切り札

16/Ⅴ.(金) 2014 晴れ
吉田拓郎の30代の頃の歌で、
♪ひと晩たてば頭に彫った誓いがくずれ落ちて♪という歌詞の歌があるが、まさにそんな感じか。
昨日、「もう5/18が終わるまで、記事を書きません宣言」をしたばかりなのに、もう書いています。
でも、これは「逃げ」ではなく「やる気の出るネジを回す方法」を見つけたので、皆さんにも報告しようと思って。
何かの時に参考になればと思って。
僕は散々、「5/18問題」の準備が進まないと言ってきましたが、いざと言う時のために、
切り札、を用意しておいたのです。
それは何かと言えば、僕が研修医の頃から大学院で博士号を取るまで、お世話になったアイザワ教授に手紙を送っていたのです。
<今度、学会のシンポジウムのシンポジストに任命されました。期日が近づいていますが、やる気が出ません>と。
そして今日、その手紙のお返事が届いたのです。
その手紙には、こう書かれていました。
「小生在籍中から精神病理分野は先生にもっぱら期待しておりましたが、ハッパをかけてもなかなか動きませんでしたネ。
小生も似たようなタイプで余程外力が強くないと動かない方で、よく心情は分りますが、
今回、重い腰を上げたのは何よりです。」
アイザワ教授は退官後の引き際が良く、湘南の方に隠居されて、全然、同門会にも顔を出さない。
僕は、時々、思いついた時に手紙を書く。
今回の返事の書き出しは、
「前略、退職15年余り学問とすっかり疎遠になっていますが、久々にうれしい便りを頂きました。」
と書いてあり、僕がアカデミックな舞台に立つことを喜んでくれていた。
僕にはもう両親がいないから、ちょっと親孝行をした気分になった。
ちょっとしたアドヴァイスも添えてくれていた。
「5/18問題」、急展開、よもやの師弟愛。そうして僕は、やる気のネジを巻く。
これが、僕の切り札。
下は、「やる気のネジ」つながりで、フィギュア・ケースの「日常」コーナーから、「東雲なの」。しののめ、なの、と読みます。
背中にネジがついてるのが、「東雲なの」です。右に白衣を着た少女が見えるでしょう?その子(はかせ)が作ったロボです。↓。

と言う訳で、やる気のネジも巻けたので、残りカウントダウン2日、集中してやります。
今度こそ本当、5/18が終わるまで、ブログは書きません。徳田さん、任せた。
BGM. 吉田拓郎「アジアの片隅で」


