吉田拓郎のコンサートへ行く

14/Ⅶ.(月) 2014 はれ
お昼から、夕方まで、東京都の校医相談。
<これから吉田拓郎のコンサートに行く>と言ったら、
保健室の先生が「もなか」と「あられ」をくれた。↓。

それを道中で食べながら、電車を乗り継いで、みなとみらい、に行く。
会場は、パシフィコ横浜。↓。

途中、気になった看板があったので撮影しておく。↓。
僕は、鳥が怖いが、ヒッチコックの「鳥」という映画は全然、怖くなかった。
むしろ、よくぞ、世界に、鳥の恐ろしさを啓蒙してくれた、と感謝したくらいだ。
恐怖は自分1人だけが恐ろしがってる時が怖いので、皆が恐ろしがると不思議と平気になるものだ。

話が吉田拓郎からそれてしまいましたね。
僕は湘南の茅ヶ崎の生まれですが泳げなくて、水泳の時間や友人と遊びに行く時は苦労しました。
ところが、吉田拓郎も泳げないと知った時には、感激しました。
人間は泳げなくてもいいんだ、と変な自信を持ち、堂々と開き直るようになりました。
僕が高校1年の時、拓郎は「ローリング30」という2枚組みのLPを出して、僕は毎日、それを聴いていました。
その2枚目のB面のラストの曲が、「海へ帰るよ、泳げないけど~」という歌で、僕はその歌の歌詞が好きでした。
当時、塾で一緒だった女子と夏休みにプールへ遊びに行く約束をしました。
ついでなので、<良い歌だよ>と、そのレコードを貸しました。
すると、彼女の感想は、「みじめな歌ね」と見透かしたようなものでした。
「海へ帰る」と掛けて、みなとみらい、の海を。↓。

会場に入りました。開演前にグッズ・コーナーを見ます。↓。

吉田拓郎の等身大パネルを開演前の海を背景に撮影します。
コンサート終了時の海と比較するつもりです。↓。

このパネルには、拓郎の直筆サインが、記されています。ちょっと見づらいかな?
見づらかったらごめん。↓。

僕は、拓郎の歌はエレック・レコード時代(今で言う、インディーズ)からCBSソニー時代の物は全部わかります。
セイ・ヤングやオール・ナイト・ニッポンも毎週聴いていたから、レコードになってない曲も知ってます。
フォーライフ時代は、浪人中までの作品なら、ほぼわかります。
ここで言う、わかります、とは、歌詞カードを見ずに歌えるという意味です。
多分、「無人島で」くらいまでです。
その後のアルバムは、僕の興味が拓郎から清志郎に移ってしまったので、全然、知りません。
さすがに、キンキ・キッズとテレビ番組をやってるのは、少し見ましたが、気に入りませんでしたね。
キンキ・キッズがじゃなくて、吉田拓郎の媚びたような態度が。
そう言えば、キンキ・キッズからもお花が届いてました。義理堅いですね、奴ら。↓。

ですから、今日のコンサートの選曲がどうなるのかは、ある種の賭け、です。
あえて予習なし、で臨みました。
最近、拓郎は「AGAIN」という」セルフ・カバー・アルバムを出したと知り、少しホッとしました。↓。

