Gさんのソーダ水

G「明日徳田先生のカウンセリングと、診察の予約をしていたのですが、(その時間息子を見てもらう為の)父が忙しく、また母も具合が悪く、キャンセルせずを得ない状況になってしまいました。先週も同じ理由でカウンセリングを当日キャンセルしてしまいました。ちなみに父は来週も忙しいらしく…次のカウンセリングはしばらく未定となりそうです。川原先生の診察は、土曜などに会いに行きます🙋‍♀️何卒よろしくお願いします。」

僕「子供は連れて来れないよね??」

G「不可能ではないかもしれませんが、泣いたりぐずったりはするかもしれないです💦」

僕「1時からにしたら?そしたら、俺がみててやるよ。明日のその時間はたまたま暇なんだよ。明日は俺の母の命日だから、なんとかしてやりたいんだよ、個人的には。故人だけに。診察室で玩具あるし。喋れるんでしょ?男同士何か話すよ。」

G「まだ喋れないんです。ガッコ(だっこ)なら言えます。」

僕「俺、仕事柄、話通じない人、慣れてる。原さんもいるし。なんなら、公園に連れてく。」

G「話通じない人、慣れてるって…笑ってしまいましたが、有難うございます。息子は‘ソーダ水’というあだ名で一歳5ヶ月です。」

僕「喋れなくても絵は描けるの?たとえば、離れてる間のお守りに母子で描いた絵を各々持ってたら?」

G「クレヨンとか色鉛筆を投げたりして遊びます。苦笑。なにかお守り的なの探して行きます。今年で一番温かいです。。😭」

僕「まだ3月だけどな」

G「では行ってもいいですか?泣いたりして手がつけられなったら、川原先生と息子もカウンセリングルームに入ってきてください。徳田先生がオッケーなら🙇」

僕「徳田さん、原さんともオッケー。了解です。」

G「本当に有難うございます。ちょっと場慣れも必要なので、12:30過ぎくらいの少し早めに伺います。よろしくお願いいたします!!」

僕「人生は一発勝負だけどな。」

G「そうですね。先生のお母さまも見守ってくれてるのだし、心強いです。」

僕「うちの母は、俺に甘い❕」

G「先生をみれば愛されてたことは分かりますよ笑」

僕「俺がこんな魚の黒い皮しか食べれない偏食でも、

従業員(当時は10人以上で一緒にご飯を食べてた)の、皮を強奪して、僕に与えてた。それも愛?きっと愛?もしかして愛?松坂慶子か?」

G「笑!」

僕「お守りづくりを12時半からやろう。」

G「了解です!なんだか楽しみになってきました😊 画材はお願いしても良いですか?」

僕「画材はありあわせで。ありあわせ、って料理が好きな子が多いらしいね。みんな違うメニューなのに。OK牧場!」

 

元受付の鈴木さん(元うかいさん)にも助っ人を頼む。直前に連絡が入る。

鈴「準備してたのですがお昼寝してしまって行けませんでした😫がんばってください!」

 

Gさんはお花を持って来院。母への供物か。お花ありがとう。

 

僕「写真、撮った。これブログに使いたいけれど良い?子供=クライエントで、僕はカウンセラーで、情動調律したりあやしたり相手が何を欲してるのかを不器用ながら探す50分が、カウンセリングと似てるなと思い、患者も本気、こっちも本気の真剣勝負だと思いました。退行現象とか、共感とかホールディングについて考えさせられたので、記事を書こうと思います。勿論個人情報はぼやかしてね。オッケー?」

G「あの時間でこんなにいっぱい撮ってくれたんですね‼️ いい写真ばかり🙌落ち着いたら家族にも見せます。ありがとうございました。‘ソーダ水’と行けて良かったです(smile)」

僕「で、出来れば、写真を使いたいんだよ。ぐずる子。あやす。泣き止む。他の人に変わろうとすると泣く。また抱っこで泣き止む。座ると泣く。ゆすったり、歩き回ると泣き止む。作業をやめると泣く。高い高いは嫌い。心臓を合わせる抱っこが安心。そのうち疲れて寝る。他の人には代わってもうまくやれず。でも、見守ってくれてるのが安心。ワンオペ大変だわ。という写真を20枚くらいで顔を隠したりして。子供と原さんや渡辺さんは隠した方が良いかな?加工してくれない?」

G「↑の文章がもういい感じです👏心臓を合わせる抱っこが安心。分かります。原先生や渡辺さんのことは分かりませんが、息子は(先生がご希望でしたら)顔出て大丈夫ですよ。記事楽しみです(moon laugh)記事書いてくださーい‼️写真も載せてください🌿🐥」

とのことだが、誘拐犯とか出ると嫌だから、文化部長(部員ゼロ)スーちゃんに頼んで加工してもらった。

海老反って泣き叫ぶ‘ソーダ水’。

ママがいなくて泣く‘ソーダ水’。

顔中の分泌物を総動員する‘ソーダ水’。

和傘であやす原さん。海老一染之助・染太郎か?

頑張れ!海老一。

海老一染之助・染太郎が、令和生まれ・‘ソーダ水’にはハマらず。

泣きすぎて過呼吸になるから心臓と心臓をくっつけ、‘ソーダ水’の心音の周波数に僕の周波数を調律する。

泣き止む‘ソーダ水’の分泌物をティッシュで優しく拭いてくれる原さん。‘ソーダ水’は安いティッシュには顔をそむけるが高級品質のティッシュだと受け入れる。高級ティッシュは味も甘い。ミルクの味か?

泣き止んだので散歩しながら歌を歌う。

選曲ミスでまた泣き出す。

仕方がないからお父さん抱っこ。お父さん抱っこは、お母さん抱っこより高い位置に目線をあげる。子供と作る胸の間の空間面積が広がる。

それは嫌だろうと原さんが手を添え、お母さん抱っこに修正する。

お父さん抱っこからの~

お母さん抱っこ。

これだけのサービス精神にも不満を隠さない‘ソーダ水’。

妥協を知らぬのか?‘ソーダ水’。

受付の渡辺さんに代わってもらう。が、2秒くらい抱いて泣き止まないと「やっぱりセンセーがいいよね」とニセ読心術を使い、僕に返す。

抱っこしながら周遊してみる。

泣き止まぬ‘ソーダ水’。「泣きたいランキング2位」は川原。

キャッチボールのコツは相手の取りやすい場所(主に胸とされる)にコントロールよく投げてやり、相手の暴投は全力でジャンプしてでも全部取る。ショーバンも胸で止める。

とにかくそれを繰り返す。

すると相手の投げる球も段々こちらの取りやすいところに来る。

それは人と人とのコミュニケーションと同じだ。明石家さんま曰く、「会話はキャッチボールや」。

こうしてスタン・ハンセン級の不沈艦、‘ソーダ水’も眠りにつく。

力が抜けてこちらに体重を任せてくれると、同じ質量なのに軽くなる。

‘ソーダ水’の寝顔。

山田パンダ曰く、「僕の胸でおやすみ」。

こうして男の中の母性が発揮された。何も母性は母親だけのものではない。逆に女にも父性がある。美輪明宏のヨイトマケの唄、よろしく。人間の理想形は中性ではない、両性だ。

