伊藤潤二展に行く~日刊ムンク㉗

~前回までのあらすじ~

 

中1の頃から川原のそばにいるドールの名前は「ムンク」。この写真の意味は後でお話ししますね。

テディベア作家さんにリペアをお願いしたら、川原の「守護」を祈るクマ「抱き熊スーティー」をくれ、名前はラスプーチンにする。

生まれ変わってムンクが帰って来た。

太陽の塔も見に行った。

ムンク・川原・ラスプーチンの成長譚「日刊ムンク」の第27弾。

 

🌀ダメなパラレルのために。

一時期、毎晩夢で医学部を卒業出来なくて留年する「ダメなパラレル」の夢を見てた。そのパラレルは誰も助けてくれる人がいないから、僕はもう医者以外の道を考えねばならない。女のヒモになろうとしたり、南国へ逃避行し類人猿と結婚したり。
僕の「今のパラレル」はうまく行き過ぎです。きっと神様や守護霊たちが僕を「精神科医」にするべく、ピンチやくじけそうになった時に、「誰かに力を委ねて」僕を助けてくれたおかげだと思っています。僕はその時その人に依存して難所を乗り切りました。
僕はラッキーな人間で何故そこまでして成功して医者になれたのかは、その力をアンラッキーな人たちに使えという神様からの指名で、僕にしか出来ない「常識に縛られない」援助も積極的にしなさい、ということだと思っています。

手塚治虫の「火の鳥」や楳図かずおの「わたしは真悟」で読んだことがあるが、神様や超越的な存在は直接人を助けられず、代わりに周囲の誰か(人や動物)に力を与えてサポート役にする。
僕の人生にも、そうした「見えない助力」があった。困った時、レポートを代わりに書いてくれた友人、論文を無償で譲ってくれた同級生、「タツジ、勉強しなさい」と厳しくも愛のある言葉をくれたフィリピンパブの女の子、喫茶店で静かに見守ってくれた店の奥さまたち、そうした有形無形の支えに包まれていた。
しかし、今の夢シリーズの世界では「もう一度やり直せ」と言われても、その助けがある保証はない。自分一人で乗り超えねばならない。あちらの僕は始める前からあきらめ、逃げる方法ばかり探してる。僕は何か大事なことを忘れてしまっている気がしています。

だけど、思い出した。国試のとき、僕はこうやって勉強してました。1冊だけテキストを選び、過去問を解きながら出てきた箇所を蛍光ペンで塗っていく。1回目は黄色、2回目は緑、3回目は青、4回目はオレンジ、5回目はピンク、6回目は赤。つまり「出る順」に上塗りしていくわけです。こうして仕上げたテキストを科目ごとに10冊そろえて、時間割を作って、毎日毎日まわしていった。このやり方だけは、自分で考えて、自分ひとりでやり抜けた方法です。その後の人生では、いろんなことがありました。でも、あれはあのとき。結局のところ、今は目の前のことを一つずつやるしかない。先のことを不安がっても、取り越し苦労しても、何も変わらない。

今では夢に出て来る「助けてがなくて逃げ出しそうなもう一人の自分」に向けて、この「ひとりで出来る勉強法」を教えてやろうと思っています。そう思い立ち、紀伊國屋の医学書コーナーで最新のテキストと過去問集を探し、30年以上の変化に驚きながら、店員さんに質問して「どれを買えばいいか」のメモを作成しました。

「あっちのパラレル」にどうやってこの想いを届けるか。潜在意識が繋がっているとしても、現実的にメッセージを渡す方法はない。う~む。
あっ、そうだ!「ムンク」がいる。彼女は中学以降のすべての時間軸に寄り添ってきた存在だ。だからこのメモを、世界堂で買った6色の蛍光マーカーと一緒に「ムンク」に託せば、きっとあちらの僕へ届けてくれるはずだ。

最期は「ムンク」に託した。
これが冒頭の写真の意味。

 

🌀心のゴミ箱

このブログは、僕にとって「心のゴミ箱」みたいな場所です。
とりあえず、思ったことやグチを気軽に書き込めるページにしています。
「王様の耳はロバの耳」ってお話、覚えてますか?
王様はロバの耳をしていて、それを必死に隠していました。でも、その秘密を知っていた床屋さんは、とうとう我慢できなくなって、井戸の中に向かって「王様の耳はロバの耳ー!」と叫んでしまう。するとその声が、井戸という井戸に響き渡って、みんなに知られてしまった……という話です。
つまり、秘密を打ち明ける場所は、ちゃんと選ばないと危ないということですね。でも、精神科やカウンセリングには守秘義務があります。だから、安心して話していいんです。
ここでも「非公開希望」と書いてくれればアップしませんし、僕の判断で不適切だと思った投稿も控えます。とにかく、溜め込むのが一番よくないです。
安全な場所で、あなたも自分の「王様の耳はロバの耳」と叫んでください。
グチでも、要望でも、エールでも、ラブレターでもオッケーです。

ちなみに、「王様の耳はロバの耳」のオチを覚えてますか?これはちょっと良い話です。王様の耳が「ロバの耳」だと知ってるのは床屋だけだから、床屋を殺してもいいのに、許してあげます。
このお話は別のお話の続編なのです。アポロンの怒りを買った王様は罰として、耳をロバの耳にされてしまってたのです。
王様が床屋を許してやったところに、アポロンが現れ「よく床屋を許してやった。お前の罪もといてやろう」 と耳を元に戻してくれたのです。「寛容さ」を説いた寓話です。

 

🌀イタリアンを食べに行こう、の会

六本木のシシリアに行く。

名物、グリーンサラダの前でモルツを飲む。

これを皆んなで取り分けますが、僕はキュウリが嫌いです。

だから僕のお皿はこう。

ガーリックとアンチョビのピザ。

唐辛子のピザ。

エビのピザ。

ウニのスパゲッティ。

バジリコのスパゲッティ。

当時の仲間のアイドル的な子とツーショット。

仲良し3人組。

大学時代の友人の集いでした。

 

🌀美容院

今回のヘアスタイルも、美容師さんのアイデア。

ダンダダンのシャコ星人の子供=チキチータ、です。下の画面の右下で牛乳を飲んでる子供。

前髪の赤のラインが特徴的ですね。

これがチキチータ。

サイドを茶色くして、顔の近くを黄色にして、あとはゴーグルが欲しいですね。

画面右下でアイラが抱きしめてるのが、チキチータ。

後ろにも赤いラインが入ります。

画面の下の方にチキチータの後姿が。やはり、赤いラインがありますね。

 

🌀伊藤潤二展

新宿伊勢丹の伊藤潤二展に行きました。

本館6階のアートギャラリー。

伊藤潤二のプロフィール。

一点50万円の複製画がたくさん売れています。

赤いシールが売約済み。

これも良いですね。

これは欲しかったです。

これが大人気。

ここからは、66000円です。

四つ辻の美少年。

富江。

富江。

富江。

これは万博のポスターを持っています。

これを買おうか迷いました。

これはマジで買おうか迷いました。

これも良いですね。

これも、66000円。

コラージュみたいです。

これも売り物です。

富江、のフィギュア。

小物入れ。

富江のセーター。

お財布やポーチなど。

コーヒーカップ。

この原画集は買いました。

これは買いませんでした。

プレゼントに良いですね。

スケボー。

女性だったら欲しいです。

これは別の部屋にありました。

顔の部分。

その枕元にありました。

この棺の説明。

このスニーカーは23センチのだけしか残ってなくて現品限りの売れ行き。

これが僕が買ってきた物です。

富江のフィギュアと、原画集。

箱を回転させてみます。

これもラストワンだったセーターです。冬に着ます。

 

次号では、松茸を食べる予定です。続く。


文化部通信~その漆拾~

こんにちは、文化部通信70弾。文化部長スーです。
今年もクリニック内はちょっぴりハロウィン仕様になってます。
いつもの飾りにプラスで新しい子たちも増えました。

可愛いですね♪
ハンギョドンドクターは、ハロウィン関係なくクリニックにピッタリ!

それでは、10月のなんでもない日たちリバイバルをご紹介

1日 日本酒の日

2日 美術を楽しむ日 診察室の本棚には画集がたくさんあります。小さな美術館みたいです。

3日 登山の日 青富士、赤富士 どちらがお好み?

4日 日本刀の日 日本刀型の傘

5日 レモンの日 大怪獣レモネード

6日 石油の日 石油を食べる怪獣 パワードぺスター

7日 バーコードの日 クリニックの電話番号(03)6240-7255をバーコード化してみました。

8日 レーザーディスクの日

9日 東急の日 クリニックの最寄り駅は 東急線「大岡山駅」

10日 釣りの日

11日 ウインクの日 ウインク姿を紹介 第2弾

12日 石油機器点検の日 オイルショック(石油危機)が起きたのは昭和48年。トイレットペーパーの買い占めが起きたそうです。コロナのマスクみたいですね。この頃、人気だったのがフィンガー5とあのねのねでした。

13日 スポーツの日 全力でスポーツするには欠かせない「もぐもぐタイム」

14日 鉄道の日

15日 きのこの日

16日 ボスの日 演歌界の「ラスボス」 小林幸子

17日 オンラインゲームの日 おんたんと門出はオンラインゲームの「戦友」でもあります。

18日 冷凍食品の日 冷凍怪獣「ペギラ」

19日 洗濯を楽しむ日 妖怪「小豆洗い」は洗濯も楽しんでやってくれる・・かも?

