受付だより~カワクリぷち情報~

2015年1月29日(木)晴れ
みなさん、明けましておめでとうございます。
そしてこんにちは。受付の後藤です。
新年のご挨拶には大分遅めと言うか、一月も既に終わりですが(汗)
今年もどうぞカワクリと受付をよろしくお願い致します。
余談ではありますが、みなさんはおみくじは引かれましたか?
後藤は毎年初詣で必ずおみくじを引きます。もう恒例行事です。
因みに今年のおみくじ結果は『吉』でした。
『吉』から『大吉』へと登っていけるような精進の年にしようと思います。
さてさて今回は、『知ればあなたもカワクリマスター!?ちょっとしたカワクリぷち情報』をお伝えしていこうと思います。
記事を読んで「へぇ~」と某番組のように思って頂けると嬉しいです。
皆さんにとって『川原クリニック』とはどんな存在でしょうか?
勿論、私にとっては『職場』ではありますが、それ以上にさまざな存在でもあります。
以前、先生がとある勉強会にご参加された際に、『クリニックとはどんな存在か』という事を発表されました。
そのご説明の際に、分かり易く紙芝居形式にされて、その紙芝居をわたくし後藤が作らさせていただいたので、
僭越ながら一緒に紹介させていただきます。
カワクリぷち情報その壱!

緑の帆を立てた船=患者さんを表しています。
そして青い線は海(波)=人生での出来事や状況、環境です。
(因みに関係ないですが、この絵の右下に(C)GOTOと書いてあります。(薄っすら後藤作をアピール))

海は常に一定ということはありません。潮の満ち引きがあり、海の高さは変わります。
船が進む間にも潮の満ち引きで海の水位は変化していきます。

船とぶつかっているゴツゴツしたものは暗礁です。
暗礁は障害や困難を表しています。
水位が下がると水面下に隠れていた暗礁が、突如水面に現れることもあります。
そして気付かぬ内に、または回避できずに船と暗礁がぶつかってしまいます。

暗礁にぶつかって乗り上げてしまった船は、無理に進もうとしてしまうと転覆してしまいます。
転覆しないように暗礁を乗り越えるには、潮が満ちて水位が上がるのをじっと待つべきか。

しかしそうは言っても、潮がいつ満ちて、どれ位の水位まで上がり、
いつどうやって暗礁を越えられるかなんてわかりません。
そんな困難を1人で耐え忍んで待つのは難しく、厳しいものです。
だからそんな時には、一緒に寄り添ってくれる存在が誰しも必要なのです。
患者さんにとって『そんな存在』であるのが、私たち『カワクリ』のお仕事なのかもしれません。
今はまだ波が引いてまだまだ満ちそうになくて、途方にくれてしまいそうな時でも、
クリニックに来て診察を受けて、「来週の何曜日まで、またね」と。
その約束は心の『一里塚』となって「来週クリニックにくるまでガンバれる」
『カワクリ』は患者さんにとって、そんなクリニックであるべきだと、先生は考えておられるようです。

そして、いずれ船は暗礁を乗り越え、また帆を進めます。
潮の満ち引きを受けながら。
勉強会にご参加されたのが医療・製薬関係の方々だったそうで、この説明に非常に感心を持たれたそうです。
勿論『クリニックの存在』と説明しましたが、勿論、『航海』の手助けの一つにカウンセリングや心理療法、薬物療法も含まれます。
多方面からの手法による手助けが、難航の手解きへと繋がっていると、先生は伝えたかったようです。
きっと皆さんが思い描いた、皆さんにとってのクリニックや医療の形と違えど、
近いニュアンスのものだったのではないでしょうか。
最近、先生はこのように様々な形で、私たち受付に専門的な知識・対応を伝えてくださいます。
「ブログや受付での患者さんへの接し方のルールを型破りにしていこう!」
少し前までは先生と受付の中でそんな目標?がありました。
そんな先生のご指導の甲斐があって、多くの方と交流ができました。
色々な方に受付の名前を覚えていただいたり、忙しかったり遠かったりとあまりお会いできない方も、
ブログで通じて和やかなコミュニケーションが取れたりと、
皆さんと受付の距離もここ数ヶ月で大きく変化したのではないかなと思います。
そんな結果を経て、また受付は更なる新たな一歩を踏み出そう!と企てております。
「型を破ったのだから、次は教科書的に戻してみよう」
以前受付ブログでも記載させて頂いた「自己開示」
自己開示によってシンクロによる共感性や、相手の認知による人間性の確認、安心感。
そんな様々なメリットがあるということでこれまで自己開示をしてきました。
しかし本当は心理療法的には、治療者側の自己開示は否定的です。
治療の場において、治療者と患者さんとの間に『信頼関係』はとても大切です。
しかし互いを自己開示しあって築く信頼関係ではなく、治療者が治療的に患者さんに関わった際に、
自然とその関係に信頼関係が生まれることが望ましい形としているからだそうです。
他にも様々な理由はありますが、基本的に治療者側の「自己開示」は望ましくないそうです。
受付は「治療関係者」という立場を利用して、教科書から脱線し、
治療の場であるクリニックの中で「治療者」というコミュニケーション以外のコミュニケーションを取れる存在として、
「自己開示」をしてきました。
それは受付が立場上、直接的治療者ではないので、治療的コミュニケーションからの信頼関係を築くの難しく、
あえて脱線した「自己開示」により、信頼関係を築きやすくしたという先生の策略かなと思います。
では「教科書的に戻してみよう」とはどうゆうことか。
私たち受付も明確な先生から指示は受けていません。
「一人一人によって異なるので一概には言えない」
では、一体私たちはどうすればよいのでしょうか?(汗)
教科書に戻って「自己開示」を封印していくのか。
そんな風に言ってしまうと、まるで「受付は自己開示禁止です。話しかけないで下さい」なんて勘違いしてしましそうですが、
そんな事はありませんので、皆さんこれからも気にせずに受付に話しかけてください。
「教科書的に戻る」と言うのは、私たち受付側がもっと意識的に「治療関係者」という立場を持って、
患者さんに接する姿勢を教科書から学んでいくという事かなと思います。
そして受付繋がりで、カワクリぷち情報その弐!
受付カウンターが少し変わりました。
さぁ、間違い探しです。どこが以前と変わったかお気づきですか?

正解は…

観葉植物から『暁美ほむらのフィギュア』に変わっている、でした!
このほむらは向かって右側にあるけいおんフィギュアの隣に並ぶまどかのフィギュアとお揃い?です。
白と黒、光と影の様な対の二人はどちらもクオリティが高く、迫力がありますので、お会計などの際に是非見てみて下さい。
因みに!今週からカワクリBGMも少し変更しました。
その選曲の中に!なんと!後藤の大好きな朝比奈みくるちゃん(涼宮ハルヒと言うアニメのキャラです)の
『恋のミクル伝説』も入っていますので聞いてみてくださいね!(←結局自己開示をしてる)
今回のBGMは総曲数433曲、総再生時間22時間35分ということで、1/22時間35分という確率です。
そんな確率の中で後藤は、出勤して初っ端のBGMがこの曲だったのでとてもビックリしました。
皆さんもカワクリでのBGMは一期一会なので、お越しになった際はBGMをチェックしてみてください♪
きっと1/22時間35分のその曲は、あなたの運命の曲かもしれません(笑)
BGM. 後藤邑子「恋のミクル伝説」


