サタデー・ナイト・ラヴァさん~ジューン・ブライド

30/Ⅵ.(水)2010 ハレ晴れ
ジューン・ブライド「6月の花嫁」、6月に結婚した花嫁は幸せになるという。
ヨーロッパでは古い伝承のようで、ローマ神話の結婚の女神Junoにあやかったとか、3~5月が結婚を禁止し
6月は解禁月だからとか、欧州では6月が一番雨が少なく天候がよく復活祭もあり祝福ムードが高まるとか。
でも、日本でジューン・ブライドを広めたのは間違いなく「よしだたくろう」だ。
ヒット曲「結婚しようよ」の歌の通り六文銭の四角桂子と、6月に教会で白いスーツを着て結婚式をあげた。
それが若者の結婚式の一つのスタイルになった。
結婚は幸福、祝福だけとはかぎらない。
面白くないと思ってる人もいる。まして、それが想いを寄せてる人なら…。
流行歌にはそういうテーマがよくあって代表曲はシュガーの「ウエディング・ベル」と早川義夫の「サルビアの花」だ。
シュガーは80年代に流行った3人組のガールズ・グループで、僕はファンでシングル・レコードを全部持っている。
「ウエディング・ベル」は元恋人の結婚式に呼ばれ祭壇の一番隅で二人の幸せを見せつけられ、
♪クタばっちまえ、ア~メン♪と、ハーモニーを効かせ全員で小首をかしげるポーズを決めるのが可愛い、
80年代OLのサバサバした心境を歌ったヒット曲だ。
一方、早川義夫は60年代のGSの中でも異彩を放つ存在の「ジャックス」のリーダーで解散後は岡林なんかに楽曲提供もしていた。
そんなことはどうでもいい。問題は、早川義夫のソロ・アルバム『かっこいいことはなんてかっこ悪いんだろう』である。
まずは、このレコード・ジャケットを見て味わって欲しい↓。

このA面の5曲目に「サルビアの花」が収録されている。
オケはなく、早川義夫がピアノで弾き語りをしているが、その迫力に凍りつく。
早川義夫の歌唱法は独特で、口の中で言葉をこねくり回し、陰湿というか恨めしい。
「サルビアの花」の歌詞は、♪扉が開いて出てきた君は偽りの花嫁。頬をこわばらせ僕をチラっと見た。
泣きながら君の後を追いかけて花吹雪舞う道を、転げながら、転げながら、走り続けたのさ~♪、である。
60年代の色恋のもつれの怨念じみたものが見事に描写されている。
シュガーの「ウエディング・ベル」と続けて聴いて比較することをオススメしたい。
以前、BS-NHKのフォーク特集でゲストの早川義夫が「サルビアの花」を歌っていて、
演奏終了後にアシスタントの岡部マリが「こわ~い」と震えあがり、司会の坂崎幸之助が苦笑していたのを覚えている。
僕は大学の頃、「ローランド・大人のためのピアノ・スクール」というのに1年間だけ通ったことがある。
渋谷の、今のアニメイト・コミック館の坂を登りきったジョナサンの付近にあった。
毎週土曜日の夜レッスンに通った。
マリコ先生という大学を出たくらいの育ちの良さそうな美人が僕の担当だった。
僕は子供の頃少しピアノをやっていたし、中高はブラス・バンドにいたから譜面も読めた。
だからレッスンは「好きな曲を弾けるようになろう」という目的にした。
そこで僕は早川義夫の「サルビアの花」弾き語りバージョンがやりたい、と言い出した。
当時は、スコアなんてものは売ってないから、マリコ先生にレコードを貸し譜面におこしてもらった。
それがこれ↓。懐かしい。

