夢の素因数分解~心の音~

19/Ⅹ.(金)2018 くもり ベビメタYUIMETALが脱退!

カワクリは現在、夢について啓蒙キャンペーン中。
カウンセリングにおいて、夢を扱うことが近代的なのかどうかは別として、柔道家が足関節を極められるように、
プロとして裏技を持っていた方がいいと思う。
実際に、夢の報告をする人はいるから。
そういう訳で心理部門に夢の記事を発注してる最中です。
僕の夢日記を題材にしてもいいよ、と、少し前の記事に、夢の因数分解、を書きました。
夢はシリーズで読め、とも言われるので、その第2弾をお送りしましょう。

それではまず復習からしますか。テキストブックはこれです。

多分、僕が子供の時の家族は海外旅行というものをしたことがない。
「トリスをのんでハワイに行こう」じゃないけれど、海外旅行なんて、夢のような時代だった。
僕が小学生の時、父の妹(おばさん=と言っても年が離れてるから若い!)がハワイに行くと聞いて、
一家に衝撃が走ったのを今でも覚えている。
なんて言うのか、クラスで一番地味な子が、一番最初に結婚して、その結婚式の招待状が届いた時のような心境か。

僕は昔、いわゆる国辱ツアー、というのか、そういうことが目的の海外旅行に友人達と行ったことがある。
勿論、目的は観光とかグルメとかビーチとか異国情緒でもあったが、性産業という付属品がついていた。

しかし、僕はいい子ぶる訳ではないし、または職業差別的なことを言ってるのではなくて、職業に貴賎はないし、
人類で一番古い職業は売春だと知ってるし、なのに何かキザにロマンティックに、
愛がなければエッチは出来ないみたいな、青臭いことを盲信していたのである。まったくもってバカであった。
アルファベットで言えば、「H」のあとに、「I」が来るのだから。

そんな旅行の時、みんなで盛り上がってご飯を食べて、「次は~」という時に僕はホテルに帰るのである。
とんでもなく、付き合いが悪く、ノリの悪い、田舎モンだ。自分で自分の過去が忌々しい。
たとえば、友人と歌舞伎町で呑んでその足でそういう店に行こうよ、って時も、僕はバッティングセンターで待っている。
接待で吉原に行った時も、僕は待合室で皆を待っていた。
これは風俗嬢から嫌われるタイプの男らしい。っていうか、会ってないから、それ以前の問題だ。
あーあ、俺は何をやってんだろう。今の頭脳のまま、その頃に戻れたらもっとうまいやり方が出来るのかな?
変わらないかな?

実は僕は温泉が嫌いである。
医局旅行で、ナントカ温泉って所に行ったが、僕は体を洗ってから浴槽に3秒くらい浸かってすぐ出たら、
後輩が「もう出るんですか?」とビックリしていた。
僕は母と年末年始に箱根の温泉でゆっくりしようと出かけたことがある。
僕はもう20才くらいだった。
繁忙期の温泉宿のサービスなんか期待する方が悪いのだが、僕はあまりの雑な接客に頭に来て、「帰ろう!」と言い、
母を連れて帰ってしまった。母は悲しそうな目をしていた。
でも僕はそんなことより、自分のイライラの方が上回って、抑えようがなかった。
そんな性分は今もあまり変わってないような気がする。

売れてない頃のRCのエピソードでキヨシローと三浦友和は高校時代の友人だから、山口百恵との結婚式にキヨシは呼ばれ、
でもスーツなんか持ってなかったから、Gパンと赤い皮ジャンで行ったってエピソードを高校時代に知って、
あわてて赤い皮ジャンを探しにアメ横まで行った。
でもなかなか若く、結婚式をする友人がいなかったから、着る機会がなかったが、
若くして死んだ友人のお通夜にその格好で行ったら、友人からは非難ゴウゴウだったが、その家族からは、
「本当に急いでかけつけてくれたのね」と涙されて、感激された。
それ以来、味をしめた僕は知り合いの死には、葬式には行かず、お通夜に派手なファッションで行くという悪癖がつき、
そういう席では浮くのであるが、喪主や親族達は意外と喜んで近寄って声掛けしてくれるから、
しばらくはこのライフスタイルで行こうと思ってる。