20日 ヘアブラシの日 ムンクちゃん専用のヘアブラシ

21日 蛭子能収誕生日

22日 図鑑の日

23日 家族写真の日 フォージャー一家をパシャリ

24日 文鳥の日 つげ義春の代表作「チーコ」若いカップルの別れを暗示させます。

25日 ピカソ誕生日 以前描いたピカソイラストたち

26日 原子力の日

27日 テディベアズ・デー

28日 にわとりの日

29日 ホームビデオ記念日 寺山修司の死の前年、詩人・谷川俊太郎とビデオ映像による「往復書筒」を始めた。最後は寺山の心電図がスーーッとまっすぐになるモニターの映像で終わるそうです。

30日 炭酸ソーダの日

31日 天才の日 天才バカボンの結婚秘話

11日ウィンクの日、「おそ松さん」シリーズみたいになっちゃいましたね。
6人全員見つけられなかったのが悔しいです。それにしても同じウィンクでも全然印象が違いますね。

10月に入って過ごしやすい気温になりましたね。
今年の秋限定のお菓子探しに精が出ます。
よし、今年も秋の味覚をたらふく楽しむぞ~!


自民党 高市早苗 新総裁~日刊ムンク㉖

~前回までのあらすじ~

 

中1の頃から川原のそばにいるドールの名前は「ムンク」。抱っこしてるのは、文化部長のスーちゃん。

テディベア作家さんにリペアをお願いしたら、川原の「守護」を祈るクマ「抱き熊スーティー」をくれる。名前をラスプーチンにする。

生まれ変わってムンクが帰って来た。

夢洲万博へも出かけた。

そんなムンク・川原・ラスプーチンのトリオ名は「SS♡T」。成長して行く「SS♡T」の成長譚「日刊ムンク」の第26弾。

 

🌀飲み会

初めましての方もいる飲み会。すっかり馴染んじゃいました。

ムンクも連れて行きました。

ひとりひとりに抱っこしてもらいます。

歓迎されて良かったね。

グループLineも作りました。また飲もうね、と約束しました。

 

🌀カラオケ

昔にもらった表彰状を引っ張り出して来て、クリニックの入り口に貼りました。

これは、ステージで歌ってる人が突然、ぶっ倒れて店中は大慌てで、「お医者さんはいませんか?」と叫ばれて、仕方がないから、僕が出て行ったのだが、医学部の1~2年の時。何も医学的な知識はなくて、とりあえず、オーナーに、「119番!」と指示しただけなのに、大変感謝されて「お礼と言っては失礼だが、初段、を差し上げる」
と歌ってもないのに、賞状を貰ったのです。
その賞状にはオーナーの慌てぶりが表れていて、「川原達二殿」のはずが「河原達二殿」となっていて、皆で笑った思い出があります。
面白かったし、別に実力で貰った勲章でもないから、そのまま直さずに貰っておきました。皆さんにも見てもらおうと一番目につき易さそうな所に貼りました。

美術館風に、キャプションも横に貼ってみました。

 

🌀診察室の風景

診察テーブルの上を模様替えしました。

チェンソーマンの映画はまだ観れてません。ウサギはアクセサリーを入れる宝箱です。手前の麻雀牌はイヤリング。

こっちは野球、大谷とイチローの首振り人形。そしてラスプーチン。

患者さんの視線で。ムンクは正面にいます。

僕の後ろには本棚がそびえ立ちます。

皆さんの視線でパノラマ風に360度回転してみてみましょう。窓側。

真後ろ。

右を振り向くと、推しの子とサンリオのコラボのぬいぐるみ。

正面廊下側の壁には、アグネスラムのカレンダーも。

 

🌀ネイルは、鬼滅の刃。

いつもは銀座まで行くのを忙しいからクリニックに出張してもらう。

デザインは、鬼滅の刃。

下の2枚は、ネイリストさんのカメラ。肌が白く見えます。

「滅」の字があるなんて、中2みたいで、カッコイイですね。

 

🌀今回からサンジャポのアシスタントが若林アナになって喜んでいます。

僕は「若林アナ名場面集」をコレクションしています。

大分のお祖母ちゃんにガッツポーズを送ります。この日からサンジャポは、大分でも放送されるようになったからです。

政治家にインタビューも試みます。

自民党の新総裁も高市さんになって憲政史上初の女性総理大臣が生まれそうですね。

次回は文化部長スーちゃんの「文化部通信10月号」です。お楽しみに。


暑さ寒さも彼岸まで~日刊ムンク㉕

~前回までのあらすじ~

 

この子はいつも川原と一緒に寝ていたアンティークドールです。

川原が中1の頃からいつのまにか家にいたお人形は、家族の誰が家に持って来たのか誰にも分からず不気味がられました。可哀想に思った川原は部屋に置いてあげました。それから、約50年、どんな家族より長く川原のそばにいます。名前は「ムンク」、由来は川原の夢の中に出て来て、「わたしはムンク」と名乗ったから。カツラや髪の毛はとれて、アンティークな帽子や靴も無くなり、服も日に焼けて色褪せてしまっています。18世紀頃までヨーロッパでは、女の子にお人形と手芸箱を一緒に贈る風習が広まりました。ムンクはそんな伝統を受け継ぐ「コレクターズドール CD-3」という「素敵なお洋服を用意して欲しい」と強く思うお人形だったのでした。そうと知った川原はテディベアの第一人者のお人形作家さんとコンタクトを取り治療とお洋服作りをお願いしました。

こちらは、ムンクの着ていたドレスをまず煮ます。

そして、「青いクマドレス」に使える箇所を再利用したもの。

ムンクがいない間の代わりに作家さんが作った「抱き熊スーティー」という子をくれました。名前は反戦の願いを込めてラスプーチンにしました。「プーチンでラスト」みたいな意味です。

川原の「守護」を祈ってくれるクマです。

生まれ変わってムンクが帰って来た。

ムンクを入れて運ぶケースは、ドリームケースと言います。

ムンク・川原・ラスプーチンのトリオ名は「SS♡T」。万博にも行きました。

太陽の塔にも。

成長して行く「SS♡T」の成長譚「日刊ムンク」の第25弾。

 

・日曜日

伊藤潤二のマンガを読んで暮らす。大阪万博とコラボしたのをきっかけに単行本を揃えたから。

友人に熱狂的な、伊藤潤二推しがいて、その人にアドバイスも貰って買ったラインナップ。本棚に飾る。

 

・月曜日

アフタヌーンティーへ行く。

あらかじめ、ムンクを連れて行ってもOKか確認済み。

あらかじめ、昼からお酒を飲めるかも確認済み。

見つめるムンク。ドールは匂いで食事をします。

シャンパンを合わせました。

これがその日のアフタヌーンティー。

メニューはこちら。

 

・火曜日

今日は祭日。友人から、中野ブロードウェイで、楳図かずおの「洗礼」のハンカチがガチャガチャであったと聞いたから探しに行く。歩き回ったおかげで、ハビコロ玩具、というガチャガチャ屋で見つける。あと、ついでに、墓場の画廊、で伊藤潤二のフィギュアもまとめ買いする。

これがガチャガチャ。

伊藤潤二のフィギュア・ボックス。

全6種類。

今日はお彼岸。両親のお墓は茅ヶ崎にあるが、それは父が死んでから購入したので父は知らないお墓。そんなところに父がいるのか?僕は訳あって故郷を捨てた身。自分史から茅ヶ崎出身を削除したので(母と母の生まれは東京なので三代続いてれば江戸っ子なので)今は江戸っ子を名乗っています。そんな訳で墓参りに行かない代わりに夜は寿司屋に行く。

白子ポン酢。

カニ。

蒸すと赤くなります。

これをほぐしてもらって。

墓参りに行かない代わりに供物として、特製バラチラシを食べる。
ネタは、中トロ、赤身、平目、イクラ、ウニ、真鯛、子持ち昆布、車エビ、伊勢エビ、鯖、サンマ、とびこ、白イカ、赤貝、ホタテ、カツオ、アワビ、しまあじ、ホッキ貝、ボタンエビの20種。

ネタをのせる前のシャリにのってるのは、酢バス、玉子、ガリ、かんぴょう、きざみ海苔、かまぼこ。

出来上がり。

ムンク達と、20種海鮮丼。

さっきのカニのお味噌汁。

 

