不器用ですから。

21/Ⅹ.(水)2020 くもり。今夜、オリオン座流星群が見頃。

野球漫画の傑作はいくつかあるが、「ドカベン」の作者・水島新司が作画だけを担当した「男どアホウ甲子園」は今の若い人はもう知らない人もいるかもしれない。
主人公の藤村甲子園のおじいちゃんが大の虎キチで、甲子園球場のグランドキーパーの仕事をしている。好きが高じて孫の名前を「甲子園」と名付けた。
その子が野球をするために生まれてきたような天才児。地肩も強いし、度胸はいいし、根性もある。野球をするために生まれてきたは誉め言葉だが、裏を返せば野球以外にとりえがない。
最近の若い人は器用だし、芸能人もマルチになんでもこなすソツがない人が多い。一方で、日本人の国民性は「これ以外にとりえがない」という不器用な人も大好きだ。
今回はそういう話。
藤村甲子園はピッチャーで剛速球の持ち主。キャッチャーは、豆たん。甲子園の子分みたいなものだ。豆たんは、色んな経緯があるが、甲子園と同じ道を歩む。
それは男心に男が惚れた、キャッチャーとは女房役というものであんさんの行くところ、あっしもお供しますぜ、ってな感じ。
二人の掛け声は、「行くぜ!豆たん!」「はいな、あんさん!」。男どアホウ甲子園。変化球なんか投げたりしない。直球1つで勝負する。
その後、甲子園は東京6大学で一番弱いチームを優勝させる、と男気をみせるが、6大学で一番弱いのは東大だ。
甲子園は野球どアホウ、勉強なんか出来ないが、そこはカンニングを使ってちゃっかり合格。天才の進む道にはいつも神風が吹く。そういうものだ。豆たんも合格。
そして史上初、東大を大学日本一に導くのだ。(これは漫画の話しで、まだ東大は6大学で優勝したことはない)
そしてプロ入り。阪神に入団。
阪神球団は絶対的な評価として、村山実(2代目ミスタータイガース、天覧試合で長嶋にサヨナラホームランを打たれた投手)のつけていた永久欠番である背番号「11」をプレゼントするという。
これは「巨人の星」で星飛雄馬が川上哲治の永久欠番「16」を貰い受けるのと比較して欲しいが、
入団会見で甲子園はそんな名誉を断るのだ。「エースナンバーは、1番。村山はんはダブルエースの11番。ほんならわれはトリプルエースの111番じゃーい」と歴史は自分で作ると言わんばかりだ。さすが、野球どアホウ。
そして背番号111をつけて豆たんと一緒に阪神に入団。豆たんの背番号はたしか222。
藤村甲子園の速球はプロでも目を見開いたが、プロ野球はそんなに甘い世界じゃない。直球1つで通用するものか。
その証拠に同期で入った小野田は剛球カーブや剛球シュートや剛球ドロップなど、速球のままで手元で変化する球を見せ付けた。
嫌がる甲子園を説得し、カーブを覚えさせる豆たん。甲子園はカーブも覚え投球にも幅が出来るが、それを喜ばないのが野球どアホウ。
1軍に昇格し、ミスタージャイアンツ・長嶋茂雄との対戦だ。
甲子園は自慢のストレートを2つ続けて投げた。長嶋はフルスイング。打球は2球ともバックネットにつきささる。
甲子園の球威に長嶋が押されたともみれるが、タイミングがぴたりとあっているとも言える。
勝負の3球目。ミスターも甲子園も、男と男の戦い、直球で勝負の心づもり。
そこで豆たんが、甲子園に出したサインはカーブ。豆たんは甲子園の分身みたいなものだ。なぜここでカーブを要求?プロ意識の目覚めか?豆たんの自己主張なのか?
葛藤する甲子園。直球1本に的を絞るミスター長嶋。
カーブのサインを譲らない豆たん。気持ちを決めた甲子園は大きく振りかぶって3球勝負。投げた球はストレート。待ってましたと長嶋茂雄。バットがボールの芯をとらえた。
次の瞬間、甲子園の球威に長嶋のバットが折れ、ボールはそのままチップして背後に飛ぶがキャッチャーミットにおさまり3球三振。それを受け止めた豆たんのミットの構えはストレートを待つ姿勢だった。
豆たんはあえてカーブのサインを出しその通りにしない甲子園の行動原理を理解した上で、甲子園の潜在能力を怒りとして引き出したのであった。
長嶋はネクストバッターズサークルの王貞治に「すごいのが現れたぞ。ワンちゃん、あとは頼む」と言い残す。時代は昭和49年、ミスター長嶋茂雄が引退する年のことである。

生前、立川談志がジミー時田のことを「あいつはだらしなくて、酒癖が悪く、女にはすぐ手を出し、貸した金は返さない、うそつきで、貧相。でも、ギターを弾かせたら、『どうでぇ、これが俺の友達だ』と自慢したくなる奴」と絶賛していた。「プロ」っていうのはそういうものなのかもしれない。

今朝のワイドショーで、Jリーグの選手が女性へのDVで逮捕されたというニュースをやっていた。包丁を持って脅すなどとんでもない男だ。
テレビ局の取材に答えた知人の証言だと、「元々、自己中でケチな男だった」そうだ。火のない所に煙は立たず、きっとろくでもない人間性なのだろう。
人生は長い。
一度しくじったからそれで終り、ではなく、セカンドチャンスは与えて欲しい。
この男の罪がどの程度のものなのかは知らないが、きちんと罪をつぐなったら、サッカーに復活すればいい。
僕はサッカーのことなど何も知らないが、どうせこの男はサッカーしか能のない、サッカーどアホウなのだろう。
自粛期間に変に清掃活動やボランティアなどせずに、ひたすらシュート練習をすべきだ。
復帰戦で4ゴールくらいしたら、サッカー界のジミー時田になれるぞ。

BGM. 海援隊「JODAN JODAN」(ジョーダン・ジョーダン)


