僕が精神科医になった訳 2024

13/Ⅶ.(土)2024 久しぶりにはれ 今日22時よりABEMAにて「撫物語」第2話なでこドロー其の壹、無料独占配信開始!

フェリーに乗って帰宅途中。どこかの島で散々遊びつくしたのだろう。すっかり疲れて愚図った顔をしている、それなのに帰路の船の中「まだ帰りたくない」って泣いてわめいるのは子供の頃のボク。それを横でみてるのが大人になった今の僕。まわりには母や兄や親戚のおじさん&おばさん(共に教師)、いとこや従業員のお姉さんたちが10人以上。みんな小さなボクをなだめてて、大きな僕の存在には気付かない。見えないみたいだ。

僕は今でも飲み会で「はい、お開き」となっても「まだ帰りたくない。もう一軒行くぞ」と先輩や後輩たちを困らせる。みんな「明日は朝から用事がある」と。だから僕はすねて「もうあんな奴らと飲まない」と飲み会に参加しなくなった。フェリーのボクと何も変わらない。

季節は夏か。島で大きな浮き輪を持って大笑いしてはしゃいで走り回ってよく動いている。海の上で転覆して泳げないから誰かに救出され、泣いたカラスがすぐ笑って、走り出したかと思ったら転んでケガをして膝小僧から出血して、その血をみて兄が卒倒する。落ち着きのない子供だから怪我ばかりする。10人くらい大人がいるから何とかみれてる。これだけ動けばよく眠れるだろう。食べ物は好き嫌いがあって、玩具を買ってもらって夢中になるが結局うまく操作出来なくって放り投げる。教師であるおじがそれを拾って使い方を教えるが興味を失くしてるから見向きもしない。

ピアノとか絵画教室とか書道とか学習塾とか習い事もいくつかするが勘だけ良いから最初こそさっさと出来るが壁にぶち当たると投げてしまう。ちょっときつく言われるとヘソを曲げてもう何もしない。母は根気強く怒らないでボクが嫌だと言ったら無理強いせず次の物をあてがった。こんな育て方をしてたら将来こらえ性のないロクな大人にならないぞ。言う時はビシッと言って、怒る時は怒らないと本人のためにならないんじゃないか?

フェリーは島から離れどんどん港に近付いて行く。旅の終わり遊びの終わりだ。わめき疲れてボクはお姉さんの腕の中で寝息を立てている。この時分の性質や性格が奇跡的に矯正されないまま、今の僕になったかと思うとちょっとゾッとする。とはいえ人間は社会的な動物だから、福祉うんぬんではなく、何か弱ってる個体がいると周囲の個体が守ってあげようとするのか。ボクはそんな風に誰かに助けられながら甘やかされながら今日まで生きて来た。人間は支え合いだというが、それはギブアンドテイクしてる人が言うもので、ボクのような人間があまり偉そうに言うことでもないな、とフェリーの中で僕は思った。

 

以上、夢日記でした。さて、今回も「心のゴミ箱」兼用です。昔の知り合いでたまたま、ここを見つけた人も「元気ですか?」と声をかけて下さい。「非公開」希望の人はそう書いて下さい。今月はお誕生日月なので過去の記事を手直しして自己紹介の代わりです。

 

僕の家は眼科で二人兄弟だから、将来の親の希望は、父と兄と3人で眼科を大きくすること。そういうのを「是」とする時代だった。僕は物心付いた時から、医者になることになっていた。勿論、その後の人生で、思春期や反抗期はあったけど、僕は医者になった。それは眼科医になる、のではなく、精神科医になろうという強い意志があった。医者になるには医学部に入り全教科を勉強して全教科の国家試験をパスしないといけない。だから、逆に言えば、医師免許があれば、何科にでもなれる。僕に対しての約束は、医者になることだったから医者にさえなれば何をやっても良いとも言えた。
僕の生まれは茅ヶ崎の海側で、そこは別荘地の多い温暖な風土だった。幼稚園の頃、近所をブツブツと独り言を言いながら、乳母車を引いている貧しそうな老婆が徘徊していた。老婆は乳母車に古い赤ん坊の人形を乗せていて、その人形を本当の赤ん坊だと思っているという噂だった。すずめ、を捕まえて食べてるという噂もあった。僕は母親やお手伝いさん達に、「タッちゃん、あの人に話しかけてはダメですよ」と教えられていた。ある日、狭い路地で老婆と鉢合わせた。
僕は思わず、「すずめ、って食べれるの?」と聞いた。すると、老婆は「坊や、そんな可哀想なことをしてはいけないよ」とビックリするほど、優しい声で言った。僕は一瞬で、この人は良い人だ、とピンと来た。すると、そんな気持ちが以心伝心、彼女にも伝わったらしく、僕らは仲良くなった。老婆は乳母車から赤ん坊を抱え上げて、「ほら、こうするとお日様が透けて見えて綺麗なんだよ」と僕に教えてくれた。セルロイドの人形に夕陽が差し込んで、それはキラキラと反射して輝いて虹のように見えた。しかし、僕はこの事は、親には秘密にしておいた。
同じ頃、似たような事件があった。
僕の実家は広大な家だった。だから、時々、「乞食」(←これは不適切な表現なのでしょうが、差別を助長する意図ではないので使用します)が来た。母親やお手伝いさんは、「タッちゃん、乞食が来たら、食べ物をあげちゃダメですよ。クセになってまた来るから」と言った。僕は言う通りにしていた。ところが、ある日、僕しか家にいない時に、勝手口から、女の乞食が、「何か恵んで下さい」と入って来た。僕は、「お前に、何かあげるとクセになってまた来るから、やらない」とピシャリと言い放った。すると女の乞食は、「坊ちゃん、もう何日も何も食べてないのです。約束します。今日だけですから」と懇願した。僕は女乞食の目をジッと観察して、僕にはこの人が嘘をつくようには見えなかった。そこで、従業員がいつでも、食べれるように台所に置いてある塩むすびを持って来てあげた。女乞食は何度も何度もお礼を言い、約束は守る、と言って帰って行った。僕はこの事も、大人達には話さなかった。
代わりに、毎日、「ねぇ、今日、乞食、来なかった?」と聞くのが日課。すると、親やお手伝いさん達は、「変な事を気にするのね。乞食なんか来ませんよ」と笑った。女乞食は僕との約束をちゃんと守ったのだ。僕はこれらの事を通じて、大人たちの言う事はなんていい加減なものだろうとあきれた。
そして、こういう「常識」とか「普通」は疑ってかかる必要があると思った。
僕はそれ以来、無批判にこの世を支配している「常識」とか「普通」とか「規則」とか「一般」とかを敵視するようになった。それは、そういう事によって、無力な人が、抵抗する術もなく、不当に扱われてることに義憤を感じると同時に、「常識」に縛られて、生きている大人たちも決して、自由に見えなかったからだ。僕は将来、医者になったら、歪んだ「常識」や「普通」で窮屈をしている人達を助ける仕事をしたいと思った。その頃の知識で、精神科という科があることを僕は知っていた。僕は医者と言う権威を武器に、差別や誤解を受けてる人や、不自由に生きている大人たちの心を解放するために力を発揮しようと決めた。そして、それは僕の性質上、とても向いていると思った。
これが僕が精神科医になった訳で、その初心はブレることなく今に至る。

BGM.  薬師丸ひろ子「守ってあげたい」(ねらわれた学園・オープニング)


「くどう君」と「干しぶどう」の思い出 2024

今月はお誕生日月。この記事も「心のゴミ箱」兼用です。

11/Ⅶ.(木)2024 雨 2024サンリオキャラクター大賞いちご新聞ランキング(いちご新聞に届いた票だけを集計した)結果1位は「ハローキティ」。シナモンは4位。