黄金時代

27/Ⅰ.(火)2015 割と暖かい
気象のせいもあり、ここのところ疲労困憊だったが、新規開拓の「エネルギー療法」を日曜日に受けたら、
その後、半日、眠り続けたが、効果抜群!、元気になった。
その勢いで、昨日の月曜日は美容院に行き、髪をピンクに染め直し、ネイルも新しくPOPにした。
左手のネイル。↓。


右手のネイル。↓。


うまく行かない時は形から入るのも良いものだ。外見につられて内面もアップする。
一気呵成に、新しい受付の求人広告の原稿も書き上げた。自分で言うのもなんだが、渾身の力作だ。
たかが求人広告、されど求人広告。
逢った途端に一目惚れ。
第1印象が大切なのは、治療における初回面接の重要さに通じる。…本当に通じるか?
ま、いいや。この記事を参考に応募するかどうか決める人もいるかもしれないから、カワクリの様子を伝えましょう。
まず、これを1番に持ってくる必然性はないのだが、「傾物語(かぶき・ものがたり)」のフィギュア。
アニメを観てない人は判らないかもしれませんが、原作を読んだ人には通じるかもしれませんね。
左から、‘ルートX’の大人・八九寺 真宵(はちくじ・まよい)、と浴衣姿の暦&忍。↓。


物語シリーズ・セカンドシーズンの「傾物語」は八九寺がヒロインで、「鬼物語」のヒロインが忍ですが、
実際の物語の中心はたすき掛けのように、「傾」が忍、「鬼」が八九寺になってるのも面白いところです。
それではクリニックの中を紹介しましょう。
最近、巷ではレコードがブームらしく、僕もうちで眠るLPをクリニックに持って来て飾ってみました。
皆さんの背後の診察室の壁。これは時期を見て、交換するのでお楽しみに。↓。


ちょっと気になりそうなので、横のクリア・ファイルたちもアップにしてみます。↓。


LPの続き。待合室には、「はっぴぃえんど」の横に「スクリャービンの法悦の詩」のLPを。↓。


スクリャービンはロシアの神秘主義的作曲家で、「法悦の詩」は男女の性の高まりを音楽的に表現したものらしく、
これを聴くと性的な興奮をおぼえるらしい。澁澤龍彦の『エロティシズム』という本に書いてあった。
でも、澁澤龍彦が実験したら、「なんともなかった」って。下が、澁澤龍彦。↓。


LPつながりで、冬コミのお土産にH.さんからもらったシャフト企業ブースから「まどマギ」LPジャケット風。
診察室の入り口扉の前に飾ってあります。↓。


その下には、戸川純のLPと大森靖子(やすこ、じゃなく、せいこ)のポスター。僕は「きゅるきゅる」にはまってます。
大森靖子は4月26日に中サンでライブがあります。今、大森靖子公式サイトでチケット先行受付中です。↓。


右隅に見える「イカ娘」の指差す方向を振り返ると、診察室扉に、イカつながり、ダイオウイカのカレンダー。↓。


その上は、「まどマギ」の魔女達がいます。丁度、さっきのLPジャケット風と向き合う格好です。↓。


つげ義春コーナーもますます充実!「ねじ式」と「李さん一家」の手ぬぐいがあります。
「ねじ式」には目医者の看板がたくさん出てきて、視線恐怖を表現していると深読みされてるのが有名です。↓。


うちの父は目医者でした。従業員が何10人もいました。カワクリは今、非常勤を含めて、6人。
父に比べるとまだまだで、逆に、父はよく何10人も使えてたなぁと感心する。
でも、僕にもその血が流れてるんだから頑張ろうと思う。
10代の頃、新興宗教の勧誘で「君なら将来、2千人規模の支部長を任せられる」と言われたこともあるし。
「鳥」や「めまい」で有名なサスペンスの神様、アルフレッド・ヒッチコックの代表作は豊富だ。
僕の好きなエピソードに、晩年のヒッチコックに「あなたの最高傑作は?」と質問したら、<Next One!>と答えたと言う。
つまり、<次回作だよ>という意味で、「ジジィ、どんだけポジティブなんだよ!」、って逸話。
カワクリは、今年が9年目で、これまでは素晴らしいスタッフに恵まれた。
しかし、僕はヒッチコックの精神で行くぞ!
次に揃うメンバーを、ベスト・メンバーにする。
今後、新たに受付や心理のスタッフが加わる。
個々のスキルアップや職種間の連携や役割分担は勿論だが、和音のように組み合わさったからこそ奏でる音色に期待する。
新生カワクリは、破壊と創造を繰り返しながら、2015年、黄金時代の幕を開ける。
BGM. 高田渡「生活の柄」


名前の考察

23/Ⅰ.(金)2015 昨日よりは少し暖かい
知り合いから、女の子が生まれて、母子共に健康で、名前が決まった、ってメールが届いた。
おめでとう!何かお祝い贈るね。
たまたまだけど、僕も名前について考えてたところなんだ。
僕の名前は「達二」。由来は、「達人」のようになるように。「二」は次男だから。
ちなみに兄の名前は「達一」ではありませんが、「一」の字は付きます。
微妙でしょう?
「二」は極めて、数学的だから。
子供の頃の僕は、「二」が「一」に劣ってると思うのが嫌で、結構、「2」という数字にこだわりました。
僕は韋駄天で、すばしっこく、俊足でした。
運動会の徒競走の予行演習は必ず1番でした。
でも、「一」位は嫌なので、本番ではブッチギリでゴール直前まで走り、テープを切らずに後続を待ちます。
そして、2番手が来たら、<どうぞ>の合図をして、テープを切らせ、自分はわざと2位になります。
運動会が終ったら、教室で、自慢げにこう言うのです。
<やっぱ、2位が1番だよね>って。書いてて思ったけど、嫌な奴だね。
それに、2位が1番って言ってる時点で、「一」の優位性を認めてるんだけどね。
そこは、ホラ、小学生だし。コンプレックスって矛盾を土台にしているようなものだし。
他にもありますよ。マンガの単行本は必ず、2巻から買いました。
続きが読みたかったら、3巻を買うし、前が知りたかったら、1巻に遡って買うし。
これは、結果的に無駄が少なかったです。
この手口は、今でも実生活に応用されていて、新作アニメは、まず第2話からチェックします。
それで今期、観るアニメを決めます。
カワクリに置くマンガも大体、この方式です。話題のマンガはまず2巻を買って面白かったものが揃えてあります。
待合室のマンガの種類は結構、増えましたから、何を読むか迷う人は2巻から読んでみたらどうでしょう?
ただし、ひよどり祥子『死人(しびと)の声をきくがよい』は1巻のラストがとても良い話です。
だから、これは普通に1巻から順に読むのが良いです。↓。

