まつたけ〜日刊ムンク㉘

~前回までのあらすじ~

 

中1の頃から川原のそばにいるドールの名前は「ムンク」。この写真の解説は後でしますね。


テディベア作家さんにリペアをお願いし、生まれ変わってムンクが帰って来ました。

作家さんは川原の「守護」を祈るクマ「抱き熊スーティー」をくれました。ラスプーチンと命名しました。

和食屋で固めの会。

夢洲万博にも行きました。

ムンク・川原・ラスプーチンの成長譚「日刊ムンク」の第28弾。

 

🌀スランプ。

僕はスランプに陥ると、決まって“ある人形”と一緒に寝てた。それは、いつからか家にいたもので、誰が持ち帰ったのか家族の誰にも心当たりがない。きっと誰かがどこかで買ってきたか、もらったのだろうが、そのこと自体を忘れてしまったのだと思う。その人形は、僕が物心ついた頃にはまだ家になく、中学生の頃に家に来たのだろう。
昔の家族も、今の家族も、みんな口をそろえてこの人形を「気味が悪い」と言う。だから自然と、ずっと僕の部屋に置かれていた。もう数十年になる。
この人形には何か特別な力があるわけじゃない。ただ、僕の中学時代から、その後の人生までを全部見てきた、いわば「全部知っている存在」なのです。僕がマンガを読んでいた時も、書きかけのラブレターを机の引き出しに入れて投函出来ないままの時も、ホルンを吹いていた時も、深夜ラジオを聴いていた時も、友達が来て騒いでいた時も、親に隠れてウイスキーを飲んでた時も、部屋に貼ったアイドルのピンナップも、プロレスラーのポスターも、レコードの山も、髪型にこだわって鏡の前で小一時間も格闘してた僕の姿も、そして、喪服姿の僕も何度も見てきた。
歴代の彼女だって、心の友だって、一度きりの人だって、僕の部屋に来た人はみんな会っている。
最近はスランプで、久しぶりに人形を枕元に座らせて、一緒に寝た。すると夢を見た。
奥さんが株で大儲けして、「もう十分だから熟年離婚しよう」と言い出す夢だ。(ちなみに、奥さんは株なんて一切やらない。)
目が覚めて、僕は人形に言った。
「まさかとは思うけど……。お前は女だし、母がいなくなった今、お前が一番付き合いの長い女だけど、だからって嫉妬して変な夢を見させたんじゃないだろうな?」


いい年して人形に話しかけるのもどうかと思うけれど、半分寝ぼけた僕はわりと真剣に、「頼むよ、お前くらいはそういうのなしでいてくれよ」とお願いした。
そう言って寝返りを打つと、ベッドが揺れて、人形がほんの少し、コクリとうなずいたように見えた。

 

🌀松茸。

昨日は大谷翔平が10奪三振、3ホームランと大活躍。MVPのインタビューで、「みなさん、美味しいお酒を飲んで下さい」と言うものだから、その言葉にそそのかされて、お昼から寿司屋で飲む。

国産の松茸を特注する。

普段お店が使ってる中国産の松茸と比べてみる。

でも、大切なのは大きさではなく、松茸の香りです。切ると見事な香りです。

松茸焼きです。

贅沢に食べ尽くします。

こっちは土瓶蒸し。

土瓶蒸しを考えた人ってすごいですね。

ドールは、匂いで食事をするから、2人も満足しています。

ウニも大好物なので、箱で特注。

秋の味覚。今年は秋刀魚が豊作です。

これは、ホンシシヤモ。

僕らが、ししゃも、だと思ってるのは、樺太ししゃもと言って、学名はカペリンで、別物です。ししゃも豆知識。

フグの白子。

この日はしこたま飲んでしたたか酔ってしまい、帰り道、大岡山商店街でドリームケースをぶちまけてしまい、立ち往生していたら、「あら、先生」とどなたかが駆け寄って来て、ドールを拾ってくれて、ケースにしまうのを手伝ってくれました。ありがとうございます。ちゃんとお礼を言えませんでした。何しろ酔っ払ってたから、恩人が誰かも覚えてなくて。これをもし読んでたら名乗りあげて下さい。ちゃんとお礼しますから。

 

🌀映画「鬼滅の刃」。

遅ればせながら映画を観に行く。

六本木で夜8時からなのに、満員でした。

4Dで観たので、映画に合わせて、背中を叩かれたり、風が吹いて来たり、椅子が揺れたり、映画というよりアトラクションでした。

下は特典のポストカード。

鬼にも、鬼になる理由がある訳ですね。

 

🌀ジェラス・ガイ。

僕がジョン・レノンの歌で一番好きなのは「ジエラス・ガイ」。男にとってもっとも恥ずべき事は「ねたみ」や「そねみ」だと思っていた若い頃の僕にとって、ジョン・レノンが「僕はよっぽど嫉妬深い男なんだ」、と告白するメッセージにカルチャー・ショックを受けたものです。
ジョンが死んだとき僕は高校生。色んなミュージシャンが追悼メッセージを発信したが、ロキシー・ミュージックは「ジェラス・ガイ」をカバーした。

手塚治虫のエピソードも好き。
手塚治虫は「鉄腕アトム」やら「ジャングル大帝」やらで大人気。それを師と仰いで「トキワ荘」にマンガ家たちが集まった。赤塚不二夫や藤子不二雄、石森章太郎など。まだ名前が売れてない新人の一人・石森章太郎がマンガ雑誌の選考に通過した。すると、その晩、石森の部屋の扉をノックする音がして、開けたら手塚治虫が立っていた。誉めて貰えるのかな?と思ったら、ケチョンケチョンにけなされたという。落ち込んだ石森。
翌朝、また扉をノックする音。開けたら立っていたのは手塚治虫。「昨日はごめん。僕は君の才能に嫉妬したんだ」と謝りに来たのだという。
全国的な大人気のアニメ作品を連発してる手塚治虫にとって、新人漫画家の入賞なんて比較するものでもないはずなのに。誉めてあげれる余裕はあるはずなのに。それでも素直に嫉妬する手塚治虫。
手塚治虫でも嫉妬するなら、僕が他人に嫉妬するのは仕方のないことだ。それ以来、僕は嫉妬する自分を許している。

 

🌀不老不死。

フランスの精神科医コタールは、「永遠妄想」という概念を残している。――自分は死ねない体で、永遠に生き続けなければならない、という妄想だ。
同じくフランスの映画監督ジャン=リュック・ゴダールは、『勝手にしやがれ』の中で「人生最大の野心は、不老不死の薬を手に入れて、早死にすること。」と言わせている。
フランス人って、こういう死や永遠についての逆説的な発想が好きなんだろうか。

手塚治虫の『火の鳥』には、少し変わった話があります。
火の鳥の生き血は不老不死の薬になる――それを求めて権力者たちが火の鳥を追い回すのが、この作品の定番の構図です。
けれど、ある巻では、少し違う展開になる。ある男が殺生をしたことに怒った火の鳥は、なんと自らのくちばしで自分の体を切り、その血を「罰」としてその男に飲ませるんです。すると男は、死ぬことができなくなる。どんなに時が経っても、知り合いがみんな死んでも、自分だけが生き続ける。地球上のあらゆる生き物が滅びても、彼だけは存在し続ける。そして、地球が新しく生まれ変わるころには、もう体はなくなっている。けれど、「存在」そのものは残っていて、新しい生命が芽吹き、新しい人類が現れるのを、ずっと見守り続ける。やがて彼は、その新しい人間たちから「神」として崇められるようになる――そんな話でした。
不老不死というのは、祝福じゃなくて、ある意味「罰」なのかもしれませんね。

 

🌀人相。

最近、僕が凝ってるのは人相学。凶悪犯罪をする人の人相の特徴をプロファイリングしてるのです。
小中学生で、お金を盗んだりする子が将来、犯罪者になるか、一過性のものか、病気になるのか、が今の関心事だから。
人相といえば、小学校の「聖書」の時間に聞いたお話をひとつ。
ある画家が、絵の依頼を受けた。
それは、マリア様に抱かれた赤ん坊のイエス様と12人の弟子を一緒に描いてくれ、という注文。
画家は、街を歩いてモデルを探す。
最初に見つけたのが、可愛らしく純真な顔をした赤ん坊。イエス様のイメージにピッタリ。
それから、1人づつモデルを見つけ描き上げていく。
しかし、どうしても最後の1人、「裏切り者のユダ」だけが描けない。
悪どい顔の人間というのもそうそう世の中にはいないもので、何年も歳月が過ぎた。
ある日、街で「これだ!」という悪い人相の男を見つけ、モデルを引き受けてもらった。
やっと、完成するぞ。
絵を描かれてる途中、モデルの男は画家に向かってこう言った。
「私は、人生で絵のモデルをやるのは2回目なのです。
1回目は、赤ん坊の時だったので覚えていませんが」。
イエスのモデルをした赤ん坊が、大人になってユダのモデルをやった、というお話。
悪いことをすると顔が変わるから、みんなも気をつけよう~、という脅しだった。
人を外見で判断してはイケナイが、ある程度の人間性は顔に出る。
下は、40何才の秋、描いてもらった似顔絵。
せっかく、いい人相に描いてもらったのだから、恥じないように生きなければと心に誓った。

 

 

