診察とカウンセリングのちがい

16/Ⅲ.(水)2016 はれ、あたたかい
よくある質問に、「診察とカウンセリングはどう違うのですか?」というのがある。
診察は医者がして、カウンセリングは臨床心理士がする、とか、
診察は保険診療で、カウンセリングは保険が利かない、とか、
診察はその時の混み具合で時間がまちまちだけど、カウンセリングは1回50分と決まっている、とか、
こんな形式的なことは皆さんもお判りでして、聞きたいのは内容的な差なのでしょう。
たとえば医薬分業システムのように、医者は薬を出して、薬剤師が薬の説明をする、などの役割分担なら判りやすく、
精神科医は薬を出して、お話はカウンセラーが聞く、という極端なやり方もあるだろう。
でも、そもそも精神科医が話しを聞かないと処方が出来ないし、薬を出してない人も診察を受けにくるし、
カワクリではナースの塚田さんに診察前に話を聞いてもらう人もいるから、ますます、カウンセリングって何?、となる。
必然的に、そういう質問が多くなる。
違いを語る前に、まずは共通点を述べたい。
それは、診察でもカウンセリングも、治外法権だ、ということだと思う。
誤解を恐れながら言うのだが、今の季節だと、「3.11」を忘れない。
その当時の診察場面だ。
その前に、僕らの仕事の生命線は守秘義務だから、本人に無断で「学会発表」や「論文」を書いてはいけない決まりがある。
勿論、個人が特定できないように、ケースをぼやかしたり、ミックスさせたりするのだが、
それでも、本人に了解を得る、のが絶対である。
だから、僕は基本的にブログにそういうことは書かない主義だが、今回だけは特別に例外です。
これから紹介するエピソードは本人の了解をちゃんともらったので、これから書きます。
その子は、中学生で学校も家も友人関係もうまくいかなくて、毎週、クリニックに通院していて。
薬を出すような症状もないから、毎週、ちょっとの時間だが、診察で話をしていた。
彼が、その頃、なんとかしのいでいられたのは、診察もそうだったかもしれないが、「少年ジャンプ」の存在だった。
月曜日にジャンプを読んで、週末クリニックに来て、一週間づつ乗り切っていたのだ。
そこに、「3.11」である。
色んな流通とかにも影響が出て、ジャンプは1週発売を延期した。
東京に住んでいる我々の電力の多くは東北の被災地に依存していたし、東京も計画停電をしていた頃だ。
テレビの番組もあまり不謹慎な番組は自粛されていた。
実際に被害にあった方のことを思うと、ジャンプ1週間延期、なんて何てことのないことだった。
だけど、彼は毎週、ジャンプを読むことで、日々をなんとかしのいでいたから、彼にとってはジャンプがないのは痛かった。
しかし、そんな事を言える世の中でないことを彼は重々知っていた。
彼は悶々としていて、自己嫌悪にもなっていた。
僕は、<ここで喋ったことは外に漏れないし、人間はそもそも不完全で放っておけば不謹慎になるもので、
外では言ってはいけないことも、ここでは喋って良いんだよ。心は治外法権だから>と保障した。
すると、彼は小さく息を吸って、大きな声で、「ジャンプ、読みてぇ~!!」と叫んだ。
診察とカウンセリングに共通するものは、そういうところだと思う。
世間でそんなことを言ったりやったりしてはいけない考えや思いも、せめて精神科では、言葉にするだけならば良しとする。
戦争中に「はなし塚」というのがあったという。
そのご時勢にふさわしくない噺を禁演して、墓に埋めたのだという。
戦争と震災を一緒にすると怒られそうだが、伝えたい趣旨はそういうことではないので、行間を汲み取って欲しい。
立川談志によると、「落語とは人間の業の肯定」であるから、そういったことはあってはいけないのだと思うのだが。
「明烏」も「子別れ」も「居残り佐平次」も葬られた。
落語と精神科を並列には語れないが、我々の仕事の守るべき一線もそこだと思う。
前置きが長くなったが、診察とカウンセリングのちがい、についてですね。