知り合いの獣医さんに聞いた話だと、動物園で「○○の赤ちゃん」の名前を公募、ってのは客寄せなんですって。
基本的に動物園では、動物に名前は付けないらしい。
識別できれば良いから。
今の個人情報保護法と似てるな。「何番の方、会計にどうぞ」みたいな。
そう考えると、名前って記号かな。
ところが、我々の業界では、「イマジナリー・ベイビー」なんて用語があります。
「イマジナリー・ベイビー」の例で、よく引き合いに出されるのが、皆さんご存知の画家のゴッホです。
ゴッホの産まれる丁度1年前に子供が死んでいて、つまり、その子の命日に、ゴッホは産まれたことになります。
親としては、モーニング・ワークの意味合いもあったのでしょう、ゴッホに死んだ子と同じ名前をつけます。
でも、これってどうなんでしょうね?
庭の隅には、お墓もあって、墓石に自分の名前が刻まれているのを、きっと幼いゴッホは見ただろうに。
その名前が、「ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ」。
ゴッホは小さい時から親と馴染めず、弟のテオにくっ付いていて。
テオを親代わりにして何とかやっていたが、テオが結婚した直後、精神症状が悪化して入院となる。
甥が産まれた時、ゴッホはホロホロと泣き、その子に「ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ」と名付けてくれと頼んで。
その通りに名が付くと、その直後に自殺して死んでしまう。
ゴッホには、「ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ」を伝える役割があった、というお話し。
これが、「イマジナリー・ベイビー」、家族神話のような世代間伝達のお話し。
どうですか?
すごくないですか、我々の業界。
ゴッホってもっとも多く「語られる画家」の1人だと思うのだが、我々のすごさはゴッホの作品に一切ふれてないこと。
ま、病跡学のジャンルではふれてるんでしょうが。
家族精神医学では、ふれない。ただ、役割理論の例えに良い具合に使われている。
ゴッホほど極端でなくても、名前には、何かを縛りつける力(作用とか効果)がありますね。
「化物語」の忍野忍は、元・伝説の吸血鬼ですが、忍野メメが「名前で縛っておいた」と言っていたっけ。
下が、診察室のソファの横のサイド・テーブルの「物語シリーズ・コーナー」から、忍野忍。↓。

名前を考えるにあたって、僕が1番に想起するのは「シベールの日曜日」という映画です。
ここからは、ネタバレありです。
嫌な人は、ここから先は読まないで下さい。映画のあらすじを書いて終わりの記事ですから。
あらすじは、シベールという少女が母に男が出来て邪魔になったから、寄宿舎に入れられます。
母はシベールに「毎週、日曜日に面会に来るから」と約束して去って行きますが、一回も来ません。
面会どころかその後の映画に登場しません。
シベールは、棄てられた訳です。
おまけに寄宿舎の怖い寮母みたいな人に、「シベールは変な名前だから、ここではフランソワーズと呼びます」と勝手に
名前も変えられてしまいます。
フランソワーズ(シベールのこと)は日曜日ごとに健気に来る筈もない母を待ちます。
ある日曜日、フランソワーズは、ある青年と出会い、意気投合して、友達になります。
いつしかフランソワーズの日曜日は、この青年と会う日になりました。
青年は、ベトナム戦争で受けた心の外傷で、戦争神経症(PTSD)になっていました。
青年には綺麗な看護婦の彼女がいて、彼女は献身的に青年のケアをしていました。
でも、青年は彼女には心を閉ざし、フランソワーズにだけ、心を開くのでした。
世間からみたら奇異にみえますが、純愛ストーリーです。
フランソワーズはクリスマスのプレゼントに教会の上の風見鶏が欲しいとリクエストします。
クリスマスの日に二人は逢引して、青年は危なっかしい足取りで、教会の屋上に上って風見鶏をもぎとってきます。
それをフランソワーズに渡すと彼女は満面の笑みで、お返しにと、木にくくりつけた紙を指差します。
青年が、その紙を木から取って、畳まれた紙を開いてみると、カメラがそこに書かれた文字をクローズアップします。
シベール
とだけ書いてあります。
フランソワーズは、クリスマスのプレゼントに、青年に本当の自分の名前を教えたのです。…涙。
それから、何がどうしたのかは忘れたのですが、警官隊が二人を取り囲みました。
どうやら、精神異常者が少女を誘拐した、って話になっていたような。
「手を上げろ!」の声に、青年がシベールをかばおうと動いた瞬間、一斉射撃。青年、銃殺。
青年の死体に泣き崩れる少女。
警官隊が近寄り、声を掛けます。
「お譲ちゃん、大丈夫?」「悪者は死んだからね」「怪我はないかい?」と警官隊は優しく口々に語りかけます。
少女はずっと泣いています。
そしてラスト。「もう大丈夫だから安心して。お譲ちゃんのお名前は?」という警官の質問に、泣きながら少女が答えます。
<もう私に名前なんてないのよ>
これが、映画「シベールの日曜日」です。
名前の持つ意味を考えさせられますね。名前は単なる識別記号ではありませんね。
さて、これでおしまいです。
名前について興味を持った人や、戦争神経症の資料を探してる人は、観てみたらどうでしょうか?
ただ1つ注意点があります。
僕の古い友達がよく言うのですが、「君の教えてくれる映画はいつも面白そうだから観るんだけれど、必ず、筋が違うんだよ」。
「さらに性質が悪いのは、映画より、君の話の方が面白いから、観た後、損した気がするんだよ」って。
僕は自分の記憶だけで話してるから、他の話がミックスされるのでしょうね。
だから「シベールの日曜日」のストーリーも違うかもしれません。
さっきのゴッホの話も同様です。気になった人は鵜呑みにしないで自分で検証して下さいね。
あと、ここまで読んでくれたけど、記事や映画「シベールの日曜日」に取り分け、興味が湧かなかった方にも朗報!
シベールは美少女だから、ロリコンの人は必見です!!
この記事のタイトルは「名前の考察」なのに、なんちゅう、オチじゃ。次回から、予告ブログに戻ります。
BGM. RCサクセション「君を呼んだのに(And I Called Your Name)」


新春キツネ祭り

「先生も行かれたんですか?」って、幾人から聞かれたことか。
スゴいな、BABYMETALの『新春キツネ祭り』、色んなメディアでニュースとして取り上げられてたみたいで。
行って来ましたよ、SSA、魔裟斗の引退試合以来かな?、さいたまスーパーアリーナのことね。
ちなみに何故「キツネ祭り」かと言うと、BABYMETALの初期設定で、メタルの神様は、「キツネ様」になっているから。
年末番組でべビメタがテレビに出ると必ず「イジメ、ダメ、ゼッタイ」をやってましたが、観ました?
正直、あまり面白くなかったでしょ?
ところが、あれがライブ会場だと異様に盛り上がるのです。
全員で、ダメ・ジャンプ&キツネ・ジャンプ、をするから。
「イジメ、ダメ!」の歌詞で頭の上で手をバッテンにしてジャンプして、隣の人にぶつかって、<すみません>って頭を下げて。
間髪入れず、「キツネ、とべ!」の歌詞で、両手をキツネ・サインにして、両腕を「Y」の字に広げ、キツネ・ジャンプをして。
またまた隣の人にぶつかって、<すみません>と、小さく謝って。
会場には、女性のお客も多く、実際、僕の左右の人は、1人で来てる女の子だった。
袖触れ合うも他生の縁、と言うくらいだ。ジャンプの時にぶつかり合った仲だから、少しは喋った。
通路側の子は、「ジャニーズに行ったこともあるけど、今もっとも魅力的なアーティストはスーちゃん」だって。
逆サイドの子は、「紅月、サイコーでしたね!スーちゃんの嫁になりた~い!養って欲しい~!」だって。(苦笑)
男子、がんばろう!
2014年3月の日本武道館2Daysの時は、会場グッズは1人1アイテム、4つまでの制限だった。
僕はスポーツ・タオルを4枚買って、1つは自分用。残りの3枚は、お土産用。
美容師S.さんとストレッチのトレーナーのI.さんとあざみ野のH.先生にプレゼントした。
それが、今回の記念グッズは1アイテムにつき、1人1個までの限定になっていました。
せっかく会場に来たお客さんに行き届くようにとの配慮か。1人4つを許可してたら買えない人も出るものね。
僕は「キツネ面」と「マスク」と「リスト・バンド」と「パーカー」と「キツネのしっぽ」を買いました。
下が、「キツネ面」。↓。


