心の護美箱(27)~ゴルフ

10/ⅩⅠ.(火)2020 はれ 涼宮ハルヒの総選挙、開催!ミヨキチはエントリーされず。

心の護美箱(26)もいっぱいになったので、(27)を作りました。
とりあえず、グチを書き込めるページなのです。

おそ松さんの第三期もいよいよ5話。今期は、「鬼滅の刃」のせいもあり、あまり盛り上がっていない分、静かにみれていい、とおそ松さんクラスターには好評。内容的にも、謎のおむすびロボットが登場し、AI知能装備で人間のために何でもするというこの2体のロボットは6つ子の世話をする訳だが、誰が何のために寄越したのかは謎のまま。今の所、6つ子やその他の主要キャラクターの情報を収集してるところで、時折、見せる不気味な無表情が背後が何かを不安視させる。「ひょっとして中国が日本人の情報を集積するために送ったというオチでは?」と言ったら、スタッフから「そんなのだったら第三期パッケージごとソフト化出来ませんよ」だってごもっともな指摘。そんなことはどうでもいいのだが、アメリカ大統領選挙盛り上がりましたね。こんなに日本中が夢中になった外国の党首選びもなかったし、初めてアメリカ大統領選挙の仕組みを知ったという人も多いですね。ジョー・バイデン氏でほぼ決まりのようですが、この人のことは親中家ということくらいしか情報がなかったですね。あとは、熊本の田舎町にジョー・バイデン町長という人がいるというくらいで、それも梅田穣(うめだ・ゆたか)の音読み(バイデン・ジョー)だというほのぼの系のニュース。アメリカの大統領選ですが、中国や北朝鮮に強く言うのはトランプくらいだから日本にとってはトランプ大統領の方が良かったという意見も聞かれます。そんなトランプ氏は、バイデンが勝利宣言をした日に、自分の所有するゴルフ場でゴルフを楽しんでいたとのこと。トランプの大逆転はあるのか?そんな訳で、今回はゴルフの記事のアーカイブスです。↓。

7/Ⅰ.(土)2012
僕は、一度だけゴルフをしたことがある。
それは、研修医1年目の医局コンペで、研修医は強制参加、だったから。
面倒見のいい、ゴルフ好きの先輩がいて、本番の前に練習場に何回か連れて行かれ特訓をし、本番はその先輩と一緒に回る組になった。
キャディさんというんでしょう、僕らのグループと一緒に回るそのおばさんはきつい性格の感じの悪いキャディで、口うるさくて、僕の歩き方が悪いとか、芝が駄目になるとか文句ばかりをつけてきた。
こっちだって、好きで来てる訳じゃないし、初めは我慢していたが、途中から「うるせぇ!ババァ」とか「林にボールを打ち込んだから、その自慢の声でカラスを追っ払え」とか
「池に落ちたボールを潜って取って来い」とか言うとババァも負けじと「自分で池に入れ」とか「カラスのことまで知らない」とか「ゴルフをやる資格がない」などと言った。
「別に俺はゴルフをやらなくったって困らないから、ただ進行が遅れるだけで、それも知ったこっちゃない」と言うと先輩が「まぁまぁ、仲良くやろうよ」。キャディには「彼は純粋な性格なだけなんだ」と言い訳したり、「池のボールは取らなくていいんだよ」と新しいボールを差し出したり、「少年ジェットみたいにやってみようかな~。ウー、ヤー、ター!」と大声を出してカラスを追い払ったりしていた。
結局、前半が終了した所で、医局の偉い先生達で話し合って、僕は後半のラウンドは出なくていいことになり、風呂に入ったりして自由にしていて良いと許しをもらった。
皆が打ち終わると優勝者とか準優勝者とかブービー賞とかに賞品を授与するセレモニーがあるのだが、僕は「努力賞」とかいう名目で電子ピアノの玩具みたいなのを貰った。
帰りはそれぞれ車に分乗するのだが、僕はさっきの親切な先輩の運転する車に乗った。
僕は、もらった玩具のピアノを車中でずっとデタラメに弾いていて、先輩は「川原君、ちょっと静かに出来ないかな?」とハンドルを握りながら言って、僕は「あと少しでやめますから」とノッテ来たから即興曲の不協和音を鳴り響かせ続けた。
その先輩はとても穏やかな人で、「川原君、もうそろそろいいかな?」と静かに言った。
「もうチョイ」。そんなやりとりを僕がピアノに飽きるまでやって、僕は飽きたらやめて、
その後は後部座席で爆睡し、やさしく先輩に起こされて、目を覚ましたら自宅の前だった。
ま、当然だが、翌年の医局コンペには誘われなかった。
それ以来、僕はゴルフのクラブを触ったことがない。何を言いたいかと言うと、ゴルフを愛する者に悪い者なし。


おとこのこのサバイバル術

28/Ⅹ.(水)2020 昼に地震あり。欅坂46、改名って知ってた?

鬼滅の刃、のブームの勢いは止まるところを知らず、郵便局では切手や年賀状も売り出されます。
去年のカワクリは「ねずみ」のイラストのデザインを何枚か作りました。ねずみ、はチューと鳴くから、「ピカチュウ」とか「荒井注」とか「ミッキーの宙返り」など。
今年も来年の干支「うし」に引っ掛けて何かを考える時期に。
今の所、大橋巨泉のイラストを描いて「ウッシッシ」というセリフ入りはどうかと思案中。
僕が小中学校の頃は、年賀状と言えば、全員分手書きで書いていたものだ。友人・親戚・先生などの他、中学に上がると部活の先輩にも出すから100枚位書いていた。
僕の中学は中高一貫で僕はブラバンでホルンを吹いていた。当時、中3の金子さんという背の高い大人しいクラリネットの先輩にも年賀状を出した。全員に出したから。
すると年明け、金子さんに「川原、年賀状、ありがとう」とお礼を言われた。それが毎日毎日、何度も何度も真剣に言われた。
僕は、この人は後輩から年賀状をもらったのが初めてなのかな?ひょっとしたら誰からも年賀状をもらえないで来た人なのかな?と邪推する程、異常なくらいお礼を言われた。

金子さんは、翌年当りから、急に部活に来なくなり、でも意外な方向から名前を聞くようになった。それは不良たちから一目置かれてるのであった。
金子さんは雨でもないのにいつも長靴を履いていて、噂では靴底には鉄板が入っていると聞いた。学生カバンも薄くそこにも鉄板が仕込んであるらしい。前者が攻撃用で後者が防御用。
僕らの高校は不良の激戦区・池袋にほど近く、帰り道にそこを使ったり、寄り道に池袋に出ることがちょくちょくあった。しかしお坊ちゃん学校であるから、不良たちからはカツアゲの良い鴨だ。
僕らはお札は財布に入れず、靴下の中に隠して歩いていた。
そんな中、金子さんは一匹狼だが、池袋でも激闘を繰り広げてるらしかった。
当時は有楽町線が開通したばかりで、不良校どうしのタイマンがプラットホームで始まると、次についた電車から双方の学校の生徒が雪崩のように流れ込んで来てもみくちゃの大喧嘩になってたのが日常茶飯事。当時の駅員さんは大変だったと思う。

時代的に「不良」はカッコイイとされていた。キャロルを解散した矢沢永吉や、暴走族あがりのクールス(舘ひろし、などがいた)などが音楽シーンでも人気があった。
漫画では「花の応援団」とか「男組」など硬派=不良のような美化された風潮もあった。男性アイドルには市民権がなく、ミーちゃんハーちゃんが聞くナンパとバカにされていた。ジュリーでさえそうだった。

だから僕らのようなお坊ちゃん校でも、ファッションとして不良化が進んでいた。髪型はアイパーかリーゼント。学生カバンも中の綿みたいなのを抜いて、細くした。細くするため、百科事典を何冊かカバンの上に置いて一晩寝かせたものだ。当時はどの家にも応接間に百科事典があり、それは親の見栄の飾り物で子供たちは腹筋を鍛えるためにお腹に乗せる重石か、カバンのために使われていた。
当時の喧嘩にはヌンチャクが使われていて暗黙のルールで刃物は禁止だったのだと思う。
ヌンチャクは、数年前のカンフーブームでブルースリーのマネをするため小学生は自製で作ったから要領は得ていた。
町の金物屋で水道のホースを1mくらい買って来て、適当の長さに切り、ビニールテープでぐるぐる巻きにし、2本をチェーンで結んだ。
本当にやばい学校のヌンチャクはホースの芯に何か固い物を入れていた。

