暑さ寒さも彼岸まで~日刊ムンク㉕

~前回までのあらすじ~

 

この子はいつも川原と一緒に寝ていたアンティークドールです。

川原が中1の頃からいつのまにか家にいたお人形は、家族の誰が家に持って来たのか誰にも分からず不気味がられました。可哀想に思った川原は部屋に置いてあげました。それから、約50年、どんな家族より長く川原のそばにいます。名前は「ムンク」、由来は川原の夢の中に出て来て、「わたしはムンク」と名乗ったから。カツラや髪の毛はとれて、アンティークな帽子や靴も無くなり、服も日に焼けて色褪せてしまっています。18世紀頃までヨーロッパでは、女の子にお人形と手芸箱を一緒に贈る風習が広まりました。ムンクはそんな伝統を受け継ぐ「コレクターズドール CD-3」という「素敵なお洋服を用意して欲しい」と強く思うお人形だったのでした。そうと知った川原はテディベアの第一人者のお人形作家さんとコンタクトを取り治療とお洋服作りをお願いしました。

こちらは、ムンクの着ていたドレスをまず煮ます。

そして、「青いクマドレス」に使える箇所を再利用したもの。

ムンクがいない間の代わりに作家さんが作った「抱き熊スーティー」という子をくれました。名前は反戦の願いを込めてラスプーチンにしました。「プーチンでラスト」みたいな意味です。

川原の「守護」を祈ってくれるクマです。

生まれ変わってムンクが帰って来た。

ムンクを入れて運ぶケースは、ドリームケースと言います。

ムンク・川原・ラスプーチンのトリオ名は「SS♡T」。万博にも行きました。

太陽の塔にも。

成長して行く「SS♡T」の成長譚「日刊ムンク」の第25弾。

 

・日曜日

伊藤潤二のマンガを読んで暮らす。大阪万博とコラボしたのをきっかけに単行本を揃えたから。

友人に熱狂的な、伊藤潤二推しがいて、その人にアドバイスも貰って買ったラインナップ。本棚に飾る。

 

・月曜日

アフタヌーンティーへ行く。

あらかじめ、ムンクを連れて行ってもOKか確認済み。

あらかじめ、昼からお酒を飲めるかも確認済み。

見つめるムンク。ドールは匂いで食事をします。

シャンパンを合わせました。

これがその日のアフタヌーンティー。

メニューはこちら。

 

・火曜日

今日は祭日。友人から、中野ブロードウェイで、楳図かずおの「洗礼」のハンカチがガチャガチャであったと聞いたから探しに行く。歩き回ったおかげで、ハビコロ玩具、というガチャガチャ屋で見つける。あと、ついでに、墓場の画廊、で伊藤潤二のフィギュアもまとめ買いする。

これがガチャガチャ。

伊藤潤二のフィギュア・ボックス。

全6種類。

今日はお彼岸。両親のお墓は茅ヶ崎にあるが、それは父が死んでから購入したので父は知らないお墓。そんなところに父がいるのか?僕は訳あって故郷を捨てた身。自分史から茅ヶ崎出身を削除したので(母と母の生まれは東京なので三代続いてれば江戸っ子なので)今は江戸っ子を名乗っています。そんな訳で墓参りに行かない代わりに夜は寿司屋に行く。

白子ポン酢。

カニ。

蒸すと赤くなります。

これをほぐしてもらって。

墓参りに行かない代わりに供物として、特製バラチラシを食べる。
ネタは、中トロ、赤身、平目、イクラ、ウニ、真鯛、子持ち昆布、車エビ、伊勢エビ、鯖、サンマ、とびこ、白イカ、赤貝、ホタテ、カツオ、アワビ、しまあじ、ホッキ貝、ボタンエビの20種。

ネタをのせる前のシャリにのってるのは、酢バス、玉子、ガリ、かんぴょう、きざみ海苔、かまぼこ。

出来上がり。

ムンク達と、20種海鮮丼。

さっきのカニのお味噌汁。

 

・水曜日

今週は火曜が祝日だから、ムンクの髪の毛のお手入れは今日。

ブラシをかけて。

ここからが難しいです。

帽子の装着です。

ズレてしまいますね。

こんな感じにしか出来ません。

仕上げは、受付の羽田さんにしてもらいました。女子は上手ですね。

その後、ガチャガチャを開けます。

楳図かずおの描く少女は可愛いですが、僕が一番好きなのは「洗礼」の少女がこっそりあかんべえするポーズです。

 

