まずは私が落ち着け

こんにちは、受付の大平です。
10月の模様替えのお知らせです。
でも、今月は模様替えもあまりなく・・・
変わったところと言えばマンガの新刊となぞなぞ、ういちゃんが衣替えをしたくらいで・・・・
まずはそのあたりの紹介から。
マンガは5冊新刊が加わりました。
【CITY】3巻↓

【3月のライオン】13巻↓アニメの2期がスタートらしいですよ

【聖おにいさん】14巻↓ まだ続いていたんですね!

【死人の声をきくがよい】10巻↓今回もサインつき

【掟上今日子の備忘録】5巻↓表紙がとっても可愛いのです

けいおんのういちゃんは冬服に衣替え。
ポーズも鵜飼さんがかえてくれました。
なんだかういちゃんが応援してくれてるように思えちゃうポーズです↓

ウォーターサーバーの今月のなぞなぞはソネさんが作ってくれました。
たくさんのなぞなぞ候補から厳選された3問です・
特に最後の問題が良いのでぜひ挑戦してみてください。

ここまでが10月12日10時30分くらいの時点・・・
 
〈10月12日11時過ぎくらい〉
クリニックに大きな箱が届きました。
箱の中身はシンゴジラのフィギュア!!!!
こちらが第二形態↓↓ 

私はシンゴジラの中で第二形態が1番好きなので前にブログで紹介した第二形態のぬいぐるみを触ったり、
スノードームをふりふりして眺めていたりするのですが、フィギュアのこの子もいい!
上の写真のピントが顔にあっていないのはこの子、口が開いたり手足や尻尾が動いたりするので
リアルで面白くて鵜飼さんと盛り上がり興奮しすぎてしまった為です。

第三形態↓↓


第四形態↓↓



第四形態のフィギュアは背中のトゲトゲが痛いので触るときにお気をつけ下さいね。
このフィギュアは診察室に置いてあります↓↓

〈10月12日11時50分くらい〉
また先生宛のお荷物が届きました。
中身はけいおん・ゆいちゃんの印鑑とキャンバスアート↓↓

印鑑は木箱に入っていて開けるとキリッっとした顔のゆいちゃんの印鑑ケースが↓↓

中身の印鑑はただ今「川原」で製作中で手元にないので出来上がり次第またブログにアップする予定です。
 
〈10月13日12時30分くらい〉
12日に届いたゆいちゃんのキャンバスアートが診察室に飾られました↓↓

このキャンバスアートの位置決め、ソネさんがはじめに呼ばれそこで決まらず、次に鵜飼さんが呼ばれそれでも決まらず、
最後に私が呼ばれそこで決まるという流れがありました。私のセンスはだいぶ磨かれたようです。
〈10月13日の夜〉
今回の模様替えで1番の大移動!診察室のソファの位置が変わりました
診察が全て終わったあと先生とソネさんが頑張ったようです↓↓

みなさんのほうの入口から入るとこんな感じです↓↓

私は朝出勤した時、このソファを見ておんたんと門出のお隣・・・じゃなくて、その2人の間になんだか座りたくなったのですが
まだ、お隣にしか座っていません。近々きっと2人の間に座る機会がおとずれてくれるでしょう。
受付まわりの子たちも誰かのイタズラで変わったようです↓↓

 
10月12日の朝、川原先生にブログを書いてと言われた時にはネタがなくて困っていたのに
数日間でこんなに書くことが増えるなんて!!!!不思議なこともあるものです。
書くことが増えすぎて、書ききれなかったこともあるし・・・
本日、ブログを書いている時にも受付まわりで変わったところがあるのですが、
これは自分で見つけたほうが面白いと思うので来月にでも紹介しますね。
BGM. The Hollywood Symphony & Roger Neill  「Lisztomania 」


カワクリ・裏メニュー③「安楽死専門外来」

9/1は、18才以下の自殺者数が1年で一番多い日だそうだ。
そのため「死にたい」と思ってる10代の声に耳を傾ける番組を8/31の夜にEテレのハートネットTVでやっていた。
司会が、千原ジュニア、ゲストに大森靖子ら。
番組を見守る「お月様」のナレーションの正体は、しょこたん、だった。↓。
うちのブルーレイ・レコーダーのお気に入りワードに、中川翔子、と、大森靖子、が入れてあるからWで引っ掛かった。