金子さんは高1くらいで学校を辞めてしまうのだが、僕に対してはずっと感謝していて、金子さんが使っていた鉄板入りの極薄のカバンと戦闘用のヌンチャクを別れ際にくれた。
金子さんが池袋で不良校のトップの奴をやっつけてしまったから、その学校が総出で僕らの学校の最寄り駅に大挙朝から張り込んで、一般生徒まで脅して大騒ぎになり、さすがにそれには学校や警察などの大人たちも対策に乗り出した。ものすごいマジなヤバイ雰囲気だった。
金子さんはその責任をとって辞めたのだと思う。今思うと、15-6の少年のやったことだった。
僕はたった一枚の年賀状のお蔭で、伝説のカバンとヌンチャクの継承者に指名された。
うちの学校の番長みたいな奴が低姿勢でそれを自分に譲ってくれないかと頭を下げに来た。僕は持て余してたものだし、こんなの持ってて何かの因縁をつけられたらたまったものではないと思っていたから、速攻で譲り渡した。

しかし時代は不良の時代で自衛しないと生きていけないサバンナのような都会だった。怖ければそんな所に行くなと言われるが、自分の好きなこと(本屋や中古レコード屋の大きいのがあった)をしたいのをそんなこと(暴力、カツアゲ)のために我慢するのも嫌だった。
そこで弱い子も弱い子なりに工夫して生きていた。
僕は近所の金物屋でヌンチャクの原材料であるホース、通常は水色なのだが黄色もあった、それを3mほど買った。
そして、僕は何も加工しないで、3mの黄色いホースをズルズルひきずって登校していた。
学校の教師が「川原、それはなんだ?」と驚き、「ホースです」、教師「何に使う?」。すると横からオッチョコチョイが「こいつ喧嘩用に持ってるんですよ」とチクった。
すると一旦ホースは没収され、緊急職員会議。「生徒が3mのホースを学校に持って来た。どうするべきか?」が議題。
うちの学校はリベラルな校風だ。職員会議の結果、「前例がないのでおとがめなし」。ホースは返された。僕はしばらくホースを持って池袋をうろついていたが、不良からからまれることはなかった。
それだけか、池袋の楽器屋にどうしても行きたいとか本屋に行きたいという他のクラスのおとなしい子に「一緒に来てくれない?君が一緒だと安全なんだろう?」と用心棒のような役割をさせられたこともあった。

高3の頃、池袋にサンシャイン60がオープンし、その地下に海外のお菓子やおもちゃを売ってるソニープラザという目新しい店が入り、僕らは学校帰りに寄った。
僕はそこでメタリック調の光線銃を買った。レバーが古いテレビのチャンネルのように切り替えられるようになっていて、周波数の違う音がけたたましく鳴った。
僕はそれを撃ちながら池袋を歩いていたが、時々、頭の悪そうな不良にからまれそうになったが、大抵、そのグループの中の有力者が「あいつはやめておけ」と相手をなだめてくれていた。

大学に入って、千葉の友人の別荘に夏旅行。柔道部でもないのに学校の柔道大会で準優勝するようなガタイの良い奴を筆頭に、ボクシングをかじってる奴、サッカー部のゴールキーパー、そして六本木のナンパ師(こういうやつは喧嘩を売られる事が多いから喧嘩が実は強い。もしくは護身術に長けている)らと僕の5人メンバーだった。
夜中に酒が足りなくなって調達に行くと地元の不良たちと鉢合せ。よしやいいのにナンパがメンチ切ったから取っ組み合いが始まって、こっちの大将が相手を何人か投げ飛ばしたら、どこからわいてきたんだという数の不良たちとバイクと車まで来て、僕らは知らない町で取り囲まれた。大将はヌンチャクで頭を殴られ大流血。ここで勝負あり。残りのメンバーも無抵抗なままボコボコ。
僕も左足をふまれてそれが痛くて地面に転げ落ちてたら、追い打ちをかけようと下っ端が俺を蹴ろうとした時、相手のボスみたいな奴が、「そいつはやめとけ」と言って、僕は足を踏まれただけで助かった。
きっと僕はみるからに弱そうだから手加減しないで殴ったら死んじゃうと心配したのかも。
当時の不良は喧嘩の仕方を知ってたから良かったが、今はそういうの学校でも教えないから怖いですね。


心の護美箱(26)~大学受験

17/Ⅹ.(土)2020 雨 関東で寒さ12月並み、体調注意。小林幸子、始球式で投げず。

さて、心の護美箱(25)もいっぱいになったので、(26)を作りました。
はじめて、このブログを読まれた方は何のことだか、判りませんね。
とりあえず、グチを書き込めるページなのです。
ここでも、非公開を希望の人は、そう書いてくれればアップしませんし、こちらが判断して「不適切」なものはアップを控えます。
まぁ、グチに限らず、要望や苦情やエールやラブレターでも構いません。この記事に関する感想コメントなら、尚結構!

 

今回のテーマは、大学受験です。コロナもあり、今年は大変そうですね。頑張れ、受験生❗️

 

①2015年1月4日 「語が苦」

僕の通っていた学校は中高一貫の男子校で6年制の学校で僕はブラバンに所属していたから中1の時から「高吹連」のコンクールに出ていた。中1が1年生で、高3が6年生みたいな感覚。
年明けは、高3の先輩の進路の話題になる。毎年、大抵、ふざけた先輩が一人や二人はいて、「俺、東大、受けてくるから。ヨロシク!」と言って、そういう事を言う人は、決まって、成績が悪い。
そういうのを「記念受験」って呼んでいた。つまり、冷やかし、ですね。
だけど、「記念受験」をした先輩が、「東大?受けたけど、落ちたよ。やっぱ、難しいね。歯が立たないよ」と笑う姿と、往年のプロレスラーが、「ルー・テーズ?戦ったことあるけど、完敗だったね。歯が立たないよ」と回想するシーンは、どこかちょっと似たニュアンスがあって、僕はいいなと思ってた。
だから、僕も高3になったら、「記念受験」をしようと決めていた。やっぱ伝説のレスラーとは戦っておきたい。ところが、そんな先輩方のふざけた態度への対処策か、僕らの前の学年くらいから「共通一次」が採用された。国公立を受ける人は必須で、私立受験には関係がなかった。うちの学校は高2で、「理系」と「文系」が見事に分かれ、「理系」は「理系」しかしないようなカリキュラム。国公立を受ける人は少数でそういう人は、別に授業を選択してとっていた。だから生徒よりも先生の方が、「共通一次」の対策で大変だったみたいだ。
僕は中1の時から「記念受験」はするつもりだったから、「共通一次」に申し込んだ。
しかし、ここで2つ問題点が浮き上がってきた。
1点目は、東大は所謂「足きり」というのをやるから、「共通一次」で高得点を取らねば受験出来ないシステムになっていた。英・数・国が200点づつで、理科を2つと社会を2つ選択して各100点づつ合計1000点満点で、900点くらい必要だった。
理科と社会は4つのうちから2つをその場で選択して良いから、解き易い問題が多いのをその場で決めようと思った。「共通一次」にはマークシート方式が導入された。当時はシャーペンはダメで鉛筆のみ、「HB」と指定もあった。僕は普段、4Bくらいの濃い芯を使っていたから、試験前に文房具も揃えなければいけなかった。ついでにマークシート対策として鉛筆の6面を削って、サイコロのように①~⑥の数字を書いて判らない問題は、これを転がして出た数字に丸をつけることにした。共通一次は記述式より選択式が多かったから、こういう必殺技が編み出された。なんとか、これらで足きりを突破しようと考えた。無謀だった。ま、それでも、記念受験にこだわった。後輩に、「俺、東大、受けてくるから。ヨロシク!」って言う文化を残したかった。これが1点目の問題。
2点目の問題は、もっと深刻だった。
なんと僕は学年末テストの英語が赤点で追試だった。その日程が、共通一次の二日目とかぶっていた。僕は職員室に、「共通一次があるから、英語の追試は受けれないんスけど~」と言いに行くと、「何!?」と大騒ぎになった。只でさえ、職員室は不慣れな共通一次で大わらわなところに来て、卒業もあやうい生徒がそれを受けると言うのである。
追試とは学年末試験の一回をしくじっただけで卒業出来ないのは可愛そうとの救済措置だ。共通一次は我が校では数名の成績上位者が受けるものだ。
教師達は、まさか「追試」と「共通一次」の日程がかぶる生徒が出るなどと想定していなかった。担任は、この時、初めて僕が共通一次に出願していることを知り、「お前なぁ」とあからさまにあきれ顔をした。そのやりとりをみつけた、英語の担当のハゲ山が「追試を受けない者には単位はやらない!」と割り込んできた。ハゲ山は、そのビジュアルから、いにしえの先輩がそう命名して、我々の代まで伝承され続けているあだ名だった。
「今、担任と話してる所なんだけど邪魔しないでくれる?」と僕が言うと、もっとギャーギャー言い出した。「受験生には、『落ちる』とか『すべる』って禁句だって知ってる?センセーの頭を見てると、『すべり』そうで縁起悪ぃんだよ」って僕の口が滑った。
ハゲ山は真っ赤になって怒り心頭だった。ゆでだこのようだった。
「まぁ、待て」と担任が割って入って、「お前、冷静になれ。学校のテストで追試の奴が東大に受かるか?」と諭すように言った。
僕は、「あんたは、自分の生徒を信用できないのか!?」と担任の目をにらみつけた。わずかに担任が視線をそらした時。僕はここが勝負だとたたみかけた。なるべく優しい声で、スローなテンポで、催眠術師のような声色で、「自分のクラスから、東大生が出たらどうなる?職員室の中で、株が上がるんじゃないか?」。すると瞬間、担任の目が賭博師の目に変わった。「お前、本気か?」。「中1の時から、決めてることだ」。…しばしの沈黙の後、担任がバクチ打ちのような口調で言い放った。「判った!受かって来い!英語の追試は俺がなんとかしてやる!」。「やり~!そう来なくっちゃ!じゃ、俺、共通一次、受けてくるから。後のこと、ヨロシク!」。と言う訳で、僕は英語の追試を免除され、共通一次を受けれた。
共通一次と云うのは、比較的、基礎的な問題を出して、難問は出ないと聞いていた。
だから、とりこぼさないように、ということだった。
結果ははまぁまぁ出来た。社会と古文&漢文は、「サイコロ鉛筆」が大活躍。
しかし、問題の英語が全然、出来なかった。そりゃそうだ、本当なら学校で追試を受けてるはずなんだから。試験当日は、大雪だったが、番狂わせは起きなかった。
まぐれはなかった。翌日、学校に集まって、自己採点をしたら、結局、足きり。
一応、職員室に報告すると、担任は「わかった。すぐ切り替えろ。腐るな!」とまるで野球部の顧問のようなゲキを飛ばした。ここは、もう少し、具体的な受験の必勝法とかを伝授すべきじゃないのか?精神論で何とかなるもんじゃないぞ。
そう僕が思ってると、またまたハゲ山が近付いて来た。
「追試は、大目に見たが、まだ単位はとれてないからな。私大受験までに、これをやれ」と分厚い課題を渡された。
「重ぇ~よ!ふざけんなよ!こっちは、これからラスト・スパートなんだ。学校の課題なんかやってられるか!」と思った。教室に帰って、ブツブツ、文句を言ってると、「ちょっと見せて」と英語が出来る子が、ハゲ山の課題に目を通した。そして、「これ、学年末試験の範囲だけじゃないよ」だって。「何だ、それ?」。「高校の全部の範囲から出てるよ」。「マジか?」。「ハゲ山先生も、これ作るの大変だったんじゃないかな」。「じゃ、お前、やるか?」。「冗談じゃないよ。それに、これ、かなり偏ってるよ」。「嫌な奴だな!そんな所にエネルギーかけやがって。陰険だな。ムカつく!」。
すると、クラスの皆が、「そうだ!そうだ!陰険だ!」と受験のフラストレーションをここぞとばかり爆発させた。しかし、課題をやるのは、僕だけだ。
そこで僕は担任に文句を言いに行った。「お前、なんとかするって約束しただろ。どうなってんだ」って。すると、担任は、「ま、形だけ、やっとけ!出せば良いんだ。出せば!」と珍しく的確なアドバイスを寄こした。僕は担任の言葉通りに、チャチャっとレポート用紙数枚にマンガを描いた。ハゲ頭の男が物を持ち上げて「Up!」、ハゲ頭の男が物を下げて「Down!」、脇に置いて「Side!」ってな調子で。↓。

