人生はバレンタイン・デー~あの時君は若かった

14/Ⅱ.(木)2019 寒い 平成最後のバレンタイン、ぺろりんのチョコは目玉焼きチョコ

最近、面白いと思ったのは、トシちゃんの「キミに決定!」。
レッツゴー・ヤングの収録で会場の女の子がノリノリで映るんだけど、その目がスターを見る目でキラキラさせてる。
トシちゃんの生歌は確かに下手なんだけど、踊りというか、とにかく運動量が多く動き回るのである。
スケボーで登場したり、途中でジャパニーズというバックダンサーに囲まれて姿が見えなくなったかと思ったら、
その輪の中から足をおっぴろげたジャンプで飛び出るのだが、その跳躍力がすごい。
まるでトランポリンでも使ってるみたい。
そしてカメラは会場の女の子にパーンし、女の子の目はキラキラ2倍増。楽しい動画で何回もみてしまう。

それと、ナイツ、の、話を盛れない男、という漫才。これも何度もきいている。
どっちもユーチューブでみれます(きけます)。

今日はバレンタイン・デーだけど、こうみえて僕は昔はものすごくモテて、軽トラック1台分もチョコをもらった。
いつの世もセンスのある子はいて、1人だけ、歯ブラシをくれた。

「チョコ、食べ過ぎて、虫歯にならないように」というジョーク。
そういう面白い子がいたと言ったら、翌年は、皆、それがインパクトあったらしく、歯ブラシが山のように来た。
近所の歯医者がもらいにやって来た。

最近は、呑めない人にお酒をすすめるのはアルコール・ハラスメントと言うらしくダメなそうだが、
バレンタインに義理チョコをあげる(もらう)のもパワハラに該当しないかと国会で論議されたとか、しないとか。

毎年々々、チョコをくれる最長の人は僕が研修医の頃からずっとで28年連続の人がいる。
これは川原史上、母に次ぎ、第2位。母は41年。

BGM. よしだたくろう「Have a nice day 天然色写真編」


風景の起源

13/Ⅱ.(水)2019 はれ少しあたたかい 「ラテンの黒豹」ペドロ・モラレス、死ぬ。76才。

お恥ずかしい話だが、研修医に成り立ての頃、無断欠勤がバレて、ペナルティーで「2週間連続当直」の刑になった。
今でもそうだが、医者の当直は、翌日も勤務である。
当直は当直室で仮眠して、呼ばれたらすぐ病棟や救急外来に行くのが仕事。
だから、運が悪ければ、2週間まともに寝れないのだ。
でも僕は、へこたれなかった。勿論、自業自得だと反省した、のではない。
2週間、当直室から家に帰れない泊り込みという状況が、「日本一のホラ吹き男」の植木等みたいだと思ったからで。

映画で、臨時雇いで会社に入った植木等が配属された部署は、会社にとって何の関係もない古い書類の整理。
皆、やる気がない。

「ここじゃ、いくら頑張っても出世はないよ」と先輩から言われる。
すると、植木等は、底抜けに明るいテンションで、張り切って、荷物をまとめて会社に泊まり込み、仕事をする。
「そんなにまでして残業代が欲しいのか」という皮肉にも、<いいえ、残業代はビタ一文、いりません>。
そして、1人で、書類を全部、片付けてしまう。

労働組合は残業して残業代を取らないことを問題視し、同じ職場の人間達は「仕事がなくなってしまった」と不満を言う。
そうして、会社は仕方なく、植木等を他の部署に係長待遇で異動させる。ここからホップ・ステップ・ジャンプ!
東京オリンピックの直後の映画で元・三段跳びの選手だったという設定の植木等は、三段跳びの様に出世して行く。
高度経済成長の時代のサラリーマンに元気を与えたと言われる映画だが、今、観ても色褪せないパワーだ。

