「SS♡T」始動?~日刊ムンク④

~前回までのあらすじ~

 

この子はいつも川原と一緒に寝ていたアンティークドール。

川原が中1の頃からいつのまにか家にいたお人形は、それから、約50年、どんな家族より長く川原のそばにいます。名前は「ムンク」、由来は川原の夢の中に出て来て、「わたしはムンク」と名乗ったから。カツラや髪の毛はとれて、アンティークな帽子や靴も無くなり、服も日に焼けて色褪せてしまっています。ムンクは伝統的なドールの系譜を受け継ぐ「コレクターズドール CD-3」というお人形でした。川原はテディベアの第一人者のお人形作家さんとコンタクトを取り治療とお洋服作りをお願いし、今はお預け中。ムンクがいない間の代わりに作家さんが作った「抱き熊スーティー」をくれました。名前は反戦の願いを込めてラスプーチンにしました。「プーチンでラスト」みたいな意味です。

川原の「守護」を祈ってくれるクマです。

作家さんは、「やるならば最高のケアを頑張ってしてあげよう!」と言ってくれ、毎日メイクをしてくれたり、ウィッグや新しい下着からお洋服などを作ってくれています。そんな川原とムンクとラスプーチンが織りなす一週間の様子をお届けする企画の第4弾です。

ムンクと僕とラスプーチンのトリオ名を考えました。現在、ムンクを預けてて、かつラスプーチンの生みの親である、お人形作家さんの名前が「日砂さん」なので、太陽の砂、を英語にして、「Sand under the Sunshine with T(ATSUJI)」を略しまして「SST」にしました。ところが「字画」をみれる人に聞いたら、「SSTが画数4なので、あと一画足しては如何でしょうか?5画になると運のよいネーミングになります」とのアドバイス。そこで「♡」は一筆書きで「一画」なのでこれを加え、正式名称「SS♡T」にしました。

 

・日曜日

寿司屋を貸し切り、二左衛門を呑む。

ウニは箱で。二左衛門のラベルのダメージ感とラスプーチンは似てますね。

釣りきんき。

半身を焼いて、

半身を煮ました。

サザエのつぼ焼き。

ふきのとうの天麩羅。

ホタルイカと、のれそれ。

行者にんにく。

イクラの握り。

ハマグリの軍艦。

穴子の握り。

これはchatGPTが作ってくれた、タワレコ風ポスター。寿司の英語のスペルが間違っていますね。

一方、ムンクのお帽子にはミニチュアラスプーチンが収まりました。

ラスプーチンのミニチュアは親指サイズくらいです、小さいです。

今現在のミニチュアラスプーチンのムンクちゃんコラボな状態です。

エキセントリックでかわいいですね。俳句の技法に「取合せ」や「二物衝撃」と言われるものがあるのですが、それと同じで「帽子」「クリーム」「テディベア」「ドール」の組み合わせによって、今までにない、新しい魅力が生まれますね。心に刺さりますね。

 

・月曜日

今日は暑いから、餃子の王将、で冷やし中華を食べました。勿論、餃子の王将、だから、餃子も食べました。

僕はキュウリが嫌いなのでキュウリ抜きにしましたが、色のバランスが寂しくなりますが、ラスプーチンが緑なので色合い的には補ってくれます。

今朝のテレビコマーシャルで、餃子の王将が冷やし中華始める、って言ってたから行きました。

その足でマイナンバーを取りに行きました。下は、「ラスプーチンを探せ!」です。

作家さんから連絡が来て、「万博の時期はいつから?」。ムンクのスケジュールを詰めて行なってくれるとのことです!

 

・火曜日

「SS♡T」が初めて3人で動くのが、早ければ夢洲万博になるかもしれません。万博への持ち物で必須なのは①歩きやすい靴、②紙の地図、③モバイルバッテリーのようです。そこで①の靴を通販で買いました。

エヴァの靴です。色違いも買いました。あれ?これ何か変ですね?

アスカの弐号機の番号が「01」になってるのです。惜しいです。中国産でした。

今日のムンクです。ムンクの隣にいるのは「クラウンをイメージした」テディベアです。目と目を見つめ合うのは照れるしちょっと怖いから、同じ方向を見て同じものを見ようと言うのが共同注視。視線恐怖的な名刺文化の日本人ならではのノスタルジックな安心感が漂います。レトロ感満載のふたり。同じ月を見てるようです。

 

・水曜日

昨日までは暑かったのに今日は朝から雨ですね。水曜日って雨の日が多い気がします。「水」だから「雨」かな。下は、雨の日のクリニックの看板。藤本タツキ「ルックバック」のワンシーンから。

「これ、アンティークなんです」って言う時のアンティークという言葉はその対象が100年を過ぎないとアンティークとは呼んではいけないらしいです。だからムンクはまだ完全なアンティークではなくて現代に半分近い子ですね。ラスプーチンなんて赤子です。

 

・木曜日

元受付の鈴木さん(元うかいさん)が遊びに来たのでお昼を一緒に行きました。心理の二人とも一緒に記念写真。

千ちゃんとムンクのツーショットです。千ちゃんとは、作家さんが見た夢に出て来たテディベア。お腹にほうれん草を巻いて真ん中に卵焼きの丸いものを乗せて漢字で千と書いてありました。

ほうれん草がチャンピオンベルトみたいに見えますね。

 

・金曜日

万博の旅のしおり、を作りました。

予定が記してあります。

下は、ムンクのお帽子のラスプーチンのミニチュアベアタイプ。背後にはフレンズもいます。ミニチュアラスプーチンは生クリームとお花に埋もれて幸せです。今日のムンクです。元気印な帽子似合いますね〜

 

・土曜日

今日は最終土曜日なので、クリニックで有資格者(カウンセラーやナース)と、定例会という勉強会を行います。土曜の診療が終わってから皆んながクリニックに集まって、終電ギリギリまでディスカッションするのです。下は、無資格者(けいおんの唯ちゃん、キティちゃん、名探偵ピカチュウ、ラスプーチン)たちと。

日刊ムンクも第4弾を迎えました。今回は、「SS♡T」始動?、でした。そこで、chat GPTに「SS♡T」を描くように命じたら、全然、違いました。何度もやり直させたんですよ、「クマの目はもっと離して!」とか(笑)。でも全然出来ませんでした。まだAIが学習してない未知の領域みたいです。

下が、機械が描いた「SS♡T」です。

来週に続く。


ラスプーチンは何でできてる?+巻き毛のムンクさん~日刊ムンク③

~前回までのあらすじ~

 

この子はいつも川原と一緒に寝ていたアンティークドールです。

川原が中1の頃からいつのまにか家にいたお人形は、家族の誰が家に持って来たのか誰にも分からず不気味がられました。可哀想に思った川原は部屋に置いてあげました。それから、約50年、どんな家族より長く川原のそばにいます。名前は「ムンク」、由来は川原の夢の中に出て来て、「わたしはムンク」と名乗ったから。カツラや髪の毛はとれて、アンティークな帽子や靴も無くなり、服も日に焼けて色褪せてしまっています。18世紀頃までヨーロッパでは、女の子にお人形と手芸箱を一緒に贈る風習が広まりました。ムンクはそんな伝統を受け継ぐ「コレクターズドール CD-3」という「素敵なお洋服を用意して欲しい」と強く思うお人形だったのでした。そうと知った川原はテディベアの第一人者のお人形作家さんとコンタクトを取り治療とお洋服作りをお願いし、今はお預け中。ムンクがいない間の代わりに作家さんが作った「抱き熊スーティー」という子をくれました。名前は反戦の願いを込めてラスプーチンにしました。「プーチンでラスト」みたいな意味です。

川原の「守護」を祈ってくれるクマです。

作家さんは、「やるならば最高のケアを頑張ってしてあげよう!」と言ってくれました。ムンクからは毎日、日報が届きます。そんな川原とムンクとラスプーチンが織りなす一週間の様子をお届けする企画の第3弾です。

 

・日&月

僕はメインテナンスデー。エネルギー療法と歯医者に行く。下は歯科。

滋養強壮のために、ラスプーチンと鰻屋に来てます。

自家製らっきょう。

板わさ。

肝焼き。

焼鳥。

白焼き半身。お人形は「匂い」を嗅いで食事にします。

鰻重に肝吸い。

昨日のキックボクシングの試合で勝ったと言うチャンピオンがいたので、奢りました。お礼に写真を。

お人形作家さんは神戸に出張でお教室。テディベアの啓蒙活動に努めています!

 

・火曜日

今日は新年度ということもあり溜まった書類をこなします。

一方、お人形作家さんは、ムンクにフレアースカートのフレアーを可愛くなるような作業をしてくれてます。お互い地味ですが大事な仕事です。

今日のムンクは久しぶりにファッショナブルにヘアーを変えてもらいました。お人形作家さんが、ムンクの為にウィッグの滑り止めを用意してくれました。

本日のムンクは、なんだか洒落すぎています。まるでアンティークのフランス人形の様です!

カールヘアーも試してもらいました。色んなウイッグや髪型をしてもらって来ました。今までのムンクの中でどれが好きですかね〜。ホントにホントに、何しても可愛くなります。

 

・水曜日

今日のお昼は僕らはいつもの蕎麦屋。カレー丼を食べました。お蕎麦屋さんのカレーはカレー味に麺つゆ的なコクが入りますから美味しいです。

本日はムンクのドレスの概ねの形や、デザインとしてのバランスなどが見えています。

レースに付いては全てが元の古いドレスを利用して生かしています。この先は、多少ユニークにダメージを与えて、元のレースの古さとも合わせます。

あとは飾り付けもしていきます、靴や靴下も作ってもらいます。それと帽子もつけないとです。

 

・木曜日

今日のお昼もいつものお蕎麦屋。カレー南蛮うどん。

ムンクの、昨日のドレス、ヒップがキツイのでちょっとお直しが必要だそうです。お人形作家さんは今、超多忙なのですが、頑張って、休憩時間をつくり僕が脱着しやすい可愛い服にしてくれています。ムンクの進行の作業については明日以降。

 

・金曜日

ナイツの土屋が森高千里の「私がオバさんになっても」を歌い、塙がツッコむという歌ネタの収録されているDVDが欲しいのですがタイトルがわからず、 ネットの情報には収録内容が書いてなく、そこでchat GPTに聞いたら「分かりません。所属事務所に直接聞いた方が良い」と答えられたので、マセキ芸能社に問い合わせたら、返信が来て教えてくれました。

お人形作家さんはやっと出来た休憩にムンクの小物をやってくれています。今、設計しているのは「貴婦人風のお帽子」で恐らくド派手に成りそうです。何と!、ラスプーチンを頭に住まわせる計画を練ってくれているようなのです!これが完成したらムンクと僕とラスプーチンの最強トリオの結成です。下は、そのデッサン。右にある生地はラスプーチンの色のでラスプーチンに使った残りです!