1才半から2才半をラプロシュメントといい、喜怒哀楽が暴れ馬のように走り回る時期のことを言う。

ポチタが‘ソーダ水’を見守る。

原さんがやさしく見守る。

安全な抱っこは、抱っこする僕が見守られて初めて成立する。伊藤つかさ曰く「見つめていてね」。

‘ソーダ水’の顔を覗き込む原さんの視線が夏の湘南を訪れる人のように優しい。何故、海が見たいのだろう?もう若くもないのに。「せめて沈む夕陽に間に合えば…。ただそれだけのこと」。

こうして走り回る暴れ馬を手名付けたカウボーイハットをかぶらない令和のカウボーイ、ビル・ワット。

育児で大切なのは赤ちゃんのリズムを良く知ること。恋愛と同じだぞ、男ども。

写真を送ったら元受付の鈴木さん(元うかいさん)から返信メール。

鈴「楽しそうですね✨いいな〜行きたかったです☺️Gさん、頼れる場所があってきっと安心したと思いますよ☺️」

これはGさんが徳田さんとカウンセリングを行った50分の出来事。たった50分でクタクタ。「今や核家族の時代ではない。すべての大人ですべての子供を育てるのだ」を有言実行してみたが、なかなか無責任に発する言葉ではないと思った。そしてワンオペのお母さん(お父さん)には頭が下がる。

僕は実家とは縁がないし、墓の坊主と喧嘩したから墓参りにも行かないが、たまたま母の命日に子供の扱いを任せられたのは特別な意義を感じた。

Gさん、カウンセリング、どんなだったのでしょう?

 

BGM. たけし 母の通夜で雷雨の中 号泣!


行き暮れて雪

6/Ⅱ.(火)2024 雨 全力脱力タイムズに臨時アナウンサー役で小倉優子が出演しこりん星キャラを披露するも、下手になってた。

 

書こうが書くまいか迷った。記事にするべきか。名誉棄損で相手が「5億5千万」くらいの賠償金を求めて来てもやだし。それよか「ブーメラン」もありうるし。かと言って精神科救急のあまりのひどい現実を「専門家たち」が分かってなかったり、医者のプライドがなくなり「タイムカードで働くサラリーマン化した」弊害で医者のアイデンティティーである「責任と覚悟」が風化して、迷惑するのは患者で、それも「錯乱」してる者への一定の対応はあれど、問題は実は自殺する患者の多くは「錯乱」してるものではなく、smilling depression(微笑みうつ病)という「顔で笑って心で泣いてる」「現実検討力をギリギリ有す」タイプで同居してる家族だって気付けない。IPPONグランプリみて笑ってたかと思うと部屋に帰ってODする。

その状態ではおそらく僕がみても診断出来ない。プレコックス・ゲフュールのような「匂い」もしないし。唯一、当人だけが「病識」があって、本人が信頼できる人だと合格した人にだけ伝えてくれる「SOS」。それをどうすくえるか。それをフォローする社会的システムがない。自分の患者は自分ところでみろ。あとは知らねぇよ、という救急体制に対する問題定義だ。なんとか白書で「自殺者何万人」って言ったてまずはこういう患者の救出だろうが。

 

しかし書いてるうちに特定の医療者への悪口になる。期待してた分、腹が立つ。「みそこなったぞ」。それで怒りのペンを握ろうと決意。土曜日は腹が立ち過ぎて酒も呑まずに知り合いや同門の医者に、その病院の文句を吹聴してた訳だが反応はイマイチ。「ひどいですねぇ」と上っ面だけ同情してくれるのは良い方で、「どうせ酔ってんでしょう?」「酒が覚めたら聞くよ」「●●は大学病院より高水準だよ」など、ひどいのは「サラリーマンを馬鹿にするな」だと。ま、そりゃそうだが、前後の文脈みりゃ何を言いたいかわかるだろうに。切り取りするな。あ~、いわゆるこれが「セカンドレイプ」って奴だな。それで土曜はふて寝。

日曜は昼の3時くらいに目が覚める。すぐ呑みたい。しかし、コロナ以降、「通し」でやってる店がない。2時でランチが終り夜は5時から。前にどっかの店で「その時間を開けると質の悪い客がダラダラ居座って、5時に来る上客が入れないからやらないんです」だって。なるほどね。でも今日の俺は5時まで待てない。そこで足で探した。町のすみに小さな蕎麦屋をみつけた。

芋焼酎を頼む。そば湯割り。

つまみは、もつ煮とシウマイ。

シウマイはウマいから毎週食いたいのだ、はバカボンのパパの名言。僕は崎陽軒シウマイが1番好き。

芋焼酎お代わり。

こんなメニューになっています。

だから、シウマイと芋焼酎をお代わり。

〆はチキンカレーライス。それと芋焼酎。

チキンが、新宿中村屋のインドカリーみたいです。

と、全く蕎麦屋の暖簾を無視したオーダーでした。確かにこりゃ「質の悪い客」だ。でも、開いててくれてありがとう。帰りは5時過ぎてた。

 

翌日(月)はメインテナンス・デー。怒りとストレスで歯痛が再発。歯医者に電話したら「すぐ来ていい」と。出かける準備をしてると僕の地下室にも聞こえる外の雨音。扉を開けたら雪だった。2・26事件や忠臣蔵を思い出す。

 

歯医者では相変わらず原因不明だが、舌が荒れてるからレーザーで焼いてもらいアフタッチを処方された。懐かしい名前。

北口薬局に処方箋を持って行ったら「うちには在庫がないから近所から買って来ますのでしばしお待ちを」と、雪の中を薬局の人が着替えて近所の薬局までアフタッチ6個をわざわざ取りに行ってくれた。お会計で「出張代は?」と聞いたら「いいです」と笑ってる。親切だ。

帰り道、焼鳥屋「たかぎ」の前を通ったらランチメニュー「玉たか」の貼り紙。営業時間を30分オーバーしてるが中をのぞいたら店主がいるから、「いい?」と言って返事する前に入ったら「いいですよ」と苦笑いして、親子丼を作ってくれた。ランチビール500円とあるから、悪いから要らないけど頼んだ。

これがランチの親子丼鶏スープ付き。

これが鶏スープ。

親子丼は夜に使う(希少部位)じゃないももを使うらしい。鶏を一羽買うから要らない部分が出るそうだ。

ビールと親子丼、計1500円税込み。月・木・金のみやってます。この話を友人にしたら「ひとの温かさが身に沁みますね」というから、そんなもんかなと思う。

「寒いねと話しかければ寒いねと答える人のいるあたたかさ」by俵万智。

2時半だ。駅前のつかもと整骨院にその足で向かう。午後3時からの診療だが、雪だし、と勝手に理由をつけて顔を出すと、「どうぞ」って時間前だけど施術してもらう。どうも右半身の筋肉が調子悪いから定期的に鍼を打ってもらってる。

家に帰ってYouTubeをみながらLINE友達とLINEして、5時からエネルギー療法。

詳細は伏せて、「普段の俺なら文句言うんだけどどう思う?」と聞いた。2024年からは次元上昇だしアサーションだし、今までのやり方で事を運ぶのは宇宙的にはどうなのか。すると、「伝わらない相手に言っても、チッ、って思われるだけで、川原さんに嫌な気が来るだけだし。大きな組織を敵に回しても損ですよ」と正論を言われて驚いた。てっきり、3次元から5次元への次元上昇の前には弱者に寄り添い戦う時代です、とか、逆に、アサーションの前には分断を生むから、ここは鬼は内・福も内、と統合して行きましょう、などとどっちにしろスピリチュアルな答えを期待してたのに…。

