映画にならない話

22/Ⅹ.(土)2016  はれ マミさんのフィギュアの備品の扇子が紛失し、凹む
映画「聲の形」を観ました。
これで「こえ・の・かたち」と読みます。「かに」、と読み間違えそうですね。
この映画の原作はマンガで、単行本で全7巻です。
僕は1巻だけ読んで、暗い気持ちになったので、読むのをやめてしまいました。
「障害」とか「イジメ」をテーマにしていると、思ったからです。
映画化が決まり、京アニ(ハルヒ、や、かんなぎ、や、けいおん、や、日常、を制作した会社)と聞き、胸騒ぎ。
そして、うちの受付スタッフの約67%が「観た」というので、僕も観る事にしました。
観た後、なんとも懐かしい感じがしたのは、監督さんが「けいおん」の監督だったからかも。
男の主人公の声は、「おそ松さん」のトド松でした。しかし、トッティには聴こえませんでした。↓。

女の主人公は、「物語シリーズ」のアンリミテット・ルールブックでお馴染みの、斧乃木余接↓、の声の人。

聴覚障害の役の声なので、どうやるんだろう、と思ってましたが、上手でした。
誰かが、ももクロの元メンバーがやっている、と言ってましたが、「早見」違いですよ。
この声優さんは、「俺妹」の新垣あやせ、の声もやっている人です。
よつぎ、より、あやせ、の方が似てました。…って、同じ人なんですけどね。
全然関係ないですが、こないだ、「新垣あやせ」の抱き枕を買ってしまいました。(後日、みせます)
下の、向って右が、あやせ。↓。

僕が観た回は、「プレミアムなんとか」と言って、耳の聞こえない人用(?)の、字幕つきでした。
字幕は、「役名」&「セリフ」、で出るから役名を覚えやすかったです。
びっくりしたのは、主人公の男子の高校の同級生、永束、のセリフの度に、劇場の女子が受けまくってたことです!
ドッカン、ドッカン。
まるで、出オチ状態。
後で、パンフを観たら、人気の声優さんみたいですね。
そうそう、まどマギ、の、鹿目まどか、の声の人も出てました。
男言葉だから、わかりにくかったですが、ボソっと言う独り言が、まどか、の声でした。↓。

僕は昔、「こどもの病院」に勤務してたことがあります。
その時、こどもの治療では、オーソリティーである先生が当時の僕の師匠でした。
僕が今でも、印象的なのは、ある小学生が自殺願望を抱いていると直観された師匠は、
その子に、戦争で亡くなった方の写真(死体)をみせたのです。
すると、その子はじっと食い入るように写真(死体)をみて、「あ~、死ぬのも駄目か」とあきらめたという荒技でした。
僕も師匠の真似をしてみました。
幸い、病院には、大きな図書館が付属されていたので、写真(死体)をみつけるのは容易でした。
それを持って、病棟に行き、これから患者にみせると話したら、スタッフ全員に大反対されました。
非常識だというのです。
でも、僕はオーソリティーの先生の直伝だという自信があるから、スタッフを説得し、敢行しました。
すると、どうでしょう?
判で押したように、患者から、「あ~、死ぬのも駄目か」、という反応が返って来たのです。
今から、15年くらい前のことです。
そして、話しを、映画「聲の形」に戻します。
主人公(女)の妹は、動物の死骸ばかりを写真に撮っていました。下は、原作マンガから。↓。

そして、それらを家中に貼っていました。
姉がその中の1枚をコンクールに応募すると、入賞します。↓。

賞をとったのは、死骸をどけた空白の写真でした。
西宮とは、主人公(女)のことです。
妹が、家中に写真(死骸)を貼る理由は、映画の中では語られませんが、マンガではそれが描かれています。
ある日、妹は「障害」のため、ずっとイジメられているお姉ちゃんから、手話で、「死にたい」、と告白されます。
どんなにイジメられてても、ニコニコしてて、「わけ、わかんねぇ」と思っていた姉の切実な本音でした。↓。

それからです。妹が、死骸の写真ばかりを撮るようになって、家中に貼るようになるのは。
妹は、それを毎日みていれば、お姉ちゃんが死ぬのをあきらめると思ったのです。
僕の師匠と同じ発想ですね。
ところが、それでもお姉ちゃんは自殺未遂をしてしまいます。
それを男主人公が救うシーンが、映画ではハイライトです。
絵になる見せ場です。
しかし、その時の妹の心境はどうだったのでしょうか?
幼いなりに考えて、頑張っていたのに、自分の非力さを思い知ったのでしょうか?
さっきも言いましたが、映画はマンガ7巻分をまとめたものですから、どこかが割愛されるのは仕方がないです。
原作では、もう少し詳しく妹の心理が描写されています。
姉の自殺未遂のあと、妹は、家中の写真(死骸)を剥がして周ります。
お母さんに、「あら、剥がすの?」と聞かれると、「もう貼ってる意味がないんだ」とつぶやきます。
死骸を毎日みていれば、お姉ちゃんが死ぬのをあきらめると思い、そうしていたからです。
このあたりの妹の純情は健気で、キュンと抱きしめたくなる程、ひとりよがりで無力でした。↓。