🌀めっきり冷たくなりました。

衣替えに「漂流教室」のスカジャンをおろす。

右袖に「ギャーッ」。

左袖には「ウワーツ」。

胸には、高松 翔(主人公)と川田 咲子(ヒロイン)。

 

次号へ続く。


伊藤潤二展に行く~日刊ムンク㉗

~前回までのあらすじ~

 

中1の頃から川原のそばにいるドールの名前は「ムンク」。この写真の意味は後でお話ししますね。

テディベア作家さんにリペアをお願いしたら、川原の「守護」を祈るクマ「抱き熊スーティー」をくれ、名前はラスプーチンにする。

生まれ変わってムンクが帰って来た。

太陽の塔も見に行った。

ムンク・川原・ラスプーチンの成長譚「日刊ムンク」の第27弾。

 

🌀ダメなパラレルのために。

一時期、毎晩夢で医学部を卒業出来なくて留年する「ダメなパラレル」の夢を見てた。そのパラレルは誰も助けてくれる人がいないから、僕はもう医者以外の道を考えねばならない。女のヒモになろうとしたり、南国へ逃避行し類人猿と結婚したり。
僕の「今のパラレル」はうまく行き過ぎです。きっと神様や守護霊たちが僕を「精神科医」にするべく、ピンチやくじけそうになった時に、「誰かに力を委ねて」僕を助けてくれたおかげだと思っています。僕はその時その人に依存して難所を乗り切りました。
僕はラッキーな人間で何故そこまでして成功して医者になれたのかは、その力をアンラッキーな人たちに使えという神様からの指名で、僕にしか出来ない「常識に縛られない」援助も積極的にしなさい、ということだと思っています。

手塚治虫の「火の鳥」や楳図かずおの「わたしは真悟」で読んだことがあるが、神様や超越的な存在は直接人を助けられず、代わりに周囲の誰か(人や動物)に力を与えてサポート役にする。
僕の人生にも、そうした「見えない助力」があった。困った時、レポートを代わりに書いてくれた友人、論文を無償で譲ってくれた同級生、「タツジ、勉強しなさい」と厳しくも愛のある言葉をくれたフィリピンパブの女の子、喫茶店で静かに見守ってくれた店の奥さまたち、そうした有形無形の支えに包まれていた。
しかし、今の夢シリーズの世界では「もう一度やり直せ」と言われても、その助けがある保証はない。自分一人で乗り超えねばならない。あちらの僕は始める前からあきらめ、逃げる方法ばかり探してる。僕は何か大事なことを忘れてしまっている気がしています。

だけど、思い出した。国試のとき、僕はこうやって勉強してました。1冊だけテキストを選び、過去問を解きながら出てきた箇所を蛍光ペンで塗っていく。1回目は黄色、2回目は緑、3回目は青、4回目はオレンジ、5回目はピンク、6回目は赤。つまり「出る順」に上塗りしていくわけです。こうして仕上げたテキストを科目ごとに10冊そろえて、時間割を作って、毎日毎日まわしていった。このやり方だけは、自分で考えて、自分ひとりでやり抜けた方法です。その後の人生では、いろんなことがありました。でも、あれはあのとき。結局のところ、今は目の前のことを一つずつやるしかない。先のことを不安がっても、取り越し苦労しても、何も変わらない。

今では夢に出て来る「助けてがなくて逃げ出しそうなもう一人の自分」に向けて、この「ひとりで出来る勉強法」を教えてやろうと思っています。そう思い立ち、紀伊國屋の医学書コーナーで最新のテキストと過去問集を探し、30年以上の変化に驚きながら、店員さんに質問して「どれを買えばいいか」のメモを作成しました。

「あっちのパラレル」にどうやってこの想いを届けるか。潜在意識が繋がっているとしても、現実的にメッセージを渡す方法はない。う~む。
あっ、そうだ!「ムンク」がいる。彼女は中学以降のすべての時間軸に寄り添ってきた存在だ。だからこのメモを、世界堂で買った6色の蛍光マーカーと一緒に「ムンク」に託せば、きっとあちらの僕へ届けてくれるはずだ。

最期は「ムンク」に託した。
これが冒頭の写真の意味。

 

🌀心のゴミ箱

このブログは、僕にとって「心のゴミ箱」みたいな場所です。
とりあえず、思ったことやグチを気軽に書き込めるページにしています。
「王様の耳はロバの耳」ってお話、覚えてますか?
王様はロバの耳をしていて、それを必死に隠していました。でも、その秘密を知っていた床屋さんは、とうとう我慢できなくなって、井戸の中に向かって「王様の耳はロバの耳ー!」と叫んでしまう。するとその声が、井戸という井戸に響き渡って、みんなに知られてしまった……という話です。
つまり、秘密を打ち明ける場所は、ちゃんと選ばないと危ないということですね。でも、精神科やカウンセリングには守秘義務があります。だから、安心して話していいんです。
ここでも「非公開希望」と書いてくれればアップしませんし、僕の判断で不適切だと思った投稿も控えます。とにかく、溜め込むのが一番よくないです。
安全な場所で、あなたも自分の「王様の耳はロバの耳」と叫んでください。
グチでも、要望でも、エールでも、ラブレターでもオッケーです。

ちなみに、「王様の耳はロバの耳」のオチを覚えてますか?これはちょっと良い話です。王様の耳が「ロバの耳」だと知ってるのは床屋だけだから、床屋を殺してもいいのに、許してあげます。
このお話は別のお話の続編なのです。アポロンの怒りを買った王様は罰として、耳をロバの耳にされてしまってたのです。
王様が床屋を許してやったところに、アポロンが現れ「よく床屋を許してやった。お前の罪もといてやろう」 と耳を元に戻してくれたのです。「寛容さ」を説いた寓話です。

 

🌀イタリアンを食べに行こう、の会

六本木のシシリアに行く。

名物、グリーンサラダの前でモルツを飲む。

これを皆んなで取り分けますが、僕はキュウリが嫌いです。

だから僕のお皿はこう。

ガーリックとアンチョビのピザ。

唐辛子のピザ。

エビのピザ。

ウニのスパゲッティ。

バジリコのスパゲッティ。

当時の仲間のアイドル的な子とツーショット。

仲良し3人組。

大学時代の友人の集いでした。

 

🌀美容院

今回のヘアスタイルも、美容師さんのアイデア。

ダンダダンのシャコ星人の子供=チキチータ、です。下の画面の右下で牛乳を飲んでる子供。

前髪の赤のラインが特徴的ですね。

これがチキチータ。

サイドを茶色くして、顔の近くを黄色にして、あとはゴーグルが欲しいですね。

画面右下でアイラが抱きしめてるのが、チキチータ。

後ろにも赤いラインが入ります。

画面の下の方にチキチータの後姿が。やはり、赤いラインがありますね。

 

🌀伊藤潤二展

新宿伊勢丹の伊藤潤二展に行きました。

本館6階のアートギャラリー。

伊藤潤二のプロフィール。

一点50万円の複製画がたくさん売れています。

赤いシールが売約済み。

これも良いですね。

これは欲しかったです。

これが大人気。

ここからは、66000円です。

四つ辻の美少年。

富江。

富江。

富江。

これは万博のポスターを持っています。

これを買おうか迷いました。

これはマジで買おうか迷いました。

これも良いですね。

これも、66000円。

コラージュみたいです。

これも売り物です。

富江、のフィギュア。

小物入れ。

富江のセーター。

お財布やポーチなど。

コーヒーカップ。

この原画集は買いました。

これは買いませんでした。

プレゼントに良いですね。

スケボー。

女性だったら欲しいです。

これは別の部屋にありました。

顔の部分。

その枕元にありました。

この棺の説明。

このスニーカーは23センチのだけしか残ってなくて現品限りの売れ行き。

これが僕が買ってきた物です。

富江のフィギュアと、原画集。

箱を回転させてみます。

これもラストワンだったセーターです。冬に着ます。

 

次号では、松茸を食べる予定です。続く。


暑さ寒さも彼岸まで~日刊ムンク㉕

~前回までのあらすじ~

 

この子はいつも川原と一緒に寝ていたアンティークドールです。

川原が中1の頃からいつのまにか家にいたお人形は、家族の誰が家に持って来たのか誰にも分からず不気味がられました。可哀想に思った川原は部屋に置いてあげました。それから、約50年、どんな家族より長く川原のそばにいます。名前は「ムンク」、由来は川原の夢の中に出て来て、「わたしはムンク」と名乗ったから。カツラや髪の毛はとれて、アンティークな帽子や靴も無くなり、服も日に焼けて色褪せてしまっています。18世紀頃までヨーロッパでは、女の子にお人形と手芸箱を一緒に贈る風習が広まりました。ムンクはそんな伝統を受け継ぐ「コレクターズドール CD-3」という「素敵なお洋服を用意して欲しい」と強く思うお人形だったのでした。そうと知った川原はテディベアの第一人者のお人形作家さんとコンタクトを取り治療とお洋服作りをお願いしました。

こちらは、ムンクの着ていたドレスをまず煮ます。

そして、「青いクマドレス」に使える箇所を再利用したもの。

ムンクがいない間の代わりに作家さんが作った「抱き熊スーティー」という子をくれました。名前は反戦の願いを込めてラスプーチンにしました。「プーチンでラスト」みたいな意味です。

