セクソロジー入門

30/Ⅰ.(水)2019 くもり 少しあたたかい 橋本治、死ぬ。70才、ジュリーと同い年。

人間の三大欲求は、食欲・睡眠欲・性欲だと言われ、うつ病では、これらが障害される。
だから、うつ病の評価スケールでは必ずこれらを含めたクエスチョンがされるべきなのだが、何故か、
(というより、わかるが)性欲については、聞きにくいし、喋りにくかろう。

ある大学病院で治験をやってる精神科医と話したことがあるのだが、女性に対して性欲の質問はしづらいと言っていた。
だけど、患者が喋りづらいことを聞くのが、こっちの役目だろうが、と思った。

実際、セックスのことで悩んでる人の潜在的な数は多い。悩みは色々。人それぞれ。
でも、食欲や睡眠より、性欲の悩みを抱えてる人が意外と多いのだということを同業者に言い回っている昨今である。

セックスはタブーである。
たとえば、青少年に見せてはいけない「なんとか指定」は、暴力とセックスの関連だろう。
テレビやお茶の間もあきらかな性的描写を排除する。

それで思い出したのだが、僕が小学校低学年の頃、12チャンネルで「ハレンチ学園」の実写を放送していた。
ハレンチ学園は文字通り、ちょっとエッチなシーンの多い、永井豪の原作のマンガで、それをゴールデンタイムに、
お色気ムンムンで発信してしまったのだ。

それは大評判になり、子供達は夢中になり、PTAは「俗悪番組だ」と目くじらを立てた。
その余波は僕らにも直撃して、
「毎週、木曜、7:30~8:00は、自宅学習しましょう」と学校から命令された。
まぁ、家で宿題をいつやろうがこっちの勝手だから、僕はルールに従わなかったが、結構、その影響力はあって、
その時間帯に勉強させられてる家庭のクラスメートはいた。
だから学校で「ハレンチ学園」の話をしても盛り上がれなかった。
いやらしい、やり方だよな、PTAとか大人って。
「ハレンチ学園」の放送時間を自宅学習の時間にしたのである。

そんな「ハレンチ学園」が文部科学大臣賞をとったそうで、永井豪の作品が続々と再版されている。
なんだか、しみじみするなぁ。「ハレンチ学園」が文科省に認められる時代まで生きてしまったのかと…。

当時、糾弾されてる若き、永井豪は、
「自分は性にめざめた頃、父親のエロ本をこっそり見た。しかし、少年の性への興味と、そのギャップは大きかった。
だから自分はそれを埋めるべく、ハレンチ学園、を描いている」
というような趣旨の事を、当時、PTAなどに吊るし上げられているテレビ番組や雑誌の対談で懸命に反論していたのを覚えてる。
札幌オリンピックの直前だった。

僕は中学1年の夏休み、中耳炎になりほぼ夏休み中、耳鼻科に通った。
そこの医者が良かったとか、そこの看護婦がやさしかった、なんて思い出はまるでなく、何の感謝もない病院だが、(中耳炎は治った)
そこの待合室にある「少年マガジン」に連載されていた永井豪の「イヤハヤ南友」が、なんとも、いやらしくて、楽しみで、
毎週、喜んで、その耳鼻科に通っていた記憶がある。

話を戻そう。
皆さんに、性欲について話をさせるなら、こっちからそういう話を切り出さないといけないのかな?と思い、今回はそういう回にします。
だから、性的な話が嫌な人は、ここから先は読むのをやめて下さいね~

オナニーをいつから始めるかは人によると思う。
時代とか文化とか学校の友人の影響とか大きいと思うが、ネットがある今だと、また違うのかなと思うが、
性的なことに関心を示すのは、やはり本人の目覚めだと思う。

僕が小6の頃、山上たつひこ、の「がきデカ」が人気だった。
僕は週末、東京の塾へ電車で通っていたから、その行き帰りに、「少年チャンピオン」を読んでいた。
「ブラックジャック」や「ドカベン」や「エコエコアザラク」や「よたろう」もあったが、やっぱり一番人気があったのは「がきデカ」だった。