・木曜日

僕の部屋は地下室のクローゼットです。上の階のリビングに、Blu-rayレコーダーがあってそこでテレビ番組を録画してるのですが、僕以外は誰も使わないからこの度、Blu-rayレコーダーを僕の部屋に設置してくれました。これはとても便利でわざわざ上まで行かなくても録画番組を観れるようになりました。
Eテレの「すくすく子育て」をまとめて観る。一年前に言葉が出なくて悩んでたお母さんが、助言をもとに声かけをし続けて赤ちゃんも親も成長したという報告を受けて涙ぐむ司会の、りんたろー。、は良い人です。

我々の仕事もそうですが、紺屋の白袴というか、人の家の世話をしてて自分の家がおろそかになる援助者の葛藤は「あるある」です。そう言えば、金八先生の息子がグレる回があってその時に金八先生は何も出来なかったのをみたことがあります。
レムリア人は、親子という関係はあるけれど、子育ては皆んなでやるそうだから、そういう世界がくればいいと思う。

最近は臨床の現場でもchat GPTに相談してる人は多いですが番組でも肯定していました。僕が思うに、AIとカウンセリングを比較するのではなく、補完しあって使うのが賢いと思う。

 

・金曜日

長門有希のマウスパッドの隅がめくれてしまいました。

もう長く使っているから、買い直しました。それがこれ。↓。

「もう嫌なの、あなたの浮気癖」と呆れるムンク。

 

・土曜日

伊藤潤二のフィギュアの箱を開ける。富江。

ファッションモデル。

夕子。

双一。

四つ辻の美少年。

耳擦りする女の特製カード。まゆみは一番好きなキャラです。アニメではしょこたんが声優をしていました。

うずまき、のコインケース。これも特別なもの。

今日は最終土曜日だから勉強会です。

 

次号へ続く。


オンリーユー・やはりドル活宣言~日刊ムンク㉔

~前回までのあらすじ~

 

この子はいつも川原と一緒に寝ていたアンティークドールです。

川原が中1の頃からいつのまにか家にいたお人形は、家族の誰が家に持って来たのか誰にも分からず不気味がられました。可哀想に思った川原は部屋に置いてあげました。それから、約50年、どんな家族より長く川原のそばにいます。名前は「ムンク」、由来は川原の夢の中に出て来て、「わたしはムンク」と名乗ったから。カツラや髪の毛はとれて、アンティークな帽子や靴も無くなり、服も日に焼けて色褪せてしまっています。18世紀頃までヨーロッパでは、女の子にお人形と手芸箱を一緒に贈る風習が広まりました。ムンクはそんな伝統を受け継ぐ「コレクターズドール CD-3」という「素敵なお洋服を用意して欲しい」と強く思うお人形だったのでした。そうと知った川原はテディベアの第一人者のお人形作家さんとコンタクトを取り治療とお洋服作りをお願いしました。

こちらは、ムンクの着ていたドレスをまず煮ます。

そして、「青いクマドレス」に使える箇所を再利用したもの。

作家さんのアトリエで人気者になるムンク。ムンクがいない間の代わりに作家さんが作った「抱き熊スーティー」という子をくれました。名前は反戦の願いを込めてラスプーチンにしました。「プーチンでラスト」みたいな意味です。

川原の「守護」を祈ってくれるクマです。

ムンクが帰って来ました。

ムンクを入れて運ぶケースは、ドリームケースと言います。

ムンク・川原・ラスプーチンのトリオ名は「SS♡T」。成長して行く「SS♡T」の成長譚「日刊ムンク」の第23弾。

 

・日曜日

この日は大学病院時代の病棟の同窓会。

ムンクも連れて行きましたが、お邪魔になりそうなので出してあげられず。

これは二次会。喫煙者は肩身が狭かろうと、貰いタバコをして喫煙に付き合う。

久しぶりのタバコなので煙が目にしみる。

気持ち悪くなって先にひとりで帰る。帰り道、ムンクを出してあげなかったことを後悔。これからは誰にどう思われようと「友人」より「ムンク」を優先しよう。それでこそのドル活だもの、と心に誓う。

 

