予告ブログ④~「BELLRING少女ハート」のライブのレビュー

29/Ⅳ.(水)2015 はれ
近年はアイドル戦国時代と呼ばれているが、僕はかねてからベルハーの「朝倉みずほ」に注目している。
それは、「朝倉みずほ」のパフォーマンスにではなく、「朝倉みずほ」の持つファンのキープ力が、
我々の臨床にも通じるものがあるのではないか、とニラんでいるからで。
この日のライブ、「あくび」~BELLRING少女ハート&川本真琴withゴロニャンず~では、
みずほのそれを説明するのに、うってつけのエピソードがあったので紹介しようと思います。
今日の記事は前日の記事、「GWはライブ三昧~今日は新宿LOFT」の続編です。
これを最後まで読んでくれて、みずほ、を知らない人は、みずほ、を理想化するかもしれません。
断っておきますが、僕が言いたいのは、みずほ、の持つキープ力の高さと洗練さが我々の日常臨床にも参考になるのでは?
という点で、アイドルとして朝倉みずほの歌唱力とかダンスとか演技力とかが卓越しているという意味ではないですからね。
ユーチューブで、
「2014.2.15 BELLRING少女ハート 朝倉みずほちゃん生誕特典」という動画をみつけました。
「夏のアッチェレランド」と「ボクらのWednesday」の2曲を無人の会場でピンで歌い踊っています。
どう感じるかは人それぞれですが、とりあえず、ぶっ飛ぶと思います。
3回みると中毒になるから要注意です。
話を4月29日(水)の「あくび」~BELLRING少女ハート&川本真琴withゴロニャンず~のツーマンライブに戻します。
ベルハーのオープニングは、旧メンバー4人で「ライスとチューニング」。
いきなり、みずほ、のラップ!
その後、新メンバー3人が加わり他3曲を披露した。
詳しいセトリを知りたい人は、ベルハーのホームページから「もえち」のブログへどうぞ。
「もえち」は、いつもライブの様子やセトリを詳しく書いてくれているので、それを参照すると楽しいです。
そして、川本真琴withゴロニャンず、にバトンタッチ。
僕はそこでライブハウスの後方に移動。
ツーマンの良い所はお互いのファンが出番によって場所を譲り合う所だ。
川本真琴は何曲か歌った後のMCで、
「今日のお客さんはベルハーのファンですか?それとも川本真琴の目当ての方ですか?」
と客層の大体の分布を把握して、
「大丈夫です。川本真琴のファンでも知らない曲ばかりですから」
と言って会場の笑いを誘った。
それが川本真琴の現役感で、単なる懐メロ歌手とかアニソン歌手ではないというプライドにもみえた。
気が付けば、僕の陣取ったすぐ横にベルハーのメンバーとプロデューサーが立っていた。
彼女らは、こうやって日夜、客席から、先輩達の芸を観ているんだ。
やっぱり、芸は盗め、って言うのが正しい姿勢だな。
教育カリキュラムなんか充実させたって、逆に甘えが生じて、後身は育たないのかもしれないな。
そんなことを思って、僕も川本真琴のステージを観賞した。
しかし、ステージがブレて見える。ベルハーのオープニングで暴れた時に、メガネを落としてしまったようだ。
僕はお客さんには失礼して、床に這いつくばって、往年の横山やすしのギャグの様に、メガネ、メガネって探してたら、
ベルハーや川本真琴のファンは親切ですね、一緒に暗がりの中、僕のメガネを探してくれました。
そして、川本真琴の演奏中なのに、川本真琴のファンが僕のメガネを発見してくれました。
その瞬間、周囲には小さな拍手も起こって。ありがとう。皆、やさしい。
しかし、僕は大森靖子ちゃんのコンサートの時もメガネを忘れて行くなど、眼鏡関連の失錯行為が多すぎる。
きっと、これは物の見方が狂ってるぞ、とか、正しく物を見直せ、という「しらせ」に違いない。
御眼鏡にかなう、って言い回しもあるな。
目上の人に気に入られたり、実力を認められたりすることの意味だったと思う。
御眼鏡にかなわなくなって来たのか?
色々と思うことはある。
だけど、まずは、メガネの度数を調べ直す所から始めてみよう。
タロット占いと同じで、深読みは危険だ。
ステージでは、川本真琴はトロピカルな曲調の曲を中心に披露して、自分の出番を終えた。
そして、一旦、引っ込んだと思ったら、ベルハーのメンバーを呼び入れ、お約束の、コラボ・タイム。
「FNSうたの夏まつり」では、川本真琴はしょこたんと競演したそうだから、ここで「1/2」を期待した。
だけど川本真琴、しょこたんとのコラボで何かトラウマでも受けたのかな。
川本真琴は、言行一致、コラボでも、徹底して自身の代表曲をやらなかった。
かと言って、気合は十分で、ベルハーと川本真琴はこの日のコラボのために、練習を積んで来たと明かした。
その選曲は「男女」という、可愛いにも程がある、ベッキー・クルーエルが世に出た曲と、
ローリング・ストーンズの「サティスファクション」の2曲だった。
「サティスファクション」は「満足」の意味だが、予定調和的に言えば「1/2」をやらないのは少し「不満足」だったな。
ちなみに、「もえち」のブログのセトリには、「サティスファクション」のことを、「サディスファクション」って書いてあった。
「もえち」はベルハーの中では年長な方だが、そうは言っても若いから、ストーンズのこと、よく知らないみたいで。
きっと、攻撃的なロックな姿勢=ドS=サディスティック、とサティスファクションが混ざっちゃったんですかね。
そんな誰の得にもならない考察をしてみました。
「サディスファクション~」。
そして、ライブはベルハーが再登場して、大いに盛り上がった。
ベルハーは、ライブ会場でグッズを買うと、スタンプカードにハンコを押してくれる。
下が、ベルハーのスタンプカード。アストロモンスのフィギュアに持たせてみました。
ちなみに、アストロモンスは「ウルトラマンタロウ」の初回に出て来た怪獣。↓。