山上たつひこ、は皆さんどのくらいすごいか知らないかもしれませんが、たとえば「こち亀」の秋本治が連載当初のペンネームは、
山止たつひこ(やまどめ たつひこ)だったというくらい、
つまり「宝島」を「宝鳥」とか、「乞食王子」を「乞食玉子」みたいに読み間違えるダジャレにするのと同じくらいメジャーな人で、
そんな山上たつひこ、の「がきデカ」以前のヒット作は、「喜劇新思想大系」で、それは僕らの世代には古臭い、性の啓蒙書だった。

そのマンガの中で主人公が、オナニーに使う道具が、「コンニャク」だった。
コンニャクを人肌に茹でて、そこに割れ目を入れると、女性器と同じような感触になるというのだ。
僕のまわりでそんなことをしたという人に1人もあったことがない。
だが、僕は1回だけ試してみたことがある。

コンニャクを手に入れる時は苦労した。
当時はスーパーやコンビニがないから、町の豆腐屋に行って買うのだが、コンニャク1つだけ買うと、
「さては、この子、オナニーするつもりだな」と見破られそうで、仕方ない、要りもしない、焼き豆腐と木綿豆腐を一丁づつ余計に買った。
丁度、エロビデオを借りる時、「キタキツネ物語」と「タイタニック」ではさんでレジに出すテクニックと同じだ。

この話を受付にしたら、爆笑された。普通に1つ買っても変に思う人はいないって。

「じゃ、あなた達は、八百屋にナス1本だけ買いに行ける?」と聞いたら、「行けますよ。1本でも、10本でも」と答えるから、
「10本なら平気だよ。ナス料理を作るみたいだから。ナスを1本だけ買うんだよ」と念を押しても、「全然、平気ですよ」と一蹴された。
俺が自意識過剰なのか?

話をコンニャクに戻す。
僕の失敗は、コンニャクに包丁で綺麗に縦線を入れてしまったから、おチンチンをコンニャクにさすと、ヌルっと飛び出て、まるで、チビ太のおでんのように、
ウインナーがコンニャクから突き出てるようなマヌケな絵づらで、僕はそれを鏡に映して、我ながらそのアホらしさに、性欲も萎え、
鏡をみながら、コンニャクをさしたまま、フラダンスを踊ったものだ。↓。

 

中2のバス旅行で、ちょっとませた子から、バスの窓から手を出してモミモミすると女のオッパイをさわった感覚と同じだ、と教わって、
クラス全員が代わる代わる窓から手を出してモミモミしていた。それが14才の思い出。

高2の夏、泊り込みの勉強合宿に行った。そこで知り合った女の子が積極的な子で、夜に女子寮に遊びに来い、と、いけない誘惑。
僕は悪い友人と3人で、彼女の誘導の元、女子寮に忍び込んで、それぞれが目当ての女の子の布団に潜り込んだ。
見回りに見つかるといけないから、という理由である。僕らは、布団の中でナイショ話をしていた。それは楽しかった。

すると、その女の子はちょっとエッチで、「ねぇ、川原君、何もしないの?」と言って、僕はドギマギして。
女の子はませてるから、僕の手をとって、自分の胸にあてた。
僕は中2のバス旅行以来、はじめて女の人の胸をさわった。
気が動転してるから、その感触が時速60キロの風圧と同じかどうかは覚えていない。

その女の子とは1回だけ映画も見に行ったことがって、つまりデートである。
僕は初デートだから、ロマンティックな映画にしようと思っていたが、彼女は僕に合わせて、
「がんばれ!!タブチくん!!、でいいよ」と言って、僕らは「がんばれ!!タブチくん!!」を見た。

僕の学校の仲間で、女子とデートしたことのある奴はいなかったから、皆、心配と興味本位と将来の自分の予習のために、
5人くらいがコソコソ僕の初デートを尾行してついて来ていた。