昨日22時からAbemaTVの生放送で石丸伸二と成田先生が酒を呑みながら雑談してる番組が面白くてついつい夜更かしした。今朝、テレ朝の「グッドモーニング」で元アイドルの局アナがインタビューしてるコーナーでは冗談言ったりして。選挙後のキャラだと延命は難しいと思ってたら見事なキャラ変。「石丸構文」なるものまで出来て「小泉進次郎」に並ぶ人気者に。社会学者?古市氏とのやり合いをネタにされ「サブウェイで注文出来るの?」とネットで騒がれてるが、さすがネットを駆使した選挙戦術の石丸氏だけあって、昨日のリハック(アベマの番組)でも、「(酒の)つまみ買って来ますか?」に「サブウェイ行こうかな?僕よく行くんですよ」と自らネタにする柔軟性。それよりやはり問題は成田先生で一人でヨッパライ「乱入した」N国党の立花孝志と石丸氏のバチバチしたやりとりを茶化し、「紳士的ですね」「恫喝しないんですね」「常識人なんですね」「国民の皆さん、安心して下さい。常識人でも頑張れば、サイコパスのふりが出来ると分かりました」と普段の二人の姿勢と「今日の」態度の差をあざ笑った。面白いものをみせてもらった。

さて、突然ですが僕は「干しぶどう」が嫌いです。それには深い訳があります。
その理由は小学校の低学年の頃にさかのぼります。

「くどう君」が、お父さんの転勤で「ロンドン」に引っ越すことになった。僕の田舎は茅ヶ崎で海外に転校する子は珍しかった。「くどう君」と僕は仲が良くて、引越しが決まってから、僕は「くどう君」の家に遊びに行った。「くどう君」の両親は不在でおばあちゃんが家にいた。
僕と「くどう君」が遊んでいると、おばあちゃんが麦茶とおやつに「干しぶどう」を差し入れてくれた。「干しぶどう」は、白く丸い皿に並べてあった。時は、真夏。「くどう君」のおばあちゃんは、昭和40年代当時のおばあちゃんとして平均的だったと思うが、白いノースリーブの下着のような服を着ていて、かがんで皿を置く時に胸元から谷間が見えた。「くどう君」のおばあちゃんはノー・ブラだったから、垂れ下がった乳房とその先に萎んだ乳首が見えた。僕は、その垣間見えてしまった「くどう君」のおばあちゃんの乳頭と、皿の上の「干しぶどう」が同一の物に見えた。それで、「食べろ、食べろ」というババァに吐き気がして、それ以来、「干しぶどう」を見ると老婆の乳首に見えてしまい菓子パンに「干しぶどう」が乗っていたら食べれない。ピラフに「干しぶどう」が入っていたら顔をそむけた。
その頃の僕は、過敏になっていて、「干しぶどう」だけをよけて食べるのも無理だった。接触してるということは、汚染されてることを意味したから。それだけで、全部アウト!ちょっと高級なレストランに連れて行かれ、気の効いた料理に「干しぶどう」が入っていたら僕はそれに手をつけなかった。
僕はそういう子だったので、親は別に理由も聞かないで放っておいてくれたので、今思えば感謝してる。さすがに僕も大人になって、今では、何秒以内に「干しぶどう」をよけたらセーフ、という独自のルールを作り、おかげで食べれる料理の幅も広がった。
話を「くどう君」に戻そう。「くどう君」のお別れの会。女子たちは皆、泣いていて、中には、「くどう君、行かないで」と無責任なことを言う奴もいた。ま、子供だから仕方ないか。でも、担任は大人なんだから、しっかりして欲しい。クラスの空気は、「くどう君、行かないで」一色になりかけてたのに、あの先生は何もしなかった。そして、目で僕に「この場をなんとかしろ」みたいな合図を寄こした。僕は、<ここはお前の仕事だろ>と視線で返した。
でも、流れからしょうがない。僕は皆に向かって、<そんなこと言ったって、親の都合だからしょうがないだろ>と言った。一瞬で、「そりゃそうだ」という雰囲気になった。そして、僕は、<ロンドンには、ドンドン行け!>と「くどう君」の背中を叩いた。「くどう君」は、2・3歩、よろけてから、振り返った顔は涙まみれで、「タッちゃんは、大人びてるなぁ」と笑った。それが、「くどう君」の最後の笑顔だった。…って、「くどう君」、死んでないし!
真夏の「くどう君」と「干しぶどう」の思い出でした。

BGM. 石丸伸二氏とは?元乃木坂46とも「真剣勝負」【グッド!モーニング】(2024年7月11日)


KWAIDAN 2024

今月はお誕生日月なので過去のアーカイブスを。この記事も「心のゴミ箱」兼用です。昔の知り合いでたまたま、ここを見つけた人も「元気ですか?」と声をかけて下さい。「元気です」と答えます。コメントを見られたくない人は「非公開」と書いてくれれば皆には分からないようにします。「ゴミ箱」が何かわからなくても、この記事だけで楽しめるようにはしてあります。

9/Ⅶ.(火)2024 はれ 石丸伸二氏「腑抜けたインタビューさせるんじゃないよ」 日テレ古市憲寿氏とかみ合わず

真夏なので、定番の怖い話をお送りしようと思います。今回の記事のタイトルは、高校の時の英語の授業「ラフカディオ・ハーンのKWAIDAN」の表記から拝借。

近頃はAbemaTVの山本裕典のホストに挑戦企画から、軍神という山本裕典のホストの師のYouTubeを見入ってる毎日ですが、以前に歌舞伎町に連れて行かれホストとこんな会話をしたことがあります。

「こう見えて自分は子供の頃、体が弱くかかりつけの小児科医がとても良い先生で自分も将来はその先生のように小児科の先生になりたかった。しかし、自分が高2の時、その医者が児童ポルノの罪でつかまった。なんだ、あんなに良い先生だと思っていたのが、実はそういう目で子供を見てたのかと裏切られたと思って勉強をやめてしまった」、それが医者をめざした理由と辞めた理由のすべてだった。
医学部は6年間。その時間は、単に膨大な知識を吸収するためだけにかかる時間なだけではない。その間に気持ちが折れずにモチベーションを維持出来るかどうかが問われているのだと思う。そうやって、患者と向き合う覚悟が問われ、責任感が育まれるのだ。我々だって何度も、理想と現実のギャップをつきつけられ、ぐらつくことに耐えて、生き残った。サバイバルした。少なくとも、「尊敬する先生がロリコンだったから幻滅して、夢を放棄」なんて、責任転嫁な言い訳は通用しない。
ところが、こっちの世界(どっちだ?)では、通じちゃうみたいで逆に、有効でさえあるみたいなのだ。「その医者、サイテー」とか、「可哀想~、被害者だね~」なんて同情票が期待できる。とほほ、な話である。

医師国家試験のテスト範囲は膨大である。その全部を完璧にこなすのはなかなか難しく、また全部が出題される訳でもなくどこが出るかわからない。そこで、傾向と対策が必要になり情報戦が重要になる。僕らの頃の情報戦の主軸は、「~が出るらしい」という風の噂。それを聞くと、そこを集中的に取り組む。また別の噂を聞きつけると、そこを見直す。そんなことをしていた。
実際、情報内容よりも、そういうものを自分だけが知らない不安がプレッシャーを呼ぶから心理的効果の方が大だったのかもしれない。

