愛してちょうダイナ

19/ⅩⅠ.(木)2020 はれ 小林麻耶の夫が涙で謝罪(ユーチューブチャンネルにて)

不思議の国のアリス、のアリスの飼い猫の名前は、ダイナです。
続編.・鏡の国のアリスの冒頭でダイナが仔猫を生みます。その名前が、キティです。
サンリオのキティちゃんはここから来てるそうです。
小学校の頃、女子が持っていた「いちご新聞」に書いてありました。
いちご新聞とはサンリオが毎月出してる機関紙で10日が発売日です。
いちご新聞なのだから、15日発売にすればいいのに、と思います。

一昨日、診療を終え、階段を降りて、駅へと向おうとしたら、くすりのセイジョーの前に女の子が立っていた。
アジア系の背の低い子で何かに困っているようだった。「道に迷ってるのかな?」と思って声をかけたら、可愛い子で、手書きのポップ(綺麗な日本語で、色んな色でデコレーションされてた)を見せ、
「私はダイアナと言います。留学生です。今、コロナで生活に困窮しています」と、だから何?と思ったら、
「手作りのお菓子があるので買って下さい」と紙袋の中身を見せられた。
僕は食物に関しては潔癖症なので、断って帰ったが、途中の道で「やっぱり可哀想だな」と思って引き返そうかと思った。でもやめた。
クセになってもいけないし、厳しいけど世の中そんなに甘くないから。
そしたら、受付のスーちゃんもダイアナに捕まっていたそうだ。
スーちゃんはイヤホンをしてたから何を言われたかわからなかったが、やはり何か困ってるのかと思い、イヤホン外して聞いたら、「お菓子を買って」と言われたらしい。ダイアナ、すごいな、カワクリの二人の足を止めさせた。
しかし、スーちゃんによると、「今、こういう詐欺が流行っているらしい。それに路上でお菓子を売るのは違法だそうで、そうじゃなくても何が入ってるかわからないから捨ててる人が多い」という。
値段も一個、千円とかするらしい。

コロナで困窮してるのは外国人留学生ばかりではない。ちょっと前にナイナイの岡村がラジオで問題発言して謝罪したような現象が身近で起きている。
僕は基本的に職業に貴賤はないと思っているし、人類で一番古い仕事は「売春」だと中学の時に習ったし、風俗関係の仕事についてる女友達もいるし、そういう場で救われてる男がいてそれを糧に頑張って世の中は循環してることも実感しているが、
小さい時からみてる患者さんが「お金に困るから風俗で働こうと思う」と聞くと、切ない気分になる。
お金が必要ならその分やろうか、とか、でもそうすると本人のプライドを傷つけそうだから、出勤時間の予約を全部抑えてやろうかとも考えた。
しかし、そんなことしても何の解決にもならないかぁと悶々としてる訳である。

若い頃に友人と知らない町で、フィリピン・バーに入った。接待を伴う店である。友人は隣に座ったフィリピン人を気に入り、2万円を手渡して、「これをやるからこんな店をやめて国へ帰れ」と諭してて、店の人に怒られてた。僕はそれをみてて、そんなことで辞める訳ないじゃん、と思ったものだが、今や自分が同じような発想になっていた。
そんな過去もひっくるめて余計な事を考えさせやがって、急に腹が立ってきた。チクショ~、ダイアナめ。

BGM. 谷啓「愛してタムレ」


2 Replies to “愛してちょうダイナ”

  1. 川原先生こんばんは。

    ちょうどこの記事を読んだ後、泣きべそをかきながら道に立ち尽くす男の子を見ました。まさか、ダイアナか?と思いましたが、可愛そうなので声をかけると、ただの迷子でした。幸い一緒にお母さんを探したらすぐに見つかりました。

    先日診察を受けた帰り、関内駅で途中下車をして夫と待ち合わせたら、お店の前に車椅子の方が1人でいました。珍しいタイプの車椅子だなぁと見ていたら、それはなんと乙武さんでした。後から、「ヤバイ、俺、握手して下さいって言いそうになったよ」と夫が言ってましたが、乙武さんならそれくらいブラックジョークにして余裕で返してくれそうだなと思いました。それに、腕先で握手出来るし、そもそも、コロナ禍だから握手はアウトだし。車椅子の方は見慣れていますが、乙武さんの印象は、圧倒的な障がい者感のなさでした。心が自立しているからなんだろうな。

    P.S
    いつも通り仕事に行きました。でも、そろそろ、限界の先に来ている気がします。早退しようか考えましたが、午後の人のことを思って最後までやりました。すごく疲れているんだけど、なんだか色んな感覚が麻痺してきて、喜怒哀楽が鈍いです。

    本当は、明日からでも休職したい笑。

    1. いずみさん、こんばんは。

      つらい時にこそ、ユーモアを忘れない、モットーを感じさせるコメントですね。感心です。
      僕の好きな太宰治を思い出します。自殺しないで下さいね。
      この世に命を懸けてまでやり通す価値のある仕事なんかあるわけないのですから。

      今日、「断捨離」に詳しい人と話をしていて、僕が母の生前の原稿をみつけて捨てれない、と話したら、「それは愛着ではなく、執着です」と言われてなるほどと思いました。
      その原稿は仮に僕が死んだら、残された人も処分に困るだろうし、いらないだろうし。それがあろうとなかろうと母への思慕の情は変わらないですし。
      そう考えると、捨ててもいいことになりますね。そうやって「断捨離」ってしてくみたいですが、僕はちょっと引っ掛かり、
      「とっておく必要がないのはわかったが、捨てたらバチが当たりそうで怖いんだ」って言ったら、「じゃ、とっておきましょう」と言われました。呆れられたのかも。

      何を言いたいかというと、無理をしないようにして下さい。頑張って、頑張らないようにして下さいね。←矛盾した逆説的なコントみたいなエールですね。ではまた~

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です