当時の映画は、今みたいなシステムじゃなく、全席自由で入れ替えなしで途中入場できたから、
僕らが入った回は満員で、僕は彼女と後ろの方で立ち見をした。
ちょっと離れた所で、5人組も立ち見をしていた。それが17才の思い出。

彼女は石野真子と誕生日が1日違いで、だから僕は何10年たっても彼女の誕生日だけは覚えてる。
ちょうど、今日くらいのはずだ。

BGM. RCサクセション「エミちゃん おめでとう」


16 Replies to “セクソロジー入門”

  1. 先生こんばんは。
    エピソードが楽しくて、爆笑いたしました。解説図までついていて(笑)

    ナスの思い出。
    中二の頃、私と親友(女性)はともにQueenのファンでした。ある雑誌にフレディがピッタリサイズのパンツ(ズボン)姿で載ってました。それを見た彼女は、「なんでこんなところにナス入れてるのかな?」と不思議がってました。自分がどう返事したか、思い出せません。

    つい先日、2,3年前頃にほんわかと好きだった人(同い年)が、今度結婚する(らしい)話を耳にしました。彼とはライヴでしか会いません。そして、最近いつも同じ女性と二人でライヴに来ていたので、そうなのかなぁと思っていたら、結婚まで話が進んでいてちょっとビックリしました。ほんわか、じゃ駄目なんですかね?
    失恋した気分が数日続きましたが、もう諦める事が出来ました。その程度の「好き」だったんです。

    私はお医者さんに隠しごとしては勿体ない、と思うので、初診の時に性的なこともお伝えしたと記憶しています。いきなりズケズケと話したので、先生は心の中で面食らったかもしれません。通院が長くなると、だんだん言いにくいのですが、必要なことは話しているつもりです。
    今ほんわか好きな人は、この前ライヴ会場で会ったら「こめん、今日は風呂入ってないから」と逃げて行きました(笑)でも、終演後にはジャンパー掴んでも逃げませんでしたよ。でも、それだけでお終いで、からは打ち上げに参加し、私は一人で帰りました。

    あ、性的なテーマとはズレてますか。カラダの関係は妄想のなかだけにしまってあります。

    1. トモトモさん、こんにちは。

      フレディのナスのエピソード、面白いですね(笑)さすが、中二!

      セクソロジーとは「性科学」のことで、今、精神科臨床にもその風が吹いてきています。
      先日、アメリカの先生の講演会があって、うちの心理に行って来てもらいました。
      話を聞くと、同時通訳なしで、ずっと英語とジェスチャーだったそうで、行かなくて良かったと思います。
      僕は英語は苦手で、わかる英語といったら、河島えいごの「酒と泪と男と女」くらいです。

      そうそう、いつも思うのはブログの記事の最初のコメントって、とても鍵で、読者が、「あとがき」みたいに、消化する手伝いをしてくれるからです。
      トモトモさんは、いつもまるで「笑点」の円楽が最初に手をあげ、そのお題がどういうものかと視聴者に翻訳する役割を担ってるのとよく似てて、
      特に今回のようなビミョーな記事にオリエンテーションしてくれるのは助かります。感謝します。

  2. どうも。
    まず、報告からです。
    昨日、カウンセリングをキャンセルしましたが、今日は、診察も出来ません。お薬は、来週分まであります。7日にお伺いします。かなりひどい風邪になりました。

    文章を読んだのですが、先生はパワーがありますね。テレビの「ハレンチ学園」は、昔、見ましたが、全然覚えていません。コンニャクでやったことは、ありません(笑)。特に理由はないです。
    性欲かあ・・・・。それなりに、マセては、いたんでしょうね。色々とありますよ。今はどうかというと、AVも全然見ませんし、沢山あったAVのDVDも、ずいぶん前に、馴染みの古本屋に買い取りしてもらったし。成り行きですね。全部で4200円でした。
    行きずりの女の子で、たまにセクシーな子がいても、無視しています。それの方が都合がいい。対人恐怖なのかな。