子供もつらいよ。

19/Ⅹ.(月)2020 雨。「鬼滅の刃」公開3日で興収46億円スタート❗️新海誠監督「君の名は。」越え。

ベビーシッターによる幼い子供へのわいせつ事件が相次いでいることを受け、厚生労働省は事件を起こしたシッターの情報を自治体間のデータベースで共有する仕組みづくりに乗り出した。ネットでは、男のシッターはやめた方がいい、という意見も散見されるが、それは男女差別で、女の中にも「幼女にいたずらしたい」という人もいるから変質者を男女で区別してはいけないと思う。

先日、Eテレの「すくすく子育て」をみたら、「見守る育児」の特集だった。
その中で育児のプロが子供の見守り方を実践系で指南するコーナーがあったが、そこに出てきた幼稚園児くらいの男の子はミニカーをピアノの鍵盤の上で自慢げに走らせていた。
しかし、これはいけません。ピアノが傷んでしまいます。そこで育児のプロ。さすが無理矢理それをやめさせるのではなく、その子は直接鍵盤を弾くと手が痛いからミニカーを使ってるのだ、
それならば柔らかいものに代えればいいと機転をきかせ、おもちゃ箱からその子の好みはともかくとして、柔らかいものを探し出し、(ボロ雑巾のようなカエルのミトンだった)それを男の子に渡し、「ほらこれでやりなさい。プシューって走らせなさい」と言い聞かせ、一件落着。テレビカメラが入って興奮気味だったその子も、カメラに向って苦笑いしながら、自分でチョイスした訳でもないカエルの雑巾でピアノを弾かされていた。なんか同情した。
僕は子供の頃からよく家に人が出入りしてたからサービス精神で自分のおもちゃを来客に遊んで披露したものだ。それをみて大人が「子供らしい」と微笑むのも計算の上、やはり人が来るとテンションが上がるのだ。
ましてやテレビカメラが入ってきたらどうだろう?そりゃ興奮すると思う。好きなミニカーで、こんなとこも走っちゃうぜ、ってピアノの一つも走路にするだろうよ。
代えるのならミニカーじゃなくて、滑走路の方にして欲しかったぜ。

そんなことよりこの番組、司会が古坂大魔王なのだが、そのオープニングの登場シーンで流れる曲が、「化物語」の千石撫子の回の「恋愛サーキュレーション」のイントロだった。
あれ結構、やばいでしょ。中学生にスクール水着を着せて悶えさせたりする(とり憑かれた蛇の怪異をとるためだが)シーンは都条例にギリギリだとも聞いた。
まさかそんなことを喚起させる曲をBGMに使うのは僕の聞き間違えだと思ったが、番組の終わりに思いっきり、「恋愛サーキュレーション」がかかっておしまいのテロップが流れた。「すくすく」のすくと、「スクール水着」のスクを掛けたのか?そんなバカな。
やはりEテレってすごいな。時々、チェックしないと。

BGM. 千石撫子(花澤香菜)「恋愛サーキュレーション」


心の護美箱(26)~大学受験

17/Ⅹ.(土)2020 雨 関東で寒さ12月並み、体調注意。小林幸子、始球式で投げず。

さて、心の護美箱(25)もいっぱいになったので、(26)を作りました。
はじめて、このブログを読まれた方は何のことだか、判りませんね。
とりあえず、グチを書き込めるページなのです。
ここでも、非公開を希望の人は、そう書いてくれればアップしませんし、こちらが判断して「不適切」なものはアップを控えます。
まぁ、グチに限らず、要望や苦情やエールやラブレターでも構いません。この記事に関する感想コメントなら、尚結構!

 

今回のテーマは、大学受験です。コロナもあり、今年は大変そうですね。頑張れ、受験生❗️

 