 

・土曜日

ムンクと僕とラスプーチンのトリオ名を考えました。現在、ムンクを預けてて、かつラスプーチンの生みの親である、お人形作家さんの名前が「日砂さん」なので、太陽の砂、を英語にして、「Sand under the Sunshine with T(ATSUJI)」を略しまして「SST」にしました。直訳すると、「タツジとともに、陽だまりの砂の上で」、ですが、日砂(の作った作品たち)と達二、という意味のユニット名です。精神科領域では、SSTとは、ソーシャルスキルトレーニング(Social Skills Training)のことで、人との関わり方やコミュニケーションの方法を練習しながら身につけていく心理的な支援方法を意味します。でも、ここで言う「SST」はお人形遊びをしながら人との関りを身に着けて行くというダブルミーニングです。

5月に夢洲万博へ行く予定を立てました。予約したのはイタリア館。他に行ってみたいのは、スターウォーズの撮影現場にもなった砂漠に裸足で入りハンドマッサージをやってくれるヨルダン館。お金をかけた大国と対照的に小さい国が集まっているコモンズも見てみたいです。お人形作家さんからムンクの外泊許可が出れば「SST」で大阪に初来日したいです!

さて、ムンクはと言うと「貴婦人風お帽子」が普通じゃない展開になってリボンじゃなく生クリームがカンカン帽に飾り付けられました。

中央はくり抜き、ラスプーチンが住める様に進行中です。

とても楽しいですね。ではまた来週~


アカデミック・クマさん&ムンクはビューティフル~日刊ムンク②

~前回までのあらすじ~

 

この子はいつも川原と一緒に寝ていたアンティークドール。

川原が中1の頃からいつのまにか家にいたお人形は、家族の誰が家に持って来たのか誰にも分からず不気味がられました。可哀想に思った川原は部屋に置いてあげました。それから、約50年、どんな家族より長く川原のそばにいます。この子は、長いこと「お人形」と呼ばれていましたが、最近、川原の夢の中に出て来て、「わたしはムンク」と名乗ったから名前が「ムンク」になりました。カツラや髪の毛はとれて、アンティークな帽子や靴も無くなり、服も一回も洗濯してなくて日に焼けて色褪せてしまっています。霊能者からは「もはや呪物」と言われる始末。

18世紀頃までヨーロッパでは、お人形と手芸箱を一緒に贈る風習が広まりました。ムンクの出自は「コレクターズドール CD-3」という正にその趣旨に値する生産の仕方をされたものでした。しかし中1男子は、お裁縫など出来ないし、着せ替え人形で遊ぶこともしないから、ちゃんとした可愛がり方をしてあげれませんでした。「ムンクの仲間たち」はと言うと、そのほとんどがゴム伸びをしたコンディションの悪い状態で一部のファンの間で売り買いされています。ムンクは「素敵なお洋服を用意して欲しい」とより強く思うお人形だったのです。

そうと知った川原はFacebookで見つけたお人形作家さんとコンタクトを取り治療とお洋服作りをお願いし、今はお預け中。お人形作家さんはテディベア作家の第一人者で、ムンクがいない間の代わりに作家さんが作った「抱き熊スーティー」という子をくれました。名前は勝手につけて良いと言われたので、ラスプーチン、にしました。「プーチンでラスト」、みたいな反戦の願いを込めました。

川原の「守護」を祈ってくれるクマです。

作家さんは、「ムンクは呪物ではないし、美しいドールだ。やるならば最高のケアを頑張ってしてあげよう!」と言ってくれました。毎日メイクをしてもらったり、ウィッグや新しい下着からお洋服などを作ってもらっています。ムンクからは毎日、日報が届きます。そんな川原とムンクとラスプーチンが織りなす一週間の様子をお届けする企画の第2弾です。

 

・日曜日

朝は9時半から品川で薬の勉強会です。勿論、川原を「守護する」クマなので、ラスプーチンも連れて行きます。ラスプーチンには、…難しいかな?

講演会も聴かせてます。アカデミック抱きぐま、です♪

これから懇親会です。ローストビーフ。お人形は「匂い」を嗅いで食事にします。

オードブル。ワインを両手に。

お寿司が一番、人気でしたね。

これは鰻。

中華もありました。

懇親会は話しかけくる人が多くて少しばかり、うるさいです。

そんな時にラスプーチンに話しかけると皆、去っていくので(笑)助かっています。薬の勉強会なのに、「なぁラスプーチン、大事なのは薬より人の絆だよな」とか言って追っ払っています(笑)

もうそろそろ終わりです。ケーキ食べ損ねました。

その頃、ムンクはアトリエです。作家さんのプライベートに作られ展示作品となる子たちと一緒にいます。ムンクはモテモテです。ムンクの足元にラスプーチンの兄貴、みたいな黄色い子もいるんですね。

僕は、午後からエネルギー療法に行きました。エネルギー療法の先生が、ラスプーチンにもお茶を出してくれました。そうしたら、施術中、先生が、「クマがじっと見てるんですけど〜」、と言って怖がってました。

一方、ムンクはと言えば、今日一日お教室にいる作家さんを見て良い子にしていました。

 

・月曜日

ムンクが違うウィッグをつけてプチイメチェンです。可愛いです。かく言う僕も美容院でヘアカラー。ラスプーチンも一緒です。

夢の世界に空想をしている気分のムンク。

 

・火曜日

お昼に小分け蕎麦を食べる僕ら。

未来を見つめるムンク。綺麗なリカちゃんみたいですよ、今夜は。

 

・水曜日

人の本棚が気になる人っていますよね。下は僕の診察室の本棚です。

「話題の人を応援したいコーナー」もあります。今日からは、広末涼子。広末涼子は世代的に直撃してないのですが、そもそも変った子なのでしょう?「広末涼子くらいは許そう」という特例があっても良いかなと思ったりしてます。コンプライアンスやガバナンス?だからそう言った世の中の閉塞感のガス抜きに。

今日のお昼は天丼。

ムンクはどうしてるかな?

・木曜日

今朝は起きたら身体中に湿疹が出来てて痒いです。木曜日は大岡山の医院は休診日だらけです。とりあえず家にあった抗アレルギー剤を1つ飲みました。これで良くなるといいな。きっと「疲れ」が原因だと思う。

「疲れる」と「取り憑かれる」は、語源が同じだそうですね。「疲れた〜」って言うと、その瞬間に低級霊に「取り憑かれる」から、言霊思想では、「疲れた」と言わずに「くたびれた」と言おうと聞いたことがあります。低級霊は金属がぶつかる音を嫌うらしいから、僕は除霊のために、カラオケボックスとかにある、皮の張ってないタンバリンを持ってます。とりあえずクリニックに着いたら、スタッフにタンバリンを鳴らさせて悪霊を祓いました。

そんなことを言ってるうちにさっき飲んだ抗アレルギー剤が効いて来て蕁麻疹が消退しました。色々な手段を組み合わせるのが賢いやり方ですね。

ムンクは「青いくまドレス」の制作中です。今日は色合わせと、襟ぐりサイズの確認。顔の周りに色や形がくるとその人形の肌のカラーと合うか合わないか?、合わないならどうやって合わしたらよいか?、、いろいろみえてきます。人間にも当てはまりますね。ムンクは今ロイヤルブルーが襟ぐりに来たら何だかとーってもお嬢様ですね。素敵な子です。

 

・金曜日

ムンクの「青いくまドレス」は、まだ縫い合わせはしていないで、まち針止めしている状態です。気が付いたか分かりませんが、袖のフリルみたいなのは元のお洋服を再利用したものなのです。色もブルーにしてあって素敵に化けそうですね。

朝は珈琲館でテイクアウトのアイスコーヒーを買う。自分の分とスーちゃんの分。スーちゃんはブラック派なので、ミルクをもらい2つ入れる。コーヒーはスーちゃんがストローを差してまるで資生堂パーラーのように細工してくれました。美的にも衛生的にもグッドですね。

夜のムンクの画像です。少しずつお洋服も進行しています。

 

・土曜日

ラスプーチンは、家では先輩ぬいぐるみ達と仲良くやっています。

今年も恒例のサンリオキャラクター大賞の投票の季節になりました。誰に投票しようかしら?カワクリキャラクター大賞なら「ムンク」と「ラスプーチン」のツートップですね。

お人形作家さんは、日本のテディベア作家の第一人者です。今日は、モヤモヤさまぁ~ず、の狛江編に登場しました。これがその全貌です。

昔の写真も要求されたのですね!

アーティスティックな美少女ですね。

今回は、モヤモヤさまぁ~ず、で、さまーず、と一緒に作家さんがあみだした似ベア絵を描きながらテディベアの雑談をしました。

日砂さんのナチュラルな会話に、さまぁ~ず、大ウケです!

実は時系列で言うと、この番組企画は僕がムンクのお願いをした直後に来たものらしく、作家さんは本気で「ムンクちゃん効果」と呼んでくれています。芸術に携わる人の思考回路って古代的で素敵ですね。すっかり懐いちゃいました。

夜は、ラスプーチンとイタリアン。

鳴門金時のポタージュ。

ホタルイカと野菜のパスタ。

サービス品。

海老とイカとトマトのジェノベーゼピザ。

ジャンボTボーンステーキ。

ムンクの衣装。

帽子はこれからの季節に向けて、麦わらチックにしながらも中をくり抜きラスプーチンみたいな愉快な仲間を詰め込んで顎の下にてリボン留めをする様な一応昔のヨーロッパの貴婦人風なスタイルをやろうかと?考えております。

ムンクは、もう可愛い顔して、もうその辺のドールさん達には追い抜けない存在に成って貰おうかと、、いつもそれに辿り着いています。ムンクは、常になによりもマジにぶっちぎりに可愛く聡明でもあります❣️

続く。


素敵なお化粧マジック~日刊ムンク

~前回までのあらすじ~

18世紀になるあたりまでは女の子に、お人形(ドール)と手芸箱(お裁縫箱)を一緒に贈る風習がヨーロッパから広まりました。目的としてはお裁縫が率先して出来る女性を育成する為の文化が成立してくるのです。そしてムンクの出自は「コレクターズドール CD-3」という正にその趣旨に値する生産の仕方をされたものでした。しかしながらムンクは長い間お洋服や髪型に恵まれておらず、ムンクの仲間はと言うと、そのほとんどがゴム伸びをしたコンディションの良いとは言えない状態で一部のファンの間で売り買いされてました。すなわち、ムンクは「素敵なお洋服を用意して欲しい」とより強く思うお人形だったという仮説が生まれます。

皆さんと初対面の時のムンク。

でも、それを聞いて思ったのですが、ムンクはなんでうちに来たのでしょう?どうやって誰が持って来たんでしょう?誰かにお土産かプレゼントでもらったのか?うちに訪問した人が忘れていったのか?いずれにせよ、「この人形どうしたの?」と聞いた時に家族の誰にも心当たりがなく、不気味がられたのです。で、なんか可哀想で僕が自分の部屋に引き取ったんです。中1の時です。