これは、今は診察室の僕の背面の壁に貼ったから、診察室に入ったら皆さんの視界にもバッチリ入るでしょう。↓。


マスクの箱です。可愛いでしょ。↓。


この中に、BABYMETALのロゴ入りのマスクが入っています。千石撫子に当ててみました。こんな感じです。↓。


「リスト・バンド」は、2種類セット。「狐」の漢字1文字と「公演名と日付と場所」が。↓。


べビメタを知らない人は、『ギミチョコ』の Live Music Videoが入門編には良いですよ。ユーチューブで観れますよ。
記念グッズの話でしたね。「パーカー」はギミチョコのデザインです。↓。


「しっぽ」はリュックに付けました。
毎朝、僕は家からクリニックまで徒歩で通っているのですが、途中で通学路にぶつかります。
大体、同じ時間帯なので、顔見知りの小学生がいます。
火曜の朝、小学生に「カッチョイー!ソレナニ?」って聞かれました。
<おキツネ様>と答えると、数人の小学生に取り囲まれ、「カッチョイー!」「キモチイー!」と触られまくりました。
<あっち、行けよ!子供は汚いから嫌いなんだよ!>と威嚇したら、パトロールしてる黄色い旗を持ったPTAのママさん
に睨まれた。
しまった!
この辺では、俺は相手を知らなくても、向こうは俺が「川原クリニックの医者だ」と知ってる可能性があるのだった。
品行方正にしておかなきゃな。表面的には善人ヅラしておかないと。悪い噂が立つとマズイからな。しっぽに火が点いちゃう。↓。


カワクリに着くと、そこかしこにべビメタ関連のポスターなどがお出迎えです。
だから皆、冒頭の質問に繋がるのですね。
たとえば、下が、受付カウンターのべビメタ『メギツネ』のクリア・ファイル集。↓。


べビメタはBABYMETALの略ですが、ベルハーと混同する人も多いみたいで。
ベルハーは、BELLRING少女ハート、の略です。
ベルハーの生写真は受付カウンターの、寝釈迦ポーズのカエルの置物の下辺りに貼ってあります。↓。


ベルハー・コーナーは、ナースの塚田さんの使う処置室の前の壁にデデーンとあります。ちょっと自慢です。↓。


予告ブログの④に、「BELLRING少女ハート」のライブのレビュー、がありますので、ベルハーについてはまたの機会に。
BABYMETALの『新春キツネ祭り』の模様はWOWOWが撮影していて、3月頃に放送されるそうです。
テニスの錦織君フィーバーで加入したはいいが、その後、全然WOWOWを観てないという方、良かったら観てみて下さい。
僕が1番良かったと思うのは、YUIMETALとMOAMETALが歌う『4の歌』でした。
「4」のところで、客席も一緒に「フォ~!」って掛け声を掛けるのが一体感を産んでました。
最後の告知で、6月に幕張メッセ展示ホールで過去最大規模のMOSH’SH PIT ONLYのライブを開催すると発表された。
MOSH’SH PIT ONLYって、全部、立ち見ってこと???
だったら、微妙だな。
僕は去年の12月20日、SU-METALの生誕祭を豊洲PITに観に行きました。
それはファンクラブ限定のシークレット・ライブみたいな感じで、ステージとの距離は近かったのですが、何も見えなかった。
豊洲PITは段差のない平坦なフロアなので、後ろの方の人は人垣で、何も見えなかったと思う。BABYMETAL、小っちゃいし。
ま、お誕生日を同じ空間でお祝いしたってことで良し、としたが。
下が、その日の記念Tシャツ。↓。


で、幕張メッセ展示ホールってのも、確か、同じような感想を抱いた記憶があるのだ。
あそこも確か、傾斜がなくて平坦な会場じゃなかったっけ。障害物みたいなポールとかも立っていて、ステージが見えなくって。
僕の小学校はミッション系の女子高の付属で、「聖書」の時間があった。
その中で、「ザアカイ」という背の低い男が出てくる。
当時の僕らは、行列で前が見えない事を「ザアカイ状態」と呼んでいた。
段差のない平坦なライブ会場で、久し振りに「ザアカイ状態」というフレーズを思い出した。
しかし、うる覚えだったので、小森さんに尋ねて調べてもらった。
ザアカイは取税人で金持ちだが心は満たされてなかった。
そこに噂の男、イエス様が町にやって来ると聞き、一目散に駆けつけた。
だけど、ザアカイは背が低いから、後ろからでは背伸びをしても、イエス様の姿はまるで見えない。
そこで、ザアカイは木に登って、イエス様を一目見ようとして。
イエス様はそれに気付いて、ザアカイに声をかけて。
皆は、「あいつは悪い男で嫌われ者だ」とチクるけど、イエス様はそれを制して。
ザアカイを木から下ろさせ、その晩、ザアカイの家に泊まって、ザアカイは心が救われて。
それでイエス様の弟子になって、良い人になって、後にパウロに協力して伝道したんだって。
出典は、ルカによる福音書。
仕方ない。
僕は背の低いザアカイが木に登ってまでイエス様を一目見たかったのと同じ気持ちで、幕張メッセのポールにでも登るか。
SU-METAL、言わないかな、「TATSUJI-METAL、急いでポールから降りてきなさい。今日はあなたの家に泊まりたい」って。
そんな妄想をかましながら、6月の幕張、正式発表を待とう。
だけど、ライブ会場で本当にポールに登ったら、警備員に怒られるんだろうな。
やだな。50過ぎて、20代半ばの若者に注意されるの。注意する方もしにくいだろうけど。
さて、次回の「川原達二の十中八九N・G」は、予告ブログ⑥~「爬虫類を飼うこと」の予定です。
BGM.BABYMETAL「ギミチョコ」