座席は、2階12列の一番端っこ、通路に面してるから、横に飛び出して見れる良い席。
始まりの合図は会場が真っ暗になり、ステージ後方のスクリーンに、ギターを抱えた拓郎のシルエットが浮かぶ。
大拍手、そして、「たくろうコール!」。
1曲目から、なんと、あの懐かしいイントロ、「人生を語らず」だ。
僕が高校生の頃、男子が聴いていた音楽は、「拓郎」か「永ちゃん」か「YMO」のどれかだった時期があった。
僕は、勿論、拓郎派で、コンサート会場では、座席の下にカセットデッキを仕込んで録音していた。
今より、チェックが甘い時代だった。多分、皆、してたと思う。
当時の僕は、少し屈折していて、会場で盛り上がる他のファンに対して、<こいつらと俺は違う>なんて、
椅子に座ったまま、腕組みなんかしちゃって、微動だにしなくって、自意識過剰な地蔵みたいで。
そして、家に帰ってから、録音したテープを再生して、手拍子して、一緒に合唱したりしていた。お恥ずかしい。
しかし、時は魔術師ですね、そんな僕ものっけからスタンダップ!、フルコーラス歌いましたよ、「人生を語らず」。
やっぱり、アイドルのライブに通ってるおかげで、自分で言うのもなんなのですが、人生のノリが良くなった。
2曲目は、「今日までそして明日から」、アレンジが僕の知ってるのとはちょっと違いました。
3曲目は、なんと、「落陽」です!開始3曲目で会場は総立ちです!平均年齢50以上だろうに。
「落陽」の後奏では、バックのスクリーンに打ち上げ花火の映像が何発も何発も出て。
まるで、つま恋、みたい。
オープニングから怒涛の3連発だ。ものすごいボルテージ。
拓郎は、MCで「それでは、皆さん、さようなら」と冗談で帰る振りをして、シャイに照れ笑いした。
吉田拓郎のステージは、拓郎に限らず昔のフォーク歌手のトークは面白かった。
深夜放送の雰囲気。
初期のたくろう(初期だから、平仮名表記にした)のライブ版は喋りが面白いです。
今、入手できるのは、「ともだち」だけです。「オン・ステージ2」はCD化されていません。
「ライブ’73」は喋りがほとんどないです。たくろうがエレキ・バンドを従えて颯爽とイメチェンした記録です。
この日の拓郎は、たくろう時代と同じように、まるで同じようにトークをしました。
何も変わっていません。ギャグも当時と同じです。
「今回のコンサートツアーは、北は埼玉・川口から南は神奈川・横浜まで」とそんな調子のギャグです。
変わってね~。
拓郎は、全国ツアーをやるアーティストをみて、羨ましいと思う反面、
あんなにやらなくてもいいだろう、と思う、自分がいます、と言う。
「そんな正直な吉田拓郎のコンサート、ゆっくりお楽しみ下さい」と言って、会場をクールダウンさせ、一堂、着席。
「みんな、年だから、無理してひきつけ起こしてもいけないから」とジョークを言った。センスが古いなぁ。
4曲目は、「爪」。別れを切り出す、と爪を切る、をかけた松本隆の作詞の曲。
「ローリング30」に入っていた。
5曲目は、知らない。軽快なラブソングだ。
6曲目の前にMC。去年、2人のミュージシャンのライブにゲストで誘われた時のエピソードだ。
そんなに面白くないので詳しくは書きません。
ただ、2人に「襟裳岬」を一緒にやらない?、と提案したら、回答が真逆だったという話。
と言う訳で、6曲目は、「襟裳岬」。
7曲目も知らない曲。「僕は1人じゃない」とか歌ってた。曲が途中で、転調するのが特徴。
8曲目も知らない。舞台が照明でオレンジ色になる。たそがれ、のイメージ。
「あなたはどうしてそんなに素敵なんだろう」みたいな、憧れの気持ちを歌ってる。
恋唄というより、人を慕う気持ちのように聞こえた。
でも、これも若い時に聴いていたら、違って聞こえるのかな。
こういうのを円熟って言うのかな。
9曲目の前に長いMC。子供の頃、病弱だったというエピソード。
東京に出てから人間が改造されて朝まで3回歌いました、って。
ここで補足説明。1度目は「かぐや姫」とやった、つま恋、だ。
あれは僕は小学生だから、いけないのは仕方ない。
ただ2度目の、篠島、は大学受験を理由に親から許しが出なかった。今でも、悔やまれる。
結果論だが、浪人したんだから行かせてくれても良かったのに。
3度目だけ行きました。拓郎、単独のつま恋。
当時、僕は大学の野球部の副キャプテンで、オールナイト・コンサートと野球部の合宿の日程がぶつかった。