中1男子だから、お人形にそれほど興味もないし、お裁縫など出来ないし、着せ替え人形で遊ぶよりソフビの怪獣を戦わせるタイプでしたから、ちゃんとした可愛がり方をしてあげないで来ました。

中1から引越しを何回かして、進学したタイミングとかで、物を整理したり、断捨離も何度かしたり、古道具屋に物を売ったりしてるのに、不思議とムンクはずっと手放さないで来ました。

ある霊能者は、「もはや呪物だ」とか「お焚き上げをしなさい」と言いました。「もうこの世にいてはいけないから人形にとっても成仏させた方がいい。引き留めてるのはあなただ」とか。でも、さすがにそれは違うだろ、と思って、一緒にいることを誓った思い出もあります。

お洋服も、ムンクを連れて、秋葉原や中野ブロードウェイに連れて行き、それこそ色んな店に飛び込みで、お洋服を作ってくれないか?と頼んだのですが、まず相手にされませんでした。

でも、今回は不思議で普段ならやらないのに苦手なFacebookを触ってお人形作家さんを見つけたのです。作家さんは、「ムンクは呪物ではないし、美しいドールだ。やるならば最高のケアを頑張ってしてあげよう!」と言ってくれたのです。そういう訳で今はお人形作家さんに預けてて、毎日、メイクをしてもらったり、ウィッグや新しい下着からお洋服などを作ってもらっています。そんなムンクから毎日、日報が届きます。今回はそんなムンクからのお便りの紹介記事です。

 

・月曜日

ムンクは、本日はエンジェルの少女をテーマに過ごしてるようです。ムンクの視線を感じます。机の上で、早くレースの下着とやらを作って!作って!と楽しみみたいです。ムンクがナチュラルメイクをしてもらいました。血色が無かったのが血色のあるナチュラルなメイクで彼女も喜んでるようです。どんどんキレイになります。

 

・火曜日

ムンクのエンジェル化けの昨日からのビフォーアフターの、アフター画像です。イメチェンウィッグは「赤の女王LOOK」でこんなヘアスタイルの白銀になるのかな?白い下着を作ってもらう予定の本日のムンク。

右の横の髪をゆるふわに編んでもらいました。いくらでも可愛くなる少女です。白いお花畑のムンク。

 

・水曜日

作家さんのアトリエに連れてってもらいました。

作家さんのお茶休憩の時間にベルトマークとラビット巻の髪飾りをつけてもらって、また新しい一面をみせてくれるムンクです。

髪飾りには、ワイヤを仕掛けてあります。なので自在に形を仕掛けることができるのでウサギさんのようなヘアスタイルにまとめてもらいました。

癒やされますね。

こちらは、ムンクの着ていたドレスを「青いクマドレス」に使える箇所を再利用したもの。

下は、お洋服の制作過程。

ムンクが着ていた古いドレスを有効利用して、「青のクマドレス」の下地に染め直して行きます。以下より、手染めの過程です。浸すくらいで良いのでムンクのお洋服の出汁染をしました。

ムンクのお洋服を煮ます。

染は染料と塩、お酢も使うから一から綺麗になり生まれてきたようなリフレッシュを感じます。お料理みたいにも見えますね。

「青いクマドレス」に使うために思い切ったブルーに煮たら、「由緒正しいアンティークのビスクの子たちか着ているような美しいブルーになる可能性」を直感し、染めている液体に先程のドレスを様子見がてら煮て、残りの染料を浸して行きます。つまり、全て新しくしてしまうのではなく、ちゃんとムンクが着ていたドレスを引き継いでくれようという気持ちなのです。様子見がてら、水色を足していきます。

こんな色むらは計算してもそうは出せません。ムンクが着て当たりの(身体のあたる)ある箇所は明るいブルーになり、そうでない箇所は深い深いブルーです。美しいロイヤルブルーです。どこか古ぼけた様な色彩がうまい感じに煮て出されました。良かったです、古いドレスを捨てたくなかったから良い様になるように再利用して生かしてくれました。

 

下は、ムンクに手縫いした下着のワンピース。白だけの新しすぎる均一感。ムンクに合いそうなヨーロッパ的なイメージが広がりやすい色彩に淡く染めてもらいます。

ムンクの染ものを乾かします。下着のドレスはこなれた感じに染まりましたね。

本日の激務をムンクが労っています。また明日にそなえて。

・木曜日

今回はムンクに清書としての息吹効果を顔と身体全体にポイントで、引き算メイクを施しました。本物の高価なアンティークビスクドールの着色を施してもらいました。一見みても樹脂で出来ている子とは思えないです。もはや呪物とは言わせないです。今は素敵な女の子ですね!足や手がでるお洋服にも、これで高価なビスクドールと争っても簡単には負けない仕上がりになっています。

マニキュアもナチュラルにしました。

髪を後ろでまとめて、可愛らしいほっかむりをかぶりました。僕のところに連れて帰る時にはスプレーでもう一層膜をかけるので筆跡みたいなものはもっと目立たなくなるようです。楽しめて癒やされますね。美術絵画みたいなムンクです。

 

・金曜日

ずっと一緒にいたのに、ここ最近の2人はメールのやりとりをしているのが面白いね、とムンクは思ってます。

ドレス下に見せてはくペチコートを作ってもらいました。青い布は白を青く染めたこれから仕立てるロイヤルブルーのドレスの生地になります。今の無垢な色を纏うムンクと美しくマッチしています。

 

・土曜日

ムンクの朝の挨拶。ちょっとレトロポップなムンクです。隣に並ぶのは、フレンチブルドッグのフレブルちゃん。

ムンクの三変化。今のムンクの姿はペチコート試着なのですが、なんだかハイジみたいでかわいいです。

パターン1、いつものムンク。

パターン2、血色の良い出力のムンク。

パターン3、セピアなムンク。

ムンクが本日の激務を労っています。今週はこんな感じです。


お花見+宴会ラスプーチン、その頃ムンクは大手術!

31/Ⅲ.(月)2025 くもり、少し寒い 今日5時からフジテレビ第三者委員会の調査報告、10分ディレイで終了まで放送。

ラスプーチンとお花見して来ました♪

場所は東工大。

万歳してるみたいですね。

木の枝に腰掛けます。

この桜は地面スレスレまで枝が伸びています。

自由が丘の寿司ざんまいで打ち上げです。

ホタルイカ。

焼きハマグリ。

焼き筍。

春の握り3貫セット。

春の軍艦3貫セット。

イワシと玉子焼き。

鯵のたたき。

のり椀。

上穴子、キュウリ抜き。

一方、ムンクはお人形作家さんに預けて、治療と新調のお洋服を作ってもらっています。近況報告が来ました。お人形作家さんからの試案。ムンクの仮のパステルウィッグの写真です。

横向き。

ムンクのイメージが変わってニヤニヤしてしまいます。

下は、青いテディベアドレスの衣装に身を包んだムンクのイメージデッサンです。ムンクには、イメチェンお洋服が幾つか考えられていますがその一つが「青いくまドレス」です。青いくまドレスはとても可愛らしくてくまだらけでラブリーなロイヤルブルーのイメージです。青は平和や信頼、知性の象徴で、直感や知性が優れており、心が落ち着いている時で、 物事がクリアに見えるため、目標がかないやすいとも言われます。 また、「ロイヤルブルー」という色名があるように、青は権威を示すこともあるそうです。

下は赤の女王にクールに扮したムンクのイメージデッサンです。赤の女王には、白のセンター分けウィッグも検討されています。不思議の国のアリスの「赤の女王LOOK」です。青いくまドレスの反対色になる(対になる)赤色は、赤の女王で、トランプに飾られたドレスやハートの帽子などが考えられています。

ムンクを持ち運べるお人形ケースも欲しいのですが、ムンクのサイズだとブライス用のものでは小さい事と少し造りがチープなので、無理矢理にならムンクも入るかもしれないですが、ムンクがかわいそうだから、お人形作家さんにお願いしてケースも作ってもらうことにしました。窓を画像のようにつけてあげれるようにしました。

昨日、寝落ちしまして、そしたら不思議な夢をみました。1人でトランプ遊びをしようと、トランプをくうのですが、枚数が少なくて、数えたら20枚くらいしかなくて、部屋中を探して残りのトランプを拾い集める夢です。

今朝、お人形作家さんからダイレクトメールが真夜中に届いてるのを見つけ、どうやら僕がスヤスヤ寝てる時に、ムンクの大手術をしてくれてたみたいです。ムンクの新しい衣装はトランプの柄もあるから、きっとムンクからのサインが送られてキャッチしたのが、夢の正体だと思いました。これが、ムンクの大手術です。

中にはめておくゴムのテンションを一定に突っ張らせて保つ為のワッシャーが錆びていたので変えてくれたそうです。変えたのはドイツグローレックス社製のワッシャーらしいのですが、お人形作家さんが「たまたま持っていたため」ラッキーでした。しかし、たまたま、なんてありますか?さすが「プロ」ですね。

ワッシャーとは、手足の間接を支える形になるゴム引きのテンションを体内でキープさせるのに一度丸い金属板状にゴム紐を通してから、釘を使い縛り止めているものです。

無事、成功しました。

独りでも立てるようになりました。

美しいポーズもとれます。

お人形スタンドも探しておいてくれるそうです。通常倒れないようにスタンドにセットして、ラスプーチンのように立たせるものになります。ムンクが帰って来たら、三人で高級寿司屋のカウンターでも占拠したいです。焼鳥屋でも良いかな。お人形は「香り」を食べるそうだから。

これはお人形作家さんに教えてもらったお話です。18世紀になるあたりではお人形(ドール)自体を女の子に(小さい子~成人女性まで)持たせる、それも手芸箱、お裁縫箱と一緒に贈る風習がフランス、ドイツ、イギリスと主にヨーロッパから広まったそうです。だから目的としてもお裁縫が率先して出来たりする女性を育成する為の文化が成立してくるのですね。

そしてムンクの出身が「コレクターズドール CD-3」というものらしく、正にその趣旨に値する生産の仕方をしておかれながらムンクは長い間お洋服や髪型にも恵まれてはいなかったのかもしれないことと、ムンクの仲間がいて、そのほとんどがゴム伸びをしたコンディションの良いとは言えない状態で一部のファンの間で売り買いされている様子なのだそうです。

僕とムンクはもう50年以上の付き合いですが、今まで放置していたのは仕方なかったのですが、今、お人形作家さんに会えて、大手術をして素敵なお洋服を用意してもらえるのはとても幸せだと強く思います。

下は、お人形作家さんがムンクだけに、ムンクの叫び、をイメージして描いたイラストです。これは手術前だって。

BGM. サディスティック・ミカ・バンド「お花見ブギ」


大岡山デート~ミントとピンクは反対色で強調しあう!