川原の「守護」を祈ってくれるクマです。

生まれ変わってムンクが帰って来た。

ムンクを入れて運ぶケースは、ドリームケースと言います。

ムンク・川原・ラスプーチンのトリオ名は「SS♡T」。万博にも行きました。

太陽の塔にも。

成長して行く「SS♡T」の成長譚「日刊ムンク」の第25弾。

 

・日曜日

伊藤潤二のマンガを読んで暮らす。大阪万博とコラボしたのをきっかけに単行本を揃えたから。

友人に熱狂的な、伊藤潤二推しがいて、その人にアドバイスも貰って買ったラインナップ。本棚に飾る。

 

・月曜日

アフタヌーンティーへ行く。

あらかじめ、ムンクを連れて行ってもOKか確認済み。

あらかじめ、昼からお酒を飲めるかも確認済み。

見つめるムンク。ドールは匂いで食事をします。

シャンパンを合わせました。

これがその日のアフタヌーンティー。

メニューはこちら。

 

・火曜日

今日は祭日。友人から、中野ブロードウェイで、楳図かずおの「洗礼」のハンカチがガチャガチャであったと聞いたから探しに行く。歩き回ったおかげで、ハビコロ玩具、というガチャガチャ屋で見つける。あと、ついでに、墓場の画廊、で伊藤潤二のフィギュアもまとめ買いする。

これがガチャガチャ。

伊藤潤二のフィギュア・ボックス。

全6種類。

今日はお彼岸。両親のお墓は茅ヶ崎にあるが、それは父が死んでから購入したので父は知らないお墓。そんなところに父がいるのか?僕は訳あって故郷を捨てた身。自分史から茅ヶ崎出身を削除したので(母と母の生まれは東京なので三代続いてれば江戸っ子なので)今は江戸っ子を名乗っています。そんな訳で墓参りに行かない代わりに夜は寿司屋に行く。

白子ポン酢。

カニ。

蒸すと赤くなります。

これをほぐしてもらって。

墓参りに行かない代わりに供物として、特製バラチラシを食べる。
ネタは、中トロ、赤身、平目、イクラ、ウニ、真鯛、子持ち昆布、車エビ、伊勢エビ、鯖、サンマ、とびこ、白イカ、赤貝、ホタテ、カツオ、アワビ、しまあじ、ホッキ貝、ボタンエビの20種。

ネタをのせる前のシャリにのってるのは、酢バス、玉子、ガリ、かんぴょう、きざみ海苔、かまぼこ。

出来上がり。

ムンク達と、20種海鮮丼。

さっきのカニのお味噌汁。

 

・水曜日

今週は火曜が祝日だから、ムンクの髪の毛のお手入れは今日。

ブラシをかけて。

ここからが難しいです。

帽子の装着です。

ズレてしまいますね。

こんな感じにしか出来ません。

仕上げは、受付の羽田さんにしてもらいました。女子は上手ですね。

その後、ガチャガチャを開けます。

楳図かずおの描く少女は可愛いですが、僕が一番好きなのは「洗礼」の少女がこっそりあかんべえするポーズです。

 

・木曜日

僕の部屋は地下室のクローゼットです。上の階のリビングに、Blu-rayレコーダーがあってそこでテレビ番組を録画してるのですが、僕以外は誰も使わないからこの度、Blu-rayレコーダーを僕の部屋に設置してくれました。これはとても便利でわざわざ上まで行かなくても録画番組を観れるようになりました。
Eテレの「すくすく子育て」をまとめて観る。一年前に言葉が出なくて悩んでたお母さんが、助言をもとに声かけをし続けて赤ちゃんも親も成長したという報告を受けて涙ぐむ司会の、りんたろー。、は良い人です。

我々の仕事もそうですが、紺屋の白袴というか、人の家の世話をしてて自分の家がおろそかになる援助者の葛藤は「あるある」です。そう言えば、金八先生の息子がグレる回があってその時に金八先生は何も出来なかったのをみたことがあります。
レムリア人は、親子という関係はあるけれど、子育ては皆んなでやるそうだから、そういう世界がくればいいと思う。

最近は臨床の現場でもchat GPTに相談してる人は多いですが番組でも肯定していました。僕が思うに、AIとカウンセリングを比較するのではなく、補完しあって使うのが賢いと思う。

 

・金曜日

長門有希のマウスパッドの隅がめくれてしまいました。

もう長く使っているから、買い直しました。それがこれ。↓。

「もう嫌なの、あなたの浮気癖」と呆れるムンク。

 

・土曜日

伊藤潤二のフィギュアの箱を開ける。富江。

ファッションモデル。

夕子。

双一。

四つ辻の美少年。

耳擦りする女の特製カード。まゆみは一番好きなキャラです。アニメではしょこたんが声優をしていました。

うずまき、のコインケース。これも特別なもの。

今日は最終土曜日だから勉強会です。

 

次号へ続く。


湘南ボーイ〜日刊ムンク⑱

僕のルーツは湘南ボーイ・茅ケ崎生まれです。小学校卒業が昭和49年で長嶋が引退した年。僕は受験をして東京の中学へ。兄が同じ学校に行ってたから母と3人で東京のマンションに二重生活(土日は茅ケ崎に戻る)。中1は五反田、中2~東中野に住んだ。父の死後、茅ヶ崎に戻りますが色んなことがありもう実家に帰ることもないし、墓参りにも行きません。僕は自分の歴史から茅ケ崎時代を削除しました。母・母の親と三代東京にいるから、東京に三代住めば「江戸っ子」と名乗って良いそうなので僕は江戸っ子を名乗ることにしました。今回はそんな惜別の念も込めて記事を書きます。

 

~前回までのあらすじ~

 

中1の頃から川原のそばにいるドールの名前は「ムンク」。

テディベアの第一人者の作家さんにリペアをお願いしたら、川原の「守護」を祈るクマ「抱き熊スーティー」をくれる。名前をラスプーチンにする。

生まれ変わってムンクが帰って来た。

ムンク・川原・ラスプーチンのトリオ名は「SS♡T」。成長して行く「SS♡T」の成長譚「日刊ムンク」の第18弾。

 

・日曜日

サザンオールスターズが中心に行なった1982年の夏のイベントのビデオを見ながら、「湘南」という酒を呑む。

このライブ番組のオープニングはサザンの「来いなジャマイカ」です。会場に来るカワイイ女の子たちがアップで抜かれます。

場所は西武球場。屋外です。雨の中、トップバッターの山下久美子は赤い水着で歌います。

続いて、ラジオっ娘、が「茅ケ崎サンライズ」を歌います。酒のつまみにケンタッキーを買って来ました。たま~に、食べたくなるのです。

ラジオっ娘はアーティストだと「Lady oh!」になるのですが、この番組では「ラジオっ娘」で表記されていますね。

その他、ハウンドドッグとかシャネルズ(後のラッツ&スター)も出ます。トリはサザンオールスターズで「いなせなロコモーション」で全員がステージに集まります。

雨の中、桑田佳祐は上半身裸になり、右が山下久美子で左がシャネルズのリーダーです。

ラジオっ娘も浴衣に着替えて手を振ります。

カワイイですね。

そしてみんなでジャンプしてエンディングです。

「湘南」ってお酒は裏をみると茅ケ崎で作られてるみたいです。

BGM. サザンオールスターズ「来いなジャマイカ」

 

・月曜日

自分用に買ったお誕生日プレゼントが届きました。

箱の中身は何でしょう?

箱を開けます。

箱の中から箱が出て来ました。

「ダンダダン」のモモのフィギュアです。

モモは、人や妖怪や物体のオーラを掴んで自由に動かせる超能力を持ってます。

綾瀬桃。いわゆるギャルです。

セルポ星人に誘拐されたことで超能力に目覚めました。この手がそれ。

横からのアングル。

後からのアングル。

モモの耳飾り。

 

・火曜日

後輩の女医さんがお誕生祝に何かくれるというから「じゃ、ハム!」と答えたらハムが今日、届きました。

僕の誕生日は7月24日なのですが、あえて「肉の日」の29日に贈ってくれるなんてニクい演出ですね。
暑き日に宅急便よりハムの愛。

箱開けて「わぁ」と声出す診察室。

肉の日にハムの笑顔が届きけり。

ありがとう。公にしたのは、ハムだけに。

と、後輩のNさんに感謝を川柳で並べてみました。

そして火曜日は週初め、ムンクの髪のお手入れです。

帽子を外すのも慣れてきました。

これはお誕生日頂いた「ReFa」の櫛です。これを早速使ってみましょう。

櫛が絡んだ髪の毛に入りやすいです。

さすが人気の商品ですね。

帽子をセットします。

今日はいつもより上手に出来ました。思わず笑顔がこぼれます。

まぁまぁの出来です。

仕上げは受付の羽田さんにやってもらいました。今日のお花と一緒に。

 