僕は大学5年生の時に大失恋をした。
それは相手が僕のことを好き(だと思ってた)なのに、相手が僕じゃないダサいクラスメートと付き合って、
僕は告白もしてないのに、捨てられて、何故かすごく傷心して、学校にも行けなくなって、クラスの女子達が、
「早く元気出して」
「学校に来てね」と寄せ書きをくれて、それが余計に自分をみじめなような気にさせた。
世の中はバブルで、皆、クリスマスにお目当ての女の子をどこに誘って落すかなどという雑誌の特集に夢中で、
僕はと言えば、いつの世も一定数いるような疎外された部外者の人間で、ふてくされるエネルギーもなく、
ただ離人症(りじんしょう。現実が害だから現実感を失うことによってバリアを張って心を守ろうとする防衛手段)のように、
ほうけていた。

すると、クラスの人気者のレレちゃんが、クリスマスイブに僕を誘ってくれた。
お家でホームパーティーをするから、「タツジもおいでよ」と言うのである。
僕は暇だったから、そこに参加した。
ところがそこはとんでもない異世界で、外人とかハーフとか美男・美女の集まりで、みんなドレスアップしてて、
ある男はローストビーフを焼いてきたとお土産に持って来ていた。
僕は料理人以外で、男が料理するのか?とビックリした。
まだビストロSMAPのずっと前の時代で、ジャニーズで言えば、マッチが「愚か者」を歌ってる頃だと思う。
そんな僕はレレちゃん家のパーティーで、隅っこの四角いソファにポツンと座っていて、
そしたらレレちゃんがやたら親しげに話しかけてくれて、彼女のいい所は決して僕を他の人と仲良くさせようとしない所で、
彼女は僕とだけしか通じない話(たとえば、カレーうどんはさまして食べた方がおいしい、とか)をして、僕をもてなしてくれた。
僕はそれを見習って、今の人付き合いの基礎にしている。

山口百恵で印象的なのは、ジュリーと共に東京音楽祭に出た時、「夢先案内人」を歌ったのだが、音程を外しまくっていた。
後のインタビューで読んだのだが、「私は生理になると極端に音を外す」と、まだ中学生だった僕は女体の神秘におののいた。

山口百恵は、年端も行かないデビュー直後から、「青い性」路線みたいなもので人気を博したり、
「百恵白書」というアルバムの一曲では、自らの性(欲)体験を述べていたり、さっきの「生理」発言だったり、
性的な感じを戦略的に打ち出していたと思うのだが、僕が好きな期間は、珍しくセクシャルな要素が薄い時期だった。
とくに「花ざかり」というLPを買った時にもらったポスターの彼女は、となりのお姉さんみたいな普通の姿で、
僕はそれが一番のお気に入りで今も診察室の後ろの扉に貼ってある。↓。

僕が山口百恵のファンだったのはセクシャルじゃない時期だと言ったが、例外的に「冬の色」という曲は好きだ。
「あなたなら他の子と遊んでるとこをみかけても待つことが出来る私です」
という歌詞は、いじらしさというよりも、相手の事を誠実に心の中に定着させているからこそ言える発言で、
たとえば子供が母の姿がみえなくなると泣き叫び、みつけると泣き止む、という赤子から、
一段、大人になって、みえなくても泣かないで待てる、という成長のステージを恋愛関係の中で表現してるところに、
目新しさを感じたのだ。

心のノート、は何かそれと似てるフィーリングがする。
相手や自分やお互いが忙しくて、離れ離れの時間が長くても、いつも一緒だと信じられる力、それをサポートする小道具。
それが、心のノート。
小ちゃい子がお母さんが不在の時も、お母さんの匂いのするタオルの切れ端をお守りかわりに持っていれば、
安心っていうのとちょっと似てると思った。