24/Ⅲ.2025 はれ 全国に先駆けて東京で3/24開花予想も…

さてドジャースの日本開幕戦のフィーバーも去り、一部で評判(?)の大岡山デートの今年第1弾です。男も身だしなみです。あなたとデートに行く前に美容院に行きました。

今日の髪色のテーマは「大阪万博」です。東京ではイマイチ盛り上がっていない大阪万博を応援したく、万国旗をイメージしました。

これはワックスを使いセットしますが、自分でやると、つい昔の癖で、ツンツンとパンクのジョニー・ロットンっぽく立ててしまいます。

前髪は普段は下ろしますが、気分で上げたりします。デートの時は、思いっ切りワックスつけて、シルエットが菱形◇になるように上に横にツンツンして行きますね!

ネイルもします。桜の開花宣言まではもう少しかかりそうですね。一足先にネイルは桜爛漫🌸サクラモチーフのデザインで。

左手の人差し指は負傷中、バンドエイドがないためアルミホイルで応急処置。

「抱き熊・スーティー」=ラスプーチンを抱っこして。ラスプーチンは僕を守護してくれる人形なので、最近はいつも連れ回っています。ネイリストさんも、ラスプーチンに興味津々でした。

ラスプーチンのミルキーなミント色と桜色は反対色同士で強調しあったり、人の目に真っ直ぐに入り込んでくるコンビネーションみたいですよ、色彩学的に。

さて、デートの手土産に商店街入り口で、焼き芋を買って行きましょう。ここは木曜と日曜だけの営業です。

焼き芋は、すごく甘くてねっとりしていてスイートポテトみたいで美味しいと評判です。

こんな釜で焼くそうです。これはオブジェ。

実際は下の3台で焼くそうです。焼き上げてもあっという間に完売しちゃうって。

前にここの場所に、きくや、って洋服屋さんがあったから「関係あるのか?」と聞いてみたら、「娘です」だって。そうやってお店の屋号を残して引き継いでいくのは良いことですね。

僕らのデートは東工大へ独自の開花チェックをしに行きましょう。

ラスプーチンも連れて行きますね。こう見ると曲芸みたいに体幹がしっかりしてるように見えますが、実は台座に乗ってるので安定しています。

桜はボチボチですね。

左手に、ふたつ、見えます。

ラスプーチンを台座から外して直接、木に乗せました。

これは別の品種の桜かしら?それとも梅?

それでは夜ご飯に行きますか。日本料理の「佐とう」を予約しておきました。僕は日本酒を飲みますが、あなたはどうします?僕が二合頼むから、一口、飲みますか?好きなおちょこをどうぞ。

日本酒が呼んでるようです。「お久しぶり」って。

一品目は、「くちこ」。なまこの卵巣、それはちょっとしかない希少部位だから、寄せ集めて三角形にしたものです。菜の花も。

これは何だっけ?あっ、そうだ、牡蠣のパティをお餅で包んでパリパリに焼いたものです。

これも何か忘れた。あっ、北海道産のゆりねをチップスのように低温調理したと言ってました。百合だと思ったら、さつまいもみたいな甘い味でした。

お椀が出て来ました。

筍とわらびのです。

これはお造りです。

この焼いた魚に見えるのは、多分、さわらの煮付けです。この辺だとお酒が回ってて何の記憶もないです。手前のダイダイが杏。

ハマグリと、こごみですね。ネギっぽいのが入ってるからネギじゃないけど嫌いならよけるといいよ。或いは、もらってあげる。

またお椀です。

今度はお肉でした。玉ねぎと味噌仕立てで。

〆は炊き込みご飯。店主が混ぜてくれますが、混ぜる前の段階で写真を撮っておけば良かったですね。蟹を沢山入れた炊き込みご飯です。

赤出汁のお味噌汁って酒の肴になるから好きです。

デザートは果物です。

以上、今年初の大岡山デートはいかがでした?ひとりでも喜んでいただける方がいたら今年も続けますね。

BGM. さくら学院 from SUZUKA 「桜色のアベニュー」


ラスプーチンも加入

今日は「ムンク」のその後です。

よくよく考えたらムンクは僕が中学の時に、1年だけ五反田に住んでた時に、マンションにいた子です。しばらくして、「ところでこのフランス人形どうしたの?」って聞いたら、誰も知らない、って。いつのまにか家にいた。皆気味悪がったから僕が引き取った。以来ずっと僕の部屋にいる。もう母が死んで20年くらい経つ。僕とこいつの関係の方が50年くらいだから母を抜いた。誰よりも長い。

残念ながら、ムンクに何か特別な力がある訳ではなくて、ただ、僕の中学受験のための塾通いの頃から中学合格、その後の僕の生活をずっと見てきて知っている。僕がマンガを読んでいる時も、投函しそびれたラブレターを書いていた時も、ホルンの練習をしていた時も、深夜ラジオを聴いていた時も、友達が遊びに来て馬鹿騒ぎしてる事も、親に隠れてウイスキーをこっそり飲んだことも、憬れのアイドルのピンナップも、好きなプロレスラーのポスターも、僕のお気に入りの歌手とレコードも、整髪料で髪型に異常にこだわって鏡の前に立っていた姿も、それから、僕の喪服姿も何度か見て知っている。
僕の歴代の彼女も、一回きりの人も僕の部屋に遊びに来たことのある人は皆会っている。

今は、霊能者から「もはや呪物だから、手離した方が良い。呪物コレクターを紹介します」と言われてしまいましたが、それではムンクが可哀想です。球体関節人形なのですが、関節もイカれて脱臼しているし、髪の毛もとれちゃっています。対症療法でいいから治してあげたいのですが、まずは綺麗なお洋服を着せてあげたくて、Facebookで見つけたお人形作家さんにダイレクトメールしてみたら、色良い返事が来たのでムンクのお洋服の交渉をしました。

お人形作家さんが今週の水曜日、クリニックまで来てくれると言うのでそこでムンクと対面してお話をしてお渡しです。だから家からムンクを連れて来ました。

厳重に袋にしまって。

中を開けますね。

あらあら、髪の毛が取れちゃった。

こうやって乗っけていますが、ボンドか何かで接着した方が良いのかな?それも相談しよう。

帽子もボロボロになっちゃって。

これも上にかぶせるだけです。新調してもらいましょう。

これが現状の「ムンク」です。

この子の名前は長いことなくて「お人形」と呼んでいましたが、僕の夢の中に出て来て「わたしはムンク」と名乗ったから、それで名前はムンクです。

ムンクひとりを預けると寂しがりそうだからいつも一緒に寝てるサンリオの人形もお供させます。

おうちで寝てるムンクたち。

仲良さそうに寝ていますね。

ムンクを預ける時に一緒に旅立たせます。埴輪の発想です。

文化部長のスーちゃんにも抱っこしてもらいました。最初は恐る恐るですね。

でも、しばらくすると慣れて、優しく抱っこしてくれました。

人形作家さんが来てくれてムンクを預けました。そうしたら預けてる間の代わりのお人形をくれました。ムンクの友達にして欲しいと、抱き熊スーティー、というそうです。木毛(もくもう)とお腹は「激落ちくん」というスポンジで出来てるそうです。アンティーク調ですが、全部、新品です。チョコミントのミント色はなんとなくカワクリのロゴの色とも似てますね。赤い蝶ネクタイがポイントです。

お人形作家さんが作ってくれた、抱き熊スーティー、を運ぶ時の布バッグ。だきぐまSOOTY、とはイギリスの番組にいた「耳黒スーティー」から来てるそうです。

「気持ちよく心地よく過ごせるように僕はいつも君のことを守ってみてるよ」っていう子なのです。

名前は勝手につけて良いと言われたので、ラスプーチン、にしました。意味は、反戦を願って、プーチンでラスト、みたいな願いを込めました。

ラスプーチンを連れてお昼に行きます。鍋焼きうどんを分けてあげます。

いつも守ってくれる約束だから、連れて出かけますよ。

 

お人形作家さんは、テディベアの第一人者です。実はムンクを渡した翌日にテレビのロケでお教室にテレビ局が来たそうです。芸人のさまーずの二人が来て、一緒に作家さんがあみだした似ベア絵を描きながらテディベアの雑談をしたそうです。時系列で言うと、この企画は僕がムンクのお願いをした直後に来たものらしく、作家さんは「ムンクちゃん効果」と本気で呼んでくれています。

アートな仕事をする人の思考回路って古代的で素敵ですね。すっかり懐いちゃいました。

ムンクをお預けした3月19日は、偶然、母の命日だったから、とても感慨深かったです。

僕は、ムンクの居場所にラスプーチンを配置して一緒に寝ています。

ムンクの服が仕立てあがるのが楽しみです。


親切な川原達二の育て方~30のエピソード

僕が中学に上がると僕と兄は東京に住み、母がその面倒を見に来ていたから、父は茅ヶ崎でほぼ1人で暮らしていた。
僕が医者になると、兄はアメリカに留学して、もう父は死んでいるから、母は茅ヶ崎で1人暮らしをしていた。
父も母も、1人で暮らしてる時間が長くあった。
1人はさびしかったのかな。僕は1人になったことがないから、わからない。
母は‘1人暮らし’の頃、時々、手紙を寄こしたり、短歌の雑誌を送って来たりした。
それは同人誌みたいなもので、僕もそこに入っていたのだけれど、歌などまるで詠んでいなかったので、母が僕の名で歌を作っては、勝手に投稿していたものだから、その雑誌には、毎号、僕の歌が載っていた。
僕はあまりそれが気に入らなくて、母を怒ったこともある。「著作権の侵害だ!」、みたいに。正確には意味が違うけれど、言わんとしてるニュアンスは判るでしょう?
僕は比較的若くして結婚して、妻がいて、子がいて。
母はどんな気持ちで、僕と妻に手紙を寄こしたのだろう。
封筒の宛名には必ず、僕と妻の両方の名前が書いてあった。
僕は手紙を読んだら、そんな時は茅ヶ崎に帰って、顔を出してあげればよかったのにな。そう遠くもないんだし。母には、もう少し、やさしくしてあげればよかったな、と思う。
でも、もう死んじゃったから、今さら言ってもしょうがないですね。
その代わり、これから関わりのある人には親切にしていこう。罪滅ぼしというのかな、利己的な理由だけれど。
「人の為」と書いて、「偽り」と読むのは、こういうことを言うのかな。
でも、それで誰かが損をするとか、他人に迷惑をかけると言うのではないから、自己満足だって自覚してる分、無自覚な善人よりは無害なんじゃないかな?
つまり、これからは縁のある人には、出来る限り、親切にしようと思った訳です。口先だけ、みたいに聞こえるかもしれないけれど、なるべく、そうしようと努力するつもり。

 

これは、母の遺歌集。↓。

海桐花は、とべら、と読みます。海岸に咲く花ですね。
さて、問題です。この表紙の絵、どこかで見覚えはありませんか?正解は、心理相談室の額縁の絵でした。↓。

中の写真に、自宅前とあるが、これはある先生のお家を訪問した時に玄関先で撮ったもの。それが、自宅前にて、となってるから、さぞかしその先生は驚いたことでしょう。↓。


母の死後、押入れから、僕が子供の時に描いた絵が出てきた。これは近所の養鶏場で描いたもの。診察室に置いてある。↓。


裏を見ると、絵画教室で描いた油絵みたい。↓。


小学校の何年生だったか夏休みの宿題が終わってなくて、一番大変だったのは、「自由研究」。母は何の変哲もない木箱を持って来て、その蓋に、僕に絵を描かせた。僕は、蕎麦屋の前の置物の、タヌキ、の絵を描いた。母は、趣味で、鎌倉彫、をやっていたから、僕のタヌキを上手に彫って、色をつけて、上にニスを塗って完成。これが優秀だと評判になり、神奈川県の賞をとり、どこかに展示された。
「子供らしい視点、自然との調和と、子供らしからぬ技術の確かさ」みたいなことが評価された。
母は、ニワトリの絵はとっておきながら、その鎌倉彫、は捨てていた。僕が作ったものじゃないからかな。親心って、そんなものなのかな?