そして、「ちょっと早いですが」と、チョコくれた。

バレンタインだって。

 

僕はすっかり戦意喪失して、家に着く前に中華料理屋に寄る。店主が「今日は誰も来ないと思ってた」と笑ってた。こんな大雪は何年ぶりらしく大雪が警報に変わったと言っていた。

まずは青島ビール。雪にビールはよく似合う。ミュンヘン・サッポロ・ミルウォーキー。

紹興酒。

腸詰。

くらげ、キュウリ抜き。

フカヒレ姿煮。

僕の大好きな麻婆豆腐。少な目。

皆さんはどうやって食べますか?食べ方は勝手で好き好きですね。僕はこうします。

雪だから外にも出れまい。家族にお土産を買って帰る。

 

雪よ、汚ねぇこの世界を白銀に覆い隠してくれようとしてるのか。きっと人間嫌いの彼女なら大雪の日にはそんなことを妄想してそうだが、ひとびとの意識や成熟度が高くなることを心から願う。さもなきゃいっそ滅びてしまえ、人間ども。

帰り道、雪の中、雷がなった。とても珍しい現象だが今日の気分にはジャストフィット。

BGM. ジ・アニマルズ「朝日のあたる家」


歯が痛い

17/Ⅰ.(水)2024 寒い 昔もらった「お守り」の正体が判明。なんと地底人信仰だった。

 

歯が痛い。歯医者ではノープロブレム。エネルギー療法の先生がくれたのが菊花茶。

これは実はスピリチュアル界隈では、「人の念」や「邪気」に良いらしい。ジャスミン茶のような香りがうっすらして味は野草。

整骨院に行ったら座り方が悪いからだと。右が突っ張る座り方をしてるらしい。でも直さなくていいと。仕事がしにくくなるといけないから、ここで治しますからと。でも3日くらいしかもたないが、ま、十分だ。

僕の仕事姿勢。こう見えて、椅子の上であぐらをかいてる。

遠ざけてみると、こんな感じで座ってます。

拡大。

後姿はこんな感じ。

拡大。

 

自分でも出来ることと思い漢方をお湯に溶かして飲む。

寒さとセロトニンと痛みは関係してるから、SSRIも使用しますが即効性がないから、オーギュメンテーションとしてエビリファイを上乗せします。既存治療で十分な効果がない時に使えます。

 

セロトニン仮説は僕が国家試験の時にはなかった割と新しい説です。精神医学自体が新しい学問ですから。昔の人はどう考えてたのでしょう?

病虫のせいだとしてたそうです。そう言えば落語で「疝気の虫」というのがあって、病気の原因は「虫」で、その虫は蕎麦が好きで唐辛子が苦手です。言われてみると僕らはほぼ毎日、ランチは蕎麦屋だから、「虫」が喜んだのかも。

そこで今日は仇をとります。まず普通にそばを食べます。

虫がのこのこ出てくるのを誘います。

油断をさせといて、唐辛子作戦。

小皿にも取ります。

直接舐めてやる。

辛いな。

さらに後から来る。体を張った割にはよくならない。「疝気の虫」とは別物か。

西洋の妖怪も調べてみた。ベルギーに「歯痛殿下」というのがいた。確か、「悪魔くん」に出て来た奴だ。

うちにはベルギー関連の美術品があるからおびき寄せてるのかも。文化部長のスーちゃんに、水晶と音叉で浄化してもらう。

デルボーの絵。

診察室の絵もマグリット、ベルギーの人。卵をみて、中の鳥を画家が描いています。タイトルは「透視」。シュールレアリズムです。

念入りに浄化。

この帽子の紳士のオブジェもマグリット。

書棚も浄化。

クノップフからデルボー、マグリットまで。

歯痛を起こす妖怪は世界でも珍しく、このベルギーの「歯痛殿下」くらいだそうだ。しかし、対処策が載っていない。おそらく、西洋の妖怪の類は吸血鬼と同じことをしとけば良いだろう。毎日「にんにく、にんにく」と唱えながら、あるったけのロザリオを。

十字架に弱いはずだから。

これみよがしに見せてやる。

エクソシストになった気分を出してみる。

こうして歯痛対策は、整体・西洋医学・東洋医学・スピリチュアル・おまじない・虫対策・信仰など多方面から固めてみた。あと、足りないものと言えば、愛、くらいか。「ひと薬」って一番効きそうですね。黒澤明の赤ひげで、熱発した研修医の加山雄三をいたいけな少女が手拭いを一晩中、しぼって看病したように。おかけで、加山雄三だけでなく少女も良くなった。誰かのためになる、のは実は自分のためにもなること。赤ひげの作戦だったのです。

昔、沢田知可子の「会いたい」を嘉門達夫が「歯痛い」と替え歌にしたのを思い出しました。

BGM. 芦田愛菜、高校生とは思えない大人な発言(映画『星の子』イベント)


心の護美箱(74)~金が結んだ友情

21/Ⅹ.(土)2023 はれ寒い 磯山さやか(39才)写真集「and more」発売。

 

旧統一教会被害者救済へ、立民と維新が教団財産保全でそれぞれ法案提出する世の中、あのちゃんが、 粗品に「自分が借金して500万」貸せると断言した記事を読んだ。あのちゃんは友達がいないから、「友だちの証しだ~」って面白おかしく書いてあったが、こういうのがホストに貢ぐ女性の心理を後押ししなければいいなと懸念に思う。(あのちゃんだって私と同じなんだ〜ならEじゃん)。統一教会の次はホストクラブを摘発しようという動きがあると聞いたが逆行しはしないか?

 

…しないか。

 

オウム事件のあった年、僕は大学院を修了し関連病院に出向した。当時、その病院には「ファントム理論」という何やら難しげな学説を唱えられた安永浩先生というとても偉い先生がいた。とある席で、安永先生は「オウムがやっている拉致監禁や洗脳や電気ショックと、我々の行っている精神科医療のどこが似ていて、どこが違うのかを明確に考えるべきではないか?」という趣旨の発言をされた。その場にいた少しだけ偉い先生や中堅の先生は「全然違いますよ」と一笑にふした。確かに、「全然、違う」のである。それでも安永先生が問題提起した意図は何か?
僕は安永先生の反応に注目した。しかし安永先生はそれっきり何も答えず、それ以降オウムについては何も言わなかった。
賢者とは人里離れた森の奥にただ1人で住み、乱世になると人々の前に姿を現し一言だけ意見をするという。人々がそれを受け容れれば事態は改善し、受け容れなければ黙って森に帰るという。安永先生をみていてそんな話を思い出した。
僕がこの病院を辞め別の病院に移る時、送別会には行けないからと安永先生から手紙をいただいた。筆圧の弱い薄~い、それは風流な文字だった。もし、人が水に字を書くことに成功したら、きっとそんな字になっただろうと思う。

 

心の護美箱(73がいっぱいになったので、(74)を作りました。心の護美箱がなんだかわからない人はバックナンバーを見て下さい。ま、簡単にいうと愚痴を書き込めるページです。「非公開」希望の人はそう書いてくれれば内容はアップしません。みんながどんな相談をしてるのか、これから受診される方には必見です。ただ、その性質上、「コメントは非公開」が多いから、僕の回答しかのってない例が多いです。そんな時は、答えから「コメント」を想像してみるのも一興ですね。

 