まぁ、フツーの番組だった。
9/1から新学期(だから自殺が最も多い)という想定の上、8/31の夜にやることに意味があるのだろう。
自殺、は仕事柄、常に向き合っている問題だが、いつも思うのは、命かけてまで行く価値のある学校なんてないってことで、
行きたくなけりゃ行かなきゃいい。
いまどき、「すべての人間が平等だ」、と本気で信じ込んでる人は少ないと思うが、
人間誰しも、「自分の意志で生まれて来たんじゃない」、という点と、
「自分の望むタイミングでは死ねない」、という点のみにおいては平等だ。
そんな宿命に抵抗する手立は自殺くらいしかないのだとしても、失敗して生き残るとかえって面倒だったりするし、
成功するにせよ、死ぬまでは生きてないといけない訳で、決意してから死ぬまでの時間は恐怖だろう。
自殺をする勇気がないのなら、せめて安らかに死なせて欲しいものだ。
研修医の頃、精神科の主任教授に、「川原君、今後の高齢化社会で重要なことは何だと思う?」と質問された。
僕は少し考えてから、<安楽死ですか?>と答えたら、教授は、真顔で「惜しい!」と、うなった。
(ちなみに、正解は、「安心してボケられる世の中作りだ」って)
自殺と安楽死って、ニュアンスが似てる部分があると思う。
僕の通ってた医学部の教養課程では、「医療倫理」という講座があって、主に、
・「安楽死」と「尊厳死」の違い、とか
・ヒポクラテスの誓い、などが
テストのヤマ、だった。
安楽死は、医者が末期患者などに薬を用意して自殺幇助(ほうじょ)することで医者が関与したケースで、
一方、患者が同じ薬を自分で手に入れて使用したら、それは自殺になる。
尊厳死は、患者の意志によって延命治療を止めて自然に死を迎えること。
つまり、安楽死と尊厳死の違いは、医者が手を加えるかどうかの差。
ちなみに「ヒポクラテスの誓い」では、医者は誰に頼まれても決して死に至る薬を与えない、という項目があり、
安楽死は認めていない。
時代の移り変わりで価値観は多様化し、安楽死を認めている国もある。
スイス・ベルギー・ルクセンブルグ・オランダ・アメリカの一部・オーストラリア・カナダ・コロンビア。
この中でも、スイスだけが外国人の安楽死を行ってる。
末期癌の疼痛や、痛みの激しい不治の病の安楽死は、了解しやすい。
問題は、精神的な苦痛をどこまで考慮するかだ。
ステージは末期ではないが独り身でゆくゆくは老人ホーム、これまで幸せに生きて来たがこれからは不幸になるだけ。
それならば不幸になる前に逝きたい、という人が安楽死を希望したら?
何十年も連れ添った配偶者が末期癌で、本人は病気ではないが、配偶者のいない人生は考えられないと、
夫婦同時安楽死、が論争になったこともある。
ベルギーでは精神疾患や重症の「うつ病」などにも、安楽死、が認められたケースがあるという。
一昔前は、うつ病患者に自殺をしない約束をしたものだ。
うつ病の病前性格は真面目だから、「約束は守る」とか、「医者に迷惑がかかる」、ことがブレーキになると考えられていた。
随分と、性善説だ。
電車に飛び込むと賠償金とか、飛び降りは誰かをまき沿いにするからとか、が自殺を食い止めている場合もある。
しかし、本当にヤケになって、死ぬしかない人は、死んだ後の心配など知ったこっちゃない、のであるのも確かで、
精神科医がそんな浅い性善説に頼っていては、患者に見透かされて、「何もわかってないな」と見限られてしまう。
10代からODやリスカを繰り返し、精神病院に強制入院になり、病棟で首吊り自殺をする、なんてケースはよくある。
だから閉鎖病棟の持ち物検査は厳格で、ベルトや紐靴もNGだ。
それでも本気で死のうと思ったら、入院させても100%は防げない。
シーツを破ったり、舌を噛んだりするから。
もし、こういう人に、安楽死、を認めてあげたら、逆に抑止力にならないだろうか?
自殺が出来ない自殺願望のある人の最大の苦しみは、死ねない、という事実で、
「この薬さえ飲めばいつでも自分のタイミングで楽に逝ける」と思えば、結局死なないで済むケースも出て来ないか?