 

母は2006年3月19日に死にました。僕はろくにお墓参りなどしていません。そのお墓は父が死んだ時に建てたもので、そのお墓には両親の骨が入っています。でも、僕はどうにもそのお墓が好きではなくて、墓参りに行く気にならないのです。そもそも、親が死ぬまで、そこにお寺があることもしらなかった縁もゆかりもない場所です。僕は墓参りどころか、三回忌だとか七回忌だとかの法要にも行っていない。そもそも法要があったかどうかさえも知らされてない。こんなことを皆さんが知ったら、とんだ親不孝者だと思うかもしれないですね。なので母の思い出を過去の記事から抜粋し加筆・訂正して編集して僕なりの供養にしてみました。お暇な時に、読んで下さい。題して、「親切な川原達二の育て方」です。

 

(1)小学校の頃、僕は背が小さくて、ある日、母は小学校に行って、カンカンに怒って帰って来ました。「山椒は小粒で、ピリリと辛い!」と叫んでいました。どうやら「たっちゃんは小さいから」とバカにされたそうで。僕は人間は中味が肝心だから、たとえデブでもチビでもブスでもハゲでも、そんなことは関係ないと思っていたけど母が悔しがってるから、母を馬鹿にした奴の名前を聞き出して、そいつらの息子たちをブッ飛ばした。それで、家に帰って、その報告をしたら、母は嬉しそうに、一件、一件に、お詫びの電話をかけてました。
写真は、母が作ってバザーに出した麒麟のぬいぐるみ。
僕の方が、少し背が高く設計されている。赤いマフラーはサイボーグ009。↓。

(2)もっと小さい頃、大勢で熱海に旅行に行きました。僕は、その温泉旅館に着くなり、ソファベッドみたいなものにダイビングして、打ち所が悪く、額から大流血。すぐ病院に直行、家路につきました。その旅行は秒単位で終了しました。

(3)箱根に旅行に行ったのは、僕が高校生の頃。お正月をゆっくり過ごそうと出かけたんだけれど、そのシーズンは旅館は混んでて、サービスが悪くて、僕は不機嫌になって口もきかない。母は困って、結局、この旅行も一泊もしないで、わずか数十分で帰ってきちゃいました。

(4)大学の入学式、僕は大学生になってまで、親が入学式に来るのは恥しいと思っていたのです。僕が嫌だったのは、周りの新入生たちで、皆、親子で来てて、嬉しそうに記念写真なんか撮っていて。
僕は、こんな奴らと一緒にされたくない、と思って、入学式を途中で脱け出して、母を置き去りにして、1人で帰っちゃいましたね。母は、遅れて家に帰って来て、僕が居間で寝転んでテレビを見ていたら、「良かった。いた」と笑ってました。
あの場面は、怒るとか、「心配したでしょ!」くらいのことを言っても良かったんじゃないかな。でもなぁ、相手が僕だから。あれが正解だったのかも。

(5)そう言えば、兄の結婚式の時も僕は間に合うように家を出たんだけれど、電車の網棚にスーツを置き忘れて、それを取りに行ったりして、遅刻して。結婚式の途中で、バタバタと親族席に僕が遅れて到着すると、母はホットした顔をして、振り向いて笑っていました。

(6)母は薬剤師の資格を持っていて、僕が風邪をひくと、葛根湯(かっこんとう)を少し多めに飲ませた。「ちょっと多い方が、すぐ効く!」と言っていた。喘息は、息をするたびに、ヒューヒューと音がして、夜になったり、運動をするとひどくなった。母は、庭にあるサボテンみたいな(アロエ?)植物を千切って、それを液状化して、僕の胸に塗り込んだ。すると不思議と、ヒューヒューが止まった。(医学的根拠なし)。あれは何だったのか、いまだに判らない。

(7)僕は母の作る「ロースト・ビーフ」が好きでした。でも、あれ厳密には、「ロースト・ビーフ」じゃないですね。高級な肉の塊を、セロリとか薬草と一緒に焼いて、その野菜のダシと肉汁に醤油か何かで味付けしたソースを作って。それをたっぷりかけてヒタヒタにして食べる。僕は今でも、この世の中であれが最高に旨い食べ物だと思っています。
有名店の「ロースト・ビーフ」を色々、食べましたが、どれも劣りますね。
あの味は、もうないのです。母は、息子のお嫁さんたちには、「ロースト・ビーフ」の作り方を教えなかったのです。

(8)鳥皮は「川原3大好物」の1つです。小学校の頃、母の買い物は日本橋の三越か横浜の高島屋で、付き添い役は僕。
横浜の帰りは、ダイヤモンド地下街というところの『鳥ぎん』で釜飯を食べた。
釜飯が炊き上がるまでの間、焼鳥をつまみながら待つのだけれど、僕は偏食なので、鳥皮を30本とか40本とか食べるのです。そして、母の釜飯を少し分けてもらう。鳥皮だけを馬鹿のように食べる小学生を見て、店のおじさんは「この子は、将来、大物になるよ」とあきれ返り、それを真に受けた母は喜んで、「このお店だって繁盛するわよ」とお世辞で返してたのが微笑ましい。ちなみに、今、『鳥ぎん』はない。

(9)穴子も「川原3大好物」の1つです。子供の時、寿司の出前は高級な「寿司政」と決まっていたが、僕は近所の立ち食い寿司屋の「寿司寅」の方が好きだった。子供心に「寿司政」は気取って見えたし、性分としてのアマノジャクと判官贔屓もあった。さらに、親に怒られて家から締め出されると、家のお金をチョロまかして「寿司寅」に寄っていた、常連気分も手伝った。
僕は、穴子の甘いツメが好きで、マグロもエビもタコも全部ツメで食べたが、穴子が断然旨かった。「寿司寅」のおじさんは笑って、「それは、ツメは穴子から作るんだから当たり前だよ」と教えてくれた。それ以降、10年以上、僕は寿司屋では穴子しか食べなくなるのです。
だから、家で寿司の出前をとる時は「寿司政」で大きな桶を頼むのだけれど、僕用に「寿司寅」で穴子だけを注文した。
そんなある日、「寿司政」の出前と「寿司寅」の出前が玄関で出くわしてしまった。桶の大きさが全然ちがう。「寿司寅」のおじさんの決まりが悪い風に見えて、「寿司寅」のおじさんに嫌な思いをさせたのではないか、と僕は気にした。
それに気づいた母は僕に、「達二の1番は『寿司寅』なんだから、堂々としていればいい」と言い、僕は「なるほど」と思った。

(10)川原3大好物の最後は、うぐいす餅。家の近所には母の母が住んでいて、僕は暇な時におばあちゃんちに寄っていた。
相撲をやってるシーズンは相撲中継を、それ以外の時は時代劇の再放送を見ながら、おやつを一緒に食べるのである。たまに、お茶菓子を買ってってやるのだが、年寄りなのでケーキなどは好まず和菓子屋に行く。
そこで季節に応じて、団子やらおはぎやら桜餅やら草餅やら黄身しぐれやらを土産に買う。そんなある日、僕の目を奪ったのが、鮮やかな薄みどり色の和菓子だった。和菓子屋は、その色をうぐいすに喩えたが、僕はイグアナとかカメレオンを想像した。僕は爬虫類や両生類の生き物が大好きで、それは勿論、怪獣や恐竜に似てるからだ。このうぐいす餅の薄みどりは、刺激の少ない老人とのやさしい時間の中で、東宝ゴジラ・シリーズのガバラやゴロザウルスを連想させた。僕はゴジラ・シリーズでも、彼らのような敵役や脇役が好きだった。
下の写真が、ガバラ。子供の時のをまだ持っている。↓。

これが、ゴロザウルス。これは、大人になって復刻版を入手した。↓。

(11)11月5日は、母の誕生日。子供の時、兄弟でお金を出し合い、プレゼントをした。それは、おもちゃの指輪で、多分、数百円の代物で、エメラルドのイミテーションで、キラキラの緑色がカメレオンみたいで魅力的だった。
母は、その日、父に「子供達が、これをくれた」と報告しているのを、僕はコタツでうたた寝しながら聞いていた。
父は、「子供達は、宝石のつもりなんだから、一生、大切にするように」と言うのを、僕は寝たふりをして聞いていた。
実際、母はその通りにして、母が亡くなって遺品を分ける時、宝石箱の中にそれをみつけた。僕は素早く、その指輪を抜き取って持ってる。
この幼児体験は、のちのちの僕の女子との付き合い方の原型となった。要は、「お金より気持ち」である。
僕は大学時代や医者になってからも女子に高価なプレゼントをするのは不誠実だと思った。プレゼントには、オリジナルの彼女を主役にしたマンガを描いたりしてた。
結構、大人になってから、価値観の合う女の子が、「プレゼントに、ブランド物を貰うと嬉しい」と言ったのを聞き、とても驚いた。