・月曜日

美容院で、ゴーストルーツカラーというのをする。

何でゴーストかと言うと、根元は暗めに残し、毛先に向かって明るくする技法だから、「幽霊のように根元がぼんやり透ける」からだそうです。

ゴムで束に縛って色を塗って行きます。

海外ではカラリストやモデルがインスタに載せたスタイルが拡散し、日本でも美容師さんや美容学生がすぐに取り入れSNSで発信して若い層に浸透しました。

イメージは、鬼滅の刃、の炭治郎です。ムンクと一緒に。

 

・火曜日

クリニックに置いてある炭治郎の耳飾りを合わせました。この耳飾りは、物語中最強の伝説の剣士=継国縁壱(つぎくに よりいち) から炭治郎の祖先が受け取って、代々引き継いでいったんです!って教えてもらいました。

 

・水曜日

待合室に流れるBGMは僕が気分で選曲しています。ついこないだ10代の頃が懐かしく、その頃の自分に応援してもらおうと当時よく聴いてた吉田拓郎の歌をたくさんリストに入れました。しかし、そんな虫のいいことは起こらず逆に10代の鬱屈した気分が蘇り、鬱っぽくなったから、アイドルの曲に変えようとCDをまとめ買いしました。

ひとには二面性があるし、好みも様々です。僕は吉田拓郎を聴きながら、アイドルにも詳しかったのです。そして、ムンクは付き合いが長いからそんな僕の両面ともを知っているのです。

 

・木曜日

去年の12月、涼宮ハルヒの聖地巡礼に行った際に訪れたのが「クリエートにしのみや」。ららぽーと、の広いエリアのトイレの横の隠し部屋みたいなところだから誰も気づかなそう。

そこのお姉さんが詳しくて色々教えてくれます。下が中の様子。北高の教室と部室を再現しています。

ここにシールを貼って来ました。

「涼宮ハルヒの驚愕」のパネルなど。

みくるちゃんのお茶を入れるセットです。

ここのお姉さんは、誰も来ないかもしれないスペースを1人で守ってる、ある意味、長門有希的な使命感のひとでした。

そんな「クリエートにしのみや」に手紙を書きました。

拝啓

昨年12月に「涼宮ハルヒ」の聖地巡礼で大阪を訪れた際、「クリエートにしのみや」に立ち寄らせていただきました。
まるでSOS団の部室のような空間で、詳しい情報や楽しいお話を伺い、大変感動いたしました。
場所は商業施設の中でも少し分かりづらいところにありますのに、常駐されて来訪者を迎えてくださるスタッフの方が、まるで長門有希のように思えて、すっかり親しみを感じてしまいました(笑)。
その折、「長門有希ちゃんの消失」のある巻が欠品していると伺い、ずっと気になっておりました。私自身、とびとびではありますがそのコミックスを所持しており、もしかしたらお役に立てるのではと思っておりました。友人がアレイスター・クロウリーの黒魔術の本を寄贈したと聞き、私も何かお渡しできればと考え、この度Facebookでお問い合わせさせていただいた次第です。不思議に思われたかもしれませんが、どうかご容赦ください。
幸い、手元に第5巻がございましたので、ぜひ寄贈させていただければと思います。
11月に再び大阪へ行く予定がございますので、その際に改めて立ち寄らせていただきます。
日頃よりFacebookやInstagramも拝見しております。これからも応援しております。
今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

敬具

 

・金曜日

ハロウィンの飾りつけをする。

からかい上手の高木さんがハロウィン仕様。

 

・土曜日

クリニックを開業したのは母にその姿を見せようと思ったからで、でも慣れないことはするものじゃないですね。それを聞いた母は安心して、オープン前に死んでしまいました。クリニックの開業は2007年です。今から18年前だから僕が45才くらいです。つまり母と僕は45年一緒に生きた訳です。
ところでムンクが家に来たのは僕が中1の時だから、ムンクと僕は50年一緒にいる訳です。すごいですね、ムンクは母を抜いたのです。