ビデオの整理をしていたら、「オウム・ビデオ」というのがvol.1~8まで出てきた。2時間テープだから標準でも16時間。3倍速で録ってたらもっとである。「オウム・ビデオ」とはオウム真理教の一連の騒ぎを、録画しコレクションしておいたものである。よく録ったなぁ。

でも、あの時のオウムはすごかった。不謹慎な言い方かもしれないが、あの時にジャニーズの性加害問題があってもまったくニュースにならなかったと思う。

当時、関口宏が土曜か日曜の夜に「家族でニュースを観よう」みたいなコンセプトのニュース・バラエティーみたいな番組をやっていた。その中で山瀬まみが「お父さんのためのワイドショー講座」というコーナーを持っていて、その週にあった民放各局のワイドショーで取り上げられた話題の放送時間数を合算して、その数値の大きい順にランキングにし、芸能・スポーツ・大衆文化に疎いお父さんに紹介する企画で、このコーナーの間だけお茶の間の力関係が逆転し山瀬のキャラともうまく相まって「やだ~お父さん、こんなのも知らないの~?」的ななごみを生み、家族で観るニュース番組のバランスをとる装置として機能していた。

ところが、オウム事件である。「お父さんのためのワイドショー講座」が機能しなくなった。さすがの山瀬のキャラをもってしても不可能だった。何故なら、ランキング1位がオウムは当然として、2位以下がなかったのである。2位以下がない、というのは、他のニュースが1秒も放送されなかったということである。全民放の毎日のワイドショーがコマーシャル以外はすべてオウムだったのである。これが何週も続いた。芸能人が結婚しようが離婚しようが不倫しようがチャリティーしようが覚せい剤で捕まろうが賞を獲得しようがまったくニュースにならなかったのである。地下鉄サリン事件が起き、どうもオウムが関与してるらしいという話になり、彼らは身の潔白を証明すべく連日テレビに出るようになった。生の記者会見などが昼時に毎日、行われたのが、ワイドショーを独占した1つの要因でもある。しかし、1番大きかったのは「上祐(じょうゆう)さん」こと上祐史浩という特異稀なキャラクターの存在だ。

僕のオウム・ビデオのvol.1の巻頭に録画されているのは、田原総一郎の「サンデー・プロジェクト」で上祐さんは村井秀夫・オウム科学技術省長官とともに生出演した。どこかハーフのような端正なマスクと清潔感のあるひた向きさが彼の第一印象で、大学時代にディベートで鍛えたという話術には田原総一郎も一目置いた。宗教をやってるイコールちょっと変、みたいなマイナスな偏見も彼らのビジュアルが吹き飛ばした。熱い上祐さんの隣に座る村井秀夫という若者も穏やかな悟りを開いた優しい仏さまのようなキャラで、このコンビが番組を通して識者たちの意地悪な質問を正面から受け止め
「自分たちはやっていない。我々はまじめに修行をしているだけだ。オウムも被害者だ」と訴えた。番組の最後で、司会の島田紳介が思わず「この人たちが、あんな事件を起こしたとは思えません」と擁護してしまう程、彼らはシロに見えた。僕も、紳助に同感だった。

それからというもの、上祐さんはテレビに引っ張りダコ。英語もペラペラな高学歴でありながら、理解してもらえないと熱くなり悔しさを素直に表現する若さが日本人特有の判官贔屓と母性本能をくすぐり主婦層の人気を呼んだ。キムタクやヨンさまやベッカムと並ぶのではないか。古いか。

上九一色村の強制捜査や色んな物的証拠が出て来て、オウムはクロだと誰もが確信した。それでも、ひとり上祐さんは潔白を訴えつづけ、テレビに出演し続けた。世間は、オウムには真面目に修行するグループと国家転覆を狙うテロ集団との二つの顔があり、上祐さんは前者に属し本当に事実を知らされてなかったのではないか、などと考えた。

そんな中、村井秀夫がテレビの生中継中に刺殺される事件が起きた。上祐さんはテレビの中で、友人が殺された、と涙を流して憤った。それは、もし我々が友人が誰かに殺された時に見せるだろう反応となんらかわりなく、上祐さんの「正常さ」が強調された。そこからの上祐さんは決死の覚悟だった。どう考えてもオウムの潔白はない中で、孤軍奮闘した。村井秀夫は息をひきとる瞬間、自分を抱きかかえる上祐さんに向かって「ユ…ダ…」と言い残したと言う。上祐さんは村井秀夫の発言は犯人を自分に教えるためのダイイング・メッセージだと理解し、ユダつまり裏切り者、もしくはユダヤ組織の関与かもしれないと分析した。ある番組では、イエスを裏切ったユダやフリーメーソンの解説も行っていた。この頃になると、上祐さんのファンも上祐さんには同情したが、彼の訴えで考えを訂正することはなかった。むしろ、上祐さん、よく頑張った、そろそろあなたも目を覚ましなさい、みたいな風潮になった。

ワイドショーのスタンスも変わった。上祐さんの天敵・江川詔子あたりに「一連のオウム報道に関して、一部、オウムを英雄視した責任がある」みたいなことを言われ、そろそろヤバいぞと思ったのだろう。それまでは、上祐さんに自由に話させてたのが、上祐さんの話をすべて途中でさえぎった。ハナから発言の場を与えられないことより、局アナあたりに話を途中でさえぎられることの方が上祐さんのカリスマ性を風化させる効果があった。今までの上祐さんの独壇場は与えられず上祐さんの発言はまるでその人格を否定する目的であるかのようににことごとくさえぎられた。マスコミによって作られた偶像がマスコミの手によって破壊されるブームの終りの作業だった。それでも上祐さんはよくテレビに出続けたと思う。褒めるようなことではないのかもしれないが、上祐さんはああいうかたちで責任を全うしたのだと思う。僕もそれに付き合った。それがこのビデオテープ8巻である。見直すことはないだろうなぁ。

その後、テレビがどうなったかと言うと、上祐さんの面白みを消したのだから上祐さんで視聴率はとれなくなり、芸能人の浮かれたニュースで賑わうようになり、オウム事件は普通に事件を報道するだけとなっていき、「お父さんのためのワイドショー講座」のランキングから消えていった。

遡ること学生時代、アパート暮らしをしていた僕はセールスや勧誘の類を一々、居間まであげお茶を出し、彼らの言い分を聞いたあと論破して帰らせるという遊びをしていた。色んな人が来た。新聞をとってくれとか、英語の教材を買えとか、カンボジアの子供に寄付する金をくれとか、親子連れで来る宗教の勧誘もあった。ことごとく論破して負けなしだった。ただ1つ、非常に印象に残ってるのは、ヨガの修行を通して自己実現をしようというあまり営利目的ではないお誘いだった。僕は東洋体育もそこそこ詳しかったので、彼を言い負かすのはたやすかったが、その人はそんなことよりいかにヨガが素晴らしく自分には修行が必要だということを真摯に語っていて、ちょっとグラっと来たが実習が忙しくなる学年だったから物理的に時間がとれなくて参加しなかった。

それは、まだ犯罪集団になる前のオウム真理教だった。

 

BGM. 憂歌団「10$の恋」


心の護美箱(63)~子供たちが本当に言いたいこと

8/Ⅹ.(土)2022 急に寒い、なのに来週にはまた暑いと。まるで女のようだぜ。

 

