初雪

20/Ⅰ.(金)2012 雪
今日は一段と寒く、午前中は雪でした。初雪ですかね?
初雪と言えば、立川談志が落語のまくらで俳句の小噺をやっていたのが、昔の手帳に残っていたので記しておきます。
「初雪や キリンの首の もぐるまで」。<キリンのいるところに雪が降るのかね?>。「北極キリン、って言うのがいましてね」。
「初雪や タコの足跡 藤の花」。<タコはあんまり歩かない>。「それだ!それが解決したら、良い句だ」。
この後、『道灌』をやったのでした。


コバルトの季節の中で

17/Ⅰ.(火)2012 寒い
休み明け、受付の岡田さんが髪を切っていて、<それ、俺の髪型に似てない?>って言ったら、「私もそう思いました」とまばゆい笑顔が返って来た。
今の時代、こうゆう言い方は一つ間違えれば‘セクハラ’ととられるのだろうが、誤解を恐れずに言うと、<かわいい>のである。もっとも、自分の髪型と似てると言っておいて、その舌の根も乾かぬうちに、かわいい、と言うなんて、ギリシャ神話のナルキッソスみたいで、恐縮です。
しかし、俺と岡田さんしかクリニックにいない時に、初めてクリニックに訪れた人は、「ここの人は皆、同じ髪型をしているのか?」とビビるかもしれない。いっそ、スタッフ全員、マッシュルーム・カットにしたらどうかな?。昔のローリング・ストーンズみたいだ。ま、提案しても、反対されるだろうけど。多数決で賛成・1、反対・4、どちらでもよい・1、ってとこかな。
ちなみに、岡田さんよると、それは「マッシュルーム・カット」とは言わないらしい。
<じゃ、何って言うの?>って聞いたら、笑顔で「ボブ」って答えた。
BGM. キッス「いかすぜあの娘」


おかしな格好で真面目な話を。

16/Ⅰ.(月)2012 寒い
今日は校医のあと、菱沼先生と都内で会食。
ちょっと高級でオシャレな店に案内される。
彼とはいつも真剣に治療論とかの話しになる。
こういう話が出来る人は少ないので貴重で刺激的な時間が過ごせた。お店も美味しかった。
僕は、昨日中野で買った‘タケコプター’付きの帽子と、翼の生えたスニーカーを履いてゆく。
どちらも、しょこたんバスツアー用に購入したもので(昨日の記事参照)、二つ組み合わせると、空も飛べそうでしょう?
しょこたんと逢える浮ついた気持ちを表現してみました。
そんなアイテムを何故今日に?と思われるかもしれないが、それは菱沼先生は昔、大変だけど充実した仕事を一緒に
やり遂げた同志だからで、その頃の自分達への敬意を込めて、おろしていったのだ。
ちょっと店には不釣合いだった。
同志の証、空回りの巻。
ま、気にしない、気にしない。下が、そのシューズと帽子。↓。


菱沼先生はパワフルで、今度クリニックで心理士のための勉強会を開くらしい。
彼の持論は、心理も薬のことを理解してるべきで、それには僕も同調。
彼のつてで偉い先生が勉強会を開いてくれるらしく、せっかくの機会なので僕とうちの心理の徳田さんも参加させてくれと頼み、快諾をもらう。
‘勉強’という漢字は、「むりにしいる」と書くが、自発的にやる‘べんきょう’は楽しいものだ。
物を知るとか、わかるという快感はどんな娯楽でも敵わないと思う。


たのしい買い物

15/Ⅰ.(日)2012
1週間後に、中川翔子のファンクラブのイベントで日帰りバスツアーがある。
しょこたんと一緒に貪欲会!歌&お食事&2ショット撮影、その他お楽しみ企画満載だそうだ。楽しみ。
イベント開催前に行き先を公開してはいけない決まりなので、禁則事項。
去年は、うっかり寝坊して参加できず、その後もファンクラブの会費を滞納して脱会処分になったり、
ライブのチケットが抽選で外れたりと、がっくり続き。
追い討ちをかけるみたいに、受付の岡田さんには
「センセーは、もうしょこたんのことを好きではないんですよ」と精神分析されて、辛酸をなめた。今年はそのリベンジである。
ナースの塚田さんは、「また申し込むんですか?また起きれないんじゃないですか?」とクールな反応。
心理の徳田さんだけが好意的で、「最近、新譜は出たんですか?」と心配してくれ、
<’80年代アイドルとアニソンのカバーだから、聴かなくても大丈夫だよ>と軽く答えたら、
「そんな態度では駄目です。ちゃんと予習していかないと!」とホットな意見。
<それもそうだな>と思い直したら、今月に新曲「ホロスコープ」が発売された。
徳田さんの忠告にしたがって、ちゃんと覚えた。
当日は、運動もするらしいので、気合を入れるため、服を買いに中野ブロードウェイに行く。
なんとなくピカチュウのTシャツを買おうと思い、レジに差し出すと、
しょこたんが「魔法少女まどか☆マギカ」の‘キュウべえ’のTシャツを着て踊ってる写真が貼ってあった。
お店の人に<これ、何?>って聞いたら、同じTシャツを売っている、ということらしかった。
驚いたのはそこからで、店員さん曰く、
「中川翔子さんはこないだの×曜日に来られて、お客さんと同じピカチュウのTシャツを買って行かれましたよ」だって。
すごい!シンクロ率がアップしている。追い風だ。
‘キュウべえ’のTシャツは真似したみたいだから買うのはやめて、代りに別の店でフェイスクッションがあったので、それを買う。
診察室のブラインドカーテンのところに飾ってみる。‘キュウべえ’ってこんな顔です↓。