上のベルハーのロゴ・マークをネイルに取り入れてみました。↓。

僕は「あくび」の記念Tシャツを買ったら、30ポイント溜まって、メンバーのコメント入りDVDと交換可能になった。
僕はてっきり、あらかじめ録画されているものをくれるのかと思ったら、1枚づつ作ってくれるらしく名前を聞かれた。
そして、「誰のDVDにしますか?」と聞かれて、これもてっきり全員が揃ってメッセージをくれるのかと思ってたら違う。
推しメン、を選んで、そのメンバー1人がメッセージを吹き込んでくれるみたいだ。
僕は、ベルハーという特異なアイドル・ユニットに興味があって、特にこの子を推している、というのではない。
でも、不意打ちで、誰か1人を選択しなければならい場面になった。
後ろには行列が出来ている、考えている時間はない。
僕は、「ソフィーの選択」の、メリル・ストリープのように反射的にメンバーを選ばなければならなかった。
その場面で、咄嗟に僕の口から出たメンバーの名前は、「みずほ」だった。
スターに必要なのは、こういう引きの強さだ、とよく言われる。
そして僕はコインを2枚、もらった。これ何に使うの?
僕はベルハーのライブは久し振りで、セカンド・ワンマン以降、物販のやり方がよく判らないので、
詳しそうな人に聞いた。
すると、そのコインは1枚でチェキを、もう1枚でそのチェキにコメントを入れてくれるらしい。
ライブが終了してから、チェキ列が出来る。
僕はコインを2枚握り締め、「みずほ」の列に並んだ。
みずほ、の列だけ異様に長く、みずほの列はすぐ受付終了になっていた。
僕が始めてベルハーを知ったのは、新宿のタワレコのインストア・ライブだった。
その日、何かの用事でたまたま寄ったのだが、それは運命なのかしら、彼女達のステージに出くわし、
衝撃を受けた。
黒いセーラー服にカラスの様な羽根をはやした衣装は、アイドルらしくない。
メンバーは6人とクレジットされているのにも拘らず、ステージ上には3人しかいない。
音程は外れ、踊りもバラバラ。
そして、1曲歌い終わる度に、お互いの立ち位置が違うとか歌詞を間違えてるとか注意しあっていた。
今時の若い子は器用だから、素人でも、もっと達者だ。学芸会以下のステージだった。
しかし、楽曲は良くて心に沁みて、ハラハラさせられるパフォーマンスは目を離せず、
結局、最後までライブに釘付け。
勢いでCDも購入して、握手会にも参加してみた。
ベルハーのファンは握手をする時に長くメンバーと喋るから、自然と時間が押していた。
タワレコのインストア・ライブは時間きっちりに終らせないといけない。
ベルハー関係者は焦っていた。
約束を破って、2度と使えなくなったら困るからだと思う。
僕は後ろの方の順番だったが、途中から、ベルハーのスタッフが長いファンを打ち切るように介入して行った。
そして僕の番になった。
僕はその時は誰が誰かも判らなかったから順番に握手して記念にチェキを撮って帰るつもりだった。
今思うと、その時の3人は、じゅり、と、もえち、と、みずほ、だった。
順番に握手をして、彼女達が何か言うのに相槌をうつだけだったから、スピーディーだった。
僕はベルハー・スタッフから「早くして」とお願いされる事態にはなりようがなかった。
そのはずだった。
ところが、みずほ、である。
最後の、みずほ、は前の2人と違って何も喋らない。ただニコニコしている。
僕が握手を終え、その場を去ろうとしたが、みずほ、は手を離さないのである。
僕は戸惑った。みずほ、の力はそんなに強くはなかった。しかし、その手は解けなかった。
つかまった、という感じだ。キャッチされた、という感覚だった。
ジョン・レノンを射殺したチャップマンの愛読書としても有名な「ライ麦畑でつかまえて」で主人公は、
将来なりたい職業などはないが、もしなるなら、ライ麦畑のつかまえ役だと語っていた。
それは、広いライ麦畑に大人は自分しかいなくて、後は皆、子供で、子供は夢中で走り回っているけれど、
ライ麦畑の向こうは絶壁みたいな崖で危なっかしい。
なのに子供達は走ってる時は、どこを走ってるかなんて見やしない。
だから、そこでの仕事は、崖から落ちそうになった子供を見つけたらさっと素早くつかまえてあげること。
そんなことを1日中やるのが仕事。本当になりたいものはそれしかない、と言う。
僕は常々、精神科の仕事は、ライ麦畑のつかまえ役に似てるなぁ、と思っている。
そんな「ライ麦畑でつかまえて」の原題は、
THE CATCHER IN THE RYE
だ。英語に詳しい人に聞いたら、CATCHには、捕獲して捕まえたらしっかりと離さない、
という意味があるらしい。
何を言いたいかと言うと、みずほ、の握手は、そんなCATCH、だったのである。
そのせいで、僕はベルハーのスタッフから、
「すみません。時間が押しているんで下がってもらっていいですか」と催促されて。
僕は<すみません>と恐縮して下がろうとするが、それでも、みずほ、はニコニコした顔で手を離さない。
すごい度胸だ。
僕はベルハーの運営スタッフからは離れてと言われ、ベルハーのメンバー(みずほ)からは離してもらえない。
どっちにすればいいんだ?という、ダブル・バインド状況。この初対面のインパクトは強烈だった。
僕の毎日の診療も、タワレコの握手会と同様に、時間との戦いだ。
なるべく1人の診察時間は長くしたいが、他の患者さんの待ち時間は短くしたい、と云う絶対的矛盾を併せ持つ。
精神療法的に云えば、絶対的矛盾が発見されたら、それはその人のテーマである、と言われている。
なるほど、まさにこれはカワクリのテーマだ。
僕はその解決策に、タワレコ体験を応用できないかとあれこれ考えたりもした。
強面のスタッフを雇って、
「もう時間だ、早く切り上げろ!」と診察室に乱入させ、僕はニコニコして、
<大丈夫、大丈夫>と面接を続ける。
みずほ、の真似をして診察場面でダブル・バインド状況を人工的に作ってみる。
でも、よく考えたら、ダブル・バインド・セオリーって精神病を作る親の態度だって、ベイトソンは言ってるから、
反治療的だ。
従って、却下。
「何をもって治療的か?」という議論もあるが、精神科で治療的だと言われている概念に、
ホールディング、というのがある。
holding
は、「抱えること」とか文字通り「抱っこ」と訳されることもある。
それは治療環境の提供とか、安全な環境のお膳立てとか、心理的な支持とか、
患者さんの抱える問題を丸ごと抱えるとか、多様な意味がある。
ホールディング、は「抱っこ」って訳があるから、母親的でやさしくフワッとした毛布でくるむような印象を持たれるかもしれない。
でも、これも英語に詳しい人に聞いたら、holding、にはcatching(捕獲する)の意味もあるらしい。
子供がライ麦畑の崖から落ちそうになった時に、つかまえるやり方は、やさしく抱っこするようなやり方では無理で、
手を引っ張って、力ずくで抱きしめて、安全が保障されるまで決して離さないことが大切だ。
ちょっと荒っぽくてもね。
それで思い出したのだが、ビートルズの初期の代表曲「抱きしめたい」は結構な意訳で、原題は、
I Want To Hold Your Hand
だ。
直訳すると、君の手を握りたい、だ。
ホールディングの文脈で云うなら、握りしめて離さない、って感じかな。
そうそう、みずほ、の握手ってそんな感じだったんですよ。
レノン=マッカートニーと意味的に一緒なんだから、ね、すごいでしょ?、みずほ。
そんな、みずほ、と握手するのは、随分と久し振りだ。
なんか最近は、ついついBABYMETALや上坂すみれや大森靖子に気が散っていたから。
さっきも言ったが、みずほ、の列は長くて、ライブが終ってかなり時間も経っていた。
明日は仕事だから、僕はササっとチェキを撮って帰ろうと思っていた。
すると、みずほ、は僕を見て、「あっ、久し振り~!」と手を振った。
そして、その手の平を僕の目の前に差し出して、「ちょっと待って」と言って、「かわはら、さん!」と名前を当てた。
名前を覚えててくれるのは、ファンとしては嬉しいものだ。
だが、人の名前を覚えるのが得意な人は一定数いる。
だから、これだけをもって、キープ力、と言っているのではない。
それは、つまり、こんなことなのだ。
僕は、みずほ、とチェキを撮り、それにコメントを書いて貰うのだが、みずほ、は「どうする?」と言う。
僕が<?>と応えると、みずほ、は「今度の時に渡すので良い?」と聞く。
みずほ、の列は長蛇の列だからね。
僕は、<今度って言われても…いつ来れるかな?>と優柔不断に迷っていると、
みずほ、は「じゃ、今度、渡すね」と次回予約をとってしまった。
しかも、それが営業的でもなく、強制的でもなく、お願いでもなく、おねだりでもなく、マニュアルでもなく、自然なのだ。
「じゃぁ、またね」って感じで。
僕は仕事柄、逆の立場になることはあって、なるべく、予約をとってあげるようにしてあげてる。
ただ、臨床の難しいのは、そう云う患者さんもいれば、逆に「もう来なくて良いよ」と言って欲しい人もいる訳で。
そういう人を見損なって、無理矢理に繋ぎ止めると、金儲け主義、とか悪口を言われそうだし。(笑)。
ま、そこの見極めはセンスですね。
我々の仕事は、営業色が出るのは致命的だけれど、お金と時間を使う価値がある、と思ってもらう説得力がなくちゃね。
経済原則の中で暮らしてるから仕方ないけど、お金が絡むと、縁とか誠意とかを証明するのは難しいけど。
そこもアイドルと僕らの仕事と共通する点があると思う。
みずほ、のキープ力の高さとは、僕のように1回離れかけたファンがフラッとやってきたワンチャンスを決して逃さないことで。
これは勉強になった。
アイドルのファンをやっていると複雑な心境になることが多い。
家で動画や音楽を聴いてる分には、自分とアイドルだけの2人の関係だけなのだが、
ライブ会場に行くと、自分より断然、気合の入った、年季の入った、ファンを見かける。
そうすると、何故か、ひどく落ち込むのである。
<俺の入り込む余地はないな>とか。
ファン同志の仲間に入ることも出来ないし、ついつい弱気になってしまうのだ。
それは、アイドルとの物理的な距離と反比例するのだ。
近いほど、そうなる。
だから、BABYMETALやきゃりーちゃん(アリーナ・クラス)では味わわない。
上坂すみれや大森靖子(中サン)でも、感じなかった。
しかし、ベルハーは近い。だから、実感してしまう。
そういうのが無意識的に働いて、ベルハーのライブから遠のき、他のライブに手を広げ、濃度を希釈していたのかもしれない。
サザンオールスターズの「シャ・ラ・ラ」じゃないけれど、
♪えり好みなどばかり良い訳ないじゃん、目移りがクセなのさ。あなたの事が頭にチラついて、シャ・ラ・ラ。♪
僕は想像するのだが、患者さんの中には、僕が今、言ってる事と似たような事を診察に対して思ってる人がいる気がする。
僕の臨床スタイルは、<入り口は病気の症状でも、結局は、人生での色んな相談事は事欠かないから、
診療は終わりがあるようで、明確な終わりはない>、というスタンスだから。
狭義の病気以外の人も、たくさん来ている。
だから、待ち時間が長かったり、待合室に患者さんが沢山いると、ライブハウスの時の僕の様に、「来てて良いのかな?」、
と考える人も多そうで。
僕にとってのベルハーのライブのように遠慮したり、いじけたりして、足が遠のく人も結構いると思う。
「僕みたいな相談で来てて良いんですか?」とか「もう良くなったから来なくて良いと言われるのではないかと不安です」
などと実際に言われることもある。
そんな風に直接、言える人はまだ良い。
思ってても、言えなくて、理由を語らないままに、自然とフェイド・アウトして行く患者さんもいる。
そういう人が何かのきっかけで、1年くらいして、フラっと再び、訪れることがある。
そこで肝心なのは、そのフラッと来たワンチャンスを、しっかりつかまえることで。
きっかけなんて、何だって良い。川本真琴くらいの理由で良い。
むしろ、しばらく来なかった理由を喋れるように話を持っていけると良い。
今さらって話かもしれないけど、今だから言えるって話もあるし。
と言う訳で、僕はベルハーのライブに再び、通うことになると思います。
月1定期公演「第一回消エル赤血球」に行くことにしました。
その報告は、また今度。
ちなみに、出会いの関係性は普遍的で、この日の僕も混んでるから、気を遣ってサッサと帰ろうとした。
すると、みずほ、は「早いよ、まだ行かないで」と僕を引き止めた。
「早いよ、まだ行かないで」と言うフレーズが、なんかセクシャルな意味を含んでるような妄想をしてしまい、
<こいつは魔性か?>と僕はそれで頭が真っ白になり、その後、みずほ、が何を喋っていたのか、全然、覚えてない。
さて、いよいよ、シリーズ、GWはライブ三昧~、は残すところ、しょこたんのバースディ・ライブ2Daysのみとなりました。
5月中に書き上げるぞ!
BGM. BELLRING少女ハート「ボクらのWednesday」


GWはライブ三昧~ポールを観に行く!2015

27/Ⅳ.(月)2015 はれ
僕は今週は少し体調を崩しぎみで、風邪っぽい症状。熱はないが喉に少し違和感があって、鼻が出る。
僕は花粉症ではないけれど、遅れて花粉症を発症したのかなとも思った。
だけど、花粉のシーズンももう終わったのに今頃花粉症になる、なんて発想はバカらしいなと思った。
すると「バカは風邪をひかない」というフレーズが頭を支配し、<あれ?俺はバカなのか?>
<だから風邪じゃないのか?>とか。
<俺はバカじゃないから(そう思いたいから)風邪をひいたのか?>と訳が判らなくなってしまった。
日本人には言霊思想というのがある。
僕は寝る前に、<風邪はバカがひくものだ>、と毎日10回繰り返し自分に言い聞かせるようにしてから寝て、
栄養ドリンクと葛根湯を倍量飲んでなんとか乗り切った。
今日はポールのコンサートだが、その前に午前中に日吉でエネルギー療法を受ける。
先生に、今週の体調を説明すると、「では、アレルギー・チェックをしてみましょう」と調べてもらった。
アレルギー・チェックと言っても内科でやるような血液検査ではなく、
僕は横たわり顔にタオルを掛けられているから、何をされてるのかはよく判らないのだが、
両手をダランとしていると先生が両腕を伸ばしたり縮めたり引っ張りながら、
まるで長門有希の様に、口の中で何か呪文のような数字を唱えてる。
で、出た結果が、アニサキス、だって。
医学生の時、「病害動物」という授業で習いました。
アニサキスってイカに住む寄生虫ですね。
ところで、上から読んでも下から読んでも同じになる文を回文と言うが、「談志が死んだ」とか「竹やぶ、焼けた」が有名で、
「イカ、食べたかい?」も回文だ。昨日、大森靖子のコンサートの後に回転寿司に行ったから、そのせいかな?
エネルギー療法では、風邪の症状を思い浮かべてイメージして下さい、と言われ、そうしてると額や口鼻の周りに風が流れるような体感で、
くしゃみを二回と咳を二回したら、すっかり具合が良くなっていた。
ありがとう。お陰で万全の体調で、ポールのコンサートに臨めます。
何か、お土産、買ってきますね。
僕は、昨日、美容院でこの日のポールのコンサートのためにヘアスタイルを初期のビートルズをイメージしてマッシュルームにしました。
ネイルはブリティッシュ仕様にしました。↓。