なので、僕も植木等のマネをして、家から色んな物を当直室に持ち込んだ。
浅草のマルベル堂で、クレージーキャッツのブロマイドをオーダーメイドで引き伸ばしてもらった。
それを当直室の壁に貼った。
陰気な当直室が、まるで僕の1人暮らしの部屋みたいに衣替えした。
評判を聞いて、何人もの看護婦さんや他科の研修医も覗きに来た。皆、「お~」って言ってた。
精神科の先輩には、「川原、やりすぎ!」と注意されたが、怒られはしなかったから、スルーした。

クレージーの特注ブロマイドは、今もカワクリの待合室のテレビ側のソファの方に貼ってあります。僕が医者になったのが平成元年だから、今年、31才になるポスター。↓。

これは最大限に引き伸ばしたから、ラミネートが出来ないので、結構、ボロボロになっていた。
それを受付の大平さんが、補修してくれることになったので、カメラマンとして同行する。
まずは、ポスターを一時、撤去。↓。

処置室に移動して、そこでテープで切れ目を丁寧に貼ります。↓。

綺麗に出来上がりました。大平さんの髪も綺麗です。↓。

元に戻しに行きましょう。↓。

話を、2週間連続当直、に戻そう。

丁度、半分の1週間が終った時点で、調子に乗った僕は、「トニー谷」のブロマイドの特注も発注した。
そのニュースに異常に反応した人たちがいた。
それは誰だと思いますか?
正解は、病棟のナース達でした。

意外と女性には、つらそうな姿をアピールするより、平気の平左、で明るく振舞った方が母性本能をくすぐるみたいだ。
ナースは一丸となって、僕の味方をした。
彼女らのナイチンゲール精神は組織立って、医者や教授や医局長に「いくら何でも可愛そうだ」と意義を申し立てた。

「過重労働でミスが起きたらどうするつもり?」
「川原先生だから笑って仕事が出来ているのよ」
「いえ、ああ見えて、顔で笑って心で泣いているのよ」
「あぁ、いじらしい」
「それに比べて、他の医者は川原先生に仕事を押し付けて、楽をしてるのよ」
「他の医者は、ズルイわ」

などと、本来、僕が無断欠勤したのが問題なのに、矛先が他の医者に向いた。
実際は、僕は研修医だったから、当直には必ず上級医の先生が日替わりで付いていてた。
「2週間当直」というのは、半分、洒落だった。

つまり、学生気分の抜けない僕に社会人の厳しさを教え込ませるための親心であり、問題を大きくしない配慮だった。
そして、2週間、毎日、日替わりで色んな先輩から、生の知識を吸収できるチャンスを用意してくれたのだった。
僕は、ゴールデン・ルーキーで、精神科医として期待されていたのだ。

そんな内輪な洒落は、ナースには通じない。
彼女らは、川原先生を守るためにはストライキも辞さず、の構えだ。
病棟でナースにストなどされたら、大変だ。
医者が、検温や配膳や採血や保清など、駈けずり回らなければならなくなる。
ナース・コールも医者がとる事態になる。
これには上層部もあわて、急遽、僕のペナルティーは1週間で解除された。

そして、医局長はナースの前で、僕を労う為の1席を自腹でもうける約束までさせられた。
憎憎しげに、医局長が、「川原君、何を食べたいんだい?」と僕にだけ見える角度で恐ろしい顔をして質問した。
僕は、<●●のうなぎ>と高級な鰻屋の名前を告げ、<個室で、コースにしてね>と答えた。
ナースを納得させるには、そうとでも言うしかない。それが最善の策だった。
そして、僕と医局長は週末、本当に二人きりで、鰻屋の個室でコースを食べたのでした。
さすが、名店!、うまかったですよ。
もう皆さん、ご承知かもしれませんが、僕はこういう空気、全然、平気なんだ。

えーと、何を言いたいかと言うと、カワクリの空間作りのルーツは、この2週間連続当直に起源があったのかも、と今思う。

BGM. 植木等(ハナ肇とクレイジーキャッツ)「無責任一代男」


くよくよするなよ

12/Ⅱ.(火)2019 はれ少しあたたかい 猪木、ジャイアント馬場没20年追善興行~王者の魂~に登場!