ピアノを始めて半年くらい経って、医学校の同級生・レレちゃんとマリコ先生が女子高時代の友人だと判明した。
僕はちょっと恥ずかしかった。
レレは、鬼の首を取ったように得意気だった。
僕は大学が忙しくなりピアノをやめた。
自動的に、マリコ先生とは会わなくなった。
何年後か、マリコ先生の結婚パーティーがあり、僕は当日レレに連れられパーティーに顔を出した。
僕はあまり気が乗らなかったが、レレが強引だった。
「サルビアの花」の男が来た、と嫌われないかと不安だったが余計な心配だった。
マリコ先生は、ノーブルなウエディング・ドレスで僕の飛び入りをとても喜んでくれた。
僕も嬉しかった。
レレに感謝した。
BGM. RCサクセション「マリコ」


追悼、T先生の思ひ出

29/Ⅵ.(火)2010 くもり
T先生が死んだらしい。
T先生は研修医時代を内科で過ごして精神科に来たから、
キャリア的には先輩だが入局したのは僕と半年位しか違わない。
年度区切りで言うと「同期」になり、新入医局員の歓迎旅行では一緒に出し物を披露した。
その年の新人は僕らを含め5人だった。
僕以外の4人が春・夏・秋・冬の「レナウン娘」になり、
僕がSMの女王様に扮し4人をしばくというお下劣ショーだった。
観てる人は酔っ払いだから、この位で丁度いい。  
レナウンとは1960年代に流行した若い女性向けの衣料品メーカーで、
「ワンサカ娘」というCMソングをBGMに使った。
当時は、音源を入手するのが難しく、レナウンに直接頼んだらテープを送ってくれた。
T先生は、♪ドライブウェイに秋が来りゃ♪の秋娘担当で、
KISSみたいに白粉で顔を真っ白にし、ピンクのポロシャツに白いスコートに白のソックス、首にスカーフを巻いた。
舞台上で、僕のムチから嬉しそうに逃げ回るT先生の笑顔を忘れない。
鬼ごっこしている子供みたいだった。
僕の研修医2年目の派遣病院で1年間一緒に過ごした。
まだ何もわからない僕には、ほぼ同期のT先生の存在が助かった。
タバコを吸う時、天井に向かって煙を垂直に吹き上げるのが癖で、インディアンの狼煙(のろし)のように見えた。  
いわゆる‘ギター小僧’でたくさんのギターを蒐集していた。
高価なものもあったようでよく自慢していたが、僕はあまり関心がなかった。
仕事が終わるとナースを誘ってよく呑みに行った。
F.も一緒だった。よく遊んだ。その時の遊び仲間のセイコも死んだってね。変死だって噂。
4/Ⅵのブログで僕の「入局にあたって」という作文を紹介したが、同じ教室年報にT先生も「入局して」という文章を寄せている。
はじめは戸惑いや驚異を感じて大変だったが、いくつかの症例を経験し、知識を得て、その対応も変わってきた。
精神科医療で大切なのは他職種との連携で、その治療においては家族の関わりが重要だと感じる。
周囲の先輩方や良いスタッフに恵まれて感謝する、
という趣旨のことが書いてあった。
T先生の医学的な死因はまだ聞いてないが、僕は孤独死なんじゃないかと思う。
T先生、その内、遊ぼうね。セイコも誘ってさ。
BGM. かまやつひろし「ワンサカ娘」


W杯迎合企画~パラグアイ戦情報

28/Ⅵ.(月)2010 小雨くもり小雨くもり
サッカーファンの皆様へ、おそらく東スポでしか読めないW杯情報をお届けしましょう。
①日本代表は25日、合宿地ジョージで市民交流会を開いた。                                                        南アの子供たちに一番人気があったのは、デンマーク戦のヒーロー本田。                                                 次に人気があったのが稲本。本田と同じ金髪だから間違えられたのだという。
②スペイン紙「アス」は、本田を「彼こそオリベルト・アトムだ」と絶賛した。                                                  オリベル・アトムとは、
全世界で放映されている日本の超人気サッカーアニメ「キャプテン翼」の主人公「大空翼」のスペイン名だそうだ。
③『パラグアイはブラジルと違い日本人は尊敬される存在だ。
これは同地に入植した日本人の方々がトマトなどの農作物の品種改良で成果を挙げてきたきたからだ。                              パラグアイ人は日本人に「緻密で努力家」との印象を持っており、格下の相手ながら警戒心を強めてくるだろう』 
パラグアイリーグでプレーしたこともある武田修宏の『パラグアイ戦緊急分析』より。
④南ア夜鷹泣く。
W杯特需を期待して近隣諸国から集まった売春婦たちはアテが外れたと嘆いている。                                         厳重すぎる警備に売春エリアは閑古鳥が鳴いている。
大人向け娯楽施設にセクシーダンサーを派遣する
「エクゼクティブ・ショウズ」の担当者もW杯期間中の売り上げが伸びず、
「人々の集中はサッカーだけに行ってしまっているようだ」と嘆いている。
⑤不況が伝えられる出版界は本田の手記や独占本を出版しようと狙っている。
その中には、「本田ヌード写真集」に5000万円オファー説もあるようだ。
BGM. 本田美奈子「Sosotte」