その頃の僕の考えは甘くて、性善説で生きていた。
だから、きちんと説明したら、わかってもらえると思った。快諾されるとさえ思っていた。
篠島のコンサートに行けなかった悔しさも一生懸命、伝えた。
しかし、上級生やOBやキャプテンは口を揃えて、「副キャプテンの自覚がない」と却下された。
僕は、こいつらは馬鹿か、とあきれ、友人のF.と2人で皆の意見をシカトして、コンサートに強行参加した。
夕方からとにかく朝日が出るまで、延々と歌うというコンサートだ。行って良かったと思う。
去年くらいに野球部のOB会に出席したが、皆、和気あいあいとして、コンサートに行ったことを咎める者はいなかった。
時間が俺の選択の正しさを証明してくれた。だから皆さんも迷ったら好きにした方が良いですよ。
多分、死ぬ時に後悔しない。
あっ、話が脱線してしまった。
9曲目のMCの話だ。
拓郎は、「自分」はどう変化するか判らない、ということを伝えたかったらしいが、途中からそんな自分に照れて、
つまらないジョークを言って、話がうやむやになって、9曲目へ。
ステージ後方のスクリーンに、青い空に白い雲が浮かぶ映像に、「夏休み」という文字が映し出される。会場からは大拍手。
海浜の画に1番の歌詞がつく。カラオケ・ボックスをイメージしてくれると良いです。
皆、見なくても歌えるのにね。
2番は、山の写真。3番は、ひつじ雲。間奏は、夕日が海に沈むところ。4番は畑道に白い雲と青い空。
5番は、ひまわり。後奏は今風のアレンジで間髪入れず、10曲目へ。
聴き慣れた独特のハーモニカ。「シンシア」だ。
これは、オリジナルは、かまやつひろし、とのデュオだ。シンシアとは、南沙織の愛称だ。
今、動画サイトで、当時の2人が南沙織を挟んで歌う「ミュージック・フェア」の画像がアップされていて見れます。
たくろうも愛くるしいくらい可愛いが、南沙織が途中、はにかんで下を向くシーンは可愛い。
僕は南沙織は特別に好きでもないが、この南沙織は可愛いです。必見です。
また話が脱線してしまいました。
11曲目、ステージを赤とブルーのライトがネオンのように交錯し、紫がかった色を作り、また赤とブルーに分離する。
混ざり合っては元のバラバラに戻る、その繰り返しが淫靡で、永遠に交わらない男女の仲を暗喩しているようだ。
曲は、「裏街のマリア」。これも、出典は「ローリング30」だ。
そして、吉田拓郎は、どうやらお気に入りの「ネタ」をやる。とあるバーで2人連れの男と一緒に飲む設定。
覚えてるので、なんならここで詳しく再現しても良いのだが、「オチ」もない面白くない話なので割愛。
まぁ、あえて言うなら、バーに入って何を注文したら良いか判らない時は、「モヒート」を頼むと良いってことです。
拓郎曰く、「ヘミングウェイで有名なモヒート。すごい甘いです。皆さん、試して下さい」、だって。
そして、この1人茶番劇の最中に曲が挿入されて行くという仕掛けですが、何が面白いのか判りませんでした。
12曲目も知りませんでした。「気持ちだよ~」と何度もリフレインしていましたから、きっと、そんな題なのでしょう。
13曲目は、「サマータイムブルースが聴こえる」。この曲は、ライブで人気があり、後にシングルになった曲です。
原曲は4番まで歌詞があり、サビは全部同じでした。
シングルでは、歌詞が3番までになり、その代わりサビの詞が異なりました。
「手を加えた」という感じでしたが、僕はライブでやってる粗野なバージョンの方が好きでした。
で、今回はと言うと、4番までありサビ同じのライブ・バージョンの方でした。(拍手)
そして、またバーの1人コントに戻り、「人生って、そういうもんなんだな~」って言って、背中を会場に向けると、
色とりどりのライトが、ステージにきらめく。
4原色みたいな。
曲は、「全部抱きしめて」(?、キンキ・キッズが歌ってた奴)、14曲目。
この歌では、会場でラジオ体操みたいな振り付けで踊ってる人が何人かいたぞ。
なんだ、あれは?許していいのか?
そんなことを言ってるうちにバンドのメンバー紹介になって、「わしらのフォーク村」ジャンジャン、って終った。
「わしらのフォーク村」とは「古い船をいま動かせるのは古い水夫じゃないだろう」というエレック第1弾のLPの曲だ。
キンキ・キッズの曲を演奏され、オールド・ファンが不愉快になりそうなタイミングで、これだ。