 


後は、「励ます(ハゲ増す)」とか「儲けが無い(もう毛が無い)」とかの英単語とマンガの挿絵を描いて、クラスの皆はそれを見て、ゲラゲラ笑っていた。一番受けたのは、デンマークの地図を書いて、「首都は?」、「コペンハーゲン」。もはや、英語じゃないし。「ハゲ」って言いたいだけだし。片仮名だし。
でも、これはとっても受けて、卒業までの短い間、ハゲ山のあだ名は、「コペン」になった。後で知ったのだが、僕の幾つか下の学年では、「ハゲ山」は「コペン」と呼ばれていたそうな。民間伝承とか街談巷語ってこうやって発生するんだ。
ちょっと話はそれるが、すぐ元に戻すのでご安心を。僕が大学生になった時、友人から、青山に出来たアイスクリーム屋に、行列するバイトに行かないかと誘われた。僕は断ったが、後で聞いたらそれが、ハーゲンダッツの日本初店舗の行列のサクラ、のバイトだったらしい。もし、僕が高校生の頃に、ハーゲンダッツが日本に進出していたら、ハゲ山のあだ名は「ダッツ」になってたな。
ま、そんなレポートをコペンに提出したら、「単位はやる。でも、課題は課題だ。ちゃんとやれ」と負け惜しみを言いやがった。「ま、暇な時ね~」と、単位を貰っちまえば、こっちのもんだ。で、僕は私大医学部の傾向と対策にとりかかる。
医学部のそれは、ちょっと癖があった。
数学は、数Ⅲはほぼ出ない。その代わり、ひたすら計算させる問題が出る。知力より体力。電卓でいいじゃん、って感じ。医学を志す者はスタミナが必要だという警告か、わずかなミスも許されない世界への通過儀礼か、機械に頼るなという暗示か。
物理は、原子物理がかなりのボリュームで出る。やっぱ、放射線治療とかがあるからか。化学もやっぱり、そんな感じだが、学校によって特徴的な差があった。
ただ、英語の「ヤマ」だけが読めなかった。過去問を解いてるとなんか癖はあるのだが、はっきりは判らない。まぁ、そもそも、英語に「ヤマ」もあったもんじゃないだろうが。
僕の勝負のポイントは、数学で稼いだ分の点数でどれだけ英語をカバー出来るかだった。英語が足を引っ張らないか、だった。
結果は、全滅。浪人確定。国公立の試験(僕は受けない、足きりだから)を待って、予備校の選抜クラスの試験が待っている。しかし、2週間くらい、ちょっと間が空くのだ。その間にだれてしまい、暗記物はほぼ忘れてしまった。駿台の試験は落ちた。なんとか代ゼミのクラスに受かった。その合格通知に喜んでいたら、親が、「予備校に受かって喜んでてどうする!?」とデリカシーのないことを言った。
予備校の4月開講までには少し時間があった。ふと、暇が出来たので、コペンの作った課題をパラパラっと見てみた。僕はそれを見て驚愕した。そこには、僕の受けた大学の入試試験と似通った問題が並んでいた。英語が出来る子が、「偏った問題」って言ってたのは、医学部用に「ヤマ」を張ってくれてたのだ。これやってりゃ、受かってたかも~
ごめんね、コペン。良い奴だったのね。と言う訳で、先生の言うことは聞いた方が良いという教訓でした。

 

②2018年8月16日 周期表の覚え方~受験生、必見!乙女、閲覧注意!

東京医大の女子受験生差別の問題は、なかなか世間にインパクトを与えましたね。
頑張れ!受験生!と言うことで、女子受験生に、微力ながら尽力しようと、化学の周期表のエッチな覚え方を教えましょう。前にいた受付が、「これを私がJKの時に知ってたらあんなに苦労しないですんだのに」と言わしめたものです。
これは、僕が高校生の夏に参加した、ある医学部専門予備校の夏期講座で、先生にではなく、そこにいたエッチな女子浪人生に教えてもらったもので、後にも先にも、こんな卑猥な覚え方を口にしてる人を知りません。ただ、丸暗記というものは、バカバカしいものや下品でくだらないものの方が忘れないものです。30年以上、経ってるのに覚えているもの。

周期表の覚え方というと、元素番号1-20を横読みした「水兵リーベ、僕の船~」が有名ですね。でも、これは一般的な分、全然エッチじゃないし、(エッチじゃなくてもいいんですが)意味不明ですね。
それに比べて、この後の、元素番号21以下と、つづいて、縦読みの「族」すごいですよ。
意味、判るし。むしろ、絵が思い浮かびます。
それでは、受験生、必見!乙女、閲覧注意!彼女の手ほどき開始です。

 

Sc Ti V Cr Mn Fe(鉄) Co Ni Cu(銅) Zn(亜鉛)

→少し、ちんこは、ヴァギナより黒い、まんこってコンドームにどう合うの?