・水曜日

今週は火曜が祝日だから、ムンクの髪の毛のお手入れは今日。

ブラシをかけて。

ここからが難しいです。

帽子の装着です。

ズレてしまいますね。

こんな感じにしか出来ません。

仕上げは、受付の羽田さんにしてもらいました。女子は上手ですね。

その後、ガチャガチャを開けます。

楳図かずおの描く少女は可愛いですが、僕が一番好きなのは「洗礼」の少女がこっそりあかんべえするポーズです。

 

・木曜日

僕の部屋は地下室のクローゼットです。上の階のリビングに、Blu-rayレコーダーがあってそこでテレビ番組を録画してるのですが、僕以外は誰も使わないからこの度、Blu-rayレコーダーを僕の部屋に設置してくれました。これはとても便利でわざわざ上まで行かなくても録画番組を観れるようになりました。
Eテレの「すくすく子育て」をまとめて観る。一年前に言葉が出なくて悩んでたお母さんが、助言をもとに声かけをし続けて赤ちゃんも親も成長したという報告を受けて涙ぐむ司会の、りんたろー。、は良い人です。

我々の仕事もそうですが、紺屋の白袴というか、人の家の世話をしてて自分の家がおろそかになる援助者の葛藤は「あるある」です。そう言えば、金八先生の息子がグレる回があってその時に金八先生は何も出来なかったのをみたことがあります。
レムリア人は、親子という関係はあるけれど、子育ては皆んなでやるそうだから、そういう世界がくればいいと思う。

最近は臨床の現場でもchat GPTに相談してる人は多いですが番組でも肯定していました。僕が思うに、AIとカウンセリングを比較するのではなく、補完しあって使うのが賢いと思う。

 

・金曜日

長門有希のマウスパッドの隅がめくれてしまいました。

もう長く使っているから、買い直しました。それがこれ。↓。

「もう嫌なの、あなたの浮気癖」と呆れるムンク。

 

・土曜日

伊藤潤二のフィギュアの箱を開ける。富江。

ファッションモデル。

夕子。

双一。

四つ辻の美少年。

耳擦りする女の特製カード。まゆみは一番好きなキャラです。アニメではしょこたんが声優をしていました。

うずまき、のコインケース。これも特別なもの。

今日は最終土曜日だから勉強会です。

 

次号へ続く。


オンリーユー・やはりドル活宣言~日刊ムンク㉔

~前回までのあらすじ~

 

この子はいつも川原と一緒に寝ていたアンティークドールです。

川原が中1の頃からいつのまにか家にいたお人形は、家族の誰が家に持って来たのか誰にも分からず不気味がられました。可哀想に思った川原は部屋に置いてあげました。それから、約50年、どんな家族より長く川原のそばにいます。名前は「ムンク」、由来は川原の夢の中に出て来て、「わたしはムンク」と名乗ったから。カツラや髪の毛はとれて、アンティークな帽子や靴も無くなり、服も日に焼けて色褪せてしまっています。18世紀頃までヨーロッパでは、女の子にお人形と手芸箱を一緒に贈る風習が広まりました。ムンクはそんな伝統を受け継ぐ「コレクターズドール CD-3」という「素敵なお洋服を用意して欲しい」と強く思うお人形だったのでした。そうと知った川原はテディベアの第一人者のお人形作家さんとコンタクトを取り治療とお洋服作りをお願いしました。

こちらは、ムンクの着ていたドレスをまず煮ます。

そして、「青いクマドレス」に使える箇所を再利用したもの。

作家さんのアトリエで人気者になるムンク。ムンクがいない間の代わりに作家さんが作った「抱き熊スーティー」という子をくれました。名前は反戦の願いを込めてラスプーチンにしました。「プーチンでラスト」みたいな意味です。

川原の「守護」を祈ってくれるクマです。

ムンクが帰って来ました。

ムンクを入れて運ぶケースは、ドリームケースと言います。

ムンク・川原・ラスプーチンのトリオ名は「SS♡T」。成長して行く「SS♡T」の成長譚「日刊ムンク」の第23弾。

 

・日曜日

この日は大学病院時代の病棟の同窓会。

ムンクも連れて行きましたが、お邪魔になりそうなので出してあげられず。

これは二次会。喫煙者は肩身が狭かろうと、貰いタバコをして喫煙に付き合う。

久しぶりのタバコなので煙が目にしみる。

気持ち悪くなって先にひとりで帰る。帰り道、ムンクを出してあげなかったことを後悔。これからは誰にどう思われようと「友人」より「ムンク」を優先しよう。それでこそのドル活だもの、と心に誓う。

 

・月曜日

美容院で、ゴーストルーツカラーというのをする。

何でゴーストかと言うと、根元は暗めに残し、毛先に向かって明るくする技法だから、「幽霊のように根元がぼんやり透ける」からだそうです。

ゴムで束に縛って色を塗って行きます。

海外ではカラリストやモデルがインスタに載せたスタイルが拡散し、日本でも美容師さんや美容学生がすぐに取り入れSNSで発信して若い層に浸透しました。

イメージは、鬼滅の刃、の炭治郎です。ムンクと一緒に。

 

・火曜日

クリニックに置いてある炭治郎の耳飾りを合わせました。この耳飾りは、物語中最強の伝説の剣士=継国縁壱(つぎくに よりいち) から炭治郎の祖先が受け取って、代々引き継いでいったんです!って教えてもらいました。

 

・水曜日

待合室に流れるBGMは僕が気分で選曲しています。ついこないだ10代の頃が懐かしく、その頃の自分に応援してもらおうと当時よく聴いてた吉田拓郎の歌をたくさんリストに入れました。しかし、そんな虫のいいことは起こらず逆に10代の鬱屈した気分が蘇り、鬱っぽくなったから、アイドルの曲に変えようとCDをまとめ買いしました。

ひとには二面性があるし、好みも様々です。僕は吉田拓郎を聴きながら、アイドルにも詳しかったのです。そして、ムンクは付き合いが長いからそんな僕の両面ともを知っているのです。

 

・木曜日

去年の12月、涼宮ハルヒの聖地巡礼に行った際に訪れたのが「クリエートにしのみや」。ららぽーと、の広いエリアのトイレの横の隠し部屋みたいなところだから誰も気づかなそう。

そこのお姉さんが詳しくて色々教えてくれます。下が中の様子。北高の教室と部室を再現しています。

ここにシールを貼って来ました。

「涼宮ハルヒの驚愕」のパネルなど。

みくるちゃんのお茶を入れるセットです。

ここのお姉さんは、誰も来ないかもしれないスペースを1人で守ってる、ある意味、長門有希的な使命感のひとでした。

そんな「クリエートにしのみや」に手紙を書きました。

拝啓

昨年12月に「涼宮ハルヒ」の聖地巡礼で大阪を訪れた際、「クリエートにしのみや」に立ち寄らせていただきました。
まるでSOS団の部室のような空間で、詳しい情報や楽しいお話を伺い、大変感動いたしました。
場所は商業施設の中でも少し分かりづらいところにありますのに、常駐されて来訪者を迎えてくださるスタッフの方が、まるで長門有希のように思えて、すっかり親しみを感じてしまいました(笑)。
その折、「長門有希ちゃんの消失」のある巻が欠品していると伺い、ずっと気になっておりました。私自身、とびとびではありますがそのコミックスを所持しており、もしかしたらお役に立てるのではと思っておりました。友人がアレイスター・クロウリーの黒魔術の本を寄贈したと聞き、私も何かお渡しできればと考え、この度Facebookでお問い合わせさせていただいた次第です。不思議に思われたかもしれませんが、どうかご容赦ください。
幸い、手元に第5巻がございましたので、ぜひ寄贈させていただければと思います。
11月に再び大阪へ行く予定がございますので、その際に改めて立ち寄らせていただきます。
日頃よりFacebookやInstagramも拝見しております。これからも応援しております。
今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

敬具

 

・金曜日

ハロウィンの飾りつけをする。

からかい上手の高木さんがハロウィン仕様。

 

・土曜日

クリニックを開業したのは母にその姿を見せようと思ったからで、でも慣れないことはするものじゃないですね。それを聞いた母は安心して、オープン前に死んでしまいました。クリニックの開業は2007年です。今から18年前だから僕が45才くらいです。つまり母と僕は45年一緒に生きた訳です。
ところでムンクが家に来たのは僕が中1の時だから、ムンクと僕は50年一緒にいる訳です。すごいですね、ムンクは母を抜いたのです。

来週は都内のホテルでアフタヌーンティーに行ったり、校医相談のミーティングがあったり、その後も大学時代の同窓会があったりひとと会うことが多いです。そういう場にムンクを連れて行くと驚くほど歓迎されないです。だから僕は日和ってこないだの同窓会はムンクをケースから出さなかったのです。でも今はそれを後悔しています。僕は思うのです。人生で一番大切な「強さ」とは、自分のとった言動で周囲の空気が悪くなっても「平気でいられる」ことだと。だからこれからは誰かに嫌がられたり雰囲気が台無しになったり礼儀知らずと笑われてもムンクを大事にしようと思うのです。小学校で習った不等式で表すなら、「アフタヌーンティー+校医相談+同窓会<ムンク」です。