①2015年1月4日 「語が苦」

僕の通っていた学校は中高一貫の男子校で6年制の学校で僕はブラバンに所属していたから中1の時から「高吹連」のコンクールに出ていた。中1が1年生で、高3が6年生みたいな感覚。
年明けは、高3の先輩の進路の話題になる。毎年、大抵、ふざけた先輩が一人や二人はいて、「俺、東大、受けてくるから。ヨロシク!」と言って、そういう事を言う人は、決まって、成績が悪い。
そういうのを「記念受験」って呼んでいた。つまり、冷やかし、ですね。
だけど、「記念受験」をした先輩が、「東大?受けたけど、落ちたよ。やっぱ、難しいね。歯が立たないよ」と笑う姿と、往年のプロレスラーが、「ルー・テーズ?戦ったことあるけど、完敗だったね。歯が立たないよ」と回想するシーンは、どこかちょっと似たニュアンスがあって、僕はいいなと思ってた。
だから、僕も高3になったら、「記念受験」をしようと決めていた。やっぱ伝説のレスラーとは戦っておきたい。ところが、そんな先輩方のふざけた態度への対処策か、僕らの前の学年くらいから「共通一次」が採用された。国公立を受ける人は必須で、私立受験には関係がなかった。うちの学校は高2で、「理系」と「文系」が見事に分かれ、「理系」は「理系」しかしないようなカリキュラム。国公立を受ける人は少数でそういう人は、別に授業を選択してとっていた。だから生徒よりも先生の方が、「共通一次」の対策で大変だったみたいだ。
僕は中1の時から「記念受験」はするつもりだったから、「共通一次」に申し込んだ。
しかし、ここで2つ問題点が浮き上がってきた。
1点目は、東大は所謂「足きり」というのをやるから、「共通一次」で高得点を取らねば受験出来ないシステムになっていた。英・数・国が200点づつで、理科を2つと社会を2つ選択して各100点づつ合計1000点満点で、900点くらい必要だった。
理科と社会は4つのうちから2つをその場で選択して良いから、解き易い問題が多いのをその場で決めようと思った。「共通一次」にはマークシート方式が導入された。当時はシャーペンはダメで鉛筆のみ、「HB」と指定もあった。僕は普段、4Bくらいの濃い芯を使っていたから、試験前に文房具も揃えなければいけなかった。ついでにマークシート対策として鉛筆の6面を削って、サイコロのように①~⑥の数字を書いて判らない問題は、これを転がして出た数字に丸をつけることにした。共通一次は記述式より選択式が多かったから、こういう必殺技が編み出された。なんとか、これらで足きりを突破しようと考えた。無謀だった。ま、それでも、記念受験にこだわった。後輩に、「俺、東大、受けてくるから。ヨロシク!」って言う文化を残したかった。これが1点目の問題。
2点目の問題は、もっと深刻だった。
なんと僕は学年末テストの英語が赤点で追試だった。その日程が、共通一次の二日目とかぶっていた。僕は職員室に、「共通一次があるから、英語の追試は受けれないんスけど~」と言いに行くと、「何!?」と大騒ぎになった。只でさえ、職員室は不慣れな共通一次で大わらわなところに来て、卒業もあやうい生徒がそれを受けると言うのである。
追試とは学年末試験の一回をしくじっただけで卒業出来ないのは可愛そうとの救済措置だ。共通一次は我が校では数名の成績上位者が受けるものだ。
教師達は、まさか「追試」と「共通一次」の日程がかぶる生徒が出るなどと想定していなかった。担任は、この時、初めて僕が共通一次に出願していることを知り、「お前なぁ」とあからさまにあきれ顔をした。そのやりとりをみつけた、英語の担当のハゲ山が「追試を受けない者には単位はやらない!」と割り込んできた。ハゲ山は、そのビジュアルから、いにしえの先輩がそう命名して、我々の代まで伝承され続けているあだ名だった。
「今、担任と話してる所なんだけど邪魔しないでくれる?」と僕が言うと、もっとギャーギャー言い出した。「受験生には、『落ちる』とか『すべる』って禁句だって知ってる?センセーの頭を見てると、『すべり』そうで縁起悪ぃんだよ」って僕の口が滑った。
ハゲ山は真っ赤になって怒り心頭だった。ゆでだこのようだった。
「まぁ、待て」と担任が割って入って、「お前、冷静になれ。学校のテストで追試の奴が東大に受かるか?」と諭すように言った。
僕は、「あんたは、自分の生徒を信用できないのか!?」と担任の目をにらみつけた。わずかに担任が視線をそらした時。僕はここが勝負だとたたみかけた。なるべく優しい声で、スローなテンポで、催眠術師のような声色で、「自分のクラスから、東大生が出たらどうなる?職員室の中で、株が上がるんじゃないか?」。すると瞬間、担任の目が賭博師の目に変わった。「お前、本気か?」。「中1の時から、決めてることだ」。…しばしの沈黙の後、担任がバクチ打ちのような口調で言い放った。「判った!受かって来い!英語の追試は俺がなんとかしてやる!」。「やり~!そう来なくっちゃ!じゃ、俺、共通一次、受けてくるから。後のこと、ヨロシク!」。と言う訳で、僕は英語の追試を免除され、共通一次を受けれた。
共通一次と云うのは、比較的、基礎的な問題を出して、難問は出ないと聞いていた。
だから、とりこぼさないように、ということだった。
結果ははまぁまぁ出来た。社会と古文&漢文は、「サイコロ鉛筆」が大活躍。
しかし、問題の英語が全然、出来なかった。そりゃそうだ、本当なら学校で追試を受けてるはずなんだから。試験当日は、大雪だったが、番狂わせは起きなかった。
まぐれはなかった。翌日、学校に集まって、自己採点をしたら、結局、足きり。
一応、職員室に報告すると、担任は「わかった。すぐ切り替えろ。腐るな!」とまるで野球部の顧問のようなゲキを飛ばした。ここは、もう少し、具体的な受験の必勝法とかを伝授すべきじゃないのか?精神論で何とかなるもんじゃないぞ。
そう僕が思ってると、またまたハゲ山が近付いて来た。
「追試は、大目に見たが、まだ単位はとれてないからな。私大受験までに、これをやれ」と分厚い課題を渡された。
「重ぇ~よ!ふざけんなよ!こっちは、これからラスト・スパートなんだ。学校の課題なんかやってられるか!」と思った。教室に帰って、ブツブツ、文句を言ってると、「ちょっと見せて」と英語が出来る子が、ハゲ山の課題に目を通した。そして、「これ、学年末試験の範囲だけじゃないよ」だって。「何だ、それ?」。「高校の全部の範囲から出てるよ」。「マジか?」。「ハゲ山先生も、これ作るの大変だったんじゃないかな」。「じゃ、お前、やるか?」。「冗談じゃないよ。それに、これ、かなり偏ってるよ」。「嫌な奴だな!そんな所にエネルギーかけやがって。陰険だな。ムカつく!」。
すると、クラスの皆が、「そうだ!そうだ!陰険だ!」と受験のフラストレーションをここぞとばかり爆発させた。しかし、課題をやるのは、僕だけだ。
そこで僕は担任に文句を言いに行った。「お前、なんとかするって約束しただろ。どうなってんだ」って。すると、担任は、「ま、形だけ、やっとけ!出せば良いんだ。出せば!」と珍しく的確なアドバイスを寄こした。僕は担任の言葉通りに、チャチャっとレポート用紙数枚にマンガを描いた。ハゲ頭の男が物を持ち上げて「Up!」、ハゲ頭の男が物を下げて「Down!」、脇に置いて「Side!」ってな調子で。↓。

 