    1. papaさん、こんにちは。

      今は寒いしね、風邪が流行っているものね。お大事にして下さいね。
      来週待っています。

      コンニャクはにおいが強いから、要注意です。
      僕は通りすがりで「可愛いな」と思う子は最近全然いません。
      中高生の頃は、毎日の様に電車の中で「運命の人」に会っていましたが。
      年のせいですかね…

  3. 職場では、右を向けば子供のランドセルの購入の話をしていて、左を向けば学級閉鎖の話をしていて、あらての拷問かと思いますけど、全く会話に加われないから。

    この間ここのブログのコメントを見ていて、女王陛下のお気に入りという映画のことを書こうと思ったのですが、まだ公開されていないので、同じ監督が以前作った「ロブスター」という映画のお話を少しだけ書かせてください。

    あらすじは、非モテで結婚できないやつは生産性がないから決められた日数以内に結婚しないと体を動物に改造されてしまう、というお話です。両方ブラックユーモアで、最近笑えることが減ったので、こういう変化球もいいかなと。

    まとまりがないですが、「逃げるは恥だが役に立つ」を少し見返しまして、以前書いた、アメリカの恋人セラピーに似ているなと、前と違う印象を受けました。うちにもガッキーがやって来ないかなと思います。

    悩める青少年のために真面目なおちんちんの話も書きたいのですが、黒歴史を展開する必要もないので終わりにします。いろいろ書くと何が言いたいかよくわからなくなりますね。いつもの事ながら、本当はここに逃げ込みたくないのですが。

    BGM 頭脳警察 「それでも私は」「時代はサーカスの象にのって」

    1. タイムマシンにお願い ホームカミングさん、OHA!

      BGMの頭脳警察って、僕らが中学の頃、キャロルやクールスは普通の不良が好きで、屈折した不良が好んで聴いてましたね。
      ヴォーカルのパンタが、ステージでオナニーするって噂ばかりが先行するバンドでした。僕もよく知りません。

      今回の記事は、タイムマシンにお願い ホームカミングさんの「真面目なおちんちんの話」という以前のコメントに触発されたのは間違いないです。
      だからもう少し発展出来たら遠慮せず書いて下さい。
      きっと、その本気度によっては、ボクシングファンさんあたりが反応してくるでしょう。

      僕は夕べ、高校の友人Aからメールをもらいました。なんでもゴルフ場で友人Bと、たまたま逢ったから、もし僕がゴルフをするなら、今度一緒にやらないか?というお誘いでした。
      残念ながら、僕はゴルフをしないよと、断りのメールをしました。そうか、と返事が来ました。
      何か悪いことをした気分にさせられました。
      僕ももういい年なのだから、ゴルフとか外車とか不動産とかで、話が出来るようにならないといけないのかな、と少しばかり葛藤しました。
      外は白い雪の夜、でした。

  4. おはようございます。
    今日は雪が降るそうですね。

    性的な経験やフェティシズムなど、人それぞれの性のありかたというのは、相手の人間性を如実に教えてくれるので、そういった機会に恵まれるのはいつも大変興味深いです。
    ですが、診察室でしゃっちょこばっていきなり性的な話を持ち出されたら、確かに気まずいでしょうね。性別とかをあまり意識せず、フラットな感覚で話せる器のある方であれば、こちらも話しやすいです。
    もっとも、それに見合うだけの信頼関係が成立してこその話ですが。
    でないと、ただの興味本位の拷問ですね(苦笑)あと、相手の差別意識がどこらへんにあるのかなんとなく体感していないと、本当に話したいことは話せない気がします。相手に引かれるのはしんどいものですから。

    さて、話は遠く昔にさかのぼって。
    昔はどこの家にも家庭の医学とならんで、百科事典なみに分厚い育児書なるものが本棚に幅をきかせていたものでした。幼稚園にあがる前の私は、よその家にあがると熱心にその育児書を読みあさり、その姿は大人の物笑いの種になっていたのですが、単純に3才児には面白かったんです。色々な意味で。
    そういった本には、必ず育児に関する様々なQ&Aが載っていましたが、とある専門家が回答した子どもの自慰についての答えに、3才児は激しい憤りを感じることとなりました(笑)

