昔のクラスメートの夢

1/Ⅸ.(水)2010 はれ
AZと勉強をしている。彼女が「ラジオを3000に合わせて」というが、ラジオのダイヤルは1500程しかなく、困っていると、                                      彼女は「こっちに決まってるでしょ」と短波の3.00にセットした。
僕がちょっといじっただけで、バカでかいオープン・リールや無数のカセット・テープが一斉に動き出した。                                               「100%soかもね」と「待つわ」だけが繰り返し録音されている。きっと、お松の仕業だ。
彼女は呆れ顔。僕は、このコタツで横になり、耳にえんぴつを突っ込んで寝てしまおう。
BGM. 沢田研二「勝手にしやがれ」


TK~ヒーローの条件

31/Ⅷ.(火)2010 はれ
日本の3大TKといえば、「高倉健」「タクヤ・キムラ(キムタク)」「タツジ・カワハラ」である。などと、暑さに乗じて言ってみた。
左右に短冊状に無関係の名言を持ってきて、あたかもつながりがあるかのように見せるのが、今のマイ・ブーム。


↑(右) 『雪が降った。けれど、地面が血に染んでいるので積らなかった』。アントン・チェーホフ「手帖」。
↑(左) 『喧嘩のいいところは仲直りができることね』。「ジャイアンツ」。
 そういえば、最近、義理・人情なんて言葉、聞かなくなったなぁ。
『日本社会の基本的な行動原理は集団であり、その原則に疑問を抱くと集団から徐々に外れ、ドロップアウトして行ってしまう。「個」を認めない日本の社会システムにおいて、その集団の中で、「個」を背負ったのが高倉健であった。
彼は映画の中では、戦争や刑務所から帰って来ると周囲がすっかり様変わりしていた…、という集団には属しながら、                                     どこかしら客分的な存在を演じた。組織の中にいながら、その組織に馴染めない。所属はしているが、帰属意識はない。                                        なおかついざという時には力がある。日本人の帰属意識の裏返しを、高倉健はスクリーンの中で演じてみせた。
高倉健は、決してアグレッシブではない。寡黙で、悪どい相手に対しても耐える姿は、マゾキスティックでさえある。                                           観客はスクリーンに向かって「健さん、やっちまえ~」と声をかける。それでも耐える。耐えに耐える。                                                  そして、ついに最後の最後に怒りを爆発させる。カタルシス~。
高度経済成長の時代、高倉健が任侠映画で演じてみせた美学は、決して生産的とはいえない。                                                 しかし、それ故、アウトロー的な精神・美学に憧れを持つ日本人の心を魅きつけたのだろう』。                                                           というような趣旨のことを映画評論家の品田雄吉が言っていたのを、少し脚色してみた。
 僕は、昔、大橋巨泉のクイズ番組での「三田寛子の落書き」に応募葉書きを書くが、10枚書いてあきた。                                                小田林は、昔、「高倉健のポスター」をあてるため、100枚ハガキを出したらしい。
「男らしい、というにはあまりにもストイックな生き方」。これは卒業アルバムの小田林の自己紹介コメント。僕が考えてあげた。彼は本当にそんな人で僕とは真逆の立ち位置だが、不思議と気が合い今でもたまに呑んだりする。
8月も終りかぁ。小田林、8月、誕生日じゃなかったっけ?
BGM. 杉田二郎「男どうし」


僕のトイ・ストーリー

30/Ⅷ.(月)2010 はれ
みなとみらいに『トイ・ストーリー3』を観に行く。
F.は僕に、①も②も観てないくせに?と心配するが、大丈夫、僕は『ロッキー』だって‘3’から観た前科があるんだから。                                 『ロッキー3』には、ハルク・ホーガンが出てたからね。
下の写真は、子供の時、怪獣に囲まれてる。↓。

 これらの怪獣たちはどんどん増えていくが、「帰ってきたウルトラマン」の途中くらいから、                                                        僕の興味はプロレスや野球やマンガへ移って行き、怪獣たちは放っぽらかしにされた。
当時、父が眼科の診療所を開業していたから、そこに来る子供たちの遊具として待合室に持って行かれることになった。                                       僕は断った。しかし、父は「おもちゃは、遊んでもらうためのものだ。ただ箱にしまっておくだけでは、おもちゃが可哀想だ」などと知った風なことを言った。お気に入りのフィギュアだけ手元に残して、あとは診療所行き。                                   瞬く間に、1体もなくなっていたから、お土産用になってしまったみたいだ。いい人にもらわれてるといいな。
 僕らの世代は、怪獣ブームのど・ストライクなので、けっこう似たようなエピソードをトラウマッチックに抱えている人が多い。                                     中学入学と同時に捨てられた、など。そういう人たちが、大人になり古いオモチャや復刻版のフィギュアを買い求めている。 
興味がない人も、1度、中野の「まんだらけ」や高円寺の「ゴジラ屋」に行ってみることをすすめる。                                                      ショウウインドーに厳重に陳列された怪獣たちに再会すると、子供の頃に遊んだ記憶がソフビ人形の匂いと共に思い出される。
 『宇宙船別冊 怪獣・ヒーローお宝鑑定カタログ1998年版』という本がある。この本は、名に偽りなく全編お宝フィギュアを                                   紹介し鑑定し独自に値段をつけてるだけのカタログであるが、これが実に面白い。↓。

その中に、1頁だけちょっと風変わりな記事があって、異彩を放っている。それが、コレ。↓。

 「怪獣供養」の題で2人の文が紹介されている。実相寺監督は、初代ウルトラマンのシリーズで「怪獣墓場」という話を作った。シーボーズという骨格だけの怪獣が登場した。「怪獣墓場」はウルトラマンにより退治され、処理が厄介なので宇宙の無重力空間へ捨てられた不憫な怪獣たちを悼んで作られた作品だという。監督は、「怪獣の供養はファンならば欠かせない。せめてお盆には、思いめぐらせようじゃないか」、と提言している。
本誌の構成をやってる西村祐次は、「今、袋入り未使用の怪獣が珍重されるが、足に名前があるボロボロの怪獣達の方が、本来の役目を全うした幸せな奴らかもしれない。皆さんも子供の頃を思い出して、心の中で‘怪獣さん、ありがとう’と。その言葉が一番の供養かと思う」。という文章を寄せている。
下は、残しておいた怪獣プラス僕が大人になって集めた怪獣たち。↓。



さすがに子供の頃のような遊び方はもうしないが、いつかは家に立派なショーケースを買って、この怪獣どもをキレイに飾って、この怪獣たちに囲まれてイッパイやるのが僕の夢である。これが日本人のおもちゃとの付き合い方だ。
BGM. 五つの赤い風船「遠い世界に」