立川流追善落語会 千秋楽(昼) 立川流誕生前の巻

23(金・祝)/ⅩⅠ.2012 12:00開演
立川談志一周忌 特別公演「立川流 追善落語会」に行ってきた。場所は、よみうりホール。↓。

追善落語会は3日間4興行、行われ、今日が千秋楽で昼の部と夜の部がある。
昼の部は、「立川流誕生前の巻」と題され、
談志がまだ立川流を旗揚げする前に弟子入りした落語家が中心に演目を組まれていた。
意外に志の輔は立川流になってからの弟子というイメージが強いが、
正式には立川流を旗揚げする直前に弟子になっているから、こちらのグループに登場した。↓。

幕が開くと、横一列にズラリとメンバーが深々とお辞儀をして並んでいる。
その光景に会場からどよめきが起こる。
まずは「一門挨拶」。
口上と進行は、立川流の新代表になった土橋亭里う馬(どきょうてい・りゅうば)。
立川流誕生前後に関係なく、直弟子全員を入門順に紹介してゆく。
桂文字助、立川左談次、立川談四楼、立川龍志、立川談之助、立川談幸、立川志の輔、立川志らく、立川生志、立川雲水、
立川キウイ、立川談慶、立川志雲、 立川談笑 。
ここまでが真打ち。
そして、二つ目の紹介。
立川談修、泉水亭錦魚、立川平林、立川談吉。
談修は談志が亡くなる前に「真打ちになってもいいよ」と許可をもらっていたが、
談志が患っていたため、真打ちになれなかった。
そこで来春には、真打ちになる、ということがここで発表された。
泉水亭錦魚は立川龍志一門に、立川平林は立川談慶一門に、立川談吉は立川左談次一門になることも報告された。
紹介されたものは、ただ頭を下げるだけで1人1人のコメントはない。
しかし会場からは大きな拍手が起きる。
土橋亭里う馬は、皆を紹介し終えた後、「全員は集まれず、ぜん馬と談春が仕事の都合で欠席です」と伝えた。
談春がいないのはさびしいと思った人は多いようで、会場に一瞬、そんな空気が流れた。
立川流誕生前の巻。
つまり、談志が落語協会を脱会する前に弟子になったものたちが登場するのである。
トップバッターは、立川談幸。
21日が談志の命日。弟子には二日後の23日に知らされた。つまり今日である。
談幸は、今日は「火葬記念日」だと言った。
その日に連絡網が回ってきて、その内容は「師匠が死にました。火葬は済みました」というものだったと言う。
談幸は、「だから今頃は、師匠が焼かれてる頃で、今日の打ち上げは焼肉屋らしい」とジョークを言って会場を笑わせた。
立川流は、芸人なんだから何でも笑いにしてしまおう、という了見なのである。
それを観客も共有している。
談幸の演目は、葬儀にちなんでか、「片棒」だった。
続いて、立川龍志が「家見舞」をやり、柳家小菊という女芸人が色、三味線を披露した。
そして立川志の輔の登場。
志の輔が入門して5ヶ月目で立川流が創立されたと言う。
そして談志はどんどん進化していったと言う。
談志のイリュージョン落語の代表作である「やかん」を志の輔がコピーしようとしたら、
談志に「あれは俺のだから無理だよ。お前のを作れよ」と言われ、「バールのようなもの」を作ったそうだ。
談志に「それいいよ」と言われて自信がついた、と志の輔は言っていた。
僕は「バールのようなもの」を3回聞いたことがあるが(下北沢、渋谷PARCO、赤坂だったと思う)何回聞いても面白い。
当然のように会場を大爆笑させた。
皆さんも面白いから、きっと動画サイトにあるでしょう、観て(聞いて?)みて下さい。
ここで中入り。
ロビーは談志や弟子達のDVDや書籍の販売をしていて、こちらも熱気がある。
その中でも目を引いたのは、12月8日に全国公開される「映画 立川談志」の宣伝だ。
前売り券を売っていた。
「やかん」と「芝浜」の二席を未公開映像も含めて大スクリーンで上映するのだ。
ドキュメンタリータッチでナレーションを柄本明がつとめるそうだ。↓。