タッちゃん、ピンチ!~燃えよ、闘魂。続、「5/18」問題

18/Ⅳ.(金)2014 雨
近頃の愚痴は、「5/18問題」ばかりだ。
「5/18問題」とは、5月18日(日)の午後、きゃりーぱみゅぱみゅと
ポール・マッカートニーのライブのどっちに行くか迷うのと、
午前中はある学会のシンポジウムで発表をしなくてはならず、
2つの問題を同日に抱えてる大変さを嘆いている現実の呼称だ。
ライブもどちらに行くか、誰と行くかも決まっておらず、(チケットを各々2枚づつ持ってる)、
学会発表も何を話すか決めてない。
特に学会発表の方が深刻で何を話すか全然思いつかず、時間だけが過ぎて行く。
アイデアがまるで出ないのだ。
そこに来て、F.が前日の5/17のポールのチケット2枚あるから一緒に行こう、と誘って来て、
学会前日なので1度は断わった。
しかし、再度、F.から「一緒に行く人がいないから、途中からでも、観に来ない?」と誘われたら、もう断われない。
今更、一夜漬けで済むことでもないし、毒を食らわば皿までも、だ。You~、行っちゃいなよ!、で、行くことにした。
そうすると、5/17にポールを観るから、5/18はきゃりーで良いかと思われるかもしれないが、
保険で応募したきゃりーの全国ツアーの埼玉(7月)と千葉(9月)もチケットがとれてしまった。
5/18のきゃりーは世界ツアーの一環の東京公演だが、おそらくそれと同様のものを全国ツアーで再演するのだと思う。
それが埼玉(7月)と千葉(9月)。
そう考えると、5/18はポールにしとくか。これがポールを生で観れる本当の最後の機会だろうし。
しかし、5/17に俺を誘ったF.は、「5/18は用事があるから」と俺の誘いを断わった。
だから、5/18のポールに行くとしても一緒に行く相手を探さないといけない。
学生の頃は、良かったよ。こんなことで悩まなかった。
大人になると大変だ。皆、腰が重い。
ポールに行くにせよ、きゃりーに行くにせよ、相手を見つけないといけないが、それが中々いない。
さらに、ポールに行くならきゃりーの、きゃりーに行くならポールのチケットを誰かに譲らないと。
これも、学生時代にはありえない悩みだ。学校に行けば、大抵の奴らが行きたがり、
くじ引きさせるくらいだったのに。
大人はつらいよ。
とか言いつつ、なんだか自分で自分を大変にしてるような気がしてきた。
そもそも、チケット1枚で良かったんだ。
ついつい、お祭り気分で、皆も行きたがるだろうと勝手に盛り上がり、
今になって周囲との温度差を痛感している。
まぁ、チケットは最悪、当日、会場付近に当日券を求めに来てるファンに売れば良い。
問題は、シンポジウムの学会発表だ。
アイデアというのは、空き時間にちょこちょこっとやれば出るようなものでもない。
それなりに気分を整えて、環境作りからしないと駄目だ。
そうすると、日曜か月曜の休みの日しかない。
丁度、あと1ヶ月になった。あと何日あるのだ?2×4で8日か。
しかし、そうでもない。
4/27はBELLRING少女ハートの月1定例ライブ「からふりゅ」に行くことになってる。
4/28は『BELLRING少女ハート六次元ギャラクシー』の完成披露パーティーとスペシャル完成披露試写会に招待された。
これで8-2で6日だ。
さらに、おめでたいことだが、中川翔子の誕生日が5/5のため、
5/4と5/5は昼夜2公演づつのバースディ・ライブもある。
6-2で4だ。
こうなると、やっぱり前日のポールがデカいな。
試験同様に前日が一番エンジンがかかるのだから。
でも、仕方ない。腹をくくろう。
発表内容は「自由」と言われたから、いざとなれば、
<昨日、ポールのライブに行きまして~>とライブの報告で終わらせよう。
さすがにそれは怒られるかな。
ポールの人気がもっとあれば、良かったのにな。
って、そういう問題でもないか~。
そんな「5/18問題」、現在進行形。
とにかく、こんな時は焦ってはいけない。開き直るのだ。
昔、何度も熟読して暗唱出来る、アントニオ猪木著の「燃える闘魂」の一節を今こそ役立たせよう。
A猪木は、こう書いている。
「私はどんなに苦しい場面に直面しても、<えい!やるだけやってやれ>という開き直りが出来るのは自慢ではないが、
私の精神力のたくましさだと思っている」。
<えい!やるだけやってやれ>、今こそ、このフレーズを胸に刻もう。
2014年、平成26年のこの現代におけるアカデミックな舞台での、
唯一の頼りが「精神論」とは我ながら捨て身だと思うが。
捨て身、って、発音すると、素敵、に似てるって、今、これを書いてて、発見した。
だから何だという話であるが、なんとか頑張ってみる。
下は、フィギュアケースにかけてる「日常・ゆっこ」のペンケース。↓。