その手があったか。まるで人質を捕られたような気分だ。許すしかない。
15曲目は、ピアノソロから、やはり知らない曲。「訳もなくここは東京」と何度も言ってたからそういう歌なのだろう。
その後、最近物忘れが激しいとか、通販にはまってるなどのトークから、(これも特に面白くないので内容は書かない)、
「今日は最高のメンバーが集まってくれました。この人達は文句なしにベストなんです。ベストなんです!」と繰り返し、
よく見ると、全員がベストを着てた、というオチ。…どう思います?
そして、16曲目は、そのベスト・メンバーのコーラスで、「シュロの樹が~」で始まる曲。これも知らない。
17曲目は、4原色のライトが光り、メロディアスな旋律と変則的なテンポの曲。これも知らない。
「あきらめたら後悔しちゃうぞ」みたいな歌。
これがラストの曲だったらしく、拓郎は「どうも、ありがとう」とお辞儀。
会場の拍手に包まれて、メンバーがステージ前方に並んで、手を握り、そのままバンザイする、WWWWWWWW、みたいな挨拶。
拓郎は手を振って、退場。客席は総立ち、大拍手、そして「アンコール!アンコール!」の合唱。
アンコールに応えて、拓郎がギター1本で再登場。スポットライトを浴び、弾き語り。
♪町を出て行こう♪、大拍手。
「こうき心」だ。
これは、初期のLP「青春の詩」に収められて、「ライブ’73」にもロック・バージョンが収録されている懐かしい歌だ。
僕は、つっ立ったまま、シーンと聴き入る。
すると、静かに、その間に、バックメンバーがスタンバイするように暗い中を集まって行く様子が見えた。
♪外は雨が降っている~♪、ジャカジャカジャカの拓郎のギターにかぶせるようにバンドの演奏が始まった。
アンコール2曲目、これは知らない。
会場が青いライトでやさしく包まれて、ステージの拓郎だけ日なたのポジションなので日なたのようなスポットを浴びて。
大げさな詞とドラマチックな曲で、拓郎のヴォーカルが際立つ歌だ。
「時がやさしく切なく流れ、そっとこのまま振り返るなら、僕らは今も自由のままだ」みたいな趣旨の歌だった。
会場から拍手、僕も拍手。それは、熱狂や情熱ではなく、同意とかリスペクトの意に近い。
アンコール3曲目は、耳になじみのあるイントロで、会場をピンクのライトが四方八方に暴れ出す。
「春だったね」。
アレンジは、「ライブ’73」に習ったもので、「ライブ’73」のギターソロは高中正義がやってたな、と懐かしく思い出す。
この歌は、早口言葉みたいな歌詞なのだが、会場は息がピタリとなって合唱した。
後奏で拓郎はギターを持ち替えた。
行くか?アンコール4曲目。
ステージのスクリーンには、どこか日本の夏の情緒を想起させる白と紫のツートンカラーの色合いの、
2つの扇風機の羽根みたいなものが、一方は歯車で時間を逆戻りさせようと反時計回りの力で、
もう一つは、正常に進行する時計回りの時間軸で、その2つが、何の摩擦抵抗もなく、ゆっくりと融和して回っている。
僕は、今日のコンサートに拓郎と和解しに来たのだと気がついた。
アンコール4曲目の歌は、知らない。「オンリー・ユー、さらに、オンリー・ユー」と歌ってる。
皆、総立ちで拍手してる。「あなた以外、あなた以外」と歌ってる。
「オンリー・ユー、ずっと、オンリー・ユー、あなた以外、あなた以外」と歌っている。
コーラス(今回のメンバーはすべて男性)の「オンリー・ユー、オンリー・ユー」の中、拓郎は会場に手を振って、
お辞儀して、右に左にと舞台を右往左往して、拓郎らしからぬ、サービス。
深くお辞儀をして、両手を膝の上についたままの姿勢で動かないから気絶してるのかと心配になった。
しかし、拓郎は息が切れてただけで、また手を振って、会場は大拍手。
コーラスがひたすら、「オンリー・ユー、オンリー・ユー」と客席を扇動した。
拓郎はお辞儀して、また何秒も動かない。
さすがに、もうこれ以上、アンコールは頼めないと皆が納得したら、拓郎はステージを去って行った。
拓郎の白いシルエットがステージのスクリーンに映し出され、会場に灯りが点く。
パーシー・フェイス・オーケストラの「夏の日の恋」がかかり観客も退場する。
グッズ売り場で、ニューアルバムを買うと、ポスターをくれるので、「AGAIN」を購入した。
終演後の拓郎のパネルです。背景の海が夜になっています。開演前と比較して下さい。↓。