僕は、そう質問されたら、こう答えることがあります。
浅草キッドの本に書いてあったのですが、たけしの運転手を一時期していた、ゾマホンという変な外人がいます。
ゾマホンは、アフリカのベナンという貧しい国から日本に留学して、たけしのTV番組に出て、有名になった人です。
ベナンのことわざに、
「空腹の者への正しい援助は魚を与えることではなく、
魚の捕り方を教えることだ」
みたいなことがあるのだそうです。
それで、ゾマホンは日本で稼いだギャラを本国に送金・寄付するのではなく、学校を建てる資金として援助しているそうで、
その心意気に、たけしがその番組が終わっても自分の運転手に雇っていたというエピソードがあります。
僕はこれは精神科治療にもあてはまると思うのです。
つまり、クリニックを訪れた患者さんは、「空腹」です。
ですから、とりあえず、「魚」を与えて、お腹を満たさないと、「魚を捕る方法」どころではありません。
僕の仕事は、「魚」代わりに、薬や診断書を出したり、心理教育や助言をして、当座をしのぎます。
肝心なのは、そこからで、「魚の捕り方」を教えるのは、自己理解を深めたり、ストレス対処作を身に付けることと同義でしょう。
難しいのは、「正しい魚の捕り方」が人によって違うところだと思うのです。
正解は一つではないところが、信仰や自己啓発と違うところでしょうか。
「正しい」やり方は、それぞれの人の心の中にあるのでしょう。
これまでのその人の歴史によって、方法は異なるし、失敗から学ぶ事もあるでしょう。
心の中は、森の中に似ています。
勝手が知らずに、一人で入って行くと道に迷って出て来れなくなることもあります。
だから、心のメカニズムをよく知った専門家をガイドに一緒に探索活動をして、「ここからもうちょっと行ってみよう」とか
「ここから先はちょっとヤバイ、引き返そう」などとやることが、「魚の捕り方」を見つけることになる人もいるでしょう。
しかし、今の保険診療システムでは、精神科医はそこまでやれる時間がありません。
そこが精神科医が皆、共通して抱いているジレンマです。
そこで僕は、ある程度、「空腹」を満たした患者さんをカウンセラーに紹介します。
僕がカウンセリングに期待するのは、そこから先です。
これは僕の考えなので、心理には心理の言い分もあるでしょう。
心理は今、大きな転換期を迎えています。
心理の資格がいよいよ国家資格になるそうです。
その時、ちょっと揉めたのは、「医師の指示のもとで行う」みたいな一文だったと思います。
これは心理の自律性や自立性、専門性や主体性、ひいては心理のアイデンティティーに関わる大問題です。
まだまだ、これから詰めて行く案件だそうです。
話しはちょっと変わりますが、世の中の万物は偉大なる相似形で出来ているという数学的な考えがあって、
たとえばギザギザの海岸線の砂を拾い集めると、一つ一つが同じギザギザの形をしている、とか。
そんな理論が応用出来るなら、医師会vs心理の業界で起きてる問題が、カワクリという局所でも起きてはいないか?
医師の指示のもとでないと働けない心理士。
これでは心理士が可哀想だ。
だったら、心理から発信出来る場を作ろうと考えた。
それが「カワクリ下克上・心理コンテスト」で、そのうちパンフやホームページにも反映されるでしょう。
その叩き台として、個々の思いや考えやポリシーを皆さんに、いち早くお伝え出来るチャンスをブログに設けて、
たとえば、
「この病院は変だけど、このカウンセラーのカウンセリングを受けたい」とか
「ここの院長は引くけれど、このカウンセラーは信用出来そう」という声を拾い上げたい。
ブログのスペースだから、それは小さな場だし、目に触れる機会は少ないと思うけれど、大切なのはスローガンだから。
草の根運動的に情報が拡散するかもしれないし!
…でも、この心理への配慮って、空腹な者に魚を与えてる、ことに過ぎはしないのか???
自問自答。
BGM. RCサクセション「君が僕を知ってる」


