20/Ⅱ.(月)2012
立川談志追悼公演、落語立川流 In 平成中村座を観に、Aを誘ってゆく。
Aとは、この1月に立川志の輔の落語に行き、その帰りに「くじら」を食べて、
今度、こんな機会があったら「どぜう」を食べようと約束していた。
平成中村座は、浅草にあるので「どぜう」を食べるには持って来いで、まさか、こんな早くにそんな機会が来るなんて。
(2012年1月『志の輔らくご in PARCOを観る』を良かったら読んで下さい)。
僕は、前々日の同窓会で大騒ぎしたから声がかすれて、晩年の談志のようで、まさに立川談志追悼にピッタリ。
同窓会で出会った友人から情報を集めて、落語終了後のお店も大体、目星をつけておいた。
僕は番傘の新しいのが欲しかったので、Aを早目に誘い出して、買い物に付き合わせるのを口実に、
せっかくだから浅草見物を楽しんだ。下が、僕が買った番傘、陰干しをしてるところ。↓。
Aは浅草は中学の遠足以来だと言って、機嫌も良く、揚げ饅頭をおごってくれた。
Aはプレーン味、僕は胡麻味にした。仲見世通りを歩いて、浅草寺にお参りに行こうということになるが、
その手前に‘かつらや’があり、Aはそこの店の前で、
このあいだ中国の女の子が長い黒髪をバッサリと切って売っている番組をみて、
かつらにするには人口毛が高く売れるのだとというテレビから得たウンチクをかつらやの前で話し出し、
僕はちょっとだけヒヤヒヤした。別に、Aは何も悪くないんだけどね。なんとなくね。
浅草寺でお参り、僕はAに<いくら入れる?>と聞くとAは50円玉をこちらに見せた。
「ご縁があるように」ということだそうだ。
僕は、ポケットの小銭を探したら、5円玉はあるが、50円玉はなかった。
語呂だけから言えば、僕の5円玉の方が「ご縁がありそう」だが、今どき、5円はないな、と思い、
100円玉と一緒に5円玉を賽銭箱に投げ入れた。合計105円、消費税みたいだ。
参拝をすませ、おみくじを見つけたから、<おみくじ、する?>って聞いたら、
Aは正月に‘大凶’を引いたから、もうコリゴリと断った。
Aの引いた大凶の内容というのは「あなたは外見ばかりを気にして、本質を見ていない!」というものだったそうだが、
それなら全然、気にする必要ないよ。僕がAを知ってるよ、Aは上っ面じゃなくて本質的な人物だってことを。
<だったら、そのおみくじが間違ってるんだよ>と僕が言うと、Aは「そういう発想はなかった!」と気を持ち直していた。
平成中村座は、中村勘三郎が昔の歌舞伎小屋をイメージして再現したもので、隅田川のそばにあり、
スカイツリーがすぐそこにそびえ立っていた。
談志と勘三郎は仲が良く、そのよしみで談志追悼の落語会にこの場を貸してくれたのだろう。
この日の立川流のメンバーも志の輔こそ(病欠)だったが、落語は、談笑・志らく・生志・談春と揃い踏みで、
おまけに最後にこのメンバーに高田文夫と中村勘三郎が加わって座談会をするというから豪華だ。
おそらく大衆芸能のレベルから言えば、歌舞伎は落語の数段上だろうから、
ここで落語が出来るのは記念というか名誉なことなのだろう。
さっきも言ったが、平成中村座は当時の歌舞伎小屋を再現した仮設小屋なのだが、
座談会で志らくは高田文夫が楽屋に入るなり第一声、
「なんだよ、ここは避難所みたいだな」と言ったということを中村勘三郎の前でバラした。
この一言のおかげで、有難みという名の肩の力がフッと抜けた。
高田文夫は志らくに向かって「シーっ」ってポーズをしてたけど。
座談会は談志の思い出話を語るのだが、そこは師匠の言いつけ通り、
芸人がしみじみしてどうするとばかりの、暴露合戦だった。
やはり、こう並ぶと志らくというのは飛び抜けて談志イズムを継承している不謹慎さだった。
勿論、ここで言う不謹慎とは褒め言葉である。
僕が、一番、不謹慎だと思ったのは、志らくが談志の下ネタにまつわるエピソードを話したあと、
談春が「今日は、ご家族もいらっしゃるんだから」と志らくをいさめると、
高田文夫が「ご家族じゃなくて、ご遺族!」とつっこみを入れた瞬間、
中村勘三郎が会場に響き渡る大声で膝を叩いて大爆笑していたことである。勘三郎、不謹慎だなぁ、と思った。
終った時間も結構、遅かった。高田文夫が「そろそろお時間で」と言っても、
勘三郎が「もう一つ、話して良い?」って伸ばしていたから。
夜通し、ずっと話していたそうだった。勘三郎、いい人だなぁ、と思った。
昔、談志が、ここでチンポコを出せと言われて出せるかどうかで人間性がわかる、と言っていたことがあり、
たけしや上岡龍太郎は出す、鶴瓶は言わなくても出す、勘三郎も出す、と言ってたのを思い出した。
昨年の11月に談志が死んでから、色んなテレビの追悼番組を見たり、弟子達の落語会に行ったりして、
今日はそのオーラスのようだ。中味の濃い、面白い、決して湿っぽくない明るい会だったが、そうは言っても、追悼の会。
終わると同時に僕はどっと疲れてしまった。
僕らは「どぜう」を食べに行くはずだったが、終演も遅かったし、浅草は店の閉まるのが早いし、
帰れなくなるのも困るので、取り敢えず渋谷まで銀座線で出ることにした。
Aは、地下鉄の中よく考え事をする、などと話していたが、僕は疲れて頭が呆っとしている。
<何、食べようか?>と僕が言い、「ここは虎ノ門」とAが言い、地下鉄が僕らのテリトリーに入って来たことを告げる。
<渋谷でどこか店、知らない?>と僕が聞き、「何を食べたいか?」とAが聞くから、僕は少し考えて、<ピザ>と答えた。
Aは、「ピザ?そりゃないでしょ」と言い、ここは自分がしっかりしなきゃいけないと思ったのだろう。
今日の志らくの演目の『疝気の虫』から、その噺の中でラーメンを食べるというアドリブがあるのだが、
それを例に出し、恵比寿に塩ラーメンの美味しい店があるからそこに行こうという。
Aは過去に3回その店に行ったことがあり、4回迷ったことがあるから、店に辿り着けるか不安だと言ってはいたが、
やはり人間というのは相方が頼りにならないとしっかりするもので、
底力と言うのか、潜在能力の発揮と言うのか、母性本能と言うのか、一発で迷わずに店に着いた。
Aは、ここの店はおごってくれると気前の良いことを言い、
塩ラーメンの旨い店だと聞いていたから塩ラーメンを注文した。
「トッピングは?」とAが聞くから、僕は<メンマ>と答え、「ビールは?」と言うから、じゃ、ビールもご馳走になろう。
Aは海苔をトッピングしていた。でも、トッピングって、ピザみたいな響だな。
ラーメンを食べながら、一昨日の同窓会の話をしたら、Aは楽しそうだと感想を言って、
自分はそういうのには絶対に呼ばれないと断言した。
<俺もずっと呼ばれなかったけど、年とると呼ばれるよ>と軽く答えたら、「いや、それはない」とAは口をつぐんだ。
僕は僕の知らないAの暗黒時代に思いを馳せるのだった。
Aは、「明日休みだったらよかったのに」、と言って手を振って別れた。
休みだったら、カラオケでその頃の歌が聞けたかな?。