後は、「励ます(ハゲ増す)」とか「儲けが無い(もう毛が無い)」とかの英単語とマンガの挿絵を描いて、クラスの皆はそれを見て、ゲラゲラ笑っていた。一番受けたのは、デンマークの地図を書いて、「首都は?」、「コペンハーゲン」。もはや、英語じゃないし。「ハゲ」って言いたいだけだし。片仮名だし。
でも、これはとっても受けて、卒業までの短い間、ハゲ山のあだ名は、「コペン」になった。後で知ったのだが、僕の幾つか下の学年では、「ハゲ山」は「コペン」と呼ばれていたそうな。民間伝承とか街談巷語ってこうやって発生するんだ。
ちょっと話はそれるが、すぐ元に戻すのでご安心を。僕が大学生になった時、友人から、青山に出来たアイスクリーム屋に、行列するバイトに行かないかと誘われた。僕は断ったが、後で聞いたらそれが、ハーゲンダッツの日本初店舗の行列のサクラ、のバイトだったらしい。もし、僕が高校生の頃に、ハーゲンダッツが日本に進出していたら、ハゲ山のあだ名は「ダッツ」になってたな。
ま、そんなレポートをコペンに提出したら、「単位はやる。でも、課題は課題だ。ちゃんとやれ」と負け惜しみを言いやがった。「ま、暇な時ね~」と、単位を貰っちまえば、こっちのもんだ。で、僕は私大医学部の傾向と対策にとりかかる。
医学部のそれは、ちょっと癖があった。
数学は、数Ⅲはほぼ出ない。その代わり、ひたすら計算させる問題が出る。知力より体力。電卓でいいじゃん、って感じ。医学を志す者はスタミナが必要だという警告か、わずかなミスも許されない世界への通過儀礼か、機械に頼るなという暗示か。
物理は、原子物理がかなりのボリュームで出る。やっぱ、放射線治療とかがあるからか。化学もやっぱり、そんな感じだが、学校によって特徴的な差があった。
ただ、英語の「ヤマ」だけが読めなかった。過去問を解いてるとなんか癖はあるのだが、はっきりは判らない。まぁ、そもそも、英語に「ヤマ」もあったもんじゃないだろうが。
僕の勝負のポイントは、数学で稼いだ分の点数でどれだけ英語をカバー出来るかだった。英語が足を引っ張らないか、だった。
結果は、全滅。浪人確定。国公立の試験(僕は受けない、足きりだから)を待って、予備校の選抜クラスの試験が待っている。しかし、2週間くらい、ちょっと間が空くのだ。その間にだれてしまい、暗記物はほぼ忘れてしまった。駿台の試験は落ちた。なんとか代ゼミのクラスに受かった。その合格通知に喜んでいたら、親が、「予備校に受かって喜んでてどうする!?」とデリカシーのないことを言った。
予備校の4月開講までには少し時間があった。ふと、暇が出来たので、コペンの作った課題をパラパラっと見てみた。僕はそれを見て驚愕した。そこには、僕の受けた大学の入試試験と似通った問題が並んでいた。英語が出来る子が、「偏った問題」って言ってたのは、医学部用に「ヤマ」を張ってくれてたのだ。これやってりゃ、受かってたかも~
ごめんね、コペン。良い奴だったのね。と言う訳で、先生の言うことは聞いた方が良いという教訓でした。

 

②2018年8月16日 周期表の覚え方~受験生、必見!乙女、閲覧注意!

東京医大の女子受験生差別の問題は、なかなか世間にインパクトを与えましたね。
頑張れ!受験生!と言うことで、女子受験生に、微力ながら尽力しようと、化学の周期表のエッチな覚え方を教えましょう。前にいた受付が、「これを私がJKの時に知ってたらあんなに苦労しないですんだのに」と言わしめたものです。
これは、僕が高校生の夏に参加した、ある医学部専門予備校の夏期講座で、先生にではなく、そこにいたエッチな女子浪人生に教えてもらったもので、後にも先にも、こんな卑猥な覚え方を口にしてる人を知りません。ただ、丸暗記というものは、バカバカしいものや下品でくだらないものの方が忘れないものです。30年以上、経ってるのに覚えているもの。

周期表の覚え方というと、元素番号1-20を横読みした「水兵リーベ、僕の船~」が有名ですね。でも、これは一般的な分、全然エッチじゃないし、(エッチじゃなくてもいいんですが)意味不明ですね。
それに比べて、この後の、元素番号21以下と、つづいて、縦読みの「族」すごいですよ。
意味、判るし。むしろ、絵が思い浮かびます。
それでは、受験生、必見!乙女、閲覧注意!彼女の手ほどき開始です。

 

Sc Ti V Cr Mn Fe(鉄) Co Ni Cu(銅) Zn(亜鉛)

→少し、ちんこは、ヴァギナより黒い、まんこってコンドームにどう合うの?

1族・H Li Na K Rb Cs Fr

→変な淋病、何故痒い。ラブしすぎてフラフラ。

6族・Cr Mo W

→黒い物は、ワンダフル。

13族・B Al Ga In Ti

→ブーして歩いて我慢する、インテリ。

14族・C(炭素) Si Ge Sn(すず) Pb(鉛)

→たんすの下に現金、すずなり。

15族・N P As Sb Bi、これは「ニッポンの朝は酢豚にビール」が有名ですが、彼女は違います。

→ねぇ、パパ、あそこ、しゃぶってビンビンよ。

16族・O S Se Te Po

→お~、すげぇ~、世界は、てんで、ポルノブーム。

17族・ F Cl Br I At

→ふっくらブラジャー、私がアタック(Iを、英語の一人称として読みます)。

18族・He Ne Ar Kr Xe Rn

→変なねぇちゃん、歩いて狂って、セックス・ランニング。

 

僕は当時、高校生で、彼女は浪人生で年上で、だから仲良くしてもらって少し大人になった気がしてた。彼女は不良で、今で言う、援助交際をしていたらしく、しつこい相手だと「疲れる料」をとり、あっさりした相手からは「物たらん料」を巻き上げると、うそぶいていた。
ひと夏しかその塾に行かなかったから、その後彼女がどうなったのかを僕は知らない。


文化部通信~その拾~秋の文化祭・川原ヒストリア

こんにちは、文化部通信も、第10弾!スーです。

クリニックに貼ってある少年時代の写真を誉められてご機嫌です。自身の写真を浅草のマルベル堂に持って行ってブロマイドにするかと少々浮かれ気味の男、川原。(敬称略)

秋の文化祭シーズン、私への命令として、

昔の写真をチョイス&コラージュ

恐れ多くて私は選べないので先生自身で選択してもらいました。選べませんよ、恐れ多くて。

元は入口の、高木さんコーナー

その下の、おそ松さんのポスターの裏地が白だからそこに貼る

大事な写真原本なので、100均で買ったカード入れに写真を収め、

普段ほとんど活動していない高校写真部の文化祭での展示物のように写真を貼れば出来あがり

入口ドアにあるのでご覧下さいね。

私のお気に入りは、海水浴場で気をつけの姿勢で立っている川原少年です。広い大海原を前にして礼儀正しいですね。

結論、子供と動物と蛭子能収には勝てませんね(?)