ビューティフル・ネーム

28/Ⅵ.(月)2010 小雨くもり小雨くもり
校医のあと、美容院へ行く。
「ナンバー」という雑誌のオシム元(前?)監督のインタンビュー記事を読む。
それで思ったのだが、
オシム監督のしかめっ面と「オシム」って響きが日本人に受けたのではないだろうか。
日本の攻撃がギリギリでゴールを外した時、
サポーターは一斉に「惜し~い!」と絶叫するが、オシム監督はしずかに「惜しむ」。 
イエス・キリストが我々の罪をすべて受け入れてくれて「イエス様」ってのと似てないか。
子供のとき、キラー・コワルスキーという悪役レスラーが来日した。
コワルスキーは、
試合中に対戦相手のユーコン・エリックの耳をニー・ドロップでそぎ落としたことがあるため、
キラーという名がついた。
しかし、相手を殺したのではない。
耳そぎである。
これが、コワルスキーっぽい。
虎やライオンのような殺傷能力の高い獰猛な肉食獣ではなく、
ハゲタカやハイエナのような狡猾さが、小悪好き、ってイメージを増幅した。
これは誰かが言ってたのだが、
カレーがここまで日本で人気が出たのは「カレー」という名前の影響も大きいだろうと。
お調子者の男子が給食のカレーを一口食べて「辛え~」とおどけ、女子バカ受け。
これが全クラス・全学年・日本中で同時多発的に起きるのである。人気メニューになるはずだ。
まだまだあるぞ。
レーニンは冷たそう、クローニンは苦労してそう、アラン・ドロンは神出鬼没、ゴダールはこだわる。
白衣の天使・ナイチンゲールは女らしい。
アルゼンチンは男らしい。
そう考えると、アルゼンチン監督マラドーナ、ってすごいサブリミナール効果だな。
東スポが飛びつく訳だ。
そんなことを考えてるうち、カット&カラー終了。
美容院の後、「BEAMS」をのぞく。すると店員が話しかけてきた。
<いや~、見事なパープルですね。実は自分も昔、色んな色にしてたんですよ。グリーンとか、オレンジとか。
(笑顔)。お客さんの色をキープするのは大変じゃないですか?どの位のペースで美容室に行くんですか?>
「美容師のフミオさんが言うには、僕は色もちしやすいみたいで。髪質っていうか人間性なんじゃないかなって」。
そう答えて煙に巻いた。本当は今、行って来たばっかりなんですけどね~。
BGM. コニー・フランシス「カラーに口紅」


まさか…

27/Ⅵ.(日)2010 はれ
ヒョードルが負けた…。
1R、「三角」だ。
こないだは、B・Jペンも負けたし、絶対王者が立て続けに破れていく。
今年は何かあるんじゃないか?
夏に雪が降るとか、サンマが大漁とか。
ヒョードルは、リングスの最後を支えてたから思い入れがあるからショックだなぁ。
ゴング格闘技、読む気なくした。
BGM. 青い三角定規「勲章なんかほしくない」