BGM. 山口百恵「乙女座宮」


21 Replies to “夢の素因数分解~心の音~”

  1. 先生、こんばんは。
    診察室の扉のお姉さんは山口百恵さんだったんですね。
    僕の母も山口百恵さんが好きだったそうです。他の姉妹はもっと明るいアイドル(母談)が好きで、母だけ山口百恵派だったから、祖母からえらく嫌がられたとか。僕がV系が好きで母に嫌がられるのと似ているなぁと思いました。

    夢日記をつけているわけではありませんが、ちょっと印象的な夢を見ました。
    長くなります。

    最後だけ強烈に印象に残っていて、その前に何があったのか全く覚えていないのですが、僕は龍と闘うことになります。
    青い、綺麗な龍で、人智が及ぶとは到底思えないのですが、なんだかどうしても倒さなければならないらしい。
    途中の詳細はやはり忘れましたが、僕は龍の顔? 首? に跨って、包丁くらいの小っせぇ刃物でその長い髭を斬り落とします。髭は透き通った薄氷のような色で、死ぬほど硬くて、小っせぇ刃物でめちゃめちゃ苦労しながら斬り落とすのです。なんでこんな武器しかないねん。
    しかも、気付いたら何故か実家の居間に舞台が移っています。僕は斬り落とした龍の髭を、居間の片隅のソファへぶん投げました。死ぬほど硬かったけど、左右両方斬り落として、ソファへぶん投げたとき、龍が水を呼んだのです。
    実家の居間は2階で、中庭に面してガラス張りになっているのですが、外にはみるみるうちに水が溜まっていきます。何故か龍は消えました。そして、気付いたら、母が食卓のいつもの椅子に座っているのです。母は泳げません。水はいつ窓を突き破って雪崩れ込んできてもおかしくない。僕は龍の髭を掴んで、母の手を取って、階段を駆け下り、玄関へ向かいます。母と別れ別れにならないよう、龍の髭で腹の辺りをぐるっと括り付けて、玄関扉を開けて水の中へ投げ出されるのです。(普通、水圧で開かないよね)
    水は恐ろしいほど透明で、頭上の空の方が蒼くって、太陽の光がキラキラしている水面へ、母と2人、上へ上へと浮上して、そこで目が覚めました。

    不思議と怖い夢という印象ではなく、でもなんだか印象に残った夢でした。
    でも、髭を切ったときのゴリッていう感触、これだけは覚えてなくて良かったのにな。妙にリアルで(笑)
    お目汚し失礼しました。

    1. 一さん、OHA!

      夢には普段意識していると邪魔になる不安や不満を抑圧してるものが、検閲を受けて登場するから、
      寝起きの気分は、不愉快だったり、ハッとしたり、怖かったりするものです。
      ただし例外的に、目覚めた時の気分が良い夢があります。
      それは、今、悩んでる問題の解決のヒントを無意識が教えてくれてる時です。

      この夢のポイントはやはり、龍、ですね。
      龍から連想するものを出来るだけ挙げてみましょう。
      龍やドラゴンという名前のつく人かもしれないし、辰年の髭のはえた男も抑えておきたいですね。

      闘うは、あまり気にしなくていいかも。バトルに限らず、遊ぶとか戯れるとかじゃれるとかSEXかもしれないからあまり考えても意味がなさそう。

      そう考えると、この夢は「僕」と「母」の「和解」や、或は、「僕」が「母」と同じ立場に並ぶ、成長の軌跡を語る冒険譚にも読めますね。
      そのヒントが隠されているのかも。謎解きみたいですね。

      あと僕がすごく気になるのは、「青」という色のイメージです。
      僕は昔、髪色を青にしていたことがあり、そうしたら芸術療法学会の会長先生に、
      「川原先生、良い髪色ですね!それはムンクが好んだ、青、ですよ。青春の、青、だ」と言われました。
      僕は精神科医って変わってる人が多いなぁ、と思ったものです。僕は、「かんなぎ」のナギ様のマネをしてただけなのに。

      そういう訳で、イメージしてみて下さい。注意点は、「夢事典」みたいなものは使わず、自分の記憶の倉庫にあるものからピックアップすることです!
      ではまたね~

  2. 「近代的」と「柔道」ってワードに少し反応してしましました。
    柔道の専門誌があるのですが、その名も「近代柔道」です。(笑)

