うかいの私が憧れた女たちパート2

こんにちは、受付の鵜飼です。
 
前回のブログ
「うかいの私が憧れた女たち」を読んでくれた方、どうもありがとうございます。
 
はじめてのブログはとても緊張しましたが
コメントをくれた方もいて、心がほんわりしました。
 
この間、TVで放送されていたアニメのヒーロー、ヒロインランキングについて川原先生が記事を書かれていましたね。
その番組はわたしも録画して観ていて、先生とその話しをしました。
先生はもっとマニアックなのを期待していたようで、残念がっていましたが
私は逆に、あのランキングを目の当たりにしてなんだかとても安心しました。
 
王道というか、国民的というか。
自分のアニメの世界と、こんな言い方は間違っているかもしれませんが「普通」「一般」のアニメの世界との差が、逆に均衡を保たれていると感じたのです。
ゴールデン番組で「セイバー」がランクインなんてした日には危機を感じてしまいます。
元はエ○ゲーのヒロインですからね。大好きですけど。
 
前回のブログでは、オタクはカースト下位(だけど自分の好きなものは好きと言おう)
と書いたのですが、オタクへの拒絶は昔よりも温和されていると思います。
むしろ深夜アニメはワールドワイドになり、カラオケランキングにはアニソンやボカロが入り混じるようになりました。
なので今回のアニメキャラランキングがオタク寄りになってもおかしくはない。
しかしそれは、終わりの始まりだと思うのです。
少子化が進み、子供向けのアニメの売り上げが低迷。
大人向けのアニメが増え「深夜アニメ」というジャンルが出来上がりました。
つまり、極論を言えば国民的アニメが今もしっかり生きて、浸透しているということは未来があるということなのです。
だから、誰もが知っているアニメキャラの名前がズラズラと出てきてほっとしたのです。
ドラえもんがヒーローかどうかは疑問ではありますが。
 
今回のブログは前回の続きというか、第二弾です。
TVという媒体が、しっかり通常通り「普通」を放送してくれたので、わたしもわたしなりの通常運転でいきます。
 
さっそく紹介していきたいと思います。
 
 
*銀*

DARKER THAN BLACKの中の、組織の一員です。
銀と書いて“イン”と読みます。
盲目のドールで、一切の自我と感情を持ちません。
ですが時折彼女の意志が見え隠れするシーンがあり、そこが物語上でも重要ですし、とっても魅力的な部分でもあります。
銀ちゃんのおかげで「ダウナー系女子」にハマりました。
私のPCの中には「ダウナー系おにゃのこ 二次元」という画像フォルダがあります。
とても恥ずかしい名前なのは承知ですが、中身もなかなかです。
前回のブログでは『陽に惹かれる』と書きましたが、
それは比べた結果であり、陰の子が嫌いなわけではないですよ。
実際は明菜も聖子もどちらも魅力的なのです。
 
 
*石動乃絵*

true tearsというアニメは、主人公の男の子と、三人の女の子の恋物語なのですが
乃絵ちゃんはその三人のうちの一人です。
はじめは電波っぽく視聴者の不安を煽りまくるのですが、途中から他のヒロインよりも思考回路がまともだと気付かされます。
乃絵ちゃんのセリフは名言が多いですが、中でも一番好きなのは
『眞一郎が私が飛べるって信じてくれる。それが私の翼』。
純真無垢で、真っ直ぐです。
ネタバレはよくないので詳しくは書けませんが、数ある女キャラクターのなかで、わたしが一番、本当に心から、幸せを願っている子なのです。
 
 
*戦場ヶ原ひたぎ*


阿良々木くんの彼女ですね。
物語シリーズではたくさんの色の違う可愛いヒロイン達がいて、正直、ほぼ全員好きです。
ですがやはり、モテモテな主人公のハートを射止め、彼女の座に輝いたヶ原さんはタダモノではありません。(皆タダモノではありませんが。)
ヶ原さんは、素晴らしい毒舌の手法と、ストレートで深い愛情をお持ちです。
そして強いです。
彼女の強さに阿良々木くんは惹かれたのです。そして、わたしも惹かれました。
ヶ原さんの好きなところは、美しいところと、美しいと認識しているところと、残業を拒否しそうなところです。
ひたぎクラブでの、阿良々木くんへ向けた彼女のセリフ
「好奇心というのは全くゴキブリみたいね」
この言葉にはしびれました。
 