1族・H Li Na K Rb Cs Fr

→変な淋病、何故痒い。ラブしすぎてフラフラ。

6族・Cr Mo W

→黒い物は、ワンダフル。

13族・B Al Ga In Ti

→ブーして歩いて我慢する、インテリ。

14族・C(炭素) Si Ge Sn(すず) Pb(鉛)

→たんすの下に現金、すずなり。

15族・N P As Sb Bi、これは「ニッポンの朝は酢豚にビール」が有名ですが、彼女は違います。

→ねぇ、パパ、あそこ、しゃぶってビンビンよ。

16族・O S Se Te Po

→お~、すげぇ~、世界は、てんで、ポルノブーム。

17族・ F Cl Br I At

→ふっくらブラジャー、私がアタック(Iを、英語の一人称として読みます)。

18族・He Ne Ar Kr Xe Rn

→変なねぇちゃん、歩いて狂って、セックス・ランニング。

 

僕は当時、高校生で、彼女は浪人生で年上で、だから仲良くしてもらって少し大人になった気がしてた。彼女は不良で、今で言う、援助交際をしていたらしく、しつこい相手だと「疲れる料」をとり、あっさりした相手からは「物たらん料」を巻き上げると、うそぶいていた。
ひと夏しかその塾に行かなかったから、その後彼女がどうなったのかを僕は知らない。


文化部通信~その拾~秋の文化祭・川原ヒストリア

こんにちは、文化部通信も、第10弾!スーです。

クリニックに貼ってある少年時代の写真を誉められてご機嫌です。自身の写真を浅草のマルベル堂に持って行ってブロマイドにするかと少々浮かれ気味の男、川原。(敬称略)

秋の文化祭シーズン、私への命令として、

昔の写真をチョイス&コラージュ

恐れ多くて私は選べないので先生自身で選択してもらいました。選べませんよ、恐れ多くて。

元は入口の、高木さんコーナー

その下の、おそ松さんのポスターの裏地が白だからそこに貼る

大事な写真原本なので、100均で買ったカード入れに写真を収め、

普段ほとんど活動していない高校写真部の文化祭での展示物のように写真を貼れば出来あがり

入口ドアにあるのでご覧下さいね。

私のお気に入りは、海水浴場で気をつけの姿勢で立っている川原少年です。広い大海原を前にして礼儀正しいですね。

結論、子供と動物と蛭子能収には勝てませんね(?)

次回は文化部員のヒストリア?幼少期の水着や晴れ着や変顔、あこがれのウエディングドレスの公開まであるかも。もちろんうそです。


人間ドックのご報告

10/Ⅹ.(土)2020 台風。昨日の「グッとラック!」池袋事故のニュースで、フワちゃん号泣。

木曜日のロンドンハーツ3時間スペシャルは、女性タレントの体力測定&運動会。総合で、みちょぱが史上初の4連覇を果たしたが、志村けんイズムを継ぐ女=磯山さやかも体操着で登場。磯山さやかはユーチューブにも進出し、ひたすら唐揚を食べるという癒しの動画を配信中と評判だが、今、クリニックのパソコンの壁紙は、磯山さやかが体操着で唐揚を食べてるものだ。話は脱線したが、磯山さやか36才は、走り高跳びで早々と脱落したが、残りの優勝者を決めるのを待つ時間が嫌なので、そのコーナーを取り仕切り、バーの高さを一気に7センチ上げさせたりして、自分は競技には参加せず「これをクリア出来るのは4人ね」などと予想屋みたいなことをして、オアシズ・大久保的なポジションをうまくこなしていた。

何を言いたいかというと、健全な精神も大事だが、その器としての体や体力も重要だということで、皆さんにご心配かけた、カワクリ夏休み中の人間ドッグのご報告です。

結論から言うと、僕の人間ドックはまるで無事でした。
数年前に「大腸ポリープ」を切って、細胞診に出して、結果を聞きに行かないまま、その後の検査をしてないから、腸の覚悟はしてました。
また数ヶ月前、救急搬送された時、脳の大動脈瘤を指摘されてたので、脳も。今回の検診はその二つが軸でした。
しかし、結果はあっさりしたもので、「胃腸はきれい」で「脳の動脈瘤も消えてなくなっていた」とのこと。
宗教変えたのが良かったかな?うそです。という訳で、肥満以外は何も問題なかったです。最後に医者と話すのですが、その医者が「骨密度が低いから、病的骨折に注意」と言いました。病的骨折とは、ほんのちょっとぶつけた位で骨が折れてしまうことだそうです。予防はカルシウムの多い食べ物を食べる事だそうで、「たとえば、牛乳飲みますか?」「いいえ」。「チーズやヨーグルトは?」「嫌いです」。「小魚を丸ごと食べるのも良いです」「あっ、それならこないだ、天然鮎の塩焼きを頭からかじって骨まで全部食べましたよ。内蔵もね、食べちゃう。ただ天然鮎がなかなか無くてね。養殖物は緑っぽいけど天然物は金色をしてますからね。香りも天然物はスイカのにおいがする」と僕が答えると医者は「……」、僕がもう一度「天然鮎は金色でスイカの香りがしてね。中々無くて。こないだその天然鮎をね、塩焼きにして、頭からかじっちゃう。内臓も骨も丸ごと食べちゃう。前に勤めてた岡田さんに、センセーは猫みたい、なんて笑われちゃって」と言うと医者は「じゃ、大丈夫です」と面倒くさそうに話を切り上げました。

今回は、東京ドームの近くのサービスがいいところを選んでもらった。で、今回の豪華なプランは、病院に泊まるのではなく連携してるホテルに泊まります。1日目に問題の大腸ファイバーがあり、そこでもしポリープがあったら即手術の契約で大腸ファイバーでポリープを切除したら、さらに1週間は飲酒・旅行も禁止とのことでした。しかし、セーフ。夕飯はホテルに移り、由緒正しそうな会席料理。そこのおカミがやりてババァみたいで、酒をすすめてくるが、「お前、俺が人間ドックと提携してるの知ってるだろ!そんなもの飲めるか!」と一喝してやりましたよ。明日は胃カメラだから7時半以降の飲食とお酒は禁止の決まりなのですから。

そんな感じで運ばれてくる料理が思いのほか美味しそうで、そしてたまたまスマホみたら、TOKIOの山口君が酒でしくじった、と袋叩き。特にネット住人の彼に対する意見が厳しくて、読んでてつらくなりました。山口君はファンから「達ちゃん」と呼ばれてて、僕も「達ちゃん」だから親近感を覚えたのでしょうか?「人間、酒くらいのむよ。いくらなんでも可哀想だろ」と思い、「せめて俺だけでも味方してやるか、ここで呑まずして男か!」と、日本酒を六合飲んじゃいました。翌日、バレなかったから良かったですが、でも、その後のニュースでみたら山口君の推定飲酒量は、日本酒に換算すると8合らしいですね。…2合、足りなかった。わりぃ。

翌日の胃カメラは鼻から入れてやったのですが、僕の鼻の穴は狭いらしく、なかなか入りづらく、おまけに前の日にルール違反の飲酒をしてたから、「酒臭いのがバレたらどうしよう」という後ろめたさも加わって、罪悪感が強まると人間は逆ギレするようで、僕は「いて~よ!いて~よ!」と大騒ぎしました。すると、介助についていた看護婦さんが「大丈夫ですよ。力を抜いて」と優しく耳元でピアニッシモで囁いて、僕の手を握り、肩から腕のあたりを優しく何往復もさすってくれました。とても心地よくて安心しました。その看護婦さんは「沼倉さん」と言う名で、上の一文字「ぬ」を抜くと「まくら」になるから、安らげるサブリミナル効果もあったのかも。
これは案外、ウケルかもしれない。つまり、一方で痛い事をして(たとえば、ペンチで生爪を剥ぐ)その背後から優しく「大丈夫ですよ。痛いですね。可哀想に」などと言いながら背中をさするサービスです。「沼倉さん」を引き抜き、後は採用する人材も名前に「まくら」の付く人を募集。たとえば、山倉さんとか生倉さんとか鎌倉さんなど。でも、これって風俗扱いになっちゃうのかな?着衣でも十分、いけるのだが。
ま、そんな訳で病院のアンケートには、「ナースの沼倉さんのナイチンゲール精神に救われた。彼女にボーナスを!」と書いておきました。ほんの気持ちです。

という訳で僕は元気です。だから皆さん、全力でぶつかって来て大丈夫ですよ!ご心配かけました。

BGM. 薬師丸ひろ子「すこしだけやさしく」


心の護美箱(25)~ハチュウルイをかう

6/Ⅹ.(火)2020 はれ 新庄、おおみそか、RIZIN??