帰り道、みなとみらい、の観覧車。↓。

家に帰り、「AGAIN」を聴いたら、1曲目の「純情」という曲が、「オンリー・ユー」だった。
ポスターは、診察室の長嶋の上に貼る。皆さんから、よく見える位置です。
拓郎が、机に突っ伏してる姿が照れ屋の拓郎らしくもあり、疲れているようでもあり、どっちにしろ拓郎らしい。↓。

いや、そんなことより、BABYMETAL、である。
7/21(月・祝)にファンクラブ限定のライブをTSUTAYA-O-EASTでやるので応募したら当たった。
それは、良いことなのだが、当日は、チケットの他に、「デジタル召喚状」も見せないと入れてもらえない。
転売防止のためらしい。
しかし、「デジタル召喚状」は、BABYMETAL APOCALYPSE WEBにログインして、手に入れるのだ。
ちなみに僕の「メタル・ネーム」は「TATSUJI-METAL」。
当日はその画面をみせないといけなく、プリントアウトしたものではダメらしい。
俺、スマホじゃないんだけど。
当日、コンピューターを担いで行けと言うのか?
ベルハー・セカンドワンマンのファンクラブ入会特典もそうだった。
皆がスマホを使ってるという前提で話を進めないで欲しい。
ここは日本だぞ。
日本は島国だぞ。ガラパゴスだ!。
…って、俺、誰に怒ってるんだ??
吉田拓郎コンサート、全22曲中、知ってたのは13曲でした。
BGM. 吉田拓郎「純情」


9 Replies to “吉田拓郎のコンサートへ行く”

  1. 川原先生 今晩は~!
    「なによ」の日、ですね。お誕生日 おめでとうございます!パン、パン!(効果音)
    会場は、みなとみらい駅から遠いのですか?私は、横浜美術館しか行った事がなくて、海も観覧車も知らなくて。
    たくろうさんは、引っ越していなければ、洗足駅の側に住んでいらっしゃる筈です。以前、奥様を見掛けた事があります。
    ガラケーでもwebにログイン出来ると思います。徳田さんに聞いてみたらいかがでしょうか?

    1. エコさん、今晩は~!
      本当だ、たまたま、この記事、誕生日に書いてたのですね。
      言われるまで、気付かなかった。
      お誕生日、覚えてくれてありかとうございます。
      BABYMETALは、ガラケーでOKでした。
      それは、塚田さんのアドヴァイスでしたよ。
      拓郎の奥さんって今、誰ですか?(笑)
      森下愛子??

  2. 好奇心、歌いましたか~
    昔、ヤマハのポプコーンで大賞をとった作曲家がたくろうの好奇心を聞いて、
    ああ、この人には勝てない・・と思ったという事を言っていたのが印象的でした。
    そして好奇心の歌詞を朗読するのですがそれには人生で大事な事が込められてると感じました。
    (歌は聴いた事ないんですよね、その朗読だけなんですが・・)
    こんど聞いてみたいですね、好奇心!

    1. Sinさん
      こうき心、知っていましたか。
      聴くなら、なるべく、昔の音源が良いですよ。
      詩が若いから、若い頃の拓郎が歌ってるのが良いですよ。
      そう言えば、徳田さんが、「715の語呂合わせ」へのお礼の返信を送ってましたよ。

    1. ボクシングファンさん
      面白かったです!!
      僕は当時の拓郎のラジオは全部聴いてたと思っていましたが、ここで語られる「ニッポン放送」の番組は聴いてませんね。
      坂崎が、聖子ちゃんの曲の演奏は、「ティン・パン、がやってた」と言ってますね。
      ティンパン・アレイのことでしょうか??
      ちょっと気になりました。
      貴重な情報ありがとう。
      また何か見つけたら、教えて下さい。共有しましょう。

  3. 喜んで頂いて、私も嬉しいです。^^
    ティン・パン・アレイがバンド単体で演っていたことはまずあり得ないと思いますが^_^;
    アルバム「風立ちぬ」辺りから元メンバー達がそれぞれレコーディングに参加していたみたいです。
    そして、80年代半ばになると、リズムセクションは「打ち込み」になり、ドラマーの名前はクレジットされなくなります。
    でも、80年代の最後のアルバム「Precious Moment」では
    再びdrumが使われ、あの青山 純もドラマーの一人として参加しています。
    あの「瞳はダイアモンド」の印象的なbass drumは林 立夫で、
    キーボードに松任谷正隆の名前がクレジットされていました。
    今だから言えると思うのですが、聖子さんが歌う中島みゆきの世界も聴いてみたかった、
    と思ってみたりもするものの、やはり当時はそんな空気ではなかったのでしょう。
    桜田淳子が歌った「化粧」の印象も当時はまだ濃かったのかも知れません。

    1. ボクシングファンさん
      さすが!詳しいね~
      そうか、松任谷正隆がキーでしたね、なるほど。
      当時は、中島みゆき、という空気はなかったですね。

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