 
*土間うまる*

干物妹!うまるちゃんの主人公です。
外でのうまるちゃんは、才色兼備のスーパー美少女。
あざとさを引いて、美人度とお嬢様度を足した現代版浅倉南とでもいいましょうか。
ところがどっこい。
家の中では途端に二頭身になり、コーラとポテチを片手にパソコンにしがみつく。
アニメや映画はゼロ距離でテレビにかじりつき。
面倒見の良い優しいお兄ちゃんに「今日ジャ○プ発売日だ!買ってきて!」と子供のようにごねる。
ひたすらグータラをし、タイトルのとおり「干物」を貫いている女子高生。
まるでわたし・・・!
わたしはこのアニメを、70回ほど観ています。
アニメ自体も面白いですし、うまるちゃんも可愛いです。
友人からの誕生日プレゼントに、うまるちゃんがいつも家でかぶっているフード付きマント?をもらったのはいい思い出であり、宝物です。
 
 
*南千秋*

三人姉妹の日常を描くみなみけシリーズ、三女の千秋です。
千秋は末っ子でまだ小学生ですが、とてもクールで大人びており、真面目で博学です。
長女の春香を溺愛しており「春香姉さま」と呼び、春香姉さまに男が近付くとそれだけで不機嫌になります。
ですが次女のことはそんなに慕っておらず「バカ野郎」か「この野郎」としか呼びません。
千秋もダウナー系ですが、小学生らしさが時折顔を出します。
野菜ギライだとか、ぬいぐるみに「ふじおか」という名前をつけ大切にしていたりとか。
髪の毛の謎のトサカも愛らしいポイントです。
 
 
*逢坂大河*

とらドラ!の主人公“手乗りタイガー”です。
大河ちゃんは最強のツンデレです。
わたしは、ツンデレが、キライです。
でも大河ちゃんに対してはツンデレかツンデレじゃないかは特別重要でなく、
だからといって容姿かと言われればそれでもなく、
一番の魅力は『声』なんです。
わたしは大河ちゃんを演じられた声優さんが大好きなのですが
この声優さんの魅力の具現化が大河ちゃんそのものになっていると思うのです。
有名な「生徒会長との決闘シーン」なんかは特にそれが現れていると思います。
 
 
*平沢憂*

けいおんに出てくる主人公唯ちゃんの妹です。
憂ちゃんは女子力の高さが魅力ですよね。完璧ですよ、完璧。
なのになぜか縁の下の力持ちポジションで、姉を全力サポート。
唯ちゃんを支え、尽くし、骨まで愛しているのです。
私はこの子の姉になりたい!!と切実に思い続けています。何年も。
 
 
*宮内れんげ*

のんのんびよりの主人公、れんちょんです。
彼女の謎の挨拶「にゃんぱすー」は、一時期私の着信音でした。
れんちょんは庭に遊びに来る狸を「具」、川で捕まえたサワガニには「お塩」と名付けたり、独特な感性をお持ちです。
そして絵がとってもお上手で、九九も得意な天才小学生です。
見た目はツインテールでジト目。ド田舎の小学生なのに笑いません。
ツッコミ力が高く、セリフの言い回しが面白いので見ていて飽きないです。
私は特に、駄菓子屋とのやりとりが大好きで、2期の10話は涙腺を破壊されました。
 
 
*藤和エリオ*

電波女と青春男のメインヒロインです。
そしてマイベストキャラです。
アニメ一話で、私はエリオちゃんに一目惚れをしました。
理性を超越する、いわゆる「恋におちる」という経験が二次元でできるとは。。
エリオちゃんの魅力は全てですが、なかでも目が素晴らしいんです!
特に彼女の目尻は、タレ目でも釣り目でもない、とっても難しく、かつ絶妙なバランスの目尻なんです。
エリオちゃんを生んでくれた人に感謝します!!
 