次回は文化部員のヒストリア?幼少期の水着や晴れ着や変顔、あこがれのウエディングドレスの公開まであるかも。もちろんうそです。


人間ドックのご報告

10/Ⅹ.(土)2020 台風。昨日の「グッとラック!」池袋事故のニュースで、フワちゃん号泣。

木曜日のロンドンハーツ3時間スペシャルは、女性タレントの体力測定&運動会。総合で、みちょぱが史上初の4連覇を果たしたが、志村けんイズムを継ぐ女=磯山さやかも体操着で登場。磯山さやかはユーチューブにも進出し、ひたすら唐揚を食べるという癒しの動画を配信中と評判だが、今、クリニックのパソコンの壁紙は、磯山さやかが体操着で唐揚を食べてるものだ。話は脱線したが、磯山さやか36才は、走り高跳びで早々と脱落したが、残りの優勝者を決めるのを待つ時間が嫌なので、そのコーナーを取り仕切り、バーの高さを一気に7センチ上げさせたりして、自分は競技には参加せず「これをクリア出来るのは4人ね」などと予想屋みたいなことをして、オアシズ・大久保的なポジションをうまくこなしていた。

何を言いたいかというと、健全な精神も大事だが、その器としての体や体力も重要だということで、皆さんにご心配かけた、カワクリ夏休み中の人間ドッグのご報告です。

結論から言うと、僕の人間ドックはまるで無事でした。
数年前に「大腸ポリープ」を切って、細胞診に出して、結果を聞きに行かないまま、その後の検査をしてないから、腸の覚悟はしてました。
また数ヶ月前、救急搬送された時、脳の大動脈瘤を指摘されてたので、脳も。今回の検診はその二つが軸でした。
しかし、結果はあっさりしたもので、「胃腸はきれい」で「脳の動脈瘤も消えてなくなっていた」とのこと。
宗教変えたのが良かったかな?うそです。という訳で、肥満以外は何も問題なかったです。最後に医者と話すのですが、その医者が「骨密度が低いから、病的骨折に注意」と言いました。病的骨折とは、ほんのちょっとぶつけた位で骨が折れてしまうことだそうです。予防はカルシウムの多い食べ物を食べる事だそうで、「たとえば、牛乳飲みますか?」「いいえ」。「チーズやヨーグルトは?」「嫌いです」。「小魚を丸ごと食べるのも良いです」「あっ、それならこないだ、天然鮎の塩焼きを頭からかじって骨まで全部食べましたよ。内蔵もね、食べちゃう。ただ天然鮎がなかなか無くてね。養殖物は緑っぽいけど天然物は金色をしてますからね。香りも天然物はスイカのにおいがする」と僕が答えると医者は「……」、僕がもう一度「天然鮎は金色でスイカの香りがしてね。中々無くて。こないだその天然鮎をね、塩焼きにして、頭からかじっちゃう。内臓も骨も丸ごと食べちゃう。前に勤めてた岡田さんに、センセーは猫みたい、なんて笑われちゃって」と言うと医者は「じゃ、大丈夫です」と面倒くさそうに話を切り上げました。

今回は、東京ドームの近くのサービスがいいところを選んでもらった。で、今回の豪華なプランは、病院に泊まるのではなく連携してるホテルに泊まります。1日目に問題の大腸ファイバーがあり、そこでもしポリープがあったら即手術の契約で大腸ファイバーでポリープを切除したら、さらに1週間は飲酒・旅行も禁止とのことでした。しかし、セーフ。夕飯はホテルに移り、由緒正しそうな会席料理。そこのおカミがやりてババァみたいで、酒をすすめてくるが、「お前、俺が人間ドックと提携してるの知ってるだろ!そんなもの飲めるか!」と一喝してやりましたよ。明日は胃カメラだから7時半以降の飲食とお酒は禁止の決まりなのですから。

そんな感じで運ばれてくる料理が思いのほか美味しそうで、そしてたまたまスマホみたら、TOKIOの山口君が酒でしくじった、と袋叩き。特にネット住人の彼に対する意見が厳しくて、読んでてつらくなりました。山口君はファンから「達ちゃん」と呼ばれてて、僕も「達ちゃん」だから親近感を覚えたのでしょうか?「人間、酒くらいのむよ。いくらなんでも可哀想だろ」と思い、「せめて俺だけでも味方してやるか、ここで呑まずして男か!」と、日本酒を六合飲んじゃいました。翌日、バレなかったから良かったですが、でも、その後のニュースでみたら山口君の推定飲酒量は、日本酒に換算すると8合らしいですね。…2合、足りなかった。わりぃ。

翌日の胃カメラは鼻から入れてやったのですが、僕の鼻の穴は狭いらしく、なかなか入りづらく、おまけに前の日にルール違反の飲酒をしてたから、「酒臭いのがバレたらどうしよう」という後ろめたさも加わって、罪悪感が強まると人間は逆ギレするようで、僕は「いて~よ!いて~よ!」と大騒ぎしました。すると、介助についていた看護婦さんが「大丈夫ですよ。力を抜いて」と優しく耳元でピアニッシモで囁いて、僕の手を握り、肩から腕のあたりを優しく何往復もさすってくれました。とても心地よくて安心しました。その看護婦さんは「沼倉さん」と言う名で、上の一文字「ぬ」を抜くと「まくら」になるから、安らげるサブリミナル効果もあったのかも。
これは案外、ウケルかもしれない。つまり、一方で痛い事をして(たとえば、ペンチで生爪を剥ぐ)その背後から優しく「大丈夫ですよ。痛いですね。可哀想に」などと言いながら背中をさするサービスです。「沼倉さん」を引き抜き、後は採用する人材も名前に「まくら」の付く人を募集。たとえば、山倉さんとか生倉さんとか鎌倉さんなど。でも、これって風俗扱いになっちゃうのかな?着衣でも十分、いけるのだが。
ま、そんな訳で病院のアンケートには、「ナースの沼倉さんのナイチンゲール精神に救われた。彼女にボーナスを!」と書いておきました。ほんの気持ちです。

という訳で僕は元気です。だから皆さん、全力でぶつかって来て大丈夫ですよ!ご心配かけました。

BGM. 薬師丸ひろ子「すこしだけやさしく」


心の護美箱(25)~ハチュウルイをかう

6/Ⅹ.(火)2020 はれ 新庄、おおみそか、RIZIN??