ジョン・レノンがオノ・ヨーコを連れてきたことでビートルズ内に不和が生まれ、解散の原因とされることもあるが、それでもジョンはヨーコを選んで共にいた。同じように僕も周囲が何を言おうとムンクと一緒にいる宣言。

 

次号へ続く。


友に会いに行く〜日刊ムンク㉓

~前回までのあらすじ~

 

この子はいつも川原と一緒に寝ていたアンティークドールです。

川原が中1の頃からいつのまにか家にいたお人形は、家族の誰が家に持って来たのか誰にも分からず不気味がられました。可哀想に思った川原は部屋に置いてあげました。それから、約50年、どんな家族より長く川原のそばにいます。名前は「ムンク」、由来は川原の夢の中に出て来て、「わたしはムンク」と名乗ったから。カツラや髪の毛はとれて、アンティークな帽子や靴も無くなり、服も日に焼けて色褪せてしまっています。18世紀頃までヨーロッパでは、女の子にお人形と手芸箱を一緒に贈る風習が広まりました。ムンクはそんな伝統を受け継ぐ「コレクターズドール CD-3」という「素敵なお洋服を用意して欲しい」と強く思うお人形だったのでした。そうと知った川原はテディベアの第一人者のお人形作家さんとコンタクトを取り治療とお洋服作りをお願いしました。

作家さんのアトリエで人気者になるムンク。

ムンクがいない間の代わりに作家さんが作った「抱き熊スーティー」という子をくれました。名前は反戦の願いを込めてラスプーチンにしました。「プーチンでラスト」みたいな意味です。

川原の「守護」を祈ってくれるクマです。

ムンクが帰って来ました。

ムンク・川原・ラスプーチンのトリオ名は「SS♡T」。成長して行く「SS♡T」の成長譚「日刊ムンク」の第23弾。

 

・月曜日

後輩の診療所を表敬訪問。

訪問看護をしているナースも交えて。

そこに近隣で開業してる先輩も駆けつけてくれて。

ミャクミャクのシューズを自慢しているところ。

4人で記念写真。

打ち上げは近所の「餃子の王将」。

 

・火曜日

しばらく家族と会わないな、と思ってたら、新幹線で大阪に旅行に行ってたらしい。万博に行ってたんだって。三泊四日。
どうも、家がひっそり閑、としてると思った。

 

・水曜日

そんな家族のお土産。ミャクミャクと伊藤潤二のコラボ、Tシャツ。

缶バッジはひとり5個まで。

まさかの「男」しか出ませんでした。

心なしかムンクも「富江、出なかったのね」と顔しています。

おかげでムンクが、ヒロイン独り占め状態。

 

・木曜日

サンリオの「いちご新聞」10月号をゲットする。今月号は、クロミがポスター。クロミの誕生日が、10月31日だから。ちなみにキティちゃんは11月1日。

今日は大雨で大岡山に来る電車が止まり、キャンセルが多発。商店街も滝のようで川のようで波のようでした。

 

・金曜日

男が頼りない気持ちになって、助けて欲しくなった時に女の人にはどういう場合が刺さるのかな?と考えた。知り合いの顔を一人づつ思い浮かべて、「ひとによって違うんだろうな」とそう思った。

 

・土曜日

そう言えば言ってなかったと思うけど、ムンクをリペアしてくれた作家さんから聞いた話で、ムンクの関節の奥から僕の髪の毛と思われし「緑色の髪の毛」が出て来たという。ムンクは僕といつも一緒に寝ていたからそんなこともあるかと思うし不思議なことではないけれど。
ひとは自殺しそうになった時に強く抱きしめて欲しいと思うことがる。それはどこかに吹き飛ばされてしまうのを食い止めるために地に足がつくように「アース」の役割をして欲しいからで、「温もり」とか「人肌」などという感傷的な理由ではなくて、もっと力学的な理由なのだと思う。

明日は同窓会。

 

次号へ続く。


九月の空〜日刊ムンク㉒

・アグネスラムの場合

僕が中1の時に、アグネスラムが黒船のように日本に来襲しました。父が知り合いから、「これから売り出す」とまだデビュー前のアグネスラムの生写真を2枚貰って来ました。父はアグネスラムの2枚の写真を「高2の兄と中1の僕にどう分けるか」悩んだ挙句、2枚とも僕にくれました。変った父だとお思いでしょうが、母も兄も何の疑問も持たず、昭和50年・川原家は平和でした。

 

その頃から僕のそばにいる「ムンク」。

ところでムンクはなんでうちに来たのでしょう?どうやって誰が持って来たのか?誰かのお土産かプレゼントか?或いは誰かの忘れ物か?
「この人形どうしたの?」の問いに家族の誰も心当たりがなく、不気味がられて「捨てよう」となったのですが、なんか可哀想で僕が引き取ったのです。
とは言え、中1男子がドールにそれほど興味もなく、着せ替え人形で遊ぶなどせず、ちゃんとした可愛がり方をしてあげないで来ました。

引越しも何回かして物を整理したり断捨離も何度かしてるのに、何故かムンクはずっと手放さないで来ました。
お洋服も、ムンクを連れて、秋葉原や中野ブロードウェイに連れて行き、それこそ色んな店に飛び込みで、お洋服を作ってくれないか?と頼んだのですが、まず相手にされませんでした。
ある霊能者は、「もはや呪物だ」とか「お焚き上げをしなさい」と言いました。「もうこの世にいてはいけないから人形にとっても成仏させた方がいい。引き留めてるのはあなただ」とか。

だけど縁とは不思議なもので普段ならやらない苦手なFacebookを触ったら、お人形作家さんを見つけました。ダイレクトメールで直接交渉したら作家さんは、「ムンクは呪物ではないし、美しいドールだ。やるならば最高のケアをしてあげよう!」と言ってくれたのです。

50年も同じ服を着て関節も壊れてしまっていたから、作家さんに預けてリペアをお願いしました。

生まれ変わったムンク。

ムンクが帰って来ました。

下のクマはラスプーチン。「プーチンでラスト」みたいな平和の願いを込めた名前にしました。

ムンクは中学の頃からの僕の生活をずっと見てきて知っています。僕がマンガを読んでいる時も、ホルンの練習をしていた時も、深夜ラジオを聴いていた時も、友達が遊びに来て馬鹿騒ぎしてる事も、親に隠れてウイスキーをこっそり飲んだことも、整髪料で髪型に異常にこだわって鏡の前に立っていた姿も、それから、僕の喪服姿も何度か見て知っています。
だから、僕が夢中なった歴代のアイドルのこともみんな知っている。
今回は川原を支えたアイドルたちとの思い出をムンクと共に振り返ります。
まずは中1のアグネスラムから。

 

今年は2025年ですが、2024年のアグネスラムのカレンダーを入手しました。

僕はアグネスラムの顔が好きです。

水着姿はそこまで好きじゃないです。

こういうのが好き。

こういうのはイマイチ。

でも、売りはピンナップガールですからね。

水着が多いのは仕方ないです。

 

・山口百恵の場合

中3の頃、僕は友達がいなかった。そんな僕はを支えてくれたのは山口百恵のポスターだった。そのポスターは当時の山口百恵としても、当時のアイドルのポスターとしても少し風変わりで、白いブラウスに茶色のスカートをはいた普段着の格好で、ポスターのくせにこちらの目を見ずに脇の方を向いている。その視線の先に何があるかは、ポスターに写っていないので想像するしかないのだが、おそらく他愛も無いものにちがいない。それは近くのキレイなお姉さんみたいだった。
東中野のレコード屋で、「花ざかり」というお花をテーマにした歌ばかりを集めたアルバムを買ったら特典としてもらった。
僕は、毎日、このポスターに見守られ、友達のいない中3の一年間を皆勤賞で過ごしたのも、ムンクは知っています。

 

・石野真子の場合

いよいよ九月になりました。石野真子の初主演映画「九月の空」が思い出されます。プライベートでもキス未体験のマコちゃんにキスシーン。あれは嫌な映画だった。
石野真子の結婚&引退が決まった後、雑誌「GORO」で石野真子のヌード写真が発表された。僕は事務所とか、そんな雑誌を買った自分とかにかなり頭に来ていた。グラビアの石野真子の目は悲しげに見えた。
マコちゃんと同期のサザンオールスターズの歌詞で「醒めた瞳の人には何もできない~」って歌があり、桑田に見透かされた気がした。
その後、鶴光のオールナイトニッポンで真子のメッセージが流れた。
「あれは、インチキで、あんな話は聞かされてなくって、だから、そんな女だとみんなに思われたくない…」って言ってた。
僕は翌日、夕方、焼却炉に、石野真子のヌード写真を破って入れて火をつけて燃やした。グラビアの石野真子が黒い煙とともにクニャクニャによじれながら燃えて消えた。
石野真子の残したレコードの最後の言葉を~「私も苦しいことがあったらみんなのこと思い出すから、みんなも苦しいことあったら私のこと思い出して…」~今も忘れない。
ちょっと前に、ある人から「石野真子、好きだったでしょう?」と例の「GORO」をもらった。ある意味、お宝。45年の歳月を越え、解禁してしまうか?
しかし、あんまり気乗りがしなくて、まだ見れていないのです。