ただ難しいのは、自殺の意志や本気度は今日言ってることと5年後に言うことが全く違うことがあることだ。
「うつ状態」の時と、薬を飲んで「良くなった」時では言ってることが、180度違い、そのどっちが「本気」なのかはわからない。
安楽死はまだ日本では認められていないが、今後の動向はわからない。
早いうちから、「安楽死専門外来」、を立ち上げておくと、その道のオーソリティーになって、認可されやすいかもしれない。
だから、自殺を今考えてる人は、もう少し待てるなら、「安楽死専門外来」、に通ってみたらどうか。
医者が手助けして、無痛で20分くらいで苦しまずに死ねて、事故物件とか残された人にも文句を言われないで済む。
何なら、死ぬ前に、パーティーをしてシャンペンとか飲んで、思い出話に花を咲かして、皆に見守られながら毒薬を呑む。
自殺、と一口に言っても、「死ぬしかない」「死んでお詫びを」「消えたい」「死んでやる」などのバリエーションがある。
昔、「自分の葬式に誰が来るか?リスト」を作ったことがあるが、「死んでやる」という人には、それのリアル版で、
関わりのある人たちの「反省」の肉声を生前葬儀のパーティーで聞けるメリットもある。
オチとして、「なーしよ」も有りである。
この間、自殺願望の強い女の子に、「安楽死専門外来」を考えてるんだとフライング気味に話してしまった。
すると驚いたことに彼女は、「私はスイスに行きたいんです」と教えてくれた。
彼女は、どんなビザをとったらいいか、とか、手続きとかを一生懸命調べていた。
思わず僕は、<あなた、よく勉強してるね>って感心すると、
彼女は照れ笑いして、「そんなの皆、知ってますよ」と謙遜した。
彼女の言ってる「皆」がどの辺りのグループをさしているのかは疑問だが少なくとも「自殺」をあきらめて、
「安楽死」に希望を託す人たちがいる空間がこの世に存在してるようだ。
僕が、<色々と難しい問題はあるが、そういうことも考えているんだ>と告白したら、
彼女は、「それはとても安心しました」、「もう少し生きててもいいかな」、と言った。
繰り返しになるが、一番難しいのは、人間は状況に依存しているから、状況次第でコロコロ考えが変わったり、衝動的になったりする点だ。
だから、一時の勢いで重要な決断をしない方が良い。安楽死、もそうだ。
人間は信用出来ないが、中でも一番信用おけないのが「自分」だったりするものだ。
一生懸命生きてる人は一瞬一瞬を大切にしてる分、発言に一貫性がないのと似ている。
だから賢明なのは、自分のことをよく知っていてくれる人を身近に置いておくことだ。
家族や友人でもいいが彼らは思い入れがある分、ノイズが入るであろう。
だから、専門家に定期的に通い、そういうことにブレない恒常的な外部オプションを作っておくのが良いと思う。
それが、安楽死専門外来、の設立の理念。
ブラックジョークみたいに思うかもしれないけれど、「自殺」がこれだけ問題になっているのだから何かしなきゃね。
綾小路きみまろのギャグで、
「頑張りましょう。頑張るために生きてるんだもん。幸せになるために生まれて来たんだもん。ただ、幸せになれないだけの話し」
というのがあるが、命かけてまで頑張る価値のあることってこの世にあるんですかね?
幸せ、って言うけど、幸せの基準を決めてもらわないと、何をもって幸せというか判らない。
膣内に一度に射出される精子の数は、数千万~数億個で、それが日本の人口と同じ位で、
それで精子の時点で競争に勝って受精したのだから、生まれて来ただけで人間は「勝ち組」って言う人もいるけれど、
そういう人が数千万~数億人いるのだから、その理屈で自分を「特別」と思えるほど、お気楽にはなれない。
生きること死ぬこと、を考えるのは難しいですね。
「安楽死」はとりあえず、脇に置いておいて、「生きる意味」とか、「自殺は何故悪い」とか、
「人殺しは悪いのに戦争だと英雄になる矛盾」とか、このご時勢もふまえて皆さん、どうお考えになりますか?
そうだな、ソネさんの意見を聞いてみよう。ソネさんとは、よくそういう話をするから。
「なんで頼んでないのに生んどいて勉強しなきゃいけないの?」とか。