・水曜日

今日は津波で横須賀線が止まる。
うちの実家は眼科の開業医でたくさんの従業員がいて、僕は末っ子なので、大人たちから可愛がられていた。僕とよくキャッチボールをしていた男の人は野球とギターが上手な好青年だった。僕が淡い恋心を寄せていた女性とその人が付き合っていると知った時には、お似合いだと思った。だけど、彼女の国籍か家柄がネックで、結婚は出来ないという話を聞いた時にはショックだった。僕はもうハイティーンだったので、ある程度の事情も理解できるつもりだった。僕は彼女と茅ヶ崎の海岸を海水浴場から辻堂の方向に話しながら遊泳禁止区域まで歩いて来た。江ノ島が僕らに近づいて来る。僕は僕なりに良いアドバイスをしたつもりだったが、彼女は「タッちゃんは、まだ子供だから判らないのよ」と馬鹿にした。すると、急に雨が降り出して、まるで彼女の涙雨みたいで、僕らは濡れネズミみたいになったから、大慌て。海辺から近くのパシフィックホテルに駆け込んだ。家に帰ったら、父がパシフィックのことを、「昔は一流ホテルだったが、今は連れ込みホテルになった」と嘆いていて、少し焦った。

後にサザンが「夏をあきらめて」で同じような光景を歌っていたから、僕は桑田にこのこと喋ったっけ?と頭をひねったものだ。

 

・木曜日

茅ヶ崎の海には、潮から町を守るように松林が立っていた。そこのある区域に、ホモの浮浪者がいて、僕が通りかかると、「坊ちゃん、こっちへおいで」と自分の物を露出させて不気味に笑った。僕はムシャクシャしていたから、騙された振りをして、松林の中に入って、油断した男の顔面に膝蹴りして逃げた。そうしたら、その晩、複数のホモの浮浪者に追いかけられて蹂躙される夢にうなされた。どっからどこまでが夢なのか、判らない。

 

・金曜日

この金土はクリニックの前の商店街で夏祭り。
診察室に、盆踊りの太鼓の音が、ドンドンドンガラカツタ♪と、鳴り響きます。

恒例のカワクリも提灯を出しました。

夜の提灯だっピよ。

 

・土曜日

僕は茅ヶ崎時代の過去を捨て、今は江戸っ子を名乗っていますが、7月は誕生月だったこともありちょっとノスタルジックになったりします。古いアルバムを漁って茅ヶ崎の実家の写真をみつけたので載せてみます。題して「ジ・アーリー川原達二〜湘南ボーイ編」です。

そう言えば、青い象の置物がありました。

家にはプールがありました。

だけど僕は泳げません。

白いブランコもあったようですね。

これは七五三でしょうか。

看護婦さんと。

お気に入りの看護婦さんと怪獣たちと。

怪獣たちと。

ウルトラセブンが町にやって来た。「ノンマルトの使者」という回がありました。地球人が海底に進出して行くと怪獣が現れます。地球防衛軍が出動して怪獣をやっつける用意をします。そこに少年がやって来て、彼こそが「ノンマルトの使者」なのです。少年は「元々、人間が来るずっと前からノンマルトは海底で静かに暮らしていた。そこに侵略して来たのが人間だ」と抗議します。ウルトラセブンは地球防衛軍に所属してますから、地球の平和のために戦う使命があります。しかしその時ウルトラセブンの心に何かがよぎります。
「これは地球の海底に住む先住民・ノンマルトと人間の領土問題じゃん。俺、巻き込まれてねぇ?」と苦悩しながら怪獣を倒します。この回の背景には「ベトナム戦争」がありました。当時は大人たちが真剣に子供たちに時事問題をぶつけていたのです。僕は子供ながらにウルトラセブンの葛藤を理解しました。
数日後、茅ケ崎の電気屋にキャンペーンでウルトラセブンが来るという。残念ながら「セブンの葛藤」を知っているのは僕だけでした。大人たちはいい気なもんで記念写真を撮ってくれます。僕は、セブンに何と声をかけていいのかわからず、ソッポを向くことしか出来ませんでした。

怪獣に媚びられる。

野球道具もたくさんありました。

雪の日もグラブをはめて登校します。

中1は茅ケ崎から東京の学校まで通っていました。

父と。

母と。

これは夏服です。

うちの親は長電話は注意せず、こうやって写真を撮影しました。なんか恥ずかしくて、早く切ろうと思うから、親の上手い作戦だったなと思います。

浪人時代は実家に帰されました。多分、吉田拓郎のマネをしてカーリーヘアにしたり、

自分で髪を切ったりしてました。右の白い小屋は父の書庫。

8月になりました。台風も避けていきましたね。もうこれで僕は僕の中の「湘南ボーイ」に会うことはしないでしょう。
だから明日に向かって走れ!次号へ続く。


真説「わたしはムンク」

自室の神棚です。

Q.りんご酢は神棚に置くものなんですか?

A.お酢には除霊効果があるそうです。例えば、お風呂にお酢を入れて入浴すると、邪霊を駆逐するそうです。

Q.「ゴリラとの結婚」も神棚なんですか?

A.はい。神様は異類婚姻が好きかと思いまして。

と架空の質疑応答をしてみました。

そんな朝にはレトルトのグリーンカレーに、おかめ納豆をトッピングして食べてみましたが、納豆の辛子が強すぎて、エスニックが和風に負けて何とも微妙でした。でも、お陰で目が覚めました。

さて、それでは「カワクリ、宗教&スピリチュアルコーナー」の紹介です。

まずは仏教から。

寝釈迦コーナー。

キリスト教。マリア像、手前のしょこたんは寝釈迦ポーズ。

イエス様。

音叉(空間の浄化に使う)と木魚(いらなくなったボールペンなどを捨てる時に使う)。

頂き物の沖縄の魔除けたち。

さて、場面が自室に戻ります。この子はいつもキングサイズのベッドで僕と一緒に寝てるアンティークドールです。

僕が中1の頃からいつのまにか家にいたお人形なのですが、家族の誰が家に持って来たのか、貰ったのかもわからず、不気味がられてました。そんな彼女が可哀想なので僕の部屋に置いておきました。それから、高校や浪人生や大学や父が死んだり、大学を落第しそうになったり、失恋したり、国家試験に受かったり、医者になったり、引っ越したり、一人暮らししたり、やけ酒飲んだり、友達が遊びに来たり、挫折したり、天狗になったり、ピアノを買ったり、ギターを売ったり、絵を描いたり、レポート書いたり、風邪で寝込んだり、医者になって頑張ったり、結婚したり、子供が出来たり、中野の関連病院に行ったり、開業したり、今に至るまで、約50年くらい、どんな家族より長く僕のそばにいて色んな人間模様を一緒に見ていてくれてます。

カツラはとれて、髪はボンドで留めたら良いのかしら?とか、アンティークな帽子や靴も無くなっちゃったし、服も一回も洗濯してないです。日に焼けて色褪せてしまっています。

球体関節人形なのでしょうが、関節もイカれて脱臼しています。髪や関節も対症療法でいいから治してあげたいのですが、まずは綺麗なお洋服を着せてあげたいです。女の子だし。

今は、霊能者から「もはや呪物だから、手離した方が良い。呪物コレクターを紹介します」と言われてしまいましたが、それではお人形が可哀想ですし、何よりどんな家族より長く僕といる子なのでそばに置きます。Facebookで見つけたお人形作家さんにダイレクトメールしてみたら、色良い返事が来たので交渉中です。

この子の名前は、長いことなくて、「お人形」と呼んでいました。最近名前をつけて、名前は「ムンク」。僕の夢の中にお人形が出て来て、「わたしはムンク」と名乗ったから。それで、ムンク。

もうすぐムンクのお洋服を注文する。


僕の夢(寝ている時の)

29/Ⅷ.(木)2024 台風のろのろ 大谷&愛犬デコピンが始球式

「橋」をテーマにして、笹公人が妄想で書いた短歌「念力図鑑」にこんなものが載ってます。

・処女にしか渡れぬ橋がありましてC組の女子だれも渡れず

・童貞しか渡れぬ橋もありましてC組の男子つぎつぎ渡る

面白いですね。下のは「橋」の夢。

見覚えのある川。地元の人はそこにかかった橋を上手に渡るのだが危なっかしい。「急がば回れ」で迂回する道もある。僕は器用にピョンピョンと橋を渡る。渡り切ったあたりで後ろを振り向くと幼い少女が橋を渡ろうとしてる。見るからに危なっかしい。僕は橋を反対方向から戻って少女に「危ないからあっちから行きな」と指をさし、ついでだから一緒に迂回路を歩く。少女は紅いおべべを着てて、髪の毛は文金高島田。(随分、古臭いファッションの子だな)と心で思う。少女は何かの話題を僕に話しかける。どうやら僕のことを知っているらしい。僕が(何故、知ってるんだ?)と不思議に思ってると、「兄から聞いてませんか?」と言われて、ちょっと考えて僕は慌てて飛び起きた。

ここまでが夢。何故慌てて起きたかというと、実は、その二日前、僕の大学の後輩の友人だと名乗る男に川のそばで話しかけられる夢をみていたから。川が見覚えあるのはその川だったからで。僕は「君のこと知らないよ」と言うと、男は「そうでしょう。川原さんは精神科のお医者さんですよね。頼みがあります。妹をみて欲しいのです」。僕は、「いいよクリニックに予約の電話をして」、と夢の名で答えたからです。その妹というのが少女だ、とわかったからひやりとしたのです。

つまり夢がパラレルワールドになってシリーズ化してる。「現実」が1枚の葉っぱだとしたら、「夢」は無意識の産物でもう1枚の別の葉っぱ。同じ「僕」という樹の幹で繋がってる。そう「知性化」して処理していた。月曜までは。