高1〜高3は石野真子に夢中でした。

 

・伊藤つかさの場合

浪人中は伊藤つかさに励まされて勉強をした。

 

・浅香唯の場合

昔のアイドルが今頃、TVに出てきて「当時はキレイゴトでした~」とか「あの時、実は○×でした~」みたいな暴露話をする番組がある。こういうのはやめて欲しい。面白がる人がいるから番組として成立するのだろうが、悪趣味である。
僕が大学3年の時、浅香唯がデビュー。ぼくのファンクラブのナンバーは「神奈川4番」。

下の写真は、浅香唯の16歳のバースデー・イベントの投稿写真。誕生日ケーキを吹き消す浅香唯の横にたまたま僕が写ってる。左から3人目、スタッフの隣で折り畳んだ東スポを抱えている。

その会に出たお礼に後日、浅香唯から送られて来たサイン入り生写真。
この数カ月後、浅香唯は「スケバン刑事Ⅲ」の主役・三代目麻宮サキに抜擢され大ブレイクを果たし、その人垣で僕は彼女を見失ってしまった。

 

・小倉優子の場合

小倉優子を認知したのは、よみうりランドのポスターに起用された時だ。
当時、小田急線を利用してた僕は毎朝見かけた。
・水着姿でプールサイドに無表情で座り小首をかしげて、
「学生、来て来て!安くするわよ」と入園料学割。
・水しぶきを浴びる絶叫マシンで髪を逆立てて悲鳴をあげ、
「ヤダーッ、こんなにビショビショ」。
・暗がりで怯えながら、
「一日三回もなんて…。もう許してぇ!」はお化け屋敷。
さすがにこれはマズイだろうな、と思ってたら案の上、差し替えになった。
12チャンの夕方の帯番組「シブスタ」でライセンスと、後番組「ぶちぬき」で雨上がり決死隊と組んで司会を勤めた。僕個人は色々ときつい時期で、どれだけこの番組に救われたかわからない。毎回録画して観た。こりん星キャラが完成していく過程が見れた。
CD「フルーchu・タルト」の一曲目、「ビタミンLOVE」で毎朝、起こしてもらった。恵比寿のリキッド・ルームでやったシークレット・ライブにも行った。
「ビタミンLOVE」は2曲目だった。
この頃の、小倉優子は可愛かった。トレカもいっぱい集めた。

小倉優子の失策は、何かのインタビューでコスプレをちょっと馬鹿にする発言をしたことだ。ゆうこりんはコスプレ写真集も出してたのだから、間接的に、ファンを見下した発言だった。その結果、ファンは中川翔子に流れた。
あっ、この場合のファンは僕です。
そうは言っても、小倉優子には恩があるから今もクリニックには小倉優子コーナーを設けてあります。

 

・中川翔子の場合

しょこたんのライブにはムンクも一緒に行ったね。

サイリウムを振るムンク。

しょこたんとムンク。

これはバスツアーに参加した時のツーショット。

イカ娘に扮するしょこたん。

しょこたん、小林幸子とスリーショット。

 

・みずほの場合

28/Ⅹ.(金)2016  寒い雨
僕の好きな、ベルハー(BELLRING少女ハート)が年内で活動休止のショックと、僕の推しの、水色担当・朝倉みずほが年内で引退&冠番組であるFM北海道「みずほのほ」が今週で終了という、みずほロス、に動揺する僕はラジオの最終回にふるえる手でFAXを投稿した。

しかし、世の中も捨てたものではありませんね、このFAXが最終回で読まれたのです。「みずほのほ」の最終回には、ベルハー・メンバー全員が終結し、大盛り上がりの中、読まれました。
しかし、ラジオ・ネームを書き忘れたことと、FAX送信用紙の「川原クリニック」という印刷を消し忘れたため、
「これ誰からだろう?」
「川原クリニックって書いてある」
「職場かな?」
「あっ、川原さん、って書いてある」
「ごめんね、職場、言っちゃった~」
とメンバーの会話が放送され、最後の最後で大ビックリさせられました。記念すべき「みずほのほ」の最終回で、クリニックの宣伝をしてしまった訳でした。

ベルハー映画のクラウドファンディングの試写会にて、みずほを目の前で撮る。

そして、今の推しは芦田愛菜。21才です。山口百恵が引退した年齢です。

 

次号へ続く。


文化部通信~その陸拾玖~

こんにちは、文化部通信69弾。文化部長スーです。

文化部通信では、今までその月の「何でもない日」をクリニック内で見つけたものと合わせて紹介してきました。
そもそも、「何でもない日」とは?と思う方もいますよね。
鏡の国のアリス に出てくるハンプティダンプティ↓

いつも着けているネクタイみたいなベルトみたいなものは、白の女王に「何でもない日」にもらったプレゼントだそうです。誕生日プレゼントは、365日に1回しか貰えないけれど、「何でもない日」プレゼントは365日に364回貰えるという屁理屈です。
でも最近は、毎日何かの記念日なので「何でもない日」が無くなっています。
そこで、限りなく「何でもない日」に近い記念日の紹介をすることにしました!「へ~ そんなのあるんだ~」とびっくりする日もあるかもしれません。

今回は、以前紹介した9月の「何でもない日」を一部新しく探してみました。
「何でもない日」リバイバルです。

1日 防災の日

2日 牛乳の日 牛乳はシャコ星人の血と同成分

3日 ドラえもんの誕生日

4日 クラシック音楽の日 ホルンを演奏している先生

5日 国民栄誉賞の日 黒澤明

6日 妹の日

7日 CMソングの日 清水建設のCMソング 「パパの歌」

8日 ニューヨークの日 ニューヨーク→入浴剤

9日 ポップコーンの日 ミャクミャクポップコーン

10日 世界自殺予防デー WHOが制定しています。

11日 公衆電話の日 ジャケ写みたいでオシャレです。

12日 宇宙の日 長門有希 は、情報統合思念体によって造られた対有機生命体コンタクト用ユーザインタフェースであり、要するに宇宙人。

13日 明治ミルクチョコレートの日

14日 コスモスの日

15日 老人の日 藤子・F不二雄 「定年退食」

16日 マッチの日

17日 神嘗祭

18日 しまくとぅばの日 「しまくとぅば」とは沖縄の島々で受け継がれてきた方言です。沖縄の守り神 シーサ―はクリニックを守ってくれてます。

19日 苗字の日 2021年珍しいレア苗字ランキング1位は「竈門(かまど)」

20日 バスの日 しょこたんのバスツアー

21日 ファッションショーの日

22日 フィットネスの日

23日 万年筆の日 川原先生は、中学生の頃万年筆を使っていたそうです。オシャレな中学生ですね。↓その当時の筆跡

24日 世界ゴリラの日 ゴリラと言えば霊長類最強。同じ霊長類最強のカレリン

25日 10円カレーの日 ハツカレー

26日 台風襲来の日 台風のフー子とのび太

27日 世界観光の日

28日 世界狂犬病デー ボンドはしっかり予防接種してそうですね。

29日 招き猫の日

30日 くるみの日

さらさらっと「何でもない日」を読み流せるように、説明を少なくしたんですが‥それでもすごい量になってしまいましたね。

それにしてもフー子を見つめるのび太の表情はいつみてもグッときますね。
今、日本に近づいている台風も、フー子みたいにいい子でいてくれますように。


あ・ぶ・な・いパラレル分岐点〜日刊ムンク㉑

先日、新宿紀伊国屋書店に医学書を買いに行きました。
モン・スナックでカレーを食べ、伊勢丹の方に歩いて行く途中で後ろから「川原!」と声をかけられた気がしました。
しかし、ふり返ってもそこにはただビル風みたいなのが吹いているだけで、カラクリ人形みたいな人間が往来してるだけでした。
しかし、それは聞き覚えのあるあの人の声だったのです。

 

~前回までのあらすじ~

 

中1の頃から50年、川原のそばにいるドールの名前は「ムンク」。

50年も同じ服を着て関節も壊れてしまっていたから、リペアをお願いした。

生まれ変わったムンク。

リペアしてくれたのは、テディベアの第一人者の作家さん。下は作家さんからもらったクマ。名前は、ラスプーチン。「プーチンでラスト」みたいな平和の願いを込めて。

ムンク・川原・ラスプーチンのトリオ名は「SS♡T」。成長して行く「SS♡T」の成長譚「日刊ムンク」の第21弾。

 

・日曜日

ゴレンジャーと酔鯨がコラボした日本酒。

サイドのパッケージ。

逆サイド。

行きつけの寿司屋で、高田文夫の本を読む。

アワビのステーキ。

天然鮎の塩焼き。

これは普段の自分へのご褒美に特製贅沢チラシ。海鮮20種です。

 