ちなみに去年もポールの来日公演は予定されていて、僕はチケットも持ってたのですが、ポールが腸捻転でライブが中止になりました。
そう言えば、「5/18問題」の頃だ。
あれから1年かぁ。
もっと以前のような気もするなぁ。
今回のチケットも、前回&前々回同様に、僕の30年来の親友のF.が用意してくれた。
ポールの東京ドーム公演は、1日おきで、(木)(土)(月)の予定だった。
カワクリの休診日は(月)だから黙ってても(月)をとってくれる友情は、今さら照れくさいから礼は言わない。
グッズは、パンフレットとポスターと巨大ブランケットをクリニックに置きました。
今回、お世話になった「エネルギー療法の先生」と「美容師さん&ネイリストさん」にはタオルをお土産に買いました。
クリニックの入り口の所の机に、パンフレットを置いときましたから、良かったら見て下さいね。↓。

ポスターは、喫煙所です。一昨年のから、リニューアル。↓。

診察室の入り口扉正面の壁には、東京ドーム限定のリトグラフを、当日のチケットと一緒に。↓。

巨大ブランケットは、テレビモニター側の、「けいおん」の垂れ幕を少しずらして飾りました。↓。

ところが、これは完全に遮光効果が高くて、今朝、クリニックに着いたら、待合室が真っ暗でした。
「もっと光りを!」のモットーで、受付の後藤さん&小森さん&山﨑さんが試行錯誤してくれ、結局、診察室に飾りました。
皆さんの座る位置の右後方のソファの方の壁です。
多分、普通にしてたら、視界に入らないです。興味があったら、振り返って見てみて下さい。
巨大で、ビックリしますよ。↓。

コンサートは、一曲目から、マジカル・ミステリー・ツアー。大盛り上がりです。
「バック・イン・ザ・USSR」とか「バンド・オン・ザ・ラン」とか「へルター・スケルター」なども凝った演出で。
僕はクリニックのモニターで流す映画の候補作品を絞るべく、最近007シリーズを観ていたから、
「死ぬのは奴らだ」のエキサイティングなステージが1番良かったです。花火がボンボン打ち上げられてて。↓。

セトリはすごく良くてポイントポイントで感動のツボを抑えてて、「ザ・ロング・アンド・ワインディング・ロード」とか
「ヘイ・ジュード」とか「レット・イット・・ビー」とか「イエスタディ」とかジョージの「サムシング」をウクレレで演奏とか、
もう泣きますよ。
今日のポールは絶好調で、F.とも話したんだけど、ポールは、2年前より若返っていましたよ。
ノンストップでアンコールも2回やって、それもすぐ出てきて、全く休まない。
一昨年の記事にも書いたけど、メンバー紹介や他のメンバーの演奏とかで時間を稼いだりしない。
水も一滴も飲まない。
晩年の立川談志は糖尿病も患っていたから、口が渇いて、高座で湯飲みのぬるま湯を飲むことがしばしばあった。
その度、談志は、「本当は飲んじゃだめなんです。自分の唾液で潤わさいと」と言っていたのを思い出す。
ポールに詳しい人の話だと、ポールが水を飲まないのは、「ライブ中に水飲むのって格好悪い」って言う理由なんだって。
格好良い!
F.は、「ポールって73くらいだろ?君の指導教官だった精神療法センターのA.教授が退官したのが60だろ。
それと比べて、10以上も上なんだぜ。すごいよな」と僕の恩師を引き合いに出して、僕の恩師を軽くディスって。
本当に最後の曲が終わった後、ポールが「また来るよ」と手を振ったら、それまでは静に座って観ていた僕の隣のおばさんが感極まって、
急に立ち上がって、「ポール!」って歓声をあげて、大きく手を振りながらジャンプしていた。
そして、振り向き様に僕の顔を覗き込む、その顔は泣きじゃくってて何の液体だか判らない程ぐちゃぐちゃで、眉墨とかオシロイとかが崩れて、
まるでキッスみたいなメイクになっていて、感動の坩堝って言うのか、リビドーのドツボって言うのか、
「良かったわよね!」
と感動の共有を強要してくるから、僕はその勢いでこのまま唇を奪われるんじゃないか?って貞操の危機も感じて。
キッスだけに。
一方のF.は隣のカップルがずっと歌を歌ってるのは良いのだが、それが恐ろしい程に音痴で、調子っぱずれで、
そのせいでポールの歌より、隣のカップルの歌に気がとられてしまったと嘆いていた。一度、気になるとそうかもね。
ライブってそういうものだよ。グルーヴって云うんですかね?
しかし、そんなエピソードが指し示すのは、さすがポール・マッカートニー、会場は一体となり、感動のステージ、
感動のフィナーレ、感動の余韻を皆が持ち帰って、明日からもまた頑張ろうと口々に感動を言葉にして帰る駅までの道のり。
感動って単語しか使ってないから、ボキャブラリーの少ない人間のように思われそうだが、少ない語彙で伝わるなら、その方がコミュニケーションの質は良い。
明日の(火)は武道館が追加公演になった。
武道館は1966年にビートルズが来日公演をした聖地。
ビートルズが武道館を使う時って、使用許可を取るのが大変だったってドキュメンタリー番組を観たことがある。
柔道連盟とかの人が、「男のクセに長髪でチャラチャラした外人に、日本武道館を貸せん!」みたいな。
でも、なんとかそこを直談判した男の苦労話だった。
そのお陰で、ロックを志す者のとりあえずの目標は、今でも「めざせ!武道館」が合言葉になっいてる。
「けいおん」の放課後ティータイムのメンバーもアニメの中でそう言ってた。
だけど、F.が言うには、武道館のチケットは10万円だって。
さすがに高いね。
でも、C席という見切れ席(25歳以下に限るらしいが)は2100円らしい。
お金のない若い人にも、生のポールを観せてやろうという思惑で、その料金設定はビートルズの当時の入場料(2100円)
と同じという粋な計らいらしい。
そう言えば、ビートルズが女王陛下から勲章を貰った時のライブ映像で、
良い席に偉い人やその婦人が招待されていて、ファンの女の子が2階席にいた。
そこで、ジョン・レノンは、「後ろの人は声援を。前の人は宝石を鳴らして下さい」と皮肉なMCをしてた。
そんな連想もしてしまう価格のバランスだ。
でも、明日の武道館は、きっと、今日とセトリは違うんだろうなぁ。
帰り道、僕とF.は感動も覚めやらず、「勤務医だったら明日休みをもらって武道館に行ったな」と冗談を言った。
勿論、冗談ですから。
勤務医は勤務医で大変だからね。
ちゃんと訂正しておかないと勤務医に怒られるからな。
「川原達二の十中八九N・G」は業界視聴率が高いから。
ちょっと変な事を書くとすぐクレームが来る(笑)
それも「コメント」欄にじゃなくて、直だから、参るよ。
そもそも断ってるじゃん、十中八九N・G、だって。
まぁ、だからと言って誤解を生む様な記事を書いて良い訳がありません。
ネットにもマナーがあります。
勤務医だって、休みませんよ。逆に、開業医だって休みますよ。
とにかく、誤解を招く、不適切な発言でした。
今度、きつくF.に注意しておきますので。
さて武道館公演だが、おそらく近いうちに西新宿あたりの海賊版屋でブートレックが売られるから、それで我慢しよう。
F.にも毎度ポールのチケットを取ってくれるお礼代わりに武道館の海賊版を買っといてやろう。
あいつは、近頃、調子に乗って特注サイズの液晶テレビを買ったと自慢気に話してたからな。
ちょびっと、羨ましかったから。
その特大のテレビモニターで画質の粗い海賊版の映像を観させ、無駄遣いを痛感させよう。良い薬だ。
きっとF.の奥さんにも感謝されるだろう。
そう言えば、一昨年のポールの記事は、半分以上、ポールはポールでもポール牧の事を書いた気がする。
まるで懲りないようだが、ポール牧についてちょっと話したい。
前置きとして、僕は常々、精神科医と芸人の社会的な役割は似てる所があると思っている。
例えば立川談志の「落語とは人間の業の肯定」というのと、フロイトが精神分析で言ってる事は重なる部分が多いと思う。
それは人間は社会的な動物だから、世の中を平穏に暮らすためには皆が好き勝手にやっていたら秩序がなくなって大変になる。
だからある程度、平等に自我をセーブして、共有するルールが必要になる。
それは法律だったり校則だったり常識だったりする。
これらは皆が少しずつ我慢して譲歩して出来たものだから、生理的には不愉快なものである。
だけど、だからと言ってそれを破るのは社会的には不適合である。
だけど、やっぱり不愉快である。
それは常識たちがさも偉そうに絶対善みたいな態度でいるからで。
だから、「不愉快だ!」って思うだけなら、言葉にするだけなら許されるのではないか。
それを別の視点から見て、「常識って疲れません?」って道化として口火を切って抑圧を解放してあげるのが芸人の役割で、
「そりゃ常識は疲れますよ」と社会的地位のある立場から同意するのが精神科医の仕事だと思う。
違いは、対象にする相手が、芸人は大勢で、精神科医は個人であることかな。
ね、似てるでしょ?
ポール牧は、僕らの世代にはビートたけしのオールナイト・ニッポンでホラ吹きネタでブレイクした。
結局は、自殺しちゃうんだけど、それ以前にも自殺未遂騒動とかがあって。
そういう修羅場をくぐって来た人で。
芸人としてのプライドも高くて、自らのスキャンダルもつつみ隠さず喋っていた。
「芸人だったら、どんなに追い詰められたかをさらけ出して語るのは決して恥ずかしいことじゃない。
むしろ、それを隠して生きていく事の方が恥ずかしいことだ」ってポール牧は言っていた。
このポール牧の「芸人」を「精神科医」に置き換えたらどうなるのだろうか、と僕はよく思う。
精神科医だって人間だからしくじったりもする。場合によっては、社会的な制裁を受けることもある。
そんな時、それをきちんと受け止めて、それをこれからの仕事にどう活かして行くのかが人間としての度量の差になる。
精神科という専門性だからこそ出来る内省の仕方や総括の仕方があるはずだ。
その葛藤や苦悩や絶望からの信用回復のプロセスを見せるのが真摯だと思うし、誰かの手本になるかもしれない。
ポールだって日本で大麻所持で逮捕された過去があっての今なんだから。
ポールに習おうぜ。牧にも、マッカートニーにも。
BGM. ザ・ビートルズ「ザ・ロング・アンド・ワインディングス・ロード」