    実は丁度、小川直也と橋本真也の対戦があった頃に講道館に通っていました。(約2年間位)
    今の講道館がどんな雰囲気なのか?は勿論分かりませんが、
    当時の社会人入門者の多くは、純粋に柔道を習いたい、と言うよりも、
    その少し後に確立される「総合格闘技(MMA)」の流れの影響を強く受けていた頃でした。

    講道館の少年部は「春日柔道クラブ」と言うのですが、
    講道館の「名」を使わない理由がありまして、
    ごくざっくり言えば、他からの不公平感です。

    それで、その頃に春日柔道クラブに通っていた中学生達はそこそこ高校柔道で活躍するのですが、
    それでも、それ以上は難しい。(どんな世界も同じですが。。。)
    それで、その世代の多くは総合に転向して行きました。

    そんなことを懐かしく思い出しているうち、
    「我ながらよく通ったな(当時は仕事の都合で毎朝5時起きでした)
    、それこそ夢の様だ。」と。

    一応豊臣秀吉の辞世の句、とされている

      露と落ち 露と消えにし我が身かな 浪速のことは 夢のまた夢

    が美しく、辞世の句の中では一番好きだったりします。

    そこで夢に強引に繋げるのですが、(冷汗

    眠っている間、夢を見ている自覚はあるのですが、
    起きる瞬間にその殆どを忘れてしまいます。

    そんな殆ど記憶に残らない中で、記憶に残るのはやはり、うなされる様な夢が多いです。
    過去、一番多かったのが中学生の頃の嫌な記憶だったのですが、
    ここ数年で大分減って来ました。
    もう少し具体的に言うと、その頃の嫌な連中が夢に登場しなくなった訳です。

    今の夢に出て来る嫌な登場人物は、やはり最近の繋がりが多く、
    それが夢ながらもリアルさを伴っているか、それともホラー映画の様な恐さや
    戦争の様な恐さだったりと、様々ですが、結局は妖怪とかでは無く、基本人間が一番嫌な
    存在だったりします。

    嫌な夢のパターンの一つで、夢の中で喧嘩や正当防衛や、とにかく
    格闘するシーンがあるのですが、
    そんな時は決まって、普段動く筈の体が思う様に動かない、
    そんな焦りからうなされて目覚めたりします。

    そのシリーズで確かティーンエイジャーの頃に見た未だに忘れない夢がありまして、
    上空のUFOから光線(攻撃)を浴びて、
    「うわぁぁぁぁぁ死ぬぅぅぅ!」と死を覚悟した瞬間、死なない、
    激しい痛みが体を切り裂く覚悟があったのですが、
    なんとなく生温い感覚。
    そこで目が覚めました。
    何故か分からないですが、多分一生忘れることの無い夢でしょう。

    夢の殆どが嫌な夢なのですが、
    ごくたまに自分にとって良い夢があります。
    でも、これを表明するのには少し勇気が要りまして、、
    まず、一番、Bestなのが「南野陽子」が出て来る夢です。
    その次は、不特定なのですが、やはり綺麗だったり可愛かったりする女性が登場して来る夢です。
    そんな夢の中、不覚にも目覚めてしまった時は、もう一度夢の中に舞い戻ろうと試みるのですが、
    一度も成功したことはありません。

    最近見た夢の中でBestだった夢が確か、、三カ月位前に見た夢なのですが、
    やはり綺麗な女性と出会って、その女性は資産家か何かで、とにかく裕福なんです。
    それで、上手くその逆玉に乗れた、と言う夢でした。

    正直、自分でも戸惑う位に人生の深さとかまったく無くて、
    思いっ切り自分の恥部を曝け出す気分にも似ています。

    川原先生の好きな「植木 等」が主演していた「無責任男」は、
    (あまり詳しくは無いですが。冷汗
    当然深さもある訳で、それよりも何よりも、
    娯楽作品でありながらも、当時男の役者が主演でミュージカルの要素を取り入れた映画では、
    他の追随を許さない程で(恐らく今でもいないでしょう)
    当時の才能達が真剣に挑んだ結実、とも言えると思うのです。