BGM. 中川翔子「ホロスコープ」


かわいいフィギュア

12/Ⅰ.(木)2012 寒い寒い冬、昨日は雪?お昼ころ地震あり
最近は、映画「けいおん」の話題ばかりだったが、先日、NHKの教育テレビでアニメ「日常」が再放送されていた。
「日常」は本当は、TVKなどのU局で放映していたのに、何がどうしてNHK教育テレビに流れ着いたのだろう。
決して、教育的なアニメでもないのに。謎だ。
そんな「日常」は元々は「月刊少年エース」に連載されているマンガで、去年~今年にかけての‘12月号’‘1月号’‘2月号’の
付録にそれぞれ「ゆっこ+鹿」「みお+猪」「麻衣+蝶」のフィギュアが付いている。3つ揃うと、「イノ・シカ・チョウ」になる訳だ。

実物がコレ。↓。海洋堂の企画製作で、さすが本当に良く出来ている。組み立ても簡単だった。

それから、別の話しだが、これはビックリしたのだが、涼宮ハルヒと缶コーヒーの‘WONDAモーニングショット’がコラボして、
フィギュアとセットになったコーヒーを、‘涼宮ハルヒの立体’と題して、ファミマで限定販売しているそうだ。↓。

実物のフィギュアを紹介しましょう。まずは、ハルヒ制服↓。

続いて、長門有希。眼鏡をかけて、うっすら微笑んでるから、「消失」での改変後の世界の長門だな、きっと。
仕草からしてもそうだ。持ってる本が何かは、鑑定できず。↓。

そして、ドレス姿のハルヒ。↓。これは何か元ネタがあるのかしら?ただのコスプレかな?。↓。

次は、朝比奈みくる。定番のメイド服。↓。

そして、佐々木さん。↓。この企画をした人に、佐々木さんを入れてくれたことを感謝したい。

感謝のキモちをこめて、もう一枚、佐々木さん。ちょっと放課後っぽくしてみた。夕陽のイメージ。↓。

ワンダ・モーニングショットは、昔、小倉優子が所ジョージと共演してCMをしていたから懐かしい。
僕は、コーヒーを飲めないので、さすがに小倉優子が宣伝していても、これを飲んだ事はない。ただ、買ったことはある。
それは、何かのキャンペーンで、朝の会議に小倉優子が直接、ワンダ・モーニングショットをお届けします、という企画で、
当時、僕は大きな病院に勤めていたが、勝手に病院の名前で応募したのだ。
結果は案の定、当選しなくて、小倉優子は朝の医局会には現れなかった。
そんな小倉優子の思い出のワンダ・モーニングショットが、時を経て、涼宮ハルヒと共演するなんて偶然は、奇遇というより、
まるで神様がどこかで見ていて、僕の人生を肯定しているような気がして、1人で有頂天になっているのですが、
そんなことって皆さんにもありませんか?