ちょっと遅れた年賀状

9/Ⅰ.2015(金)
そう言えば、新年のご挨拶をしていませんでしたね。
ちょっと遅いけれど、あけましておめでとうございます。
僕は、2015年の年賀状はオリジナリティー溢れる制作をしようと張り切っていたのです。
干支が羊なので、映画『ブレードランナー』の原作である、フィリップ・K・ディックの「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」
という小説のタイトルを文字って、僕の下の名前が達二だから、「川原達二は電気タツジの夢を見るか?」という謎の一文に、
擬人化した羊(=電気タツジ)がピカチュウのように全身から放電しているイラストを添えた作品です。
「新年」も「2015」も「あけまして」も「おめでとう」も「賀正」も「今年も」も「よろしく」も「よろぴく」とも書かない。
そんな悪夢のような年賀状を、諸先生や諸先輩や患者さんの皆さまの平穏なお正月のお茶の間に、電光石火のごとく、
お見舞いしてやるぜ。
だから、去年の暮れには、家族やカワクリのスタッフには、<年賀状は俺にまかせろ!>と豪語していたのです。
ところが、汲めども尽きぬアイデアと、同時多発的なスタッフの「卒業」で、年賀ハガキを買うのを忘れてしまったのです。
なので、今年の年賀状はコンビニで売ってるしょぼいものに成り下がってしまいました。
そして、年賀状を書いたのも、頂いた返信をお正月に書いてるから、皆さんのお手元に届くのは遅くになってしまいました。
でも、年賀状って正月に書いた方が、テンションは上がりますね!
それが2015年の年賀状事情と言い訳です。
学生時代の友人には、ちょっと、おふざけを。
ハガキの上に、『「新春、下ネタ・クイズ!」と題して、<また、のもう!>の正しい漢字は?』と出題。
ハガキの下に、回答の選択肢、<①股の毛!、②又、呑もう!>と書いて。①の「毛」は「もう」と読みます。
それを、投函してから気付きました。皆には、家族がいるんだった。
学生気分のノリで出してしまった。
中には、思春期の娘さんや反抗期で手を焼いている息子さんをお持ちのご家庭もあるかも。
普段、威厳のある父上のご学友からの年賀状をポストから取り出して、目にしたお子さんの反応は?
微妙な距離感の父子関係が、一気にアット・ホームに和んだりして。
新春から、家族団らんのお役に立てたのなら、嬉しいです。礼には、及びません。
さて、遠く離れた方は、ハガキのやりとりだけだからね、最近の僕のビジュアル・イメージの画像をお送りしましょう。
去年の暮れは、「恋物語」の羽川翼の髪型を真似してました。
つむじから放射状に白と黒の太い線を交互に入れてました。
羽川翼の主演作は、「猫物語」で「白」と「黒」がありまして、その名残りで「恋物語」ではこの髪型で登場したのです。
羽川翼が通じない人には、説明が面倒くさいから、ブラック・ジャック、と答えてました。↓。

この「白・黒」にしてる時は、ネイルも、「白・黒」に合わせていました。↓。

今は、白のトーンが落ちてきたので、そこにピンクを入れています。
今年、お会いした人は判るでしょうが、ピンクと言っても、ワイン・レッドみたいです。
爪は、お正月らしく、ポップにしてみました。イメージは、「ペロペロ・キャンディ」。↓。

次の髪型は、このワインレッドを活かし、「恋物語」つながりで、戦場ヶ原ひたぎ、にイメチェンする予定です。
今の放射状もセットが難しいのですが、ショートカットの戦場ヶ原の髪型も自分じゃスタイリングが出来ないかな。↓。

ま、そんな訳で新年のご挨拶でした。
「何も、もうこんな時期だから、今更、挨拶なんかしなくてもいいじゃないか」と思っておられる、そこのあなた!
<ノン、ノン>、です。
今日、ご挨拶してるのには意味があるのです。
1月9日は、カワクリの開業記念日なのです!
開業支援の手伝いをしてくれたオクスアイの金村さんから、バースディ・カードが届いて始めて気付いたのですが…。
さすが、金村さん!
アフターフォローもバッチリね、オクスアイ!
カワクリのオープニングは、平成19年1月9日でした。つまり、今日がクリニックの誕生日なのです。8歳ですよ。
そういう訳で、あけおめ&おたおめ、記事でした。
今年もよろしく。下は、Hさんに毎年、頂く恒例の干支の置物。↓。

次回、予告ブログ⑥~「爬虫類を飼うこと」に続きます。
BGM.RCサクセション「ダーリン・ミシン」


冬物語

前回に引き続き、家庭教師の思い出です。
後編の今回は、「良い家庭教師」の巻。
高1の時、母が、駅前に「東大進学塾」というのがあるから、行ったらどうかと言い出した。
東中野の駅前の塾から、大量に東大生が量産されるとも思えなかったが、骨法武術と同じビルだったので、
何かの縁かと思い、行ってみた。
受付もいなくて、ただ現役東大生が何人か講師としていた。
母は、その中から品定めして、1番賢そうな人を選び、僕の担当に指名した。
僕も、やはり、この中ではその人が1番賢そうに見えた。
あんまりアクセクしてないのだ。
その人は髪型と声と面影が井上陽水に似ていた。さすがにグラサンはしてなかったけどね。
「東大進学塾」は、ここに通えば東大に受かる、とか、東大を目指す人のため、などと謳ってはいなかった。
単に、現役の東大生が生活費を稼ぐために講師をしている、という進学塾だった。
僕は、誇大広告が多い世の中で、こういう正直さに好感を持った。
ひょっとしたら、経営者はものすごくユーモアのセンスのある人ではないかと空想してみたりした。
と、同時に、<経営者、経営、大丈夫なのか?>とも杞憂した。
余計なお世話だが。
しかし、たかだか15~6の男子高校生に経営を心配されるような塾だ。
僕の予感は的中し、わずか1ヶ月もしないうちに、その塾は潰れることになった。
僕の担当の東大生は、「今後のことは、僕が責任を持ちます。川原君の家庭教師になります」と宣言した。
そして、その人は僕のカテキョー(※家庭教師のこと。以下、そう呼びます)になった。
その人は、東大の芸術学科の8年生だと言っていた。
僕が、<なんで、そんなに長く大学にいるの?>と聞くと、
カテキョーは、「なるべく長く大学にいたいんだ」と答えた。
僕は心の中で、<お前はモラトリアムかっ!>とツッコんだ。
僕らは、時には本郷のカテキョーのアパートで勉強をした。
ほら、カテキョー、8年生だから、色々、忙しいみたいだし。
カテキョーの部屋には、いっぱい本があり、それには圧倒された。
カテキョーは僕に「どんな本を読むの?」と聞くから、<星新一とか眉村卓>と答えた。
カテキョーは「好きな本を持ってっていいよ」と言うから、本棚を物色させてもらった。
他人の本棚を物色するのはとても楽しい。
僕はタイトルのインパクトだけで、ビアス『悪魔の辞典』と三島由紀夫『不道徳教育講座』をチョイスした。
カテキョーは、その2冊を見て、「う~む」と不満そうにうなった。
カテキョーは、「あなたには、これが合うよ」と言って3冊をピックアップしてくれた。
ちなみに、カテキョーが僕を呼ぶ時の2人称は、「あなた」だった。ね、井上陽水っぽいでしょ?
僕らは勉強の為の契約を交わしていたはずなのだが、カテキョーの家では勉強以外のことをしていた。
スパゲティー・ミートソースを本格的に作る、とか。
東大のグラウンドで知らない人に声を掛け、4人対4人くらいの草野球をするとか。
カテキョーは高校時代はブラバンでクラリネットを吹いていて、僕はホルンを吹いていたから音楽の話をしたり。
レコードを持ち寄って鑑賞会をしたり。
カテキョーの音楽は主にクラッシックばかりで退屈で。
僕は、日本コロムビアから出たばかりの10枚組みのフォークソング大全集を持って行った。
カテキョーは、その中のフォー・クローバース『冬物語』をとても気に入ったらしくて。
僕の部屋で勉強をする時に、カセット・テープを持参し、『冬物語』を録音してくれとリクエストした。
『冬物語』のサビは、♪春は近い~春は近い~足音が近~い~♪という歌詞で。
僕はカテキョーに今、この歌を吹き込んだら、モラトリアム人間の現実逃避を助長すると危惧して。
そこで、僕は機転を利かせ、こっそり別の曲に差し替えて録音し、カセットを渡した。
ま、軽いドッキリです。
次に会った時のカテキョーの第1声は、「何だい?あの曲は?」だった。
僕は石野真子のピンナップを挟んである透明の下敷きをチラつかせ、<春ラ!ラ!ラ!>と答えた。
すると、カテキョーはマジマジと石野真子の写真を見て、「あなたに似てるね」と言った。
頭の悪い人じゃない。きっと目が悪いのだろう。うちの父は眼医者だ。今度、父に診察させようと思った。
僕はカテキョーの誘いで東大の五月祭(ごがつさい)のコンサートも観に行った。
トリは大橋純子で『シンプル・ラブ』『たそがれマイ・ラブ』などのヒット曲を持っていた。
僕らの目当ては、サザン・オール・スターズで3枚目のシングル『いとしのエリー』がヒット中だった。
同じステージで潜水夫の様な姿のムーンライダーズを観た。
ムーンライダーズのステージが1番イカシテいた。
トリの大橋純子の途中で、僕はつまらなくなって<帰ろう>とカテキョーに言った。
カテキョーは、まだ見たそうにしていた。
僕は、<ニュー・ミュージックなんか聞いててもしょうがないだろ。今度、『冬物語』録音してやるから>って、
半ば、強制的にコンサートを抜け出して帰った。
そんな風に僕らは遊んでばかりいたから、テストの直前は詰め込み式だった。
高1の最後の数学「確率」は手強かった。
難易度の高い問題集は、カテキョーが答を見ても、中々、判らなかった。
答には、正解しか書いてなくて、どうしてそうなるかの説明は省略されていたのだ。
僕は、<なんで、判んねぇんだよ!>とイライラして、食ってかかって。
カテキョーは、そんな僕を脇に置き、黙々と問題に取り組んでいた。
そして、1つ解けると、1つそれを僕に教えて。
それの繰り返し。
カテキョーは、「問題集の問題は全部解く!」、と根性を見せ付けた。
全部、解き終えた時は朝になっていて。
僕らは徹夜をして、まさに一夜漬けで、僕はそのまま寝ないで学校に行き、テストを受けて。
そのテストは、ものすごく学年平均点の低い結果だったが、僕は97点をマークして学年トップの成績を叩き出した。
若い頃の成功体験はその後の人生や性格形成に多少の影響を及ぼすようで、それは自信になったり過信だったり。
それ以来、僕は自己暗示のように数学が得意になった。
そして、ここぞ、という時は、徹夜をすれば何とかなる、と思うようになった。
それは今だにそうで、滅多にないが、学会発表の前日などは、取り敢えず、徹夜をする。
覚えてる人もいるでしょうか、例の「5/18問題」の徹夜もその名残りです。
それが僕とカテキョーの最後の勉強だった。
カテキョーは大学8年生だったが、ついに就職が決まった。大手広告代理店だった。
カテキョーは髪を切り、スーツをきめていた。
僕は、<『いちご白書』かよっ!>と、口に出して、ツッコんだ。
と同時に、カテキョーは、モラトリアムを卒業するんだって実感した。
就職祝いに、僕は今度こそ、本当に、『冬物語』を録音したカセットをあげた。
この1年を、カテキョーを主人公に物語にしたら、♪春は近い~春は近い~足音が近~い~♪というフレーズが、
主題歌にはうってつけだと思ったからさ。
冬来たりなば、春遠からじ、と言う。
これを僕は、冬の後には春が来る、という、雨の後には虹が出る、的な、今は耐えろ、みたいな意味かと思っていた。
カテキョーは、これにはそれ以外に、春(新しい者)が台頭して来たら冬(古い者)はその道を譲るべく空けろ、という
世代交代を推奨する意味もあるのだと、かつて、教えてくれた。
プロレスに喩えるなら、アントニオ猪木とUWF(特に、前田日明)みたいな関係だな。
そうやって胸に手を当てて考えてみると、僕らの業界って、あんまりそういう新陳代謝ってないな。
僕が研修医の頃のリーダーが今でも堂々とトップに君臨している世界だもの。どうなんだろうね?
僕らはこういう事をちゃんと考えた方がいいのかもしれないな。
なんか、最後になってややこしい問題になってしまった。
ま、いいか。
次回、予告ブログ⑥~「爬虫類を飼うこと」に行きます。
BGM.フォー・クローバース「冬物語」


