思い出にまさるものなし

7/Ⅴ.(火)2019 変な天気、連休明けクリニックは模様替え

このGWはキヨシの追悼(メモリアル?)ライブがあったらしく、朝のワイドショーで映像が流れた。
僕は泉谷しげると同じ立場で、キヨシの死を認めない派、で、そういうイベントは無視している。
だけど、キヨシが死んで10周年だそうで、そういう催しも今年で最後にするらしく、ワイドショーのネタになったのは、
アンコールのスペシャル・ゲストに木村拓哉が出たからで、TVにうつるキムタクは他のミュージシャンの中にあって、とてもイケてるのである。

それはスタイルとかファッションが良いというのとはちょっと違って、そこに混じっても揺るぎない、同化しない、カッコ良さを持っているのである。
これは何かに似てるなぁ、と思ってよく考えたら、泉谷しげるが普賢岳のチャリティー・コンサートでスーパー・バンドという、
拓郎や陽水やさだまさしや南こうせつや伊勢正三や小田和正や浜田省吾やハウンドドッグの大友と一緒に出た時の、キヨシローと似てたのだ。

これは当時僕は音楽番組ではなくワイドショーで見たのだが(それも似てる)拓郎が慣れないベースをやって超緊張し、ハマショーが久し振りのドラムをして陽水が遅刻して、
そんな中、泉谷が「これは偽善だ~!」と露悪的に叫ぶ中、10人で「春夏秋冬」を歌うのだが、
「今日ですべてが終りさ、今日ですべてが変わる、今日ですべてがむくわれる、今日ですべてが始るさ」のサビを合唱するのだが、
泉谷の持ち歌にもかかわらず、キヨシローのボーイソプラノが皆より、半音高くて、「始るさ~」の部分をキヨシだけクレッシェンドで歌うから、圧倒的な存在感はキヨシにあった。

それと今回のキムタクが似てたのは、そのイベントの趣旨に対する個人の熱量が(本人の思いはともかく、どう映るかという意味において)、イベントを台無しにしておいて、
そんな状況であってもアイデンティティのブレないクールさで、普賢岳の「オレは、キヨシローだよ」と、忌野清志郎ロックンロールショーにおける「オレは、キムタクだよ」って、結構近いところにあるなと思ったのだ。

僕は昨日、美容院に行って、新宿にラミネートポスターをとりに行くついでに「おそ松さん」か「コナン」の映画をみるつもりだったが、
なんか野生の勘が働いて、3日続けて中野ブロードウェイに足を向けた。
昨日はアクビちゃんのツーショット会で、2日も続けて行ったからあらかた見てしまっているのにだ。
いつもは行かない4階の「まんだらけ変や」に行ってみた。↓。

すると!なんと!キヨシの東京デジタルホンの特典が売っていた。↓。

これは僕がまだ携帯を持っていない頃に、キヨシがCMをやってて、キヨシのグッズがもらえるなら携帯を持とうかな?と思った代物だ。
でも、当たる確率低いし、携帯いらないから、泣く泣く申し込まなかった、過去の後悔の1品でもあった。
携帯をホルダーにセットすると、キヨシが「お帰り、ベイビー!」と言い、出かける時に外すと、「行って来い、ベイビー!」とシャウトしてくれるお宝だ。
どうしてもゲットしたくて何年もたってるがかたときも忘れたことがない。それが今、手に入るなんて、人生はあきらめちゃいけない。

僕はキヨシ専用のスクラップブックを作っていて、そこにはキヨシの東京デジタルホンのチラシも入ってる。↓。

朝日新聞の一面広告も持ってる。↓。

ズームアップしてみると、平成8年の広告だ。心理の原さんに聞いたら、当時の携帯は12万円くらいしたらしい。↓。

僕は最近は面倒くさがって、ネット通販で商品を買うことが多いが、やっぱりそれに頼りすぎるのは危険だ。
なぜなら、それは便利だが、野生の勘を鈍らせる。
やっぱり足で探さないと良い品はゲット出来ない。そんな風に思う、東京デジタルホンでした。↓。

それで気をよくした僕はついでにいつも素通りする、「まんだらけマニア館」にも久し振りに顔を出した。
すると、「羽中ルイ」のマンガがあった。
羽中ルイ、は70年代後半から80年代初頭にかけて、僕が多感な時期にエロ雑誌にマンガを発表してて単行本を量産していた漫画家だ。