(12)ワニが死んだ日のこと。僕はワニを供養のために、食べる、と言って母を困らせた。
母は、ワニの料理をしたことがない、などと言い訳をして、父は寄生虫がいるからと説得した。しかし、そんな理性的な理由は僕の衝動にブレーキを掛けるのには不十分だった。
結局、母は鶏のササミか何かを買ってきて、それをワニの形に切り抜いて、フライにした。その日の晩ご飯のおかずは、「ワニのフライ」だった。
当時は公害の問題で、魚の値段が釣り上がっているという時事ネタを「サザエさん」の4コママンガでやっていて、
サザエとフネが「子供達が魚が好きだから困るわね」と言い、苦肉の策、鶏のササミを魚の形にしてフライにする、
という同じシーンがあった。
その4コマのオチは、カツオがワカメに「大人も苦労してるんだね」とこそりと言い、「協力しよう」と。カツオが「あっ、魚の骨が刺さった」と口に指を突っ込み骨を取るマネをして、ワカメも「私も」と同じポーズをとり、
サザエとフネが青ざめるというものだった。
僕はそのマンガを見た直後だったから、仕方ない、黙って、「ワニのフライ」を食べた。淡白で味も素っ気もなかった。
「ワニの肉は本当だ、うまくないね。もう、これからはいいや」
母は安堵の表情を浮かべ、そうして、我が家の食卓に「ワニのフライ」が登場することは、2度となかった。

(13)僕が医者になり母がまだ生きてる頃、寿司屋に連れて行ってやると、必ず「貝の盛り合わせ」か「サザエの壺焼き」を頼んだ。母が貝が好きだったから。
徳田さんは、「先生は貝が好きですね」というけど、僕が貝を頼むのは「好み」でなく「習慣」なのだ。
徳田さんはおそらく、自分では絶対気付いていないと思うが、「サザエの壺焼き」を食べる時、「おっ、すごい!サザエの中からワカメが出てきました~!」と必ず言う。毎回言う。

(14)河岸といえば、僕も子供の頃、年の瀬になると母親に連れられて買出しに行った。母は、東京の人だから、年末には築地に行ってものすごい量を買い、従業員や近所に配っていた。母からは河岸のルールをいくつか教わった。場内を車が通るのだが、それは車がよけるのではなく、人がよけるのだと。ひかれたら、ひかれた人が悪いらしい。母は、場内に入ると、俄然キビキビしてきて、チャキチャキしてくる。
ある店で買い物をして、店の人がお釣りを渡すのにまごついていたら、「いくらお釣りなの?200円?それなら、ここにあるわよ!」と店の人に200円を渡して帰って来るのだ。僕が、「今のは、おかしいぞ。200円向こうが払うのを、こっちが200円払ったら、400円の損だ」と指摘したら、「達二、ここでは、それでいいの!」と言い切った。
寿司屋の大将に、母から聞いた「河岸のルール」をたずねてみると、「車は今でも、そうです。だから、場内は勝手を知ってる人と行かないと怖いですよ」と真顔で言った。「お釣りの件は?」とたずねると、「う~ん、それはないんじゃないでしょうか~」と笑いながら答えた。

(15)ある日、女子のお母さん達から、母が話を聞いてきた。
「タッちゃんは、やさしくて、班を作る時に、班に入れない子を誘って組んでいる」って。
母は、そのことを聞いてきて、大喜びで、「さすがは、達二だ!清水の次郎長の血をひいている」と真顔で言った。僕は、女子ってそんなところを見てるんだぁ、とちょっとびっくりした。すると母は、そこは女の子を選ぶ時の必須条件で、顔やみてくれは、二の次と言った。
この言葉は案外、その後の僕の女子を見る目に大きく影響を及ぼした。

(16)小4の頃、上級生達も引き連れて、休み時間に野球をやって、ゲームをキリの良い所まで延長したから、皆を授業に大量遅刻させてしまい、そのことで学校から注意を受けた母が、親戚に電話してるのを、こっそり聞いてしまった。電話口に向って、母は、「上級生まで従えて、野球で授業に遅れるなんて、達二は将来、竹見太郎のような大親分になるんじゃないかしら?」
と、相談事のはずが、自慢話に変わっていて、僕はそれを盗み聞きしながら、「このままじゃマズイな」と思ったものです。
ちなみに、竹見太郎、とは、ケンカ太郎、とも呼ばれた、その頃の日本医師会の会長。

(17)僕には、イジメ、というものを受けたことが、ほぼない。もしそれに近いものがあるなら、小学校の高学年の頃だ。
僕は受験のために、日曜日に、茅ヶ崎から東京の学習塾に通ってた時期がある。僕は途中から参加したので、もうグループが出来ているところに入った。
あまりよく覚えてないが何度目かで、まかれる、か何かの嫌がらせを受けた。それが何回か続くとさすがに気分が滅入った。
僕の様子がおかしいことに母が気付き、しつこく聞かれて、ぼんやりと輪郭だけ話したんだと思う。
自分が、イジメられてる、という事実を認めたくないという心も強かったから、ぼやかして喋ったんたと思う。
すると母は、和服に着替えた。これは母の本気モードだ。母はどこかに出かけて行って、しばらくして帰ってきたが普段通りの母に戻っていた。
翌週、僕が塾に行く準備をしていると、母は、「達二、どこに行くの?」と聞いた。
僕が、「塾」と答えると、母は、「あらっ、あそこはもうやめにしたのよ。言わなかったかしら?」とトボけた。
男の子のプライドを大事にしたんだと思う。
僕と母は、その後の人生で、このことについて、1度も話したことがない。
しかし、このおかげで、僕には嫌なことがあったら逃げればいいんだ、という選択肢が出来て、随分とストレスに対する対処作のバリエーションの幅が広がった。
逆に、だからこそ、攻撃的に人生を送れているのだとも思った。

(18)母はバレンタインに毎年、チョコレートをくれた。
皆さん、思春期の男子にとって、その年のバレンタインデーのチョコレートが、「収穫ゼロ」と「母親から貰った1個だけ」、のどっちが嫌だと思います?。ビミョーなラインだと思います。
中2のバレンタインに、母から原宿で買ったという机一面大の板チョコをもらった。こんな物を売る奴も考える奴もおかしいが、買ってきちゃう母も母だ。
翌日、教室で「昨日、チョコ、もらった?」と探り合いの会話があって、僕は「このくらい」と机一面の面積を両手で示した。
すると、クラスメートから、「すげー」と驚嘆された。
ま、僕は嘘もついてないし。
しかし、中学生の男子なんてこんなことでクラスのカーストが決まったりして、おかげで僕はその後の学園生活は随分と楽だった。

(19)中学1年の時の「サングラス事件」。僕は学校にサングラスをかけて行ったら、担任にみつかって、没収&親の呼び出し。
母が茅ヶ崎から目白までやってきた。高級な着物だった。これは母の戦闘モード。担任が、「校則違反で…」と言いかけると、「学校にサングラスをかけて来てはいけない、という校則ありました?」と上品に答える母。担任、絶句。ここまでで、勝負あり。担任は、気を取り直し、「しかし、達二君は、サングラスをかけないと目が変性して三つ目になる奇病だ、という嘘を…」に、母は、「先生、それは嘘ではなく、ユーモアですよ(笑)達二は昔から、トンチが効いて」と、むしろ自慢気。
大人のやりとりをみてるこっちが冷や冷やする。
母は、問題のサングラスを手にとって、「先生もかけてごらんになったら?」と無理矢理、担任にグラサンをかけさせ、「あら、あまりお似合いになりませんね。似合ってたら、差し上げようかと思ったのですが、達二の方が似合いますね。じゃ、これは家でかけさせます。先生、サングラス、持って帰りますね~ごきげんよう~」と、つむじ風のように帰って行った。職員室に取り残されたのは、僕と担任だ。
担任は、真顔で、「オレ、お前の母ちゃん、苦手。川原よ、もう学校に余計な物を持って来てくれるなよ。これは指導じゃない、お願いだ」と言った。

(20)母校の卒業生が、元・担任に在校生の家庭教師のバイトを依頼したそうな。
担任はその話を僕に振って来た。僕は少しムカついた。
それは成績が悪いから、家庭教師をつけろ、と呼び出されたからではない。OBのバイトの斡旋を、安易に俺に回して来るという安直な物件探しにで、<俺も舐められたモンだぜ>と思った。
結局、担任と母が相談して、そいつがうちに来ることになった。
当時、プロレス界はアントニオ猪木が異種格闘技路線を引いていた。僕は猪木から目が離せなくて、毎日、学校帰りに、駅の売店で東京スポーツを買って帰っていた。その家庭教師は、東スポを見つけると、「その新聞、やらしい記事あるだろ」と下品に笑った。僕はエッチな紙面を見開きで渡し、「ちょっと、僕、水を飲んで来ますので、それまでそれでも読んでて下さい」と丁寧に言うと、そいつは、「おぅ!」なんて調子をこきやがって。
僕は水など飲まず、急いで母の所に行き、「先生がお呼びですよ。お急ぎみたい!」と母をせかした。
母は大慌てで部屋に入ると、堂々とスポーツ新聞のエッチ欄をニヤニヤして見てる男の姿に出くわして。
そいつの楽しみは、家庭教師の帰りに、駅前のパチンコ屋に寄ることだった。一度、家庭教師が終った後、こっそり尾行したら、そいつは嬉しそうにパチンコ玉を両手ですくって席に向かっていた。
僕は家に帰ってから、少し深刻そうな顔をして、「言おうかどうか迷ってるんだ」と母に言った。当然、母は聞き出そうとする。「あの先生、毎回、ここの後に楽しみに寄ってるお店があるのを見ちゃったんだ」と僕は答える。
母はまだ冷静で、やさしく「どんなお店なの?」と尋ねる。「中学生は入っちゃいけない店なんだ」。
母の顔はにわかに曇り、「なんて店なの?」。「うる覚えなんだけど、確か、看板に、チンコ、って文字が書いてあったよ」。
すると母は激怒して、勝手にハレンチな勘違いをして、担任にも文句を言って、そいつをクビにした。
パ・チンコなのにね(笑)

(21)僕が中3の頃、異常なスペースインベーダ―のブームが来た。ゲームセンターだけではなく、喫茶店のテーブルもみんなゲーム機だった。東中野の駅前のパチンコ屋の2階もゲームセンターになった。僕はそこでスペースインベーダーをやっていたら、後ろから不良に椅子を蹴られ「順番変われ」と脅された。僕はそんなに喧嘩が強い訳でもないし、相手の学校の縄張りだから席をどいた。家まではすぐ。でも帰り道に段々腹が立ってきて、「これはおかしい!」と思い、家まで走って帰り、何か武器を探した。あまり役に立つものはなく、かと言って包丁を持っていくのも違うから、丁度、お風呂の湯船の栓をするのが、黒いまん丸い球状のものでそれが鎖のようなものにつながってるから、それを引きちぎり、ゲームセンターに逆戻りをしようとした。その時、家には母がいて、「どうしたの?」的なことを聞かれたと思うが、僕は頭に血が上ってたから、何も言わずに家を出た。ゲームセンターにつくと不良の二人組がゲームをやっていた。僕はそいつらのところに行き、風呂の栓をブラブラさせて相手を威嚇して、「席を返せ」とすごんだ。不良たちは「なんだよ!」と声を荒げてこっちをみたが、俺の形相におじけづいたのか、あっさりと退散した。僕はいささか拍子抜けだが、ゲーム機が空いたからそこに座ってスペースインベーダーを再開する。何か店の隅に異変を感じたから振り向いたら、母がこっちを見守っていた。不良たちがビビって去ったのは、僕の武器にではなく、背後で睨みつける母にだった。