月曜日。それは「現実」の話。夕方5時ごろ小学生の下校時間。最近は防犯意識か集団で下校したり、自転車で迎えにきてるお母さんもいる。月曜は休診日だから僕は近所を散歩。向こうから一人の少女が紅いランドセルを背負って歩いてくる。あれ?なんでこの子は一人なんだろう。そう思ってすれ違いざまに顔をみて驚いた。夢でみた紅いおべべの子と同じ顔をしてる。僕が驚いている姿は傍からみたら不審者に思われるかもしれない。それなのにその少女は僕の顔をじっとみて「こんにちは」と挨拶してすれ違って行った。見ず知らずの人に挨拶するか??僕は「夢の少女」が「現実」に侵入して来たような妄想に恐怖した。一体なんだったんだろう?来週の月曜日も同じ時間に同じルートを歩いてみるか?いや、やめておくべきか。最近、「お護り」をなくしたり、ロザリオがちぎれたりしてるから、君子危うきに近寄らず、か。

スピリュチュアル的には夢は、守護霊が違うパラレルを見せることで何かを気付かせようとしてる考えるのだそうです。

 

という訳で今日は夢の話。

以下は昔、掲載した「夢の展覧会」。僕の夢日記のイラストを、当時の受付の大平さんが色塗りして「つぶやきコメント」を寄せてくれています。下が、現存する最古の夢日記ノート。1981年ということは…43年前のもの。43年前と言えば、大平さんはまだ生誕してないですね。この夢日記を書いてた僕は、10代後半~20才そこそこですから、大平さんにとっては、年下の男の子の絵です。そんなタイム・パラドックスも味わいの一つとして、どうぞご賞味下さい。↓。

・カラス貝のマニキュア女vsトラディショナル・ブルー~瞳~少年風(1981.9月:川原少年19才の作品)


カラス貝は黒?色っぽいは何色?紫かな・・・

・伊藤つかさは、トマソンがお好き(1982.1月:川原少年19才の作品)


左下の謎のポーズをしてる3人組みがお気に入りです。

・貪婪(どんらん)…非常に欲が深いこと(1982.1月:川原少年19才の作品)


魔法の書を読み始めた感じで色を塗ったんですが、タイトルは貪婪だったのですね・・・

・手のひらを太陽に(1982.1月:川原少年19才の作品)


こういうポスター学校とかに貼ってありましたよね。

・もう君に逢うこともない、心は揺れても(1982.2月:川原少年19才の作品)


北京のバッグが気になると川原先生に話したら、本当に先生が持っていたバッグらしいです。

・小田急線のひとコマ(1982.2月:川原少年19才の作品)


この絵、座ってるとこ上手くかけてますよね。

・本厚ちゃん(1982.3月:川原少年19才の作品)


かわいくしたかったのに無理でした・・・。

・キヨシローのまね(1982.3月:川原少年19才の作品)


カラフルにすればそれっぽく見えないですか?

・川守田(1982.4月:川原少年19才の作品)


川守田さんは先生のお友達です。

・一人になりたい…ううん、一人がいやだから。(1982.7月:川原少年19才の作品)


後ろにいるのはサメなのでしょうか?・・・えぼし岩だそうです。

・伊代はまだ(1982.8月:川原青年20才の作品)


腕が長いですね。先生が20歳の頃、松本伊代が流行っていたんですかね。

・天才の誤算(1982.9月:川原青年20才の作品)


靴が素敵なんですよ。

・テスト前日(1982.12月:川原青年20才の作品)


こういうよく分からない絵を塗るのって楽しいです。

・物理ダメ(1983.2月:川原青年20才の作品)


これ,左側にスイーツ隠れてたんです。

・ダルなboyは、Love is Real.(1983.3月:川原青年20才の作品)


『Maiこ』ちゃんは先生の好きだった子ですかね?私には『Maiこ』に見えたんですが、
『Maiこ』じゃなくて『Mari』だったんですね・・・

・マリン・スポーツ(1983.5月:川原青年20才の作品)


ドラえもん、オバQ、いしのまこ、カバ・・・なぜかカバ。

・カルピス(1983.5月:川原青年20才の作品)


カルピスのボトルに書いてある帽子をかぶったやつが可愛い!!

・誕生日。小指と小指をつないで歩く、理科室でキス(1983.7月:川原青年20才の作品)


理科室のガイコツ懐かしいですね~

・夢見る年頃~36/38≒95(1983.8月:川原青年21才の作品)


夢の展覧会の絵の中で私が気に入っている第3位。

・野球大会(1983.8月:川原青年21才の作品)


先生の書くドラえもんは丸くない!

・クリスマス・イブ(1983.8月:川原青年21才の作品)


夢の絵の中で1番かっこいい絵だと思います。

・恋人峠の昼下がりPart.2(1983.9月:川原青年21才の作品)


夢の展覧会の絵の中で私が気に入っている第1位。

・すっかりトロピカル(1985.7月:川原青年22才の作品)


陽気な感じと南国な感じが夏にピッタリの絵です。

・明日のイブはRC(1985.12月:川原青年23才の作品)


8時42分に何が起こったんでしょう。

・オキドキの古着で遊園(1986.5月:川原青年23才の作品)


「オキドキ」って川原先生はお店の名前と言っていましたが、私はマリオが思い浮かびます。

・直ちゃん(1987.6月:川原青年24才の作品)


これは塗りやすい絵だったんですが、サインペンで色を塗るのは難しくて、
色鉛筆にすぐに戻しました。

・Hanesの白のTシャツに血を滴らせてしまった(1987.6月:川原青年24才の作品)


私も白い服にシミができた時こんな顔します。

・元・日本軍の男と、ユキヒョウ(1987.7月:川原青年24才の作品)


「ユキヒョウはどこにいるんですか?」と塗っている時に不思議でしょうがなかった絵。

・大船観音がくずれた(1987.7月:川原青年24才の作品)


観音様のお顔だと気づかず、先生に言われて気づき塗り足しました。

・みつけてくれたらキスしてあげる(1987.7月:川原青年24才の作品)


真ん中の子にと左の子にかわいさをプラスしました。気づきましたか?

・甘くて冷たいアイスクリーム・ベイビー(1987.7月:川原青年24才の作品)


この絵のタイトルを知らない人から「31アイスみたいだね」と言われ
塗り絵レベルが上がったと実感し嬉しくなりました。

・気がつけば兵隊(1987.7月:川原青年24才の作品)


みんなの表情がいい。

・眠れ。ライオネル・リッチーの墓の上(1987.7月:川原青年24才の作品)


どんな色で塗っていいかもわからなくなってしまった絵。

・スタン・バイ・ミー(1987.8月:川原青年25才の作品)


暑い日は海辺でのんびり、いいですよね。

・ニース予想図(1987.8月:川原青年25才の作品)


ニースってフランスのニースですかね?噴水あるんですか?

・アイスもハシャいでる、僕は日焼け(1987.8月:川原青年25才の作品)


また、アイス!後ろの2人は羨ましがってるのかな。

・ダチョウ(クジャク)ともも焼き(1987.8月:川原青年25才の作品)


ダチョウ(くじゃく)って全然違う鳥だけど・・・

・僕は照れる(1987.8月:川原青年25才の作品)


川原先生はいったい何に照れたのか?

・新宿地下の靴専門店(1987.8月:川原青年25才の作品)


この失明者用の靴は指の先が触覚の様に動くと先生が説明してくれました。

・過ぎ行く夏を惜しんで~絵を描く2人の少女(1987.9月:川原青年25才の作品)


最初に先生が少しだけ色を塗っている絵は色を塗るのがラクです。

・念力(1987.9月:川原青年25才の作品)


念力は見えないから何色にしようか迷いました。

・さっきまでの競争のつづきだ(1987.9月:川原青年25才の作品)


人を緑色で塗ったらハルクみたいにみえますね。

・渡り廊下の窓から連中が手を振る(1987.9月:川原青年25才の作品)

渡り廊下だと気付かず、カラフルにしてしまいました。
ちなみにこの絵左側にいるのは川原先生で
研修?授業?かなにかをさぼって帰るところのだそうです。
手に持っているのは白衣だと言っていたのですが、
私には抱き枕かぬいぐるみに見えました。

・脳外科はじまる(1987.9月:川原青年25才の作品)


これは一体何でしょう???

・お前はストーブの前でのびていた。あくびしかしなかった(1987.9月:川原青年25才の作品)


これ、色を塗っていたらよく分からないパーツがあって、そこだけ着色しませんでした。

・聴神経腫?すぐに手術(1987.10月:川原青年25才の作品)


わかめ・・・

・宙に浮く機械(1987.10月:川原青年25才の作品)


宙に浮く機械!夢っぽいですね。

・すいみんやくが欲しい(1987.10月:川原青年25才の作品)


夢の展覧会の絵の中で私が気に入っている第2位。

・明るく生きるコト(1987.10月:川原青年25才の作品)


川原先生はカラフルなボーダーが好きらしいです。

・サンボのジャケット(1988.7月:川原青年25才の作品)


サンボってなんですか?っと聞いたら格闘技の雑誌を川原先生が見せてくれました。

・オバQが正ちゃんのクラスの記念写真に写ってしまった。皮膚科テスト、60点。(1988.7月:川原青年25才の作品)


記念写真にオバQ写ってたらおもしろいですよね。

・ウサギに乗って空を飛ぶ(1988.12月:川原青年26才の作品)


いい夢ですね~。ウサギに乗ったらもふもふなのか。

・うその固まり(1989.1月:川原青年26才の作品)


「きみだけに話すんだけど・・・」て誰かに話すと皆に知られていた小学生の時を思い出しました。

・すべては幻想である(1989.1月:川原青年26才の作品)


ヒョーロン家が怪しい。

・柔道(着)一直線!激しい視線の火花が散る(1989.4月:川原青年26才の作品)


三角関係ですかね!!!