クラスの頭の良い子が、学校にかけ合い、6年生のために皆で勉強をし情報を共有するためのスペースを確保してくれた。これは、大変助かる。0時とか1時まで解放してくれるのだが、その時間まで学校に残ると僕は家に帰れなくなってしまう。僕は、当時、へんぴな所に住んでいたので、交通手段がなくなってしまう。
大学6年にもなると、結構マイカーを持ってる人がいて乗り合わせたりして帰っていたが、僕は車を持ってなかったし他の友人に送ってもらうのは遠回りになるのでお願い出来ない。それも毎日毎日のことだから、とてもじゃないが頼めない。困っていると、これまで6年間、ひとことも喋ったこともない男が、「川原さん、僕、帰り送って行きましょうか?家は○×ですよね?うちもすぐですから」と言ってくれた。本当に?いいの?。「川原さんの所、帰り道なんでいつも通るんですよ。1度、見かけたこともありますよ」と言ってくれた。悪いなぁ。じゃ、お言葉に甘えて。ところで、君、誰?。すると彼は真面目な顔をして、「ナカクラです」と答えた。ナカクラ君、と呼ぶことにした。
ナカクラ君の車は紺色の丸味を帯びた地味な日本製の車だった。学校から僕の家までの間、車中で今日勉強した箇所を話し合った。ナカクラ君がどの位頭がいいのか僕は知らないが、きっと僕より成績はいいのだろう。「そこはこうだと思いますよ」「それと関連して、コレコレ、というのも覚えておくといいですよ」などと言ってくれたから。約束通り、国家試験が終わるまで、毎日、ナカクラ君は僕を家まで送り届けてくれた。国家試験の当日、僕の手応えはなかなか良かった。
ナカクラ君はどうかな?と少し気にしたが、広い会場だ、誰がどこにいるかなんてわからなかった。そして、国家試験の発表。テストは水物だから、受かる人もいれば落ちる人もいる。合格発表者の表にナカクラ君の名前はなかった。他のクラスの子に「ナカクラ君、駄目だったの?」と聞くと、「ナカクラ?誰?」と言われた。えっ?。…合格欄だけではない。卒業名簿にも「ナカクラ君」の名はなかった。
今でも、不思議に思う。ナカクラ君は、いなかった?。ただ一つ、はっきり言えるのは、もしナカクラ君がいなければ今の僕はいない、っていうことだ。

BGM. 誰でも使える!軍神こと1億円ホストのタメになるトークアドバイス集!


川原暗黒時代~中学生はつらいよ

この記事も「心のゴミ箱」兼用です。昔の知り合いでたまたま、ここを見つけた人も「元気ですか?」と声をかけて下さい。「元気です」と答えます。コメントを見られたくない人は「非公開」と書いてくれれば皆には分からないようにします。「ゴミ箱」が何かわからなくても、この記事だけで楽しめるようにはしてあります。

 

3/Ⅶ.(水)2024 はれ 東京都知事選候補者、内野愛里の政見放送にびっくり

僕のルーツは湘南ボーイ・茅ケ崎生まれ。茅ケ崎は小6までいて(大学時代も父の死後帰る)それはまぁ楽しく過ごさせてもらっていた。小学校卒業が昭和49年で長嶋が引退した年。つまり茅ケ崎での少年時代は、巨人が「V9」し、大鵬が貴ノ花に負けて引退し、輪島vs北の湖、若三杉・麒麟児らの「花の二八組」の大相撲ブーム、アイドルは天地真理・新御三家・フィンガー5、お笑いはドリㇷ・コント55号に夢中になり、テレビは巨人の星・あしたのジョー・タイガーマスク・天才バカボン・ハレンチ学園、マンガはがきデカ、ドカベン、永井豪などなど、僕ら子供のカルチャーが時代を引っ張った。

僕は受験をして東京の中学へ。兄が同じ学校に行ってたから母と3人で東京のマンションに二重生活(土日は茅ケ崎に戻る)。中1は五反田、中2~東中野に住んだ。僕の中1は昭和50年。長嶋が引退したのが昭和49年で僕らの卒業の年。「僕は今年〇〇小学校を卒業しますが〇〇小学校は永久に不滅です」とおそらく日本中で卒業文集に書かれた唯一の学年でしょう。中1に上がるとすぐに国鉄がスト。それを暗喩した「およげたいやきくん」が流行り、たい焼きが売れて、太田裕美の「木綿のハンカチーフ」のヒットで里心がつき小学校のクラスメートの女子に心が動いた。キャロルやダウンタウンブギウギバンドが流行ったから「非不良」の少年もオシャレでポマードを買ってリーゼントにした。僕もしてた。バルカンという整髪剤を使っていた。

中2の2学期、夏風邪をひいて、席替えのタイミングでしばらく学校を休んだ。久しぶりに登校したらもうグループが出来ていてどこにも所属出来なかった。いじめられたり無視されたりはなかたっが、話せる子がいず友達は出来なかった。おまけに中二病の年齢だから、自分から迎合して友達にしてもらおうなんて努力もしないし、「みんなバカだぜ」とか「金魚の中に鯉が一匹泳いでいる気分だ」とやせ我慢した。

運の悪いことにサブカルチャーも商業主義に走り共通の話題に乗れずプロレスも猪木が格闘技路線に入りビミョーだった。アメリカナイズされたカウンターカルチャーが表層上滑りなファッショナブルで好きな服を着る楽しみも減り、「UCLA」なんてプリントされた意味の分からないトレーナーを並んで買った。学校は不登校という選択肢もなかったから毎日学校に行って誰とも喋らず帰って来ることもあった。部活はブラバンでホルンを吹いてたから先輩が少し気をかけてくれて休み時間にゴムボールを投げプラスティックのバットで打つ野球に誘ってくれて救われたが本当につまらない時代だった。1975-1977年くらいで、お笑いもドリㇷが衰えてタモリやたけしはまだ登場しない時代で、伊東四朗と小松政夫が電線音頭をテレビでやってラジオで鶴光とせんだみつおを聞いていた。僕はリアルタイムの音楽より過去のものを掘り返しビートルズやよしだたくろうを買い漁り、漫画はつげ義春や手塚治虫や水木しげるに夢中になりちょうど中野ブロードウェイにそういうのを扱う古本屋があってそこに通った。小さな店だからそこの店主と仲良くなり色々教えてもらった。その店の名が「まんだらけ」。まだ今みたいに大きくなる前の。

僕には友達がいなかった。友達がいないというのは、さびしい奴と憐れに思われたり、親は心配するだろうし、教師はしゃしゃり出そうだから、なるべく顕在化しないように気をつけた。

万有引力とは引き合う孤独の力だ、と寺山修司は言っていたが、僕と同じように友達のいない男と万有引力のように引かれあってつるむようになった。そいつはガタイがデカく乱暴者でリアル・ジャイアンみたいな奴で加減を知らないから、皆から恐れられ敬遠されていた。

どういうきっかけでそうなったのかサッパリ覚えていないのだが、僕らは学校が終ると彼の家まで遊びに行った。彼の家の近くには神田川が流れていて、彼は当時の流行の最先端のスケートボードを持っていた。僕らはスケートボードに最適な坂まで通い、一人が坂の下で見張りをし、もう一人が坂の上からすべった。もし車や自転車が来たら合図を送り、衝突しないように、途中で降りれるためである。坂の下には神田川。僕らは何度もスケートボードを神田川に落としては、長い棒で突っついて拾い上げ、またすべっては落としてを繰り返した。何日も何日もひたすら同じことをやった。

そのうち、僕とジャイアンが仲良くなったことが学校で知れ渡り、僕の学校でのカーストは上がった。用心棒がついたから。

学内で学年無差別の柔道大会があり、ジャイアンは柔道部でもないし、中学生のクセに、破竹の勢いでトーナメントを勝ち上がり、決勝戦まで行った。決勝の相手は高校柔道部のキャプテンで最上級生の男だった。体格はジャイアンがまさったが、キャプテンにもメンツはある。試合は力と意地の攻防で、結局、足技か何かで、我・ジャイアンがよろけてポイントをとられ、逃げ切られ、準優勝だった。

表彰式。優勝者は圧倒的な声援を受けた。その半分は、よくぞ生意気な怪物を退治した、という判官贔屓な賞賛だった。準優勝者も表彰されたが、それはアウェーのような大ブーイングだった。僕は一瞬、気圧されしたが、覚悟をきめて、拍手を送り、「いいぞー、よくやったぞー、惜しかったー」と声をかけた。

周りの上級生は、「なんだ、あのチビ」「誰だあいつ?」といぶかしい顔をしてこっちをにらみ、クラスメートは空気を読んで、「おいやめとけよ」、と制止する者もいたが、僕はまるでシカト。拍手を送った。
「ともだち」は、僕の方を振り返って、はにかんで笑った。