僕は懐かしくなって、羽中ルイ、のマンガを2冊レジに出したら、店員さんに「爬虫類、好きなんですか?」と親しまれ、「?」と思ったら、
「羽中ルイ」って「ハチュウルイ」って読むって初めて知った。

僕がハイティーンの頃は、「ハナカ・ルイ」とか、「ハネナカ・ルイ」と読むと勝手に思い込んで、当時、それを共有する友人もいなかったから、
これまで30年以上も訂正されずに来てしまった。
まさか、「羽中ルイ」の読み名が「ハチュウルイ」というダジャレ名だとは思いもしなかった。

そんな衝撃を受けた僕は、まんだらけにある、羽中ルイ、のマンガを1冊600円くらいだが、全部買って、8000円くらい使った。↓。

羽中ルイ、は漫画エロトピアとかに描いてるすごいやらしいマンガだったと記憶しているが、
その後、時代はエロビデオとか、裏ビデオとか、AV女優のアイドル化とかテレクラキャノンボールのサブカルブームとか様々な媒体のエロが出て、リアルというかエスカレートして行き、
僕はそんな昭和から平成へのエロ文化の成長とともに、子供から大人への階段を昇った。
そんな酸いも甘いも知り尽くした今の僕があらためて今、「羽中ルイ」を読み返したらどう感じるだろうか?

結果は、当時と同じインパクトでした。

とは言っても、今の皆さんが初見で「羽中ルイ」をみてもなんとも思わないと思います。ただのエロ漫画だと思うでしょう。

僕の10代後半のノスタルジーと80年代前半の何をやっても無意味…みたいな空気感が、記憶の回路を混乱させ、性欲に誤変換させたのだと思う。
だから当時に読んだ体験のない人には、無効なマジックなのだと思う。

つまり何を言いたいかと言うと、思い出にかなうものはない、という話でした。

BGM.ザ・フー「マイ・ジェネレーション」


9 Replies to “思い出にまさるものなし”

    1. 九鬼ゑ女さん、OHA!

      そうですよ!
      平成12-14年にいましたよ。
      当時のお知り合いかしら?
      だったら、お懐かしいですね。

  1. 「思い出にまさるものなし」
    本当にそうだな、と思いました。

    実際に我々は「昭和世代」と自他共に認識されていますが、
    実際には人生の中で「昭和」よりも「平成」を生きた時間の方が長く、
    今更の様にそれに気付いても、やはり「昭和世代」なんだな、と改めて感じました。

    人生の中で最も長く生きたその「平成」を見事にスルーして喚起されたのが、、
    「羽中ルイ」のマンガ達です。
    正直、作者の名前が「ハチュウルイ」なのか「ホニュウルイ」なのか?
    当時そんなことに意識は向きませんでしたが、
    その「背表紙」を見ただけで瞬時に蘇った、重力を伴った若い青い記憶は、
    「平成」のどの辺りにも見当たらないと思います。
    やはり、「平成」の時代は平静(平成)を装っていたのかも?知れません。

    新しい年号、元号?「令和」になって、改めて「昭和」に関心を持つ
    若い人、比較的若い人もいるかも?知れないので、
    (特に昭和回顧厨を自認する、ある程度の年齢を自ら暴露してしまった、うかいさん、
    メモの用意を。(笑))
    少し当時を振り返ってみますと、、

    今でこそ、川原クリニックの並びにもある、大手の古本屋「某Book off」が幅をきかせていますが、
    当時は神保町でなくとも、街、町、には主にお年寄りがやっていた「古本屋さん」が結構あったんですよ。
    で、我々若い青い迷い鳥達は、その様な「古本屋さん」で「その手の本」を物色するわけです。
    僕の記憶が確かなら、古本屋でも、その手の本は「新刊」も置かれていたと思います。
    改めてこんなことを書いていると、なんだかんだで「古本屋さん」でもその手の本は
    「主力商品」だったのかも?と、やはり「平成」を飛び越えて、初めて気付かされたりもします。

    (大した話ではないの、メモは必要無かったですね、(冷汗)