 
 
 
第一弾のブログでは、中学生の頃の私を少し書きましたね。
今回は高校生の頃の私を思い出してみようと思います。
 
高校生の私は、だいぶ激しい反抗期を迎え、よく親と衝突しました。
言葉の殴り合いをしました。
今思えば親を本気で傷つける発言も多かったと思います。
でも当時の私は「なんでわかってくれないんだ」と理解を強要していました。
そして「大人も昔、子供だったのに、なんで子供のことが理解できなくなってしまうのか」
を考えるようになりました。
 
その一方で、早く大人になりたくて仕方ありませんでした。
それも、「周りの子より早く大人になりたい、大人でいたい」と
なぜか急いでいました。
正直、同級生を“ガキ臭い”と思ってバカにしていました。
「わたしはお前らとは違うんだ」なんて思っていました。
 
何の影響でそうなってしまったのか、未だに謎ではありますが
恐らく、高二病にかかっていたのです。それも重度の。
アニメ漬けの毎日を送りながら「大人になりたい」って思うのも変ですけどね。
 
 
私が憧れていた大人とはなんだったのだろう。
そもそも、大人の定義はなんだろう?
働いてお金を稼いで自由に使えること?
親にガーガー言われなくなること?
色々な権利が与えられる事?
 
大人になれば怖いものが増えていきます。
権利には責任がついてきます。
何歳になっても親にはガーガー言われますし、いつかそんな親も・・・
なんて考えると怖いし悲しいです。
働いてお金を稼ぐのは大変です。自由に使える額も多くはありません。
 
歳をとって変わったことと言えば
オールが出来なくなったことと、階段をのぼったときの尋常じゃない息切れと、傷の治りが遅いこと。
 
確かに学生の頃よりはやりたい放題出来て、行動範囲も広がりました。
しかし、自由ではありますが、リスクもあります。
昔のように親や周りの人たちが、常に守ってくれるわけではありません。
悩みや考えは日に日に増え、辛い現実と向き合って生きていかなければなりません。
大人になりたいがために気取って、あの頃にしか体験できないことを避けた自分を叱りたいです。
 
 
しかし、年齢を重ねて「老い」は体感していますが、いま現在「大人」かどうかは疑問で。
自分が夢見ていたぼんやりした“大人像”にはなっていなくて。
手を伸ばしても届かない距離をずっと保っているような状態です。
毎日探り探り生きています。
 
「『大人』なんて存在しない。『大人』とは、子供の想像の産物」
というようなことを某タレントが言っていました。
 
先ほどの
『大人も昔、子供だったのに、なんで子供のことが理解できなくなってしまうのか』
明確な答えはありませんが、そもそも大人が存在しないのであればうなずけます。
 
 
昔の「アイスの実」のCMで
『オトナジャナイ、コドモデモナイ、ただの15才』
というキャッチコピーがありました。
これはきっと年齢に関係なく言えることだと思います。
 
 
今の私はきっと
『オトナジャナイ、コドモデモナイ、ただのアラサー』。
 
 
BGM: Zazen Boys 「Kimochi」


10 Replies to “うかいの私が憧れた女たちパート2”

  1. うかいさんこんばんは。
    何から話そう。。。
    おとな。。。大人です。
    自分は大人とは何か、と
    言う事に疑問を持ち辞書で調べたところ
    考え方、行動が老熟しているさまと書いてあったのを
    思い出します。でも
    難しく考えずに『ありのまま』で良いのでは
    ないでしょうか。
    なんだっけ。。。?哲学で学びましたが、
    ソクラテスの事を考えながら、
    大人に「あなたは大人ですか?」と言えば
    「はい。」と答えるでしょう。
    しかし、「では、大人とは何でしょう。」と言えば多くの
    大人は考えると思います。
    黙ってしまうかもしれません。
    これが、ソクラテスの言う『無知の知』だと思います。
    勝ってどうするんだ?と笑ってしましましたが。
    まあ、『ありのまま』で良いと思いますよ。うかいさん。
    お互い頑張りましょうね。
    BGM:バッハ 『G線上のアリア』

    1. kinomoto sakuraさん、こんにちは。うかいです。
      無知の知ですか。
      自分が無知だと自覚するのは大切ですね。
      その上で知恵を追い求める人間になりたいです。
      これはわたしの個人的な意見ですが、無知だと自覚をしたうえで
      わからないことをわからない、教えてほしいと言える勇気、そして
      わからない人には馬鹿にせず、上から目線にもならずに教えてあげることが
      人とのコミニュケーションで必要なことだなぁと思います。
      少し話がズレちゃってすみません。
      「ありのままで良い」嬉しいお言葉です。
      もしかしたら、ありのままの自分からも学べることがあるかもしれませんね。
      お互い頑張りましょう。
      コメントありがとうございます。

  2. 鵜飼さんこんばんは
    第二弾!自分とピッタリハマったものがありました。
    「 みなみけ」の千秋です。
    このクールさとデレ、かわいいですよね。
    たまらないです。
    このアニメ懐かしいです。
    アニメイトでマンガも買いましたよ。
    ここからオタクがスタートしたのかもって今思いました。
    深夜アニメを見始めたのは「みなみけ」の頃あたりからでしたね。