そんな中学生時代でした。

BGM. 阿部敏郎「あせるぜ」


文化部通信~その伍拾伍~

こんにちは、文化部通信55弾。文化部長のスーです。

7月は川原先生のお誕生日月です。なので、改めてカワクリのポリシー?コンセプト?や先生の好きなものをマニアックに紹介してみましょう。

カワクリでは、狭い意味での病気の人だけでなく、日常の色々な悩みや相談も受けるので、なるべく病院っぽくしないで、<川原先生のお家に来る>みたいなイメージにしたそうです。精神科・心療内科のクリニックの環境は、教科書的には刺激を少なくすべきだけど、お家っぽくするためにあえて先生の好きなものを飾ったり貼ったりしているので、すごく賑やかな空間です。

カワクリの電話番号は”03-6240-7255”ですが、初めて来院された方は、”7255”の語呂合わせのように、<何ここ?>って思うかもしれません。
日常に疲れてる人が多いので、<カワクリに来た時は非日常。ここでは何を話してもいい、タブーもない、守秘義務もあるから安全だよ。でも、ここを一歩出たら日常に戻るのだからね>みたいな非言語的なメッセージも含んでいたりして。

そして無機質なものばかりだとギスギスするので、生花を飾ることにしています。
お花のチョイスは、受付の仕事です。

東京は人が多いですね。この東京砂漠、色んな人と関わって話をするのが大事だそう。その小道具として「なぞなぞ」を作って貼ってました。話すきっかけが判らない人のために、なぞなぞの答えやヒントをスタッフに聞くようにしていました。問題は毎月更新していました。これは、大岡山の「牛角」のトイレになぞなぞが貼ってあるのを先生が発見して、<これだ!>と思って取り入れたそうです。意外やなぞなそは大人の患者さんや付き添いの家族に好評でした。

しかし、コロナの影響もあり、飛沫防止のアクリルパーテーションが受付のテーブルにつき、お話しする機会も減り、なぞなぞも廃止になりました。

今回は、そんな、なぞなぞ過去作 7月ver を紹介。
(答えは記事の最後にまとめてあります)

2018年

2019年

↑の3番と同じ問題を先生も書いてました。なぞなぞに力を入れずになぞなぞの答えの擬人化に力を入れたそう。

2020年

その他も少し‥
2022年6月

2023年3月

ヒントや答えを聞く、そんなやりとりを通じてお話するのはすごく楽しかったです。自分で書いたなぞなぞですが(もちろん問題は作っておらず、東大ナゾトレから拝借してました)、時間がたつと答えって忘れちゃうもんですね。
それにしても、こんなに大量のなぞなぞはさすがに脳が疲れますね。

さてさて、続いては先生の好きなものについて‥。

今回は、先生の好きな「デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション」。最近映画化もされました。

デデデデのキャラクターの名前の由来が、藤子・F・不二雄キャラから来てるって知っていましたか?せっかくなので、今回は1人ずつ紹介していきます。

主人公「小山 門出」は小学校時代、「でもん」と読める名前から「デーモン」と呼ばれいじめられていました。国民的まんが「イソベやん」を溺愛。

もう一人の主人公「凰蘭」は、「はにゃにゃフワーッ!」など奇怪な言動をします。門出からは「おんたん」と呼ばれています。戦争ゲームオタク。

この二人は、ドラえもん(DORAEMONN)のアナグラム。
D ”ORA” E MON ”N” →  ”ORAN” + DEMON

「小山 ノブオ」 門出の父。漫画編集者。8.31後行方不明に。
先代ドラえもんの声優、大山のぶ代さんが名前の由来。

ここから先は、読者の方が考察していた内容をお借りします。

「大葉 圭太」 アイドルグループのメンバーだった少年。「8.31」以降行方不明になっていたが、侵略者に中身が入れ替わります。
おおばけいた → おおばけ → おばけ
という流れから、「おばけのQ太郎」?

「出元 亜衣」 門出、凰蘭たちの友人。破天荒な仲間たちを優しく見守り、5人の弟たちの面倒も見ている。癒し系。
でもとあい 最後の「い」が濁点[゛]になり「と」にくっついた考えると、
でもとあい → でもどあ → (どこ)でもどあ → どこでもドア

「平間 凛」 門出、凰蘭たちの友人。亜衣とは幼稚園からの幼馴染。無口でBL好き。
ひらまりん → ひらりまん(と) → ひらりマント

「栗原 キホ」 門出、凰蘭たちの友人。リア充を目指す女子。
くりはらきほ → く きほ → くーきほう → 空気砲

「竹本 ふたば」 石川県から上京し、門出たちと同じ大学へ進学。侵略者を擁護する団体「SHIP」で精力的に活動。
たけもとふたば → たけこぷた → タケコプター

「田井沼 マコト」 ふたばとは中学の同級生。高校卒業後に上京し、金髪ウィッグをつけて女装をしている。
マコトはカタカナ表記ですが、「真」という漢字を当ててみると
たいぬままこと → 田井沼真 → たいぬましん → タイムマシン

考察してる人って、頭がやわらかいですよね。考えが面白い!
以下↓は、共通点を見つけられなかったためキャラクター紹介のみ。

「小比類巻 健一」 門出、凰蘭たちの同級生。サブカル好きの男子。栗原キホと交際していた。

「渡良瀬」 門出たちが通っていた高校の先生。門出の想い人。

「侵略者」 母艦に乗ってやってきた。幼児くらいのサイズで、ヘルメット状の頭部を持つ宇宙人。

「ブサ犬」 ブサ犬

「中川 ひろし」 凰蘭の兄。普段は家に籠ってネット監視に励みつつニートをしている自称・名誉自宅警備員。

以上、主要キャラクター達でした。すごく濃いですよね。
デデデデは簡潔に言うと、「世界は終わると思われていたのに、日常が続いていく」というSF物語です。後半にいくにつれて少し難しいんですが、浅野いにおのポップなイラストのおかげか、するする読めてしまいます。
クリニックに全巻置いてますので、ぜひ待ち時間のお供にいかがでしょうか?
浅野いにおの作品は他にも、「MUJINA INTO THE DEEP」「零落」「おやすみプンプン」「ソラニン」「素晴らしい世界」などなど・・クリニックに置いてありますが、デデデデとは少しストーリーのテイストが違うので気になった方は試し読みしてみてください。

下は、デデデデの完全受注生産のフィギュア、映画化が決まるずっと前からありました。診察室で待っています。↓

まだまだ色々あるのですが、キリがないのでこの辺で。
以上、カワクリについて、先生のお誕生日祝いに代えて参考になれば。

おしまい。

 


なぞなぞの答え

2018年
① 侍
② 日本
③ 飛行機

2019年
① 夫
② ぼうけん(冒険)
③ ここあ

2020年
① こ
② C(またはF)
③ ウンソウ(運送)

2022年6月
① ワックス
② 1
③ ぶどう

2023年3月
① ③未来
② モノレール
③ ナッツ


川原ら、ざくろへ行く

29/Ⅵ.(土)2024 雨 石丸伸二、大岡山駅前で選挙演説。

昨日、高田文夫のラジオビバリー昼ズ35周年記念イベントが有楽町東京国際フォーラムで行われたので観に行く。普段のビバリーメンバーにゲストでサンドウィッチマン・純烈・神田伯山・クドカン・爆笑問題が駆け付ける。3時間超の長丁場だったが、これだけのメンバーで最後に集合写真を撮るのに皆勝手な動きをするし時間が押してるからどうするのかと思ったら、その場を仕切ったのは磯山さやかだった。まるで「笑っていいとも」のグランドフィナーレでダウンタウン・爆笑問題・とんねるず・さんま・タモリがバラバラに動くのをまとめ上げて仕切った中居正広のデジャブかと思った。