(22)カワクリは、2023年6月から法人化して、医療法人綾枝会、になりました。
綾枝会の綾は、母の名前からとりました。
母はここのクリニックをみることなく死んでしまいましたが、あの母のことだからどこかから見ていることでしょう。

(23)僕は、元々は開業する気はまるでなかった。勤務医の方が気楽だし、臨床の仕事は好きだが院長ともなると管理的な業務や経営的なことを考えなくちゃいけないから、そういうのは不向きだと自分が一番知っていた。
それでは、何故、開業する気になったかというと、うちの母親は古い人間で、
「医者になったのなら、他人に使われてるようでは駄目。独立開業して一人前!」という自分の価値観を押し付けてくるタイプだった。
僕は、平気の平左(へいきのへいざ、と読む。‘平気’という意味)で、その時にやりたいことをやれる病院を渡り鳥みたいに、気ままに見つけて、渡り歩いて生きていた。
晩年の母は末期癌でどんどん年老いていき、僕は親孝行なもので、仕事が終わるとほぼ毎日、茅ヶ崎の実家まで見舞いに寄って帰った。
そこで、血迷ったんだろうな、母が生きてるうちに開業して一人前の姿を見せてやろう、と決心したのだ。僕は開業すると言っても、ほとんど思いつきもいい所で、何のビジョンも、具体的な案も、現実的な資金もなかった。
開業支援の会社があってそこが物件探しから、コンピューター・システムの導入も、看板や広告も、従業員の応募も、役所への届出も、必要な書類の整備も、ご近所への挨拶も、開院披露パーティーの提案も、取引する業社も、普段使う電話機も金庫もタイムレコーダーもロッカーも、開業支援の会社がやってくれた。スムーズに事が運んだ。一つだけ誤算があったとすれば、開院披露パーティーを待たずに母親が死んだこと。僕が開業すると知って安心して、死期を早まらせたのかもしれないな。

(24)僕は親のことをよく知らない。父親は大正10年の生まれで親から離れて北海道やら満州に移り住んでいたらしいが、理由は知らず、それに比べれば母親のことはよく知ってると思ったのだが、大正14年生まれで東京に育って、実家が薬局のようなものをやっていたということくらいの知識しかなかった。
母の葬式で色々な親戚に会い、開業する時は、ご案内状みたいなものを送った。
すると親戚から、驚嘆と絶賛のお電話を頂いた。内容は総じて、「タッちゃん、よくぞ大岡山にしてくれた」というものだった。
なんと!母親の実家の薬局は大岡山にあったらしいのだ。
それまで母と大岡山の関係をまったく知らなかったから、ビックリした。
こういうのを縁って言うのだろう。大切にしようと思った。

(25)川原家は、兄の進路の話し合いがされていた。応接間に両親と兄が入って、僕はのけ者です。それでも、しばらくは、テレビをみたり、一人でおとなしくしてたはずです。でも、我慢しきれなくなったのです。子供だし、寒い日だったから。僕は何度か応接間の戸をノックしましたが、話は終わらない。よほど、大事な話し合いらしく、僕はずっと放っぽかされてました。
そして、いよいよ、どうにも我慢できず、親の気をひくため体温計で熱を測りました。平熱でした。そこで僕は「もう少し熱を上げなきゃ」と思い、ガスコンロで水銀計をあぶったのです。目盛を見ましたが、よく数字が見えませんでした。でも触ると熱いから、「これで良いだろう」とそれを持って、応接間の戸をノックしました。まだ話の途中のようでしたが、母が体温計を受け取りました。母は、体温計を見て、仰天した顔をしました。
どうやら、直接炎に点けたから、目盛を振り切っていたのです。母はそれを父に見せました。すると、父はその体温計を見て、両親は一瞬顔を見合わせ、父が母に言いました。
「達二の看病をしてあげなさい」
母は僕の方に来て、何をしてくれたのかは具体的には覚えていませんが、「良い体験」として記憶しています。
僕は仮病が親にバレタのは、すぐ判りました。仮病だと判りながら、よくしてもらえると何かが、ストンと心に落ちたのです。
僕はそれ以降、親を振り向かせるために仮病を使う事は、あまりしなかったと思います。

(26)さくら学院の舞台「秋桜(しゅうおう)学園合唱部」を観た時、映画「野のユリ」を思い出しました。
「野のユリ」は母が好きな映画で、子供の頃、何度も何度もテレビの洋画劇場で放映されていました。
その都度、母は、「野のユリ」は良い映画ねぇ、と感嘆していました。

(27)こないだファミレスで1人で本を読んでいたら、隣のテーブルに家族連れがいて。僕の真向かいに座った男の子はやっと言葉を喋りだしたくらい。その子は「飲み物」が欲しくて、母親に「あぁ!あぁ!」と指差すんだけれど、母親は「口で言えるでしょ?」と言う。多分、ちょっと前までは、その子はそうやって「あぁ!あぁ!」って言えば、欲しい物が目の前に出てたのだろう。だけど、言葉を覚えたら、口で言わないと、取ってもらえない。
その子と目と目が合った。僕は、「お前、意地でも喋るな!」と気合いをこめて合図を送った。しかし、その子は僕のエールを無視して、「じゅーちゅ」と言いやがった。その子の両親は、拍手して、「良く言えまちた~」なんて言って、飲み物を取ってやり、頭なんか撫でていて。僕は本を閉じて、店を出た。
親子でも、言葉が無ければ伝わらないのか、言わなければ判らないのか、と思うと、僕はブルーな気分になってしまった。こんなエピソードは毎日、ザラにあって、僕はそんな時、母のことを思い出したりしますよ。

(28)小学校低学年の頃。母が死んだら僕はどうやって生きて行っていいか判らない。だからカルメン・マキの「時には母のない子のように」というヒット曲を聞くとやるせない気持になり、母が死んだら後を追おうと決意して、母が死んだ後に、死ねる場所をいくつかみつける。僕は泳ぎが出来ないので、海や川は候補から外した。死ぬことより溺れることの方が恐ろしいからだ。
茅ヶ崎駅から少し離れた所に開かずの踏切があり、そこなら確実だと考えた。何度か下見に行った。
ある日、線路の脇の草むらにエロ本が捨ててあった。中味を見た。オバさんがセーラー服姿で載っていて、吐き気をもよおしたが、掲載されてるマンガがシュールで面白かった。誰かが定期的にエロ本を捨てる場所だったらしく、僕は「エロ本の墓場」と名付け、いつしかそこに本を読みにいくのが愉しみに変わっていた。エロスがタナトスに勝利したのだ。
後日、「有害図書ポスト」みたいなものが設置されエロ本の不法投棄はなくなった。そしてその頃には、僕はあまり自殺について真剣に考えなくなってしまった。

(29)思春期反抗期だった頃にみてた子が今はお母さんになる時代。彼女は、自分があれだけ嫌ってた母親みたいになったらどうしよう?、とか子供が思春期になって自分のような反抗期を迎えたらどうしよう?と今から心配している。だから僕は、もしも、この子が思春期になって手を焼いたらうちに連れてくれば、「お前のお母さんがどんな青春時代を過ごして、どんな気持ちでお前を産んで、どんなに大変な思いをしてお前を育てたか」を俺が言って聞かしてやるからと伝えたら、「それはとても心強い」と笑う。これがこれからの僕のライフワークの一つになる。患者は言う「だから、先生、本当に長生きして下さいね」。

(30)「蛙に似た女でも蛙のお袋とはかぎらない」、ペーパームーン。
下の写真のTシャツは、ケロヨン。となりの婦人は、「木馬座」のもぎりのおばさん。うそ。母。↓

永六輔の言葉に、人間は2度死ぬ、と言うのがあります。1度は肉体の死で、2度目は忘却の死。つまり、忘れられてしまうこと。
だから、時々、その人の話をしてあげることが大切で、そうしていれば記憶の中では生き続けるのです。なので母の命日にこんな記事を書いてみました。それが、実家や墓参りに行かない僕の供養のやり方です。


真説「わたしはムンク」

自室の神棚です。

Q.りんご酢は神棚に置くものなんですか?

A.お酢には除霊効果があるそうです。例えば、お風呂にお酢を入れて入浴すると、邪霊を駆逐するそうです。

Q.「ゴリラとの結婚」も神棚なんですか?

A.はい。神様は異類婚姻が好きかと思いまして。

と架空の質疑応答をしてみました。

そんな朝にはレトルトのグリーンカレーに、おかめ納豆をトッピングして食べてみましたが、納豆の辛子が強すぎて、エスニックが和風に負けて何とも微妙でした。でも、お陰で目が覚めました。

さて、それでは「カワクリ、宗教&スピリチュアルコーナー」の紹介です。

まずは仏教から。

寝釈迦コーナー。

キリスト教。マリア像、手前のしょこたんは寝釈迦ポーズ。

イエス様。

音叉(空間の浄化に使う)と木魚(いらなくなったボールペンなどを捨てる時に使う)。

頂き物の沖縄の魔除けたち。

さて、場面が自室に戻ります。この子はいつもキングサイズのベッドで僕と一緒に寝てるアンティークドールです。

僕が中1の頃からいつのまにか家にいたお人形なのですが、家族の誰が家に持って来たのか、貰ったのかもわからず、不気味がられてました。そんな彼女が可哀想なので僕の部屋に置いておきました。それから、高校や浪人生や大学や父が死んだり、大学を落第しそうになったり、失恋したり、国家試験に受かったり、医者になったり、引っ越したり、一人暮らししたり、やけ酒飲んだり、友達が遊びに来たり、挫折したり、天狗になったり、ピアノを買ったり、ギターを売ったり、絵を描いたり、レポート書いたり、風邪で寝込んだり、医者になって頑張ったり、結婚したり、子供が出来たり、中野の関連病院に行ったり、開業したり、今に至るまで、約50年くらい、どんな家族より長く僕のそばにいて色んな人間模様を一緒に見ていてくれてます。

カツラはとれて、髪はボンドで留めたら良いのかしら?とか、アンティークな帽子や靴も無くなっちゃったし、服も一回も洗濯してないです。日に焼けて色褪せてしまっています。

球体関節人形なのでしょうが、関節もイカれて脱臼しています。髪や関節も対症療法でいいから治してあげたいのですが、まずは綺麗なお洋服を着せてあげたいです。女の子だし。

今は、霊能者から「もはや呪物だから、手離した方が良い。呪物コレクターを紹介します」と言われてしまいましたが、それではお人形が可哀想ですし、何よりどんな家族より長く僕といる子なのでそばに置きます。Facebookで見つけたお人形作家さんにダイレクトメールしてみたら、色良い返事が来たので交渉中です。