・月曜日

今日から中野ブロードウェイの「墓場の画廊」の、漂流教室ポップアップストア、が後期になる。オブジェが変わるので午前中に一番乗りで撮影に行く。

未来人類、接近。

ムンクとラスプーチン。温泉の蛇口みたいでしよ?(笑)

お店が用意してくれた椅子に腰掛ける。

夜は旧友との食事会のため成城学園前に。

記念写真。

 

・火曜日

例によって、火曜は週の始まりなのでムンクの髪の手入れ。

まずはドリームケースからムンクを取り出します。

帽子を外してブラシを入れます。

ブラシは2種類を使い分けます。

こうして帽子を被せます。

これが中々うまくなりません。

顎の下でリボンを結んで。

こんな仕上がりです。

ちょっと帽子が斜めになってしまったので、仕上げを文化部長のスーちゃんにやって整えてもらいました。

お昼はお蕎麦屋に一緒に出掛けます。暑い日には熱い天ぷら蕎麦。

 

・水曜日

大きな額が世界堂から届きました。

中を傷つけないように、器用なスーちゃんにカッターで開けてもらいます。

プチプチでガードされた包みが出て来ました。

これをカッターで開封します。

白い箱が出て来ました。

箱のテープを剥がして中の物を出します。

額装のガラスが傷つかないようにシールで保護してあります。

さぁ、そのシールを剥がしましょう。

ジャーン!!

中野ブロードウェイ「まんだらけ活動写真館」で買った「ニッポン無責任時代」のスピード・ポスターでした。

待合室のここの壁に貼りました。

「ニッポン無責任時代」と「ニッポン無責任野郎」は、川原達二が選ぶ日本の喜劇映画のトップ2で、この2本はそれぞれが面白いのですが、実は話がつながっているので続けて観ると何倍も面白いのです。まだ観てない人は、観るといいです。順番を間違えないようにね。「時代」、「野郎」の順です。

 

・木曜日

医大生の頃、映画好きなお洒落な女の子に「今度の土曜の夜、浅草の六区の映画館でクレージー・キャッツの5本立てのオールナイトをやるから観に行く」と僕が言うと、彼女も是非連れって行ってくれと言う。前から興味はあったが、女の子が1人で行くにはハードルが高いというのだ。当時の浅草は、ビートたけしがギャグで「E・T」を観ようと映画館に行ったが銀座も新宿もどこもいっぱいで入れなかったが、浅草の映画館はガラガラだったと言っていたくらい若者は行かなかった。
かつての浅草と言えば多くの喜劇人が輩出された街なのだ。そんな喜劇の本場でクレージー・キャッツの映画を観るのである。期待は膨れ上がってくる。
この日は、浅草に黄金時代が再現されたようだ。
こんな豪華な企画を放っておく馬鹿もないもので、その日の映画館はオールナイト映画にしては大入りだった。一本目が「ニッポン無責任時代」で二本目が「ニッポン無責任野郎」である。映画館は異様な盛り上がりで、彼女も嬉しそうにゲラゲラと笑いころげてて、僕は内心、ホッとした。
2本が終わると、彼女は輝いた顔をして、「スゴイね!」と興奮していた。それと同時に、ゾロゾロと多くの客が帰って行った。大抵の人はこの2本を観たら終電に乗るため帰ってしまった。この映画館で夜を明かすべく残ったのは、僕と彼女と酔っ払って寝てる何人かと、そもそもここが寝ぐらなのでは?、と疑いたくなる浮浪者みたいな人だけになった。
空気がガラリとかわり、彼女の表情も同様に変わった。「大丈夫だよ」と僕が言うと、「やっぱり1人じゃ来れないわ」と彼女は苦笑してみせた。
3本目の「日本一の色男」の彼女の反応は、イマイチだった。
4本目は、クレージー・キャッツの後期の作品でドリフの加藤茶が準主役級で出てる映画で、彼女はついにこの映画の途中で眠り出し、とうとうこの映画館で映画を鑑賞している客は僕1人になった。
ラストの5本目は、「喜劇泥棒家族」という映画で、僕も初めて観る作品だった。ストーリーは、ある島の住民は全員が泥棒で、時々、船で本土へ行っては集団で泥棒をして生計を立てていた。その島の泥棒のボスが植木等で、植木は昔、警察に捕まって拷問を受けて片足が動かなくなって、杖をついていた。警察はいよいよ本腰を入れてこの泥棒達を捕まえようとし、島に乗り込んでくるのである。圧巻は、男どもが次々に逮捕される中、最後に残った植木等が刑事に追い詰められるシーンである。なんと、植木等はそこで杖を捨て、動かないはずの方の足をヒョイ・ヒョイ・ヒョイと動かしてみせ、画面いっぱいに満面の笑みを浮かべ、空を飛ぶ鳥のように、海を泳ぐ魚のように、活き活きと走り回るのである。
植木等、健在!という感じだ。
何だか僕は、この僕以外は全員が寝てる映画館で、1人、感動していたのである。
結局、泥棒は全員捕まり、働き手(と言っても泥棒だが)を失った島は女と子供だけになった。警察は、泥棒は逮捕したが、盗まれた金品を島から見つけ出すことは出来なかった。ボスである植木等が、決して口を割らなかったからである。
ラストは、自転車の練習をしている子供に女たちが、気をつけなさいよ、と声を掛ける。子供は、それでもよろめいて、電柱にぶつかって転んでしまう。「ほら~、言ったばかりでしょう」と女たちが駆け寄ると、自転車の前のライトのガラスが割れて、中から金銀財宝が顔を出していた。植木等は警察の目を誤魔化すためにここに隠していたのだ。驚く女たち。キラキラと輝く宝石のアップで映画は終わった。
不覚にも僕は感涙して、少し落ち着いてから、彼女を起こして映画館を出た。
無人街の浅草六区は、真っ白い朝もやに包まれていた。
僕は朝もやと瞼に焼きついたキラキラの映画のラストシーンの両方を自分の未来と重ね合わせて、先はみえないけど何とかなる、と根拠のない確信を得て、頑張ろうと心に思ったんだ。

 

・金曜日

その朝、目がさめたら、となりに知らない美人がいた。
彼女はとっくに起きていて、「やっと起きた。遅刻」と僕に言った。
それは、まだ病棟実習をする前だから、大学の3年か4年の頃のはず。
僕は、友達と、大学の近くの街で呑んでいた。
たまたま、その店でとある運動部がコンパをやっていたので、そこに顔を出した。ただ酒にありつこうと考えた訳だ。
その作戦はまんまと成功して、僕は3次会のパブにもなだれ込んだ。
そのパブでは、第一外科、通称「1外(いちげ)」が飲み会をしていた。奥の方で外科の医者と看護婦さんたちが騒いでいた。
僕らのグループの最上級生の6年生は、1外の方々に挨拶に行っていた。「お前も言って来い!」と言われるまま、僕は挨拶に行き、そこで呑んだ。
気が付いたら、結構、夜も更けていて、僕は「ところで、お前、誰?」とか言われてた時には、最初に呑んでた友人も運動部のメンバーも皆、帰っていて、僕1人だけ、1外の人達と呑んでいた。
1外のスタッフは、普段、ハードな仕事なので、飲み方も豪快だった。僕は最後までつきあい、病院の近くに住むナースの家に皆で雑魚寝したのであった。
医者や看護婦は偉いもので、あれだけ呑んで騒いでも、翌日、休まないのだから。それに比べて僕などは、甘いのだ。そう、僕が目をさましたその部屋は、1外のナースのアパートだったのだ。
彼女は、僕に、「将来、何科に行くの?」と聞いた。僕は、「精神科」と答えた。
彼女は、「プシコ?意外ね。外科にしたら?」と真顔で言った。
当時は、都内でも郊外は畑などがあって、僕は彼女のアパートから学校に行く路を教わって、あぜ道のようなところを歩いて行った。
すると、向こうから畑仕事を終えた、おばあさんとすれ違ったりして、僕は何か後ろ暗い気分にさせられた。
僕が、彼女にあったのはそれっきり。
医学生が病棟のナース・ステーションに顔を出すのはそんなにおかしなことでもなかった。泊めていただいたお礼を言いに行くのは、むしろ人間として当たり前なのかもしれなかった。
正直、何度か、会いに行こうかな、という誘惑と戦った。だけど、僕は行かなかった。
もう1度、彼女と会ったら、僕は自分の描いている人生の線路が違う方向に行ってしまう危険を予感していたのだ。

 