    それに比べて自分のペラッペラッな夢は、、、

    長文失礼致しました。

    BGM. 南野陽子「恥ずかしすぎて」

    1. ボクシングファンさん、こんばんは。

      久し振りのコメント、ありがとう。
      「夢」については、色々、お話したいんだけれど、おそらく心理が書く記事のネタとかぶりそうだから、格闘技について書きます。

      小川と吉田の試合(PRIDE)は特別リングサイドが10万円だったんですよね。
      特典は、その時に座ったパイプ椅子の裏に2人が直筆サインを入れてくれて、持って帰れる、でした。
      僕はTVで観ましたが、魔裟斗の引退試合は、10万円のリングサイドで観ましたよ。
      その時は、パイプ椅子の特典はなかったです。

      ボクシングファンさんの持ち味は「ダジャレ」だと思っていましたが、今回のコメントの感想は、「正直さ」です。
      オネスティー、って感じです。誠実さ、というべきかな。
      ペラペラなんてことないですよ。
      弱さを認められるのが、1番の強さですからね。ではまた~

  3. (アルコールシンクロ率20%、実家に遊びに来た妹の子供とは何故か普通に話せる、僕はやっぱりイノセント)

    短くまとめると、僕はうかいさんやおおひらさんやつかださんや、その他の人がクリニックからいなくなって居場所がなくなる(元々ないけどね)夢をよく見るような気がします。受付2代目以上そね未満まではどうでもよかったのだけど。

    職場でも結婚して転勤しますとか、次の仕事みつけたんでやめますとか、別に自分の人生と関係ないんだけど、あのお寺の鐘みたいな感じですよね、おめでとうと思う反面、子供出来たんだー・できたんだー・デキタンダー・dekitanndaー・いつのまにーみたいに、反響し続けるんです。

    たぶん「~さん来週までなんだよね」とか先生は言う日が必ず来て、僕は「ああそうですか」と言うんだろうけど、心の中では「なんか悲しい、別に何とも思われてないだろうけど」思うのだろう。だから早くここを去りたいが、そううまくいかないですねえ。 ALONE 僕等は~ それぞれのを花を~ 抱いて~生まれたー巡りあうーためにー 、どうかしたんじゃないですよ、音楽を聴くことを最近思い出してちょうど聞いていただけです。

    BGM 藤井隆「ナンダカンダ」

    1. タイムマシンにお願い ホームさん、OHA!

      僕も昔から小さい子との相性は良かったです。
      僕は末っ子ですが、親戚のもっと年少の子の面倒とかよくみていたし、子供もよく懐きました。

      ところが、ある時から、子供とシンクロしない時期があって、「俺が汚れちまったからかな…」とか思ってたのですが、
      最近、また電車の中でたまたま隣に座った赤ちゃんに、鼻をつままれたり、懐かれることが増えてきて、治ったみたいです。

      受付の問題はね…。
      そうですね…。
      そうっスね…。
      あっ、そうそう、僕は今でも、岡田さんとだけはメル友ですよ。
      僕がつまらない日常を気まぐれにメールしても、ちゃんと返してくれます。
      岡田さんらしい可愛い絵文字がいっぱいの、まるでパフェみたいなメールです。