この子の名前は、長いことなくて、「お人形」と呼んでいました。最近名前をつけて、名前は「ムンク」。僕の夢の中にお人形が出て来て、「わたしはムンク」と名乗ったから。それで、ムンク。

もうすぐムンクのお洋服を注文する。


ラジオごっこ~カラオケもついでに

霊や邪気は、人形や紙を好むらしく、うちのクリニックはフィギュアやマンガが多いから時々、空間を浄化する。皆さんも時々耳にしたことがあるかもしれないが、チンチーン、という受付が奏でる音は、地球と同じ周波数の音叉を水晶に当ててチャイム代わりに使ってるもの。

お香を焚くのも有効なのだが、僕は「嗅覚過敏」なのできつい香りはNG。昔、悪魔祓いにも使うと聞きセージを炊いてみたことがあるが、あまりの匂いに悶絶し、自分が悪魔なんじゃないか?と思うくらい苦しかったから「焚く」系はこりごり。

で、エネルギー療法の先生に聞いたら、霊は金属の音を嫌うらしい。そう言えば孫悟空のお師匠さんの杖にも鈴がついていたし、霊と話せる人が霊にインタビューした記事で「嫌いな音楽は何ですか?」というのに、マライアキャリーのクリスマスソングのイントロ、と答えてたのを読んだことがある。あの歌って、鈴の音で始まるものね。で、1番空間浄化に相応しいものは何かと考えた末、教わったのが、タンバリン、です。音楽の授業で使うような皮の貼ってある奴じゃなくて、カラオケボックスにあるような鈴が重なり合ってシャカシャカする奴です。カラオケボックスでパクって来る訳にもいかないので、通販で買いました。

これを休憩時間とかに診察室や相談室や待合室で鳴らすと、遊んでるように見えますが、霊や邪気を追い払えるという寸法です。

診察室の本棚にもシャカシャカ。

そんな訳で、今回はラジオのDJ風に僕の近況をお伝えしながら、カラオケで一曲歌ってみるという企画をお届けしようと思います。一曲目は、河合奈保子の「ムーンライト・キッス」。タンバリンの代わりに河合奈保子が曲間でカスタネットを叩きます。

ムーンライト・キッス 河合奈保子

 

友達と女友達と親友と理解者と、LOVEとLIKEの違いとか、真剣に悩んでいた時代が僕にもありました。そんな10代の頃、「君が好きだから」という歌を作りました。「気がつけばいつも一人きりだが、寂しくなんかはない。誰が何と言おうとゆずれないものがあるけど、それが何かもわからない。仕方がないさ、君が好きだから」という、のんきな詞と牧歌的なメロディーでした。二番は、「貸し借りみたいな恋はいらない。悪口陰口言われても僕のそばには君がいる。世界中で君ひとり、味方ならは良い」みたいな内容です。この歌から伺えるのは僕は彼女に愛とか恋とかより、「ツレ」とか「バディ」のような感覚を求めてたみたいです。二曲目は、大上留利子で、嫌われ者の恋。

大上留利子 (Ruriko Ohgami) – 嫌われ者の恋

 

でんぱ組が解散になり、アイドルを卒業したぺろりんのYouTubeチャンネルを細々と見てる日々ですが、そもそもぺろりんを知ったのは、でんぱ組がテレ朝の深夜番組で、でんぱの神神、という看板番組を持ってる頃、毎週楽しみに見てて、ある日、最上もがが脱退することが決まりその代わりに入った新メンバーだったから。最上もがは、自分のことを「ボク」と呼ぶ僕っ子で、そう言えば、今人気のあのちゃんもそうだけど、一人称をボクと呼ぶ女の子はいつからいるんだろう?僕が知ってる一番古い子は、僕が中1の時にバスボンのシャンプーのCMで人気になった松本ちえこのヒットシングル。

W0189 松本ちえこ「ぼく」

 

前のラジオ企画で紹介した多岐川裕美のヒットスタジオ出演時の生歌を聞いたらすごく「下手」だった。昔の俳優さんは歌が下手な人が多かった。それはその道のプロはそれしか上手くないと言うことで逆に信頼があった。さんまとかも歌は下手だし。そういうのは良いなと思う。最近の芸人さんはみんな何をやっても達者だけど、日本人の国民性は「これ以外にとりえがない」という不器用な人も好きですね。立川談志がよくジミー時田の話をしていた。ジミー時田は酒癖が悪く女好きで貸した金は返さないし時間は守らないだらしのない怠け者だがギターを弾かせると、「どうでぃ、こいつが俺の友達だ!」って自慢したくなるって言ってた。

ともだち 南沙織

 

いつもは心理の2人と3人でランチに行くのだけれど、その日は混んでて僕が終わらないから2人に先に行ってもらい、僕は、餃子の王将、でひとり、新作の味噌ラーメンを食べる。

これが実物。

餃子の王将、に行ったんだから、勿論、餃子も食べた。

ひとりのランチは淋しい。曲は郷ひろみの「寒い夜明け」です。作詞をあの、楳図かずお、がしています。

郷ひろみ – 寒い夜明け

 

気に入ってた中華料理屋の店長が僕の知り合いの女の子にセクハラしてたと知ってから、そんな店に儲けさせたくないから行くのを辞めた。その代わりに多用してるのが、ゾーミン、という中華料理屋。この日は回鍋肉定食に餃子を食べた。

キャベツは高いそうですね。

この写メを、メル友の冬子ちゃんに送ったら、偶然彼女のお家の晩御飯も回鍋肉だったって。なんたる偶然。曲は、北風よ。岸本加世子です。

岸本加世子「北風よ」

 

昔、通ってたキックボクシングのジムの上に中華料理屋があるのだが、その真横に中華料理屋が出来るらしい。鰻屋のおかみさんが、良い人たちだから行ってあげて、と。早速見に行ってみると、今、建築中だが看板はもう出来上がってる。下の写真の英語の意味、わかりますか?僕はスペルが間違ってるような気がするのですが。チャイニーズの、H、が抜けてるんじゃない?

語学に詳しい人に聞いたら、これは英語じゃなくてイタリア語なんだって。イタリア語でチャイニーズって、H、は入らなくて良いんだそう。だけど、中華料理屋なのにイタリア語って何故なのでしょう?「行ったりーや」のダジャレかな?曲は、松本伊代で、チャイニーズ・キッス。

「HD」松本伊代  チャイニーズ・キッス 1983年

 

忌野清志郎が死んだ時、泉谷しげるは「アイツの死は絶対に受け入れない。通夜も行かない。告別もしない。冥福も祈らない」との名言をはいた。それを聞き僕も「訃報を信じません」という同じ立場をとろうと考えた。
元々僕は「別れ」に弱く、アントニオ猪木の引退試合もトイレに行ってて見逃したし、父が死んだ時も靴下を買いに行ってて、棺桶に釘を打つのにあやうく間に合わなくなりそうになった。
キヨシが死んだ年の5月9日に青山ロックンロールショーと銘打たれたファンのためのお別れ会が行われた。本来なら僕はここには参列しないのだが、当日、息子に「行ったら?」とすすめられ一緒に行くことにした。その日は土曜日で外来が終わったのが8時すぎでそこから青山に直行した。
下の写真は会場でもらった記念のもの。息子には感謝している。

曲は、さらば涙と言おう。森田健作ではなく、石野真子バージョンで。

さらば涙と言おう

 

今度、徳田さんとダンスの舞台を観に行く。徳田さんと言えば、牡蠣グラタンだ。それは、ある冬の寒い日。
徳田さんは、テレビで大岡山の特集番組を観たらしく、そこで紹介されていたレストラン林の「牡蠣グラタン」がとても美味しそうだったから、今度、時間のあるお昼に食べに行きましょう、と誘って来た。林は、ハヤシライスが有名で牡蠣グラタンは冬だけの限定メニュー。
そして、数日後、時間のあるお昼休みが出来たから、「牡蠣グラタンを食べに、林に行こう!」となって、「牡蠣グラタン」は普通のメニューには載ってないけれど、おすすめメニューが書いてある黒板の一番上に書いてあった。オーダーを取りにお店の人が来て、僕が「牡蠣グラタンを、2つ…」と言いかけたら、彼女はそれを左手で制止して、右手でメニューを見ながら、「私、ハンバーグにします」と宣言するなり、パタンと両手でメニューを閉じた。僕が唖然としていると、彼女はその様子に気付き、「私、デミグラス・ソースが好きなんです」と照れたように告白した。いや、照れるところじゃないんだが。
その時、僕は、数日前に見たテレビ番組のワンシーンを思い返した。それは、徳光さんが、ミスターこと長嶋茂雄にまつわるエピソードを紹介していた場面で、
徳光さんは、ミスターをあるソバ屋に案内したことがあり、そこのソバはとても美味しく店主がミスターの大ファンらしい。そこで徳光さんは、ミスターをそこのソバ屋に連れて行き、店主は大喜び。店主は、張り切って、ソバを手打ちする様子を実演して、ミスターは「なるほど、なるほど」とうなづいて見学してたそうで。そして、ソバが打ち上がり、店主が「何を召し上がりますか?」とメニューを見せると、ミスターは「う~ん」としばらく考えて、「カレーライス!」と答えたそうです。徳光さんは、苦笑しながら、「店主はガッカリしてたよ。でも、そこが、やはりミスターだよね」と言ってスタジオを笑わせていた。
僕らのテーブルに、牡蠣グラタンとハンバーグが運ばれて来た時、僕には、そのソバ屋の気持ちが判る気がしました。僕は、思わず、心の中で叫びました。
「徳田さん!、ミスターかよ!。何、ハンバーグ食ってんだよ!、牡蠣グラタン、注文しろよ!」。まぁ、大人だから言葉にはしなかったけど、あまりのショックで、味、しませんでした。徳田さんには、そんな苦い思い出もあります。曲は、所ジョージで、君と二人で。

君と二人で (シングル・ヴァージョン)

 

先日、昔のよしみの他職種の集まりが錦糸町であって楽しく飲んだ。会が始まる前のスカイツリー。

会が終わった頃のスカイツリー。

道をウロウロしてたら、ガールズバーの立ちんぼに声を掛けられて、気がつけば知り合いでした。一緒にいた仲間に、先生こんな離れた場所にも知り合いがいるんですか?、と感心されてちょっと鼻が高かったです。ひとの評価ってこんなことで左右されるのだから不思議ですね。

その集まりでグループLINEも作り、グループ名が必要だからと公募されたので、4つアイデアを出したらそのうちの一つが採用されました。さて、次のうちどれが採用されたでしょう?

1、錦糸町パラダイス

2、ボブディランは今何を考えているか?

3、夜中に台所で僕は君に話しかけたかった

4、古い船をいま動かせるのは古い水夫じゃないだろう

正解は、ご想像にお任せして、曲は本日最後です。野口五郎で、きらめき。

野口五郎 – きらめき