    1. mayuさん、こんにちは。うかいです。
      ピッタリハマったキャラがいてくれてすごくすごく嬉しいです!!
      千秋かわいいですよね~。長女との絡みも、次女との絡みも面白いです。
      「みなみけ」は一人一人キャラがたっていて見飽きないですよね。
      わたしも好きなアニメの一つです。
      「みなみけ」放送時は深夜アニメのバブル期だったかもしれませんね。
      マンガは読んだことありませんが、今でも続いてたりするんですか??
      こうやって話しをしていると、また観たくなってきます。
      この夏休みで見返すかもしれません!(笑)

  3.  今回の記事を読んでいて、「うんうん」と大きく頷いた箇所が、
    >「大人も昔、子供だったのに、なんで子供のことが理解できなくなってしまうのか」
    > 高二病にかかっていたのです。それも重度の。
    です。
    僕は結局「親の立場」になれなかったから、親子関係の場合、
    子供の立場しかこの歳になっても分からないのですが、
    それ以外の大人と子供の様々な関係性の中で、他の大人達に大いに疑問を抱く時が多々あります。
    今は、同じ生き辛さを持った人達の様々な「集まり」があり、
    そんなところに顔を出してみると、そんな大人達がいて、
    自分が30年、40年かけてやっと、漸く、体得したことを、その場にいる子供や、若い人達に
    得意げになって持論を押し付ける輩がいて、その様な時にそんな気持ちになります。
    自分がかつてそうだった様に、子供や若い人達は、泣いたり、それが辛いと言ったり、嫌だと言ったり、
    そんなことが絶対必要な筈なんです。
    せっかく、そんな「発露」出来る「場」に来ても尚、押さえつけられたのでは、たまったものではない。
    時に、当事者の敵?は当事者だったりしますね。。。話がそれましたね、(冷汗)
    先月のソネさんの記事にコメントした時に、自分の高2、3年生の事を書きましたが、
    「高二病」、自分も高二病でした。(笑)
    高二病も人ぞれぞれ、様々だと思いますが、でも、結構高二病って
    「オタクはカースト下位」ってことが重要なファクターだったりしたのではないですかね?
    僕の場合は、「主体的」であることが高二病のアイデンティティ?でした。
    年齢的に「流行り」の影響をまだ強く受ける頃で、
    普段から流行とは違う格好とかしていたし、そんなことを馬鹿にされることもありましたが、
    そんな時程、「自負」ってヤツが顔を出す。
    「ただ、流されているお前らとは俺は違う、俺はより主体的な生き物なんだ。」と。
    中二と違うのは、周りから馬鹿にされながらも、同時にその周りを見下す?ことも出来る、
    年齢的に力がついて来る頃だったけかな?
    と、なんとなく思い出して来ました。
    でも、ここで気をつけないとイケないのは、さっきの
    「共感をしているヤツが一番厄介になり得ること。」
    この回りくどさ、迂回することは、鵜飼さんにとって厄介なヤツにならない為にも必要なんだと思います。(笑)
    「ボクシングファンの解釈も違うんだよなぁ〜」と言えるのが大事ですよね。(笑)
    そして、共感出来ないこともあります。(笑)
    オールが出来なくなったこと、傷の治りが遅くなったこと、は、分かります、でも、、、
    「階段をのぼったときの尋常じゃない息切れ」って、もし鵜飼さんの健康上の理由からなら、
    「ごめんなさい。」なんですが、そうでなければ、ただの運動不足だと思います。(笑)
    それか若しくは、階段をのぼる定義が全然違うとか。
    階段は青春と同じで、駆け上ってなんぼだとか、一段飛ばしでのぼるのが流儀だとか、
    でもとにかく、、
    そんな段階、段階(団塊)の世代ではないと思いますよ。(笑)
    不幸自慢ってあるじゃないですか?あれの老化版、老化自慢ってのがやはりあって、、、
    僕の一番好きなヒロイン「麻宮サキ」の2代目、南野陽子が初代の斉藤由貴と、
    とあるTV番組で一緒になった時があったのですが、
    南野陽子って関西芸人のノリがあるので、老眼の老化自慢?をした時に、
    南野陽子より年上の斉藤由貴は、老眼はまだ全く無い、と本当だかどうだか?
    って感じのことを言っていました。
    斉藤由貴は今ちょっと世間に話題を提供しているし、川原先生もクリニックの裏メニューとして、
    その様な人達の受け皿となるべく、専門外来を検討、画策されているようだし、
    タイムリーなので書いてみました。
    で、ナンノ話かと言うと、衰えと老化は、老化自慢の見地から言うとちょっと違うと思うんです。
    思いっ切り長文になっていますが(冷汗)この際なので書いてしまいます、(笑)
    衰えは相対的、ティーンエイジャーの頃とは違う、とかそんな感じですが、
    老化はその為の眼鏡が必要(近視は老化ではないです)だとか、
    薬が必要になったとか、自分自身で補えない。
    僕の親父は80歳を超えていて、二つの癌と共に生きてそろそろ10年近くなりますが、
    検査で大きい病院に行くと、用もないのに6階位まで階段で歩いているそうです。
    息切れはしない、と言うか、息切れする程の「動き」はやはり出来ない。
    親父は息子の僕に
    「子供の頃は廊下を走ると怒られたけれど、今は老化で走れないよ。」
    って、言って、、、いません、すみません、嘘をつきました、
    僕の駄洒落です、でも内容は本当です。(笑)

