年越しの報告

大晦日は、さいたまスーパーアリーナに年越し格闘技イベントを観に行く。2011年は格闘技は季節にたとえると‘冬’で、恒例の年末TV中継(地上波)もなしで、イベントの開催さえ怪しかった。
最終的には、アントニオ猪木の協力を得て、大会名も「元気ですか!!」、総合格闘技とキックと女子とプロレスの各々の試合を、午後3時に始まってカウントダウンまで提供する、おもちゃ箱をひっくり返したような大会だった。でも、意外とプロレスが挟まれると、息抜きできて、丁度良かった。
桜庭と柴田勝頼(新日本のレフリーだった柴田勝久の息子)がIGFという猪木率いるプロレス軍団と‘IGFルール’という、まぁプロレスのようなルールで、総合格闘技のような勝ち方をしたのが、ある意味、真剣勝負で面白かった。柴田の動きが良かった。
猪木はオープニング・セレモニーで、リング上で、字を書いた。猪木の父親の遺言は、「恥をかいても、字を書くな」だったそうだ。何回も聞いたから覚えている↓。

そんな猪木は、「1年の不幸なことはすべて忘れて、幸せだったことだけを覚えていましょう。そうすれば、今年は良い年に、ではなく、今年も良い年に、と言えるから」、と相変らず無責任なことをシャーシャーと言い、‘幸’という字を書いた。

セレモニーの途中で、タイガー・ジェット・シンが上田馬之助の遺影を持って登場して、一暴れした。上田馬之助も去年、亡くなったんだ。↓。

大会は1部と2部に分かれていて、スカパーやニコニコ動画の生放送が2部から有料になるらしく、その時間調整のため、1部と2部の間の休憩が40分あった。観客達は、「え~、40分?」「放送中心かよ」と軽く文句は言ったが、おとなしく屋台のラーメンを食べたりビールを飲んだり軽食をとって、暴動などは起きなかった。昔のプロレスはファンも熱くて、すぐ暴動を起こしていた。両国国技館なんか放火されて、しばらく親日は国技館を使わせてもらえなかった。平和な世の中になった。
メインの3試合は、DREAM(総合格闘技)のタイトルマッチが2つと、オオトリが‘60億分の1’人類最強と謳われたエメリヤーエンコ・ヒョードルvs北京オリンピック柔道金メダリスト石井慧。
ヒョードルは、RINGSで発掘され、PRIDEでトップを取った選手で、日本のファンには親近感がある。それはヒョードルも同じで、震災のあと、すぐに日本のファンに向けてコメントを発表し、今回も震災復興の祈りをこめて来日した。普通だったら(何が普通だ?)呼べない選手だ。
そんなヒョードルも、実はここのところ3連敗し、世界最強の名前は他に譲り、引退説も囁かれた。それでも、ヒョードルは、11月に復帰戦を勝利で飾り、復活した。そういった意味でも、ヒョードルは震災復興のシンボルに思えた。
DREAMのタイトル戦が2試合とも、フルラウンドの判定決着だったため、ヒョードルと石井の試合は、pm11時50分くらいからの開始になった。入場などにもそれなりの演出があり時間がかかるから、誰もがカウントダウンは無理だと思った。僕は、猪木と「1・2・3ダーッ、あけましておめでとう」をやりに来た訳ではないし、別にやりたくもないし、じっくり試合が観れればいい。左が石井、背中がヒョードル。↓。

しかし、スターというのはすごいもので、ヒョードルは石井を年内残り10秒ちょっとでKOし、石井が倒れたままのリングに猪木がおっとり刀で登場し、「1・2・3ダーッ!」を無理やり間に合わせた。会場は大盛り上がり。僕は、放送時間ギリギリで終る昔のプロレスを懐かしく思い返した。あの時も、リングの中央には猪木がいた。
下の青いグローブをはめてるのが、ヒョードル。↓。

そして、新年。会場のモニターに映し出された、ジョシュ・バーネットとヒョードルの2ショット。今年もいい年でありますように。


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