石原さとみ、が結婚したというが、綾瀬はるか、や、長澤まさみ、との区別に一瞬、迷う。昔、松本伊代と早見優の差がわからないという大人を小ばかにしてたが、それと同じ現象が身に降りかかった。

若い頃は、町を歩く女の子や進学塾や電車の中でみる女子など可愛い子が多かった。毎日、どこかで恋をしてた気がする。当時と比べたら最近の人は素人でも芸能人のようにレベルが高く綺麗だと思うが、町を歩いてて振り向くような人はいない。これが老い、という名の年相応の女性への興味・関心の低下なのか、はたまたうつ病になると性欲が落ちるというから病気の前兆かしら?しかし、いい年して町歩いてる女に一々心ときめかせてるのもビョーキか。

僕の10代後半は80年代前半の何をやっても無意味…みたいな空気感が、背景にあって、そこから時代はビニール本→裏本→エロビデオ→裏ビデオ→AV女優のアイドル化と、エロはサブカルチャーの主流として目覚しい発展をとげてゆく。僕はそんな昭和のエロ文化の成長とともに、子供から大人への階段を昇った。だから単に今の文化のデジタルの媒体が合わないだけなのかもしれない。その頃の、作品をみたら、何か感じる事があるかもしれない。「うつ病」かどうかの判断はそれからでも遅くはない、と、中野まんだらけ、へ出かけた訳でして、「まんだらけマニア館」にも久し振りに顔を出した。
すると、「羽中ルイ」のマンガがあった。
羽中ルイ、は70年代後半から80年代初頭にかけて、僕が多感な時期にエロ雑誌にマンガを発表してて単行本を量産していた漫画家だ。僕は懐かしくなって、羽中ルイ、のマンガを2冊レジに出したら、店員さんに「爬虫類、好きなんですか?」と親しまれ、「?」と思ったら、「羽中ルイ」って「ハチュウルイ」って読むって初めて知った。僕がハイティーンの頃は、「ハナカ・ルイ」とか、「ハネナカ・ルイ」と読むと勝手に思い込んで、当時、それを共有する友人もいなかったから、これまで30年以上も訂正されずに来てしまった。
まさか、「羽中ルイ」の読み名が「ハチュウルイ」というダジャレ名だとは思いもしなかった。そんな衝撃を受けた僕は、まんだらけにある、羽中ルイ、のマンガを1冊600円くらいを、全部買って、8000円くらい使った。↓。

羽中ルイ、は漫画エロトピアとかに描いてるすごいやらしいマンガだったと記憶しているが、とは言っても、今の皆さんが初見で「羽中ルイ」をみてもなんとも思わないと思います。ただのエロ漫画だと思うでしょう。

さて、心の護美箱(24)いっぱいになったので、(25)を作りました。
はじめて、このブログを読まれた方は何のことだか、判りませんね。
とりあえず、グチを書き込めるページなのです。
ここでも、非公開を希望の人は、そう書いてくれればアップしませんし、こちらが判断して「不適切」なものはアップを控えます。
まぁ、グチに限らず、要望や苦情やエールやラブレターでも構いません。この記事に関する感想コメントなら、尚結構!

さて、今回の記事は、ハチュウルイ、についてです。↓。

 

5/ⅩⅠ.(木)2015 亡き母の誕生日
爬虫類に詳しい人から池袋のサンシャイン60で「大爬虫類展」をやると聞いた。
爬虫類の展示即売もするらしい。
それがうっかり家族にバレてしまった。
家族は口々に、
「行っても良いけれど、何も買ってきちゃダメよ」
「誰も世話する人が家にいないんだからね」
「飼っても、可哀想なのは、その爬虫類なんだからね」
「本当に好きならやめてあげて」
「むしろ、爬虫類展には、行かない方が良いんじゃないか」
「見たら絶対、欲しくなるものね」
「欲しくなったら、絶対、買ってきちゃうものね」
「やっぱり、爬虫類展には行かない方が良い!」
と寄ってたかって、多勢に無勢だ。
民主主義に乗っ取って、仕方なく、僕は爬虫類展に行くのをやめた。
代わりに、オオトカゲのフィギュアを買って、診察室に置いた。↓。


受付スタッフは朝に診察室のお掃除をしてくれるのだが、知っていても毎朝ドキリとする、と不評であった。
今回は特別に診察机の上に置いてお披露目。↓。


患者さんからも、「あれ、恐い。隠して」と言われ、それであちこちに移動しているうちに、首のあたりに亀裂が入り、
首の中から下のスポンジ生地がモコモコと出て来て、まるで、憐れなジラースの最後、みたいになってしまった。
ジラースとは、ウルトラマンに出てくる怪獣で、ビジュアルは同じ円谷プロのゴジラに襟巻をした怪獣だ。↓。


おそらく、ジラースはウルトラ怪獣史上、最弱の部類だ。
怪獣博士が、ジラースを作り湖の中で静かに暮らしていたのに、旅行者に発見され、ウルトラマンに怪獣という理由だけで、
何も悪いことをしていないのに退治された。
その時のウルトラマンの極悪非道ぶりは、筆舌に耐えがたく、ジラースをもてあそぶように、からかいながら、たとえば、
ジラースの襟巻を引きちぎり、その襟巻をマントのようにヒラヒラさせて、ジラースは頭から突進することしか出来ない。
ウルトラマンはそれを闘牛士気取りで、サッと身をかわして、おどけて、イジめるのである。
そしてお決まりのスペシゥム光線でやっつけて、ラストは口から血を吹いたジラースの断末魔の表情がクローズアップされ、
ブクブクと湖に沈んで行き、おしまい。
以前、ナースの塚田さんに見せたら、「これはひどい!ジラースが可哀想すぎる!」と怒っていた。
彼女は弱気を助け強気をくじく、正義感が強いからね。
憐れなジラースをマリア様の慈愛の光とともに。↓。


下が、ウルトラマンにやられた、ジラース、のような痛々しさのオオトカゲ。↓。


やはりフィギュアと言えど飼育は難しいのか。
僕は東京都が指定している半透明のビニール袋にお花を添えて、祈りを捧げて、オオトカゲのフィギュアを弔った。↓。


その昔、僕は子供の頃、カメレオン、や、グリーン・イグアナ、なども飼ったことがある。
しかし、当時はヒーターなどの装置もなく、エサもハエを叩いて、半殺しにして与えたりしていた。
これはなかなか難しく、技が必要で、爬虫類たちは動かないと食べないから、気絶だけさせて、全殺し、ではダメで。
その頃の僕は野生児のようで、学校帰りに、トカゲやカエルやイモリやヤマカガシを捕まえてきては、家の庭に放した。
僕の野望はうちの庭で爬虫類と両生類を繁殖させ彼らの楽園を作ることだった。
僕の家の街灯には夜になるとヤモリが群がるのを、理科の教師に自慢したら、「欲しい」と夜に家にやって来た。
<ご自由にどうぞ>、と僕が言うと、教師は「どうやって捕まえるの?」と尋ねた。
僕は、街灯を揺すって、ヤモリの目を回し、ふるい落とし、数匹のヤモリを教師に渡した。
すると、翌日から、学校の狭い廊下で理科教師とかち合うと、向こうが道を空け、「どうぞ」、と言った。
僕は、こんなことで人生の形勢とかが変わるものなんだと実感したものだった。
僕の家族は僕以外は皆、爬虫類(や両生類)が嫌いで、父は池で鯉を飼っていたが、「鯉が食べられてしまう」と怒った。
僕は、<アカハライモリがキンカブトを食べる訳ないじゃないか。バッカじゃなかろうか>とトニー谷みたいに言い放った。
滅多に僕を怒らない母も、目の前で大量のトカゲやカエルを庭に放つ僕の姿をみて、怒っていたな。
僕は、そんな両親をみて、<怒ったって何も変わらないのにな>、と思ったものでした。
その年の川原家の流行語大賞は、「母さん、怒ったって何も変わらないよ」でした。(うそです)。
家族は大変恐怖しましたが、しかし、母の声にびっくりしたのか、ヘビやトカゲはうちの庭からいなくなってしまって、
僕はとてもガッカリした。
あるいは、野鳥に食べられてしまったのかもしれない。女と鳥類は凶暴だな。
おじさんとおばさんの役割とは何か。
唐突だがそんなことを考えてみた。
それは、僕はこう思う。
親が禁止していて、子供が自分の経済力では買えない物をプレゼントする係りだ。
僕のおじさんの住んでいた溝の口の辺りに大きなペットショップがあり、そこにワニが売っていた。
僕は何かの記念日か何でもない日のお祝いに、おじさんにせがんでワニをゲットした。
ワニを池に放とうかとも思ったが、イモリで怒る父だ。ワニを泳がせたら卒倒してしまうかもしれない。
仕方ないから市営プールにワニを連れて行き、一緒に泳いだ。
すると、すぐに係りの者が飛んできて、厳重注意を受け、僕は出禁になった。
なので、僕はそれ以来、夏休みにプールに行くという選択肢が消えた。
だから僕がいまだに泳げないのは、市営プールの警備員のせいだ。
な~んて、そんなことを言ってはいけませんね。
なんでも、他人のせいにするのは、僕の悪い癖で、それは政治や文明や教育や世代のせいだと思う。
両親には僕とワニを厳重に管理する責任があった。
父は庭の隅に、小さなプールを作り、そこで僕らは近所の子供達も呼んで一緒に遊んだ。
子供達はすぐにワニに懐いていた。
ワニの餌は生きたドジョウや、肉を紐で縛り、動かして獲物のようにして食べさせた。
飼育は大変だったが、それなりに面白かった。
しかし、当時は知識も機械も乏しかったから、越冬するのが困難だった。
寒い冬が来ると水温を保てず、ワニは死んでしまった。
ワニが死んだ日のこと。
僕はワニを供養のために、食べる、と言って母を困らせた。
母は、ワニの料理をしたことがない、などと言い訳をして、父は寄生虫がいるからと説得した。
しかし、そんな理性的な理由は僕の衝動にブレーキを掛けるのには不十分だった。
結局、母は鶏のササミか何かを買ってきて、それをワニの形に切り抜いて、フライにした。
その日の晩ご飯のおかずは、「ワニのフライ」だった。
当時は公害の問題で、魚の値段が釣り上がっているという時事ネタを「サザエさん」の4コママンガでやっていて、
サザエとフネが「子供達が魚が好きだから困るわね」と言い、苦肉の策、鶏のササミを魚の形にしてフライにする、
という同じシーンがあった。
その4コマのオチは、カツオがワカメに「大人も苦労してるんだね」とこそりと言い、「協力しよう」と。
カツオが「あっ、魚の骨が刺さった」と口に指を突っ込み骨を取るマネをして、ワカメも「私も」と同じポーズをとり、
サザエとフネが青ざめるというものだった。
僕はそのマンガを見た直後だったから、仕方ない、黙って、「ワニのフライ」を食べた。
淡白で味も素っ気もなかった。
<ワニの肉は言われた通り、本当だ、うまくないね。もう、これからはいいや>
母は安堵の表情を浮かべ、そうして、我が家の食卓に「ワニのフライ」が登場することは、2度となかった。


