こんにちは。受付うかいです。
少し前の荒れた天気とはうってかわって、暑い日が続いていますね。
みなさん熱中症には注意してくださいね。
コンビニに寄ったら色んな種類の熱中症対策の飴が売られていました。
一度も買ったことないのですが、あれって美味しいですか?
想像としては、甘い、しょっぱい、甘い、しょっぱいを舐め終わるまで無限ループ出来るイメージなのですが、違いますか?
口にしたことある方、ぜひ教えてください。
ポカリスウェットも熱中症対策ドリンクとしてはド定番ですが
CMも人気ですよね。
私が1番印象に残ってるポカリのCMは、ダチョウに乗る中山エミリです。
何度も挑戦して最後に乗れるのですが、そのときの
「乗れた、乗れたよー!」と言っている彼女が可愛くて可愛くて。
危険な行為だと思うのですが、「がんばれ!」と応援しながら観ていました。
あの時のポカリはまだ缶なんですよね。
いつの間にかペットボトルが主流になりましたが。
そんな話をしていたら、もっと前は瓶だったことが判明しました。
そして驚くことに、瓶の前は缶でした。
ポカリは缶デビューなんですね~。
ポカリスウェットの公式サイトには、歴史や誕生秘話なども書かれていて
興味深かったです。
ではここで本日最初の曲です。
ダチョウ編のCMでバックに流れていたさわやかなナンバーです。
懐かしさに浸りましょう。
*FIELD OF VIEW 【突然】*
♪~
この間の先生のブログに、苦手なことが書かれていました。
そのネタをパクらせてもらうと、私は走るのがとても遅く、中学生の時に50m11秒という数字をたたき出し、縄跳びでは二重跳びが出来なくて、
跳び箱のたては6段しか跳べず、横は1段すら跳べません。
鉄棒は逆上がりが出来なくて、マット運動は側転はおろか後ろまわりすら出来ません。
ドッヂボールでは当りたくなさすぎて必至で逃げて最後の一人になり、
大縄跳びでは一生入っていけないヘタレ。
まぁ要するに運動音痴なのです。
そんなわたしが唯一できるスポーツが、小さい頃から習っていた水泳で、
私がいるべき場所は陸より海なのだ!と常々言っていたし
「人間は昔、海の生き物だった説」を本気で信じていました。
小学生のある時、スイミングスクールの行事で「海の遠泳」がありました。
子供たちが列をなして海をひらすら平泳ぎで進むだけの、とっても地味なイベントなのですが、いざ泳いでみるととてもしんどい。
いつも泳いでいるプールとは違い、波もあるし、塩っぱいし、肌はヒリヒリする。
浜辺に近い水面は緑色だったのに、進むにつれ藍色になり、その時にはもちろん足はつかないし、なんだか水も冷たい。
怖い、海怖い。
それでも止まることは許されず、進み続けると、一面に広がるクラゲの群れ。
水をかくたびに肩に触れ、少しの間トラウマになるほど気味の悪い光景でした。
折り返し地点でやっと休憩があったのですが、休憩と言っても海。座れる場所なんてありません。
立ち泳ぎで点呼をとり、コーチから鳩の餌のように氷砂糖が投げられそれを口に含むという、今思えばギャグのような光景なのですが、その時の私は必至で氷砂糖に食らいつきました。
あとは戻るだけなのですが、どれだけ水をかいても砂浜が遠い。
もうダメだ、腕が動かん。あとひとかきしたら死ぬ!と思いながらももうひとかき。
それをずっと続けてもなかなか進まない。
みんなそうだったようで、明らかにペースダウン。
前方にいるコーチから
「もうちょっとだから!頑張ろう!」という声が聞こえ、
後方にいるコーチから
「サメに喰われるぞ!ちゃんと泳げ!」という声が聞こえてました。
まさに飴と鞭である。
そしてなんと、衝撃なのは、その後のことは一切覚えていないということ。
まぁ、特になにもなく普通に泳ぎきったのでしょう。
達成感をきっと当時は感じたはずですが、思い出そうとしても何故かクラゲと氷砂糖にかき消されます。
先ほどのポカリのCMは、挑戦し続けることの大切さや、努力の末に得られる達成感などが描かれていると思うのですが、私の場合、達成感は記憶から抹消されていました。
さすがに私もダチョウに乗れれば忘れないとは思うのですが。
余談ですが、氷砂糖はきっと、CM中のポカリの役割を果たしていたのでしょうね。
さて、ここで次の曲へ参りましょう。
*Chappie 【水中メガネ】*
♪~
先ほど「達成感」という言葉が出ました。
私は学生の頃からその気持ちを得ることが少なかったです。
努力が大嫌いでしたから。
(海の遠泳はその中でも大分頑張った記憶です)
だから鉄棒も跳び箱も縄跳びも、最初にほんの少しだけ練習して、出来なければそれ以上の努力はしなかったですし、出来なくても誰も困らないから出来なくてもいいや、と思って未だに出来ないままです。
体育の授業はもちろん大嫌いで、毎回なんとかして出席しない方法を考えたものです。
体育教師って、運動神経の良い子が優遇されるじゃないですか。
中学二年生の時、熱血漢でもなく、怖くて厳しくもなく、無愛想でもない、体育教師っぽくない体育教師が新しく赴任されました。
ひょろっと背の高いその先生は、まだ若いのに頭頂部が薄くて、陰で「ハゲ」というあだ名がついていました。
ある時バレーボールの授業があり、私は仮病で見学をすることになったのですが、ネットをはる準備に借り出されたことがありました。
その時にその先生が言いました。
「俺大学時代バレーボールをやっていてさ、上下関係が厳しくて、下級生イジメがすごかったんだよ。
1年のとき、先輩の前で正座させられて、目の前で先輩からひたすらボールを頭に投げつけられるの。
目をつぶって耐えるんだけど、毎日だぜ?