Ωの法則・#2

27/Ⅵ(日).2010 はれ
オウム事件のあった年、僕は大学院を修了し関連病院に出向した。
当時、その病院には「ファントム理論」という何やら難しげな学説を唱えられた安永浩先生というとても偉い先生がいた。
とある席で、安永先生は「オウムがやっている拉致監禁や洗脳や電気ショックと、
我々の行っている精神科医療のどこが似ていて、どこが違うのかを明確に考えるべきではないか?」
という趣旨の発言をされた。 
その場にいた少しだけ偉い先生や中堅の先生は「全然違いますよ」と一笑にふした。
確かに、「全然、違う」のである。
それでも安永先生が問題提起した意図は何か?
僕は安永先生の反応に注目した。
しかし安永先生はそれっきり何も答えず、それ以降オウムについては何も言わなかった。
賢者とは人里離れた森の奥にただ1人で住み、乱世になると人々の前に姿を現し一言だけ意見をするという。
人々がそれを受け容れれば事態は改善し、受け容れなければ黙って森に帰るという。
安永先生をみていてそんな話を思い出した。
僕がこの病院を辞め別の病院に移る時、送別会には行けないからと安永先生から手紙をいただいた。
筆圧の弱い薄~い、それは風流な文字だった。 
もし、人が水に字を書くことに成功したら、きっとこんな字になっただろう。
BGM. さだまさし「天文学者になればよかった」


Ωの法則

27/Ⅵ.(日)2010 はれ
NHKは苦しい立場にあるようだ。大相撲の名古屋場所を中継するかどうかの決断である。
中継をするとなれば、視聴者からの猛反発は必至だし(船頭は東スポ)、中継しないとなれば中継を望むファンからの反発も避けられない。むしろそっちの抗議の方が多いのではと予想される。反発は受信料の問題にもつながる可能性がある。局内では「このままサッカー日本代表に注目が集まってほしい」という声が上がっているという。東スポ情報。

ビデオの整理をしていたら、「オウム・ビデオ」というのがvol.1~8まで出てきた。
2時間テープだから標準でも16時間。3倍速で録ってたらもっとである。「オウム・ビデオ」とはオウム真理教の一連の騒ぎを、録画しコレクションしておいたものである。よく録ったなぁ。

でも、あの時のオウムはすごかった。今のサッカーW杯どころじゃない。って、比較するのも変だが。不謹慎な言い方かもしれないが、あの時に角界の賭博問題があってもまったくニュースにならなかったと断言できる。

当時、関口宏が土曜か日曜の夜に「家族でニュースを観よう」みたいなコンセプトの
ニュース・バラエティーみたいな番組をやっていた。その中で山瀬まみが「お父さんのためのワイドショー講座」というコーナーを持っていて、その週にあった民放各局のワイドショーで取り上げられた話題の放送時間数を合算して、その数値の大きい順にランキングにし、芸能・スポーツ・大衆文化に疎いお父さんに紹介する企画で、このコーナーの間だけお茶の間の力関係が逆転し山瀬のキャラともうまく相まって「やだ~お父さん、こんなのも知らないの~?」的ななごみを生み、家族で観るニュース番組のバランスをとる装置として機能していた。

ところが、オウム事件である。「お父さんのためのワイドショー講座」が機能しなくなった。さすがの山瀬のキャラをもってしても不可能だった。何故なら、ランキング1位がオウムは当然として、2位以下がなかったのである。2位以下がない、というのは、他のニュースが1秒も放送されなかったということである。全民放の毎日のワイドショーがコマーシャル以外はすべてオウムだったのである。これが何週も続いた。芸能人が結婚しようが離婚しようが不倫しようがチャリティーしようが覚せい剤で捕まろうが賞を獲得しようがまったくニュースにならなかったのである。地下鉄サリン事件が起き、どうもオウムが関与してるらしいという話になり、彼らは身の潔白を証明すべく連日テレビに出るようになった。生の記者会見などが昼時に毎日、行われたのが、ワイドショーを独占した1つの要因でもある。しかし、1番大きかったのは「上祐(じょうゆう)さん」こと上祐史浩という特異稀なキャラクターの存在だ。