石原さとみ、が結婚したというが、綾瀬はるか、や、長澤まさみ、との区別に一瞬、迷う。昔、松本伊代と早見優の差がわからないという大人を小ばかにしてたが、それと同じ現象が身に降りかかった。

若い頃は、町を歩く女の子や進学塾や電車の中でみる女子など可愛い子が多かった。毎日、どこかで恋をしてた気がする。当時と比べたら最近の人は素人でも芸能人のようにレベルが高く綺麗だと思うが、町を歩いてて振り向くような人はいない。これが老い、という名の年相応の女性への興味・関心の低下なのか、はたまたうつ病になると性欲が落ちるというから病気の前兆かしら?しかし、いい年して町歩いてる女に一々心ときめかせてるのもビョーキか。

僕の10代後半は80年代前半の何をやっても無意味…みたいな空気感が、背景にあって、そこから時代はビニール本→裏本→エロビデオ→裏ビデオ→AV女優のアイドル化と、エロはサブカルチャーの主流として目覚しい発展をとげてゆく。僕はそんな昭和のエロ文化の成長とともに、子供から大人への階段を昇った。だから単に今の文化のデジタルの媒体が合わないだけなのかもしれない。その頃の、作品をみたら、何か感じる事があるかもしれない。「うつ病」かどうかの判断はそれからでも遅くはない、と、中野まんだらけ、へ出かけた訳でして、「まんだらけマニア館」にも久し振りに顔を出した。
すると、「羽中ルイ」のマンガがあった。
羽中ルイ、は70年代後半から80年代初頭にかけて、僕が多感な時期にエロ雑誌にマンガを発表してて単行本を量産していた漫画家だ。僕は懐かしくなって、羽中ルイ、のマンガを2冊レジに出したら、店員さんに「爬虫類、好きなんですか?」と親しまれ、「?」と思ったら、「羽中ルイ」って「ハチュウルイ」って読むって初めて知った。僕がハイティーンの頃は、「ハナカ・ルイ」とか、「ハネナカ・ルイ」と読むと勝手に思い込んで、当時、それを共有する友人もいなかったから、これまで30年以上も訂正されずに来てしまった。
まさか、「羽中ルイ」の読み名が「ハチュウルイ」というダジャレ名だとは思いもしなかった。そんな衝撃を受けた僕は、まんだらけにある、羽中ルイ、のマンガを1冊600円くらいを、全部買って、8000円くらい使った。↓。

羽中ルイ、は漫画エロトピアとかに描いてるすごいやらしいマンガだったと記憶しているが、とは言っても、今の皆さんが初見で「羽中ルイ」をみてもなんとも思わないと思います。ただのエロ漫画だと思うでしょう。

さて、心の護美箱(24)いっぱいになったので、(25)を作りました。
はじめて、このブログを読まれた方は何のことだか、判りませんね。
とりあえず、グチを書き込めるページなのです。
ここでも、非公開を希望の人は、そう書いてくれればアップしませんし、こちらが判断して「不適切」なものはアップを控えます。
まぁ、グチに限らず、要望や苦情やエールやラブレターでも構いません。この記事に関する感想コメントなら、尚結構!

さて、今回の記事は、ハチュウルイ、についてです。↓。

 

5/ⅩⅠ.(木)2015 亡き母の誕生日
爬虫類に詳しい人から池袋のサンシャイン60で「大爬虫類展」をやると聞いた。
爬虫類の展示即売もするらしい。
それがうっかり家族にバレてしまった。
家族は口々に、
「行っても良いけれど、何も買ってきちゃダメよ」
「誰も世話する人が家にいないんだからね」
「飼っても、可哀想なのは、その爬虫類なんだからね」
「本当に好きならやめてあげて」
「むしろ、爬虫類展には、行かない方が良いんじゃないか」
「見たら絶対、欲しくなるものね」
「欲しくなったら、絶対、買ってきちゃうものね」
「やっぱり、爬虫類展には行かない方が良い!」
と寄ってたかって、多勢に無勢だ。
民主主義に乗っ取って、仕方なく、僕は爬虫類展に行くのをやめた。
代わりに、オオトカゲのフィギュアを買って、診察室に置いた。↓。


受付スタッフは朝に診察室のお掃除をしてくれるのだが、知っていても毎朝ドキリとする、と不評であった。
今回は特別に診察机の上に置いてお披露目。↓。


患者さんからも、「あれ、恐い。隠して」と言われ、それであちこちに移動しているうちに、首のあたりに亀裂が入り、
首の中から下のスポンジ生地がモコモコと出て来て、まるで、憐れなジラースの最後、みたいになってしまった。
ジラースとは、ウルトラマンに出てくる怪獣で、ビジュアルは同じ円谷プロのゴジラに襟巻をした怪獣だ。↓。


おそらく、ジラースはウルトラ怪獣史上、最弱の部類だ。
怪獣博士が、ジラースを作り湖の中で静かに暮らしていたのに、旅行者に発見され、ウルトラマンに怪獣という理由だけで、
何も悪いことをしていないのに退治された。
その時のウルトラマンの極悪非道ぶりは、筆舌に耐えがたく、ジラースをもてあそぶように、からかいながら、たとえば、
ジラースの襟巻を引きちぎり、その襟巻をマントのようにヒラヒラさせて、ジラースは頭から突進することしか出来ない。
ウルトラマンはそれを闘牛士気取りで、サッと身をかわして、おどけて、イジめるのである。
そしてお決まりのスペシゥム光線でやっつけて、ラストは口から血を吹いたジラースの断末魔の表情がクローズアップされ、
ブクブクと湖に沈んで行き、おしまい。
以前、ナースの塚田さんに見せたら、「これはひどい!ジラースが可哀想すぎる!」と怒っていた。
彼女は弱気を助け強気をくじく、正義感が強いからね。
憐れなジラースをマリア様の慈愛の光とともに。↓。