そんな磯山さやかは、小倉優子と同学年で同期だが、テレビで二人が共演(競演)したのをみたことがない。ほぼ同じ時期にバラエティーで活躍してるはずだが。

そんな二人が、ノンアルコールの店を一緒にめぐりトークする番組の録画を持っている。ちなみに二人とも吞兵衛。

そんなことはどうでもよくて、公演終了後に銀座ざくろへ行く。

まずは生ビール。

お好みのお通しから二品選べます。僕は真鯵のたたきと、

若鮎の塩焼きに。

泳いでるような鮎ですね。

すぐに〆張鶴にしました。

お刺身が来ます。

お肉はA5等級。

ゴマダレとポン酢で食べます。ネギが苦手な人は言えば、抜いてくれます。

薬味は、もみじおろしとニンニク。

しゃぶしゃぶのお肉。

野菜とかは仲居さんがやってくれます。

こんな「オズの魔法使い」のブリキマンみたいな装置が出て来ます。

これに出汁を入れて沸騰させます。

湯気が出て来ますね。

天井のライトにまで昇りつめます。

〆にうどんを作ってくれます。

味は塩味にしました。

デザートは葛切りにしました。

ざくろ、はトップスと関係あるらしく、チョコレートケーキやチーズケーキも選べます。

ざくろは高倉健のごひいきでした。コレド室町が出来た時、そのこけら落とし公演に立川志の輔が落語会をやったので観に行きまして、その帰りに、ざくろ、が入ってたから寄ったら、高倉健の豪華なお花が届いてました。そんな思い出があります。


大岡山アイドルフェスティバル~ブリキの看板

この記事も「心のゴミ箱」兼用です。はじめてここを見て「ゴミ箱って何?」って方も「ゴミ箱」が何かわからなくても、この記事だけで楽しめるようにはしてあります。コメントを見られたくない人は「非公開」と書いてくれれば皆には分からないようにします。

27/Ⅵ.(木)2024 はれ 大谷翔平、キング独走25号で4連勝貢献、3冠王も射程圏3打点差

今回は「大岡山アイドルフェスティバル」略して「OIF」を開催します。最近は昭和風のブリキの看板に昔のアイドルのピンナップを印刷したものをよく目にします。クリニックの入り口に飾ってある(放置?)ので今回はそれをドドドンとご紹介しましよう。

昔のアイドルと言えばバックで「スクールメイツ」なるダンサーの踊りが付き物でしたから、今回はチアガールで華を添え、ブリキの看板と僕の個人的な思い出を語ろうという趣旨です。マニアックな回ですが、写真が多いので見やすいです。おつきあい願えれば。それでは行きましょう。

まずはエントリー№「1」三田寛子。応援のチアガールは、原型。

 

僕は三田寛子のことはデビュー曲から知っていて、CBSソニーから出たイメージ・ビデオ「映・像・少・女」(β)も持っています。3曲目の「駈けてきた処女(おとめ)」のクライマックスは、果物を並べたテーブルに、三田寛子がはんなりとうつぶせてて、視線だけはしっかりこちらを見てて、曲調が変わる瞬間に片手を払いのけるポーズで果物を一つ残らず、テーブルから落すシーンがインパクトがありました。さすが、井上陽水、という感じの名曲です。
三田寛子は「花の82年組」だから、頭角を現すのはちょっときついかな、と思っていました。
そんな彼女にとってのターニング・ポイントは、プロポーズ大作戦の正月特番で、フィーリングカップル5vs5、に出たことだと思います。美人歌手5人組と素人の大学生5人組の公開お見合いで、昔は松田聖子とかも出てました。
1枠がリーダー的に可愛い子(たとえば聖子)で2~4と好みを取り揃え、5枠で落す。主に、研ナオコとか和田アキ子がその位置にいました。
83年の正月、1枠は早見優、2枠は中森明菜、三田寛子は3枠で出場、4枠が堀ちえみ、5枠は中原理恵でした。中原理恵はもう欽ドンで新境地を定着させていたから、この時点での5枠は妥当。
番組的には、早見優で「かわいい~」を掴み、中森明菜、三田寛子、堀ちえみが加速させ、中原理恵で落す鉄板の布陣だった。…はずだ。
実は、この放送のビデオを僕はまだ持っているのですが、番組の流れをことごとく、三田寛子が止めるのである。
お正月だから艶やかな晴れ着を着て、おっとりした京都弁で男性陣からの質問に答えるのだが、<デートに誘われたらどうする?(あるいは、プロポーズされたら何と言う?)>に対して、「いや~ん」とか言って、照れて、振袖で顔を隠して答えない。
司会者は、とにかく中原理恵で落したいから、<ちゃんと答えて>とせっつく。
すると、三田寛子は、「じゃ~、お月さんが来たー、って言って空を指差して、その隙に逃げます」と答える。
終始、こんな感じで、中原理恵は完封されてしまった。
ウブというのか、まだ世間が「天然」という共通語を持たない時代だった。
翌週くらいに、三田寛子は「笑っていいとも」のテレフォン・ショッキングに呼ばれ、そこでもスパーク!
その翌月くらいから、月曜レギュラーになって「寛子のお菓子大好き」というコーナーを結構長くやっていた。僕は学校があったから、毎週、録画して見ていた。このコーナーは人気があって、同じタイトルのお菓子のレシピ本も発売された。僕も買った。まだ持ってる。

そんな彼女が今ピンチで、なんかしみじみとしている。僕は三田寛子のホップ・ステップ・ジャンプの瞬間の空気と同時代を生きてきたとも言えるから。

 

エントリー№「2」原田知世。応援は、チアガール川原Ver.1。

 

昔、12チャンネルの朝に、「おはようスタジオ」という新人アイドルの出る番組があって、そこにゲスト出演する新人アイドルは新曲情報などを「たぬきインタビュー」というコーナーで紹介してもらうのですが、「たぬきインタビュー」とは文字通り、質問の答えから「た」を抜いて答えねばならず、失敗して、「た」と言ってしまうと顔にタヌキの絵のシールを貼られて行くという罰ゲームが見所でした。
皆、最初こそ警戒するのですが、インタビューが進むに連れ、ついつい1つ2つ「た」と言ってしまい、そこが愛嬌なのですが、僕が今尚、忘れられないのは原田知世で、原田知世はショッパナから、「た」の字を連発して、インタビュー半ばにして、タヌキシールで顔が見えなくなっていました。途中からチャンネルをつけたら誰だか判らないぞ。僕はその映像もβビデオで持ってる。
原田知世を有名にしたのは映画「時をかける少女」ですが、実はその前にTVで「セーラー服と機関銃」や「ねらわれた学園」を主演していました。

この時代は、原田知世でさえ水着姿を披露してたのですね。

 

エントリー№「3」薬師丸ひろ子。応援は、チアガール川原Ver.2。

 

「セーラー服と機関銃」や「ねらわれた学園」と言えば、本家は映画版の薬師丸ひろ子ですね。ちょっと話はそれますが、小学校の頃、少年野球チームに入った僕は背番号を何番にしたいか?、と聞かれ、「666」と「ヨハネの黙示録」の数字を希望に出したら、「3桁は駄目だ!」、と却下された思い出があります。
ところが、薬師丸ひろ子は映画「探偵物語」の公開記念の野球大会に登場した時、背番号「8940」をつけていました。
「8940」はヤクシマルの語呂合せですが、僕はそれをTVで観た時、思わず、「4桁、ありかよ!」とツッコミを入れたものです。
その野球大会の映像も、僕のβビデオのコレクションにあります。

 

エントリー№「4」山口百恵。応援は、チアガール川原Ver.3。

 