僕のオウム・ビデオのvol.1の巻頭に録画されているのは、田原総一郎の「サンデー・プロジェクト」で上祐さんは村井秀夫・オウム科学技術省長官とともに生出演した。どこかハーフのような端正なマスクと清潔感のあるひた向きさが彼の第一印象で、大学時代にディベートで鍛えたという話術には田原総一郎も一目置いた。宗教をやってるイコールちょっと変、みたいなマイナスな偏見も彼らのビジュアルが吹き飛ばした。熱い上祐さんの隣に座る村井秀夫という若者も穏やかな悟りを開いた優しい仏さまのようなキャラで、このコンビが番組を通して識者たちの意地悪な質問を正面から受け止め
「自分たちはやっていない。我々はまじめに修行をしているだけだ。オウムも被害者だ」と訴えた。番組の最後で、司会の島田紳介が思わず「この人たちが、あんな事件を起こしたとは思えません」と擁護してしまう程、彼らはシロに見えた。僕も、紳助に同感だった。

それからというもの、上祐さんはテレビに引っ張りダコ。英語もペラペラな高学歴でありながら、理解してもらえないと熱くなり悔しさを素直に表現する若さが日本人特有の判官贔屓と母性本能をくすぐり主婦層の人気を呼んだ。キムタクやヨンさまやベッカムと並ぶのではないか。比較するのも変だが。

上九一色村の強制捜査や色んな物的証拠が出て来て、オウムはクロだと誰もが確信した。それでも、ひとり上祐さんは潔白を訴えつづけ、テレビに出演し続けた。世間は、オウムには真面目に修行するグループと国家転覆を狙うテロ集団との二つの顔があり、
上祐さんは前者に属し本当に事実を知らされてなかったのではないか、などと考えた。

そんな中、村井秀夫がテレビの中継中に刺殺される事件が起きた。上祐さんはテレビの中で、友人が殺された、と涙を流して憤った。それは、もし我々が友人が誰かに殺された時に見せるだろう反応となんらかわりなく、上祐さんの「正常さ」が強調された。
そこからの上祐さんは決死の覚悟だった。どう考えてもオウムの潔白はない中で、孤軍奮闘した。村井秀夫は息をひきとる瞬間、自分を抱きかかえる上祐さんに向かっ「ユ…ダ…」と言い残したと言う。上祐さんは村井秀夫の発言は犯人を自分に教えるためのダイイング・メッセージだと理解し、ユダつまり裏切り者、もしくはユダヤ組織の関与かもしれないと分析した。ある番組では、イエスを裏切ったユダやフリーメーソンの解説も行っていた。この頃になると、上祐さんのファンも上祐さんには同情したが、彼の訴えで考えを訂正することはなかった。むしろ、上祐さん、よく頑張った、そろそろあなたも目を覚ましなさい、みたいな風潮になった。

ワイドショーのスタンスも変わった。上祐さんの天敵・江川詔子あたりに「一連のオウム報道に関して、一部、オウムを英雄視した責任がある」みたいことを言われ、そろそろヤバいぞと思ったのだろう。それまでは、上祐さんに自由に話させてたのが、上祐さんの話をすべて途中でさえぎった。ハナから発言の場を与えられないことより、局アナあたりに話を途中でさえぎられることの方が上祐さんのカリスマ性を風化させる効果があった。今までの上祐さんの独壇場は与えられず上祐さんの発言はまるでその人格を否定する目的であるかのようににことごとくさえぎられた。マスコミによって作られた偶像がマスコミの手によって破壊されるブームの終りの作業だった。それでも上祐さんはよくテレビに出続けたと思う。褒めるようなことではないのかもしれないが、上祐さんはああいうかたちで責任を全うしたのだと思う。僕もそれに付き合った。それがこのビデオテープ8巻である。見直すことはないだろうなぁ。

その後、テレビがどうなったかと言うと、上祐さんの面白みを消したのだから上祐さんで視聴率はとれなくなり、芸能人の浮かれたニュースで賑わうようになり、オウム事件は普通に事件を報道するだけとなっていき、「お父さんのためのワイドショー講座」のランキングから消えていった。

