カップルシート〜日刊ムンク㉙

~前回までのあらすじ~

 

中1の頃から川原のそばにいるドールの名前は「ムンク」。この写真は中川翔子のデビュー10周年を記念したライブ「超☆野音祭」at日比谷野音の時のです。


テディベア作家さんにリペアをお願いし、生まれ変わってムンクが帰って来ました。

作家さんは川原の「守護」を祈るクマ「抱き熊スーティー」をくれました。ラスプーチンと命名し、お花見もしました。

夢洲万博にも行きました。大屋根リングにて。

ムンク・川原・ラスプーチンの成長譚「日刊ムンク」の第29弾。

 

🌀カップルシート。

ムンクと映画デート。

奮発してカップルシートを予約しました。

なんの映画を観たって?チェンソーマンのレゼ編です。

 

🌀カニを食べよう。

ドールは匂いで食事をします。僕は日本酒派です。

カニのオードブル。

カニのお刺身。

寒いですから茶碗蒸しが美味しい季節です。

焼きガニ。

カニしゃぶ。出汁でしゃぶしゃぶします。

カニの天麩羅。この辺りでお腹がいっぱいになります。

カニ寿司。これはお土産にしましょう。

 

🌀きつね。

子供の頃に聞いた歌でアメリカの民謡だと思うのですが、「きつね」という変な歌があります。きつねのお父さんが家で待つ家族のためにガチョウを狩りに行くという歌で、お腹を空かせた女房や子供たちのために稼ぐ男の生き様なのです。それと同じ頃、「サザエさん」で波平が酔っ払って帰る時に、お土産に家族に寿司折を持って帰ると、子どもたちが小躍りして喜ぶ様がセットで刷り込まれています。
でも、うちの家族は僕が酔ってお土産を買って帰っても、「誰も食べないから買って来ないで」と言います。仕方がないので朝に珈琲館で飲み物を買って受付にあげるのですが、「クリニックに来てから、●キロ太った」と言われ遠回しに遠慮されてる気がします。昔うちにいたスタッフが新人に教育してるのを小耳にはさんだことがあるのですが、「先生はご馳走するのが趣味だから断っちゃいけない」と戒めていました。


コロナの頃、おじさんは死んで葬儀もなくて、アポなしで家に行きました。おばさんは78才でしたが、耳が遠くなかなか呼び鈴を押しても出て来なくてしつこく鳴らし続けたら出て来て、僕が挨拶すると中に入れてくれました。
僕は差し入れの「水谷隼のカレー」を5箱、渡すと、「何これ?」と怪訝な顔で箱ごと脇に放っぱりました。
お金を渡すとそののし袋をみて、「あら、やだ!たっちゃん?よく来てくれたわね~」って。誰だか分からない人を家に入れるのは危ないと思いました。老人への「オレオレ詐欺」がなくならない訳ですね。で、まぁ、散々色んな思い出話や苦労話を聞きました。コロナ禍だから面会も出来なかったそうです。
おばさんは僕の訪問をとても喜んでくれて色んなお土産をくれました。化粧品・歯磨き粉・栄養ドリンク・ビタミン剤など。そうです、おばさんは薬局をやってるのです。「シャンプー・リンスもいる?」。それでもまだ何かあげる物がないかをシャッターを閉じるギリギリまで探してて、最後に「馬油」をくれました。さすがプロですね。ネイルで着飾って目くらまししてるつもりでも僕の手の甲の荒れを見逃さなかったのです。
おばさんは最寄り駅まで送ると寒い中、送ってくれました。僕はここで風邪でもひかれたら僕がコロナを伝染したと怪しまれそうなので断ったのですが、「いいから、いいから」と強引です。ちょっとの再会の時間で二人の関係性の時計が巻き戻され、おばさんは30代で僕は幼稚園生くらいに世話を焼かれる立場にタイムスリップ。おばさんは道すがら銀杏並木の歩道に黄色い葉っぱがたくさん落ちてるのを指さして「ほら、イチョウ」と教えてくれます。「知ってるよ」(笑)です。おばさんは駅の改札越しにバイバイした後もふり返るとこっちを見てて目が合うとお辞儀をするからこっちもお辞儀を返して、数歩歩いて振り向くとまだこっちを見てるからお辞儀して。そんなことを10分くらいしてました。大切な人に何かをあげたいというのは結構、人間の普遍的な心理なのかなと思いました。皆さんはどうですか?それとも「川原家」の血脈かしら?

 

🌀エメラルド色。

11月5日は、母の誕生日。子供の時、兄弟でお金を出し合い、プレゼントをしたのはおもちゃの指輪。多分、数百円の代物で、エメラルドのイミテーションで、キラキラの緑色が怪獣みたいで魅力的でした。

母は、その日、父に「子供達が、これをくれた」と報告しているのを、僕はコタツでうたた寝しながら聞いていて、父は、「子供達は、宝石のつもりなんだから、一生、大切にするように」と言うのを、僕は寝たふりをして聞いていた。
実際、母はその通りにして、母が亡くなって遺品を分ける時、宝石箱の中にそれをみつけ僕は素早く、その指輪だけを抜き取りました。
この幼児体験は、のちのちの僕の女子との付き合い方の原型となりました。要は、「お金より気持ち」です。僕は大学時代や医者になってからも女子に高価なプレゼントをするのは不誠実だと思って、プレゼントにはオリジナルの彼女を主役にしたマンガを描いたりしてました。
結構、大人になってから、価値観の合う女子に「プレゼントに、ブランド物を貰うと嬉しい」と言われてとても驚いた。

 

🌀離人症。

高校の時の教室は校舎の1番上の階で、僕の席は窓際の1番後ろだったから、授業中にぼんやりと眺める無人の校庭は殺風景だった。僕は、ある日、その風景が白黒に見えて、体育の授業で走ってる生徒達もカラクリ人形みたいに見えた。今思うと、「離人症(りじん・しょう)」だったのだと思う。離人症は、精神科の症状の中で唯一、自己申告の症状で、現実感が失われることです。自分だという実感がなく、周囲のものに実感がない。美味しい御馳走も砂を噛むようです。その頃の離人症を再現した写真があります。カメラマン・心理の松井さん&演技指導・心理の徳田さん。

映画「ベルリン天使の詩」で、広場にいる「天使の像」は退屈です。それを表現するように映画は中盤まで白黒で風景が流れます。みてるお客さんにも「天使の退屈さ」を共有させる狙いか?と思うような退屈さです。それが急展開、「空中ブランコの美女」が出てから映画の世界はカラーになります。このように、男の子のモノクロームの世界を総天然色に代えてくれるのは古今東西、女子の存在だというお話です。
そんな僕に天然色の世界を取り戻してくれたのは、ジャジャーン。それが石野真子でした。石野真子の登場で僕の離人症はケロッとよくなりました。

下はほぼ当時の僕です。

 

次回は、文化部長スーちゃんによる文化部通信です。