中3の僕は、特に何があったという訳ではないのだが、絶望的な気分で毎日を送っていた。きっと、クラスメートや教師や家族にも気付かれなかったが、暗澹たる日々だった。その頃、僕の生活を支えたのは、一枚のアイドルのポスターだった。そのアイドルとは、山口百恵だ。
山口百恵はシングル盤では、「秋桜」を歌ってる頃で、もうアイドルというより賞レースの本命になる王道の歌手で、「横須賀ストーリー」以来の本格派ポップス路線から、「百恵神話」へと移行してゆく途上だった。僕は、「中3トリオ」の3番手の頃の山口百恵が好きで、その後の売れ線路線にはあまり好感を抱いていない。

それでも、僕を支えてくれたその時の山口百恵のポスターとは、当時の山口百恵としても、当時のアイドルのポスターとしても、少し風変わりだった。
それは、白いブラウスに茶色のスカートをはいた普段着の格好で、ポスターのくせにこちらの目を見ずに脇の方を向いている。その視線の先に何があるかは、ポスターに写っていないので想像するしかないのだが、おそらく他愛も無いものにちがいない。それは近くのキレイなお姉さんみたいな風体だった。
東中野のレコード屋で、『花ざかり』というお花をテーマにした歌ばかりを集めたアルバムを買ったら特典としてもらった。僕は、毎日、このポスターに見守られ、中3の一年間を皆勤賞で過ごした。

 

エントリー№「5」。応援は、チアガール川原Ver.4。

 

高校生の頃、夜のプロ野球ニュースをみるのが日課でした。そこで突然、飛び込んできたのが、ビーチで人目を気にしながら、思い切りよく、無地のグレーのトレーナーとジーパンを脱いで、青いビキニ姿になって、カメラに向って微笑むお姉さん。ミノルタ・カメラのCMの、宮崎美子も一世を風靡しました。ちょっと、おなかがぽっこりしてる所がいい!、とクラスでは評判でした。男子高校生には女子大生は憧れの的でしたよ。

 

エントリー№「6」。応援は、チアガール川原Ver.5。

 

長淵は当時人気絶頂のアイドル石野真子のファンだと番組で公言した。
石野真子はデビュー曲「狼なんか怖くない」を吉田拓郎が作曲した縁もあり、僕もファンクラブに入っていた。ある日、長淵のオールナイトに石野真子がゲスト出演したのだ。当時のトップアイドルを深夜の3時過ぎに有楽町まで呼び出すなどとはふてぶてしい。フランク永井だってしない。古いか。
石野真子は長淵のことを全く知らず、初対面。番組では舞い上がった長淵がギターを弾き語りし、流れでデュエットすることになった。只でさえ不快なのに、
そのやりとりの途中で長淵が真子に「オイ!」とか「コラ!」とか「バカ!」とか言ったのである。そうしたら真子が反射的に「はい」と素直に答えたのである。深夜に叩き起こされた寝ぼけたキューピットが間違って矢を射っちゃった瞬間に立ち会ってしまった。その数ヶ月後に2人は結婚する。真子はトップアイドルの座を捨て引退。ファンクラブも解散。
当時の石野真子は本当に人気があった。アイドルに敵なし、まさにジュリーがライバルだ。自らのデビューのきっかけとなった「スター誕生!」やNHKの「レッツゴーヤング」の司会も務めていた。当時のレッツゴーヤングの後ろで踊るサンデーズには松田聖子がいた。松田聖子はその後、なみいるライバル達を横綱相撲で退け80年代を象徴するアイドルになるが、もし石野真子が引退してなかったら天下取りは1,2年は遅れたのではないだろうか。石野真子の最後のTV出演は「夜のヒットスタジオ」だった。真子の引退のために用意されたような回で、
真子がデビュー2作目にあたる拓郎作曲の「わたしの首領」(←チッ!誰のことだ?)と自らが作詞した「私のしあわせ」という歌を披露する。司会者の井上順と芳村真理のはからいで海援隊の武田鉄也が「贈る言葉」を歌う。泣き出す真子。観ているこちらもつられて泣き出す。「贈る言葉」をバックに色んな友人・知人がお花を持って駆けつける、30人くらい来た。締めは、ドラマ「およめちゃん」で共演した森光子が、武田鉄也の歌をBGMに「真子ちゃん、あなたは幸せになる義務があるのよ。これ、私からの贈る言葉」という名言を残し、コマーシャル。僕は涙が止まらなかった。ラストのシーンでは花束を抱えて泣きながらも笑顔を作り「あ・り・が・と・う」と読唇術でしか読み取れないメッセージを送信するテレビ出演最後の石野真子の真横で本人以上に大泣きしている松田聖子が映った。涙の降水量ランキング、1位・松田聖子、2位・僕、3位・石野真子だった。

 

エントリー№「7」。応援は、チアガール川原Ver.6。

 

ドリス・トロイの「ジャスト・ワン・ルック」。心弾ませる軽快なイントロのピアノ・ソロが、一目惚れの鮮烈さを見事に表現している。ドリス・トロイという人は、いわゆる一発屋だったそうだ。だからこそ、この曲の主題である、「一目惚れ」の純度を高めてるような気がする。大学の頃、中森明菜で大儲けしたワーナー・パイオニアが、その収益を社会に還元すべく、あまり売れるとも思えない全8集からなる「ATRANTIC RHYTHM AND BLUES 1947-1974」を発売してくれた。ドリス・トロイの「ジャスト・ワン・ルック」は、その第5集に収められている。

 

エントリー№「8」。応援は、チアガール川原Ver.7。

 

キャンディーズのスーちゃんが亡くなった時にはビックリ。
スーちゃんは、中学の時の友達で少年院みたいなところに行った子がファンだったな。彼は、ランやミキのことを敵対視して、でも一番、ピンク・レディーのことを悪く言ってた。「やつら、うんこ食べるらしいぜ」とか言ってた。あきれた。吉田拓郎は、キャンディーズに何曲か楽曲提供していて、自身のアルバムでカバーして歌ってる。『ぷらいべいと』で「やさしい悪魔」、『大いなる人』で「アン・ドゥ・トロワ」を全然違うアレンジで歌ってる。後者では、♪さよなら~、キャンディーズ♪というフレーズが入っていたから、『大いなる人』は、キャンディーズ解散の直後に出たアルバムだったと記憶する。僕は、あまりキャンディーズのレコードは持ってないが、「年下の男の子」と「哀愁のシンフォニー」だけ買った。
1986年ころ、サザンやユーミンや吉川晃司や明石家さんまが「メリー・クリスマス・ショー」という番組をイブに生放送でやった。ユーミンが、アン・ルイスと原由子と3人で女ポリスみたいなコスプレをして「年下の男の子」を歌い踊って、僕は悪趣味だなぁとテレビの前で辟易していたら、司会のさんまがユーミンに、「ユーミンさんの場合は、ほとんどが年下の男の子ですよね」と茶々を入れて、さんまに救われた思い出がある。

 

エントリー№「9」。応援は、チアガール川原Ver.8。

 

ピンクレデイ―の人気は尋常じゃなかった。1978年に「サウスポー」で日本歌謡大賞をとって、「UFO」で日本レコード大賞を受賞した。その年にこの二つの賞を同時に獲得する歌手は過去にもたくさんいたが、同一年にひとりの歌手が別の曲で二つの賞をもらうというのは後にも先にもピンレディー以外に知らない。下は、何かの授賞式。珍しく山口百恵とスリーショットで写ってる。

という訳で、大岡山アイドルフェスティバル(OIF)企画いかがでしたか。順位付けはしません。みんながオンリーワンです。戦争をやめろ!選挙に行こう!

BGM. 三田寛子「駈けてきた処女」


大岡山カレー博覧会~Expo-OC

この記事も「心のゴミ箱」兼用です。はじめてここを見て「ゴミ箱って何?」って方も「ゴミ箱」が何かわからなくても、この記事だけで楽しめるようにはしてあります。コメントを見られたくない人は「非公開」と書いてくれれば皆には分からないようにします。

22/Ⅵ.(土)2024 はれ 大谷翔平の主婦人気ガタ落ちは本当か?