男達のホワイト・デー

今回は、以前のブログ記事「タグ」の中で予告した「ゆたかさん」と中西先生の友情を軸にした特別企画です。
「男は強くなければ生きて行けない、優しくなければ生きて行く資格がない」
知らない皆さんも多いかと思うので説明すると、これは「野生の証明」という映画のキャッチコピーでした。
「野生の証明」は、「人間の証明」に次ぐ角川映画の第2弾で、薬師丸ひろ子のデビュー作です。主演は、高倉健。
ちょっと男っぽい、導入をして、2人にゴマをすってみました。
先日、「ゆたかさん」から電話をもらった。
「ゆたかさん」は僕の大学の先輩で、それは恐ろしい先輩だった。
出来れば、あまり関わりを持ちたくないような怖い人だった。
昔の上級生には、本当に恐ろしく怖い人がいたものだ。
それに比べて、中西先生の優しかったこと。
その二人が同期で仲良しだと言うから、人生は味わい深い。
僕の入学した大学には、学生会館というロッカーや食堂やロビーのある棟があった。
そこの1階にはジュースの販売機や喫煙スペースがあり、ベンチがあって学生の休憩場所だった。
学生の休憩場所だから、自由に使って良い物と思い、入学したての僕は派手な格好でデカイ態度でくつろいでいた。
その頃の学生会館を牛耳っていたのが、「ゆたかさん」だった。
僕は何人かの人に、「ゆたかさん」に目を付けられない様に注意しろ、と忠告を受けていた。
しかし、僕はまさか大学生にもなって、そんな原始的な上下関係が通用するものか、と相手にしなかった。
「ゆたかさん」はしばらく僕を泳がせて様子を見ていたらしい。
そして、僕の一挙手一投足を観察しては、周りのものにリサーチしていた。
僕のクラブの先輩は、普段は喋ったこともない怖い先輩に呼び出され、僕の事で尋問されたらしい。
「あいつは、なんで、南軍の帽子をかぶって、学校に来てるんだ?」
「あいつは、なんで、フェース・ロックにチキン・ウイングを合体させた技を使うんだ?」
僕の先輩達は可愛そうに、僕の服装やプロレス技のことで、問い詰められ、答えられないと鉄拳制裁だ。
そして、先輩達は、「川原、なんで、その帽子なの?それより目立つ格好、やめて」とか、
「川原、なんで、チキンなんとかって技を選んでるの?それより、学生会館でプロレス技、かけないで」って懇願した。
僕は当時、アメ横の中田商店というアーミーな店で軍隊の服を買って来ては好んで着ていた。
また当時は、UWFがブームで、ス-パー・タイガー(佐山サトル)がチキン・ウイング・フェースロックを流行らせた。
「ゆたかさん」は古くからのプロレス通だとは聞いていた。
だから、僕は学生会館で「卍固め」や「足4の字」をかけてる分には、見過ごしてくれたのだろう。
しかし、当時のUWFは、既存のプロレスを否定し、派手な技より地味にギブアップを奪える技が決め技だった。
その代表が、チキン・ウイング・フェースロックだった。
これは背後から相手の片腕を手羽先の様に「く」の字にとって、逆の手で相手の顔を横に引っ張り、自分の両手を
ロックさせる。これは両手の人差し指1本をフックするだけで、極まった。
多分、この辺が、「ゆたかさん」の臨界点だったようで。
僕は、「ゆたかさん」に呼び出しをくらった。
覚悟はしてたが、ついに来たか、という感じだった。
僕は大勢の取り巻きを引き連れた「ゆたかさん」に学生会館の屋上か何かに連れ出され、ボコられるのかと覚悟した。
殴られたら、すぐ女子の所に行き、同情票を引いて、女子を扇情して心理的に逆襲に出ようと作戦を練っていた。
しかし、「ゆたかさん」は1年生相手にそんな野蛮な手段はとらなかった。
取り巻きはなし。1人で来て、「メシをおごってやる。付いて来い」と言った。
そして、僕らは、学生食堂ではなく、ちょっと高級な病院のレストランに行った。
「ゆたかさん」は、「川原って言ったな?何でも好きな物を頼め。遠慮はするな」と微笑んで言った。
僕のシュミレーションとは違った展開なので、少し拍子抜けした。
そんな人を相手に、この場面で遠慮をするのは、かえって危険だ。
先輩の顔を潰すことになると空気を読み、そのレストランで1番高いメニューの「焼肉定食」を注文した。
しかし、これにはきっと罠があることくらいの想定はしていたから、僕は苦手の「きゅうり」対策として、、
ウエイトレスにこっそり、<きゅうり、は抜いてね。サラダからも、漬物からもね>とお願いしておいた。
「おごってやったんだから、残すな」とか言いそうだし。
僕が、「きゅうり」を嫌いなことをリサーチしてる可能性だって、ゼロではないからね。
そして、僕らは他愛のない話をしていると、「焼肉定食」がテーブルに届いた。
ちなみに「ゆたかさん」はコーヒーしか頼んでいない。
<「ゆたかさん」は食べないんですか?>と尋ねると、「俺はいいから。お前、食え」。
<そうですか、じゃ、遠慮なく>、「ちょっと待て」。
「ゆたかさん」は、「ただし、箸を使って食うな」と言った。
は~、なるほど。
そういうこと言うんだ。
だったら、サンドイッチとかにしときゃ良かったよ。
「焼肉定食」は、焼肉が盛り付けられた皿と、白飯、サラダ、汁物にデザートだ。
箸を使って食うな、って犬食い、するしかないな。
それでこういうちょっと高級なレストランに連れて来た訳か。
恥をかかせて、上下関係を叩き込もうという作戦か。なかなか、頭脳犯だな。
そうなったら、トンチ合戦だ。トンチと言えば、一休さん、だ。
一休さんが「この橋を渡るべからず」の看板を、堂々と橋の真ん中を渡り、「端ではなく真ん中を渡りました」
と言ったトンチを応用して、僕は箸を持ち、焼肉の皿の真ん中の肉を食べた。
ゲンコツが飛んできた。
イテっ。
「箸で食うな、と言っただろう」との怒声。
僕は頭をさすりながら、<だから、端じゃなく真ん中で食べました>と答えた。
「ゆたかさん」はしばらくポカンとして、トンチに気付いたら、「お前、面白いな」とニヤリと笑った。
そして、急に良い人になって、「ゆっくり食え。俺は行くから。何か困ったら、俺に言え。力になるぞ」って。
僕は「ゆたかさん」が去った後、ゆっくりと焼肉定食を堪能した。
さすが病院のレストランで1番高いメニューだ。うまかった。ご飯、オカワリした。
翌日から、学生会館に行くと、風景は様変わりした。
「ゆたかさん」は僕の姿を見かけると、「お~!川原!元気か?」と声を掛けてくれ、僕も南軍の帽子をとって挨拶した。
それを見かけたクラブの先輩は、「なんで、「ゆたかさん」が川原に挨拶するの?」と慌てていた。
僕が、<仲良くなったから>と答えると先輩は頭を抱えていた。
史上最強の先輩と史上最悪の後輩がタッグを組んだから。
それからと言う物、僕は「ゆたかさん」が用心棒をしてくれることを良い事に益々、増長して行く訳である。
僕らの大学には、2つの野球部があった。
「硬式野球」と「準硬式野球」。準硬(ジュンコー)は、B球という芯が硬式と同じで周りが軟式のようなゴムボールを使う。
医学部の野球部は、ジュンコーの方が一般的で、クラブ数も多かった。
うちの大学では、ガチで野球をやりたい猛者が硬式に入り、おっかない人や柄の悪い奴が多かった。
一方、ジュンコーは、芸能人野球大会みたいな華やかなプレーをしたい人が集い、カッコいい滑り込みの練習とかをしてた。
僕は、ジュンコーに所属して、背面キャッチや天秤打法などの練習をしていた。
ちなみに、「ゆたかさん」と中西先生は、硬式野球部のチームメイトだった。
そして、冒頭の「ゆたかさん」の電話につながるのだ。
今度、「ゆたかさん」の代の硬式野球部の面子で、3月14日に、豚しゃぶを食べにいくらしい。
で、その時に、中西先生の写真が欲しいのだが、誰も持ってないから、「川原に頼むしかない」とのお願いだった。
3月14日と言えば、世間は、ホワイト・デーだ。
しかし、硬派の男達には関係のないイベントだ。
男ばかりで豚しゃぶを食うらしい。
豚を食うところが、また男っぽい。
そして、そんな同期の会に中西先生も参加させたいという男気だ。
中西先生はもう死んでいて、死人に口なしだけど、同期だから一緒に豚しゃぶを食べたいと云う優しさに心を動かされた。
まさに、「男は強くなければ生きて行けない、優しくなければ生きて行く資格がない」を地で行っている男達のホワイト・デー。
<判りました。任せて下さい。何とかします>と僕は大見得を切った。
そして、中西先生が開業する直前まで、同じ病院に勤務していたF.に電話した。
すると、F.は「俺は、写真を持たない主義だ。だったら、サスガに頼むと良い」と教えてくれた。
サンキュー。
だけど、F.って写真を持たない主義だったのか?初耳だ。
あいつは昔から、今さっき決めたことでも、「俺の主義だ」とカッコつける癖があるからな。
きっと最近、浮気の現場写真でも見つかって懲りたんだろう。
そして、僕はサスガに電話して、これこれこう言う訳で、中西先生の写真が欲しいのだが、と聞いてみた。
すると、サスガはあっさりと、「有りますよ」と言った。
「中西先生のお別れの会で、僕らでスライド・ショーを作って、評判が良かったんですよ。
硬式野球部の方も一部、見えていて、感動して泣いてましたよ。
あれ?川原先生は中西先生のお別れの会に来ませんでしたか?」
と批判的な口調で言った。
<いや、行くつもりだったのだが、その日はきゃりーぱみゅぱみゅのコンサートとかぶってさ。
靴を投げて中西先生の会に行く予定だったんだけど、直前にきゃりーちゃんのスキャンダルが発覚してさ。
きゃりーちゃん、落ち込んでるかと思って応援に行かなきゃと思い直してさ。
それに、お別れの会って言ったって、中西先生がそこにいる訳じゃないし。俺が行かなくても会には関係ないだろうしさ>
って言い訳をした。
サスガは、仕方ないなと言う感じで、「判りました。先生のクリニックに送ればいいですね」と言い、ミッション終了!
中西先生と僕とサスガは不思議な縁で、高校と大学と医局が同じで、先輩後輩の仲なのです。
順番は、中西>川原>サスガです。
精神科は他大学との交流のため、毎年、野球のリーグ戦があった。
僕らの医局は、中西・川原・サスガの3人が主力メンバーだった。
そうそう、サスガもジュンコーです。だから、あいつは、高校も大学も部活も医局も僕の後輩になります。
ある年の野球大会。僕は派遣病院に出向していて、そこのMSさん(秘書みたいな人。ケースワーカーの卵。若い女子)
が野球観戦の応援に行きたいと言うから、3人くらいを僕の私設応援団員として帯同した。
そうしたら、若い女の子の前ですから、ちょっと良い所を見せたいと思うじゃないですか?判るでしょ?だんな。
僕は、サスガに、<おい、ピッチャーを変われ>と途中からマウンドに立って。
しかし、僕の下心はナインにみえみえで、「大丈夫なのか?」と心配の声があがって。
僕は、<大舟に乗ったつもりで。こう見えても、中学の頃は「小さな巨人」と呼ばれてたくらいだから>って、
ドカベンの里中を持ち出して。
実際、僕は中学の頃、草野球で、「小さな巨人」と呼ばれていた。
ま、正確には、友人に<そう呼べ!>と脅迫していたからで、皆は不要な争い事を避けたいから、自分の損失にならない
範囲では俺の言う通りにしていた。
他にも、「キャプテン」と呼ばせていた事がある。
これは、キャプテン・ハーロックとリリーズの「好きよキャプテン」をかけていた。
教師には、「川原、お前は一体、何のキャプテンなんだ?」とよく聞かれて、説明するのが面倒くさかった。
<何かに限定された範囲のものではなく、将来、トップに立つ資質のようなものを中学生の嗅覚が嗅ぎ分けるのでは?>
などと適当な事をフカしておいた。
話が脱線したが、僕はリリーフとしてマウンドに立った。
僕はドカベンの里中のように華麗なアンダースローから幾つかの変化球を投げ分けた。
しかし、練習は裏切らない、というか、ボールは正直だ。
1球として、ストライク・ゾーンに入らない。3者連続フォアボールで、あっと言う間に無死満塁。
風雲急を告げ、大ピンチだ。
400戦無敗で知られるヒクソン・グレーシーが最強の男であった1番の理由は、負けそうな相手とは戦わない、
というのがあって、前田や桜庭の挑戦からは逃げていた。
でも、これは案外、生きる知恵だ。
戦場で生き残るのは、必ずしも勇敢な兵士ではない、と言うのと同じだ。
僕は、ピンチに強い男と自認しているから、負けそうなピンチはヒクソン方式で分母から消そう。
そうすれば、勝率は下がらない。
これは良いアイデアだ。
そこで僕は、マウンドにサスガを呼び、<おい、ピッチャーを変われ>とリリーフを押し付けると、
「嫌ですよ、僕は!自分で蒔いた種なんですから、自分で責任をとって下さい。次から、クリーンナップですからね」
と言い放って、自分の守備位置に戻って行ってしまった。
あいつは、高校も大学もジュンコーも医局も俺の後輩のくせに、少しも俺を尊敬してないな。
平気でこういう冷たい態度をとる。
普通、男の上下関係って、上が「黒」って言ったら、「白」でも「黒」だろ。
なんて僕がブツブツ文句を言ってると、マウンドに駆け寄ってきて優しい言葉をかけてくれたのが、その時のキャッチャーで、
女房役とは良く言ったもので、キャッチャーマスクをとって、
「川原、切り替えて行こう!
野球では、ピンチはチャンスだ。
川原の得意のフォームは、スリークォータだったよな。あの投球を俺に見せてくれないか?」
と優しくなだめる人物こそが、そうです!中西先生だったのです。
そうして僕はマンガの真似をやめて、中西先生のおだてに乗って、このピンチを最小失点で切り抜けた。
それで、試合は次の回に中西先生が逆転タイムリーを打って、残りのイニングをサスガがピシャリと抑えて、我々の勝利。
試合後の打ち上げで、<今日のMVPは誰か?>、と僕が言い出して、
「逆転打を打った中西先生では」とか「ピッチャーとして、先発とリリーフの両方の役割をしたサスガでは」と意見が分かれた。
しかし、もっとも大勢を占めたのは「野球はチームプレー。皆で勝ち得た勝利だから、皆がMVP」というぬるま湯のような意見だった。
僕はそこでも譲らず、新日世代闘争の時の前田が空気を読まず「誰が一番強いか決めればいい」と言ったフレーズがいつも頭の隅にあったから、
<誰がMVPかをはっきり決めるべきだ>と主張して、座はシラケた。
その時、中西先生がこう言った。
「今日のMVPは川原だよ。こんなに試合を盛り上げてチームに一体感を抱かせたんがから」と。
その意見にその場にいる皆が救われて、「MVPは川原」、ということになった。
僕はその時、中西先生って何て優しくて、正しい意見の持ち主なんだろう、と感心した。
僕はおそらく、そんな風な発言もした。
すると中西先生は、わざとらしく頭をかいて、照れるポーズをして、それを見て皆が笑って。僕も笑った。
そんな事を思い出しながら、僕はサスガから送られて来た中西先生の写真を「ゆたかさん」に送った。
電話口で「ゆたかさん」は、何度も何度も礼を言った。
<いや~、僕はただサスガに送ってもらったのを渡しただけだし>って。
それでも、「ゆたかさん」は繰り返し繰り返し、礼を言った。
「ホント、川原サンキューな。今度、メシ、おごるから。ホントに!」って。
<良いって、良いって。もう律儀なんだから、「ゆたかさん」ったら>
でも、あんまり断るのも失礼かな。
この場合、模範的な後輩の態度としては、おごられるべきなのかな?
目上の人の顔を立てて。
だったら、しょうがない、ゴチになるかぁ。
何にしようかな?
寿司が良いかな。
座っただけで、何万円みたいな店で。
よし、寿司にしよう。
寿司なら、箸がなくても食べれるからね。
豚しゃぶ、なんかに連れて行かれたら、大変だ。
やけど、しちゃうよ。
BGM. かまやつひろし「我が良き友よ」