・世代交代の口約束(1995.3月:川原中年32才の作品)


先生の描く力士はなんだか可愛い。

・2002.8月6日からの夢日記の表紙:先生不惑の40才の作品


この夢の絵に色づけするとき『これは何だろ?、川原先生の夢だからこんな色でもいいかな』と、
タイトルを教えてもらうまで何の絵かも分からなかったり、
普段の私だったら使わないような色で塗ってみたりという絵がたくさんありました。
自分じゃない誰かの絵を塗るのって面白いですよね。
それが川原先生の描いたなんか可愛くて奇妙な夢の絵だからもっと面白い。
何ヶ月かのあいだ、受付業務の合い間のちょっとした楽しみの1つでした。
川原先生が最初にかいていましたが、この夢の絵の中には
私より若い頃の先生が描いた絵もあるんですよ・・・。
なんだか不思議な気分になりますね。
BGM.OH MY GIRL「Coloring Book」

BGM. シーナ&ザ・ロケッツ「ユーメイドリーム」


川原はどのように夏休みを過ごしたか?

夏休みに入る前のこと。 「どこか行きますか?」と聞かれたので「ニューヨークとフランス…」と言い掛けたら「まぁ、ゴージャス!」 とビックリされました。
ニューヨークというお笑い芸人の単独ライブと、水道橋博士と松村邦洋のトークライブを聴きに浅草フランス座(東洋館)に行く予定なのに、勝手に勘違いされたのです。 そんなカワクリの夏休みは、8/11(日)~8/19(月)です。 その間に私がどのように用事をスケジュールしたかを今回はお話してみようという日記です。

①8/11(日)

・高円寺昼「水道橋博士とビートきよしのトークライブ」、2000円。

浅草キッドの玉袋筋太郎じゃない方、と、ツービートのビートたけしじゃない方、の二人のトークライブ。

博士のサイン本を買う。

名前入り。

おまけのシール。

1980年のマンザイブーム爆発までの浅草フランス座&ロック座時代の当時の話を聞くという会。ビートきよしは、芸人としてはたけしの2年先輩だが実年齢は2個下で、やたら記憶力がいいので、ビートたけしの諸説の真偽を、たけしマニアの博士が鋭く切り込んで行くという企画。2時間では足らず、次回をやる約束で握手。左がきよし師匠、右が博士。

その足で新宿へ。

10日発売の「いちご新聞」を買いにサンリオショップへ。

これが収穫。

「いちご新聞」220円の今月号のおまけにボールペンがつく。全5種なので5冊買う、1100円。

全部揃えました。

ランチは中村屋。

限定のカレーにしてみましょう。アラジンのランプみたいですね。

ベンゴールカリー2200円です。肉がいっぱい入ってるって感じです。

②8月12日(月)

・ネットフリックスで「地面師たち」をみる。1日1話観ようと思ってたが、ケンタッキーを買って来てAM~PMにかけて一気見。バイソンとアントニーがいい。これが実在した事件だというのが怖い。

③8/13(火)

・今日は映画の梯子。13時から新宿バルト9で藤本タツキの「ルックバック」。58分、1700円。

実写版「推しの子」のポスター。

ルックバックは青春映画。学年新聞に漫画を描いてる主人公がちょっと褒められて嬉しくなって雨が降って来たのにミュージカルスターのように踊る描写は、(クオリティーはともかく)物を作ったことがある人には刺さるはず。あぜ道をスキップするシーンはコミックス(原作)にもあるが、アニメの方が動きがある分100倍良い!「雨に唄えば」のジーンケリーのよう。

入場者特典でもらったポストカード。絵柄が原画風。二枚くれた。

15時~ポレポレ東中野で「方舟にのって~イエスの方舟45年目の真実~」をみる。

この映画館は僕が東中野に住んでる頃にはまだなかった。

昔、世間を騒がせてる頃、ビートたけしがテレビドラマ化した、カルトとバッシングを受けた社会問題「イエスの方舟」の45年後を描く。オウムや統一教会がまだ騒がれる前の時代で、新・新興宗教に日本人が免疫がない時代。

おっちゃん(千石イエス)は死んだけど女性たちは共同生活を続け、「シオンの娘」というクラブ(水商売)で生計をたてていた。彼女らは酒を呑まず、客の横にも座らず、おさわりNG笑。映画では現在の女性たちの姿に同じ人物の20代の頃の映像がザザっと差し込まれて、当時の彼女らがとてもファッショナブルな美女なことに、知ってたけど、こうあらためて突き付けられると今更驚く。

新宿に出てモンスナックのカレーを食べる。

昔は、コーンサラダが「常連さん」だけおまけ。次回に使える「トッピングのコロッケ」が無料だったからそれを再現してみた。今はコーンもコロッケも有料。

④8/14(水)

・おそ松さん第4期制作決定!で、3期以降の劇場版をみてないことを思い出し、サブスクで3本みる。それというのも途中、「2.5次元」とか「実写化」があったので、「映画は無視しよう」とサボってたことへの補習。「えいがのおそ松さん」「ヒピポ族と輝く果実」「魂のたこ焼きパーティーと伝説のお泊り会」と映画3つ観ました。ひとつ目は映画館で観てました。ヒピポは、心が洗われます。たこ焼きパーティーは、トト子ちゃんが可愛いのと、最後のクレジットでスタッフの名前に(長男)(次男)(長女)(秘密)などと書いてあるのが面白かったです。あのスタッフロールでSNSのハンドルネームに長女次女など付けるのが一時期流行ったそうです。

寝る前、YouTubeでブレイキングダウン13オーディション1-5を一気見する。次回は日米対抗戦が目玉。きっと岩国の海兵隊だろう。昔、アウトサイダーでアウトサイダー軍と沖縄海兵隊が5対5の試合をやったのを見に行ったことがあるが、あの時は沖縄軍は名前も偽名(たとえば、ライオン、とか)でなるべく隠してた。

⑤8/15(木)

・テレビ録画で「推しの子」とNHK納涼落語特選「居残り佐平次」立川談志(1979)をみる。その後、部屋の片付けをしてマンガを整理して本棚へ。「藤子F不二雄」SF短編コンプリートを読む。

・有楽町よみうりホール「ニューヨーク単独ライブ」初日、6000円

 

ナイツが夏休みの「ザ・ラジオ・ショー」を平成ノブシコブシの徳井と相席スタートの山添が、安藤なつの相方をした回のゲストにニューヨークが来て、「単独ライブの席がトータル1200枚残ってる」と。そもそも5都市のツアーで東京は「3000」のところ「6000」の応募が来たから凱旋で2公演追加したらお昼で平日で告知不足もあり、チケットが余って「自分達は人気がない」と嘆いていた。「愛のハイエナ」(さらば青春の光、とMCして、山本裕典ホストになる企画をやった番組。超面白い!)のよしみがあるからチケットを買った。

明日もチケットとったが台風が近づいてきている。不要不急の外出はさけろ、とニュースが叫ぶ。ニューヨークせっかくチケット完売したのに、次なる試練?

⑥8/16(金)

・先日新宿紀伊国屋で買った本を読む。

「デデデデ」の1-2巻。映画化記念、あのちゃんといくらちゃんの帯つきコミックス。

「からかい上手の高木さん」卒業アルバム。

これはイラスト集。背表紙。

表表紙。

寄せ書き?西片?みんなの声?

二色刷り「つげ義春」作品。「もっきり屋の少女」の紙芝居用カラーイラストも収録。

永井豪作品は意外と手に入りづらいです。

ハニーが生まれる場面のカラー版。

台風で外出するなというから夜のニューヨークのライブはキャンセル。台風だから払い戻し。吉本が払い戻しに応じるのは異例。

⑦8/17(土)

・中野ブロードウェイへ。

「墓場の画廊」で「伊藤潤二展」をやってると聞いたので観に行くも13日でおしまい。グッズだけ買う。

ステッカー550円を三枚。このステッカーはメルカリで高値で売れてて人気だそう。

その後、普段はチェックが甘めの4階を中心に回る。まんだらけ「マニア館」で古本。

まんだらけ「変や」でおもちゃ。

まんだらけ「海馬」で写真集やオカルトなど。

お昼は「青葉」でつけ麺。

 

特製つけ麺1350円。

夜、アベマテレビで残酷物語「うつくし姫」(物語シリーズ)をリアタイで友人とLineしながら観る。

⑧8/18(日)