      やめても繋がっていられる人もいますが、それはごく例外で、さびしいものですな。

  4. 先生、こんばんは。
    子供の時に、棚の上に置いてあるボウルを何かに使おうとして背伸びして手を伸ばしてたら横にあった包丁に手が触れ、私めがけて真っ逆さまに落ちてきたことがあります。その刃先がまっすぐに私の幼児体型のぷっくりでっぱったお腹まで落ちてきて当たり、はじかれ下に落ちるまで、スローモーションで覚えていました。
    誰もいない静かな真夏の家のなか、見下ろしている白地に水色の水玉模様のワンピースのふくらんだお腹。
    その間に、たくさんのことを考えました。ああ、これで私死んじゃうのか。こんな死に方か。5年か、短い人生だったな。かわいそうに。ハッ!それより、お腹に包丁が刺さり血まみれで死んでいる幼い子供を見た母は、どうなるんだろう、泣きわめいて気が狂うんじゃないか、とそれを心配し、恐れ、再びお腹に向かっていく包丁の刃先に目を戻した時、おへそのあたりに当たって下に落ちました。
    それから何十年も、その一部始終は繰り返し再生され(それはフラッシュバックだということを後に知りましたが)その間に何度も包丁が意志を持ち私めがけて執拗に追いかけてくる悪夢に苦しめられました。道を曲がって逃げても、包丁も直角に曲がってすごいスピードで私の首をめがけて飛んでくるのです。手で握っても、ぐいぐいとすごい力で首に刺さってきました。包丁の刃を握った両手、その感覚、目が覚めてもリアルでした。
    でも大人になってカウンセラーに話す機会が訪れ、話した途端、それはフッと消えて無くなりました。
    そんな何十年もそのまま抱えていたなんて、バカみたいと思いました。
    「話す」て、「離す」「放す」こと、なんて近頃目にしますが、ほんとにそうなんだなぁ、と思ったことでした。不適切でしたらごめんなさい。

    1. ririさん、OHA!

      包丁の話、こわかったでしょう…
      夢の包丁もしつこいですね。
      しかし、カウンセラーさんに「話せて」、「離せて」、「放せた」っていうのは良かったです!

      「男はつらいよ」で、寅さんが「そいつを言っちゃおしまいよ」と言うのは、
      「そんなこと言うなよ」って意味ですが、カウンセリング的には、
      「それを言えたら、おしまいになる」という、
      まさに、ririさんのおっしゃる、「話す」「離す」「放す」、を暗示したりもしてるそうですよ、誰かが言ってた。

  5. おはようございます。
    エッチのあとに愛が来る、 そんなワタシです。

    そのことに気付かされたのは小学3年生の時でした。
    クラスの多分、塾だか英語教室のようなところに通う生徒らが集まって、クラスメイトの誰それはA.Kだとか、M.Mだとかと楽しそうにしていたのを、その輪の中に加われぬままに近くで聞いていたのですね。

    すると『○○はどーだろう!』 みたいな展開で私にスポットが当たってしまい、すなわち 『H.I だぁー!』 などと大変な盛り上がりようでした。 が、当時の私には何のことやらチンプンカンプンで。 しかも輪の中心人物は人気者の学級委員長だったりもしていて。 取り巻きには才女の女の子らも含まれていたりもしていて。 でも、それ以上に悪ノリを続けるでもなく。

    よく解らないけれど、あまり好ましくはない立場にあるらしいという程度でした。 今とは違って、なんちゃらディフェンスとかも働かないし。 そう。 この十数年来で自分を振り返るに付き それなりに、年齢相応に、すこやかだったのは小学3年生くらいまでだったのじゃないかなと思うのです。 4年生は微妙にアウト。 それ以降は言わずもがな。

    はしゃいでいればもっと元気な女の子たちから ワーっ!と叩かれ、たそがれていれば 『あっちで縄跳びしない?』 と、女の子だけの集団に誘ってくれたりと。 なんだか色々と うまく回っていたのだなと気付かされました。

    P.S. 人気者の学級委員長の後任には、2期連続でワタシが選ばれたりしてました。 因果なモンがな。
     彼とは神奈川大会の開会式で再会し、お互い小・中・高と野球を続けてきた境遇を喜び合いました。

    1. 散文気分さん、OHA!

      もしや、散文気分さんの本名(?)のイニシャルが、H・I、ってことですか?
      だったら、すごいですね、リアル「エッチのあとに愛が来る」人間ですね!