    そこにはこうありました。
    「子どもの自慰行為は単に気持ちがよいからやっているだけ。マッサージのようなもので、そこにお母さまが心配なさるようないやらしい気持ちは微塵もありません。ですので、ご心配なさらなくても結構です」
    私は叫びたかった(笑)
    「この大人は嘘つきだ!!子どもだってHな想像とかきちんとする!!!(SEX自体はまだ知らないにせよ。幼いエロティシズムとでもいえばいいのでしょうかね)専門家なのに何も知らない!」
    でなきゃ、スカートめくりだのお医者さんごっこだの性的遊戯なんて流行りゃしません(笑)
    当時の倫理観に従って書かれた本だったのかもしれませんが、いまだに納得がいかない一件です…。

    馬鹿な話を書いたら、希死念慮も多少は誤魔化せそうです。
    どうかインフルエンザなど召しませぬように。

    1. もふもふもふもさん、おはようございます。

      昨日は暖かかったのに今日は雪ですか?
      こうお天気がジグザグ模様だと体だけでなく、気も滅入ってしまいますね…
      医者の不養生、紺屋の白袴、気をつけようと思います。

      ご指摘のように、診察の中で言葉がやりとりされる訳ですが、重要なのは「ラポール」という信頼関係ですね。
      それが肝心だとあらためて思いました。

      診察に限らず、言葉はガラス細工のようですが、凶器にもなるから、細心の注意を払って使おうと反省しました。

      精神科の中では、育児書を研究している人もいて、その人によると育児書は10年周期くらいで書いてあることが変わるそうですよ(笑)
      例えば、「抱き癖がつくからあまり抱くな」と書いてあったかと思うと、「よーく、抱っこしてあげて下さい」など、
      振り子のように極端から極端へ、時代で振りきれるそうですよ。
      今、子供の自慰行為はどうなんでしょうね?
      またコメントして下さいね。

  5. 先生こんばんは。
    仕事はだいたい良い感じで続いています。
    心配なのは、4月からも雇用契約が更新されるかどうかです。
    一日働くと疲れ、加齢のせいもあってか、我が家の玄関前の何もないところで転びました。足が上がってないけど、意識のなかでは上がっているつもりなのでしょう。これは自覚して気を付けるしかないですよね。

    先日の「十中八九N・G」についてのお願いを叶えてくださってありがとうございます。” 最近のコメント欄 ” が新設されて嬉しいです。

    11日のさくら学院のヴァレンタインライブ、スペシャルコーナーでは、三組に分かれてカバー曲をやりました。
    フィンガー5の「学園天国」が一番楽しかったです。「淋しい熱帯魚」と、広末涼子の曲( 私は初めて聞きました)もありました。

    寒いのは嫌なので、早く春が来て欲しいです。

    1. トモトモさん、こんばんは。

      今日は暖かかったですね。お仕事、よく頑張っていますね。
      うまく行くことをお祈りしておきますね。

      コメント欄は、セットアップの成田さんが作ってくれました。
      ただ、スマホには対応しないそうです。理由も聞きましたが、忘れてしまいました。
      また何か気付いたことがあったら教えて下さいね。

      さくら学院情報、ありがとう。僕は診察の合い間に、さくら学院のメンバーの顔が壁に光で映る魔法のペンで癒されていますよ。

  6. キネカ大森の「名画座2本立て」で結局、
    「志乃ちゃんは自分の名前が言えない」と「少女邂逅」を2回観たので、
    「志乃ちゃんは~」は合計で7回、
    「少女邂逅」   は合計で2回観たことになりました。

