ポケモン・デビュー

30/Ⅴ.(月)2011
中学の頃、スペース・インベーダーが流行り、何発目でUFOを撃つと何百点になるからと、弾の数を空撃ちしながらUFO襲来を待って高得点をあげたりしたもので、僕は仲間内では結構うまい方だった。あと、ピンボールも得意だった。それらの機械は、ゲームセンターに設置されていたり、喫茶店のテーブルがゲーム機になっていたり、ボーリングの待ち時間にボーリング場の一角でやるもので、ゲームとは家に帰ってからやるようなものではなかった。
その後、ファミコンやらゲームボーイやら、自宅のTVにつないだり携帯するゲームが登場するのだが、その頃には、僕はもうゲームをやるような歳ではなかった。だから、これらのゲームを一切やったことがなく、残りの人生でもやる事などないと思っていた。「その事実」を知るまでは…。
先日、下の子が、「最近ポケモンにはまってる」、と言っていた。ポケモンは、DSという種類のゲーム機でやるらしいが、そう言えば、よく理系の大学院生なども「ゲームとしてポケモンは面白い」と高評価だったのを思い出した。下の子は、「面白いからやったら?」と勧めるが、<俺はゲームはいいよ>と断った。
ポケモンは一時期、ポケモンカードを集めたり、夏休みのJRのスタンプラリーに参加したが、<どうも、ゲームは…ね>。下の子は、「ゲームだとロケット団って悪いんだぜ」と言う。<知ってるよ、ロケット団が悪の組織だってことくらい、常識だぜ>。
すると、下の子は一瞬息を呑んでから、「アニメのムサシとコジロウは別。もっとも、ゲームをモチーフにして作られたキャラクターなんだろうけど、ゲームのロケット団はチンピラみたいなんだ」と言った。<チンピラって、お前、一体、何をすんの?>。「たとえば、カラカラのお母さんを殺したのは、ロケット団なんだ」。<ナニ?ホントか?>。「本当だ」。
カラカラは、前にもブログで書いたが、僕が一番好きなポケモンで、「こどくポケモン」と言って、死に別れた母親の骨を被っているのだ。
<そのゲームをしたらロケット団と戦えるのか?>。「もちろん」。<よし、買いに行くぞ>。
という訳で、今日、新宿で下の子と待ち合わせして、ビックカメラで一式揃えた。ゲーム売り場に行き、レジの係の人に、「何と、何と、何と、何!」、って指示をして、「緑でいいね」とゲーム機本体の色だけ俺に確認し、必要なものを揃えさせる我が子の後姿には、風格さえ漂い、<頼もしいものだ>、と感心した。
帰ってから、初期設定してもらい、付きっ切りでみて貰いながらはじめてみた。ソフトは、「ソウルシルバー」、ルギアが出る奴。パートナー・ポケモンは、ヒノアラシにしてみた。
BGM. 宮沢りえ「Game」
※ポケモン関連記事~良かったらみて下さい。
・2010年9月、「幸福への招待」「憬れのハワイ航路④」「憬れのハワイ航路⑥」
・2011年2月、「ポケモンで風邪退治」


6 Replies to “ポケモン・デビュー”

  1. 私も、幼い頃、「ブロック崩し」というゲームにはまったことがあります。
    インベーダーゲームは、流行りましたね。
    駄菓子屋さんの横に置かれていたゲーム機で、兄は、「町内で一番!」と言われる程の腕前でした。

    1. ジョン・スミスさん
      いつもコメントありがとうございます。あっ、ブロック崩しもやりました。
      僕は小学校の頃、「湘南少年オセロ大会」で2位になったことがあります。「湘南少年オセロ大会」とは僕が兄とオセロゲームをする時の名称で、要は、兄弟2人でオセロをやって負けた、って意味です。でも負けず嫌いなので、そう言ってました。ウソではないでしょう。

    1. ジョン・スミスさん
      コメントが遅くなってすみません。「テトリス」は携帯電話のゲームではまっていたのですが、機種を変えたら出来なくなって、それ以来、やっていません。「テトリス」にはまったなんて、よく知ってますね。ビックリしました。
      カラカラの話は、泣けるでしょう…。

  2. どうも先生がゲームから引退した後に、私がファミコンデビューをし、その私も既に5年位前にゲームからは引退
    してしまっているので、この手の話は合わなさそうですね・・・。
    最後にハマっていたゲームは、コナミの音楽ゲームの類。おそらくご存知ないだろうし。

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