      イニシャルと言えば、昔、「歌のトップテン」に松田聖子が「天国のキッス」で出演した時、
      背景の画面に大きく聖子ちゃんのイニシャル「SM」と大きく映し出されていて、少し悪意を感じました。

      PS.僕は大学の時、野球部にいましたが練習をさぼりがちで、それで3年生になった時、幹部が、僕を副キャプテンにしました。
      責任感を持たせようという算段でしょう。
      しかし、僕は「なんで俺より下手な奴がキャプテンなんだ?やってられない。無理だよ。僕にも意地がある」って、
      今、ドタキャン騒動のジュリーみたいなことを言って、野球部を辞めちゃいました。

      このように僕は委員会などには縁がなく、記憶の限りでは、小3の時の、「傘委員」くらいです。

  6. う~ん、ここの記事はとても共感できる、、、、、似たような経緯ですね・・・私も。
    良くも悪くもです。

    過去には戻れないけど過去を活かせる事は事実。

    今日も頑張ろう!

  7. アルコールシンクロ率0% ただし調子がとても悪い
    言い訳はもういいか、書きたいから書いているのだ、っていうのも前に書いた気がする、つまんないやつだ、私は。酒を飲んで文章書いたら変な感じにもなるさ。
    さて、映画の事がいろいろつながったので、どーしても書きたくなってしまって。心理の方とかぶったら、非公開にしてくださいね。

    ここはそんなに重要じゃない→(ほとんどラジオの知識です)少し前にワクチン作るために動物実験していた会社が爆破されたことがあって、それは猿の惑星新シリーズにつながると書いたと思うのですが、あの会社は「Chiron」カイロンという名前だったそうなのです。

    ここから大事(少しずつ学習していますが所々違うところがあるかもしれません、悪しからず)→読み方は様々ですけども、Chironてギリシャ神話のケンタウルスの仲間で、”wounded healer”らしいのです。これユングのやつかな。つまり傷ついているからこそ、他人をいやせるということで、これは先生の事かな、なんていうおべっかを書いておいて。それならば私もそうだし、中島みゆきもそうだよな、なんて思うのでした。あれ、思ったより内容が薄かった、おしまい
    BGM ellegarden「marry me」

  8. 書き忘れました、前に「君の名は」を少々小ばかにしてしまって申し訳なかったですが、見方が変わりました。描写のきれいさとかは置いといて、新海監督の映画は電車がよく出てくるそうですが、電車(決まったレール、運命、に乗ったままでは変わりようのないこと)を下りて、能動的に自分で走ったから(努力するから)、運命を自分の手で変えることができたってことだよね、と聞いて、おおなるほどと思いました。内容よく覚えていないので、違うところがあるかもしれません。

    「過去とは一つの異国である」という言葉があるそうですが、過去と現在と未来はつながってなくて、過去なんて夢みたいなもんだ、そんな解釈もあるのだなあと、また目からうろこが落ちました。
    BGM 中島みゆき 「糸」

    1. タイムマシンにお願いホームさん、こんばんは。

      神の使いが奇形だ、っていうことに興味を持ったのは柳田國男の本で、白蛇とか、白いカラスとか、二首の龍とか、一つ目小僧とか、つまり神の使いは他と識別される必要があった。
      うちの父は若い頃、結核で、びっこ、だった。
      僕の母は若い頃乳癌で、片おっぱいだった。
      僕が子供の頃、飼ってたウサギは脚を挫いていてびっこで、
      羽を傷付けた鳩は飛べなくて、
      両羽とも僕が拾って来てかくまってやったが、どっちとも猫に喰われた。
      僕は小学生の癖に泳ぎが出来なくて、自転車にも乗れずに、どこかで自分を片輪だと思っていて、
      どこかで彼らに投影していたのだと思うが、僕は守り切れなかった。
      そして僕は医者になった。
      今度こそ守り抜くぞ、と思ってる。
      「羊たちの沈黙」のジョディー・フォスターみたいなもんだ。

      PS.「君の名は」の解釈、いいですね。僕はそういうの好きですよ。

  9. こんばんは。
    火曜日は休暇ゆえ・・・ いえいえ、夜更かしは私にとって避けるべき道筋。

    コメントをありがとうございます。 少しだけ余談のような、戯言のような追記をお許しください。

    『いい日旅立ち』 世代(?)の私です。 国鉄のキャンペーン・ソングでもありました。 Discovery JapanⅡ
    特に 『・・・探しにぃ~』 の部分の、ギター伴奏が好みです。
    何かの時に作曲者の谷村さんも 多分、そこの部分を大事にギターで演奏されていました。

    そして夢のお話は、出来るだけ自分のトコでカタチにしてみたいなと思っています。

    1. 散文気分さん、OHA!