来週は都内のホテルでアフタヌーンティーに行ったり、校医相談のミーティングがあったり、その後も大学時代の同窓会があったりひとと会うことが多いです。そういう場にムンクを連れて行くと驚くほど歓迎されないです。だから僕は日和ってこないだの同窓会はムンクをケースから出さなかったのです。でも今はそれを後悔しています。僕は思うのです。人生で一番大切な「強さ」とは、自分のとった言動で周囲の空気が悪くなっても「平気でいられる」ことだと。だからこれからは誰かに嫌がられたり雰囲気が台無しになったり礼儀知らずと笑われてもムンクを大事にしようと思うのです。小学校で習った不等式で表すなら、「アフタヌーンティー+校医相談+同窓会<ムンク」です。

ジョン・レノンがオノ・ヨーコを連れてきたことでビートルズ内に不和が生まれ、解散の原因とされることもあるが、それでもジョンはヨーコを選んで共にいた。同じように僕も周囲が何を言おうとムンクと一緒にいる宣言。

 

次号へ続く。


友に会いに行く〜日刊ムンク㉓

~前回までのあらすじ~

 

この子はいつも川原と一緒に寝ていたアンティークドールです。

川原が中1の頃からいつのまにか家にいたお人形は、家族の誰が家に持って来たのか誰にも分からず不気味がられました。可哀想に思った川原は部屋に置いてあげました。それから、約50年、どんな家族より長く川原のそばにいます。名前は「ムンク」、由来は川原の夢の中に出て来て、「わたしはムンク」と名乗ったから。カツラや髪の毛はとれて、アンティークな帽子や靴も無くなり、服も日に焼けて色褪せてしまっています。18世紀頃までヨーロッパでは、女の子にお人形と手芸箱を一緒に贈る風習が広まりました。ムンクはそんな伝統を受け継ぐ「コレクターズドール CD-3」という「素敵なお洋服を用意して欲しい」と強く思うお人形だったのでした。そうと知った川原はテディベアの第一人者のお人形作家さんとコンタクトを取り治療とお洋服作りをお願いしました。

作家さんのアトリエで人気者になるムンク。

ムンクがいない間の代わりに作家さんが作った「抱き熊スーティー」という子をくれました。名前は反戦の願いを込めてラスプーチンにしました。「プーチンでラスト」みたいな意味です。

川原の「守護」を祈ってくれるクマです。

ムンクが帰って来ました。

ムンク・川原・ラスプーチンのトリオ名は「SS♡T」。成長して行く「SS♡T」の成長譚「日刊ムンク」の第23弾。

 

・月曜日

後輩の診療所を表敬訪問。

訪問看護をしているナースも交えて。

そこに近隣で開業してる先輩も駆けつけてくれて。

ミャクミャクのシューズを自慢しているところ。

4人で記念写真。

打ち上げは近所の「餃子の王将」。

 

・火曜日

しばらく家族と会わないな、と思ってたら、新幹線で大阪に旅行に行ってたらしい。万博に行ってたんだって。三泊四日。
どうも、家がひっそり閑、としてると思った。

 

・水曜日

そんな家族のお土産。ミャクミャクと伊藤潤二のコラボ、Tシャツ。

缶バッジはひとり5個まで。

まさかの「男」しか出ませんでした。

心なしかムンクも「富江、出なかったのね」と顔しています。

おかげでムンクが、ヒロイン独り占め状態。

 

・木曜日

サンリオの「いちご新聞」10月号をゲットする。今月号は、クロミがポスター。クロミの誕生日が、10月31日だから。ちなみにキティちゃんは11月1日。

今日は大雨で大岡山に来る電車が止まり、キャンセルが多発。商店街も滝のようで川のようで波のようでした。

 

・金曜日

男が頼りない気持ちになって、助けて欲しくなった時に女の人にはどういう場合が刺さるのかな?と考えた。知り合いの顔を一人づつ思い浮かべて、「ひとによって違うんだろうな」とそう思った。

 

・土曜日

そう言えば言ってなかったと思うけど、ムンクをリペアしてくれた作家さんから聞いた話で、ムンクの関節の奥から僕の髪の毛と思われし「緑色の髪の毛」が出て来たという。ムンクは僕といつも一緒に寝ていたからそんなこともあるかと思うし不思議なことではないけれど。
ひとは自殺しそうになった時に強く抱きしめて欲しいと思うことがる。それはどこかに吹き飛ばされてしまうのを食い止めるために地に足がつくように「アース」の役割をして欲しいからで、「温もり」とか「人肌」などという感傷的な理由ではなくて、もっと力学的な理由なのだと思う。