メッシ<又吉

9/Ⅰ.(月・祭)2012 成人の日
部屋着が欲しい。
そう言えば、大晦日の深夜に「ピカルの定理」の特番をやっていて、その中でピースの又吉がサッカーをするコーナーがあり、その時に又吉が着ていたジャージが格好良かったので、それはスカイブルーの生地で胸に大きくアディダスの山型と‘adidas’の文字が白くプリントされていて、胴と腿に走る白いラインも綺麗で、それを買おうと原宿のアディダス・ショップに行く。
雰囲気だが、アディダスはオシャレっぽい服が葉っぱのマークで、アスリートっぽいのが山型マークとショップが分かれてるようだ。原宿店はどっちもあるので、そこに行けば手っ取り早いと思った。
しかし、そこで<ピースの又吉がピカルの定理で着てたジャージで…>とイラストを描き説明したが、店員にうまく伝わらない。入れ替わりに色んな人が出てきてくれて、お店で一番詳しそうな人が登場したのはいいのだが、その人は自社の製品には詳しいのだが、‘ピースの又吉’が判らず、仕方なく僕は‘ピース’というお笑いコンビの説明から始めて、<この説明いるか?>と自問した。
結局、カタログにもなくて、あのジャージは幻のジャージということにして、代わりに店員がすすめてきたのが今一番人気があるという黒字に金色の3本線の入っている葉っぱのマークのジャージだった。金色がやたら眩しくてキラキラしていて、店員は、「これは日本限定のジャージで、メッシも着てるんですよ」と胸を張って言った。又吉の代りにメッシが来た訳だ。
とてもセンスのいいジャージだとは思うが、僕の好みとは違うから、<あなたの方が似合うよ。買ってあげようか?>と言って、煙に巻いて店を出た。
もう少し、又吉のジャージを探してみるつもり。


志の輔らくごinPARCOを観る

8/Ⅰ.(日)2012
Aを誘って「志の輔らくごin PARCO」を観に行く。ハチ公前で待ち合わせ、お正月だから、ハチ公がしめ縄みたいなのをしていた。Aはハチ公前で、「こびとづかん、つながるマスコット」というのをくれた。↓。

きっと、落語のお礼のつもりなのだろう。僕は歩きながら、スクランブル交差点の真ん中で、開封し、「オオワレカワコビト」というのを当てた。↓。

そのままパルコ劇場へ、PARCO1の上にある会場で、1ヶ月に渡り連続公演して、延べ1万人を集客するらしい。↓。

去年の11月に談志が死んで、12月23日のサンリビの志らくや12月26日の「白談春」が追悼色が強かったのに対し、この会はお洒落で洗練されていて視覚的にも聴覚的にも色々な工夫がされていて、POPなエンターテイメントだった。シティ・ボーイズのライブみたいだった。
志の輔は、始めてパルコで落語をやった時に談志が来てくれて、最後に舞台のそでに腰掛けてトークをして、「他人の落語会で最後までいたのは、これが初めてだ」と賛辞を贈ってくれたなどと思い出を語った。そして、その当時、談志がよく演っていた「紺屋高尾」を今回の演目に選んだのだと打ち明けた。↓。

昔、談志が深夜テレビで「落語のピン」というのをやっていたが、確かあの番組の最終回でも談志は「紺屋高尾」をやった。紺屋の職人のもとに人気ナンバー1の花魁が嫁いで来るという夢のある噺だ。こんな時代にピッタリだ。
僕と、Aは落語を観終わったあと、109の近くの「くじら屋」に入る。くじらの歯茎、などというメニューがあり、珍しいものを注文してつまみにした。Aはお酒を呑まないので、僕は一人でいい気分になっていた。僕は、結構、人見知りをするというか、気を遣うというか、人の好き嫌いが激しいというか、誰かと呑んでも疲れるので、一人で呑むのを好む傾向にある。しかし、Aは気を遣わず呑める、数少ない友人の一人だ。落語のお礼に「こびと」をくれるような人だ、疲れる訳がない。Aがこっちをどう思ってるかは判らないが、似たように思ってくれてるといいと思う。次回は「どぜう」を食べようと約束した。「くじら」の次が「どじょう」というスケールの大→小が面白いと思ったから。
僕らは、その後、カラオケに行った。僕は、あまり人前で歌は歌わないのだが、Aと一緒の時だけは例外で、理由はさっきと、まぁ同じ。
Aには、自ら歌うことを封印した歌がいつくかあるそうだ。それは歌うのがとても恥ずかしい歌なのだそうだ。僕はてっきり加山雄三の「君といつまでも」のような♪幸せだな~♪と鼻の横をこすりながらセリフを吐く奴とか、「ど根性ガエル」の主題歌のような♪憎いよ~この~ど根性ガエル♪と叫ぶ掛け声のような奴が、恥ずかしい歌かと思ったら、Aが言うにはそうでないらしい。それは「黒歴史」とでも言うべき、振り返っても恥ずかしくなる時代に、熱唱していた歌で、それを歌うとその頃の自分を痛々しく思い出してしまうというのだ。だから、その歌ごと心の奥底に封印されたものらしい。
僕は、精神分析的な立場から、どんな邪悪な観念でも、一方的に抑え込むのは反対で、安全な場所を提供した上で出番を与えてやった方がよいと思うと、Aに伝えた。Aは、それもそうかな、みたいな反応をしていて、封印された歌の一部を歌っていた。その歌自体は恥ずかしい歌ではないので、聴いてるこっちからすれば、フツーの歌なのだが、Aにとっては勇気のいることなのだろう、判らないけど。
一方の僕の方こそお構いなしで、主に’70年とか’71年の歌謡曲を歌った。最近、キーを下げるというリモコン操作も覚えたので、女性の歌も歌えるから楽しい。堺正章の「さらば恋人」、小柳ルミ子の「わたしの城下町」、南沙織の「潮風のメロディー」、オーヤン・フィフィの「雨の御堂筋」、トワエモアの「誰もいない海」、内山田洋とクールファイブの「逢わずに愛して」、加藤和彦&北山修の「あの素晴らしい愛をもう一度」などを歌った。
つまり、お互いが勝手に歌っていた訳である。これなら、疲れないでしょう?。