BGM. 忌野清志郎 & 2・3’S「プライベート」


ディス・イリュージョン

23/Ⅰ.(木)2014 寒いけど、昨日よりマシ
尊敬する先生が賞賛する人物は、誰からも「愚か者」と呼ばれている人で不思議だった。
だから僕は、直接、尊敬する先生に、<何故、その人を誉めるのか?>と聞いてみた。
すると先生から、「何故か、わしゃー、好きなんじゃー」とまぬけな答えが返って来た時。
<この人の目は節穴か?>と幻滅。
そして、その人を尊敬していた自分にも幻滅。
振り返り、後戻り、我が道を行く。それが今の道。
僕が女子を好きになるポイントは、容姿より、話してて面白いかどうか。
センスが合うかどうか、で、もっとも、そういう内面性はしっかり見ていれば容姿からも判る。
前言撤回、僕が女子を好きになるポイントは容姿かも。
若かった頃の昔話です。
その女子の語る芝居や映画や音楽の趣味はセンスが良くて一目置いていた。
話をしていていても大いに盛り上がって、楽しくて、そんな彼女は誰よりも可愛く見えた。
なのに、テーマがお笑いの話になって、お互いの笑いのツボが違った時。
<この子はそんな芸人を面白いと思うんだぁ>と幻滅。
てんで、センスねーの。急に変な顔に見えてきた。
誰かと、ずっと仲良く、居続けるのは難しい。特に相手に期待をし過ぎる時が危険。落差が激しくて。
幻滅は英語だと、「disillusion」。
精神科・心理学領域では、「disillusion」は脱錯覚を意味します。
「だつ、さっかく」と読みます。ちょっと、かっこよくないですか?
BGM. 矢沢永吉「抱かれたい、もう一度 -LOVE THAT WAS LOST-」


マニック・ディフェンスの理由

12/Ⅵ.(水)2013 少し雨、蒸し暑い
懸案の「タッチの南ちゃん」の記事を是が非でも5月中に書き上げたのも、その後のマニック・ディフェンスも、
その理由は、心理の徳田さんが5月いっぱいで6月1日から、お休みに入ってしまうからでした。
徳田さんは、カワクリ・オープニングからのスタッフで約6年半の間、僕の右腕のように働いて、
支えてくれていました。
週に3回は一緒にお昼を食べ、週に4日はケースについて語り合った仲です。
ある意味、家族以上に近かった存在です。
そんな彼女がいなくなるのは、僕にとっては痛手で、そりゃ、オイル時計のまとめ買いくらいしますぜ、旦那。
さて、徳田さんの送別会は、5月25日に自由が丘の韓国料理屋さんで行いました。
徳田さんの代りに、新しく心理が4人、入りました。
その新・心理スタッフからは、サプライズで綺麗な、真っ白い花束が贈られました。↓。


徳田さん以外で、オープニングからいるのは、僕とナースの塚田さんだけです。
その塚田さんが気を利かせて、こっそり花束を用意しておいてくれ、「僕から」ということで、これもサプライズプレゼント。
これが、それ。↓。心理の花束が、白だから、まるで、紅白歌合戦のようです。
まだ5月なのに、蛍の光な気分でした。