明日は同窓会。

 

次号へ続く。


九月の空〜日刊ムンク㉒

・アグネスラムの場合

僕が中1の時に、アグネスラムが黒船のように日本に来襲しました。父が知り合いから、「これから売り出す」とまだデビュー前のアグネスラムの生写真を2枚貰って来ました。父はアグネスラムの2枚の写真を「高2の兄と中1の僕にどう分けるか」悩んだ挙句、2枚とも僕にくれました。変った父だとお思いでしょうが、母も兄も何の疑問も持たず、昭和50年・川原家は平和でした。

 

その頃から僕のそばにいる「ムンク」。

ところでムンクはなんでうちに来たのでしょう?どうやって誰が持って来たのか?誰かのお土産かプレゼントか?或いは誰かの忘れ物か?
「この人形どうしたの?」の問いに家族の誰も心当たりがなく、不気味がられて「捨てよう」となったのですが、なんか可哀想で僕が引き取ったのです。
とは言え、中1男子がドールにそれほど興味もなく、着せ替え人形で遊ぶなどせず、ちゃんとした可愛がり方をしてあげないで来ました。

引越しも何回かして物を整理したり断捨離も何度かしてるのに、何故かムンクはずっと手放さないで来ました。
お洋服も、ムンクを連れて、秋葉原や中野ブロードウェイに連れて行き、それこそ色んな店に飛び込みで、お洋服を作ってくれないか?と頼んだのですが、まず相手にされませんでした。
ある霊能者は、「もはや呪物だ」とか「お焚き上げをしなさい」と言いました。「もうこの世にいてはいけないから人形にとっても成仏させた方がいい。引き留めてるのはあなただ」とか。

だけど縁とは不思議なもので普段ならやらない苦手なFacebookを触ったら、お人形作家さんを見つけました。ダイレクトメールで直接交渉したら作家さんは、「ムンクは呪物ではないし、美しいドールだ。やるならば最高のケアをしてあげよう!」と言ってくれたのです。

50年も同じ服を着て関節も壊れてしまっていたから、作家さんに預けてリペアをお願いしました。

生まれ変わったムンク。

ムンクが帰って来ました。

下のクマはラスプーチン。「プーチンでラスト」みたいな平和の願いを込めた名前にしました。

ムンクは中学の頃からの僕の生活をずっと見てきて知っています。僕がマンガを読んでいる時も、ホルンの練習をしていた時も、深夜ラジオを聴いていた時も、友達が遊びに来て馬鹿騒ぎしてる事も、親に隠れてウイスキーをこっそり飲んだことも、整髪料で髪型に異常にこだわって鏡の前に立っていた姿も、それから、僕の喪服姿も何度か見て知っています。
だから、僕が夢中なった歴代のアイドルのこともみんな知っている。
今回は川原を支えたアイドルたちとの思い出をムンクと共に振り返ります。
まずは中1のアグネスラムから。

 

今年は2025年ですが、2024年のアグネスラムのカレンダーを入手しました。

僕はアグネスラムの顔が好きです。

水着姿はそこまで好きじゃないです。

こういうのが好き。

こういうのはイマイチ。

でも、売りはピンナップガールですからね。

水着が多いのは仕方ないです。

 

・山口百恵の場合

中3の頃、僕は友達がいなかった。そんな僕はを支えてくれたのは山口百恵のポスターだった。そのポスターは当時の山口百恵としても、当時のアイドルのポスターとしても少し風変わりで、白いブラウスに茶色のスカートをはいた普段着の格好で、ポスターのくせにこちらの目を見ずに脇の方を向いている。その視線の先に何があるかは、ポスターに写っていないので想像するしかないのだが、おそらく他愛も無いものにちがいない。それは近くのキレイなお姉さんみたいだった。
東中野のレコード屋で、「花ざかり」というお花をテーマにした歌ばかりを集めたアルバムを買ったら特典としてもらった。
僕は、毎日、このポスターに見守られ、友達のいない中3の一年間を皆勤賞で過ごしたのも、ムンクは知っています。

 