RESET

3/Ⅳ.(金)2015 はれ
金曜のお昼に、心理の徳田さんと、お蕎麦屋さんに行き、最近、僕が考えていることを話して意見を聞きました。
1つは、たまに患者さんから聞かれるのですが、「診察とカウンセリングの違いは何ですか?」。
医者と臨床心理士の違い、とか、保険と自費、とか、時間とか構造の差、とか、そういう教科書的な答えは、なし、でね。
そもそも、カワクリのコンセプトは、狭い意味での病気以外の相談も受けます、で、
思春期相談や家族相談は、日常の悩みの相談をあくまで専門的な視点で対応します、というスタンスで、
そこには心理学や精神分析的な知識も用いられます。
つまり、それはジャイアント馬場が、U.W.F旋風が吹き荒れてシューティングという言葉がプロレス雑誌を席巻した最中でも、
「シューティングも含めてプロレスだ」と発言したのとちょっと似ています。
僕の診察を受けてから、カウンセリングに繋がった患者さんが、「診察とカウンセリングで話す内容を変えるべきか?」
と悩む気持ちはよく判ります。
僕が薬だけ出して、<話はカウンセリングでしてね>って言えば、患者さんは混乱しないんだろうけど。そうはしないから。
だけど、2つをどう使い分けたらいいのか、それを判りやすい言葉で納得いくように説明してあげるのが案外、難しいのです。
僕は、ここのところ、ずっとそんなことばかり考えていて、少し答えが見えかけてきたところです。
あと、もう一息。そこで徳田さんに質問して、その答えを聞いて、参考にしようと。
それに人に質問する時点で、相手に伝わるように話さないといけないから、自分の考えの整理にもなるし。
そんな昼休みでした。
この問いには、徳田さんもちょっと困ってました。でも、質問の意図は伝わっていました。
なので近いうち、ブログ「相談室だより」から「診察とカウンセリングの違い」を書いてもらうようにリクエストしました。
だけど彼女、曖昧な返事だったから、うやむやにする気かも。ま、気長に待ちましょう。
そうしたら僕も、同じタイトルで記事を書くつもりです。
医者と心理が別の立場から、「診察とカウンセリングの違い」をそれぞれ記事にして、それを皆さんに読み比べて貰って、
カワクリの臨床スタイルを判断して貰おうと云う企画です。
あとね、もう1つ、最近考えることがあって、それも徳田さんに聞いてみたけど、「私もわからない」みたいな暗礁に乗り上げて。
小難しくなるから、割愛しますが、それで昼休みは、タイム・オーバー。
本当は、さらにもう1つ、ネタがあったんだけど、それは時間がなかった。
全然話は変わりますが、(って言う場合、実は変わってないことが多いんだけどね、フィーリング的な部分においてね)、
近頃、僕がどんな髪色にしようと、ネイルを変えても、診察室の飾りの変化も、皆さんはほぼスルーですが、
それは「私はここに治療に来ている」という強い意志により、邪念に惑わされないように、話に集中されているのだと思っています。
或は、強すぎる刺激は、びっくりして反応するのは最初だけで、かえって、慣れっこになりやすい法則がある気もしています。
だから、今さら、僕が春に麦藁帽子をかぶっていようと短パンを穿いていようと、いきなりオーバーオールを着て来ようと、
皆さんにはありふれた診察室の風景に過ぎないみたいですね。
そんな風に思っていました。ところが、金曜の僕の服は、反応する人が多かったですね。
「そのスイッチ、押してもいいですか?」
みたいな事を言う人が多かった。
僕のこの日のTシャツは、白地に赤く四角いボタンが描かれていて、RESET、の文字と、
※このボタンを押すと元に戻ります。
と書かれていました。中野ブロードウェイで買いました。
元に戻る(す)、で思いつくのは、「まどマギ」と「涼宮ハルヒの消失」ですね。
ネタバレになるので、ここでは診察室のグッズを紹介。
「まどマギ」は劇場版を見た時のポップコーン・セットの箱で、「消失」のフィギュアです。↓。

あとは、「ひぐらしのなく頃に」もそうですね。これもネタバレになるので内容には触れないでおきますね。
下が、待合室のテレビ側の「ひぐらし」コーナーです。
それっぽい格言も、貼ってあるから好きな人は見てみて下さい。きっと楽しんでもらえるはずです。↓。

これだけ、アニメの主要なテーマにもなるのだから、RESET=やり直したい、という願望はきっと皆にあるんでしょうね。
人生はやり直しは利きますが結構、労力がいる作業だから、RESETボタンがあると簡単で良いんでしょうね。
南義孝の歌ではないけれど、人生はゲーム、みたいにね。
下が、皆さんをとりこにした、RESET、Tシャツ。↓。