徳田さんの良さの1番目は、精神分析をベースとした臨床的な基礎技術がしっかりとしていたことです。
勉強熱心で休みの日には、研究会に参加したり、積極的にスーパービジョンを受けていました。
給料と休日の大部分をそれらに費やすストイックな姿勢は、おそらく臨床心理士としての誇りがそうさせたのでしょうね。
徳田さんの良さの2番目は、共感する能力が高いところです。
精神科の教科書には、精神療法の基本は、「傾聴・共感・支持」と書かれています。
しかし、これは疑問です。「共感」って技法や技術なのでしょうか?
どんなにすぐれた専門家でも、他人の気持ちなんて、そうやすやすと判らないでしょう。
もし、判るという人がいるなら、それは判った気になってるだけではないのかしら。
色々な考え方はあるでしょう。
でも、僕は「共感」とは、話を聞いていて、生じるものだと思うのです。
技術というより現象に近いのではないでしょうか。
もし、技術の部分があるとするなら、それは共感が生じるように工夫して話を聞くことではないかしら。
相手の気持ちに調律を合わせるような技術。
これは丁度、赤ちゃんが泣いてる時、「おっぱいが欲しい」のか「オムツを替えて欲しい」のか
「抱っこして欲しい」のかをお母さんが読み取る能力に似てるのではないかしら。
徳田さんの良さの3番目は、臨床に望む、責任感と覚悟でした。
徳田さんは、まるでサリンジャーの小説のライ麦畑の捕まえ役のようでした。
危ない時の患者さんをしっかりと捕まえて離しませんでした。
徳田さんがよその治療機関に送る診療情報提供書に目を通したことがあります。
丁寧な言葉選びでエレガントな文章でしたが、中味は、「果たし状」みたいでした。
要約すると、うちはこれだけのことをやったんだから、この人を診るんなら、そこんとこヨロシク、
と相手の覚悟を問うようでした。
その見立ての正確さと治療の流れの理解に、普通の人はちょっとビビるだろうな、と僕は読んでそう思いました。
でも、それはこちらが威張ってるのではなくて、すべては患者さんのためになるから、良いことなのだと思いました。
以上は、臨床心理士としての徳田さんの資質の長所の列挙でした。
以下は、徳田さんの人柄の良さについて書きます。
我々の仕事は人の心を対象にするものなので、自身のパーソナリティーも治療の道具の一部になります。
勿論、人と人だから、相性もありますけどね。万人に受ける治療者などいないですからね。
それを踏まえて、徳田さんの人柄の治療的なところは、僕が思うに、多分、これまでの人生で優等生で来た人ではなさげなところです。
それは、人間は放っておくと駄目になる生き物で、弱々しく情けなくダラシナイことを実感として判っているふしがあるのです。
「優秀な人」は、ここが欠落しているので、あまり良い治療者になら(れ)ないことが多い気がします。
徳田さんの人柄で治療的だなと思う2番目は、好奇心の強いところです。
僕らが話をしていて、「それ、何だっけ?」となると必ず調べて教えてくれます。それが、どんなにくだらないことでも。
僕は、今思うと、徳田さんのそういうところに甘えていたのかもしれません。
自分の面白いと思うマンガやDVDを貸して、話題を共有させていたのですから。
「涼宮ハルヒ」のラノベ全巻とか、「けいおん」のマンガ全巻とか、「かんなぎ」のマンガ全巻とか、
「おやすみプンプン」とか。
「おやすみプンプン」に至っては、徳田さん、途中から、自分で買っていました。
「ひぐらしのなく頃に」のDVDや「化物語」のブルーレイも観てくれました。
僕が中高生の頃は、友人達とレコードの貸しっこをしたり、お互いの好きな芸能人のイベントに付き合いあったりしたものです。
僕は友人を山口百恵の映画に付き合わせ、石野真子や近田春夫&ハルヲフォンのコンサートに連れて行きました。
代りに、エアロスミスや榊原郁恵のコンサートからジャパン・ボウルというアメリカン・フットボールの試合にも付き合いました。
それが、段々と大人になると、そういう関係が希薄になって行き、寂しくなって行きます。
僕は、ゴルフとかしないから、気がつけば、のけものみたいになってたりします。
それを徳田さんに、マンガやアニメを押し貸しして、埋め合わせていたみたいです。
そう言えば、立川談志の落語にも、連れって行ったっけ。
でも、徳田さんにとって、それは良かったと思います。
生きた立川談志を見た事があるって、いつかどこかで誰かに自慢できる時が、きっと、あるから。
そうそう、徳田さんの人柄の治療的な効用について話していたんでしたね。
そうなると、何はともあれ、後にも先にも、それは、明るさ、ですね。
徳田さんがいると、それだけでその場が明るく感じました。
徳田さんは第1火曜日だけ、変則的にお休みでした。
徳田さんのいない火曜日は、午前中でも放課後のようでした。
よく徳田さんは、相談室に、お花を飾っていましたが、僕は、何故か、ひまわりの黄色いお花の印象しか有りません。
徳田さんは、お別れにシシリア・レモンとフレッシュ・バジルのルーム・ミストをくれました。
意味は、「情熱と誠実」だそうです。
多分、徳田さんから見た僕の診療のポリシーが、「情熱と誠実」だと思ってくれたのでしょう。
そんな話はしたことないけれど。
徳田さんは、自分がやめた後の、僕への仕事の負担増を心配していました。
だから、もし、僕が疲れ果ててしまって、萎えそうになった時は、この香りで乗り切って、
というメッセージなのでしょう。↓。