禁じられた遊び

前回は受験の話だったので、勉強つながり、家庭教師の思い出を2回に分けてお送りしましょう。
前編の今回は、「良くない家庭教師」の巻。
中学生の頃の話です。
中2までは、中学受験の貯金で何とか食って行けた。
授業中は余計な事を考えず、黙って教師の話に耳を傾けて、教師が書く黒板の文字を追っていれば、
特段試験前に勉強しなくても、クラス(4~50人)で10番以内には入ってた。
それが中3になると、授業内容がガラリと変わり、この頃から深夜ラジオを聴き出すから、授業中は居眠りをして、
何も勉強しないでテストを受けたら、まったく判らない。
今までは判らなくても、何かしら答に近い事を書くことが出来たが、はじめて白紙で提出というのを体験した。
それでも、<皆、そんなモンだろう>、と、たかをくくってた。
成績が少し落ちることは覚悟していたが、20番台くらい(つまり真ん中くらい)だろうと予想していた。
通知表を返される時は出席番号順に教壇の所まで行って担任から受け取る。
僕は渡されてすぐ見開いたら、「40番」と記してあった。ビリから、10番以内!
僕は、すぐさま、<困るな、間違えちゃ。これ次の番の黒河(仮名)のでしょう>と突き返したら、「お前のだ!」と
担任に通知表で頭を叩かれた。
「黒河(仮名)に失礼だろ!」とも言われた。
黒河(仮名)は僕の真後ろでションボリと立っていた。傷ついた?ごめんね、クロちゃん。
そんな話はどうでも良くて、丁度、その頃、卒業生が、元・担任に在校生の家庭教師のバイトを依頼したそうな。
担任はその話を僕に振って来た。
僕は少しムカついた。
それは成績が悪いから、家庭教師をつけろ、と呼び出されたからではない。
OBのバイトの斡旋を、安易に俺に回して来るという安直な物件探しにで、<俺も舐められたモンだぜ>と思った。
結局、担任と母が相談して、そいつがうちに来ることになった。
当時、プロレス界はアントニオ猪木が異種格闘技路線を引いていた。
僕は猪木から目が離せなくて、毎日、学校帰りに、駅の売店で東京スポーツを買って帰っていた。
その家庭教師は、東スポを見つけると、「その新聞、やらしい記事あるだろ」と下品に笑った。もう、お下劣!
僕はエッチな紙面を見開きで渡し、<ちょっと、僕、水を飲んで来ますので、それまでそれでも読んでて下さい>
と丁寧に言うと、そいつは、「おぅ!」なんて調子をこきやがって。
僕は水など飲まず、急いで母の所に行き、<先生がお呼びですよ。お急ぎみたい!>と母をせかした。
母は大慌てで部屋に入ると、ニヤニヤして、堂々とスポーツ新聞のエッチ欄を見てる男の姿に出くわして。
<ウッシッシ、作戦成功!ザマァミヤガレ!>。
実際、そいつはロクでもない家庭教師で、僕がそいつから習った事で覚えてるのは1つだけで。
当時、山口百恵が「百恵白書」という全曲、作詞阿木燿子&作曲宇崎竜童、シングルカットなし、という自身初の
トータル・アルバムを出して評判になっていた。クリニックの壁にも飾ってあります↓。