さて、次回こそ、「男達のホワイト・デー」を書くぞ。
BGM. 南義孝「スローなブギにしてくれ(I want you)」


アニバーサリー・リアクション

2/Ⅳ.(木)2015 はれ
今回こそ、前々々回の記事『タグ』で予告した、「ゆたかさん」と中西先生の友情を軸にした特別企画「男達のホワイト・デー」
をお届け出来るつもりだったのですが、これが案外難儀で、本日も、挫折。
もう4月になっちゃったし、ホワイト・デーでもないし、もう誰も予告ブログなんて気にしてないだろうし。
ブログの検閲を頼んでる「顧問」も、「ブログは、センセーの発散に使って、ブログがストレスにならないように」
と事あるごとに言ってくれてるし。
この記事の右側に並ぶ「タグ」の項目の「川原達二の履歴書」というネーミングを考案してくれたのも、「顧問」です。
メールで、色々とやりとりをして、一晩寝かせて、3月19日にそのベールを脱いだのです。
その数日前、僕は何か落ち着かなくて、気忙しくって、何かをしないではいられなくて、夜中中、タグを付けてて。
「トモトモさん」などリアルタイムでタグが増えてくところを見ていたそうで。
「顧問」も異変に気付いて、「何をやってるんですか?!」と忠告をしてくれて。
その辺の顛末は、『タグ』に書いてあるから、興味があったら見て下さい。
それで何を言いたいかと言うと、その時期の僕は傍目から見てても、心配になるみたいで疲れてるみたいで。
憑かれてるみたいで?
心理の徳田さんが、「ストレス社会で闘う人のためのチョコ」をわざわざ買って来てくれたくらいです。
しかし、精神科医にそんなチョコをあげるなんて、按摩の肩を揉む、のにも似た行為ですね。
さすが、ストレス社会、みんなが紙一重だ、という徳田さんの臨床心理士としてのメッセージか。
徳田さんがくれたチョコは2種類あって、BABYMETALみたいに「黒」と「赤」の2バージョンあります。
これが、「黒」。疲れて机に突っ伏した吉田拓郎と一緒に撮ってみました。↓。

そして、これが「赤」。山口百恵のLPを背景に撮影しました。百恵ちゃん、これでハタチですよ。
うひょー、セクシー、…って言うより、老けてないか?。今のきゃりーちゃんで22だよ。↓。

ストレスと言えば、前回のブログを読んで、元・同僚がメールをくれました。
彼女も自身で医院を開業されていて、「人を雇うって大変よね、もう頭に来ちゃうことばっかり」みたいな内容でした。
まぁ、本当はそこまで露骨な言い回しではなかったのですが、そんなニュアンスも何割かあったってことです。
いわゆる「開業医アルアル」でした。
しかし、疲れるけど、新しい人が入って来てくれるのは、刺激になるから良い面もありますね。
昨日、紹介した山崎さんや心理の高橋さんや原さん。
あしたの風、って感じです。
あしたの風、と言えば、それは僕の母の第一歌集のタイトルです。
母の、第二歌集は遺歌集になりました。
あとがきは僕が書きました。
それは、母の一周忌に合わせて出版しました。
平成19年の3月19日の出版です。
ちなみにカワクリの開業は、平成19年1月だから、僕は開業準備と平行して、本を編む作業をしてたことになります。
そうなのです!
僕がやたらと「タグ」を付けまくってたのが母の命日の前日で、「川原達二の履歴書」のタグを発表したのが命日でした。
これは別に考えてそうやったのではなくて、たまたま、偶然、重なったのです。
そうは言っても、僕らは職業柄、偶然なんてあまり信用しなかったりもします。
たとえば、アニバーサリー・リアクションは、頭で考えるのではなく、その季節になると自然に体が思い出すことを指します。
つまり、思ってなくても、木々のざわめきや、空の高さや空気感、雑踏の季節感が、時空を超えて心をタイム・スリップさせるのです。
日本語では記念日反応と訳しますが、命日反応と言う場合もあります。
命日に限ったワケではないのに、命日反応と言う訳が存在するのが、日本人の死生観のようなものを表しているような気がしてこっちの方がしっくり来ませんか?
僕は、母が死んでから、墓がある寺の坊主と喧嘩して、墓参りには全然行きません。
行ってられっかよ!
大体、あんな神奈川の田舎の北の寂れた墓に、母や父がいるとは思いません。
生前に何のゆかりもない寺ですからね。
神仏は人間が信仰するから、はじめて存在しうる、という考え方も一般的にありますね。
なので僕が墓参りに行かなければ、父母の魂はあんな薄暗い墓に葬られていられないという計算式も成り立ちます。
そう考えると、僕が信仰しないおかげで父母の魂は開放されていて、案外、俺、親孝行じゃん。
なので僕は墓参りをしません。
父母の命日や誕生日には、心の中で話しかけるようにしています。
でも、タグの「川原達二の履歴書」の公開日が3月19日だったのは、意図的ではないです。
かと言って、無意識の仕業だけでもないのです。
なぜなら、それは「顧問」との共同作業だし、「顧問」は母の命日のことを知らないはずだから、たまたまです。
だけど、こうも考えます。
逆に母が、自分の命日を忘れないでね、と働きかけ、それに霊的なポジションで僕が呼応して、3月19日になったのだと。
偶然ではなくてね。
ちょっとオカルトチックな発想かな。
墓参りとか行かないくせに、信心深いのか罰当たりなのか、紙一重ですね。
BGM. BABYMETAL「ギミチョコ」


名前の考察

23/Ⅰ.(金)2015 昨日よりは少し暖かい
知り合いから、女の子が生まれて、母子共に健康で、名前が決まった、ってメールが届いた。
おめでとう!何かお祝い贈るね。
たまたまだけど、僕も名前について考えてたところなんだ。
僕の名前は「達二」。由来は、「達人」のようになるように。「二」は次男だから。
ちなみに兄の名前は「達一」ではありませんが、「一」の字は付きます。
微妙でしょう?
「二」は極めて、数学的だから。
子供の頃の僕は、「二」が「一」に劣ってると思うのが嫌で、結構、「2」という数字にこだわりました。
僕は韋駄天で、すばしっこく、俊足でした。
運動会の徒競走の予行演習は必ず1番でした。
でも、「一」位は嫌なので、本番ではブッチギリでゴール直前まで走り、テープを切らずに後続を待ちます。
そして、2番手が来たら、<どうぞ>の合図をして、テープを切らせ、自分はわざと2位になります。
運動会が終ったら、教室で、自慢げにこう言うのです。
<やっぱ、2位が1番だよね>って。書いてて思ったけど、嫌な奴だね。
それに、2位が1番って言ってる時点で、「一」の優位性を認めてるんだけどね。
そこは、ホラ、小学生だし。コンプレックスって矛盾を土台にしているようなものだし。
他にもありますよ。マンガの単行本は必ず、2巻から買いました。
続きが読みたかったら、3巻を買うし、前が知りたかったら、1巻に遡って買うし。
これは、結果的に無駄が少なかったです。
この手口は、今でも実生活に応用されていて、新作アニメは、まず第2話からチェックします。
それで今期、観るアニメを決めます。
カワクリに置くマンガも大体、この方式です。話題のマンガはまず2巻を買って面白かったものが揃えてあります。
待合室のマンガの種類は結構、増えましたから、何を読むか迷う人は2巻から読んでみたらどうでしょう?
ただし、ひよどり祥子『死人(しびと)の声をきくがよい』は1巻のラストがとても良い話です。
だから、これは普通に1巻から順に読むのが良いです。↓。

知り合いの獣医さんに聞いた話だと、動物園で「○○の赤ちゃん」の名前を公募、ってのは客寄せなんですって。
基本的に動物園では、動物に名前は付けないらしい。
識別できれば良いから。
今の個人情報保護法と似てるな。「何番の方、会計にどうぞ」みたいな。
そう考えると、名前って記号かな。
ところが、我々の業界では、「イマジナリー・ベイビー」なんて用語があります。
「イマジナリー・ベイビー」の例で、よく引き合いに出されるのが、皆さんご存知の画家のゴッホです。
ゴッホの産まれる丁度1年前に子供が死んでいて、つまり、その子の命日に、ゴッホは産まれたことになります。
親としては、モーニング・ワークの意味合いもあったのでしょう、ゴッホに死んだ子と同じ名前をつけます。
でも、これってどうなんでしょうね?
庭の隅には、お墓もあって、墓石に自分の名前が刻まれているのを、きっと幼いゴッホは見ただろうに。
その名前が、「ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ」。
ゴッホは小さい時から親と馴染めず、弟のテオにくっ付いていて。
テオを親代わりにして何とかやっていたが、テオが結婚した直後、精神症状が悪化して入院となる。
甥が産まれた時、ゴッホはホロホロと泣き、その子に「ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ」と名付けてくれと頼んで。
その通りに名が付くと、その直後に自殺して死んでしまう。
ゴッホには、「ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ」を伝える役割があった、というお話し。
これが、「イマジナリー・ベイビー」、家族神話のような世代間伝達のお話し。
どうですか?
すごくないですか、我々の業界。
ゴッホってもっとも多く「語られる画家」の1人だと思うのだが、我々のすごさはゴッホの作品に一切ふれてないこと。
ま、病跡学のジャンルではふれてるんでしょうが。
家族精神医学では、ふれない。ただ、役割理論の例えに良い具合に使われている。
ゴッホほど極端でなくても、名前には、何かを縛りつける力(作用とか効果)がありますね。
「化物語」の忍野忍は、元・伝説の吸血鬼ですが、忍野メメが「名前で縛っておいた」と言っていたっけ。
下が、診察室のソファの横のサイド・テーブルの「物語シリーズ・コーナー」から、忍野忍。↓。