・浅草東洋館「水道橋博士62才の生誕祭、改め大感謝祭」、が浅草キッドの修行の地、旧フランス座(現・東洋館)で開催。ゲストは松村邦洋。2000円。

お昼は「尾張屋」で天丼。

とりあえずビール。

板わさ。

天丼(車エビ)3500円。

蓋を開けます。エビがはみ出してますね。

博士生誕は、19時半開場20時開演なので時間があるから、せっかくだから「ロック座」でストリップをみる。吉野家の先にあるのが、ロック座。

ストリップと言っても皆さんが想像するようなものではありませんでした。劇場は改装されて綺麗だし会場のスタッフ&店員も半分くらいは若い普通の女性。8月は真夏の祭典!ワールドダンスレビュー!という演目。「アースビート」というタイトルで、インド・中国・ロック・フラメンコ・サロメの話・和太鼓など世界の音楽に乗せて踊り子さんがビートに合わせて「ポーズ」を決めると会場から拍手が起こるという大衆演劇のような「アート」でした。

フィナーレは全員が舞台に揃いリオのカーニバルのいでたちで「マツケンサンバ」を踊り狂い終わります。何が何だかよくわかりませんがこれが面白いのです。悲しい気分なんかぶっ飛んでしまいます。あまり目の見えない野末陳平先生(92才)が高田文夫(76才)に頼んで今でも連れてってもらうという気持ちがよく分かりました。入場料は7000円(シルバー割は65才からだから利用できず)だが入れ替え制がないので1回入れば最大4公演みれて再入場も可。本公演のステージ写真(1枚1000円)をトリの逢見リカとファイナルを買いました。2ステージ半みました。半というのは、20時から博士の生誕祭があるので3ステージ目は途中退場したという訳です。

そして博士生誕へ。

玉ちゃんからお花が届いてました。これが「伏線」。

1部は映画の話。

2部は付き人の話。

3部は松村邦洋のトーク。ほぼ松ちゃんのモノマネを聞く。そして10/10に浅草キッドがフランス座で復活するというニュースに!「伏線回収」。これはチケット争奪戦必至だ。

⑨8/19(月)

・今日は断捨離と部屋の模様替え。本棚も綺麗に途中経過。

 

さて夏休みも終わりいよいよ再開(再会)ですね。皆さんはどんな1週間でしたか?僕はこんなでした。


僕が精神科医になった訳 2024

13/Ⅶ.(土)2024 久しぶりにはれ 今日22時よりABEMAにて「撫物語」第2話なでこドロー其の壹、無料独占配信開始!

フェリーに乗って帰宅途中。どこかの島で散々遊びつくしたのだろう。すっかり疲れて愚図った顔をしている、それなのに帰路の船の中「まだ帰りたくない」って泣いてわめいるのは子供の頃のボク。それを横でみてるのが大人になった今の僕。まわりには母や兄や親戚のおじさん&おばさん(共に教師)、いとこや従業員のお姉さんたちが10人以上。みんな小さなボクをなだめてて、大きな僕の存在には気付かない。見えないみたいだ。

僕は今でも飲み会で「はい、お開き」となっても「まだ帰りたくない。もう一軒行くぞ」と先輩や後輩たちを困らせる。みんな「明日は朝から用事がある」と。だから僕はすねて「もうあんな奴らと飲まない」と飲み会に参加しなくなった。フェリーのボクと何も変わらない。

季節は夏か。島で大きな浮き輪を持って大笑いしてはしゃいで走り回ってよく動いている。海の上で転覆して泳げないから誰かに救出され、泣いたカラスがすぐ笑って、走り出したかと思ったら転んでケガをして膝小僧から出血して、その血をみて兄が卒倒する。落ち着きのない子供だから怪我ばかりする。10人くらい大人がいるから何とかみれてる。これだけ動けばよく眠れるだろう。食べ物は好き嫌いがあって、玩具を買ってもらって夢中になるが結局うまく操作出来なくって放り投げる。教師であるおじがそれを拾って使い方を教えるが興味を失くしてるから見向きもしない。

ピアノとか絵画教室とか書道とか学習塾とか習い事もいくつかするが勘だけ良いから最初こそさっさと出来るが壁にぶち当たると投げてしまう。ちょっときつく言われるとヘソを曲げてもう何もしない。母は根気強く怒らないでボクが嫌だと言ったら無理強いせず次の物をあてがった。こんな育て方をしてたら将来こらえ性のないロクな大人にならないぞ。言う時はビシッと言って、怒る時は怒らないと本人のためにならないんじゃないか?

フェリーは島から離れどんどん港に近付いて行く。旅の終わり遊びの終わりだ。わめき疲れてボクはお姉さんの腕の中で寝息を立てている。この時分の性質や性格が奇跡的に矯正されないまま、今の僕になったかと思うとちょっとゾッとする。とはいえ人間は社会的な動物だから、福祉うんぬんではなく、何か弱ってる個体がいると周囲の個体が守ってあげようとするのか。ボクはそんな風に誰かに助けられながら甘やかされながら今日まで生きて来た。人間は支え合いだというが、それはギブアンドテイクしてる人が言うもので、ボクのような人間があまり偉そうに言うことでもないな、とフェリーの中で僕は思った。

 

以上、夢日記でした。さて、今回も「心のゴミ箱」兼用です。昔の知り合いでたまたま、ここを見つけた人も「元気ですか?」と声をかけて下さい。「非公開」希望の人はそう書いて下さい。今月はお誕生日月なので過去の記事を手直しして自己紹介の代わりです。

 

僕の家は眼科で二人兄弟だから、将来の親の希望は、父と兄と3人で眼科を大きくすること。そういうのを「是」とする時代だった。僕は物心付いた時から、医者になることになっていた。勿論、その後の人生で、思春期や反抗期はあったけど、僕は医者になった。それは眼科医になる、のではなく、精神科医になろうという強い意志があった。医者になるには医学部に入り全教科を勉強して全教科の国家試験をパスしないといけない。だから、逆に言えば、医師免許があれば、何科にでもなれる。僕に対しての約束は、医者になることだったから医者にさえなれば何をやっても良いとも言えた。
僕の生まれは茅ヶ崎の海側で、そこは別荘地の多い温暖な風土だった。幼稚園の頃、近所をブツブツと独り言を言いながら、乳母車を引いている貧しそうな老婆が徘徊していた。老婆は乳母車に古い赤ん坊の人形を乗せていて、その人形を本当の赤ん坊だと思っているという噂だった。すずめ、を捕まえて食べてるという噂もあった。僕は母親やお手伝いさん達に、「タッちゃん、あの人に話しかけてはダメですよ」と教えられていた。ある日、狭い路地で老婆と鉢合わせた。
僕は思わず、「すずめ、って食べれるの?」と聞いた。すると、老婆は「坊や、そんな可哀想なことをしてはいけないよ」とビックリするほど、優しい声で言った。僕は一瞬で、この人は良い人だ、とピンと来た。すると、そんな気持ちが以心伝心、彼女にも伝わったらしく、僕らは仲良くなった。老婆は乳母車から赤ん坊を抱え上げて、「ほら、こうするとお日様が透けて見えて綺麗なんだよ」と僕に教えてくれた。セルロイドの人形に夕陽が差し込んで、それはキラキラと反射して輝いて虹のように見えた。しかし、僕はこの事は、親には秘密にしておいた。
同じ頃、似たような事件があった。
僕の実家は広大な家だった。だから、時々、「乞食」(←これは不適切な表現なのでしょうが、差別を助長する意図ではないので使用します)が来た。母親やお手伝いさんは、「タッちゃん、乞食が来たら、食べ物をあげちゃダメですよ。クセになってまた来るから」と言った。僕は言う通りにしていた。ところが、ある日、僕しか家にいない時に、勝手口から、女の乞食が、「何か恵んで下さい」と入って来た。僕は、「お前に、何かあげるとクセになってまた来るから、やらない」とピシャリと言い放った。すると女の乞食は、「坊ちゃん、もう何日も何も食べてないのです。約束します。今日だけですから」と懇願した。僕は女乞食の目をジッと観察して、僕にはこの人が嘘をつくようには見えなかった。そこで、従業員がいつでも、食べれるように台所に置いてある塩むすびを持って来てあげた。女乞食は何度も何度もお礼を言い、約束は守る、と言って帰って行った。僕はこの事も、大人達には話さなかった。
代わりに、毎日、「ねぇ、今日、乞食、来なかった?」と聞くのが日課。すると、親やお手伝いさん達は、「変な事を気にするのね。乞食なんか来ませんよ」と笑った。女乞食は僕との約束をちゃんと守ったのだ。僕はこれらの事を通じて、大人たちの言う事はなんていい加減なものだろうとあきれた。
そして、こういう「常識」とか「普通」は疑ってかかる必要があると思った。
僕はそれ以来、無批判にこの世を支配している「常識」とか「普通」とか「規則」とか「一般」とかを敵視するようになった。それは、そういう事によって、無力な人が、抵抗する術もなく、不当に扱われてることに義憤を感じると同時に、「常識」に縛られて、生きている大人たちも決して、自由に見えなかったからだ。僕は将来、医者になったら、歪んだ「常識」や「普通」で窮屈をしている人達を助ける仕事をしたいと思った。その頃の知識で、精神科という科があることを僕は知っていた。僕は医者と言う権威を武器に、差別や誤解を受けてる人や、不自由に生きている大人たちの心を解放するために力を発揮しようと決めた。そして、それは僕の性質上、とても向いていると思った。
これが僕が精神科医になった訳で、その初心はブレることなく今に至る。

BGM.  薬師丸ひろ子「守ってあげたい」(ねらわれた学園・オープニング)