平成も終るという。昭和・平成・●×の3つの元号を生きることになるのか。
父は、大正と昭和しか知らない。
母は、大正・昭和・平成を生きた。
親を抜いたり、肩を並べたりで、感慨深いものである。

僕が医者になったのは平成元年で、だから、精神科の経験年数を聞かれたら、今が平成何年かの数字を
そのまま言えばよくて、楽させてもらっていた。たとえば、今なら「31」年目である。
これからは足し算を駆使しないといけなくなるのか。

平成という時代は、精神科の中でも色んなことがおきた。
法律が改正されたり、アメリカの診断基準が大流行してドイツの伝統的な診断学が鳴りをひそめた。
「分裂病」「躁うつ病」「痴呆」という疾患名が「統合失調症」「双極性障害」「認知症」にとって変わった。

「痴呆」の進行を防ぐのに役立っていた薬たちが追跡調査で全部「効果なし」と判定されて市場から消えた時は驚いた。
アリセプトが出る前の、薬たちである。

うつ病の仮説も、モノアミンからセロトニンにかわってSSRIが登場した時、革命が起きたように思った。

「トラウマ」の概念も僕が研修医の頃と今では、180度ちがう。
当時は「心的現実」を重視するあまり、「外的現実」にはノータッチだったが、「いじめ」や「虐待」が深刻になり、
治療は「外的現実」の調整に重きを置く必要が出て、精神科医のケースワーカー化、などと揶揄された。

今後も医学の進歩や、社会の運動で、精神医学の「常識」は覆って行くのかもしれない。
それを発展と言うなら、それに対応して行かなくてはならないが、それに振り回されるだけでなく、
変わらぬ精神科医のアイデンティティーを持っていたいものだ。

昔、立川談志が、ざこば、と芸談をした時の話を聞いたことがある。
談志が「落語とは人間の業の肯定」と言ったら、ざこば、は、「うけりゃいいおまへんか」と答え、
それに対して、談志が「うけなくなったら、どうするの?」と返すと、ざこば、は、「何が言いたいねん?」。
談志は「うけりゃいいと思っていると、うけてるうちはいいけれど、うけなくなったら困るでしょ?」、ざこば「…」。
談志「だから、落語とはこういうものだと定義しておけば、うけなくなった時に困らないでしょ?」
ざこば「そんなもんでっしゃろか」だって。

話は変わるが、昭和の爆笑王・林家三平さん(今の笑点に出てる三平のお父さん)は、私生活でも人を笑わせることを生き甲斐にしてたようで、
キラ星のようにエピソードがたくさんある。
その中でも有名なのは、三平さん(さん、まで入れて呼び名。今の、所さん、と同じシステム)が脳梗塞で倒れて、
救急車で病院に運ばれた時、意識の覚醒水準を確認するため、看護婦さんが「お名前は?」と尋ねたら、
「加山雄三です(当時の2枚目俳優)」と答えたという。命がけで人を笑わしてる。

太宰治が、晩年(遺書代わりに書いたから、タイトルが処女作なのに、晩年)、で、自分の事を、道化、といって、
もし自分が死んだら、「この人は一生涯、ひとを笑わせるために生きた人です」と墓石に刻んで欲しい、というようなことを言ってたと思うが、
それは三平さんにこそピッタリだと思うし、僕もそういう生き方をしたいと思う。
三平さんのことを書くと長くなっちゃうから、この辺にしとくが、談志が、
「もし、三平さんが、皆さん、真面目に生きなきゃダメですよ、なんて言う時代が来たらそれは末世だ」と言っていた。
もう三平さんも談志も死んでるけど、今の世の中って、そういう意味じゃ「末世」かな?なんて時々思う。

僕は談志の説く「落語論」と、精神科医の仕事って似てるな、と折に触れ思うことがある。
たとえば、忠臣蔵の四十七志は英雄として語られるが、家来はおそらく300人以上いて、その中の47人だから、250人以上は逃げちゃってるのである。

でも落語は実際そうなったら、死ぬのを覚悟で討ち入りに行くより、逃げた人間にスポットを当てて、
「本来、人間って逃げちゃうでしょ?」というのが、歌舞伎や講談との違いはそこで、それを談志は、
「落語とは人間の業の肯定」と初期に定義した。

