終戦記念日、特集~清志郎

12/Ⅷ.(木)2010 はれ
昔、「徹子の部屋」の終戦記念日特集に忌野清志郎が出たことがある。
清志郎の実のお母さんが戦時中に残した日記を、2週に渡り、ただひたすら黒柳徹子が読み、
涙ながらに感想を述べ、横で清志郎がただ黙って座ってるだけという番組だった。
清志郎は実のお母さんが別にいると知ったのは、デビュー後ずっと後で、RC後期の過激な
「反戦歌」を歌ってた頃でもまだ知らなかった、と、徹子が説明した。
清志郎の母は、戦地の夫との手紙のやりとりをスクラップ帳のように日記に貼りつけ、
その日記は夫の戦死を告げる葉書を最後に終わっている。
こんな簡単な葉書一枚なんですね~と、徹子は涙ぐむ。
戦争を憎み、平和を祈る、実の母の思いが日記に綴られ、それを知らないはずの清志郎が「反戦歌」を歌い、
平和を訴えたのは、きっとDNAだろう、と徹子は言い、清志郎も頷いた。
僕は、RCが人気絶頂の時の武道館公演のMCで清志郎が、
「今日、ここに来れた奴らは幸せだぜ。来たくても、来れない奴がいるからな。チケットがとれない奴とか、植物人間とかな」
、と言ったのを覚えている。
後に雑誌のインタビュー記事で、その時、清志郎の母親は植物人間で入院中だったと知った。
その「植物人間だった母親」は、実は育ての母親で、実の母親は別にいて、もう死んでいるということを、
その時の清志郎はまだ知らなかった、ということになる。
BGM. RCサクセション「あの娘のレター」


2 Replies to “終戦記念日、特集~清志郎”

  1. 清志郎は、子供が生まれた時にいきなり 「この子はひとりで生きていくんだよ」 と言ったとのこと・・・。
    彼の思想のなかには 「ひとり」 というものがいつもあった、そうです。

    1. そんなエピソード、知りませんでした。清志らしいです。
      ソロになってからは、子供たちをコーラスに使うこともありました。「世界少年少女合唱団」と呼んでました。
      マザーグースのコンサートでは、子供と一緒に「フェル先生」を歌ってました。そういえば、司会は黒柳徹子でした。

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