・石野真子の場合

いよいよ九月になりました。石野真子の初主演映画「九月の空」が思い出されます。プライベートでもキス未体験のマコちゃんにキスシーン。あれは嫌な映画だった。
石野真子の結婚&引退が決まった後、雑誌「GORO」で石野真子のヌード写真が発表された。僕は事務所とか、そんな雑誌を買った自分とかにかなり頭に来ていた。グラビアの石野真子の目は悲しげに見えた。
マコちゃんと同期のサザンオールスターズの歌詞で「醒めた瞳の人には何もできない~」って歌があり、桑田に見透かされた気がした。
その後、鶴光のオールナイトニッポンで真子のメッセージが流れた。
「あれは、インチキで、あんな話は聞かされてなくって、だから、そんな女だとみんなに思われたくない…」って言ってた。
僕は翌日、夕方、焼却炉に、石野真子のヌード写真を破って入れて火をつけて燃やした。グラビアの石野真子が黒い煙とともにクニャクニャによじれながら燃えて消えた。
石野真子の残したレコードの最後の言葉を~「私も苦しいことがあったらみんなのこと思い出すから、みんなも苦しいことあったら私のこと思い出して…」~今も忘れない。
ちょっと前に、ある人から「石野真子、好きだったでしょう?」と例の「GORO」をもらった。ある意味、お宝。45年の歳月を越え、解禁してしまうか?
しかし、あんまり気乗りがしなくて、まだ見れていないのです。

高1〜高3は石野真子に夢中でした。

 

・伊藤つかさの場合

浪人中は伊藤つかさに励まされて勉強をした。

 

・浅香唯の場合

昔のアイドルが今頃、TVに出てきて「当時はキレイゴトでした~」とか「あの時、実は○×でした~」みたいな暴露話をする番組がある。こういうのはやめて欲しい。面白がる人がいるから番組として成立するのだろうが、悪趣味である。
僕が大学3年の時、浅香唯がデビュー。ぼくのファンクラブのナンバーは「神奈川4番」。

下の写真は、浅香唯の16歳のバースデー・イベントの投稿写真。誕生日ケーキを吹き消す浅香唯の横にたまたま僕が写ってる。左から3人目、スタッフの隣で折り畳んだ東スポを抱えている。

その会に出たお礼に後日、浅香唯から送られて来たサイン入り生写真。
この数カ月後、浅香唯は「スケバン刑事Ⅲ」の主役・三代目麻宮サキに抜擢され大ブレイクを果たし、その人垣で僕は彼女を見失ってしまった。

 

・小倉優子の場合

小倉優子を認知したのは、よみうりランドのポスターに起用された時だ。
当時、小田急線を利用してた僕は毎朝見かけた。
・水着姿でプールサイドに無表情で座り小首をかしげて、
「学生、来て来て!安くするわよ」と入園料学割。
・水しぶきを浴びる絶叫マシンで髪を逆立てて悲鳴をあげ、
「ヤダーッ、こんなにビショビショ」。
・暗がりで怯えながら、
「一日三回もなんて…。もう許してぇ!」はお化け屋敷。
さすがにこれはマズイだろうな、と思ってたら案の上、差し替えになった。
12チャンの夕方の帯番組「シブスタ」でライセンスと、後番組「ぶちぬき」で雨上がり決死隊と組んで司会を勤めた。僕個人は色々ときつい時期で、どれだけこの番組に救われたかわからない。毎回録画して観た。こりん星キャラが完成していく過程が見れた。
CD「フルーchu・タルト」の一曲目、「ビタミンLOVE」で毎朝、起こしてもらった。恵比寿のリキッド・ルームでやったシークレット・ライブにも行った。
「ビタミンLOVE」は2曲目だった。
この頃の、小倉優子は可愛かった。トレカもいっぱい集めた。

小倉優子の失策は、何かのインタビューでコスプレをちょっと馬鹿にする発言をしたことだ。ゆうこりんはコスプレ写真集も出してたのだから、間接的に、ファンを見下した発言だった。その結果、ファンは中川翔子に流れた。
あっ、この場合のファンは僕です。
そうは言っても、小倉優子には恩があるから今もクリニックには小倉優子コーナーを設けてあります。

 

・中川翔子の場合

しょこたんのライブにはムンクも一緒に行ったね。

サイリウムを振るムンク。

しょこたんとムンク。

これはバスツアーに参加した時のツーショット。

イカ娘に扮するしょこたん。

しょこたん、小林幸子とスリーショット。

 