今日はまだ6月12日だけど、スプレー、早くも使いまくりだよ。
診察室、レモン風味の香りで充満。
徳田さんは、クリニックのオープンの時は、まだ、臨床心理士の資格を取ったばかりの駆け出しの新人でした。
カワクリの歴史は、徳田さんの臨床心理士としての成長とパラレルでした。
そんな徳田さんに贈りたいのは、♪あなたがもしもどこかの遠くへ行きうせても、今までしてくれたことを忘れずにいたいよ、
もどかしさも貴方にゃ程よくいいね♪、と歌った黒人霊歌か何かの一節です。
徳田さんは、毎年、6月が嫌いでしたね。今年の6月は、あまり6月らしくないけれど、それでも、やっぱり嫌いですか?、6月。
僕はマニック・ディフェンスを効かせて張り切り、そして新たな心理の皆もオーバーワーク気味に、頑張ってくれています。
なんとかなります。
まぁ、最後に、とってつけた様になるけれど、徳田さん、約6年半、ありがとう、お疲れサマー。サンキュー、達者でな。
BGM. LAZY 「Hello Hello Hello」


温度

7/Ⅵ.(金)2013 ホントに梅雨??晴れ
昔、徳田さんがブログのピンチヒッターをしてくれた時によくしてたように、今日は、お花の紹介をしましょう。
予報では、今日から雨のはずでした。お花も、紫陽花を用意して、雨の準備をしていました。↓。

ところが、予報は見事に外れて、今日も晴れ。それでかしら?、お昼に、お花に、ひまわりが追加されました。↓。

しかし、こう暑いと、空調の調節が難しいです。
日中は蒸し暑く、冷房を付けると、しばらくすると寒くなります。
なので、冷房を止めて、しばらくすると、暑くなります。
そこで、冷房をまた付けます。しばらくすると、また寒くなります。
そして、冷房を止めて、…
そんなことを一日中、繰り返しています。
適切な温度を保つのは、難しいですね。
人間関係と似ていますね。
精神分析には、「山あらしジレンマ」という言い方があります。ショーペンハウエルの寓話に由来します。
人と人の心理的な距離のとり方(近づきと隔たり)をめぐって生じる葛藤とアンビヴァレンスを意味する用語です。
下は、昨日のお花、バラ。山あらしのトゲとバラのトゲつながりで。↓。