その中に「ミス・ディオール」という歌がある。
歌詞の中では、ミス・ディオールは香水の名前だ、と言っているだけだった。
そいつは、「それはな、ミス・ディオールを着て寝る女、って意味で、つまり裸で寝る女のことだよ」と教えた。
まったく、中学生に何を教えてるんだ。どうしてくれるんだ!いまだに覚えてるぞ。
そいつの楽しみは、家庭教師の帰りに、駅前のパチンコ屋に寄ることだった。
実際、家庭教師が終った後、こっそり尾行したら、そいつは嬉しそうにパチンコ玉を両手ですくって席に向かっていた。
僕は家に帰ってから、少し深刻そうな顔をして、<言おうかどうか迷ってるんだ>と母に言った。
当然、母は聞き出そうとする。
<あの先生、毎回、ここの後に楽しみに寄ってるお店があるのを見ちゃったんだ>と僕は答える。
母はまだ冷静で、やさしく「どんなお店なの?」と尋ねる。
<中学生は入っちゃいけない店なんだ>。
母の顔はにわかに曇り、「なんて店なの?」。
<うる覚えなんだけど、確か、看板に、チンコ、って文字が書いてあったよ>。
すると母は激怒して、勝手にハレンチな勘違いをして、担任にも文句を言って、そいつをクビにした。
パ・チンコなのにね(笑)
僕の中学の担任は、僕を3年間ずっと怒りっ放しだったが、この時、始めて謝られた。
後にも先にもこれっきり。
僕としては、もう少し、この家庭教師と遊んでやっても良かったんだがな。
BGM. 近田春夫&ハルヲフォン「きりきりまい 」


予告ブログ追加編~「語が苦」

2015年新春第1弾は、季節柄、大学受験、共通一次の思い出について書きます。
僕が、英語が苦手なのは、学校の先生の言い付けを守らなかったからで。
タイトルは、「語学」とかけて「語が苦」にしました。
それでは、時計の針を30何年前に戻します。
僕の通っていた学校は中高一貫の男子校で、それは6年制の学校みたいな感じで、部活も一緒にやっていて。
僕はブラバンに所属していたから、中1の時から、「高吹連」のコンクールに出てたりしていた。
中1が1年生で、高3が6年生みたいな感覚かな。
今頃の時分になると、年明けは、高3の先輩の進路の話題になった。
毎年、大抵、ふざけた先輩が一人や二人はいて、「俺、東大、受けてくるから。ヨロシク!」と言って。
そういう事を言う人は、決まって、成績は悪い方で。
そういうのを「記念受験」って呼んでた。つまり、冷やかし、ですね。
だけど、「記念受験」をした先輩が、「東大?受けたけど、落ちたよ。やっぱ、難しいね。歯が立たないよ」と笑う姿と、
往年のプロレスラーが、「ルー・テーズ?戦ったことあるけど、完敗だったね。歯が立たないよ」と回想するシーンは、
どこかちょっと似たニュアンスがあって、僕はいいなと思ってた。
だから、僕も高3になったら、「記念受験」をしようと決めていた。やっぱ伝説のレスラーとは戦っておきたいじゃん。
ところが、そんな先輩方のふざけた態度への対処策か、僕らの前の学年くらいから「共通1次」が採用された。
今のセンター試験みたいなもので、僕らの頃は、国公立を受ける人は必須で、私立受験には関係がなかった。
うちの学校は高2で、「理系」と「文系」が見事に分かれ、「理系」は「理系」しかしないようなカリキュラムで。
国公立を受ける人は、少数だったと思う。そういう人は、別に授業を選択してとってたんだと思う。
成績、良い奴、友達にいなかったから、よく知らないけど。
でも、医学部に行く生徒は多かった。そういう伝統のある学校だった。
だから、僕が受験生の頃は、生徒よりも先生の方が、「共通1次」の対策で大変だったみたいだ。
僕らの一個上の学年はそんなに「共通一次」を受けなかったみたいで。
僕らの学年は少し受験者は増えたが、それでも成績上位者の数名だったと思う。
少なくとも、僕が学校で普通に話すような仲間に、「共通1次」を受ける者はいなかったはずだ。
僕の受験勉強は、私立医大にしぼった勉強しかしてなかったが、「記念受験」はするつもりだった。
それは、中1の時から決めてたから。
僕は、「共通一次」に申し込んだ。
しかし、ここで2点、問題が浮き上がってきた。
1点目は、東大は所謂「足きり」というのをやるから、「共通一次」で高得点を取らねば受験出来ないシステムになっていた。
英・数・国が200点づつで、理科を2つと社会を2つ選択して各100点づつ合計1000点満点で、900点くらい必要だった。
理科と社会は4つのうちから2つをその場で選択して良いから、解き易い問題が多いのをその場で決めようと思った。
そして、「共通一次」にはマークシート方式が導入されていた。
当事はシャーペンはダメで鉛筆のみ、「HB」とか指定もあったと思う。
僕は普段、4Bくらいの濃い芯を使っていたから、試験前に文房具も揃えなければいけなかった。
あと、判らない問題用に、鉛筆の6面を削って、サイコロのように①~⑥の数字を書いて。
どうしても、判らない問題は、これを転がして出た数字に丸をつけることにした。
マークシートは記述式じゃなくて、選択式も多かったから、こういう必殺技が編み出された。
なんとか、これらで足きりを突破しようと考えた。無謀だった。ま、それでも、記念受験にこだわった。
後輩に、<俺、東大、受けてくるから。ヨロシク!>って言う文化を残したかった。これが1点目の問題。
2点目の問題は、もっと深刻だった。
なんと僕は学年末テストの英語が赤点で追試だった。
その日程が、「共通一次」の二日目とかぶっていた。
僕は職員室に、<共通一次があるから、英語の追試は受けれないんスけど~>と言いに行くと、「何!?」と大騒ぎになった。
只でさえ、職員室は不慣れな「共通一次」で大わらわなところに来て、卒業もあやうい生徒がそれを受けると言うのである。
学年末試験の一回をしくじっただけで卒業出来ないのは可愛そうとの救済措置が「追試」だ。
そして、我が校では数名の成績上位者が受けるのが「共通1次」だ。
教師達は、まさか「追試」と「共通一次」の日程がかぶる生徒が出るなどと想定していなかったようだ。
担任は、この時、初めて僕が「共通一次」に出願していることを知り、「お前なぁ」とあからさまにあきれ顔をした。
そのやりとりをみつけた、英語の担当のハゲ山が「追試を受けない者には単位はやらない!」と割り込んできた。
ハゲ山は、そのビジュアルから、いにしえの先輩がそう命名して、我々の代まで伝承され続けているあだ名だった。
<今、担任と話してる所なんだけど邪魔しないでくれる?>と僕が言うと、もっとギャーギャー言い出した。
<受験生には、『落ちる』とか『すべる』って禁句だって知ってる?センセーの頭を見てると、『すべり』そうで縁起悪ぃんだよ>
って僕の口が滑った。
ハゲ山は真っ赤になって怒り心頭だった。ゆでだこのようだった。
「まぁ、待て」と担任が割って入って、「お前、冷静になれ。学校のテストが追試の奴が東大に受かるか?」と諭すように言った。
僕は、<あんたは、自分の生徒を信用できないのか!?>と担任の目をにらみつけた。わずかに担任が視線をそらした時。
僕はここが勝負だとたたみかけた。なるべく優しい声で、スローなテンポで、催眠術師のような声色で。
<自分のクラスから、東大生が出たらどうなる?職員室の中で、株が上がるんじゃないか?>
すると瞬間、担任の目が賭博師の目に変わった。
「お前、本気か?」
<中1の時から、決めてることだ>
しばしの沈黙の後、担任がバクチ打ちのような口調で言い放った。
「判った!受かって来い!英語の追試は俺がなんとかしてやる!」
<やり~!そう来なくっちゃ!じゃ、俺、共通一次、受けてくるから。後のこと、ヨロシク!>
と言う訳で、僕は英語の追試を免除され、共通一次を受けれた。
共通一次と云うのは、比較的、基礎的な問題を出して、難問は出ないと聞いていた。
だから、とりこぼさないように、ということだった。
僕の得意科目は数学だった。自己採点だが、数学は満点だった。
最初の方に力技で計算させる小問があって、あれで焦ってペースを崩すとハマるパターンだった。
でも、僕は直前に「大学への数学」という雑誌を読んでいて、「メネラウスの定理」を覚えていて、それにドンピシャだった。
数秒で出来た。
答えだけを書けば良い問題は、部分点とかをもらえない代わりに、合ってさえいればいいから、途中の式などいらないから、
公式を知ってるか知らないかで大違いだ。
なので、これから受験をする人で、「メネラウスの定理」を知らない人は、式だけでも覚えておくといいんじゃない?
これから受験する人は、こんな記事、読んでないか。
その他の結果は、現国はまぁまぁ出来た。理科もまぁ。社会と古文&漢文は、「サイコロ鉛筆」が大活躍。
しかし、問題の英語が全然、出来なかった。そりゃそうだ、本当なら学校で追試を受けてるはずなんだから。
試験当日は、大雪だったが、番狂わせは起きなかった。
まぐれはなかった。翌日、学校に集まって、自己採点をしたら、結局、足きり。
一応、職員室に報告すると、担任は「わかった。すぐ切り替えろ。腐るな!」とまるで野球部の顧問のようなゲキを飛ばした。
ここは、もう少し、具体的な受験の必勝法とかを伝授すべきじゃないのか?精神論で何とかなるもんじゃないぞ。
そう僕が思ってると、またまたハゲ山が近付いて来た。
「追試は、大目に見たが、まだ単位はとれてないからな。私大受験までに、これをやれ」と分厚い課題を渡された。
<重ぇ~よ!ふざけんなよ!こっちは、これからラスト・スパートなんだ。学校の課題なんかやってられるか!>と思った。
教室に帰って、ブツブツ、文句を言ってると、「ちょっと見せて」と英語が出来る子が、ハゲ山の課題に目を通した。
そして、「これ、学年末試験の範囲だけじゃないよ」だって。
<何だ、それ?>
「高校の全部の範囲から出てるよ」
<マジか?>
「ハゲ山先生も、これ作るの大変だったんじゃないかな」
<じゃ、お前、やるか?>
「冗談じゃないよ。それに、これ、かなり偏ってるよ」
<嫌な奴だな!そんな所にエネルギーかけやがって。陰険だな。ムカつく!>
すると、クラスの皆が、「そうだ!そうだ!陰険だ!」と受験のフラストレーションをここぞとばかり爆発させた。
しかし、課題をやるのは、僕だけだ。
そこで僕は担任に文句を言いに行った。<お前、なんとかするって約束しただろ。どうなってんだ>って。
すると、担任は、「ま、形だけ、やっとけ!出せば良いんだ。出せば!」と珍しく的確なアドバイスを寄こした。
でも、素直にやるのは屈服したみたいで嫌だった。僕は担任の言葉通りに、チャチャっとレポート用紙数枚にマンガを描いた。
ハゲ頭の男が物を持ち上げて「Up!」、ハゲ頭の男が物を下げて「Down!」、脇に置いて「Side!」ってな調子で。↓。