寒いし暗いニュースばかりで、「死にたい」という人は多いですが、その意味内容は様々です。
積極的に「自殺したい」という意味以外にも、消極的に「死ねるものなら死にたい」「死にたいくらいつらい」「死んだ方がマシだ」「死んでやる(こりゃ迷惑だ)」まで。中には「消えたい」という人もいる。この世から消滅したい。もっと考えてる人は、すべての人の記憶から自分を消したいなどと出来っこないことを口にします。「死にたい」というのは必ずしも後ろ向きではなく、たとえば、タロットカードのⅩⅢカードは「DEATH(死神)」で、「死」や「ゲームオーバー」を意味しますが、これが逆位置に置かれると「再生」「起死回生」になるから、古い自分が死んで新しい自分に生まれ変わりたい、という願望が「死にたい」の中に内包してる気がします。

自殺の方法でその人の葛藤を探る研究もありますが、たとえば夜中の海に入水自殺するのは胎内回帰願望だとか、高いところから飛び降りる人は「産み落とされた」という恨みがある人(アジャセコンプレックス)など諸説ありますが、あまり趣味が良くないので僕はあまり信じてません。
つらさを誰かがわかってくれたら「生きててもいいか」と思える場合もありますね。
だから不謹慎だけど、「すごく不幸な人」って羨ましいですね、みんながつらいと同情してくれるし、「ああ、そりゃ死にたくなるね」とわかってくれるから。
つらいのは、はたからはまぁまぁ幸せそうに見える場合です。「あんた、ぜいたくだよ。そんなに恵まれてるのに」って言われるから。
心の中のことなんてわからないくせに。境遇だけで判断されてもね。隣の芝生だから青くみえてるだけなのに。バカが多くて困るよ。そっちの方が、「死にたく」なりますね。

人間は不平等だし、人生は運不運があります。
唯一、「人間が平等だ」とするなら、それは死んだ一年以内には、「リンとカルシウムになっている」ということくらいでしょうか。
そういう僕の立場は「なるべく自殺はよしましょう」です。自殺が何故いけないのか?納得の行く説明は有史以来、誰も言えてない。ひとに迷惑をかけない自殺はないから、なんて言ったって、自殺をする人には「知ったこっちゃない」でしょうし。通り魔に刺されて殺された人の命が報われない、と言っても「私が刺されりゃ良かった」と言う始末。難病で苦しみながら一生懸命闘病してる人もいると言ってもどこか遠い国の物語。

そう言えば僕は偏食で給食など食べれなかったが担任に「たっちゃん、アフリカでは飢え死にする人もいるのよ」と諭されたが「じゃ、僕が給食を残さなかったらアフリカの子供は満腹になるんですか?」と屁理屈を返して教師を困らせました。それと同じかな。

 

心の護美箱(62)がいっぱいになったので、(63)を作りました。心の護美箱がなんだかわからない人はバックナンバーを見て下さい。ま、簡単にいうと愚痴を書き込めるページです。「非公開」希望の人はそう書いてくれれば内容はアップしません。みんながどんな相談をしてるのか、これから受診される方には必見です。ただ、その性質上、「コメントは非公開」が多いから、僕の回答しかのってない例が多いです。そんな時は、答えから「コメント」を想像してみて下さい。

 

9月にスプラツゥーン3というゲームが出てすごく流行っていますが、僕はゲームをしないのでやってる人に教えてもらったら、あれは人を廃人に追い込むようなゲームですね。当然、大人たちはゲームをやめさせようとあの手この手。でも子供は堂々とゲームを続けます。何か強い後ろ盾があるかのように。

新宿や秋葉原など歩いていると新しいゲームが出ると壁一面に広告が出てて、テレビCMでもゲームを流します。あきらかに日本の経済を回しているようで大人たちが知恵を絞っていかにヒットさせるか考えていて、時には「クールジャパン」なんて日本発の文化だと自慢したりします。生前、立川談志は「良い悪いは別にして、今の親は子供に小遣いを10万円あげないといけないです」と言ってました。大人の作る世の中で子供が生きるにはそのくらいの金がかかるということです。

今を生きろ、と言う人がいます。しかし、今ほど大変な時代もありません。コロナが2年半、戦争をやってて、暗殺があって、宗教の問題、聖職者たちが破廉恥なことをして、子供の見本になるべく大人がブレブレです。子供はそれをじっと見ています。

日本の文化は本音と建前の文化で、大人は清濁併せ吞むものなのでしょうが、そんなことするのが大人の条件なら子供のままでいいやと思う人もいるかもしれません。

電車に乗ってる人はみんな疲れ切った顔をしてますね。義務教育が終わっても高校は出とけと言われ、一流大学・一流企業に入っても、そこに栄光がみえません。まるで学校とは社会に奉仕するロボット量産工場のようだと子供たちは嘆きます。それに何と答えたら良いのでしょう。

僕が思うのは子供たちは大人をみています。「こいつは信用できるのか?」「ただ若者に迎合してる物分かりの良い偽物じゃないか?」とか。おためごかしは通用しません。

世の中がそんなに簡単に行かないことは子供もわかっています。だからこそ、真剣にこの惨状と向き合って嘘をつかず、一緒に悩み生き抜く大人の後姿を求めているのだと思います。

BGM. クレージーキャッツ「ホンダラ行進曲」


心の護美箱(52)~カケラを集めて

10/Ⅲ.(木)2022 はれ 小林麻耶(42)、整体師の夫(「あきら。」38)と離婚を発表。

最近は困ったことに毎日同じ夢をみます。夢の中の僕は医学部を出たばかりの研修医。「卒業旅行」にみんなは行ったというが僕は誰にも誘われてません。毎日のお昼も誰かを誘って食堂に行こうとするのですが、時々付き合ってもらうけど、愛想がないというか、のけ者にされてる感じがしてヒシヒシと孤独です。カリキュラムもわからず「何をしていいのかがわからない」のではなく「何がわからないのかがわからない」のです。これはとても不安な悪夢で、夢の途中で「あれ?俺って、クリニックやってなかった?じゃ、これって夢じゃん」と思って目覚めるのです。こんな夢を毎日みてます。まるで並行世界を行き来しているようです。僕は自意識では人気者でグループの中心だった自尊心があるのに、夢は妙にリアルで、もしかして僕は本当はそっち側の人間なのか?と恐ろしくなります。なぜなら僕には夢の舞台である「卒業の頃」や「研修医の頃」の記憶が全然ないのです。当時の話になってその頃の流行歌やドラマや芸能人をまったく知らなくて驚かれるのですが、「それは勉強や仕事しかしてなかったから」だと思ってましたが、よくよく考えたら覚えてないのは「浮世のはやりすたり」ばかりでなく「自分史」も覚えてないのです。

時々、ある時期の記憶がすっぽり抜けてる子がいます。たとえば、小学校3年生の時の記憶が全然ない、など。それは苦痛を伴う記憶を意識にとどめておくと心の負担が大きいから、とりあえず意識の下に押し込めておいた方がよいと判断した自分を守る最終手段みたいな自衛です。「解離」という現象で「抑圧」とか「否認」とか「隔離」という「防衛機制」を駆使しています。「とりあえず全部なし!」みたいに。不自由はしますが、「総合的に評価」すると覚えてないメリットが勝るのです。こういう体験が有る人は「よく生き延びたな、頑張ったな、自分」と自分で自分を誉めてあげて下さい。「症状」というより「苦痛に対する対処」だった訳ですから。戦争中の国の子も大変でしょうが、「平和」な国で生きるのも同じくらい大変なことです。そういう訳で僕にも何か覚えてちゃ不都合な事態があったんですかね?もっとも、僕の場合は長く生きてるから記憶のメモリーがキャパオーバーして「忘却」という名の「老化現象」を起こしているだけなのかもしれないですが(苦笑)。