中二再来~その時期ね

準備中
・10/12途中経過~「魂削って、迷走中!」
・10/13途中経過~「骨格、出来上がる」も、「もう少し、ふんわりと終わらせたい」。現時点、血中濃度が高めの様子!
・10/14途中経過~「愚直に真っ直ぐ、執筆中!」
             
・10/14途中経過②~皆様の応援で、ソネのエナジーはチャージされ、もうじき記事が爆誕します!
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こんにちは。ソネです。
この短期間に、超難題のブログ記事を書くことになるとは・・・。
人生、何が起こるかわかりませんね。
 
前回は「哲学」というより考え方?といったテーマでブログを書きました。
結果、よくまとまらないブログになってしまいました。
よく物事を考えたりしますが、まとめて文字に起こすことがないので難しいです。
 
このブログの記事は私の意見で正しくないです。
反対の意見の人もいればわかるなって人もいるかもしれません。
こんな考えの人もいるのだなって感覚で読んでいただけると幸いです。
 
生きる意味ってなんでしょうか。
いろいろあると思います。
家族のため。友人のため。仕事のため。趣味のため。自分のため。
一方生きる意味について考え、それでも○○のため!といえない人もいると思います。
 
何故、生きているのか。
生きる意味ってなんなのか。
自己存在意義。
 
私もよく学生時代に考えていました。
 
個人的になんですが生きる意味や自己存在意義を考えているときは消滅したいって思っている時だったり・・・。
だから答えなんて絶対わからないこと考えて消滅理由に繋げていた気がします。
 
 
学生時代の私は、正直緩く生きていました。
何事にも無気力で、生きるのがとにかく億劫でした。
そんな私の姿をみて親が悲観していたのを覚えています。
だからこそ、自分の生きる意味や存在意義をやたらと欲しては、
何も出来ない自分に嫌気がさしていました。
どうして生まれてきたいなんて思ってない私が存在しているのかとか、
親と喧嘩するとよく
生まれてきたいなんて頼んでないって言っていましたね。
でも、親もきっと思ったでしょう。
選べたならきっとあなたなんて選んでないってね。
 
幼かったから逆を考えられなかったです。
親不孝とはこのことですね。
 
勉強する意味がわからない。という言葉も学生時代よく聞きました。
個人として、勉強は嫌いではなかったし、自分の知識量が増えるで、どちらかと言えば好きでした。
ただ、ずっと学校に行く意味がわからずにいました。
教科書通りに、教科書に書いてあることだけを説く授業に違和感がありました。
教科書通りに進む授業ならわざわざ学校に行く必要があるのかと思ったのです。
今、学校に通うことが必要か?と問われると一概にも必要だ。とは言えませんが、集団の中だからこそ学べることや、ほかの人が何を難しいと思うのか。とかね。
 
日々、少しずつ考えは変わります。
生きる意味や自己存在意義について今は余り考えていません。
意味は必要なのかな?という結論に至ったからです。
全く必要ないと思っている訳ではないですが、明確に、ハッキリと、○○のため!
と定義づけなくてもいいと思っています。
 
誰かに励まされたり、嬉しい気持ちにしてもらったり、でも自分に影響を与えてくれた相手にとってはただの日常、さりげなくしたことだったり。そんな事がありふれていると思うのです。
 