・土曜日

名は体をあらわす、などと言うがこの人は良い人だった。
名前が「良男」である。大学時代の野球部の1年先輩だった。
僕はサードを守り、良男さんは控えの一塁手だった。
ある日の試合で、ショートの先輩が失策したあと、僕がサードゴロを一塁へ悪送球した。ピッチャーは振り返って「怖くて三遊間には打たせられないな」と嫌味を言った。ファーストだって捕れない球ではないだろう。技術的な問題ではなく、捕る気がないのではないか?と思った。無性に腹が立った。
そんな時、ベンチから良男さんの声が響く。
「ドンマイ~、ドンマイ~。川原~、くさるなよ~」。
3アウトをとり、ベンチに戻ると、良男さんが僕の横に座り、「くっそ~、俺がファーストだったら捕ってやったのに。俺が試合に出れないから…」と口惜しがった。
その試合の後、僕は良男さんに誘われ練習をした。良男さんが一塁ベースにつき、僕がゴロを捕球したと想定しあらゆる体勢から一塁へ送球する送球練習。
細長いファーストミットの先を使ってショートバウンドの球は全部すくい上げる。頭を超えそうな暴投もジャンプしてキャッチしてくれる。たまさか胸のあたりにストライクのボールを投げると、いい音を出すためにファーストミットを思いっきり強く早くはじくように閉じる。パシーン!球が重そうだ。
「川原~、ナイス・スロ~!」、良男さんは目をつむって青空に向かって雄叫びをあげるのだ。こっちが照れる。
その後、僕はささいなことから日々がめんどくさくなり人間関係を全部切りたくなり部活を辞めた。学校で部活の先輩とすれ違うとバツが悪いのは初めだけで、すぐに挨拶もしなくなった。
それでも良男さんは違った。僕の悪い噂を聞きつけると、そのたびに学生会館まで僕を探し出しにきて、「川原、くさるなよ」「川原、学校は辞めるなよ」と、こっちが「うん」と言うまで肩を揺すった。
僕が今、こうして精神科医をやったりブログを書いたり出来てるのも良男さんのお陰。「川原、くさるなよ」と言って引きとめてくれなかったら、どうなってたかわからない。

今回の記事はループ構造になっているので良かったらラストからスタートへ、どうぞ。

 

次号へ続く。


なつかしい日々〜日刊ムンク⑳

夏休み明けなので今週は混んでしまいました。11月まであったかいそうですね。

 

~前回までのあらすじ~

 

中1の頃から川原のそばにいるドールの名前は「ムンク」。

テディベアの第一人者の作家さんにリペアをお願いしたら、川原の「守護」を祈るクマ「抱き熊スーティー」をくれる。名前をラスプーチンにする。

生まれ変わってムンクが帰って来た。

ムンク・川原・ラスプーチンのトリオ名は「SS♡T」。成長して行く「SS♡T」の成長譚「日刊ムンク」の第20弾。

 

・月曜日

中西先生と僕とサスガは不思議な縁で、高校と大学と医局が同じで、先輩後輩の仲なのです。
順番は、中西>川原>サスガです。
精神科は他大学との交流のため、毎年、野球のリーグ戦がありました。
僕らの医局は、中西・川原・サスガの3人が主力メンバー。
ある年の野球大会。僕は派遣病院に出向していて、そこの秘書さんが野球の応援に行きたいと言うから、3人くらいを自分の私設応援団員として帯同しました。
若い女の子の前ですから、ちょっと良い所を見せたいと思うじゃないですか?
僕は、サスガに、「おい、ピッチャーを変われ」と途中からマウンドに立ちました。
「ドカベン」の里中のように華麗なアンダースローから幾つかの変化球を投げ分けます。しかし、練習は裏切らない、というか、ボールは正直です。
1球として、ストライク・ゾーンに入りません。3者連続フォアボールで、あっと言う間に無死満塁。
風雲急を告げ、大ピンチ。400戦無敗で知られるヒクソン・グレーシーが最強の男であった1番の理由は、負けそうな相手とは戦わない、というからくりがありました。
これは良いアイデアです。そこで僕は、マウンドにサスガを呼び、「おい、ピッチャーを変われ」とリリーフを押し付けますと、
「嫌ですよ。自分で蒔いた種なんですから、自分で責任をとって下さい」
と言い放ち、自分の守備位置に戻って行きました。
体育会系は縦社会、上が「黒」って言ったら、「白」でも「黒」だろ。
などと僕がブツブツ文句を言ってると、マウンドに駆け寄ってきて優しい言葉をかけてくれたのが、その時のキャッチャーで、女房役とは良く言ったもので、キャッチャーマスクをとって、
「川原、切り替えて行こう!ピンチはチャンスだ。川原の得意のフォームは、スリークォータだったよな。あの投球を俺に見せてくれないか?」
と優しくなだめる人物こそが、中西先生だったのです。
そうして僕はマンガの真似をやめて、中西先生のおだてに乗って、このピンチを切り抜けようと思いました。
試合は中西先生が逆転タイムリーを打って、残りのイニングをサスガがピシャリと抑えて、我々の勝利。
試合後のミーティングで、「今日のMVPは誰か?」と僕が切り出して、「逆転打を打った中西先生では」とか「ピッチャーとして、先発とリリーフの両方の役割をしたサスガでは」との意見が出ました。僕がイマイチ不服そうな顔をしていたら、その時、中西先生がこう言いました。
「今日のMVPは川原だよ。こんなに試合を盛り上げてチームに一体感を抱かせたんがから」。
すると皆が「MVPは川原」、という意見になりまして、僕はその時、「中西先生って何て正しい意見の持ち主なんだ」と発言しました。
そうしたら中西先生は、わざとらしく頭をかいて照れるポーズをして、それを見て皆が笑って、僕も笑いました。


中西先生が急死したのは、2014年の8月18日、丁度今頃。仮に、前の日に「人間ドッグ」を受けてても分からない病気だったそうです。

 

・火曜日

今日から夏休み明けです。ムンクの髪の手入れから。

まずは帽子を外します。

ブラシをかけます。

2種類のブラシを使い分けます。

そして帽子を被せます。

リボンを結んで。

出来上がりです。

仕上げは、受付の羽田さんにやってもらいました。

 

・水曜日

診察室のポスターを貼り代えて模様替えする。
皆さんの正面。

入り口は、佳子さまコーナーに。

逆側は、ウルトラマン。

診察テーブル周りは、ゴジラ映画。

 

・木曜日

クリニックの待合室のBGMは、僕が選曲してシャッフルして流してますが、時々、曲を入れ替えます。アニソンやアニメのサントラや歌謡曲に混ぜて、この夏は大瀧詠一の特集をしてましたが、今日それらを変えてみました。

大瀧詠一から新たに吉田拓郎を入れてみました。皆さんは気付くでしょうか?

 

・金曜日

研修医に成り立ての頃、無断欠勤がバレて、ペナルティーで「2週間連続当直」になりました。
医者の当直は、翌日も勤務です。
当直室で仮眠して、呼ばれたらすぐ病棟や救急外来に行くのが仕事。
だから、運が悪ければ、2週間まともに寝れないのです。
でも僕は、へこたれたりしませんでした。それは、「2週間、当直室から家に帰れない泊り込み」という状況が、「日本一のホラ吹き男」の植木等みたいだと思ったからです。

映画で、臨時雇いで会社に入った植木等が配属された部署は、会社にとって何の意味もない古い書類の整理をやる場所です。
「ここじゃ、いくら頑張っても出世はないよ」と先輩から言われます。皆、やる気がありません。
しかし、植木等は、底抜けに明るいテンションで、張り切って、荷物をまとめて会社に泊まり込み、仕事をします。
「そんなにまでして残業代が欲しいのか」という皮肉にも、「いいえ、残業代はビタ一文、いりません」と言って、1人で、書類を全部、片付けてしまいます。
労働組合は残業して残業代を取らないことを問題視し、同じ職場の人間達は「仕事がなくなってしまった」と不満を漏らします。
会社は仕方なく、植木等を他の部署に係長待遇で異動させします。ここからホップ・ステップ・ジャンプ!
東京オリンピックの直後の映画で元・三段跳びの選手だったという設定の植木等は、三段跳びの様に出世して行きます。

僕も植木等のマネをして、家から色んな物を当直室に持ち込みました。
浅草のマルベル堂で、クレージーキャッツのブロマイドをオーダーメイドで引き伸ばしてもらいました。
それを当直室の壁に貼りました。
陰気な当直室が、まるで僕の1人暮らしの部屋みたいに衣替えしました。
評判を聞いて、看護婦さんや他科の研修医も覗きに来ました。皆、「お~」って感嘆しました。
この時の特注ブロマイドは、今もカワクリの待合室のテレビ側のソファの方に貼ってあります。

これは最大限に引き伸ばしたから、ラミネートが出来ない大きさで、結構、ボロボロになってしまいました。
それを当時の受付の大平さんが、補修してくれることになりましてポスターを一時、撤去。