    1. ボクシングファンさん、こんにちは。うかいです。
      今回、大人と子供の話題をブログに書くのは実は少し勇気がいりました。
      専門家でもないわたしが、色んな年齢の方が読むこのブログに対し、下手なことは言えないなと思ったからです。
      でも、私より年上の方が読んで「はいはい、お姉ちゃん、まだ若いね」と思われても
      私より年下の方が読んで「時代が違うんだよ」「ババア乙」と思われてもいいから
      今現在の自分の思いや、考えを書こうと思いました。
      なぜなら、それは絶対ではなく、これからわたしがもっと老いたり、親になったりしたときに変わるかもと予想できるからです。
      ですから、ボクシングファンさんの正直なコメント、考えや思いを書いてくれて
      とても嬉しいですし、勉強になります。
      高二病に関しては、正論で論破したり、人の好きな物を否定したり
      思い出したくもないくらい「イヤな奴」で、そんな昔の自分を今はまだ受け入れられないのが本音です。(笑)
      『共感してくるやつ』の件は高校時代は周りにいなかったのでピンときませんが、
      だからこそ平和だったのかもしれません。
      階段をのぼったとき~、はですね
      もう、完全に、その通りです。(笑)
      私は運動音痴なんですけど、唯一やっていたのが水泳で、嫌々10年間習っていました。
      当時はウォーミングアップで1000mとか普通でしたね。
      と言ってももうそれも十年以上も前の話しでして。
      2年前に、運動不足を気にして久し振りにプールへ行きました。
      「久々だけどちょっくら泳いでみっか♪最初は100かな~」
      というような軽い気持ちで泳いでみたのですが20m付近で、肺が爆発するかと思うくらい苦しくなったのです。
      それから一度もプールには行っていません。運動不足も解消されていません。
      老化と衰えの違い、なるほどな~と感心しました。
      廊下と老化にも、なるどな~と感心してしまいました。(笑)
      ちなみに階段は走りもしなければ、一段飛ばしもしていません。
      お休み中、大平さんの絵のように走ってみるのもいいですね。
      なぜならスポーツの秋ですから。
      いつもコメント、ありがとうございます!