誰かにいつか、どこかで、誰かの励みになるようなことをしているかもしれない。
生きる意味なんてこのくらいぼんやりとしていてもいいじゃないかな。なんて、最近思います。
前に進めない時はどんなに頑張っても進めないし、気が付いたら一歩前進していたり。
何が起きるかわからない。だから生きる意味とか考えずに流れに身を任せるという生き方もありかな・・・と思います。
生きている中であらゆる物に影響を受けます。
学生時代の授業やTVでのニュース、アニメやマンガ、新聞、雑誌・・・
生きる意味を考えさせるものは世の中に溢れています。
 
これはあくまで、個人の意見なので、正解はありません。
 
このブログの記事も、いつか、誰かの記憶にふんわりと残っているといいな、なんて。
戯言もいいところですね。
長いことお待たせした割りに、上出来の記事はかけませんでした。
でもこれが今の私の魂削り込んで紡いだ言葉です。
 
しかし、これは最終地点ではありません。自分の最後が来るまで意見は進化しています。
BGM「にんげんっていいな」ガガガDX


法人化!

僕は腕っぷしは強くはないが、ケンカは強かった。
小林よしのり、のマンガ「格闘お遊戯」に、絶対負拳(ぜったい、まけん)、という武道の使い手が出てくる。
メチャクチャ弱いのだが、根性だけで、どんなにやられても、「参ったか?」とほざく奴。それと似てる。
どうして僕がそんなだったか詳しい事情は省略するが、僕は小さい頃から、いつ死んでもいいと思っていたし、
どんな死に方でもいいと思っていた。
だから誰かをどんなに怒らせても、最悪死んでもいいと思っていたから、怖いものはなかった。
ところが最近、死ぬのが怖くなった。それは守りたいものが出来たから。
僕が守りたいもの。それは、ここの場だ。
喫煙所があって、マンガがあって、お気に入りのポスターが飾ってあって、BGMが流れて、勉強できるテーブルがあって、
そこで待ち時間や夜遅くまで勉強してる人がいて、それを受付が見守っていて。
気がつけば、一週間1度も笑わなかった、とか、誰とも喋らなかった、という人もいるから、
お会計の時、受付と雑談したり、なぞなぞのヒントや答え合せをしたりする、そういう場を守りたい。
いつの世も居場所の必要な子(人)はいるはずで、それを残したい。
去年の3月、クリニックを法人化した。母親の名前をもらい、綾枝会、とした。
友人に言わせると、法人化の経営的なメリットはあまりない、という。
死んだ時と、分院を増やす時くらいだという。
小坂先生や漆原先生や中西先生の件で学んだのは、クリニックは院長が死んだ時点で閉院になる、ということだ。
だから、代わりに医者が応援に行っても、そこでは薬も出せないし、紹介状も書けない。
「法人」にしておけば、死んじゃっても、ピンチヒッターがきく。
「法人化」なんて手続きが面倒くさそうで考えたこともなかったが、残された患者さんのことを考えたら、有りだ。
まず、必要な職種や人材を集めなきゃ。
僕が欲しいのは、僕の目の届かないところに目が行く人で、自分の劣ってる、苦手なところを補完してくれる人材だ。
思いつくままに列挙していこう。
・役所手続き
・色んなアルバイト経験がありアドバイス出来る人
・学校のこと、偏差値・受験制度に詳しい
・フロアを回って環境を整備する人
・図工・体育が出来る人
・スマイル担当
・圧力団体(権力者と戦う。街宣車など)
・夫婦喧嘩の仲裁
・不良グループから抜ける時、きちんと筋を通すために一緒に謝りに(ボコられに)付き合ってくれる男気のある人
など。他にも思いついたら後で付け足そう。
不動産に詳しい人に聞いたら、マンションの家賃収入は税金が半端じゃなく、1件持ってても駄目らしい。3-4件ないと。
それは「ラーメン屋」や「キャバレー」も同じなんだって。
1つ入らなくても他が入ればいいし、従業員も回せるって。病院も経営的には、支店を作った方がいいらしい。
今のクリニックは、よく「若い人向けですか?」と聞かれるのは、ガチャガチャしてるからだろう。
もっと落ち着いた雰囲気の支店を作ったらどうか。
刺激に敏感な人やお年寄りのために、川原クリニック・クラッシック。↓。「K」をシルバーにしてみた。

