心の護美箱⑤

2/Ⅹ.(火)2018 はれ 遅れたけど、Mちゃん、おめでとう!

ライズィンのメインイベントの那須川天心VS堀口恭司は、少なくとも、山本KIDの浪花節にならなくて良かった。
堀口、KRAZY BEEにいたからさ。
セミで、姉のこと、大みそか風に、人情話チックにやってたから、やな予感がしてた。
どうでもいいことだが、実況の女、ジャマ。それと長嶋一茂。
なぜか不明だが、カズシゲ、メインのカードではいなくなってくれてて、本当にホントに助かった。
誰かが抗議したのだろうか?
そうだとしたらテレビ局は良心的だ。

土曜日、学術集会があった!
みやもと、は大したものである。セカイさんにもそう伝えた。
みやもと、はたまたま僕が一個先に入局しただけの年齢的な差しかないが、あらためて、優秀な男だと思い知った。
セカイさんは、これからの精神医療のネットワークの担い手になるかもしれないし、ならないかもしれない人物だ。
全然関係ないが、かわいいし。風貌というより、性格が可愛い。
そんなこと言ったら、うかいさんの方がかわい…あれ?こういうの、セクハラになるのかしら?

昔、10年くらい前にいた病院で、セクハラ対策が医局会(職員会議みたいなもの)で行われて、みんな集められて、
「セクハラ」の定義をレクチャーされた。
僕の大学の先輩の女性の医者はとても気が利く人で、そういう凍りつく空気を緩和させるため、わざと、
「川原先生、女性に、スリーサイズを聞くのも、セクハラですよ」と啓蒙した。
彼女は2トントラックみたいな体型をしていた。
僕は、<他の女の子には聞いといて、先生にだけスリーサイズを聞かないのは、セクハラになりますか?>と返したら、
医局会は氷りついた。
僕はそういう場でも平然としていられる。
人生で重要な能力は、自分が関与した言動で場の空気がおかしくなっても平気でいられることじゃないかと思っている。

何を言いたいかというと、心の護美箱④のコメント数が50を超えたから、⑤を作ることにした。
しかし、そんなやっつけ仕事じゃ、モチベーションが湧かないから、日常的な出来事を文章にしてみた。
皆さんだって、「何かあった?」って聞かれると困るでしょ?
そう!我々の人生は、フツー、ドラマチックじゃないから、「何か」なんて、そうそうないのである。
まぁ、でも生きてりゃ何かはあるから、そういうものを拾い集めて、ここに書いて、皆さんが診察やカウンセリングで、
「何もなかった」っていうことの、逆説というのか、お手本というのか、つまらないかもしれないけど、
一人称で喋るっていうことの大切さを見本にしてみるから、よくみて、たとえば非公開希望のコメントからでいいから、
自分の物語を語って行く習慣をつけましょう。

みやもと、が言うには、勿論、批判的になのだが、近々、AI、が医療に進出して、精神科の問診や診断も、
機械が出来る時代がすぐそこにあるそうだ。
そうは言っても、我々が生きてるうちは、そんなことないだろう、と、いつもいつもタカをくくっていたのだが、
振り返って立ち止まってみると、僕もいい年で、いつ死ぬかもしれないけど、そういう近未来的な診療は差し迫っいてるそうだ。
色んな意見が飛び交っていたが、正直、僕は、「俺が死んだあとのことは、カンケーねぇや」と、シニカルに、
グラマラスなTシャツで胸を張ってた。

僕は大概、そういう学術集会に、「学術」を求めて行かない。
だから出席率は低い。
僕が行く理由は、「なれ合い」とか「郷愁」とか。
心が弱ってる時のエネルギー補給なのだ。
同窓会的な効果って、過去の元気だった自分が、今の自分に奉仕してくれる、そんなからくりだと思う由縁である。

だが今回の学術集会は違った。とても、エキサイティングだった。
単なる郷愁じゃなくて、知的な好奇心を刺激された。
みやもと、の引き出しは、いっぱいあった。
セックスの体位で言えば、四十八手である。四十八手、よく知らないが…。

みやもと、と僕では、あいつの方が、断然エライのだが(何をもってエライと言うんだ!!←のりつっこみ)、
僕らの過ごした青春の時間軸は、一緒に遊んだり、悪さをしたり、切磋琢磨した同志だからわかる価値観の共有にある。
そうとでも言っておかないと、やってられない自分がいる。僕は傲慢だが自己評価が低い。
みんなもそうでしょう?

醜いけど、他人が何と言おうと、かっこ悪くても、傷口を舐め合う様に今を乗り切って行きましょう。
今は、夜明け前。

BGM. よしだたくろう「俺」