BGM. 麻生よう子「逃避行 」


電話の話し

18/Ⅳ.(木)2013 はれ
今年から、東京都精神神経科診療所協会(東精診)というのに入会した。
いや、させていただいた。
その勉強会が、13日(土)にあり、テーマは「精神科救急」関連のこと。
翌日の、14日(日)は、「こころの電話相談」の当番をした。
15日(月)は、月1の精神分析の研究会と、この休みは、精神科一色だった。
多分、皆さん、知らないと思うので紹介しますが、東精診では毎週日曜日に無料の電話相談をしています。
それは入会している診療所の「精神科医」が、当番で担当しているのです。
心理士やケースワーカーではなくて、精神科医がやっているのが貴重だと思います。
実は、僕はこのサービスを入会するまで知らなかったのです。
つまり、あまり知られていないと思う。
なので、ここで宣伝しましょう。
東精診のホームページを開いてもらうと、左端に「こころの電話相談」という囲いがあります。
そこをクリックしてみて下さい。
毎週日曜、PM2~5時まで、対応しています。
これは、当番の数日前にクリニックに宅急便でそれ専用の携帯電話が送られてくるのです。
僕は、自分がその当番だと知りながら、本部か何かに行ってやるものだと勝手に思い込んでいたから、
電話機が送られてきた時には驚いた。
前の当番の先生が次の当番の医者に直接、送るルールなのだ。
伝票には、「電話機」と記されている。
僕は、説明文をよく読んでなかったから、電話機の送り主のクリニック宛てに直接電話して、
「そちら名義で、謎の電話機が送られて来たのですが、こ、これ、心当りありますか?」って聞いちゃった。
時限爆弾か何かと勘違いして、あわてて。
そしたら、そのクリニックの受付の方は、朗らかで、親切に、「きっと、電話相談の当番ではないですか?」と教えてくれた。
そこで、やっと気がついた。お恥しい。前のクリニックの先生、失礼いたしました。
今後とも、よろしくご指導ご鞭撻の程を。
で、電話相談である。
相談は、3件あった。
これが「多い」のか「少ない」のかの判断は微妙だ。
試しに、ヤフーで「こころの電話相談」と検索してみたら、少なくとも10頁以内には見つからなかった。
岡山や広島や宮崎や埼玉はあったのに。宣伝不足なのかな。
なので、ここで紹介して、少しでも認知度を上げようと、記事にしている訳です。
無料相談ですが、通話料だけはかかりますので、念のため。
そうそう、電話で思い出したのだが、僕が高1の時、学習塾で知り合った女の子にやたら長電話をする子がいた。
その子は電話魔で、一時期、毎日のように電話がかかってきた。
当時は、携帯電話などない時代で、家の電話にかかってきた。それで、平気で2~3時間、喋るのだ。
内容は、どうでもいいことばかり。
たとえば、世良公則&ツイストの新曲について、とか。
先日、古い日記を見ていたら、架空の電話のシナリオを発見した。
それは、その子に電話する前に、僕がシュミレーションしたもので、数頁にわたっている。
シチュエーションは、僕が電話をするところから始まっている。
僕はその子の長電話には慣れっこだったのだが、自分から電話をするのは、緊張したのかな、そんなものを作って。
こちらが話しかけて、相手の答えを想像して、話が進んでゆく台本なのだが、
実際には、「一言目」から想定外のフレーズが返ってきて、無駄に終った想い出が残ってる。
僕はその子と塾の友達たちで海水浴に行ったことがある。
その子は、高1のくせに真っ赤なビキニを着ていて、それがまた何とも色っぽくなかったことを、
真夏の強烈な日差しとともに思い出す。
それは、その子の性格があまりに明る過ぎたからだと思う。
その子は、僕をそのグループで「1番可愛い子」とくっつけようと色々とおせっかいを焼いては、すべてを台無しにした。
「私に任せておきなって~」みたいなことを言って、すべて台無し。悪気はないんだよなぁ。
その子のお兄ちゃんは小さな暴走族のリーダーをしていて、その子は、それをとても嫌がっていた。
僕は、「そんなことはどうでもいいことさ」、と電話越に言ったことがある。本当にそう思ったし。
珍しくその子は、黙り込んでいた。
今、思うと僕は、その子のことが好きだったのだと思う。
BGM. ピーターとゴードン「愛なき世界」


ハッピー・バースディ

21/Ⅱ.(木)2013 曇り、昼には雪が降ったらしい
メイちゃん、お誕生日おめでとう。メイちゃんが、5月生まれじゃない、って引っ掛問題みたいだね。
僕の方は、今度の日曜日、待望の「しょこたんの日帰りバス・ツアー」です。↓。