皆さんは意外でしょうが、お年寄りには、カワクリの環境は好評なんですよ、「落ち着く」「楽しい」「病院らしくない」って。
でも、僕は潔癖症みたいなところがあるから、他人(別のドクター)に任せるのは無理そうだ。2号店はあきらめよう。
それでも野望はあって、色んな治療的資源が足りないので、ないなら自分で作ろう、と体調が良い時にはそんな気になる。
夜までやってる薬局とか、良質なリワーク施設とか、フリースクールとか、不登校の子もここに来てれば出席扱いになるとか。
もっと言えば、学校とか。
若い子は体を動かした方が良い子もいるから(そうじゃない子もいる)雨天でもランニング出来るトラックとか。
コミュニケーションがとりづらい子には、トスバッティングとか。
根性を鍛えなおした方が良い子には、三塁ホットコーナーに立たせ、千本ノックとか。
閉所恐怖症の人のトレーニング用に、電車・エレベーター・教室のシミュレーション。
立会人が必要だから、心理の学生などをボランティアに呼ぼう。
心理の学生の研修先や、心理士になった後のポイント更新が出来るような政治的な働きかけもしておこう。
勉強会やセミナー、ミーティングをする会議室も作ろう。
それだけのスペースがあるところと言えば、と考えたのが、渋谷のタワレコ、だ。あそこを買い取る。
名前も、川原クリニック・タワー!
アイドル志望やバンドマンを目指す人のインストアライブ(ストアじゃないが)や美術系の個展を開けるスペースもある。
それでも、まだ空きがあるから、フルーツパーラーも作ろう。
屋上には畑や温室を作って、園芸療法も兼ねる。
屋上の半分には、常磐ハワイアン・センターのような陽気な施設を作ってリフレッシュ。ヌーディスト・ビーチも作ろう。
露出願望の強い人はここにくれば良い。捕まんないよ。
しかし、管理人が必要だ。
蛭子能収の4コママンガで、道を全裸の女が歩いていて、「なんだ?」と驚く背広の男。
さらにまた全裸の女が来て、「どうなってるんだ?」。すると、そこに全裸のおっさんが来て説教をする。
<君、君、服はいけないよ>。
するとオチで背広の男が、「いけねぇ、ここは、裸天国、だった」と言う、裸天国、という作品を思い出した。
そうなのだ、ヌーディスト・ビーチだから、やはり管理人もヌードじゃないとまずいな。
よく、「夜の仕事しか出来ない」と嘆く人がいるが、もしその気になれば、ヌーディスト・ビーチの管理人にならないか?
風俗より稼ぎは減るけど、福利厚生はしっかりします。
そんな風に調子に乗っていると、カワクリ・タワーは、バベルの塔、のように神をも畏れぬ傲慢さから、
天罰が下るか、そもそも分不相応だから、僕がなんらかの罠にひっかかって、世の中からバッシングを受け、タワレコに返却。
明け渡す前に考えた企画は、タワーを48時間開放するから皆さん、好きに壁や建物にいたずら書きをしてよし。
そして、世界ドッキリ映像にあるみたいに、ダイナマイトでタワーを一瞬でペシャンコにして、その瓦礫の上で、
皆で、パラパラ、を踊ろう。パラパラの指導は大平さん。幼稚園のお遊戯でやった経験者。
そしてすべてが終わったら、皆で手をつないで、大岡山に戻って来ようね。
大平さん、パラパラの指導、大丈夫?
 