    2回目に自分をキネカ大森に足を運ばせたのは「少女邂逅」でした。

    1度目「少女邂逅」を観終わった時は、「これは難解だ、多分何回観ても難解だろう。」と
    2度観ようとは正直思いませんでした。

     ――‐――

    女、特に「少女」などと言うものは実に面倒くさい、
    「リズと青い鳥」も微妙な心理描写に苛立ってしまったし、

    それに、誰も救われない結末、重い、絶望感で終わる。

    でも、ここでふと思ってしまったんです、、、
    そんな面倒な生き物、「女」に今まで無関心でいられたことがあったのか?って。

    少し文学的で昭和的(もう平成も終わろうとしています)な表現をすれば、、

    こいつは全く、絶望的に無関心でいられたためしは無い、そう絶望的に。

    僕が男子校(高校)に通っていた頃、女子高に通っている元同級生の女子達が度々、
    「女子高は最悪だし、つまらない。それに女子高の実態を知ったらお前ら男達は
    幻滅するよ~、夏なんかさぁ、制服のスカートめくって下敷きで扇いだり、そんなの当たり前(笑)」

    一人の深窓のマドンナに幻滅することはあるかもしれないが、、
    いや、仮に女そのものに幻滅しても、やはり絶望的に無関心にはなれない。
    彼女らが自嘲的に、或いは仮に男達の自分達への関心をへし折ろうと、
    如何なる幻想(イリュージョン)を打ち砕いても、どちらにも無力で徒労に終わる。

    —それはセクシャルマイノリティーの人達も同じで、
    映画「ボヘミアン・ラプソディ」でも、その辺りは表現されています。—

    新進気鋭の監督「枝 優花」がその実体験から紡ぎ出したリアルな「少女」の世界感は、
    その芸術に忠実であればその「絶望」の体言止め?は譲れなかったのかも知れません。

    「絶望」。改めてその言葉と向き合った時に随分懐かしい気分になったのです。
    映画観賞後、という影響もあって、いつの間にか自分と絶望との会話が始まっていました。

    ボクシングファン(以下ボク)「随分久し振りだなぁ、懐かしいなぁ。」

    絶望「いや、僕はずーっと君の中にいたけれどね。君は随分老けたね。(笑)」

    ボク「幾つになったと思っているんだ?(笑)もう〇〇歳。いつの間にかこんな歳になっちゃった。。。 君は、、、君は老けたのか?どうか?判らないな。。。」

    絶望「僕らはただの絶望だからね、そんなのはないよ。」

    ボク「絶望ってお化けみたいに人を怖がらせたりするんじゃないの?今の君からはそんな印象受けないけれど?落語に出て来る、夜は物騒だから昼間出て来るって気弱な幽霊みたいに、今の君もそんな感じになっちゃったの?」

    絶望「お化けと僕らは違うよ。(笑) 君がまたそうなったら、僕ら絶望と向き合うだけだ。」

    ボク「あぁ、確かに道理だね。(笑) 出来ればもう会いたくないけれどね。(笑)」

    絶望「君とは長い付き合いだから教えてあげるよ、僕らは決して人を陥れようとはしないよ、ただ君らがそうなった時に出て来るだけ。」

    ボク「そうだね、今ならなんとなく分かるよ。」

    絶望「君の幸運を祈っているよ。」

    ボク「ありがとう。」

    少女邂逅に邂逅して、オヤジ回顧ぅしていたら、いつの間にこんなやり取りを頭の中でしていました。折角なのでコメントに載せます。(笑)

    2度目の観賞では、1度目の時に感じた苛立ちや、少々粗削りな作風は気になりませんでした。
    不思議と今度は作品に吸い込まれる様に、合計で4時間程の時間がいつの間にか過ぎていた、という感じでした。

    ただ、自身が抱えた「人間の業」を表現する人、出来る人、枝 優花に軽い羨望と嫉妬を感じたのは、これもまた久し振りの感覚で、
    でも、今はそれが出来ない、自分の「人間の業」を肯定しようと思いました。

    BGM.山口百恵「絶体絶命」

    1. ボクシングファンさん、こんばんは。

      読み物として、面白かったよ。
      また書いて下さいね。

      山口百恵のその歌は、三角関係で、年下の女の子の純情な涙に負けて、彼から身を引く、というテーマだったと思います。
      丁度、この歌の頃、僕は石野真子に気持ちが移っていたから、百恵ちゃんに見透かされてるのかと思ったものでした。