精神科はと言えば、根性論や、気の持ちようだという精神論で追い詰められた人に、
「いい加減」をすすめ、「テキトーに」やろうとアドバイスし、決して「がんばれ」とは言わない。そういう仕事だ。
そして、そういうことを患者に言うには、そういう価値観を持ってる必要があるが、お医者さんは総じて頑張り屋が多いけど、僕は例外で、性分として精神科向きだと思っていた。

ところが世は末世である。
三平さんが「皆さん、真面目に生きましょう」と言わなければならないように、我々の臨床でも、

困難があらわれると避けることで自分を守る「回避性パーソナリティー障害」や、
やりたくないことに対して、いやだ、という代わりにわざとゆっくりやったり忘れたフリをする「受動攻撃性パーソナリティー障害」と言う人が、
訪れて来るようになって、「ちょっとがんばった方がいいんじゃない?」とアドバイスすることもたまにある。

精神科医がそんなとことを言うようになったら、それこそ世も末だ。
ましてや僕がそんなことを仕事とはいえ言ってるなんて知ったら、教師や親戚は一斉に「お前が言うな!」とツッコミを入れると思う。
そうなると、精神科医のアイデンティティーというのも難しくなってくる。

そこで参考になるのは、やはり談志で、談志は「落語とは人間の業の肯定」が通じなくなった現代で、落語とは「イリュージョン」だと言った。
これは弟子たちの中でもよくわかってない人が多かったそうだが、これも精神科領域と近い関係にある。
イリュージョンは、こっち側から説明した方がわかりやすいと思う。カワクリのHP「クリニック紹介」から抜粋。

心にとって、「病気と健康」や「異常と正常」などに明確な境界線があるものではなく、中間の領域がある。
多くの精神の病気は、この領域がやられてしまい、保てなくなっているようだ。
病気を発症する時には必ずこの中間領域を通過するし、回復期にも同様に中間領域を通って良くなる。
川原クリニックでは、この中間領域を大切に考えている。
中間領域は、他にも「日常と非日常」や「常識と非常識」や「夢と現実」や「赤ちゃんと大人」の間にもある。
そこがうまく機能すると、「遊び」が生まれる。
日本語の「遊び」にはplayという意味の他に「ブレーキのあそび」のように余裕という意味がある。
このような言葉遊びやなぞなぞやジョークやナンセンスが中間領域の代表で、芸術の世界にも発展して行く。
クリニックの空間が遊びに溢れていて、始めはビックリしても、次第に居心地が良くなるのは、そんな計算もある。

僕のアイデンティティーは今の所、そんなところで落ち着いているのだが、一つ心配なことがある。
それは、談志が死ぬ直前に、「落語とは江戸の風が吹く」と言ったことだ。
江戸の風、については、談志はあまり説明してないから、僕もあまりピンと来ないのだ。
それに今は、「イリュージョン」で事足りているから。
でも、この先、また悩むことがあるかもしれないから、少しだけ考えてみるか。

ここでヒント。
晩年の談志は小さん師匠のネタをかけたりしていた。原点回帰か?
さらにヒント。
志の輔は、追善落語会の最後のゴタゴタの中で、「俺は富山の風だ」と言っていたこと。

そうやって考えるとなんとなく、その出自というか、ルーツのようなものの雰囲気が伝わる、あるいはそんな空気感になるってことかと想定できる。

僕の生まれ故郷は、湘南の茅ヶ崎。
東京からみると、藤沢、と、平塚、にはさまれた別荘地で、海水浴場で有名だ。
しかし、藤沢や平塚が区画整理されて綺麗な道路があるのに、茅ヶ崎はクネクネした道がとても多い。
まれに真っ直ぐな道があると、よほど珍しいのか、逆に、鉄砲道(てっぽう・みち)なんて通称がついたりする。
それは茅ヶ崎は、戦争の時に、ほとんど空襲を受けてないからだそうだ。