大平です。ダイナマイトでフルーツパーラーまでペシャンコになってしまったら、私はショックでパラパラ踊れないですよ。
あと、パラパラを踊ったのは幼稚園じゃなくて小学校の時の運動会です。
BGM. 久保田早紀  「異邦人」


十中八九N・Gアーカイブス 「センター試験」

5/Ⅹ.(木)2017 はれ にゃんこスター、の、アンゴラ村長は早稲田卒
センター試験では、「精神科・心療内科」や「発達障害」の診断書を出すと、
別室受験とか、試験時間1.3倍とか、が出来るシステムがあります。
周囲が気になる、とか、確認が激しい、などで本領を発揮出来ないと残念ですからね。
そういうのに配慮してくれてるのでしょう。良い時代になりましたね。
僕の時代は、共通一次、と言ってましたね。
共通一次試験の日は雪がよく降ってたような気がします。
野坂昭如の「火垂るの墓」の実話バージョンで「行き暮れて雪」という自伝的小説があります。
神戸で空襲に遭い、福井に疎開し妹を亡くし終戦。17才で窃盗を働き少年院へ。
しかし、実父が保証人となり釈放、新潟へ。そこからの野坂の放蕩生活ぶりは、尋常ではない。
自暴自棄。小説のかなりの部分が、この露悪的ともいうべき、放蕩生活の描写に費やされています。
ある日、野坂は、このままでは駄目だと思い、上京。
そして早稲田大学を受験する。試験当日は大雪。
野坂は、義士の討入りも二・二六事件も大雪だったから縁起がいいと思う。
自らの受験を、志を持ってあえて負け戦に挑むものと重ね合わせた、野坂の覚悟と照れに共感したものです。
僕の共通一次も大雪でした。
共通一次の思い出といえば、この記事ですね。語が苦
さて、「センター試験」っぽく、数学の問題で閉めましょう。
Q.カワクリの開院は、平成19年ですが、「Xの5乗が、2476099」、になる、X,はいくつでしょう?
これは、なぞなぞ、ではなく数学の問題です。
とは言え、カワクリです。
数学が不得意でも解けるように、正解をどこかに隠しておきました。探してみて下さい。
答え合わせは、その数を電卓で5回かけてみて下さい。2476099、になれば正解ですよ。BGM.もヒントだったりして。
BGM. スティービーワンダー「愛するデューク」


カワクリ・裏メニュー②「いじめ、DV、ハラスメント専門外来」

カワクリ・裏メニューの第2弾は、「いじめ、DV、ハラスメント専門外来」です。
それは、いじめをうけた人ではなく、「加害者」、のためのものです。
いじめた人の心の闇にスポットライトを当てます。DV、モラハラも同様です。
これらの行為は決して許されることではありません。
しかし、結果だけを咎めて、「なぜ、そうしてしまうのか」、にFOCUSしないと、相手を変えてまた同じことを繰り返しますね。
校医で、いじめの相談を受けたことがあります。それは「被害者」ではなく、「加害者」の面接でした。
その子は、親の呼び出しや、生徒指導、校長譴責(けんせき)など、こっぴどくやられて、ふってくされて、投げやりでした。
「どうせ、あんたも同じだろう」という態度でしたが、何度か会っているうちにバターのようにとろけてくれました。
いじめは何があってもいけないことですが、いじめる側にも事情や都合があるでしょうから、その辺を聴いてみたのです。
パワハラを受けた人を助けるために事実関係を診断書に書いて提出したら、パワハラしてる人から自身のカウンセリングを
求めて来られたけれど、まさか二人を同時にみる訳にも行かないので断りました。
今思うと、主治医は無理でも、カウンセラーにまわしてあげれば良かったです。
これらが専門外来を作ろうと思ったきっかけです。
専門外来では、
加害者の①ブレーキの効かなさ、②相手のどこがムカつくのか(それは自分が抑圧してる部分と重なるからか?)
③反省してもまたやってしまう愚かさと自己嫌悪、などをカウンセリングと心理テストで、歴史を振り返り、原因を探り、
解決のお手伝いをする、コース・メニューです。いやな自分とさよならしましょう。
加害者側の心のケアについて皆さんはどう思いますか?
うかいさん、に聞いてみようかな。
 
 
こんにちは。受付のうかいです。
「いじめ」という言葉で最初にパッと思い浮かぶのが「ライフ」という漫画と「人間失格」というドラマです。
どちらも学校内なので、わたしの中ではいじめ=学生リンチという構造が出来ているみたいです。
 