大岡山ラーメン屋№1.グランプリ」略して「OR-1 GP」が好評だったので、それの「カレー編」を開催します。題して「大岡山カレー博覧会」略して「Expo-OC」僕が食べたことがあるもののみがエントリー対象です。クリニックの帰りに寄ってみる情報提供にもどうぞ。カレーに一家言ありそうな(?)人を審査員にして架空のコメントを頂きましょう。

まずはエントリー№「1」。銀座で長く洋食店として人気を博し大岡山に移転した「鳩ポッポ」。

昔の店の時代の店内掲示物ですね。住所が「銀座」です。

店内はレトロなくつろぎの空間です。

子供に人気の洋食の1位と2位をカップリングしたような、ハンバーグカレーにしました。僕が子供の頃(昭和40年代)、子供たちが「カレー派」と「ハンバーグ派」に分かれてスプーンとフォークを持ってにらみ合う食卓にお母さんが笑顔で届けたのが新商品「ハンバーグカレー」でみんな笑顔、というコマーシャルをみた記憶があります。

水出しコーヒーがついて来ます。

審査員からひと言。銀座のbar「美弥」によく通っていた家元・立川談志から。

ある日、談志とおつきの者たちで定食屋へ。談志が「カレーライス」と頼むと皆が、じゃ僕もカレーライス、私もカレーで、カレーで、僕もカレーで、とみんながカレーライスを注文。そこで談志が激怒!「俺は一人で、カレーライスを食いたいんだ」。乱暴ですね。下は、談志のCDを買ったのでサインをもらいました。まぁ、乱暴なサインです。

 

エントリー№「2」。ココ壱番屋。

大岡山北口商店街では「ココ壱番屋」と「松屋」が隣同士です。

カレーと言えば、本場インドにも進出しているココイチから。ナス・野菜・ホウレン草・夏野菜・ソーセージをトッピング。

ココイチの福神漬けは美味しいですね。子供の頃(昭和40年代)、子供がスプーンを持ち目の前にカレーライスがある。「これじゃ、食べられないよ」「食べられないよ」とシュプレヒコールをあげています。すると、「ごめんなさいね」とお母さんが福神漬けを持ってきてみんな笑顔、という福神漬けのコマーシャルがあった記憶があります。

僕も好きなのでいっぱい載せます。トッピングの1種類みたいです。

審査委員はこの人。ウルトラセブンのアパートに忍び込んでちゃぶ台越しにあぐらをかいて、膝を突き合わせて話そうとするメトロン星人。

ちゃぶ台でカレーライスを食べるつもりか?

 

エントリー№「3」。ココイチの隣の松屋のカレーも美味しいと評判です。

券売機で食券を買ったら、キリ番でした。

牛丼屋さんなので、カレーギュウにしました。

審査員は、7/3から「推しの子第2期」が始まる告知で呼ばれた「重曹を舐める天才子役」有馬かな。

 

エントリー№「4」。北口商店街にある昔ながらの喫茶店。

カレーが来るまで、昔ながらの「待ち方」をしてみます。この光景、受付の子たちは「知らない」そうです。ジェネレーションギャップ。

朝から三元豚のカツカレーです。「梅雨の暑さに勝つ!」ためです。

珈琲館なので、食後にコーヒーゼリーを。

審査員は、「ひぐらしのなく頃に」の知恵留美子先生。カレーの悪口を言う生徒は許さない。

校舎裏に、カレーの具になるものばかり栽培する「カレー菜園」を作っていて、生徒への罰としてそこの手入れを命じることがある。毎日3食カレーです。下は、DVDセットの付録でもらったレトルトカレー(賞味期限切れ)。

ちなみに知恵先生、スパゲッティは大嫌いです。

 

エントリー№「5」。そば縁「さかもと」。カレー南蛮うどん。

サイドメニューに鶏の唐揚げ。3つあるから、二人に分配します。

カレーうどんにトッピングしてみました。

審査員は、川原の選ぶ「好きなアニメ特撮ヒロイン部門第1位」エスパー魔美。

僕が大学時代に勉強で忙しくテレビもつけずプロレスも観ず東スポも読まない時期に、唯一、みてた娯楽。リアルタイムでみた「ウソ×ウソ=パニック」に衝撃。

 

エントリー№「6」。北口商店街に比較的最近出来たパン屋さん。

カレーパンを推しています。

買い物袋は僕の髪色に似ています。

しあわせなカレーパン。

審査員は、「けいおん」からりっちゃん。メイド服のコスプレです。そう言えば、「メイドのみやげ」というメイド喫茶があるそうです。

男っ気のないアニメの中で、りっちゃんは「悲恋」のイメージがあります。好きなドラマーは、キース・ムーン。

アニメ5周年の時のフィギュア。だから手の平に黄色で「5」。

 

エントリー№「7」。テイクアウト専門焼鳥屋「鳥勝」。

昼頃になると炭火の良い香りがクリニック周辺に漂います。お弁当を始めました。

お惣菜も品揃えがよく「鳥勝コロッケ」「メンチカツ」などはクリニックでも人気商品。今回のエントリーには、「カレーコロッケ」で。

食べる前にレンジで温めると良いです。

中を割るとカレーがたっぷり。

ほら。

焼鳥のショーケースです。

この中から「ネギま」と「つくね」をチョイスして「Vサイン」。

審査員は、焼鳥がよく似合う、六つ子の長男・おそ松。アニメ4期の告知に来たのに酔ってますね。クズですね(笑)

アニメ4期も「同じ声優」でやれるそうです。良かったです。

 

エントリー№「8」。カレーストック。

6/21(金)&6/22(土)はスープストック東京が「スープのない2日間」でカレー専門店に変身です。

自由が丘駅構内の店に行きました。

今回は「大岡山カレー博覧会」ですが、特別に「自由が丘枠」からの参加を許しましょう。

朝出勤前に来店しました。7時半に着いたら、一番乗りでした。下がメニュー。

バルカラッチャチキンカレーと、白いスパイスカレーの、カレーとカレーのセットにしました。

バルカラッチャチキンカレーはこの企画のために新開発されたイチオシです。

20年前白いカリフラワーの「白すぎるカレー」を売り出したそうですが本当に売れなかった黒歴史があるそうで、今回は豚肉とマスタードの「白いスパイスカレー」としてブラッシュアップしたそうです。インスタ映えもするそうです。味は辛くないですが、カレーです。

黄色い物を身に着けてると「レモネード」と「パイン飴」をくれます。「カレーの日」だからですかね?

僕の黄色はリュックのピカチュウ。

審査員には、「やっぱり応援がないと始まらないわよね」とSOS団(世界を大いに盛り上げる為の涼宮ハルヒの団)の団長・涼宮ハルヒ。

草野球大会より。

「俺…実はポニーテール萌えなんだ。いつだったか お前のポニーテールはそりゃもう反則的なまでに似合ってたぜ」はキョンが地球を閉鎖空間から救った時のセリフ。ハルヒの魅力はポニーテール。

 

という訳で、大岡山カレー博覧会~Expo-OC企画いかがでしたか。順位付けはしません。みんながオンリーワンです。戦争をやめろ!どうしてもやりたければメンコで戦え。下は「高田文夫のラジオビバリー昼ズ」35周年記念をお祝いした「メンコ」。

 

BGM. 大森靖子「さっちゃんのセクシーカレー」


売れっ子キャバ姫はウルトラマン

15/Ⅵ.(土)2024 はれ 大岡山北口商店街でワークショップ、スイカも売っていた。

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「愛のハイエナ」がYouTubeでもみれるようになって、山本裕典がホストになるシリーズがより身近に見られます。このシリーズは歌舞伎町編から始まり、大阪ミナミ編へと展開します。主役は山本裕典なのですが、ライバルの先輩ホスト(年下)や彼らを取り仕切る「軍神」こと、心湊一希(みなと いつき)の存在なしには再生回数がここまで伸びなかったでしょう。