僕の思い出の中の茅ヶ崎も、温暖で平和なイメージだ。ちなみに僕の出身小学校の名前は、「平和学園」だ。そこに6年通った。平和な小学生だった。
僕の誕生日は、7月24日で、母がよく言っていたが、僕の生まれた日は、とてもお天気のいい、真夏の昼間だったらしい。

だから僕の最終(?)目標地点は、暫定的にここに決めておこう。
つまり、何もしなくても、何も言わなくても、クリニックに来てくれた人が、暖かい気分になってくれること。
お日様を浴びたような風を感じてもらうこと。とりあえず、そうしてみた。だから僕は、くよくよなんかしてられないのさ。

BGM. ヒカシュー「20世紀の終わりに」


キミにきめた

こんにちは。受付の大平です。

月曜日、私はやっとポケモンのゲームで四天王を倒し、ピカチュウから小さい花束を貰いました。

その熱が冷めないまま火曜の朝、出勤すると受付に大きな紙袋が・・・

 

中を覗くとポケモンたち!!

 

紙袋の横で杉山さんがその子たちを1体、1体、一生懸命拭いてきれいにしていました。

その様子を見ていた川原先生は「ウーロン茶のCMでこの茶葉は心優しい子達が1枚、1枚摘んだものです。ってやつみたいだね」と言っていました・・・が、そんなCMどこで流れているんでしょうか?

 

私も杉山さんをお手伝いしてルギアを拭く↓↓

綺麗になったポケモンたちは川原先生がゲットしてきた水色のバケツに↓↓

袋の中にはデジモンやからだの一部しかないポケモンもまじっているので分別します↓↓

頭しかないギャラドスは杉山さんの指にぴったり!!↓↓

しかし、これでは生首みたいだと指摘があったので先生にお家で胴体パーツを探してきてもらうことに。

次の日、海老の様な胴体パーツを発見し持って来てくれました↓↓

杉山さんギャラドス組み立て中↓↓

完成!!↓↓

ギャラドスはバケツの中に2体いるのですが、杉山さん曰く触り心地がいいのは透明のギャラドスみたいです。

 

バケツの中にはたまに透明のポケモンもまじっています。

ふつうのよりは少しレアみたいです。

私のお気に入りは透明ロコン。

透明ロコンのほうが顔が可愛いのですが右のふつうのロコンのポーズが好きです↓↓

ポケモンセンターのお姉さんのようにポケモンをなおして綺麗にしてくれた杉山さんのお気に入りはピィとヌオー。ちょっと杉山さんに似ています↓↓

うかいさんは最近テレビで毒キノコの番組を見たようで、毒キノコに似てるからという理由でグライガーとラフレシアがお気に入り↓↓

川原先生のお気に入りはギターを弾くニャースとサングラスをかけたゼニガメ団リーダーのゼニガメ。先生はこの2匹と一緒にたくさん遊んだみたいですごく汚れています↓↓

このポケモンバケツは入口のゴジラのところにあるので皆さんもお気に入りを探して見て下さい。

うかいさんは『ポケモン言えるかな?』を歌い、このバケツの中を探っていましたよ。

川原先生は・・・カラカラを探し中・・・

見つかったのはオコリザル!

また何かを探し中・・・

「イマクニ?がいたよ!」と喜ぶ先生!「イマクニ?は『ポケモンいえるかな?』を歌っていた人だよ」と説明までしてくれました。よく覚えていましたね!

さて、今回のポケモンといい川原先生はどこからこの子たちを持ってきたんでしょうか・・・

クリニックにあるものは先生の集めたコレクションです。このコレクションは皆さんもご存知の通り定期的に模様替えされ、しばらく見なくなったと思ったらそのうちまた登場することがあります。どこに保管しているのか・・・専用の倉庫でもあるのか・・・気になったので聞いてみると、川原先生は3階建てのお家に住んでいて、1階が先生のお部屋兼倉庫だそうです。このコレクション達とともに先生は生活しているみたいです。

どんなところか覗いて見たいですね。

 

BGM.カスミ・ラプラス「ラプラスにのって」