名前を考えるにあたって、僕が1番に想起するのは「シベールの日曜日」という映画です。
ここからは、ネタバレありです。
嫌な人は、ここから先は読まないで下さい。映画のあらすじを書いて終わりの記事ですから。
あらすじは、シベールという少女が母に男が出来て邪魔になったから、寄宿舎に入れられます。
母はシベールに「毎週、日曜日に面会に来るから」と約束して去って行きますが、一回も来ません。
面会どころかその後の映画に登場しません。
シベールは、棄てられた訳です。
おまけに寄宿舎の怖い寮母みたいな人に、「シベールは変な名前だから、ここではフランソワーズと呼びます」と勝手に
名前も変えられてしまいます。
フランソワーズ(シベールのこと)は日曜日ごとに健気に来る筈もない母を待ちます。
ある日曜日、フランソワーズは、ある青年と出会い、意気投合して、友達になります。
いつしかフランソワーズの日曜日は、この青年と会う日になりました。
青年は、ベトナム戦争で受けた心の外傷で、戦争神経症(PTSD)になっていました。
青年には綺麗な看護婦の彼女がいて、彼女は献身的に青年のケアをしていました。
でも、青年は彼女には心を閉ざし、フランソワーズにだけ、心を開くのでした。
世間からみたら奇異にみえますが、純愛ストーリーです。
フランソワーズはクリスマスのプレゼントに教会の上の風見鶏が欲しいとリクエストします。
クリスマスの日に二人は逢引して、青年は危なっかしい足取りで、教会の屋上に上って風見鶏をもぎとってきます。
それをフランソワーズに渡すと彼女は満面の笑みで、お返しにと、木にくくりつけた紙を指差します。
青年が、その紙を木から取って、畳まれた紙を開いてみると、カメラがそこに書かれた文字をクローズアップします。
シベール
とだけ書いてあります。
フランソワーズは、クリスマスのプレゼントに、青年に本当の自分の名前を教えたのです。…涙。
それから、何がどうしたのかは忘れたのですが、警官隊が二人を取り囲みました。
どうやら、精神異常者が少女を誘拐した、って話になっていたような。
「手を上げろ!」の声に、青年がシベールをかばおうと動いた瞬間、一斉射撃。青年、銃殺。
青年の死体に泣き崩れる少女。
警官隊が近寄り、声を掛けます。
「お譲ちゃん、大丈夫?」「悪者は死んだからね」「怪我はないかい?」と警官隊は優しく口々に語りかけます。
少女はずっと泣いています。
そしてラスト。「もう大丈夫だから安心して。お譲ちゃんのお名前は?」という警官の質問に、泣きながら少女が答えます。
<もう私に名前なんてないのよ>
これが、映画「シベールの日曜日」です。
名前の持つ意味を考えさせられますね。名前は単なる識別記号ではありませんね。
さて、これでおしまいです。
名前について興味を持った人や、戦争神経症の資料を探してる人は、観てみたらどうでしょうか?
ただ1つ注意点があります。
僕の古い友達がよく言うのですが、「君の教えてくれる映画はいつも面白そうだから観るんだけれど、必ず、筋が違うんだよ」。
「さらに性質が悪いのは、映画より、君の話の方が面白いから、観た後、損した気がするんだよ」って。
僕は自分の記憶だけで話してるから、他の話がミックスされるのでしょうね。
だから「シベールの日曜日」のストーリーも違うかもしれません。
さっきのゴッホの話も同様です。気になった人は鵜呑みにしないで自分で検証して下さいね。
あと、ここまで読んでくれたけど、記事や映画「シベールの日曜日」に取り分け、興味が湧かなかった方にも朗報!
シベールは美少女だから、ロリコンの人は必見です!!
この記事のタイトルは「名前の考察」なのに、なんちゅう、オチじゃ。次回から、予告ブログに戻ります。
BGM. RCサクセション「君を呼んだのに(And I Called Your Name)」


教訓Ⅰ~追悼、中西先生

10/Ⅸ.(水)2014 はれ、求人公募中
来月、「アイザワ先生」と会う約束だ。
「アイザワ先生」は僕が大学病院にいた時の指導教官だ。
今は退官されて、もう何年になるだろう。
公の場には一切、出て来ない。隠居生活を満喫している。
僕は時々、たとえば、「5/18問題」のように困った時だけ、一方的に手紙を送りつける。
すると、「アイザワ先生」はさすが隠居生活、すぐに返事をくれる。
こないだ、ふと、「アイザワ先生」に恩返しをしないとイケナイと思いついた。
「アイザワ先生」が直接指導して学位論文をとったのは、僕と今はA病院の院長をしている「T」の二人きりだ。
僕は、「T」を誘って、「アイザワ先生」はよっぽど暇そうだから中華街にでも招待してご馳走しよう、と提案した。
指導教官と言えば、親も同然。親孝行しよう。僕は、本当の親はもう死んじゃってるし。孝行したい時に親はなしだ。
「T」も乗り気で、なので連絡は、「T」に任せた。
話はトントン拍子で、「アイザワ先生」の返事は快諾で、ただ、1つだけ条件がある、と。
それは、この会は、自分が二人を招待する会にしたい。
店は、「アイザワ先生」自身が決める。お金は全部、自分が払う。なんなら、家族を連れて来ても良い、とのことだった。
立川談志が、「すぐに恩を返そうとする奴は恩知らずだ」と言ってたのを思い出し、ここは素直におごられることにした。
「T」は本来の趣旨と異なると少し躊躇していたが、そこは民主主義、多数決で2対1だ。
僕と「T」は、「アイザワ先生」に来月、ご馳走になることになった。
そんな時である。8月のなかば過ぎに中西先生が亡くなられた。
直前までご自身のクリニックで診療をされていたという。
突然の病死だった。
中西先生は僕の高校の先輩でもあるし、学生時代も医局に入ってからもお世話になった。
中西先生は、野球部の出身だったから、医局対抗の野球大会では、キャッチャーをやってもらいチームの要役だった。
温厚でいつも落ち着いていて弱い者の味方で優しく威厳があって上品で洒落のわかる人で、皆が一目置いていた。
若い頃の僕は悪目立ちするので、意地の悪い先輩にいじめられて、そうすると必ず、中西先生が助けてくれた。
去年くらいに医局の集まりでお会いしたのが、最後になってしまった。
僕は恩知らずで、中西先生の姿を見ても、<ヨッ!>と酒の入ったコップを上に向ける挨拶だけ。
ビールくらいお酌するとか、近況を報告するとかすれば良かったな。悔やまれる。
だって、まさか死ぬとは思ってなかったから。
しかし、我々の医局の精神科開業医は50代で死んでる人が多い。異常なくらい若死にが多い。
中西先生も、50代だった。
僕は何人かの開業医に、<天国お迎えレース、次は誰だ?>と一斉送信したが、誰からも返信がなかった。
そのくらい、皆、ショックだったのだろう。不謹慎だったのかな?
「T」はA病院の院長だ。
僕は、「T」に<開業医達は皆、戦々恐々としてるよ>と言うと、「勤務医だって同じですよ」と怒られた。
「明日は我が身ですよ」と言われた。<しかし、「アイザワ先生」は80だぞ>と僕は言った。
すると、「T」は「今度、お会いしたした時、長生きの秘訣を伺いましょう」とうまいこと話をまとめた。
そうしたら、つい先日、「アイザワ先生」から分厚い封筒が、僕と「T」の家に届いた。
同じ内容で、複写した同じ文面だった。
「アイザワ先生」の手紙の書き出しは、「10月の会だが、やっぱり、私は行かないことにする」だって。何、それ?
まさかのキャンセル。
そして、その分厚い手紙には延々と言い訳が綴られていた。
言い訳と言っても、「夏が暑いから」とか「10月になったって、夏バテはとれない、と思う」とか「しんどい」とか。
「今年になって、一回、横浜に行ったがすごく疲れた」とか「東京なんて、もう何年も行ってない」とか。
「最寄り駅まで行くだけで一苦労」とか「体重は5キロ減った」とか「おかげで、スマートになった」と訳の判らない自慢をしたり。
「私は隠居生活者だ。ひきこもりだ。さぁ、なんとでも言ってくれ」みたいな開き直りみたいなことも書いてあった。
呆れた。
そして、どうせ会があっても、自分の話す内容はこんなことしかない、と言って、将棋と最近読んだ本のことが書いてあった。
現在日本将棋連盟所属のプロ棋士はおよそ150人いて名人を筆頭にA級、B1、B2、C1、C2、と5クラスあるとのこと。
2~3日置きにインターネットでリアルタイムの将棋が観戦できる、という情報。(いらない)。
そして、読書は「昆虫記」とかを読んでるらしい。夏休みに「昆虫記」って、子供か!、っつうの。
こんなことは言いたくないが、僕も「T」も結構、忙しい中、日程をやりくりして、設定した親孝行の会だ。
それに対して、「いかがでしょうか?」、と言うスタンスではないのである。
「私は行かない」という一方的な通達なのだ。
僕は「T」に、<あれ、読んだ?>と聞くと「読みました」と困惑していた。
そして、僕らは、義理とか人情とか恩とか恩返しとか一切考えないこと、それが長寿の秘訣だな、という結論になった。
とは言え、このまま黙って、引き下がる我々ではない。今、策を練っている。
何か、表題と全然違う内容になってしまいましたね。ま、「教訓」と言えば、「教訓」だが。
あらためて、中西先生、ご冥福をお祈りいたします。
そして、中西先生の残された患者さん達のフォローをされている近隣の先生方、ご苦労様です。
特に、ヨー君やカミムラ先生など昼休みも返上して、診察してるそうですね。自分たちが倒れないようにね。
あと、きしろ、も。
今回の中西先生の件で学んだのは、クリニックは院長が死んだ時点で閉院になる、ということだ。
だから、代わりに医者が応援に行っても、そこでは薬も出せないし、紹介状も書けないらしい。
「法人」にしておけば、死んじゃっても、ピンチヒッターがきくらしい。
「法人化」なんて手続きが面倒くさそうで考えたこともなかったが、残された患者さんのことを考えたら、それも有りだな。
それが今回の教訓かな。中西先生が最後に教えてくれたこと。
次回、いよいよ、予告ブログ、「生きること死ぬこと」に続きます。
BGM. 初音ミク「いつか何処かで(I feel the echo)/桑田佳祐 」