昔見たテレビで
「いじめは大人がしていること。子供はその真似をしているだけ」
と言ってる人がいました。
 
今では色々な「~ハラスメント」という言葉がありますが
「パワハラ」「モラハラ」なんて言葉は浸透しきっていますよね。
職場内や家庭内でもいじめは存在するみたいです。
 
いじめとはそもそも何なのか。
調べてみると
「自分より弱いものに対して一方的に、身体的・心理的攻撃を継続的に加え、相手が深刻な苦痛を感じているもの」
と書いてありました。
 
自然界では弱肉強食という言葉がありますが、
人間には道徳や倫理観がありますし、時代と共に平等精神が濃くなっています。
 
余談ですが、いじめという言葉は「いじめられる」という動詞からきたものです。
そしてその原義には集団行為かどうかは含まれていません。
1980年代初頭から陰湿な校内暴力が増えて、それが社会問題になりました。
それと同時にいじめという言葉は名詞でも使われるようになったそうです。
 
学校、職場、家庭、ネット、、、様々なコミュニティの中で人は必至に居場所を探します。
その過程で「いじめ」が発生した場合、簡単にやめることが難しく、逃げられなかったりします。
いじめは場所を選びません。
そしていじめられたトラウマで上手に生きられなかったり、いじめを苦に自殺をしてしまう人もいます。
今の時代はそれがクローズアップされると、ネット上でいじめた側を特定して追い込みます。私刑です。
 
加害者を擁護するわけでは決してないですが
わたしはこんな流れ、かなしいなぁと思います。
 
 
いじめは、だめです。正当化されることではありません。
でも、いじめはだめって言っているだけでは何も解決しません。
 
よく「いじめられる方にも問題がある」なんて言葉を聞きますが
問題は、みんな、抱えています。
 
加害者に対し、追い詰めたり制裁を加えるのではなく
内側で苦しんでる部分を汲み取ってあげることも必要なのではないでしょうか。
BGM. 森田童子「ぼくたちの失敗」


私信

3/Ⅹ.(火)2017 小雨 Kocの、にゃんこスター、を繰り返し観てる。アンゴラ村長、かわゆい。姉はもっと可愛い。
たとえば、わかりやすく言うため、極端な言い方をすれば、「クレーム」の類かもしれない。
言ってることはもっともだが、余程の人じゃないとそこまで言わないだろう、という「ナンクセ」とも言えるかもしれない。
それを彼らに伝えても、口にはしないがイライラしているのが手に取るように判る。
そりゃそうだ、「クレーム」や「ナンクセ」だもの。
しかし、この「クレーム」や「ナンクセ」を、簡単に僕は「クレーム」や「ナンクセ」と片付けられない訳がある。
それは何を隠そうずっと僕も思っていたことで、同時に言ってもしょうがないと思っていたし、あきらめていたし、
彼らにはそんなには大切なものではないと思うし、それはそれで構わないし、彼らの勝負する土俵は別の所だと言うだろうし、
それは「正しい」意見だから、そんなことを言うと疎ましく思われるのも嫌だし、言ったら厄介なことにならないとも限らないし、
ただ自分さえ思わないようにしていれば、「ないこと」にさえしていれば、それは「ないこと」になるから、「ないこと」にしようと、
腹に決めていた事だった。だけど容易に割り切れるものでもなく、いつもモヤモヤして、慢性的な欲求不満の原因だったから。
だから僕は驚いたのだ。こんなにうまく言語化した人を。
全然話は変わるが、晩年、立川談志が「イリュージョン落語」を提唱した時、弟子はこぞって「判らない」と言った。
ファンは、談志の話を見聞きしてるし、本も読んでるから、それが何たるか追いつこうとしたが、
弟子たちは「判ろうとしなかった」。志らく以外。
だから談志は志らくに、「お前がいてくれて助かった」と言っていた。
話しを元に戻すが、何を言いたいかと言うと、わかってくれてる人がいて、ありがたかった、という話。
BGM. 吉田拓郎 「海へ帰る」