後日談~Answer夢

24/Ⅳ.(水)2024 雨 大谷翔平6号、137m弾に「少し詰まった」と冗談も…今季2度目の2試合連続ホームラン

前回の記事の後日談。あれ以来、国試の夢はピタっと見なくなった。「ムンク」がうまくやってくれたのだろう。その代わりというか、Answer夢で、僕は歌舞伎役者のはしくれに。大舞台の演目は、同じ場面を繰り返し繰り返しリフレインして意味を持たせるシュールな謎とアクロバティックな動きを見せ場とする。

千秋楽。女座長が女主人公の着物の紐を解くと中から小さな人形が幾つも飛び出すからくりが失敗し、「もはやこれまで」となった時、僕は機転を利かせ舞台袖にあった個包装の物を手当たり次第、「♪たんたん、たぬきの〇〇〇〇は~♪」と歌い乍らホイホイとそれを客席に投げてその場をしのいだ。会場は大喜びで舞台の大御所たちも苦笑しながら認めてくれている。若い世話役のキリッとした少女が飛んできて「それはいけませぬ。それは皆さんが終演後に召しあがるお茶うけなのですよ」。これを聞きつけた「通な」客が「ほほほ、それは傑作」と扇子を広げて口元を隠して笑うのが合図になり劇場は大爆笑。僕のアドリブが許され成功したことになった。演者も皆笑ってくれている。看板女優さんだけが「たんたん、たぬきは、いただけませんよ」と厳しい目をしてお小言だがそれも含めてご愛敬だ。

目のキリッとした少女は若いのにこの一座のプロデューサーもしているのか?僕の鼻と鼻の穴をじっと眺めて「髭は生えますか?鼻毛は咲かせられますか?」と言いながら「うんうん」と勝手にうなづき、「かんすう、に興味はありませぬか?」と聞くから「函数ですか?」と答えると「いえいえ、一、二,三、四…十、廿、丗などの漢数字です」。少女は「今度、漢数字を扱った演目があり、是非、あなたにそれを」と言うから言葉をさえぎって、「あ~、そういうことですか。私は野球と数学が大好きで小さい時は自分のことを‘数’の’馬‘と書いて’数馬(すうま)‘と読ませ、星数馬(ほし・すうま=星飛雄馬の駄洒落)と名乗って野球をやってたくらいです」と言うと、大御所や後援会の「通」の客に大変ウケて、「それはいい。そのままの芸名で行こうではありませぬか」と話がトントン拍子に進んで行き、こうして私はのちの名役者・初代「星数馬(ほし・すうま)」を襲名することになったという出世話でありました。

Answer夢とは、夢で見た内容をこちらが味わい理解しようとした結果、解釈した内容やアクションを、「それで正しかったのかどうか」を夢自身が「次の夢」で答えてくれる不思議な現象。不思議だが意外とよくある。

BGM. 巨人の星オープニング「HDリマスター前後比較ムービー」


我々はどこから来たか?我々とは何か?我々はどこへ行くのか?

10/Ⅳ.(水)2024 はれ 4/11、2024年サンリオキャラクター大賞OPEN!

まずは夢日記。先日みた夢。「医師免許の継続可能試験があって、それに落ちた。何の仕事をしよう?看護助手をするも、流れ流れて南国のペットショップの類人猿の娘に貝殻のビキニをあげたら、恋に落ちて、懐かれて、禁じられたのにSEXしたら、子供が出来た。人間が生まれるらしい」。

日曜に、裏金問題で離党する世耕さんのニュースをサンジャポでみてたら世耕さんが「ゴーギャンの絵の気持ちだ」と言って、爆笑問題の太田が「絵を見せてくれ」と言ってたのが頭に残り、そんな夢の題材になったのでしょう。

下は、「世紀末の美と夢6(非在の地)」、「夢想への逃亡」。

この本の「見返し」がゴーギャンの「我々はどこから来たか?我々とは何か?我々はどこへ行くのか?」。

僕が高校の頃、adidasから世界の島シリーズというスニーカーが出て、僕は友人の誘いで「タヒチ」というスニーカーをお揃いで買い、お揃いで履いて通学してました。僕の学校の制服は上下黒の詰襟だったので、全身黒に足元だけネイビーブルーというのが自分でもお気に入りで、「川原お気に入りスニーカーランキング」歴代2位です。1位は、中学の時、石野真子がニューバンのコマーシャルで履いてた蛍光色のような黄緑のナイキのスニーカー。これも、黒の上下に映えました。

ファッションの話になったから、今日のおめかしはイヤリング。片耳が麻雀牌の「中」。

もう片方は同じ赤でも「薬のカプセル」。

宝石箱。

今、NHKの100分de名著で、フロイトの夢判断、をやってるのはタイムリーです。「夢判断」というと「夢占い」を連想させ、「ヘビ=SEX」みたいな辞典形式に思う人も多いでしょうが違います。フロイトのそれは患者が夢を報告し、連想して行くうちに「自分で気付く」のです。無意識の発見です。

一方、スピリチュアル的には、夢は、違うパラレルを見せられたか、もしくは、違うパラレルを見せること守護霊(?)が何かを気付かせようとすると考える訳です。だから「医師免許剥奪」は「今」の「薬一辺倒な医療」や「診断学に合わせすぎ」な自分のやり方を反省し本来目指していたのはそっちでいいのか?と立ち止まるチャンスをくれているのかもしれません。Eテレ100分de名著、「フロイトの夢判断」好評放送中。

無意識にたどる王道は「夢」かもしれませんが、日常の色んなものが無意識と関係しています。僕は色々と模様替えをしますが、今回は「からかい上手の高木さん」を整えました。何故数ある中からこれを選んだのでしょう?また、模様替えはしょっちゅうしてて、全部を記事にはしてません。何故、今回に限り、記事にしたのでしょう?これも無意識への接近に有効な問いですね。

「1月」~「12月」。どれが「何月」か分かりますか?並べてくれたのは、受付羽田さんの「無意識」。

ここには観光地巡りと、僕の顔写真のコラージュという「意識」も混ぜて。

何年か前のクリアファイル型ミニカレンダーは「1月」「4月」「7月」「10月」。An=1+(n-1)×3。

さて、ここにも「無意識」への切り口が。最近僕が「何故か」購入したものです。それは「新聞紙ストッカー」です。捨てられない新聞をとっとく台車です。

たとえば、WBC日本優勝。

安倍さん死亡。

この日のビッグニュースはこれなのに、デイリーは愚直なまでに「一面」は「阪神」。「安倍元首相銃撃され死亡」が端っこに書いてありますね。デイリーにとっては「青柳完封」の方が「一大事」なのです。ケネディ大統領が暗殺されて各新聞の一面がそれだった時、東スポだけが「銀髪鬼・場外悶絶」という、フレッド・ブラッシーが力道山の空手チョップで場外リングアウト負けになった事件を報告したのと同じ主張ですね。でも、こういう風潮はいいことで色んな価値観がある訳で、何より全体主義にならないのは「戦争」を防ぎそうで良いことでしょう。

戦争と言えば、ロシアはいつまで続けるのかしら?

僕が好きな女子アスリート第1位は、須崎優衣です。

アマレスが須崎さんなら、いつのまにかフワちゃんが…。

この新聞紙も捨てられません。

何故、その新聞?と思われたでしょう。それが僕の無意識。というより、何故この記事?という東スポの意識に反応してるのですが。数ある中でなぜこれを選んだ?というのも無意識。

どうでしたか?無意識を集めた記事にしてみました。そんな僕が皆さまに紹介したい映画です。

ルイス・ブニュエルの「自由の幻想」は、冒頭で女の子たちが公園で遊んでいると怪しげなトレンチコートの男が近寄り子供らに数枚の写真を見せます。子供たちがそれを見入っている横で男はニヤニヤ。それに気づいたお母さんたちが、「どうしたの?」と叫んで走り寄ると、男は一目散に逃げてしまいます。残された写真を母親たちが見ると、思わず「まぁ!!」とビックリして口々に「いやらしい」「お下劣な」「破廉恥」と嘆きます。カメラが母親たちの手元の写真をアップに映すとそれは「夕焼け」や「青く澄んだ海」や「虹」だったりします。場面が変わり、皆大人たちは正装して談話を楽しんでいます。その中に小さい少女を連れたご婦人がいるのですが、少女は皆の前で「ママ、おなか空いた」と言います。すると全員が話を止め、少女と母を睨みつけます。母親はペコペコ皆にお辞儀しながら謝って、「すみません、すみません」と平身低頭、少女を連れ出し、個室に一緒に入ります。トイレのような個室です。母親は少女に、食べ物を差し出し、「はい。食べなさい」と言い、少女はそこで物を食べます。カメラはさっきの社交場を映すのですが、正装した紳士淑女はカメラが引いて分かるのですが、みんな下半身をおろして便器に座っていたのです。そうです、ここはこの世とあべこべの世界だったのです。

僕の紹介する映画は「面白そう!」と飛びつく人が多いのですが、僕の古い友人に言わせると「君が紹介してくれた映画は面白そうなので観るんだけど、大抵、筋が違うんだ。悪いことに君の説明の方が面白いから、観て損した気分になるんだ」ですって(笑)。

どうして数ある映画の中からこれを選んだのでしょうね?無意識の現実世界への支配は際限なく興味深いですね。

BGM. 石野真子「ワンダーブギ」