僕は学生時代、アパート暮らしをしていた時、セールスや勧誘の類を一々、居間まであげお茶を出し、彼らの言い分を聞いたあと論破して帰らせるという遊びをしていた。                                                     色んな人が来た。新聞をとってくれとか、英語の教材を買えとか、カンボジアの子供に寄付する金をくれとか、親子連れで来る宗教の勧誘もあった。                                                                       ことごとく論破して負けなしだった。ただ1つ、非常に印象に残ってるのは、ヨガの修行を通して自己実現をしようというあまり営利目的ではないお誘いだった。僕は東洋体育もそこそこ詳しかったので、彼を言い負かすのはたやすかったが、その人はそんなことよりいかにヨガが素晴らしく自分には修行が必要だということを真摯に語っていて、ちょっとグラっと来た。実習が忙しくて物理的に時間がとれないから断った。

それは、まだ犯罪集団になる前のオウム真理教だった。

BGM. 大滝詠一「カナリア諸島にて」


続・ピクニックatハンギングロック

26/Ⅵ.(土)2010 晴れたり雨が振ったり曇ったり
思い出したのだが、体操のレッスン中に、一人の子が猫背を矯正するために柱に縛られるシーンがあった。
イエス様の磔とか魔女狩りを連想した。
自分らの理屈を正当化するために無理強いする大人の論理の象徴のようだった。
BGM. J.S.バッハ「マタイ受難曲」


温灸

25/Ⅵ.(金)2010 はれ
最近は帰宅時間が遅く、それからごはんを食べてすぐ寝るから、胃がもたれて、おなかが張る。
アマガエルみたいなおなかだ。
23区で一番帰宅が遅いのは?北区。
南波先生にお灸をしてもらい大分良くなった。処置中は、キモち良くて寝てしまう。
BGM. プラターズ「煙が目にしみる」


行方不明

24/Ⅵ(木).2010 はれ
蒸発者に憬れたことがある。安部公房の『燃えつきた地図』とか三島由紀夫の『音楽』とか。                                      皆さまがたにおいてはW杯で盛り上がってらっしゃるところ、なんなんな話題でしょう。
何の不自由もなく、一見幸福そうにさえ見えた男が突然姿を消した。
行き場所も告げず、書き置きもない。
懸命な捜索、やっとの思いで男を見つけ出した。ドヤ街みたいな処にみすぼらしい姿でいた。
でも、声はかけなかった。
なぜなら、今までのどんな瞬間よりも男の顔が幸福そうに見えたから。
そんな話に憬れた。
「蒸発者」にではない。
「身内や友人に親身に心配される存在」を夢想した。
だから、もし僕が「蒸発者」だったら、自分を必死に探し回る家族や仲間の心配顔を、物陰に隠れて、                                かくれんぼする子供みたいに、「あっ、来た来た」なんて喜んで見るに違いない。
これじゃ、蒸発者失格だ。
そんなことを考えてたのが10代の終り頃、我ながら幼稚である。
昔、wowowでシティーボーイズの舞台『丈夫な足場』というのを観たことがある。
蒸発者の集いがあり、各々がどういう経緯で蒸発するに至ったかを、時間軸や座標軸をシャッフルして、
つぎはぎにして、最後に話が繋がるというものだ。
面白かった。DVD、出てるかな?
「蒸発」に似てるものに「神隠し」がある。
神隠しといえば『ピクニックatハンギング・ロック』という映画だ。
1900年のオーストラリアの寄宿制の女子学校が舞台。
先生に引率された一行が、岩山ハンギング・ロックへピクニックに行く。すると、ちょうど12時に時計が止まって、
少女達がいなくなってしまう事件の顛末が筋。
意味深だなと思ったのは、1人だけ岩山に吸い込まれなかった子がいて、その子があまりかわいくない子として、
非常に差別的に描かれていたことだ。
神隠しにあうのはきれいな子だけ、きれいじゃない子はだめ~っていう。 
「選ばれなかった子」は、事件の「証人」の役割をさせられた。
なんか、意味深でしょ?
BGM. よしだたくろう「かくれましょう」