中入り後、立川流の内田裕也と紹介されていた桂文字助(白髪を後ろで束ねて、白い顎鬚を生やしている)の
名人横綱・谷風の噺、「谷風情相撲(たにかぜ・なさけ・ずもう)」から始まる。
次に登場したのが、毒蝮三太夫。
とめ役(タイムキーパー)として、立川左談次が相手をした。
毒蝮は、「よくこれだけ入ったね。皆、志らくと志の輔の客じゃないの?お前も頑張れよ」と兄弟子にあたる左談次にそう言った。
毒蝮は、談志が死んだのに、今日はめでたい(自分達夫婦の)金婚式だと言っていた。
今から50年前、昭和37年11月23日に赤坂プリンスホテルで、会費1000円で結婚式。
司会が柳家小ゑん。立川談志になる2年前の‘談志’。
引き出物を出すにもお金がないから、そこで小ゑん(つまり談志)が色々とアイデアを出したそうだ。
入り口で封筒を渡し、封筒の中には「坂本龍馬」「広岡達朗」「宍戸錠」「皇太子殿下」「力道山」などと書いた紙を入れておく。
すると「力道山」を引く人が何人もいて、その人には「ラーメンをどうぞ」と配る。
曰く、「のびたら、おしまい」。
「広岡達朗」を引いた人には「宝くじ」。
「当らない割には買われている」。広岡は打率2割5分くらいのバッターだった。
「宍戸錠」を引いた人には、「器」。
西部劇をやっていたから、「撃つわ、撃つわ」で器。
これは家にあった器を持って来た。
このように金がないなら、アイデアでやるという談志らしいエピソードを披露した。
ちなみに談志の結婚式の司会は、毒蝮と(月の家)円鏡だったそうだ。
これもすごそうだ。
毒蝮の名付け親は談志なのだが、毒蝮は元は石井伊吉という俳優で、「ウルトラマン」ではアラシ隊員の役で出ていた。
当時は役者の方が1枚上という時代で、役者仲間からは毒蝮に変えることを反対されたという。
それでも談志は、「お前は役者は駄目だから、1人喋りをしろ!。毒蝮になれ!」と7年間口説かれたそうだ。
毒蝮は、談志がいなければ俺は今ここにいない、としみじみと言った。
毒蝮は、「談志は大師匠(おお・ししょう)にさえ、ここが駄目だ、と面と向かって言った。そりゃ、陰で言う人はいるよ。
だから一晩、呑みたいような奴ではない」と言って、会場を笑わせた。
毒蝮は最後に客席に向かって胸を張ってこう言った。
「皆さん、談志はすぐそこにいます。(談志が死んで)バラバラになると思った立川流がこうしてまとまったのは素晴らしい。
1日だけでも」だって。
トリは立川談四楼。
談四楼は、去年の今日、今時分、マスコミから「家元が亡くなったという噂がありますが?」という打診を受けていたという。
実は初夏にも1回「死亡説」というガセネタが流れて、家族がとても苦しんだという。
だから、家族を守ろうと「ガセネタです」で通していたが、どうやら本当みたいだという連絡網が回って来た。
しばらくして北朝鮮のキム・ジョンイルが亡くなって、そのニュースも2日間伏せられていたことから、
「独裁者の死は2日間伏せられる」と言って、会場を笑わせた。
談四楼は、1年、兄弟弟子で思い出話をしてきたが未だ語りつくせないと言い、「人情八百屋(にんじょう・やおや)」をやった。
これで昼の部、おしまい。
そして夜の部へと、つづく。


4 Replies to “立川流追善落語会 千秋楽(昼) 立川流誕生前の巻”

  1. おもしろかった感がガンガン伝わってきます。
    封筒を渡し、「坂本龍馬」「広岡達朗」「宍戸錠」「皇太子殿下」「力道山」などと書いた紙~、おもしろい!
    それぞれに掛かりがあるのか、すごいアイデア。
    毒蝮が今、ラジオで年輩の皆さんに、「ババア!まだ生きてやがった!」とか言っても微笑ましいのは貴重ですよね。
    談志が名付け親だったんですね。
    談志って色っぽいですよね。談志の映画、見ようっと!

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