    そして、「中野ブロードウェイ」にもブラックホールの様な重力のある「思い出」がありまして、
    まず、高校生の頃学生服のままでよく下校途中に立ち寄ったりしていたのですが、
    その高校で今一番仲の良いと言うか、今でも付き合いが続いている友人
    (勿論その手の本も友に、共に、融通し合っていました)がいまして、
    そいつが岡山の倉敷出身で、東京のことを色々訊いてくるわけですよ、
    僕は流行とか疎い方だったので結構知らなかったんです(実は中野ブロードウェイも)
    そうしたら、その友人は「知らないのか??中野ブロードウェイだぞ!!!」って少し苛立つ様に
    訴えて来ました。

    後に大人になってから当時のことを聞いてみたら、その友人曰く、
    「今なら分かる、地元の人間って意外にそんなものだって。でもあの時は「ブロードウェイ」と言う名前が
    凄いので、知らない筈がない!!と思い込んでしまったんだ。」と、まぁ確かにそんなものですね。(笑)

    ちなみに、中野ブロードウェイは当時からフロアを上がるにしたがって、
    何か「怪しい」雰囲気が濃くなって行って、
    若い青い迷い鳥には「羽中ルイ」の世界にも似た魅惑の重力を感じたりもしました。

    その友人の個人的に面白い(たぶん、川原クリの周辺の人達にも)エピソードがありまして、
    前述の通り、その友人は「岡山県」倉敷市出身。
    暇な時に東京の地図を見たりしていたらしいのですが、そんな折たまたまこの辺りを見ていた時に目に入って来た、
    「大岡山」の文字。
    彼の出身地「岡山」に「大」の字を冠した「大岡山」とは一体どんな所なのか?
    やはり名前が凄い感じがして、どんな所なのか?訊かれたことがありました。(笑)

    そうなると、やはり名前は大切と言うか、
    「羽中ルイ」を「ハチュウルイ」だか「ホニュウルイ」だかは知らないけれども、、、
    と言う「名前」に対する自分の意識の低さを少し反省したりした次第です。(苦笑)

    またまた、長くなっていますが(冷汗)、続けます。
    「中野ブロードウェイ」で最も強い重力を体験した「思い出」がありまして、、それは、、
    僕はある時期(数年前)に中野ブロードウェイ周辺によく出没していたのですが、
    まんだらけ系列のお店で映画のポスターを扱っているお店があって、
    ある日「スケバン刑事Ⅱ」のポスターが目に飛び込んで来たんです。
    それこそ、その強い重力に引っ張られる様に僕の目と足はその前で貼り付いた様になりました。
    値札を見ると確か、「¥2,000~¥2,500」位だっと思います。
    出せない金額ではないけれど、今更ポスターは飾らないだろう、と思って
    (実際にそれまで飾っていたナンノのポスターは全部ボロボロになってしまって既に処分してしまっていました。)
    買わずに、でも、来る日も来る日もそのポスターの前で暫し見入っていたのですが、
    ある日そのポスターが無くなっていたのです(当然と言えば当然ですが)
    人とは不思議なもので、無くなると急に欲しくなって、すぐに店の人にポスターの再入荷について
    尋ねたところ、多分まだどこかにデッドストックがあるだろう、と。
    倉庫とか会社とか、整理される時に見つかったりして、その時は大体うち(まんだらけ)
    に来るからたまにチェックしていて下さい。と言われて、結局その後バージョン違いの3枚を購入したのでした。

    正直、僕と同世代の人でも南野陽子やスケバン刑事に特に思い入れがなければ、
    「少し懐かしいね」位の印象や感想しか持たないでしょう。

    思い出の形って色々ですね。

    BGM.aiko「恋をしたのは」

    1. ボクシングファンさん、こんばんは。

      よく「文章化」してくれましたね、ありがとう。
      味わい深いです!

      全然関係ないですが、時代も違いますが、久本雅美のオカルト二人羽織、をユーチューブで見つけました。
      面白かったです。
      確か、ラジカルガジベリビビンバシステムの、中村有志が、これだけで一生食っていける、と絶賛してた奴です。

  2. 先生、野生の勘は大事ですよね。
    そんな日は一日気分がいいです。

    デジタルホン2万円ですか?
    安いですね。
    マジラッキーですね!

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