 

心の護美箱(51がいっぱいになったので、(52)を作りました。心の護美箱がなんだかわからない人はバックナンバーを見て下さい。ま、簡単にいうと愚痴を書き込めるページです。「非公開」希望の人はそう書いてくれば内容はアップしません。

 

僕が生まれてすぐに母が病気で入院したためどこかに預けられてたことがあるそうですが記憶にはなく、あまりそのことを詳しく聞かされたこともないです。みんなにとって良い思い出ではなかったのでしょう。共同作業として「なかったこと」にしてました。でも人生って油断ならないですよ。もうすぐ60ですよ、それなのに今頃になって、断片的な「嫌な」「痛い」思いを思い出したりするようになりました。「もういいじゃん」って思わないですか?許してくれないのですね、人生は。

その時の僕は白い足袋を履かされて縄のようなもので足首あたりが縛られてる視界の残像があります。僕らの世代で子供が足袋を履くなんてことはないからおかしな記憶の錯誤です。妙に生々しいのが不思議ですからひょっとしたら「前世の記憶」かもしれませんね。話がスピリチュアルになって来たからもうやめます。

お便りお待ちしております。

BGM. 吉田拓郎「襟裳岬」


おっぱい談義

5/Ⅱ(土)2022 今期のアニメでは「その着せ替え人形は恋をする」がおすすめ。amazonプライムでもみれます。

男性は「巨乳」が好きだと思い込んでる女性も多いようですが、ひとから聞いたのですが「おっぱいパブ」なる風俗店もある一方、「貧乳」専門のデリヘルもあるらしい。それなりの需要があるらしく、「巨乳派」と「貧乳派」におっぱいフェチは分かれるそうだ。僕はあまりどっち派でもないのだが、おっぱいで一番直近でショックを覚えたのは、コロナ以前の、さくら学院の文化祭の、アンコールで出て来た「ワンファイブ」というユニット。そもそも、さくら学院は、小中学生で結成される学校をモチーフにしたアイドルグループで、ファンのことを「父兄」と呼び、色んな部活もある。今を轟く、BABYMETAL、も元は、さくら学院の「重音部」でした。さくら学院は、中3を終えると自然に「卒業」になる、成長期限定ユニットです。この子たちは頑張り屋だったり天然だったりハツラツだったり芸達者だったりして、あまり「性」を感じさせない「安心感」が好きでした。ところが、「ワンファイブ(15歳の集まりって意味です)」。
中3の4人が、大人っぽい女のコーディでメイクしてそれっぽい歌を歌うのですが、こちらには、戸惑いしか生まれません。中3ですよ。妙に体の線を強調する服で、バストのフォルムとかクッキリみえて、目のやり場に困りました。

ワンファイブが一旦はけて、残りのメンバーがその感想を言い合うわけですが、「女性らしい、すてき~」みたいな反応なのです。
そこにワンファイブが、さくら学院の制服に着替えて何の反省もなく参加するわけですが、これがまた不思議で、さっきあんなに強調されてた胸がぺったんこなのです。
デビュー当時の小柳ルミ子は、アイドル演歌路線だったので、胸の大きいのはマイナスだと胸にさらしを巻いていたといい、アグネスチャンも、その愛くるしいルックスに、大きなバストは、日本男児が萎縮するといけないからと、さらしを巻いたという同様の噂を聞きました。だから、僕はこのワンファイブも、出番が終わって制服に着換える時に控え室で、スタッフにさらしでグルグル巻きにされたに違いないと、その光景まで頭に浮かんだものです。そんな「さくら学院」もコロナ禍の中、閉院してしまいました。

でも、よくよく考えたらそんなに驚くことでもないかもしれません。山口百恵など15歳の時に、月刊明星とか平凡で、黒のビキニとか披露してて、僕は毎月、そういうのを普通にみていたから。でも、百恵ちゃんは、僕の4学年上だから、「15歳の水着を見てる僕は12歳」なのでOKであって、「15歳のワンファイブをみてる僕は50代」なのだから、ちょっと何かと問題がありそうだ。

ところで、アイドルとバスト問題だが、やっぱり男は女が怖いから、日本のアイドルの場合はバストが小さい方が良いとされてきた歴史がある。…本当か?
堂々と胸を売り出す場合(榊原郁恵・河合奈保子・細川ふみえなど)キャラは「バカ」だった。(実際は違うのだろうが)そうやってちょっとバランスを女性側でとってくれないと、男はインポテンツになってしまう。だから、胸の大きい女性は不当に、バカという汚名を背負わされてた屈辱もあると思う。その悪い歴史に終止符を打ったのは、小池栄子だと思う。

僕はその場面をリアルタイムでみてたのだが、それは「爆笑問題の検索ちゃんぴおん」という深夜番組で、爆笑問題が司会で小池栄子がアシスタント、お笑いタレントがパネラーで、ネットの噂を出題するクイズ番組だった。もちろん、爆笑問題がやるのだから普通のクイズ番組ではなく、例によって、太田光が暴走するのである。
ある時太田は制止する小池栄子に、「お前なんか、オッパイだけのタレントじゃねぇか」と口が滑った。さすがの太田も発言のあと、しくじったという顔をした。パネラー達(芸人)が色々とフォローする中、小池栄子は冷静に「はいはい。オッパイだけでここまで来たタレントですよ」と返して、進行した。
これにはパネラーの土田も「さすが!大人!」と拍手し、皆が絶賛。太田もペコペコ謝っていた。
それ以来、胸が大きい=バカ、という図式をあまり見なくなりました。

僕の青春暗黒時代によくしてくれたお姉さんがいて美人で優しくて憧れてたのですが、彼女はおっぱいが小さいらしく、何かの時に、「私は貧乳だから」と自虐的に言うから、僕は「全然そんなこと魅力と関係ないよ」と言ったのですが、彼女はやさしく笑って、「タッちゃんは子供だからよ」と相手にしてくれませんでした。その頃、斉藤由貴が「微・少女」というビデオを出していて、「美少女」と「微少女」をかけてる妙だったから、それを真似して僕は「貧乳ではなく微乳だよ。微乳じゃなくて美乳だよ」と言ったら、彼女は真面目な顔をしてこちらを真っすぐにみてました。今だったらセクハラなのでしょうか?