13 Replies to “診察とカウンセリングのちがい”

  1. カワハラ先生
    そのコーナー
    実は私、待っていました〜!
    これから楽しみにしています。
    私は今、
    アロマセラピストの資格を取得するために勉強中ですが、
    「魚の捕り方」を見つける時に、アロマテラピーは
    (人によっては)とても有効だと感じています。
    何よりも
    私自身に大変有効です(笑)
    BGM「君が僕を知ってる」もグッときました。
    ではまた遊びにきます。

    1. ネロリさん、こんばんは。
      アロマセラピストの試験は難しそうですね。
      薬草とか効能とか、化学式とかも出そうですね。
      僕はアロマは今後は「使える」と思っています。
      勉強、頑張って下さいね~
      心理のコンテストと個人の記事はもうすぐ公開になるので良かったら読んで下さいね。
      BGMの「君が僕を知ってる」は、昔、SMAPの木村拓哉が「勇気づけられた歌」として挙げてたのをTVでみたことがあります。
      心が弱った時に聞くと、良い曲っぽくないですか(笑)
      ではまた遊びに来て下さいね~

  2. 先生、こんばんは。
    今後の心配はあって、もしかしたら第1章が終わり第2章に突入したのかもしれませんが、夜間が平和なのは助かります。明後日、土曜日に帰京出来る見込みです。
    最終日曜のさくら学院は、行きます。よほどの事態にならない限り。
    早朝のBABYMETALライブ・ビューイングは、2回落選し、やっぱり自分の体力では無理が大き過ぎるのであきらめました。
    診察とカウンセリングの違い、よくわかりました。
    そして、最後の3行を読んで、(勝手な想像して)、先生はお魚をあげているのかも?と思いました。過去の記事で、心理士さんに働きかけてらしたこともありましたよね。
    トンチンカンな想像だったらすみません。

    1. トモトモさん、こんにちは。
      第2章ですか?大変そうですね。今度、詳しく聴きます。
      さくら学院は、一緒ですね。
      べビメタは、きっとメタルの神様が、今は休め、と仰ったのでしょう。
      診察とカウンセリングの最後の3行、やっぱりそう思いますか?
      全然、トンチンカンじゃないです。
      心理の記事に期待します。

  3. カワハラ先生
    試験は先生がおっしゃった部分も
    バッチリ出ます。
    苦手な化学もありますが、ここはひとつ頑張ります!
    私にとって
    心が弱った時に聴くと良い曲っぽく感じる歌は
    「君が僕を知ってる」と「I like you」
    です。
    そして、川原クリニックは
    「君が僕を知ってる」が場所になったような
    そんなクリニックだな、、と、清志郎のCD聴きながら思いました。
    ではまた〜

    1. ネロリさん、こんにちは。
      「I like you」も良いですね。昔、パルコのCMに「ちびまる子ちゃん」のナレーション付きで放送されてましたよ。
      カワクリのイメージとダブらせてもらったのは嬉しいです。
      期待に応える様に精進します。
      やっぱり、アロマの試験は難しそうですね~
      こないだ、エネルギー療法に行ったら、魔除け(?)のため、セージ、を炊いていて、すごい匂いでした。
      これだけ僕に拒否反応が出るのは、<ひょっとして、僕が「魔」?>と思った程でした(笑)
      化学の勉強も頑張って下さいね。
      ではまた~
      ひょっとして、

  4. 診察とカウンセリングの違い。
    解ったような解らなかったような・・・
    診察では空腹を満たし、
    カウンセリングでは魚の取り方を教える。
    という事でしょうか?