・みずほの場合

28/Ⅹ.(金)2016  寒い雨
僕の好きな、ベルハー(BELLRING少女ハート)が年内で活動休止のショックと、僕の推しの、水色担当・朝倉みずほが年内で引退&冠番組であるFM北海道「みずほのほ」が今週で終了という、みずほロス、に動揺する僕はラジオの最終回にふるえる手でFAXを投稿した。

しかし、世の中も捨てたものではありませんね、このFAXが最終回で読まれたのです。「みずほのほ」の最終回には、ベルハー・メンバー全員が終結し、大盛り上がりの中、読まれました。
しかし、ラジオ・ネームを書き忘れたことと、FAX送信用紙の「川原クリニック」という印刷を消し忘れたため、
「これ誰からだろう?」
「川原クリニックって書いてある」
「職場かな?」
「あっ、川原さん、って書いてある」
「ごめんね、職場、言っちゃった~」
とメンバーの会話が放送され、最後の最後で大ビックリさせられました。記念すべき「みずほのほ」の最終回で、クリニックの宣伝をしてしまった訳でした。

ベルハー映画のクラウドファンディングの試写会にて、みずほを目の前で撮る。

そして、今の推しは芦田愛菜。21才です。山口百恵が引退した年齢です。

 

次号へ続く。


文化部通信~その陸拾玖~

こんにちは、文化部通信69弾。文化部長スーです。

文化部通信では、今までその月の「何でもない日」をクリニック内で見つけたものと合わせて紹介してきました。
そもそも、「何でもない日」とは?と思う方もいますよね。
鏡の国のアリス に出てくるハンプティダンプティ↓

いつも着けているネクタイみたいなベルトみたいなものは、白の女王に「何でもない日」にもらったプレゼントだそうです。誕生日プレゼントは、365日に1回しか貰えないけれど、「何でもない日」プレゼントは365日に364回貰えるという屁理屈です。
でも最近は、毎日何かの記念日なので「何でもない日」が無くなっています。
そこで、限りなく「何でもない日」に近い記念日の紹介をすることにしました!「へ~ そんなのあるんだ~」とびっくりする日もあるかもしれません。

今回は、以前紹介した9月の「何でもない日」を一部新しく探してみました。
「何でもない日」リバイバルです。

1日 防災の日

2日 牛乳の日 牛乳はシャコ星人の血と同成分

3日 ドラえもんの誕生日

4日 クラシック音楽の日 ホルンを演奏している先生

5日 国民栄誉賞の日 黒澤明

6日 妹の日

7日 CMソングの日 清水建設のCMソング 「パパの歌」

8日 ニューヨークの日 ニューヨーク→入浴剤

9日 ポップコーンの日 ミャクミャクポップコーン

10日 世界自殺予防デー WHOが制定しています。

11日 公衆電話の日 ジャケ写みたいでオシャレです。

12日 宇宙の日 長門有希 は、情報統合思念体によって造られた対有機生命体コンタクト用ユーザインタフェースであり、要するに宇宙人。

13日 明治ミルクチョコレートの日

14日 コスモスの日

15日 老人の日 藤子・F不二雄 「定年退食」

16日 マッチの日

17日 神嘗祭

18日 しまくとぅばの日 「しまくとぅば」とは沖縄の島々で受け継がれてきた方言です。沖縄の守り神 シーサ―はクリニックを守ってくれてます。

19日 苗字の日 2021年珍しいレア苗字ランキング1位は「竈門(かまど)」

20日 バスの日 しょこたんのバスツアー

21日 ファッションショーの日

22日 フィットネスの日

23日 万年筆の日 川原先生は、中学生の頃万年筆を使っていたそうです。オシャレな中学生ですね。↓その当時の筆跡

24日 世界ゴリラの日 ゴリラと言えば霊長類最強。同じ霊長類最強のカレリン

25日 10円カレーの日 ハツカレー

26日 台風襲来の日 台風のフー子とのび太

27日 世界観光の日

28日 世界狂犬病デー ボンドはしっかり予防接種してそうですね。

29日 招き猫の日

30日 くるみの日

さらさらっと「何でもない日」を読み流せるように、説明を少なくしたんですが‥それでもすごい量になってしまいましたね。

それにしてもフー子を見つめるのび太の表情はいつみてもグッときますね。
今、日本に近づいている台風も、フー子みたいにいい子でいてくれますように。