これもひとから聞いたのですが、最近は「貧乳」を「品乳」と書いて「品格のある乳」と意味づけしたり、「貧乳」を崇め奉る「ヒンニュウー教」というカルト的なひとたちもいるそうです。全然関係ないですが、アニメにもなった「かんなぎ」のコミックスの帯を思い出しました。

僕の母は乳癌で僕が生まれた時はもう乳房がなくて僕は母乳をもらった記憶がなくて(みんな記憶はないか)おまけに赤ちゃんの時は母と離れてたので、そこへの執着から「おっぱいフェチ」になりそうですが、そうなりませんでした。変態とかフェチってそうそう単純なものでもないのですね。でもおっぱいに関しては、小学校の頃何かのマンガで読んだ、アマゾネスという女の部隊が馬に乗って弓矢を打つのですが、その時、おっぱいが邪魔になるから、片方の乳房を切り落とすというシーンになんとも言えぬ、エロスを感じた思い出があります。

小学校高学年になると、「泣くなおっぱいちゃん」という歌をボインの歌手が歌っていて、キャンペーンで茅ケ崎に来て、レコードを10枚買うと「おっぱいを見せてくれる」、20枚買うと「おっぱいを触らせてくれる」、30枚買うと「おっぱいにキスさせてくれる」というお色気企画がありました。子供ってそういうのが好きじゃないですか。僕らも盛り上がったのですが、正直、「おっぱいにキスする有難味」が分からず、「まぁ、俺は20枚だな」とうそぶいてました。レコード1枚400円の時代です。20枚で8000円です。お年玉を使ってなかったのでその代金はありました。同年代の奴らにマウントを取りたかったのでしょうか、僕は本気でそのキャンペーンに行くつもりでした。するとそれを知った親は当然止めるのですが、母は僕が止めても聞かないのを知ってますから、父が止めに入りました。当時の人気はなんと言っても天地真理です。天地真理の本名は斉藤真理といい、どうも茅ヶ崎駅前の斉藤不動産が実家との噂でした。父はそれを持ち出し、「お前が大人になったら斉藤不動産にかけあってやるから、泣くなおっぱいちゃん、は止めろ」と言いました。僕も子供ですから、天地真理と結婚出来るなら、と提案を飲みました。アイドルの寿命は短いもので、また天地真理はなんだか「おかしな転落の仕方」をして人気がなくなります。その内、僕は中学生になって東京に出てきます。
父は趣味でカメラをやっていて、その知り合い筋から、「今度、デビューさせるモデルの四つ切ポート」を2カット貰って来たと言い、僕にくれました。その外人モデルは豊満な胸をしていて、ビキニで海岸に寝そべっている生写真でした。父はきっと昔の、泣くなおっぱいちゃん、の約束をこれでチャラにしようとしたのでしょうね。ふてぶてしいですね。
ただ、僕はそのモデルのバストより童顔な表情がキラキラしたお日様見みいだったから気に入って、額に入れ部屋に飾りました。
しばらくしたら、そのモデルは色んな雑誌に出るようになって、あっという間に世間の男の人気を独り占めしました。すごい人気でした。僕は先に知っていた優越感から父のおかげで学校でもカーストが上位になりました。ちなみに、そのモデルの名前は、アグネス・ラムと言い、「うる星やつら」のラムちゃんの元ネタです。今も診察室の天井にいます。

そういえば、「からかい上手の高木さん3期」はとても実験的で賛否分かれてますが、僕は好きです。こないだ、高木さんが、ラムちゃんのコスプレに一瞬変わる、サービスショット(原作になし)があり萌えました。

おっぱいの大きな人は、男の人が「胸ばかり見てる」と分かるそうです。男もそんなにジロジロみないと思いますが、一瞬の目の動きのような気配でわかるというのだから、すごいですね。そう言えば、女性で「男の人の股間ばかり見てしまう」、という人がいます。それは「巨乳を見てしまうスケベ男」と違って、「見たくない」のに気になって、「見まい」とすればするほど「見てしまう」という「強迫行為」みたいなもので、「病気」です。恥ずかしがって中々打ち明けませんが、意外とそういう女性は多いのです。だから、もし自分もそうだ!という人がいたらそれは治療すればよくなるから診察で言って下さいね。

BGM. サザンオールスターズ「涙の海で抱かれたい~SEA OF LOVE~」


心の護美箱(50)~救世主願望

2/Ⅱ.(水)2022 鈴木福、初のキスシーン挑戦。

僕らの界隈では、集団があるカップルを「付き合ってるんじゃない?」とはやし立てたり、からかったりする、群集心理を「救世主願望」と呼びます。それは、学校ではイケメンの男性教諭・田原先生と、マドンナ先生・聖子先生の仲が「あやしい~」と生徒がキャッキャしたり、病院では若いドクターと美人ナースのあうんの呼吸が「お似合い~」と噂になるのは、単なるゴシップではなく、学校や病院でのストレスや不安を、その二人が救ってくれる救世主になってくれるのでは、という期待が込められてると考える心の動きのことです。まれに、患者同士や理想の先輩同士でも祭り上げられるカリスマカップルもいます。僕らはそういうのを目にすると、「ここの集団は、所属してるメンバーに共通する不安があるのだな」「救世主を求めてるのだな」と思うものです。

受付に実際そういうことあったか?と聞いたら、実体験としてはないが、「すがまさき&こまつなな」がそうでは?という。僕はその人たちのことを知らないから何とも言えませんが、昔でいうと、天皇陛下と雅子さま(美智子さま、紀子さまでも可)のご成婚や、山口百恵&三浦友和、貴花田&宮沢りえ(破局)、マッチ&中森明菜(破局)などの世間のフィーバーぶりと「親戚感覚の喜びの共有」こそ、「救世主願望」だったなと思い起こします。皇室ネタは、小室さんが終止符を打ったから、当面は佳子さまのご相手が注目ですね。

 

心の護美箱(49がいっぱいになったので、(50)を作りました。心の護美箱がなんだかわからない人はバックナンバーを見て下さい。ま、簡単にいうと愚痴を書き込めるページです。「非公開」希望の人はそう書いてくれば内容はアップしません。

「救世主が必要な時代は、救世主がいない時代より不幸である」と誰かが言ってそうな名言っぽいが、「救世主が必要な時代は、救世主がいない時代より生きるのが大変だ」。それがまさに今だと思う。

そう言う訳で、もしも今、熱愛中のカップルや不倫中で周りにバレたくないのにバレちゃって噂になって困った時、「それは皆が救世主を求めてるから、そんな風にみえるのではないですか?」と言い訳に使えるから覚えておくと便利ですよ。

BGM.左卜全とひまわりキティーズ「老人と子供のポルカ」


あんた誰?

29/Ⅰ.(土)2022 佳子さま’’私も愛に生きる‘‘宣言。

少し前の話だが、木曜日に仕事を終えて駅まで歩く道すがら、飲食店を覗いて帰るのだがどこもすし詰め状態。餃子の王将、なんて行列。何かと思った。翌日、同じ時間にクリニックを出たら「ココイチ」の電気が消えていて、まるでゴーストタウン。何ごと?…そうです。金曜日から、「マンボー」だったのです。だから木曜日は「飲める最後の日だ~」と言った群集心理が働いたのでしょう。しかし、よく飼いならされた国民ですね。いつ軍国主義に舞い戻ってもおかしくない、と末恐ろしくなります。

良いも悪いもこういう同調圧力が「ファクターX」の正体だとしたら、共通テストで「成績が悪いから絶望して」受験生を切りつける「モンスター」を生む土壌も同じ根っこなのかもしれぬ。「自己責任」という意識は皆が持つべきなのは前提として、それとは別座標で人間は社会的動物であるから「政治が腐敗すると少年犯罪が増える」ように、その準拠集団で1番「敏感」かつ「弱者」が「集合的表現」としてアクションを起こすことは、家庭内暴力と同じメカニズム。川が汚染されるとメダカが消え、川が浄化されるとメダカが姿をみせるようなこと。自然破壊のメルクマールに、メダカ、がなるように、子どもたちを世の中の荒廃のメルクマール=「加害者」にしないようにするのも大人の責任だ。

うちの心理の松井さんは「加害者研究」をしていて簡単に教えてもらったら、どの事件にも共通するのは、「誰かが気づけなかったのか?」という「声」の後出しジャンケン感で、つまり事件が起きてからそう言うのは簡単だが、現実にはなかなか難しかろう。うすうす気づいててもどうしていいやらわからぬし。