緊急提言!エロタナ

1/Ⅹ.(木)2020 朝、小雨。中秋の名月なので、受付のスーちゃんに、水晶を月光で浄化指令。スーは恥ずかしそうに夕暮れの大岡山北口商店街でクリスタルを満月にかざす。

芸能人の自殺者が続く世の中なので緊急提言。皆さんは、エロスとタナトスって知ってますか?
簡単に言うと、エロス=「性衝動」とタナトス=「死の本能」です。ベクトルが逆だと思うといいです。なので、タナトス(死)に傾いたら、エロス(性)を増やそう!という企画です。

こないだの、タモリ倶楽部は、あいみょん、と、かまいたちをゲストに迎えて、春画、の特集でした。
あいみょんは、春画のコレクターでもあり、官能小説の回にならって、かまいたち、との共演です。
春画は、放送できませんから、一部、「タモリ倶楽部のマーク」で隠してました。
春画とは現代で言う漫画みたいなもので、性行為をみてる第三者が存在し、その一言が、画面に記されています。
たとえば、夫婦の性行為をみてしまった乳母は、愛液がしたたりおちる、と言いながら興奮しそれの象徴のように画面右で茶釜が沸騰しています。
その解説に、あいみょんは思わず両手を頬にあて体を左右に振ります。
年下の男児を誘惑する女の性行為を覗くのは、女の友人2人で、わたしもあんな子ならしたいは、と言い、画面には初体験の象徴の梅の花弁が舞います。
この解説にも、あいみょんは満面の笑みでご満悦。
そして、あいみょんが選んだグランプリ作品を「お見せできる部分だけ」三角形に切り取って、Tシャツにプリントして、かまいたち山内が着ます。
あいみょんはタモリに「これいい!私、Mステ、これ着て出ます」と大興奮。タモリが適当に流すと、同じセリフを二度言いました。
きっと本当に着て出るのでしょう。その時、タモリがどう対応するかが見物ですね。
ちなみに、あいみょんが選んだ春画は、亡くなった夫の墓石の前で犯される未亡人。犯人は寺の住職です。

下は、10年前のいくつかの記事の編集です。↓。

 

僕が小さい頃、父親は雷おやじだったので~父は大正生まれで戦時中は樺太や満州などで苦学したらしい~いつも怒ってたので、僕は「早く死ねばいいのに」といつもいつも思っていた。
ただ、父が死ぬと生活が困るのは判っていたから、あの世から送金されるシステムができないものかと考えた。
逆に、母が死んだら僕はどうやって生きて行っていいか判らない。だからカルメン・マキの「時には母のない子のように」というヒット曲を聞くとやるせない気持になり、母が死んだら後を追おうと決意した。母が死んだら死ねる場所をいくつかみつける。僕は泳ぎが出来ないので、海や川は候補から外した。死ぬことより溺れることの方が恐ろしいからだ。茅ヶ崎駅から少し離れた所に開かずの踏切があり、そこなら確実だと考えた。何度か下見に行った。
ある日、線路の脇の草むらにエロ本が捨ててあった。中味を見た。オバさんがセーラー服姿で載っていて、吐き気をもよおしたが、掲載されてるマンガがシュールで面白かった。誰かが定期的にエロ本を捨てる場所だったらしく、僕は「エロ本の墓場」と名付け、いつしかそこに本を読みにいくのが愉しみに変わっていた。
エロスがタナトスに勝利したのだ。
後日、茅ヶ崎ライオンズクラブあたりが「有害図書ポスト」みたいなものを設置してエロ本の不法投棄はなくなった。小学校低学年の頃である。そして僕はその頃には、あまり真剣に死について考えなくなっていた。
話は父に戻るが、父は胃癌でリタイアしてから僕に歩み寄った。
僕が普段着ていたつなぎ(ダウンタウン・ブギ・ウギ・バンドが着てたような奴)を自分も着たいと言うから、藤沢の東急ハンズで買ってきてあげ、そろいで着て喫茶店に行ったりした。医者に止められてるはずのタバコも、僕が吸ってる銘柄のsometimeに変え、
「メンソールは茅ヶ崎に合う」と僕のチョイスを絶賛した。
父が死ぬ直前~兄はもう医者になっていて僕は医学生だった~僕は毎日、学校の実習を終えるとお見舞いに通った。
父には「癌だ」と言わない約束だった。母も兄も、内緒にしておくのがよいと判断したのだ。僕は医学校で「尊厳死」なんてものを習ったばかりだったし、大体嘘をついてるのが嫌だったから、ある日、2人きりの時にすべてを教えた。
父も医者だったから判っていたようで、
「達二、告知というのは大事なことだ。何でも告知をすればいいものでもない。
その時、その人によって、告知すべきか、すべきでないかと考えるのも医者の仕事だ。
主治医が告知しない方がいい、と言うのだから、今の話は聞かなかったことにする」
というようなことを言われた。
父が死んだのは、進級を左右する大学の定期考査の直前で、まったくもって迷惑な時期に死んでくれたものだと恨んだものである。

いつの世も、クラスにはアイドル的存在な子がいるもので、AZもその1人だった。
AZは外見は可愛いいが、あまりブリブリ・キャピキャピしてなくて、さっぱりした親切な人だった。性格的には男っぽいのかもしれない。
だから、恋愛の対象として大ブレークすることはなかったが、隠れファンは多かった。
AZ人気がブレークしない別の理由は、もう何年もつき合っている彼氏がいることだ。
AZは自慢するでもなく、かと言って秘密にもしてなかった。
AZが21才の頃。AZの誕生月は11月なのだが、その誕生日の前に彼氏と別れたらしい。この噂は一瞬にしてクラス、学校中に広まった。もうじきAZの誕生日、ここはひとつ「バースデー・テープ」を作りAZに贈り誰のテープが心を射止めるかという恋のレースが始まった。で、このレースの行方がどうなったかというと、AZは僕らのプレゼントをとても喜んでくれ、「ありがとう」と感激してくれた。どのテープが一番良かったかを聞いたら、AZはやんわりと「人に順位はつけられない」みたいなことを言っていた。
そんなAZは1年後の11月、僕の父親のお通夜に試験直前にもかかわらず顔を出してくれた。医学部の生徒は優しい人が多い。友人が気を利かせてAZを引っ張ってきてくれたのだ。
「喪服が色っぽいね」と僕が言ったら、AZはとても優しい笑顔で「無理に明るいふりをしなくていい」みたいなことを言って、
それから何かを思いついたらしく、ファッションショーのモデルみたいにクルっと一回転して喪服姿をサービスしてくれた。


心の護美箱(24)~今田の昔

19/Ⅸ.(土)2020 明日から夏休み。夏休み中はコメントの返信は出来ません(サプライズあり?)。きちんと、目は通しますよ、受け止めます、想像力で補って下さい。それで良ければ…

