・セッド・シー・セッド」