    1. sinさん、こんばんは。
      なかなか、難しい記事でしたよね。書いててそう思いました。
      そして、思った通りのコメントで(笑)、これは読者の方の最大公約数的な意見かもしれないと思いました。
      「診察で空腹を満たし、カウンセリングで魚の捕り方を教える…」という事でしょうか?、と真正面から問われると戸惑いますね(苦笑)
      yesであるような、noであるような。難しいですね。
      心理の記事で誰かが答えてくれるかもしれません。他力本願ですね…。
      ではまたコメント下さいね~

  5. カワハラ先生
    セージは、私の目指す資格(IFA)では
    主成分の安全性の問題上用いないことを義務づけられている精油のようです。
    学習精油に載っていないので気になって調べてみました。
    だから「庭にセージが育つ家には死神は近づかない」と言われているのでしょう。
    でも、濃度と使い方に気をつければもちろんいい面もありますので
    きっと、エネルギー療法の方たちはそれを意図されたのかもしれません。
    ただ、あまりにも香りがきつい場合は、どんな香りでも気分が悪くなると思いますので
    その辺りはお気をつけください。
    気になって調べることで
    またひとつ勉強になりました。
    でも実は、セージ以上に気になるのが
    先生のコメント最後の
    「ひょっとして、」
    ですが(笑)
    今日はそろそろこの辺で〜

    1. ネロリさん、こんばんは。
      セージ情報、ありがとうございます。
      「庭にセージが育つ家には死神は近づかない」というフレーズがあるのですね!
      面白い!!
      僕は、セージ、というとサイモンとガーファンクルの「スカボロ・フェア」の歌詞を思い出します。
      あれは元々は、マザーグース、の歌らしく、謎めいた歌詞が続きますが、その中で呪文のように薬草の名前が羅列されます。
      パセリ・セージ・ローズマリー・タイム、です。その、セージ、ですね。
      ちょっと気になるところをすぐ調べるあたりは、学問向き、ですね。
      きっと資格試験も大丈夫ですね!
      最後の、「ひょっとして、」は完全な消し忘れ、ミスプリです。
      でも、確かに何か意味ありげで、面白いから修正しないで、あえてこのままにしておきます(笑)
      ではまたね~

  6. もしも、カウンセリングで「魚の捕り方を教える」とするならば、カウンセラーの能力や責任は、今よりもずっとずっと重たいものになりますね。だからこそ国家資格という1つのより大きな基準が出来てくるのだと思います。じっと話を聞いてくれ、寄り添って下さるだけでなく、なんらかの打開策(クライアントが望んでいれば)を出すことを応援するならば対応となることを願います。

  7. これまで数回だけですが受けた経験(カワクリじゃありません)で、カウンセラーの方々の仕事ってなんだろうってずっと思ってきました。もしも「魚の捕り方を教える」ものであるとするならば、そしてそれをクソ国家が認めて国家資格とするならば、状況は大きく変わってくるかもしれませんね(そうであることを祈るばかりです)。
    他者の話を丁寧に聞き、寄り添い、打開策(この場合魚の捕り方?)を「一緒に」考えることだけがカウンセラーの方々の能力ではないはずだと思っています。

    1. ミルラさん、初コメントありがとうございます。
      (水の泡、へのコメントは途中で切れていたのと、ここと重複するのでアップしませんでした。
      ですから、ここであえて、初コメントとさせていただきました)
      「魚の捕り方」というのは、ゾマホンの国のことわざから僕が勝手に引用したもので、一般的なカウンセリングの説明ではありません。
      少なくとも、国家は、そんなこと思ってないと思いますよ。
      そこは、コンテストで心理が個々に答えるか、あるいはスルーするでしょう。
      ノーコメントもコメントですからね。
      しかし、ご指摘のように、国家資格化されるということは、能力と責任がより重くなるでしょう。
      そこに覚悟は必要ですね!
      またコメントして下さいね。

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