後は、「励ます(ハゲ増す)」とか「儲けが無い(もう毛が無い)」とかの英単語とマンガの挿絵を描いて。
クラスの皆はそれを見て、ゲラゲラ笑っていた。
一番受けたのは、デンマークの地図を書いて、<首都は?>、「コペンハーゲン」。
もはや、英語じゃないし。「ハゲ」って言いたいだけだし。片仮名だし。
でも、これはとっても受けて、卒業までの短い間、ハゲ山のあだ名は、「コペン」になった。
後で知ったのだが、僕の幾つか下の学年では、「ハゲ山」は「コペン」と呼ばれていたそうな。
民間伝承とか街談巷語ってこうやって発生するんだ。
ちょっと話はそれるが、すぐ元に戻すのでご安心を。
僕が大学生になった時、友人から、青山に出来たアイスクリーム屋に、行列するバイトに行かないかと誘われた。
僕は断ったが、後で聞いたらそれが、ハーゲンダッツの日本初店舗の行列のサクラ、のバイトだったらしい。
これも、都市伝説っぽいけどね。
で、もし、僕が高校生の頃に、ハーゲンダッツが日本に進出していたら、ハゲ山のあだ名は「ダッツ」になってたな。
ま、そんなレポートをコペンに提出したら、「これで良いから、課題は課題だ。ちゃんとやれ」と負け惜しみを言ってやがった。
<ま、暇な時ね~>と、単位を貰っちまえば、こっちのもんだ。
で、僕は私大医学部の傾向と対策にとりかかる。
医学部のそれは、ちょっと癖があった。
数学は、数Ⅲはほぼ出ない。その代わり、ひたすら計算させる問題が出る。知力より体力。電卓でいいじゃん、って感じ。
医学を志す者はスタミナが必要だという警告か、わずかなミスも許されない世界への通過儀礼か、機械に頼るなという暗示か。
物理は、原子物理がかなりのボリュームで出る。やっぱ、放射線治療とかがあるからかな。
化学もやっぱり、そんな感じだが、学校によって特徴的な差があった。
ただ、英語の「ヤマ」だけが読めなかった。過去問を解いてるとなんか癖はあるのだが、はっきりは判らない。
まぁ、そもそも、英語に「ヤマ」もあったもんじゃないだろうが。
僕の勝負のポイントは、数学で稼いだ分の点数でどれだけ英語をカバー出来るかだった。
英語が足を引っ張らないか、だった。
結果は、全滅。浪人確定。
国公立の試験(僕は受けない、足きりだから)を待って、予備校の選抜クラスの試験が待っている。
しかし、2週間くらい、ちょっと間が空くのだ。その間にだれてしまい、暗記物はほぼ忘れちゃうし。
駿台の試験は落ちた。なんとか代ゼミのクラスに受かった。
その合格通知に喜んでいたら、親が、「予備校に受かって喜んでてどうする!?」とデリカシーのないことを言った。
世の中は、金属バット事件の頃だ。
僕は脅しで金属バットを買って帰ると、親は血相を変えて、「我が家にも、金属バットが来たか」と身をすくめていた。
なんかそんな自分にも自己嫌悪だし、彼女だけ大学に受かって疎遠になるし。全然、良いことはない。
予備校の4月開講までには少し時間があった。ふと、暇が出来たので、コペンの作った課題をパラパラっと見てみた。
僕はそれを見て驚愕した。そこには、僕の受けた大学の入試試験と似通った問題が並んでいた。
英語が出来る子が、「偏った問題」って言ってたのは、医学部用に「ヤマ」を張ってくれてたのね。
これやってりゃ、受かってたかも~
ごめんね、コペン。良い奴だったのね。
今回の教訓、先生の言うことは聞いた方が良いと思う、でした。
BGM. 高石ともや「受験生ブルース」