僕は去年に続き、2回目の参加です。ちなみに一昨年は、寝坊して不参加でした。
「しょこたんバス・ツアー」は、ファンクラブの催し物で、ミニライブや握手会や2ショット写真を撮る時間もあります。
今年は、「DONYOKU合戦」というチーム対抗の歌合戦もあるそうです。
それはファンによるカラオケ大会で、ものまねパフォーマンスやアニソン、コスプレ部門もあり賑やかです。
僕は、勿論、「DONYOKU合戦」にはエントリーしませんよ。こう見えても、シャイネスだから。
でも、「バスツアー」にはワクワクしています。このワクワク感は、言葉では伝わりませんね。
人の心には、形が無いでしょう?
だから、相手に気持ちを伝えるのって難しいですね。
だから、言葉って、気持ちを伝える道具としては、便利ですね。とりあえず形になるから。
だけど、言葉って気持ちと「=」イコールじゃないからね。数学的に言えば、近似値かな。
僕が、たとえば悲しくて、「悲しい」と言葉にしても、それは口にした途端、僕の「悲しい」気分とは少しズレるもの。
むしろ、「あの曲」や「あの絵画」の方が、僕の悲しい気持ちにフィットするケースが多いね。
だけど、それはそれで、言葉より正確さに欠くから、受取側のアンテナによって受信されないこともあるしね。
感性の問題だね、「何、それ?雑音?」なんて言われた日にゃ、たまったもんじゃないよ。
ところで、僕らの仕事は、心を扱う仕事。形のないものをやり取りしたり、受信しなくちゃいけない。
だから、言葉にはすごく世話になっている。
不足分は、非言語的な表現で補うんだな。だから絵画療法とか音楽療法とかダンス・セラピーなんてあるんだよ。
夢とかも重要だね。あっ、この場合は、夜寝る時に見る方の夢ね。
あとは、思いつくままの連想とか。色で気持ちを表現することもあるね。
そんな訳で、僕の今の「しょこたん日帰りバスツアー」を控えたワクワク感は、たとえるとこんな感じかな。
カラフルというか、ポップというか、スイートというか、ビターというか、ハニーというか、スマイルというか…。
そう。こんなチョコレートの詰め合わせみたいな気分です。↓。

伝わりました?。バスツアーまで、あと3日です。そして、全国の、2月21日生まれの方、お誕生日、おめでとうございます。
BGM. 中川翔子「CAT Life」


頑張れ!、精神科医。…そして心理士も。

前回のブログは実験的に愚痴っぽいことを書いてみてました。
実は、僕はブログを始めるにあたって、2つのことを心掛けようと思ったのです。
1つは「なるべく自己開示をしよう」ということ。
もう1つはストレス発散の場を作ろう。それには、分別とセンスが要求されるけどね。
だから、いわゆる院長ブログと較べると異質になるだろうな、と予測された。逆に、ストレスになったりして。
「そんなことを言わなきゃいいのに」って知り合いから忠告されるだろうな、とも思った。事実、されてるし。
そんな意味での、ブログタイトル、「川原達二の十中八九N・G」です。
ブログへのコメントはなるべく公開していますが、宣伝の類や、低次元の誹謗中傷はこれまで無視して来ました。
そういう事をする人は少なくとも複数人いて、ひょっとしたら面識のない人かもしれない。
始めは放置してたんだけれど、段々図に乗って来やがったから、ついに堪忍袋の緒が切れて、言い返した、という次第です。
誰かがコメントで書いていてくれていたけれど、前回の記事には皆さんおそらく、「困った」、ことでしょう。
善良なる方はスルーしてくれるだろうとの甘い読みもあって、しかし、蓋を開けたら、意外にも沢山コメントを頂いて。
ビックリというか、感謝というか、<こんなのに付き合せて、ゴメンね>という恐縮した心持ちです。
コメントはせず見守っていてくれた方もいるでしょうね、すまんね。申し訳ない。わりぃ。
しかし、やはり来るね。悪意のメールは。使用上の注意を書いても、そのことにイチャモンをつけてくる。
勝手に人ん家に突撃してきて、晩ごはんの献立にケチをつけてる奴みたいだ。「嫌なヨネスケ」って感じ。
ま、「見るな」と言われれば見たくなるのが人情か。そういう意味ではこっちが挑発的だったかな?。失敬!。
ところで、今さっき、「医者の自殺」という統計を見たのだが、精神科医の自殺率は他科の医師と比較して異常に高かった。
別の結果もあるだろうけど、確かに僕の周りでも何人かの精神科医が、自殺や過労死(これも自殺に極めて近いと思う)をしている。
パワフルで、面倒見が良くて、オシャレで、ユーモアがあって、<エッ、この人が?>と思わされる所が共通点だ。
他人の世話ばかり焼いて、自分の悩みは誰にも喋らないのも特徴だ。喋れなかったのかもしれないけれど。
僕がブログで好きなことを書いて発散してるのは、どこかで彼らの自殺から得た教訓を生かそうとしているのかもしれないな。
しかし、精神科医の自殺は、仲間の精神科医の心を動揺させて診療に悪影響を与えるから困りものだ。迷惑だ。
そもそも精神科医の重要な仕事の1つは、患者さんの負の感情の一部を引き受けることにある。
と言うことは、つまり、生き残ってナンボの職業なのさ。そういう意味じゃ、心理士も同じだな。
普段、患者には「自殺はしないと約束をして下さい」なんて言っておきながら、テメェが死んでどうすんだよ。
矛盾してんだろ。
大変な世の中だけど、死にたくなるのも判らなくないけれど、頑張ろうぜ!、精神科医。自殺なんかしてる場合じゃないぜ。