仲間の新年会2012~ゴルフの思い出

7/Ⅰ.(土)2012 
今日は、大学医局の先輩&同輩&後輩と、4人で寿司屋で新年会をする。
同窓の仲だから、医療に関する考え方やバックボーンが似通っていて、話していて楽だし、
勉強にもなったし、お寿司もお酒も美味しくて満足な会であった。
同輩が近頃ゴルフを始めたらしく、これで僕以外の3人はゴルフをやることになり、
もし僕がゴルフをやってたら、4人でコースに出ようと言う話しで盛り上がるのだろうな。
そういう僕は、一度だけゴルフをしたことがある。
それは、研修医1年目の医局コンペで、研修医は強制参加、だったから。
面倒見のいい、ゴルフ好きの先輩がいて、本番の前に練習場に何回か連れて行かれ特訓をし、
本番はその先輩と一緒に回る組になった。
キャディさんというんでしょう、僕らのグループと一緒に回るそのおばさんはきつい性格の感じの悪いキャディで、
口うるさくて、僕の歩き方が悪いとか、芝が駄目になるとか文句ばかりをつけてきた。
こっちだって、好きで来てる訳じゃないし、初めは我慢していたが、途中から
<うるせぇ!ババァ>とか<林にボールを打ち込んだから、その自慢の声でカラスを追っ払え>とか
<池に落ちたボールを潜って取って来い>とか言い、ババァも負けじと
「自分で池に入れ」とか「カラスのことまで知らない」とか「ゴルフをやる資格がない」などと言った。
<別に俺はゴルフをやらなくったって困らないから、ただ進行が遅れるだけで、それも知ったこっちゃない>
と言うと、先輩が「まぁまぁ、仲良くやろうよ」とか、キャディに「彼は純粋な性格なだけなんだ」と言い訳したり、
「池のボールは取らなくていいんだよ」と新しいボールを差し出したり、
「‘少年ジェット’みたいにやってみようかな~」とおどけて大声をあげて
「ウー、ヤー、ター!」とカラスを追い払ったりしていた。
こう書き連ねてみると良い人だな、先輩、元気かな?
結局、前半が終了した所で、医局の偉い先生達で話し合って
、僕は後半のラウンドは出なくていいことになり、風呂に入ったりして自由にしていて良いと許しをもらった。
皆が打ち終わると優勝者とか準優勝者とかブービー賞とかに賞品を授与するセレモニーがあるのだが、
僕は「努力賞」とかいう名目で電子ピアノの玩具みたいなのを貰った。
帰りはそれぞれ車に分乗するのだが、僕はさっきの親切な先輩の運転する車に乗った。
僕は、もらった玩具のピアノを車中でずっとデタラメに弾いていて、
先輩は「川原君、ちょっと静かに出来ないかな?」とハンドルを握りながら言って、
僕は<あと少しでやめますから>と即興で不協和音を鳴り響かせた。
その先輩はとても穏やかな人で、「川原君、もうそろそろいいかな?」と静かに言った。
<もうチョイ>そんなやりとりを僕がピアノに飽きるまでやって、僕は飽きたらやめて、
その後は後部座席で爆睡し、やさしく先輩に起こされて、目を覚ましたら自宅の前だった。
ま、当然だが、翌年の医局コンペに僕は誘われなかった。
それ以来、僕はゴルフのクラブを触ったことがない。
そんな若かりし研修医時代を思い出す2012年~新年会でした。