  4. うかいさんの思う事。
    きっとだれしもがおもうこと。
    だれしもがおもわないこと。
    どっちでもありどっちでもない。
    少数派かもしれない。
    でも同じ事をわたしもおもってましたよ
    でも当時の私は「なんでわかってくれないんだ」と理解を強要していました。
    そして「大人も昔、子供だったのに、なんで子供のことが理解できなくなってしまうのか」
    を考えるようになりました。
    その一方で、早く大人になりたくて仕方ありませんでした。
    それも、「周りの子より早く大人になりたい、大人でいたい」と
    なぜか急いでいました。
    正直、同級生を“ガキ臭い”と思ってバカにしていました。
    「わたしはお前らとは違うんだ」なんて思っていました。
    何の影響でそうなってしまったのか、未だに謎ではありますが
    恐らく、高二病にかかっていたのです。それも重度の。
    アニメ漬けの毎日を送りながら「大人になりたい」って思うのも変ですけどね。
    私が憧れていた大人とはなんだったのだろう。
    そもそも、大人の定義はなんだろう?
    働いてお金を稼いで自由に使えること?
    親にガーガー言われなくなること?
    色々な権利が与えられる事?
    大人になれば怖いものが増えていきます。
    権利には責任がついてきます。
    何歳になっても親にはガーガー言われますし、いつかそんな親も・・・
    なんて考えると怖いし悲しいです。
    働いてお金を稼ぐのは大変です。自由に使える額も多くはありません。
    歳をとって変わったことと言えば
    オールが出来なくなったことと、階段をのぼったときの尋常じゃない息切れと、傷の治りが遅いこと。
    確かに学生の頃よりはやりたい放題出来て、行動範囲も広がりました。
    しかし、自由ではありますが、リスクもあります。
    昔のように親や周りの人たちが、常に守ってくれるわけではありません。
    悩みや考えは日に日に増え、辛い現実と向き合って生きていかなければなりません。
    大人になりたいがために気取って、あの頃にしか体験できないことを避けた自分を叱りたいです。
    しかし、年齢を重ねて「老い」は体感していますが、いま現在「大人」かどうかは疑問で。
    自分が夢見ていたぼんやりした“大人像”にはなっていなくて。
    手を伸ばしても届かない距離をずっと保っているような状態です。
    毎日探り探り生きています。
    先ほどの
    『大人も昔、子供だったのに、なんで子供のことが理解できなくなってしまうのか』
    明確な答えはありませんが、そもそも大人が存在しないのであればうなずけます。
    上記のことばはすべてうなずけます。
    子供の頃は不思議に思わずにみていた、どらえもん、アトム、ウルトラマン、仮面ライダー、戦隊もの、童話、
    熱中してよんで、見て、
    でもそれを作っているのは大人なんだよね。
    いま自分が才能はあって作品を作ろうと思ったら大人向けの作品を作ると思う
    なぜ、子供向けの作品をつくる人は子供むけの作品を作ろうと思うのだろう。
    宮崎駿は別として、今あるかわからないが、コロコロコミックとかジャンプやサンデーマガジン、学研のだしてた小学生シリーズ。
    この人達の発想が夢が思考が理解できない。
    何故子供向け作品を作りたいと思ったのだろう。
    いつか聞いてみたい。

    1. sinさん、こんにちは。うかいです。
      最近は、時代なのか教育なのかはわかりませんが、
      「アンパンマンは暴力でバイキンマンをやっつけて、平和的解決をしない」
      と言う子供もいるそうです。
      子供向けの物語は、そういう面も含めて特に難しいように思います。
      今のアニメーターは黄金ジャンプを見て育ってきた世代で、最近廃り気味の「ヒーローもの」が
      現代に通ずる形で復活してる傾向にあるように感じます。(あくまでわたしの見解です)
      しかしそれが子供向けかと言われると、ちょっとわからないです。
      わたしはすごく楽しんで観てますけど(笑)
      子供向けの作品を作る人に、わたしも理由を聞いてみたいです。
      コメントありがとうございます。

  5. なるほどと思ったこと
    ドラえもんの道具は、~ふろしきとか~こんにゃくとか、ダジャレみたいなものが多いのですが、ある回で「人生やり直し機」というものが出てくるそうです。なぜかこれは完全な未来のマシーンで、のび太が今の記憶のまま、小さいころに戻ってやり直そうとしたところ、(5年生の脳ですから)天才だと周りに言われるんです。でも、ドラえもんが、5年生であることに違いはないんだから、今の年齢まで来たら、きっと今よりもダメな人になるから、やめなさいというエピソードだそうです。
    しかし、ドラえもん自体が、せわしくんが未来から自分の人生を変えたくて、送られた機械であるので、つまりこのエピソードはドラえもんの否定ではないかと、言っていて、面白いなと思いました。きれいに説明できなかった。
    突然、龍が如くの「運が悪かったんだよ、お前らは」っていうセリフを思い出しました。おやすみなさい

    1. ダークマターは心が複雑骨折さん、こんばんは。うかいです。
      なるほど、つまりドラえもん自体がのび太の人生やり直し機としての役割なんですね。
      確かにそのエピソードはドラえもんの存在否定に繋がりますね。
      しかし、ドラえもんが送られてきて果たしてのび太は変わるんですかね?
      のび太に必要なのは便利な道具じゃないような気がしてなりません。
      ちなみにわたしは「もしもボックス」という道具が欲しいです。万能ですよ。

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