医学部1年の化学の実習のペアは機械的に出席番号順に組まされた。
僕とマサキの苗字は二人とも「カ行」で、続きだったから、席順は隣同士だった。
マサキの漢字は「マキ」とも読めて、僕はてっきり、ペアを組む子は「マキちゃん」という女の子だと決め付けていた。
「マキちゃんって、どんな子かな。きっと笑顔の良く似合う世話好きな少女に違いない。イヒヒ」って妄想してた。僕は、空虚な大学生活に、学園ラブコメの要素を期待して、「マキちゃん」の到着を待っていた。そこに現れたのが、実習のパートナーで「こんにちは、僕、マサキだよ」と丁寧に挨拶する男だった。
僕の実習のパートナーに対する第一声は、「君、この実験、1人でやってね。俺、やる気なくしたから」だった。
僕は本当にマサキに1人でやらせた。実習はとても長くかかって、マサキは僕に、「頼む、これ洗ってくれないか?」と巨大な球状のビーカーを渡した。
それは、何十万円もする高級なガラス細工の実験道具だったけど、「わざと落として割っちゃえよ。洗わないで済むぜ」って平然と答えた。
後で、聞いた話だと、マサキの僕の第一印象は、「本当に嫌な奴だった」そうです。

 

さて、心の護美箱(23)いっぱいになったので、(24)を作りました。
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とにかくダラケテ何もしてないダメ人間の人にとっては、今回のコロナは何もしない言い訳になって好都合だという喜びの声を聴きます。ダメ人間以外にも、人付き合い・親戚付き合いが嫌いな人には、コロナは格好の口実になると重宝されてますね。光あるところに影がある。逆もまた真、ですね。今回の過去の記事は、そんなダメ人間な皆さんに愛をこめて送ります。9年前の記事だから、まだ第2次安倍内閣発足前ですね。↓。

 

31/Ⅰ.(月)2011
深夜テレビ「お願いランキング」に、今田耕司が出てるのをみた。
ホスト役のブラマヨとやり取りをするトーク形式の番組だが、その中で「何故、今田さんはピン芸人なのですか?」
という質問に、今田は昔ホンコンさんと「Wホルモン」というコンビを組んでいたという。
解散の理由は、当時の今田は全然朝が起きれなくて、いつも寝坊して、
それでもああ見えてホンコンさんはとても優しい人で、ずっと許してくれていて、
それでも今田はずっと寝坊して、ある日、ホンコンさんが「このままでは2人とも駄目になる」と解散したらしい。
今田耕司は当時を降り返って「本当にダメ人間でした」と言っていた。
それは、本人が当時を振り返っても説明できないことだった。
学生の頃、忌野清志郎の売れない頃の日記を読むと、「この人はダメ人間だなぁ~」と思って、とても安心した。
そういえば僕も医者になりたては結構遅刻とかして怒られていた。
何年目かにある先生との出会いで衝撃というか影響を受け、真面目になった…というか、過剰に働くようになった。
それは今でもそのままで、人間は一生のうちで働くトータル時間が定められているのかもしれない。
まだ返済期間みたいだ。
何年か前に、指導医の先生にお会いして近況を報告したら、「へ~、川原君、朝から仕事してるの?」と驚かれた。
人間はいつか何かの拍子にガラっと変わる時期がある。
風向きとか潮の満ち干きに喩えられるようなものだ。
だから、今、駄目な人もそういう時期が来れば自然と変わるから、それまではあまり努力をしないでいいと思う。
…無責任な発言だなぁ。
BGM. ハナ肇とクレージーキャッツ「ホンダラ行進曲」


心の護美箱(23)~ナス

10/Ⅸ.(木)2020 はれ ホリエモン、機内マスク着用拒否事件、にブチギレ!

格安航空会社ピーチ・アビエーションの機内で、搭乗した客の一人がマスク着用を拒否し、さらに周囲の乗客や客室乗務員に対し威嚇行為をしたとして飛行中だった飛行機を新潟空港に臨時着陸させたという事件を、今朝のテレ朝「羽鳥慎一モーニンショー」とTBS「グッとラック!」の両ワイドショーで放送していた。しかし、取り上げ方がちょっと違って、「羽鳥」では、困った客だという直線的な報道で機内にいた別の客の声も「新潟で下ろされる時、バイバイ~、と手を振っていた」という態度の悪さを強調。一方、「グッとラック」では本人の独占インタビューに成功し、元々彼は耳が悪いので「声が大きくなってしまう」という身体的なハンディキャップのことや、意外とまともな彼の言い分、そして別の機内の客の意見も「迷惑だ」ばかりでなく反対意見の「大人しかった」という声も拾っていた。TBSって昔はあまり取材しないで一方的な決め付けをするイメージだったが、今回はかなりバランスが取れている印象だった。10月以降の改編で、ロンブー淳や金曜レギュラー・フワちゃんが合流する準備万端である。

そんな世相の中、僕は週末、呑屋でお土産にもらった野菜をリュックの中に入れっ放しだったことを今朝発見。少し、しなびている。下が、そのナス。ベッドに横たわらせてみた。↓。

さて、心の護美箱(22)もいっぱいになったので、(23)を作りました。
はじめて、このブログを読まれた方は何のことだか、判りませんね。
とりあえず、グチを書き込めるページなのです。
ここでも、非公開を希望の人は、そう書いてくれればアップしませんし、こちらが判断して「不適切」なものはアップを控えます。
まぁ、グチに限らず、要望や苦情やエールやラブレターでも構いません。この記事に関する感想コメントなら、尚結構!

今回は、ナス、にちなんだ過去の記事を編集して再録します。

↓。

 

人間の三大欲求は、食欲・睡眠欲・性欲だと言われ、うつ病では、これらが障害される。
だから、うつ病の評価スケールでは必ずこれらを含めたクエスチョンがされるべきなのだが、何故か、(というより、わかるが)性欲については、聞きにくいし、喋りにくかろう。

ある大学病院で治験をやってる精神科医と話したことがあるのだが、女性に対して性欲の質問はしづらいと言っていた。
だけど、患者が喋りづらいことを聞くのが、こっちの役目だろうが、と思った。

実際、セックスのことで悩んでる人の潜在的な数は多い。悩みは色々。人それぞれ。
でも、食欲や睡眠より、性欲の悩みを抱えてる人が意外と多いと思う。

皆さんに、性欲について話をさせるなら、こっちからそういう話を切り出さないといけないのかな?と思い、今回はそういう回にします。
だから、性的な話が嫌な人は、ここから先は読むのをやめて下さいね~

セックスはタブーである。
たとえば、青少年に見せてはいけない「なんとか指定」は、暴力とセックスの関連だろう。テレビやお茶の間もあきらかな性的描写を排除する。

それで思い出したのだが、僕が小学校低学年の頃、12チャンネルで「ハレンチ学園」の実写を放送していた。
ハレンチ学園は文字通り、ちょっとエッチなシーンの多い、永井豪の原作のマンガで、それをゴールデンタイムに、お色気ムンムンで発信してしまったのだ。

それは大評判になり、子供達は夢中になり、PTAは「俗悪番組だ」と目くじらを立てた。
その余波は僕らにも直撃して、「毎週、木曜、7:30~8:00は、自宅学習しましょう」と学校から命令された。
まぁ、家で宿題をいつやろうがこっちの勝手だから、僕はルールに従わなかったが、結構、その影響力はあって、その時間帯に勉強させられてる家庭のクラスメートはいた。だから学校で「ハレンチ学園」の話をしても盛り上がれなかった。いやらしい、やり方だよな、PTAとか大人って。「ハレンチ学園」の放送時間を自宅学習の時間にしたのである。

そんな「ハレンチ学園」が文部科学大臣賞をとったそうで、永井豪の作品が続々と再版されている。
なんだか、しみじみするなぁ。「ハレンチ学園」が文科省に認められる時代まで生きてしまったのかと…。

当時、糾弾されてる若き、永井豪は、
「自分は性にめざめた頃、父親のエロ本をこっそり見た。しかし、少年の性への興味と、そのギャップは大きかった。だから自分はそれを埋めるべく、ハレンチ学園、を描いている」
というような趣旨の事を、当時、PTAなどに吊るし上げられているテレビ番組や雑誌の対談で懸命に反論していたのを覚えてる。
札幌オリンピックの直前だった。

僕は中学1年の夏休み、中耳炎になりほぼ夏休み中、耳鼻科に通った。そこの医者が良かったとか、そこの看護婦がやさしかった、なんて思い出はまるでなく、何の感謝もない病院だが、(中耳炎は治った)そこの待合室にある「少年マガジン」に連載されていた永井豪の「イヤハヤ南友」が、なんとも、いやらしくて、楽しみで、毎週、喜んで、その耳鼻科に通っていた記憶がある。

オナニーをいつから始めるかは人によると思う。時代とか文化とか学校の友人の影響とか大きいと思うが、ネットがある今だと、また違うのかなと思うが、性的なことに関心を示すのは、やはり本人の目覚めだと思う。

僕が小6の頃、山上たつひこ、の「がきデカ」が人気だった。僕は週末、東京の塾へ電車で通っていたから、その行き帰りに、「少年チャンピオン」を読んでいた。「ブラックジャック」や「ドカベン」や「エコエコアザラク」や「よたろう」もあったが、やっぱり一番人気があったのは「がきデカ」だった。