処置室に移動して、テープで切れ目を丁寧に貼ってくれました。

綺麗に出来上がりました。

受付の仕事は多岐に渡りますね。

話を「2週間当直」に戻しますね。
丁度、半分の1週間が終った時点で、調子に乗った僕は、「トニー谷」のブロマイドの特注も発注しました。
そのニュースに異常に反応した人たちがいました。
それは誰だと思いますか?
正解は、病棟のナース達でした。
女性には、つらそうな姿をアピールするより、気丈に明るく振舞った方が母性本能をくすぐることもあるようです。
ナースは一丸となって、僕の味方をしてくれました。
彼女らのナイチンゲール精神は組織立って、医者や教授や医局長に「いくら何でも可愛そうだ」と意義を申し立てました。

「過重労働でミスが起きたらどうするつもり?」
「川原先生だから笑って仕事が出来ているのよ」
「いえ、ああ見えて、顔で笑って心で泣いているのよ」
「あぁ、いじらしい」
「それに比べて、他の医者は川原先生に仕事を押し付けて、楽をしてるのよ」
「他の医者は、ズルイわ」

などと、本来、僕が無断欠勤したのが問題なのに、矛先が他の医者に向いて、実際は、僕は研修医だったから、当直には必ず上級医の先生が日替わりで付いていて、「2週間当直」というのは、半分、洒落で、つまり、学生気分の抜けない僕に社会人の厳しさを教え込ませるための親心であり、問題を大きくしない配慮だったのです。
それは、2週間、日替わりで色んな先輩から、生の知識を吸収できるチャンスを用意してくれたものでもあったのです。
そんな内輪なはからいはナースには通じません。
彼女らは、川原先生を守るためにはストライキも辞さず、の構えです。
病棟でナースにストなどされたら、大変です。
医者が、検温や配膳や採血や保清など、駈けずり回らなければならなくなるからです。
ナース・コールも医者がとる事態になります。
これには上層部もあわてて急遽、僕のペナルティーは1週間で解除されました。
そして、医局長はナースの前で、僕を労う為の1席を自腹でもうける約束までさせられました。
憎憎しげに、医局長が、「川原君、何を食べたいんだ?」と僕に質問しました。
僕は、「うなぎ」と高級な鰻屋の名前を告げ、「個室で、コースにしてね」と答えました。
ナースを納得させるには、こういうのが最善の策でした。
そして、僕と医局長は週末、本当に二人きりで、鰻屋の個室でコースを食べたのでした。何を言いたいかと言うと、カワクリの空間作りのルーツは、この2週間連続当直に起源があったと思うのです。

 

・土曜日

高校の頃からつけていた夢日記に、時々、挿絵も添えていたから、それらをアトランダムにピックアップして、当時の受付スタッフの大平さんに塗り絵をしてもらい、コメントもつけてもらいました。

・カラス貝のマニキュア女vsトラディショナル・ブルー~瞳~少年風(1981.9月:川原少年19才の作品)


カラス貝は黒?色っぽいは何色?紫かな・・・

・手のひらを太陽に(1982.1月:川原少年19才の作品)


こういうポスター学校とかに貼ってありましたよね。

・小田急線のひとコマ(1982.2月:川原少年19才の作品)


この絵、座ってるとこ上手くかけてますよね。

・本厚ちゃん(1982.3月:川原少年19才の作品)


かわいくしたかったのに無理でした・・・。

・伊代はまだ(1982.8月:川原青年20才の作品)


腕が長いですね。先生が20歳の頃、松本伊代が流行っていたんですかね。

・天才の誤算(1982.9月:川原青年20才の作品)


靴が素敵なんですよ。

・テスト前日(1982.12月:川原青年20才の作品)


こういうよく分からない絵を塗るのって楽しいです。

・カルピス(1983.5月:川原青年20才の作品)


カルピスのボトルに書いてある帽子をかぶったやつが可愛い!!

・誕生日。小指と小指をつないで歩く、理科室でキス(1983.7月:川原青年20才の作品)


理科室のガイコツ懐かしいですね~

・夢見る年頃~36/38≒95(1983.8月:川原青年21才の作品)


夢の展覧会の絵の中で私が気に入っている第3位。

・野球大会(1983.8月:川原青年21才の作品)


先生の書くドラえもんは丸くない!

・クリスマス・イブ(1983.8月:川原青年21才の作品)


夢の絵の中で1番かっこいい絵だと思います。

・恋人峠の昼下がりPart.2(1983.9月:川原青年21才の作品)


夢の展覧会の絵の中で私が気に入っている第1位。

・すっかりトロピカル(1985.7月:川原青年22才の作品)


陽気な感じと南国な感じが夏にピッタリの絵です。

・明日のイブはRC(1985.12月:川原青年23才の作品)


8時42分に何が起こったんでしょう。

・直ちゃん(1987.6月:川原青年24才の作品)


これは塗りやすい絵だったんですが、サインペンで色を塗るのは難しくて、
色鉛筆にすぐに戻しました。

・Hanesの白のTシャツに血を滴らせてしまった(1987.6月:川原青年24才の作品)


私も白い服にシミができた時こんな顔します。

・元・日本軍の男と、ユキヒョウ(1987.7月:川原青年24才の作品)


「ユキヒョウはどこにいるんですか?」と塗っている時に不思議でしょうがなかった絵。

・大船観音がくずれた(1987.7月:川原青年24才の作品)


観音様のお顔だと気づかず、先生に言われて気づき塗り足しました。

・みつけてくれたらキスしてあげる(1987.7月:川原青年24才の作品)


真ん中の子にと左の子にかわいさをプラスしました。気づきましたか?

・甘くて冷たいアイスクリーム・ベイビー(1987.7月:川原青年24才の作品)


この絵のタイトルを知らない人から「31アイスみたいだね」と言われ
塗り絵レベルが上がったと実感し嬉しくなりました。

・気がつけば兵隊(1987.7月:川原青年24才の作品)


みんなの表情がいい。

・アイスもハシャいでる、僕は日焼け(1987.8月:川原青年25才の作品)


また、アイス!後ろの2人は羨ましがってるのかな。

・ダチョウ(クジャク)ともも焼き(1987.8月:川原青年25才の作品)


ダチョウ(くじゃく)って全然違う鳥だけど・・・

・僕は照れる(1987.8月:川原青年25才の作品)


川原先生はいったい何に照れたのか?

・新宿地下の靴専門店(1987.8月:川原青年25才の作品)


この失明者用の靴は指の先が触覚の様に動くと先生が説明してくれました。

・念力(1987.9月:川原青年25才の作品)


念力は見えないから何色にしようか迷いました。

・渡り廊下の窓から連中が手を振る(1987.9月:川原青年25才の作品)

渡り廊下だと気付かず、カラフルにしてしまいました。
ちなみにこの絵左側にいるのは川原先生で
研修?授業?かなにかをさぼって帰るところのだそうです。
手に持っているのは白衣だと言っていたのですが、
私には抱き枕かぬいぐるみに見えました。

・脳外科はじまる(1987.9月:川原青年25才の作品)


これは一体何でしょう???

・お前はストーブの前でのびていた。あくびしかしなかった(1987.9月:川原青年25才の作品)


これ、色を塗っていたらよく分からないパーツがあって、そこだけ着色しませんでした。

・聴神経腫?すぐに手術(1987.10月:川原青年25才の作品)


わかめ・・・

・宙に浮く機械(1987.10月:川原青年25才の作品)


宙に浮く機械!夢っぽいですね。

・すいみんやくが欲しい(1987.10月:川原青年25才の作品)


夢の展覧会の絵の中で私が気に入っている第2位。

・明るく生きるコト(1987.10月:川原青年25才の作品)


川原先生はカラフルなボーダーが好きらしいです。

・オバQが正ちゃんのクラスの記念写真に写ってしまった。皮膚科テスト、60点。(1988.7月:川原青年25才の作品)


記念写真にオバQ写ってたらおもしろいですよね。

・ウサギに乗って空を飛ぶ(1988.12月:川原青年26才の作品)


いい夢ですね~。ウサギに乗ったらもふもふなのか。

・すべては幻想である(1989.1月:川原青年26才の作品)


ヒョーロン家が怪しい。

・柔道(着)一直線!激しい視線の火花が散る(1989.4月:川原青年26才の作品)


三角関係ですかね!!!

・世代交代の口約束(1995.3月:川原中年32才の作品)


先生の描く力士はなんだか可愛い。

・2002.8月6日からの夢日記の表紙:先生不惑の40才の作品


【塗り絵を終わって~大平さんの総評】
この夢の絵に色づけするとき『これは何だろ?、川原先生の夢だからこんな色でもいいかな』と、
タイトルを教えてもらうまで何の絵かも分からなかったり、
普段の私だったら使わないような色で塗ってみたりという絵がたくさんありました。
自分じゃない誰かの絵を塗るのって面白いですよね。
それが川原先生の描いたなんか可愛くて奇妙な夢の絵だからもっと面白い。
何ヶ月かのあいだ、受付業務の合い間のちょっとした楽しみの1つでした。
この夢の絵の中には
私より若い頃の先生が描いた絵もあるんですよ・・・。
なんだか不思議な気分になりますね。

 

次号へ続く。