2012年~タツ

7/Ⅰ.(土)2012 寒い
あけましておめでとうございます。今年は、年賀状の返事を書こうと思い、年賀葉書を買ったのは良いのですが、真っ白いのを買ってしまったので、何か書かねばならず、色鉛筆で色々塗っていて、まだ形になりません、どうしよう。何かガラのあるものを買えばよかったです。
と言う訳で、年賀状をくれた方、返事を必ず出しますので、待っていて下さい。そうだなぁ、2月中には何とかします。今のところ、アイデアは「カワクリ・ベスト・メンバー、直筆寄せ書き風サイン入り」です。僕のデザインが出来上がったら、スタッフ皆にサインを頼む予定です。
さて、お正月なので、診察室も整頓しました。スッキリしたでしょう?下は、今年一発目のお花、‘サンダーソニア’。↓。

それでは、皆様にとって良い年でありますように。


年越しの報告

大晦日は、さいたまスーパーアリーナに年越し格闘技イベントを観に行く。2011年は格闘技は季節にたとえると‘冬’で、恒例の年末TV中継(地上波)もなしで、イベントの開催さえ怪しかった。
最終的には、アントニオ猪木の協力を得て、大会名も「元気ですか!!」、総合格闘技とキックと女子とプロレスの各々の試合を、午後3時に始まってカウントダウンまで提供する、おもちゃ箱をひっくり返したような大会だった。でも、意外とプロレスが挟まれると、息抜きできて、丁度良かった。
桜庭と柴田勝頼(新日本のレフリーだった柴田勝久の息子)がIGFという猪木率いるプロレス軍団と‘IGFルール’という、まぁプロレスのようなルールで、総合格闘技のような勝ち方をしたのが、ある意味、真剣勝負で面白かった。柴田の動きが良かった。
猪木はオープニング・セレモニーで、リング上で、字を書いた。猪木の父親の遺言は、「恥をかいても、字を書くな」だったそうだ。何回も聞いたから覚えている↓。

そんな猪木は、「1年の不幸なことはすべて忘れて、幸せだったことだけを覚えていましょう。そうすれば、今年は良い年に、ではなく、今年も良い年に、と言えるから」、と相変らず無責任なことをシャーシャーと言い、‘幸’という字を書いた。

セレモニーの途中で、タイガー・ジェット・シンが上田馬之助の遺影を持って登場して、一暴れした。上田馬之助も去年、亡くなったんだ。↓。

大会は1部と2部に分かれていて、スカパーやニコニコ動画の生放送が2部から有料になるらしく、その時間調整のため、1部と2部の間の休憩が40分あった。観客達は、「え~、40分?」「放送中心かよ」と軽く文句は言ったが、おとなしく屋台のラーメンを食べたりビールを飲んだり軽食をとって、暴動などは起きなかった。昔のプロレスはファンも熱くて、すぐ暴動を起こしていた。両国国技館なんか放火されて、しばらく親日は国技館を使わせてもらえなかった。平和な世の中になった。
メインの3試合は、DREAM(総合格闘技)のタイトルマッチが2つと、オオトリが‘60億分の1’人類最強と謳われたエメリヤーエンコ・ヒョードルvs北京オリンピック柔道金メダリスト石井慧。
ヒョードルは、RINGSで発掘され、PRIDEでトップを取った選手で、日本のファンには親近感がある。それはヒョードルも同じで、震災のあと、すぐに日本のファンに向けてコメントを発表し、今回も震災復興の祈りをこめて来日した。普通だったら(何が普通だ?)呼べない選手だ。
そんなヒョードルも、実はここのところ3連敗し、世界最強の名前は他に譲り、引退説も囁かれた。それでも、ヒョードルは、11月に復帰戦を勝利で飾り、復活した。そういった意味でも、ヒョードルは震災復興のシンボルに思えた。
DREAMのタイトル戦が2試合とも、フルラウンドの判定決着だったため、ヒョードルと石井の試合は、pm11時50分くらいからの開始になった。入場などにもそれなりの演出があり時間がかかるから、誰もがカウントダウンは無理だと思った。僕は、猪木と「1・2・3ダーッ、あけましておめでとう」をやりに来た訳ではないし、別にやりたくもないし、じっくり試合が観れればいい。左が石井、背中がヒョードル。↓。

しかし、スターというのはすごいもので、ヒョードルは石井を年内残り10秒ちょっとでKOし、石井が倒れたままのリングに猪木がおっとり刀で登場し、「1・2・3ダーッ!」を無理やり間に合わせた。会場は大盛り上がり。僕は、放送時間ギリギリで終る昔のプロレスを懐かしく思い返した。あの時も、リングの中央には猪木がいた。
下の青いグローブをはめてるのが、ヒョードル。↓。

そして、新年。会場のモニターに映し出された、ジョシュ・バーネットとヒョードルの2ショット。今年もいい年でありますように。