  7. 「さぁ、人間になりましょう。」アンデルセン曰く、
    それが若い頃のキルケゴールの口癖だった、と。

    ――‐――

    その意味は分かりません、ただ、若い頃と言うのはそんな文学や哲学から切り取った断片(ピース)を
    ため息をつきながらパズルに当てはめる様にしたり、でも、それ自体が何なのか?よくは分からないし、
    仮に、上手く当てはまっても、恐らくそれには納得しないだろうし、
    でも、同時に一方で、時にその少年や少女にはそんな意味の無い行為?だけが唯一の救いだったり
    するのだと思います。

    ――‐――

    「少女邂逅」のタイトルは作品に登場するある意味象徴的な存在「蚕」と「邂逅」をひっかけた、いわば「駄洒落」で、

    カフカの「変身」の断片も2、3度、引用されます。

    そんな時、悩んでいるのは、男としてよりも人間として、女としてよりも人間として、、
    でも、同時に、年齢的に最も異性の存在が自分を根底から激しく揺さぶる時期でもあり、
    もがけば、もがくほど、糸に絡まった様に身動きが取れなくなる。

    ――‐――

    ただ一人の人間であろうとしても、いわば男と女がそれをさせない。

    ――‐――

    僕は乙武洋匡さんをSNSでfollowしているのですが(期待と応援する気持ちから)、
    乙武氏はいわば、「人間」として持ち上げられ、「男」として叩きのめされた、
    最も典型的な人だと思います。

    そんな乙武氏が今Web上で掲載している小説「ヒゲとナプキン」のモデルとなったのが、
    「杉山文野」氏で、彼はFTM(Female To Male(女性から男性へ))のトランスジェンダー
    (LGBTの「T」ですね)の人です。

    「LGBT」が様々な媒体で取り上げられたり、話題に上がる様になってから10年近く
    経ちますが、「LGBT」=性的嗜好と解釈されることが多々あり、誤解を招く原因、要因と
    なっていると思います。
    でも、彼らが本当に訴えたいのは「性自認」の方である筈で、不思議と「性自認」の文字自体を
    目にすることがあまりにも少ないことに疑問を抱いています。

    ――‐――

    自分が何者であるのか?

    ――‐――

    セクシャルマジョリティーの我々でさえ、、
    という言葉が適切なのか?今一つ自信はありませんが、
    つまりは、心と体の性、ジェンダーが一致している人間でさえ、
    生きることは過酷で、性の強い揺さぶりは時に若い命(自分独りだけで抱えてしまうと言う意味で)
    をも脅かします。

    そんな孤独で危険な時期を辛うじて生き延びて来た彼らLGBTの活動家達は、
    自分が何者であるのか?男であるのか?女であるのか?
    自分の意志で決めたい、と言う、本来はシンプルな主張をしていると思うのです、
    つまりは、個々のアイデンティティの問題です。
    でも今は、

    LGBT≒性的嗜好≒フェティシズム(フェチ)

    となってしまっていて、それが拒否反応を抱かせる多くの要因だと思いますが、
    その一連の等式は皮肉にもといいますか、セクシャルマイノリティーの中での
    マジョリティーである、ゲイ(G)の人達が要因かも?知れません。
    何故なら彼らの「性自認」に「ズレ」が無いからです。(実際には個々、グラデーション様な違いがある様ですが、、)
    そこで「同性愛」≒性的嗜好≒フェティシズム(フェチ)と言う等式が成立してしまったのかも?知れません。
    セクシャルマイノリティーの中でのマジョリティーのゲイ(G)の人達の最も勝ち取りたいのは、
    パートナーシップの問題で、そこに法整備を敷きたいと言うことで活躍をして来た、活動中である、
    ということだと思います。