下が、ウルトラマンにやられた、ジラース、のような痛々しさのオオトカゲ。↓。


やはりフィギュアと言えど飼育は難しいのか。
僕は東京都が指定している半透明のビニール袋にお花を添えて、祈りを捧げて、オオトカゲのフィギュアを弔った。↓。


その昔、僕は子供の頃、カメレオン、や、グリーン・イグアナ、なども飼ったことがある。
しかし、当時はヒーターなどの装置もなく、エサもハエを叩いて、半殺しにして与えたりしていた。
これはなかなか難しく、技が必要で、爬虫類たちは動かないと食べないから、気絶だけさせて、全殺し、ではダメで。
その頃の僕は野生児のようで、学校帰りに、トカゲやカエルやイモリやヤマカガシを捕まえてきては、家の庭に放した。
僕の野望はうちの庭で爬虫類と両生類を繁殖させ彼らの楽園を作ることだった。
僕の家の街灯には夜になるとヤモリが群がるのを、理科の教師に自慢したら、「欲しい」と夜に家にやって来た。
<ご自由にどうぞ>、と僕が言うと、教師は「どうやって捕まえるの?」と尋ねた。
僕は、街灯を揺すって、ヤモリの目を回し、ふるい落とし、数匹のヤモリを教師に渡した。
すると、翌日から、学校の狭い廊下で理科教師とかち合うと、向こうが道を空け、「どうぞ」、と言った。
僕は、こんなことで人生の形勢とかが変わるものなんだと実感したものだった。
僕の家族は僕以外は皆、爬虫類(や両生類)が嫌いで、父は池で鯉を飼っていたが、「鯉が食べられてしまう」と怒った。
僕は、<アカハライモリがキンカブトを食べる訳ないじゃないか。バッカじゃなかろうか>とトニー谷みたいに言い放った。
滅多に僕を怒らない母も、目の前で大量のトカゲやカエルを庭に放つ僕の姿をみて、怒っていたな。
僕は、そんな両親をみて、<怒ったって何も変わらないのにな>、と思ったものでした。
その年の川原家の流行語大賞は、「母さん、怒ったって何も変わらないよ」でした。(うそです)。
家族は大変恐怖しましたが、しかし、母の声にびっくりしたのか、ヘビやトカゲはうちの庭からいなくなってしまって、
僕はとてもガッカリした。
あるいは、野鳥に食べられてしまったのかもしれない。女と鳥類は凶暴だな。
おじさんとおばさんの役割とは何か。
唐突だがそんなことを考えてみた。
それは、僕はこう思う。
親が禁止していて、子供が自分の経済力では買えない物をプレゼントする係りだ。
僕のおじさんの住んでいた溝の口の辺りに大きなペットショップがあり、そこにワニが売っていた。
僕は何かの記念日か何でもない日のお祝いに、おじさんにせがんでワニをゲットした。
ワニを池に放とうかとも思ったが、イモリで怒る父だ。ワニを泳がせたら卒倒してしまうかもしれない。
仕方ないから市営プールにワニを連れて行き、一緒に泳いだ。
すると、すぐに係りの者が飛んできて、厳重注意を受け、僕は出禁になった。
なので、僕はそれ以来、夏休みにプールに行くという選択肢が消えた。
だから僕がいまだに泳げないのは、市営プールの警備員のせいだ。
な~んて、そんなことを言ってはいけませんね。
なんでも、他人のせいにするのは、僕の悪い癖で、それは政治や文明や教育や世代のせいだと思う。
両親には僕とワニを厳重に管理する責任があった。
父は庭の隅に、小さなプールを作り、そこで僕らは近所の子供達も呼んで一緒に遊んだ。
子供達はすぐにワニに懐いていた。
ワニの餌は生きたドジョウや、肉を紐で縛り、動かして獲物のようにして食べさせた。
飼育は大変だったが、それなりに面白かった。
しかし、当時は知識も機械も乏しかったから、越冬するのが困難だった。
寒い冬が来ると水温を保てず、ワニは死んでしまった。
ワニが死んだ日のこと。
僕はワニを供養のために、食べる、と言って母を困らせた。
母は、ワニの料理をしたことがない、などと言い訳をして、父は寄生虫がいるからと説得した。
しかし、そんな理性的な理由は僕の衝動にブレーキを掛けるのには不十分だった。
結局、母は鶏のササミか何かを買ってきて、それをワニの形に切り抜いて、フライにした。
その日の晩ご飯のおかずは、「ワニのフライ」だった。
当時は公害の問題で、魚の値段が釣り上がっているという時事ネタを「サザエさん」の4コママンガでやっていて、
サザエとフネが「子供達が魚が好きだから困るわね」と言い、苦肉の策、鶏のササミを魚の形にしてフライにする、
という同じシーンがあった。
その4コマのオチは、カツオがワカメに「大人も苦労してるんだね」とこそりと言い、「協力しよう」と。
カツオが「あっ、魚の骨が刺さった」と口に指を突っ込み骨を取るマネをして、ワカメも「私も」と同じポーズをとり、
サザエとフネが青ざめるというものだった。
僕はそのマンガを見た直後だったから、仕方ない、黙って、「ワニのフライ」を食べた。
淡白で味も素っ気もなかった。
<ワニの肉は言われた通り、本当だ、うまくないね。もう、これからはいいや>
母は安堵の表情を浮かべ、そうして、我が家の食卓に「ワニのフライ」が登場することは、2度となかった。


緊急提言!エロタナ

1/Ⅹ.(木)2020 朝、小雨。中秋の名月なので、受付のスーちゃんに、水晶を月光で浄化指令。スーは恥ずかしそうに夕暮れの大岡山北口商店街でクリスタルを満月にかざす。

芸能人の自殺者が続く世の中なので緊急提言。皆さんは、エロスとタナトスって知ってますか?
簡単に言うと、エロス=「性衝動」とタナトス=「死の本能」です。ベクトルが逆だと思うといいです。なので、タナトス(死)に傾いたら、エロス(性)を増やそう!という企画です。

