困った時の「金村さん」。

15/Ⅸ.(木)2011 はれ
先日、クリニックのインターネットが繋がらなくなった。
困った。僕は、自慢ではないが、てんで機械が苦手で、どこに苦情を訴えていいのかもわからない。
そこで、困った時の「金村さん」。
メールで、<インターネットが繋がらない…>と送信すると、
「それでは、○○の○×君を紹介しましょう」と手配してくれた。無事、解決!
「金村さん」のオクスアイという会社は医院の開業支援をしてくれる会社で、僕はオクスアイに開業支援をオファーした。
以降、アフターフォローも万全で、困った時は「金村さん」。
トイレの電球が切れちゃった時も「金村さん」は飛んできて電球を交換してくれた。
診察室の扉がバタンと勢いよく閉まり過ぎた時も「金村さん」は飛んできて扉の上のバネみたいのを調節して直してくれた。
テレビが故障した時も、「金村さん」が電気屋さんと一緒に来てくれた。
僕は、元々は開業する気はまるでなかった。
勤務医の方が気楽だし、臨床の仕事は好きだが院長ともなると管理的な業務や経営的なことを考えなくちゃいけないから、
そういうのは不向きだと自分が一番知っていた。
それでは、何故、開業する気になったかというと、うちの母親は古い人間で、
「医者になったのなら、他人に使われてるようでは駄目。独立開業して一人前!」という自分の価値観を押し付けてくるタイプだった。
僕は、平気の平左(へいきのへいざ、と読む。‘平気’という意味)で、その時にやりたいことをやれる病院を渡り鳥みたいに、
気ままに見つけて、渡り歩いて生きていた。
晩年の母は末期癌でどんどん年老いていき、僕は親孝行なもので、仕事が終わるとほぼ毎日、
茅ヶ崎の実家まで見舞いに寄って帰った。
そこで、血迷ったんだろうな、母が生きてるうちに開業して一人前の姿を見せてやろう、と決心したのだ。
その頃、僕の旧友がやはり独立開業を計画していて、オクスアイの「金村さん」と打ち合わせをするという情報を小耳に
はさみ、参考に同席させてもらった。
喫茶店で2人のやりとりを聞いてて、<この人にしちゃおう>とその場で、開業支援を依頼した。
今、考えると、霊感商法に引っかかるオッチョコチョイみたいだな、「金村さん」いい人で良かった。
以降、気をつけたい。
でも、「金村さん」は有能であり、僕にとって有益な人物だった。
僕は開業すると言っても、ほとんど思いつきもいい所で、何のビジョンも、具体的な案も、現実的な資金もなかった。
「金村さん」は、資金繰りから面倒みてくれた。
さて、具体的な段階になる、まずは物件探し。
「金村さん」は、「場所はどこがご希望ですか?」と訊く。
<え~、全然、考えてない。そうだ!中野ブロードウエイなんかどうかな?4階は結構、空きのテナントあったけど>と
僕のその場の思いつきも、「ご自宅から遠いでしょう?。疲れますよ。やめましょう」と冷静に却下してくれた。
<じゃ、いいとこ見つけて。「金村さん」に任せるよ>と丸投げし、その結果、大岡山になった。いい加減なものだ。
次いで、「どのようなイメージの内装にしましょう?」ということになり、
<え~、全然、考えてない。
そうだ!イッッ・ア・スモール・ワールドみたいにして、入り口からボートに乗って、診察室まで漕ぎ着くのはどうかな?>と
僕のその場のノリも、「船酔いされる方がいると困るでしょう?。患者さんが気の毒です。やめましょう」と優しく修正してくれた。
色々なクリニックやカフェや雑貨屋などを一緒に周り、相談して、今のクリニックになった。
レセコンという会計のコンピューター・システムの導入も、看板や広告も、従業員の応募も、役所への届出も、
必要な書類の整備も、ご近所への挨拶も、開院披露パーティーの提案も、取引する業社も、普段使う電話機も金庫も
タイムレコーダーもロッカーも、「金村さん」がやったり決めたりしてくれた。
僕がしなきゃいけないことだけは、具体的に指示してくれるので言われた通りにやって、スムーズに事が運んだ。
一つだけ誤算があったとすれば、開院披露パーティーを待たずに母親が死んだことかな。
僕が開業すると知って安心して、死期を早まらせたのかもしれないな。
でも、まぁ、長く苦しむよりは良かっただろう。
一応、満足したろうし。
僕は親のことをよく知らなくて、父親は大正10年の生まれで親から離れて北海道やら満州に移り住んでいたらしいが、
理由とかは知らず、それに比べれば母親のことはよく知ってると思ったのだが、大正14年生まれで東京に育って、
実家が薬局のようなものをやっていたということくらいの知識しかなかった。
母の葬式で色々な親戚に会い、開業する時は、ご案内状みたいなものを送った。
それも、「金村さん」の助言だった。
すると親戚から、驚嘆と絶賛のお電話を頂いた。
内容は総じて、「タッちゃん、よくぞ大岡山にしてくれた」というものだった。
なんと!母親の実家の薬局は大岡山にあったらしいのだ。
「金村さん」そこまでリサーチ?。まさかね…。偶然らしい。
僕は、それまで母と大岡山の関係をまったく知らなかったから、ビックリした。
ひょっとしたら、母の魂が「金村さん」を導いたのかもしれないな。
不思議だな。こういうのを縁って言うんだろうな。大切にしよう。


4 Replies to “困った時の「金村さん」。”

  1. 不思議な縁だね。
    タツジ先生の独立開業に関しては、
    実はオレ7年前(だったかな?それくらい)に『予知夢』をみていたらしい。
    その頃 夢日記を毎回記録していたんだけど、その一節に
    ~Dr.川原、長谷川から脱する事になり~
    ……と書いてあった夢日記のノートを割と最近発見したんだよ。
    寝起きで脳が回っていなくて痺れた手で自分でも解読困難なくらい汚い字で書かれているんだけど(笑)
    日付みたら明らかに独立の話は出ていない年だったから。
    今度機会があったら見せようか?
    でも夢日記って第3者に見せたらマズいものなのだろうか???

    1. とうきび@道産子さん
      面白いですね。今度、機会があったら見せて下さい。夢日記は、つげ義春も公開してるから大丈夫でしょう。

  2. 私の父は、昭和6年生まれ、母は、9年生まれです。父が、衣料品小売店を開業したのは、私が、生後6ヵ月と聞いています。ゼロからのスタートだったので、かなり大変な船出だったと聞いています。
    今弟が、後を継いでくれています。口には出してはいいませんが、お店をついでくれたこと心から感謝しています。

    1. あんころもちさん
      いつもコメントありがとうございます。僕のブログで、ご自身の色々なことを回想してくれるのは、とても嬉しく思っています。

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