    報道等ではLGBTと一括りにされてしまっていますが、当然それらの当事者達は時に、
    それぞれの立場の違い、同じ立場でも考え方の違い、ジェネレーションの違いから
    ぶつかることも当然少なくなく、当たり前なのですが、決して一枚岩ではありません。

    実際、同じ「同性愛者」のレズビアンの人達がゲイの人達と比較してあまり表に出ないのは、
    そのまま、これまでの社会(世界中の)が男性社会であった影響であり、
    女性が歴史的に不利益を被って来たことは否めなく、時にレズビアンの中にはレズビアンとしてのアイデンティティよりも、
    フェミニストとしての主張をする(アイデンティティを持っている)人もいたりします。

    人間としてアイデンティティを持つことはとても大切なことです、恐らくそれに異を唱える人はいないでしょう。

    でも、孤独で危険な時期をなんとか生き延びても、尚その「アイデンティティ」を確立出来ないとしたらどうでしょうか?

    LGBTの中の(B)、バイセクシュアルの人達の活動家はあまりいないと聞いています。
    一見自由で奔放で、そんなイメージを持たれることも、逆に彼らが表立つことを妨げているのかも知れません、
    アイデンティティが確立されない、と言うことは、様々な面で生き辛さに繋がるだろう、という事は想像に難くありません。

    ――‐――

    社会の中で発信出来ないマイノリティーは孤立してしまいます。

    ――‐――

    長くなってしまっていますが、更に続けます。

    ――‐――
    LGBTについて当事者でない僕がこれだけ書いてしまうと、やはりそこには同時に
    何かしらの弊害も生じてしまっていることも併せてご理解下さい。
    ――‐――

    前述の杉山文野氏、
    その杉山氏が男性ホルモンの注射を打つ様になってからある衝撃を受けたらしいです。
    彼は元々女の子が好きで、性欲もあったらしいのですが、
    でも、その性欲?は好きになった女の子に対してのみ向けらるものであったらしく、
    彼を苦しめて来たとは言え、まだどこか「牧歌的」であったものが、突然、
    女と見るや、「やりたくなってしまう」衝動に駆られて、驚いたそうです。
    男と言うのはこんな衝動を抱えながら生きているのか!?と。

    彼は決して男を代弁するものではない、と前置きして、
    女の体、男の心、を生きて来て、更に現代医学でより男性に近付いた彼が痛切に感じた(思った)のは、

    「男と女はわかり合えない」

    と言うことで、その言葉自体は特別目新しいものではないですが、
    杉山氏からつむぎ出された時のその言葉は、それまでの響きとは違っていて、
    改めてそれらの問題に向き合う起点が一つ出来た様に思いました。

    BGM.郷ひろみ「男の子女の子」

    1. ボクシングファンさん、OHA!

      ついに完成しましたね!
      もう、これだけ皆さんに味わって読んでもらえばいいですね。
      また書いてね~

  8. 性についてはオープンなのがいいのか悪いのか、海外の文化を聞いていても正解は解らないところです。

    私がおもうのは、自然界の生き物で人減だけが、性教育を受けないと子供が出来ないと思ってます。

    動物は本能で交尾などをして、子孫を残します。
    それは季節の繁殖期に自然とそうなったり、繁殖期じゃなくてもどうずれば子孫ができるかしってます。

    でも今の子供達をそのまま育てたときに性交渉ができるのだろうか?と思います。

    親も言わないリアルな内容を、保健体育や、同性の先輩などから聞いて教わっているのが実情。

    これも本能といえばそれまでだけど、そうとは程遠いと私は思う。
    それは今の少子化にも大いに関係している。

    文明社会の出生率より発展途上国の出生率が高いのもそれと比例している、理性的になれば本能が下がるがそもそも昔は15歳で成人だったり、人間の構造上から女性の卵子も男性の精子も年齢とともに衰えるし性欲も減ってくる。

    話がながくなるので、ここで最後に、、

    なんとかしろ、日本の政治家!

    1. sinさん、こんにちは。

      淡谷のり子が昔、「セックスって格好が滑稽よね」とあの声で言ってる夢をみたことがあります。

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