こないだの、タモリ倶楽部は、あいみょん、と、かまいたちをゲストに迎えて、春画、の特集でした。
あいみょんは、春画のコレクターでもあり、官能小説の回にならって、かまいたち、との共演です。
春画は、放送できませんから、一部、「タモリ倶楽部のマーク」で隠してました。
春画とは現代で言う漫画みたいなもので、性行為をみてる第三者が存在し、その一言が、画面に記されています。
たとえば、夫婦の性行為をみてしまった乳母は、愛液がしたたりおちる、と言いながら興奮しそれの象徴のように画面右で茶釜が沸騰しています。
その解説に、あいみょんは思わず両手を頬にあて体を左右に振ります。
年下の男児を誘惑する女の性行為を覗くのは、女の友人2人で、わたしもあんな子ならしたいは、と言い、画面には初体験の象徴の梅の花弁が舞います。
この解説にも、あいみょんは満面の笑みでご満悦。
そして、あいみょんが選んだグランプリ作品を「お見せできる部分だけ」三角形に切り取って、Tシャツにプリントして、かまいたち山内が着ます。
あいみょんはタモリに「これいい!私、Mステ、これ着て出ます」と大興奮。タモリが適当に流すと、同じセリフを二度言いました。
きっと本当に着て出るのでしょう。その時、タモリがどう対応するかが見物ですね。
ちなみに、あいみょんが選んだ春画は、亡くなった夫の墓石の前で犯される未亡人。犯人は寺の住職です。

下は、10年前のいくつかの記事の編集です。↓。

 

僕が小さい頃、父親は雷おやじだったので~父は大正生まれで戦時中は樺太や満州などで苦学したらしい~いつも怒ってたので、僕は「早く死ねばいいのに」といつもいつも思っていた。
ただ、父が死ぬと生活が困るのは判っていたから、あの世から送金されるシステムができないものかと考えた。
逆に、母が死んだら僕はどうやって生きて行っていいか判らない。だからカルメン・マキの「時には母のない子のように」というヒット曲を聞くとやるせない気持になり、母が死んだら後を追おうと決意した。母が死んだら死ねる場所をいくつかみつける。僕は泳ぎが出来ないので、海や川は候補から外した。死ぬことより溺れることの方が恐ろしいからだ。茅ヶ崎駅から少し離れた所に開かずの踏切があり、そこなら確実だと考えた。何度か下見に行った。
ある日、線路の脇の草むらにエロ本が捨ててあった。中味を見た。オバさんがセーラー服姿で載っていて、吐き気をもよおしたが、掲載されてるマンガがシュールで面白かった。誰かが定期的にエロ本を捨てる場所だったらしく、僕は「エロ本の墓場」と名付け、いつしかそこに本を読みにいくのが愉しみに変わっていた。
エロスがタナトスに勝利したのだ。
後日、茅ヶ崎ライオンズクラブあたりが「有害図書ポスト」みたいなものを設置してエロ本の不法投棄はなくなった。小学校低学年の頃である。そして僕はその頃には、あまり真剣に死について考えなくなっていた。
話は父に戻るが、父は胃癌でリタイアしてから僕に歩み寄った。
僕が普段着ていたつなぎ(ダウンタウン・ブギ・ウギ・バンドが着てたような奴)を自分も着たいと言うから、藤沢の東急ハンズで買ってきてあげ、そろいで着て喫茶店に行ったりした。医者に止められてるはずのタバコも、僕が吸ってる銘柄のsometimeに変え、
「メンソールは茅ヶ崎に合う」と僕のチョイスを絶賛した。
父が死ぬ直前~兄はもう医者になっていて僕は医学生だった~僕は毎日、学校の実習を終えるとお見舞いに通った。
父には「癌だ」と言わない約束だった。母も兄も、内緒にしておくのがよいと判断したのだ。僕は医学校で「尊厳死」なんてものを習ったばかりだったし、大体嘘をついてるのが嫌だったから、ある日、2人きりの時にすべてを教えた。
父も医者だったから判っていたようで、
「達二、告知というのは大事なことだ。何でも告知をすればいいものでもない。
その時、その人によって、告知すべきか、すべきでないかと考えるのも医者の仕事だ。
主治医が告知しない方がいい、と言うのだから、今の話は聞かなかったことにする」
というようなことを言われた。
父が死んだのは、進級を左右する大学の定期考査の直前で、まったくもって迷惑な時期に死んでくれたものだと恨んだものである。

いつの世も、クラスにはアイドル的存在な子がいるもので、AZもその1人だった。
AZは外見は可愛いいが、あまりブリブリ・キャピキャピしてなくて、さっぱりした親切な人だった。性格的には男っぽいのかもしれない。
だから、恋愛の対象として大ブレークすることはなかったが、隠れファンは多かった。
AZ人気がブレークしない別の理由は、もう何年もつき合っている彼氏がいることだ。
AZは自慢するでもなく、かと言って秘密にもしてなかった。
AZが21才の頃。AZの誕生月は11月なのだが、その誕生日の前に彼氏と別れたらしい。この噂は一瞬にしてクラス、学校中に広まった。もうじきAZの誕生日、ここはひとつ「バースデー・テープ」を作りAZに贈り誰のテープが心を射止めるかという恋のレースが始まった。で、このレースの行方がどうなったかというと、AZは僕らのプレゼントをとても喜んでくれ、「ありがとう」と感激してくれた。どのテープが一番良かったかを聞いたら、AZはやんわりと「人に順位はつけられない」みたいなことを言っていた。
そんなAZは1年後の11月、僕の父親のお通夜に試験直前にもかかわらず顔を出してくれた。医学部の生徒は優しい人が多い。友人が気を利かせてAZを引っ張ってきてくれたのだ。
「喪服が色っぽいね」と僕が言ったら、AZはとても優しい笑顔で「無理に明るいふりをしなくていい」みたいなことを言って、
それから何かを思いついたらしく、ファッションショーのモデルみたいにクルっと一回転して喪服姿をサービスしてくれた。