それ一年間ずっとされたから、頭皮が死んで今こんな状態」
と、「ハゲの理由」をこっそり語られました。
私はその次の体育の時間から、一度も休まず出席しました。
バレーボールの授業の時、アンダーハンドパスの練習をみんなでしていると
「お、おまえうまいな」
と言われ、先生が投げたボールをアンダーハンドパスで返す、というのを見本として皆の前でやらされました。
ダンスの授業の時も、振り付けを覚えるのが早かったから、私ともう一人の女子が見本になって皆の前で踊りました。
どちらも恥ずかしかったけれど、名誉なことでした。
こんなに体育の授業を楽しいと感じたのは初めてで、
バレーボールではオーバーハンドパスも出来る様に何度もイメトレをして、ダンスの練習も家でたくさんしました。
体育の成績表が楽しみで、そんな気持ちもはじめてでした。
五段階評価でいつもは2、良くて3だったので。
頑張って保健の授業も真面目に受け、テストもいい点数をとりました。
学期末、成績表を受け取ったら、保健体育の欄には【3】という数字。
5度見ほどしましたよ。
見本になって一緒にみんなの前で踊った子は【5】でした。
膝から崩れ落ちて、灰になって飛ばされそうなほどショックでした。
あんなに頑張ったのに。
何故この結果なのか、考えても考えてもわからず
努力が数字に反映されなかったことに悲しさよりも怒りが沸き、
当時の私はその体育教師にどちらかと言えば好意を抱いていましたが、
瞬間的に憎しみに変わり、その憎しみをどう表現していいかわからず、
ひたすら避け続けました。
その先生は赴任されてそんなに経っていないのに、すぐに消え去りました。
別の学校へ行ったのか、教師を辞めたのかは覚えていませんが、
その先生の最後の日、たまたま職員室前でバッタリ会った時
「そうだよな。お前、俺のこと嫌いだもんな」
と急に言われました。
避けてたことがまるわかりだったのだと気が付き、罪悪感を覚えました。
でも、私にも意地があります。
「先生こそ、私が嫌いなんでしょう?だから【3】をつけたんでしょ?」
・・・とは言えませんでした。
無言で頷き、走って、逃げました。
苦い思い出です。
それ以降、もともと嫌いだった体育はもっと嫌いになりました。
そしてこの時の私は、高校2年のとき体育教師が担任になり、壮絶な日々を送ることになるとは夢にも思わないのでした。
この話はまたいつか。
さて、次の曲はこちら。
タイトルだけ見ると【3】を見たときの私の気持ちのようですが
大人な失恋ソングです。
それではどうぞ!
*大沢誉志幸 【そして僕は途方に暮れる】*
♪~
さて、お別れの時間がやってまいりました。
初放送でしたが、いかがでしたでしょうか?
このラジオは、みなさまからのお便りやリクエスト曲などを募集しています。
コメント欄を活用していただくか、受付で直接言っていただいてもかまいません。
お待ちしております。
それでは皆様、最後にこの曲を聴きながらお別れです。
*松田聖子 【sleeping beauty】*
♪~
ということで、今回のブログはラジオ形式でお届けしました。
といってもひだまりラジオと、江頭2:50のラジオしかまともに聞いたことがない私なので、
なんだかよくわからない一人語りになってしまいました。反省。
そもそもラジオを文章にするなんて高度な技術ですよ。
できませんよ。笑
文字だらけで皆さん、疲れましたよね。
でも、なんでもありの十中八九N・Gです!
挑戦も大事!
第2弾があるのか、ないのか。。。
もしあったときのために、ラジオを聞いて勉強しておきます。
BGM: JUDY AND MARY 「RADIO」