おすすめ 精神科

4/Ⅸ.(木)2014 くもり、求人公募中
ネットの情報など、当てにならない。
そもそも、病院選びは難しい。
それをネットで探すのは無理がある。
まして、精神科は。
仮に良くても、「書かない」だろうし。
複数の患者さんが、「世間に知れて患者が増えたら自分の時間が減るから教えない」と言っていたし。
至極、もっともな意見だと思うし。
一方で、開業のクリニックをやってると、ほぼ毎週、宣伝広告の勧誘の電話がある。
「名医を紹介」みたいな感じで、インタビュー記事にするらしい。
つまり、広告料を払って、広告じゃない風に掲載してくれる、からくり、らしい。
全部、断ってる。
たまにそういう形式の記事を見ることがあるが、それらがすべてその手のものかどうかは知らない。
本当の名医には、ちゃんとしたインタビュアーが無料で行ってるのかもしれない。
でも、何だ?本当の名医、って。肯定語を並べただけなのに、途端に胡散臭くみえる。気のせいか?
ところが、こないだ遠くからみえた新患の人から、「ここを選んだ理由は、ネットの評判」だと聞いた。
<ネットにうちの評判なんて出てるの?>
「おすすめ 精神科」と入れるとトップ5に出てくるらしい。
知らなかった。
迂闊だった。
いや、知ろうとしてなかったんだ。
みてる人はみてるね。神はみてるんだね。隠し切れないな、良さが。
やっぱ、現代はネット社会ですよ。
もはや、ネットで知りえない情報はないんじゃないでしょうか?
いや~、知られちゃいましたか。「隠れた名店」的な?
傷口を舐め合うこんな世界でも、きちんとした情報を提供する奇特な人もおるんだな。
あんまり、おだてられても困るよ、ウヒヒ…。
照れるだろ、ホントのこと言って、誉められても~、よせよォ~。何も出ないよ(笑)
そんな独り言をかましながら、僕は、ネットの検索の窓に「おすすめ 精神科」と入れて評判をみてみた。
ありましたよ!大田区の川原クリニック。まさに、うちです。
どれどれ、読んでみよう。
「水曜日の佐藤先生が、おすすめです」だって。
なんだよ、ソレ。
俺じゃないじゃん。
って言うか、佐藤、もう辞めてるよ!
水曜日に佐藤、いねぇよ!
浮かれて損したよ。
バカみたい。
他人の評価なんて気にしないで、僕は僕らしく生きて行こう。今日までそして明日から。
ところで評判の佐藤先生は今、神奈川の「あさひの丘病院」の常勤医です。
今度、佐藤と呑むから、このネット情報を教えてあげよう。
あいつ、きっと喜ぶだろうな。
単純な奴め。
ところで、これを投稿してくれた方、ありがとうございました。
クリニックの評判があがって患者さんが増えました。
佐藤先生のイメージもグンとあがりました。
きっと励みになるでしょう。
佐藤に代わって、お礼を申し上げます。
佐藤によろしく伝えておきますね。
と言う訳で、「おすすめ 精神科」でうちを選ぼうとしてるそこのあなた。
水曜日の佐藤先生は、もういませんから。
行くなら、「あさひの丘病院」ですよ。
全然、話は変わりますが、先日、深夜のテレ朝にベルハーが出演していました。
その続きがネットで観れます。
「テレ朝動画 ベルハー」と入れて検索すると上のほうに、『赤ペン瀧川先生の宿題やったか?!スペシャル
特別授業 変幻自在アイドル「BELLRING少女ハート」編』というのがあるはずです。
ベルハーは本来7人組みですが、これに出演してるのは、みずほ・ゆうゆ・じゅり・あーやん、の4人です。
これは面白いですよ。ベルハーらしさが良く出てます。
ベルハーをあまり知らなくて、少し気になる人にはおすすめです。
20分くらいの番組で、無料で観れます。
3回、観るとハマりますよ。3回目は、みずほ、の動きに注目して鑑賞するのが、僕の流儀です。
BGM.シュガー「ウェディング・ベル」
↑「佐藤」と「砂糖=シュガー」を駄洒落でひっかけてみました。
「ウェディング・ベル」も、「ベルハー」とベルでひっかかって面白いでしょう?


7月なかばの週末~その①

12/Ⅶ.(土) 2014 
診療のあと、行きつけの焼き鳥屋で、一杯、やりながら、新しく改訂された「DSM-5」を読むことにした。
「DSM」とは、アメリカ精神医学会の診断基準のマニュアルで、その第5版は、大幅なパラダイム・シフトで話題だ。
そんな話をしても、皆さんには難解でつまらないでしょうから、焼き鳥にメッセージを込めて、紹介しましょう。
まずは、しいたげられてる人に送ります、「しいたけ」。↓。

次いで、人生は、マラソンに喩えられますね。人間は孤独なマラソン・ランナーです。
準備運動は、しっかりと、アキレス腱を伸ばしましょう。
下は、珍しい部位、「アキレス腱」。↓。

これも、珍しい部位です。「鎖骨の周り」。
体の一部に異常に興奮するひとを、「フェチ」なんていいますね。
「お尻」や「くるぶし」や「うなじ」、など、「鎖骨が好き」、って人も多いですね。
下は、「鎖骨の周り」。↓。

僕は基本、翌日、休みの日にしか酒は呑みません。
だから、大抵、土曜日は呑みます。
1人で呑むことがほとんどです。斉藤由貴の歌に「土曜日のタマネギ」というのがありましたね。
下は、リアル・土曜日のタマネギ。↓。

そう言えば、今日は中サンで、臨床心理士の国家資格化に向けての説明会があったらしい。
徳田さんが、参加してるはずだから、どんな様子だったかを、メールして聞いてみる。
そして、しばらく、徳田さんとメールのやりとりをした。
ところで、7月は僕も徳田さんもお誕生日月だ。
クリニックにも飾りつけがしてあって、丁度、診察室や相談室から出てくると見えるように、富田さんが工夫した。↓。

僕の誕生日は、7月24日で、「何よ」と覚えてもらえると良い。
徳田さんは、7月15日で、<何か語呂合わせないの?>と聞いたら、「何もない」とのこと。
そこで、「715」で語呂合わせを幾つか考えてみた。
ざっと、以下のようです。皆さんも何か思いついたら、コメントして下さい。
・「715」夏は、1番、ご用心。
桜田淳子っぽくスタートしてみました。
・「715」名前、言って、ごらん。
カウンセラーっぽいですね。偉そうですね。Sっぽいですね。
・「715」何故に、印象、誤解する。
確かに、Sっぽいイメージじゃないですね、徳田さんは。
・「715」ナスビ、いんげん、ゴリライモ。
長谷川式スケールという認知症のテストでは野菜の名前がスラスラ言えるかという項目があります。
ゴリライモはダメですね。厳密には野菜って難しいんですよね。スイカやトマトやイチゴあたりね。
・「715」ナッシー、イーブイ、ゴーリキー。
ポケモン初代151匹から徳田さんがポケモン・トレーナーなら使いそうなのをチョイスしてみました。
・「715」涙の、意味は、ごめんなさい。
泣き落とし作戦とかしそうもないですね、徳田さんは。
・「715」なんちゃって、いやん、ご飯おごって。
こういうことも、絶対、言わないな。なんか確実にイメージダウンさせてるな。
名誉毀損とかになるかな。やばい、少し、ヨイショしよう。
・「715」泣けぬなら、癒してやろう、ご存知、カワクリの、徳田安奈でごぜぇます。
と啖呵を切ってみました。浅香光代みたいになっちゃった。真面目にやろう。
・「715」ならば、生きるとは、業(ごう)だ。
ふんわりと哲学的にしめてみました。
つまり僕は酔いが回って途中からこんなことをずっと考えていて、「DSM-5」どころじゃなくなった。

BGM. 桜田淳子「夏にご用心」


ユートピア

23/Ⅴ.(金) 2014 晴れ、昨日との寒暖差がつらい
もうすぐクリニックの夏休みの日程を発表しないといけない時期。
僕個人の意見では、GWがそうであったように、休みが入ると、外来の規則性が乱れるので、休みなどいらないのだ。
しかし、スタッフのことを考えると、そうもいかない。
3/11の直後や大雪の日、よそのクリニックに行けず、困ってた人が来院されたことがある。
うちは、夏休みも9月にとったりするから、夏季休暇でかかりつけが休みで、薬がなくて困った人がみえることもあった。
特に、SSRIなどの薬は、急に中断してはいけないから、たまたま、うちが開いてて良かった。
だから僕は、医療機関は同じ時期に休んではいけない、と思い、わざと夏休みを9月にとったりしていた。
別に、誰に頼まれた訳でもなく、感謝もされないが、勝手にそうしていた。自己満足だが。
綺麗ごとを言うようで嫌なのだが、日本には「赤ひげ幻想」のようなものがあり、「医は仁術だ」と教えられてきた。
「医師」は職業であるが、その根底に「奉仕の精神」を医者は皆、持っていると思う。
しかし、現実は厳しい(らしい)。
特に、今回の診療報酬の引き下げは、医師の働くスタイルも変えそうな勢いだ。悪い意味でね。
総合病院では不採算部門の「小児科」が閉鎖になったとか聞いたことがあるし、行き場がなくなった患者さんも困るだろう。
精神科の病院やクリニックを経営している人たちも、生き残り作戦を考えている。
僕はあまりそういうことは大袈裟に考えてなくて、なんとかなる、と根拠のない自信がある。
診療報酬の引き下げへの経営的な対処策は、たくさん患者をみることくらいしかないらしい。
しかし、そんな粗製乱造のような診療をしていると、治療の質が下がり、患者から不満が出るだろう。
そうすれば、自然にうちに患者が流れてくる、と僕は本気で思っていて、呑気なもので、いい気なものだ。生意気なものだ。
うちの患者が増えたら、それはただ僕が朝早くから始めるとか、昼休みをなしにするとか、夜遅くまで働けば済むことだ。
こないだF.と話してたら、僕らの医局の先輩で開業医の多くは、50代で死んでいるから、注意しようと言われた。
でも、僕は、好きでやっているので、大丈夫だと思う。
とは言っても、仕事は1人では出来ないので、治療理念を理解して、サポートしてくれるスタッフが必要だ。
僕がスタッフの採用面接で重視したのは、うちのクリニックが目指してるものに共感・同調してくれるか、のみだった。
経験不問、資格も学歴も参考にしなかった。ただ、その1点のみ。
そうして、選んだスタッフが、今のカワクリ・スタッフです。
しかし、一般論だが、人って変わるものだ。初心はそうでも、実際、働いてみたら、心変わりする人がいても、おかしくない。
昼休みはクリニックを閉じて欲しい、とか、日付が変わるまで残業したくない、とか。
夏休みは、友達と旅行に行けるような日程の夏休み期間が欲しいと思うかもしれない。
僕はそういう考えは、「正常」だと思う。
でも、世間の常識はカワクリの非常識、カワクリの常識は世間の非常識だ。
もしも、スタッフが心変わりしたら、とその時のその人の人生も考えている。
ある程度、うちで経験を積んだら、大きな組織や、普通のクリニックに転職したら良いと思う。
「有給」をあげるから、その時間で採用面接とか受けて来て、働き口が決まってから、うちを辞めるので良い。
今のところ、そんな人はいなさそうだが。
この先、もしそんな変化に気が付いたら、本人に直接、言おうと思う。お互いのためだ。
ストレートにそんなことを言うのは日本的ではないが、それが親切だし、良心的だし、両親的だし、親身だと、最近思ってる。
僕がクリニックでやろうとしてることを心から賛同して仕事をするような人間は、普通に考えて、「珍しい」。
僕はそんな人と一緒に、一蓮托生、カワクリを作って行こうと考えていて、それが僕のユートピア。
立川談志が晩年、「志らく、がいてくれて助かった」と言っていた。
あの立川談志のような超カリスマでも、談志に憧れて弟子になったものでも、談志の「落語との格闘」を理解しようとしなかった。
だから、志らくは、兄弟子に対してでも怒っていた。
談志の弟子なのに、師匠の本も読まない、「イリュージョン」を判ろうとしない、と。
本気で怒っていた。
志らくは談志のDNAを継承する落語家だと言われている。そして談志が死んだ後、立川流の中で、志らくは浮いてみえる。
談志が言うのはもっともで、そりゃ志らく、みたいのが1人いたら助かるよなぁ。
あ~あ、なんだか遠い話だ、ユートピア。今年の夏休みは、お盆にするかぁ。

BGM. RCサクセション 「金もうけのために生れたんじゃないぜ」