      天才バカボン、に出てくる、ウナギイヌ、は知ってますよね?
      うなぎ、と、いぬ、を両親に持つ合いの子です。
      実は、発表当時は、いくつもそういう掛け合いの動物があって、その中に、
      リス、と、カバ、の親から生まれた、リスカバリー・ジャパン、というのがいましたよ。

      夢のお話は、自分のトコでカタチにする、には賛成です。
      僕のブログの夢企画、面白いと思って始めたんだけれど、なんか暗礁にのりあげ、そろそろ潮時かと思ったりしてます。
      ではまたコメントして下さいね~

  10. 恥も外聞もないわ、ひどい風邪です。
    喉もおかしい、くしゃみが止まらない、おとといの風呂が原因と思いますが、くたびれてしまったのですね。
    今日中にカウンセリングをキャンセルするかもしれません。
    昨日、ベルハーのアルバム「UNDO THE UNION」を聞いてましたが、2年ぶりに聞いたら、やはりこの作品は完成度すさまじくすごいなと思った次第。

    で、今朝起きたら、体重はそのまんま。ある程度予想していましたからびっくりもしませんね。
    タバコ吸ってると、肺ガンになるとは限らない、ただし、もしなったら、後が大変だというウェブサイトのニュース記事がありましたが、そんなもんかなと思いました。前だったら、おじけづいてたとこですが、別にどうでもいいです。

    夢について言うなら、最近は、全然見ません。昔、ヘリコプターで、ジョン・ベルーシみたいな男が追いかけられていて、彼は逃げながら「何が、フリーライターだ」と叫んで、逃げまくるという夢を見ました。自己投影という感じ?

    立川談志師匠の「源平」聞きながら、今日は横になっています。

    1. papaさん、こんにちは。

      風邪、大丈夫ですか?
      僕は今はタバコは吸いませんが、吸ってる頃は、タバコが美味しくなるかどうかが、風邪が治ったかのバロメーターでした。
      夢を最近、見ませんか?覚えてないんでしょうね。

      談志に「源平」の稽古をつけたのは、「林家三平」だと三平さんが言ってるのを聞いたことがあります。
      のちに、三平さんが、「源平」をやろうと思った時、忘れちゃってたから、談志に稽古をつけにもらいに、ようかんをぶら提げて行ったというエピソードも聞いた事がありますよ。

      三平さんってすごいですよね。救急病院に運ばれた時、意識を確認するため「お名前は?」と聞かれたら、「加山雄三です」って答えたんだって。かっこいいですね。
      風邪早く治るといいですね。お大事に!

  11. 先生、包丁の話を受け止めてくださって、どうも有難うございました。
    おかげで、更に遠いことのように思えるようになりました。
     
    「男はつらいよ」からの、カウンセリング的解釈へのくだり、すごく面白いです。座布団三枚!とか思っちゃいました。「それを言えたら、おしまいになる」かぁ、すごいうまいですね。奥が深くて感心しました。
     
    関係ないですが、小学生の頃、友達と3人で初めて映画館で観た映画が「男はつらいよ」でした。
    少女3人には渋すぎる選択ですが、「宇宙戦艦ヤマト」を観に行くつもりが、地元の映画館ではやっていず、駅ビルの交番のお巡りさんに聞いたら、新聞を開いて調べてくれ、渋谷とか新宿とか当時は子供同士では行けない所でしかやっていず、そのお巡りさんが地元でやっている「男はつらいよ」を薦めてくれたのです。
    「おひけーなすって」と、ポーズもつけて「面白いよ〜」と笑顔で説明してくれました(笑)
    今は寅さん大好きです。

    1. ririさん、OHA!

      やったー!座布団三枚ゲット!
      しかし、ヤマトが、フーテンの寅さん、ですか?(笑)
      おまわりさんも人情味がありますね。
      良い風土で、小学生時代を送りましたね。
      ではまた~

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