今回お話したいのは、僕は「ミナミ編」の最終回を10回以上みてるのですが、それは最終回を大いに盛り上げるドラマを生む「売れっ子キャバ姫」のカッコ良さゆえです。何かノスタルジーのようなものさえ感じていて、「この感覚に似た体験が有る」と自分史を振り返ったほどです。

ミナミ編最終回は並み居るホストが、自分の指名客は店に呼ぶのはなしにして、初回客だけを相手に誰が1番売り上げを出せるかを競う真剣勝負です。ライバルたちが各々売り上げを伸ばす中で苦戦する山本裕典。もう閉店まで時間がないラストチャンス、山本裕典についた客が「売れっ子キャバ姫」。歌舞伎町で人気ナンバー1の「ノア」がテキーラの観覧車を入れてもらうなどその差が広がると、姫は山本裕典をその細く長い人差し指で指さして「負けてるじゃん」と励まします。ノアとの差は「20万円以上」ついています。山本裕典はもはや敗北感で姫の前でもやけになっています。すると姫は「勝って欲しい」「頑張れよ」と声を掛けますが、山本裕典はもう試合放棄をしてるかのような顔。そこで姫が動きます。「じゃ、お酒入れてあげるよ、2個ね」とその細長い指でVサインを作ります。まさかの逆転勝利を暗喩するかのような「Vサイン」。「炭酸」と姫は言い放って、それをワイプで見てるニューヨークの屋敷が「缶酎ハイか?」と食い入る中、画面に飛び込んで来た「炭酸2個」とは「高級シャンパン2本」だったのです。ここでシャンコ(シャンパンコールのこと)が起きます。姫はマイクを握り「指名したホストが負けるのが嫌だから、勝たせにきました」と言い、お約束の接尾語「ヨイショ!」と言いました。「私も稼いでいますから」って、なんてカッコE女でしょう。山本裕典はこのおかげで30万超の売り上げを上げ優勝します。周りのホストは本気で悔しがります。ノアにいたっては「なんですか?最後のシャンパン2本って」と唖然とします。

そこで思い出したのです。僕の既視感を。それはウルトラマンです。

幼稚園の頃、兄の横で白黒の特撮空想テレビ番組をみてた。それが「ウルトラQ」。その後、マーブル模様の白黒の不気味な音楽が吹っ飛んで総天然色カラー真っ赤な背景に白抜きの文字で「ウルトラマン」。僕らの時代の到来だった。テレビの時代。ウルトラマンはベムラーという怪獣がやってくるのを追って来て地球に不時着。自分とはまったく関係ない惑星に次々と現れる怪獣を僕らのためにやっつけてくれる。なぜ、わざわざM78星雲から無償で地球の平和のためにやってきたのかはよくわからないが、僕は幼児体験として、本当に困ったらそのことを解決できるもの(ウルトラマン的なもの)が僕の前にやってきて僕を救ってくれると信じて疑わなかった。ウルトラマンはピンチの時に颯爽と現れて物事を解決するとササッと帰ってしまう。そんな姿がまぶたに焼き付いていて、そんなウルトラマンの既視感を、夏の売れっ子キャバ姫にみてとったのでした。

今は待遇が改善したと聞いたが僕らの頃は、研修医の2年間の給料は月給5万円だった。あとは夜勤代などで生活した。家賃6万円弱のアパート代を払うと手元に何も残らず、酒なども安い酒(電気ブランなど)を買って一気にあおって、町内をランニングして酔いを回したりした。飲み会は先輩が出してくれるから当直以外は毎日誰かに呑みに連れてってもらっていた。看護婦さんもみんな一緒に呑みに行き、解散後、同じ方面の帰り道ラーメンが食べたいと同じ方向の看護婦さんにおごってもらっていた。一度、餃子も追加で食べたくて騒いでいたら看護助手の男の子が「僕におごらせて下さい」と300円位する餃子を奢ってくれた。それはさすがにいけないらしく、翌日先輩に「看護助手の給料はお前と変わらないんだからおごってもらっちゃダメだ」と怒られた。これは有名な話になり僕は同期からも「看護助手に餃子を奢らせた男」とちょっとした伝説になった。

当時は看護婦さんたちが優しくてお菓子やおにぎりなどの軽食をくれた。「RCサクセションの新しいビデオが出るんだけど3500円もするんだ」と飲み会で看護婦さんに話したら、数日後に、そのビデオをプレゼントしてくれた。そのうち僕はお金を稼げるようになるのだが彼女らに何かを要求されたことはない。今なら寿司や鰻やしゃぶしゃぶくらい奢れるのに。ウルトラマンみたいに見返りを求めないんだよなぁ。言ってこないんだよなぁ。

BGM. 山本裕典ホストになる大阪編最終章


夏への無意識~るかっぷ写真入り

13/Ⅵ.(木)2024 はれ 大岡山北口商店街に流れる有線放送が「60年代オールディーズ」から「昭和歌謡」に変化。何故、今なんだ?/おそ松さん第4期決定!

この記事も「心のゴミ箱」兼用です。はじめてここを見て「ゴミ箱?」って方は前の記事を読んでみて下さい。ま、読まなくても「ゴミ箱」が何かわからなくても、この記事だけで楽しめるようにはしてあります。

最近はAbemaTVの「愛のハイエナ」という俳優・山本裕典がホストに挑戦する企画に首ったけです。
ガチで歌舞伎町に乗り込みますが年下のホストに洗礼を受けて舐められます。シャンコ(シャンパンコールの略。業界用語)で「ライバルかと思ったら眼中にも入りません~。山本さ~ん、頑張ってくださ~い。ヨイショ!」とホストや姫から浴びせられる言葉の語尾に「ヨイショ!」が一々ついていてムカつきます(笑)。見せ場は山本裕典が喫煙所に行って壁を蹴ったりしゃがみ込んでタバコを吸いながら「あいつら殺す」と悔しがるシーンです。ネットフリックスの「サンスクチュアリ聖域」以来の夢中さで見ています。面白いですよ。おすすめです。

気が付いたら今年はオリンピックをやるらしく、クリニックに飾ってある「河村たかし」のTシャツも古いネタになってしまったので、「岸田文雄」の「文句を言うやつは増税だ」Tシャツにチェンジしました。

サンリオで(いちご新聞紙上のみですが)「サブキャラコンテスト」の投票が開始し、3つ選べるので「さゆり」「バク」「グッドはな丸」にしました。「さゆり」はハンギョドン、「バク」はクロミ、「グッドはな丸」はばつ丸のサブキャラです。

7月は僕の誕生日月ですが、サンリオではmySweetPiano(6日)&けろけろけろっぴ(10日)&あひるのペックル(27日)のバースデーです。

今月号は面白いです。夏らしいポスターもついていたり。

ダイナマイトプレゼントには、今号で面白かった記事と「お祝い事で嬉しかったこと」を記載します。抽選の用紙ですから目立たないといけませんね。応募者は「川原達二62才」とし、向こうが「62才、しかも男が読んでるのか?」と思わせる作戦で。「嬉しかったこと」には「還暦祝いに仲間がお酒をプレゼントしてくれたこと」と記入しました。何か当たるといいな。

しかし嫌な気候で疲れやすいですね。こんな時は食べ物にも注意して、ぶっかけうどんにさらに納豆をトッピング。「粘り強く生きるため」。

右のつゆをぶっかけます。梅雨だけに。

今日のお昼は天然アユの塩焼きを頭からバリバリ食べてカルシウムを補給しつつ、旬な物でパワーをつけます。

ゴマフグの白子はお酒を呑みたくなりました。

 

フィギュアは予約して買う物が多いから頼んだことを忘れた時にブツが届く。さっき、るかっぷの「有馬かな」が配達された。「何で今頃?」って思ったら、「推しの子」の2期が7月からやるそうで、一周回ってグッドタイミングということに。

ルカップ全部。

若い頃はアイドルの健康的な水着写真で元気をもらっていたが「明星」とか「平凡」的な物って今の子たちはどうしてるのだろう?

BGM. 石野真子「ワンダーブギ」