山上たつひこ、は皆さんどのくらいすごいか知らないかもしれませんが、たとえば「こち亀」の秋本治が連載当初のペンネームは、山止たつひこ(やまどめ たつひこ)だったというくらい、つまり「宝島」を「宝鳥」とか、「乞食王子」を「乞食玉子」みたいに読み間違えるダジャレにするのと同じくらいメジャーな人で、そんな山上たつひこ、の「がきデカ」以前のヒット作は、「喜劇新思想大系」で、それは僕らの世代には古臭い、性の啓蒙書だった。

そのマンガの中で主人公が、オナニーに使う道具が、「コンニャク」だった。
コンニャクを人肌に茹でて、そこに割れ目を入れると、女性器と同じような感触になるというのだ。僕のまわりでそんなことをしたという人に1人もあったことがない。だが、僕は1回だけ試してみたことがある。

コンニャクを手に入れる時は苦労した。
当時はスーパーやコンビニがないから、町の豆腐屋に行って買うのだが、コンニャク1つだけ買うと、「さては、この子、オナニーするつもりだな」と見破られそうで、仕方ない、要りもしない、焼き豆腐と木綿豆腐を一丁づつ余計に買った。
丁度、エロビデオを借りる時、「キタキツネ物語」と「タイタニック」ではさんでレジに出すテクニックと同じだ。

この話を(当時の)受付にしたら、爆笑された。普通に1つ買っても変に思う人はいないって。「じゃ、あなたは、八百屋にナス1本だけ買いに行ける?」と聞いたら、「行けますよ。1本でも、10本でも」と答えるから、「逆に10本なら平気なんだよ。ナス料理を作るみたいだから。ナスを1本だけ買うんだよ」と念を押しても、「全然、平気ですよ」と一蹴された。

僕の失敗は、コンニャクに包丁で綺麗に縦線を入れてしまったから、おチンチンをコンニャクにさすと、ヌルっと飛び出て、まるで、チビ太のおでんのように、ウインナーがコンニャクから突き出てるようなマヌケな絵づらで、僕はそれを鏡に映して、我ながらそのアホらしさに、性欲も萎え、鏡をみながら、コンニャクをさしたまま、フラダンスを踊ったものだ。↓。

BGM. かぐや姫「おもかげ色の空」


遠近法

1/Ⅸ.(火)2020 少し涼しい 9年半ぶり、11月に「涼宮ハルヒ・シリーズ」新刊発売。

ストレスと発症の因果関係をとやかく言われてもそんなものは「一対一」の分りやすいものではなく色んな物が積み重なって、
人には歴史もあるし、それはまるでコップに水が溜まって表面張力ギリギリで保っている所に、最後の一滴でコップの水があふれると、
最後の一滴がすべての原因であるかのように決め付けるかのように、あまり意味のないことだと思う。
しかし、だからと言って、最後の一滴がどうでもいいかというと、無罪放免、とはいかない訳でそこは「労災」とかで問われるべきギロンなのだと思う。
で、安倍総理だ。
僕が毎週みるテレビ番組のひとつに土曜の夕方に東京MXでやってる、田村淳の「訊きたい放題」というのがある。
これはお笑い出身であるロンブーの田村淳が大真面目に正面から政治に切り込んで行く番組で、
元々は都知事選の小池さんの対抗候補に出馬して番組をクビになった、上杉隆と一緒にやってた「週刊リテラシー」の後継番組だ。
しかし、元はと言えば、上杉隆の骨入りだ。かなりヤバイ線まで切り込んで行く。
生放送だがコメンテーターも憲法学者の木村草太とか、ジャーナリストの鈴木哲夫とか、文筆家の古谷経衡とか、歯に衣着せぬ本音トークで毎回核心をつくのだが、
お約束のように、淳が「何故、この番組をヤフーニュースさんはとりあげてくれないのでしょうか?」とか、「我々は言い続けて行きましょう」と視聴率とは関係なく大切な事を発信し続けるという姿勢を貫く地上波番組である。
この番組には、難しいニュースを誰にでも分るようにと、あえてお馬鹿キャラの、鈴木奈々をレギュラーに配置し、
鈴木奈々さんにも分る、という基準を置くことによってバラエティー色を出しているのが、淳の感覚のすごさだ。
鈴木奈々はプロ野球の始球式で何度も投げ直しをしてブーイングを浴びるほど、「計算しない人」である。
その彼女に番組の最後で、今週深堀したテーマについて、「鈴木奈々さんの今日の総括」と題してフリップに書かせて締めくくるのが番組の流れだ。
ここのところは、コロナや特措法や災害など色々と国会で決めないと進まない問題が山積していたが、結局、議論すると「国会を開いて法改正しないといけない」となる。
でも国会はしまっていた。鈴木奈々は「どうしたら国会が開けるんですか?」と素朴な質問をして、「それは安倍さんしか開けない」という回答に行き着く。
鈴木奈々は番組終りのフリップで、「安倍さ~ん、国会開いて~」と呼びかけていた。
少なくとも僕が観測した限り、3週は続けてやってる。
何を言いたいかというと、これが最後の一滴になったのではないか?
表面張力いっぱいいっぱいの安倍さんを辞任に追い込んだのは、鈴木奈々だと思う。

先週の月曜日(8/24)には、東工大キャンパスを爆破するという予告があって、うちのクリニックでも回覧板で「気をつけるように」とお触れがあった。
東工大は3つキャンパスがあり、田町の近くの会社では月曜の出勤を禁止したところもあったらしい。
だから、この前の土曜日(8/22)の診察室では、東工大爆破の話をする人が多かった。
そしてもう一つ、ネットを中心に話題になってたらしいのが、「安倍総理が8/24月曜に辞任会見をする」という噂。
だから、もしこれが同時に起きたら、東工大爆破されても新聞の一面は安倍さんだね、と何人かと話してた。
しかし、蓋をあけてみたら、8/24月曜には、東工大の爆破も安倍さんの辞任会見もなく、「どっちもガセネタかぁ」と思ったものでした。
ところが金曜日(8/28)にお昼に行った中華料理の店のテレビで緊急速報が流れて、安部総理が辞任を発表、と騒いでいた。

週末から今日くらいまでのニュースやワイドショーをみると、「突然の辞任」「永田町も政治記者も誰も気付かなかった」と言っていたが、
おれ知ってたよ。
ニュースはさらに「安倍総理が辞任を決意したのは、8/24月曜です」って、だからそれも知ってたよ。
テレビは「安倍総理は誰にも相談せず、孤独な決断をした月曜日でした」というが、いや孤独じゃないし。みんな共有してたから。
ある政治ジャーナリストは目を真っ赤にして、「私の取材不足でした」と驚きの表情を隠せないでいたが、2ちゃんねるとかみないのかな?
案外政治にどっぷりつかってる人は近すぎてみえないのかもしれないね。僕は政治に関心がなく遠くからみてるからみえたのかもしれないですね。
それで思い出したのが、牛ちゃんです。

牛ちゃんとは、僕が大学5年の時の病棟実習の班で同じだった女子です。
うちの学年の女子はかわい子ちゃんぞろいでしたから、残念ながら、牛ちゃんは「川原かわい子ちゃんランキング・クラスメート編」のトップ10には入らないような子でした。
しかし、病棟実習で1年間一緒に回ってると、可愛く見えて来ちゃうのです。
サザンの桑田がデビューの頃は、竹内まりや、が好きだと公言してたが、結局、原坊と結婚したように、毎日一緒に活動してると情が芽生えてしまうものですね。
牛ちゃんも「川原かわい子ちゃんランキング」のトップに立ったことがあります。
ま、そんなことはどうでもいいのですが、他の班の男女がいつもいつも一緒に図書館で勉強してたり食堂で二人でいるから、
「あの二人は付き合ってる」という噂がクラス中に流れた。

そのカップル(?)の女の方は牛ちゃんの親友だった。
牛ちゃんは僕に「あの二人は付き合ってないわよ。私、直接、つきあってない、って聞いたんだもの」と自慢した。
正直、僕にとっては、その二人が付き合ってようがいまいがどうでもいいことだったが、後日、二人が正式に付き合う事になったという。
牛ちゃんは、女の子の方から、直接、打ち明けられたそうで、ビックリしてた。
その勢いで、「川原、知ってる?あの二人、付き合ってるらしいのよ!」と一大事のように報告されたのだが、えっ、そんなのみんな知ってるよ。クラス中の噂だったじゃん。
今回の「安部さん辞任」に驚いてる政治記者たちの反応をみて、あの時の牛ちゃんはこんな感じだったのかな、と思いました。

下は、病院のレストランで牛ちゃんと。僕が口にくわえているのはブロッコリー。あれ?カリフラワー?

BGM. でんぱ組.inc「おつかれサマー!」