そこで我々の仕事である。教育現場や家庭で「あれ?何かおかしいぞ」と思う子がいる。「それが何かはわからないが」教師や親の勘である。名探偵の「あやしい。何か匂うぞ」という嗅覚に近いのかもしれない。「骨相学」という人相学のようなもののように、「顔つきの異常」かもしれぬ。とりあえず受診しろ、とやってくる子供と会う。

そんな子たちの中に「自分もジョーカーみたいになると思う」と未来を予見するものは少なくない。凶悪事件が起きると「自分も人を殺すのではないか?」と騒ぐ子がいる。ほとんどの子はそんなことはせず、ただ単に深層心理にある集合無意識としての反社会性のスイッチが押されて、強迫観念が発動してるだけなのだが、でも何%かは本当にそうなる。誰がいつ犯罪者になってもおかしくない、ロシアンルーレットみたいな時代は、まるでいつ誰がコロナに感染してもおかしくないというオミクロンの猛威とシンクロしてる。

そんな「狭義の精神疾患」ではない人のメンタルヘルスを担当するのがうちの3人のカウンセラーで精鋭部隊です。まだカウンセリングを受けてない人はいいが、もう何回か受けてる人へ。うちの心理士は名札をしてないから名前が見えないですね。最初に自己紹介や契約書を渡していますが、忘れたり放っぽっている人も多いでしょう。でも、今さら名前を聴くのは失礼ですね。そんなあなたに、今回は心理士の名前をあらためて紹介しました。僕がチラシを書き、クリニックの玄関に貼っておいたのでもうこれで安心ですね。固有名詞って単なる識別記号だから覚えづらいですものね。「風呂桶のアカを舐める妖怪だから、あかなめ」とか「蟻を捕食する動物だから、アリクイ」みたいに意味があれば覚えられますが、「愛知県出身、鈴木イチローです」なんて言われても丸暗記するしかないから、まるで学校の「勉強」と同じで頭の良さと関係なくないですか?ちなみに僕の好きな名前を扱った題材は、「シベールの日曜日」という映画です。フランソワーズ(本名はシベール)という少女が美少女です。

BGM. ゴダイゴ「ビューティフルネーム」


心の護美箱(39)~人生脚本

1/Ⅶ.(木)2021 雨 大谷翔平、持っている。1回途中で7失点もチームが同点に追いつき「負け」が消える。

心の護美箱(38)がいっぱいになったので、(39)を作りました。
はじめて、このブログを読まれた方は何のことだか、判りませんね。
とりあえず、グチを書き込めるページなのです。
人間は誰にも他人に言えない罪深いことや後悔の念を持つものでしょう。
昔は教会の懺悔室や、お寺でお坊さんが話を聴いてくれたのでしょう。今もそれは機能してるところでは働いているのでしょうが、生活が近代化すると少し縁遠くなっているかもしれません。
それに世間は、人の不幸は密の味、好奇心はスキャンダルをあっという間に伝播させます。
だから他人に秘密を打ち明けるのは、結構危険が伴いますね。聞き手の価値観も入り込むから、いらぬ説教をされる場合もあります。
しかし、我々、精神科&カウンセリングには守秘義務があります。そして、すべての「常識」や「偏見」から自由である、心の解放区です。安心ですね。
ここでも、非公開を希望の人は、そう書いてくれればアップしませんし、こちらが判断して「不適切」なものはアップを控えます。
まぁ、グチに限らず、要望や苦情やエールやラブレターでも構いません。

 

「劇的」というとドラマティックというイメージが思い浮かびますが、テレビでは一体何本のドラマが流れているのでしょう。きっとつまらないドラマも五万とあるのでしょうね。我々の人生を「劇」にたとえる場合もあります。主人公は「自分」です。精神療法的に考えると、人生には本人でも気づいていない「台本」を各々が持っていて、配役が決まると周りの人にその台本を配り役を演じさせるのです。シチュエーションは違えど、大体、同じ結末になります。それはそうですね。台本が同じだから。この台本の曲者なところは無意識に書かれているところです。人生が悲劇なのか喜劇なのかはその人の台本によるのです。

そこでは脇役・登場人物の個性はあまり重要視されません。「監督=脚本」にはさからえませんからね。あんまり無茶なことをする役者だと、「影武者」の「勝新太郎」のようにおろされてしまいます。だから多くの場合、どんなに善人でも「その人の台本」が「どうせ人間はみんな最後には私を見捨てる」というものだとそうします。選ばれた役者が「冷たい人」ならまだマシですが、「根は優しい」なんて場合は悲劇の度合いが増しますね。上げて下げて、ですから。同様に、「男は結局、体が目当てなだけだ」って脚本に選ばれると、本当は紳士なのに、非道なことをさせられるのです。そして主人公の台本だけが勝ち残り、「どうせ~なんて~だから」という人生のテーマが太塗りされて行くのです。

我々精神療法をする人間は時として、この台本に着目します。それは反復的に同じことをその人が繰り返している場合、その台本を読み解き、可能なら書き換える作業を提案します。これは無意識が作ってるので過去の人生を紐解いて、どうしてこんな台本が作られたのか、を分析して行く訳です。なぜそんなことをするかというと、書き換えられるものならそうした方がいいかもしれないからです。別にそれが分かったからって書き換えなくてもいいのです。「書き換える/そのままで生きる」その選択は患者さん自身がすればいいのです。ただし、選択肢は多い方が良いというのが我々の考え方です。

台本で割とよくあるテーマに、「成功しそうになると破滅する人」というのがあります。ここぞという時に無意識下で親を乗り越えてはいけない、という遠慮のような親孝行のような忠誠心が働く訳です。これも無意識の仕業なので、意識化していればいい訳です。「いつもダメな男を引いてしまう女性」も相手にそういう台本を渡してしまっているのかもしれません。その男の人は「あなた」じゃなければまともな男だったのかもしれません。人生は難しいですね。

手塚治虫の「どろろ」に白面不動という妖怪が出てきます。自分の顔を持たないために、次々に人の顔を欲しがります。白面不動によってかりそめの命を与えられた手下の女は白面不動の言いつけで人間をだまして谷に落として殺します。殺す時、この女は、相手が心に思う人間の顔に成りすませるのです。これではひとたまりもないですね。「どろろ」の前にあらわれた女は「どろろ」の母親の顔になり近づきます。いつものように生贄にしようとしたのに自分のことを「おっかちゃん」と慕う「どろろ」に情を抱いてしまい、白面不動の命令に背いて、「この子だけは助けて下さい」と逆らってしまうのでした。

このように我々の好きな話は、こういう「台本」が書き換えられる時なのかもしれません。それは二つの「台本」がぶつかってどっちの台本が生き残るのか、という見方も出来ますね。それこそ劇的ですね。

うちには3人の臨床心理士がいます。彼女らの仕事は精神療法です。彼女らがその仕事を選択したのには彼女らの「台本」があってのことでしょう。そこは一括りには出来ませんが、共通するのは、専門的なトレーニングと実践的な理論と戦略的な方法論を持って、カウンセリングに臨んでいることです。数いる臨床心理士の中から何故、この3人がうちにいるのかと言えば、それは僕が面接して選んだからです。選んだ基準は、僕の臨床的価値観に近いからという理由です。どうですか?安心ですね。