秋デミック

8/Ⅷ.(土)2012 豪雨のち晴れ
今日の夜は、「思春期のうつ」という研究会に徳田さんとともに参加するから、
いつもより早く上がります。
9月の文化活動はアカデミックで、学会・研究会・勉強会が目白押しです。
大岡山商店街は、今日・明日は秋祭りです。クリニックからも提灯を出しました。↓。

診察テーブルの花瓶も、小ぶりに変えました。この方が可愛いでしょう。↓。

季節はもう秋になりますね。秋になると、僕は、南沙織を聴きたくなります。
皆さんはそういうのはないですか?
BGM. 南沙織「哀しい妖精」


消しゴム

1/Ⅵ.(金)2012 はれ
ずっと診察室の机の上に黒いボールペンの跡がついていて、丁度、それが短い髪の毛みたいに見えて、
ほぼ99%の人が髪の毛と見間違えて、取ってくれようと指で触れても取れなくって、「あっ、ペンの跡かぁ」、と気付く、
ということが続いていた。そして僕は、それを放置したままで来た。
今年も今日で6月になり、気分一新、その髪の毛みたいなペンの跡を、消してみようと思い立った。
理由は、今日から6月だから、というたったそれだけ。
普通の消しゴムで消えるかな?、とは思ったけれど、試しにゴシゴシとやってみたら、消しゴムのカスが、
ニョロニョロニョロと、まるで気の良い寄生虫か何かのように、いっぱい湧き上がって来て面白かった。
しかもその効果で、ペンの跡はキレイに消えました。
今はもうだれも、髪の毛だと見間違えることはないでしょう。
僕らの人生は、過去を振り返ると「汚点」というのでしょうか、消してしまいたい記憶が誰にでも有りますね。
そんな汚点を消せる消しゴムがあれば、欲しがる人も多いのでしょうね。
寺山修司の実験映画に、その名もズバリ、「消しゴム」という作品があって、色んな思い出を消して行って、
確か、最後には自分自身を消して終るんじゃなかったかな?。そんなフィルムが有りました。
僕らの仕事は、過去の嫌な記憶を消すことではありません。
どんなに嫌な記憶にも、それぞれにはそれぞれの意味があったのだろうし、消せない事実なのだとしたら、
それらの一つ一つに納得の行く意味付けをしてあげて、心の置き場を見つけてあげる必要があるのでしょう。
そんな作業の手伝いをする。
そういうのが精神科・心療内科・カウンセリングの仕事なのだと思います。