最近、実は僕が気になっていることがあるのです。
それは、インターネットやスマホの普及で、若者の情報量が師匠が荒技を振るっていた15年前とは、段違いなのです。
自殺の方法や、「死体」の写真も簡単にみれるそうなのです。
僕が驚いているのは、「死体の写真」をみて、「きれい」とか「安心する」と言う若い子が結構いることです。
その発言自体の衝撃というよりも、もはや「師匠の荒技」が通じない世の中になったという時代の変化への戸惑いです。
人間の心の仕組みは、100年や200年で変わりはしないから、フロイトの精神分析の根幹は現代でも通用するでしょう。
でも、こどもを取り巻く環境や情報は15年前とは大違いだから、技法という枝葉は通じなくなったということなのでしょう。
むしろ、通じないのが当たり前で、修正してゆくべきなのでしょうね…。
僕はなんとなく、あやふやにしておきたかったセンチメンタリズムを、「聲の形」の、「映画にならない話」の部分で、
直面させられてしまった訳です。
人間というのはひょんなことから日頃モヤモヤしていた抑圧の輪郭がみえたりするもので、
今回の記事で一番、言いたかったのはそのことです。
さよなら、師匠。
BGM. BELLRING少女ハート「タナトスとマスカレード」


8 Replies to “映画にならない話”

  1. ストロング金剛デス
    「こどもを取り巻く環境や情報は15年前とは大違いだから、技法という枝葉は通じなくなった」
    非常に考えさせられるテーマですね。思わず柄にもなく思案してしまいました。
    昔は写真はまさに、現実の時間の一部を切り取るもので、写真の持つリアリティーが今とは違うような気がします。
    デジタルでネットで簡単に手に入る情報は、どこかリアリティにかけ、ゲームと同じでバーチャルのものと感じるのではないでしょうか?
    今の子供でも、実際の死体をみて、「きれい」とか「安心する」とは考えないのではないでしょうか?
    荒業も技法、メディアを変えれば通用するのではないかと考えました。
    ジャーマンスープレックスでフォール取れなくなっても、マイティ井上のオースイスープレックスでカウントスリーが取れるように・・・・
    ど素人が生意気言ってすいませんでした。
    フリーランサーなどとカッコイイこと言ってましたが、日本一の日雇い人夫にします(明日は仕事がありません)。
    それでは失礼いたします。一曲用意しました。マイティ井上の全日時代のテーマ曲でspeed trap!!

    1. ストロング金剛さん、こんばんは。
      後半のマイティ井上のオースイスープレックスばかりに目が行ってしまいがちですが、
      前半のストロング金剛さんの「思案」も非常に考えさせられましたよ!
      良いヒントになりました。ありがとうございます!!
      星一徹も懐かしいですね。胸を張って発言する飛雄馬の姿が目に浮かびます。
      またコメント下さいね~

  2. 死体がきれいとか安心するとか・・・・・本当ですかね・・・
    どんな死体の画像をみたのやら・・・・
    荒技が通じなくなった今だったら師匠はどんな新しい荒技を開発したのでしょうか?
    きっと何かしら開発したでしょう、だって師匠はそういう人ですから!

    1. sinさん、こんばんは。
      最近は、死体がきれい、という人がいるんですよ。
      廃墟ブーム、と均質なイメージです。
      このコメント、師匠がみたら喜びます。
      ありがとうございます。

  3. 今日観て来ました。(キネカ大森)
    涙が止まらなかったです。
    最も端的な言葉で感想を述べれば、
    「生きていて良かった。」です。
    映画で端折られた結果の?西宮の天真爛漫さは確かにリアリズムが薄かった、と感じましたが、
    当時に、この今の自分の年齢なら
    「それは希望だ」
    と、解釈出来ました。
    なので、自分には原作を読むのはちょっと辛いかもしれません。
    どんな手段をもってでも、どんな状態でもいいから、とにかく生きていて欲しい、
    辛くも生き延びて来た、今の自分の率直な思いでした。

    1. ボクシングファンさん、こんばんは。
      良かった、行けたのですね!
      さすが、含蓄のあるコメントです!!
      ボクシングファンさんなら、原作、行けますよ。
      キネカ大森も味わいのある映画館で良いですね。
      ではまた~

  4. 結局、原作を購入しました。(Amazon)
    先生の「結弦」評は、原作を読み通してみると、頷けます。
    そして映画版はやはり内容が、かなり端折られていて、
    映画化に携わった人達もそれぞれ葛藤があったとおもいます。
    「結弦」に視点のウェイトを合わせると、個人的には映画に是非盛り込んで欲しかったシーン
    と言うのがありまして(エンディングの中に1カットとしてででも)
    それは、結弦がファインダー越しに覗いた、7巻P164の光景です。
    ここで、自分の涙腺は崩壊しました。

    1. ボクシングファンさん、こんにちは。
      今、コミックスで確認しましたよ!
      確かにそうですね!!
      健気で、良い子ですね~
      またコメントして下さいね。

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