梅雨のあとさき~日刊ムンク⑫

~前回までのあらすじ~

 

中1の頃から川原のそばにいるドールの名前は「ムンク」。

テディベアの第一人者の作家さんにリペアをお願いしたら、川原の「守護」を祈るクマ「抱き熊スーティー」をくれる。名前をラスプーチンにする。

生まれ変わってムンクが帰って来た。

ムンク・川原・ラスプーチンのトリオ名は「SS♡T」。成長して行く「SS♡T」の成長譚「日刊ムンク」の第12弾。

 

お人形作家さんがムンク用に、小さいカールが巻けるコテ、を送ってあげましょうと言ってくれています。ムンクの前髪の脇と頬っぺの辺りに小さめのカールがあるともっと可愛いくなるからです。もしも難しそうなら自分が、髪の毛とお洋服を整えに出張してくれるとも言います。
プロって自分の作った作品って「子供」みたいなのでしようね。「お金もらって終わり」じゃないんですね。お人形の世界観を世に広める使命感のような物がきっとあるのでしょう。
それとも僕があまりにも不器用すぎるから心配なのかな?

 

・日曜日

録画予約した「美の巨人たち~楳図かずお」を観る。

僕は楳図かずお作品では「わたしは真悟」が一番好きです。

夜は、大岡山の焼鳥屋でいっぱい。「渓」という夏らしい島根のお酒。

ムンクからいっぱいいかが?

お通しのお野菜。

抱き身。

ささみ。

ズッキーニ、大変熱いので気をつけて。

鳥皮の二杯酢、少しあえてお召し上がり下さい。

お酒のお代わりとチェイサー。

砂肝。お好みで、七味を。

手羽元。骨から外して。

厚揚げ。

あか。

九条ネギのねぎま。ネギ七味を添えて。

鴨ロース。

うずら。

お酒お代わり。

つくね。

夏限定で中華そばを、塩そばにしてるので、それを。

「こんな夜が、ずっと続くと思ってたんだ。」

 

・月曜日

今日は美容院。ビフォーアフター形式でお届けします。まずはビフォー。

夢洲万博・ミャクミャクカラーも色が落ちました。

ムンクは美容院に来るのは初めてです。

さて、僕はここから色を染めて行きます。

サランラップで巻いて温めます。

色んな色が塗られました。

ムンクとお揃いです。

ちょっと後ろはムンクみたいにカールしてます。

帰りは奥沢のうどん屋に寄りました。まずは、味噌田楽。

炙りアポカド。

アジフライハーフ。

タコの唐揚げハーフ。

〆は、葉わさび明太とろろうどんの冷たいうどん。

 

・火曜日

大谷翔平、663日ぶりの「二刀流」の復活です。野球を知らないムンクもお祝い気分です。

バルコニーに出て、大谷翔平ビッグ・パネルとムンク。

「集合体恐怖症」の人が嫌がりそうな大谷のTシャツと。ムンクは外出が続き大忙しだったから髪がボサボサです。

文化部長のスーちゃんに今週のお手入れをしてもらい綺麗になったでしょ?

綺麗になったムンクを称える大谷翔平たち。

空中写真です。

ムンクは人気者・大谷翔平たちから超人気です。

 

・水曜日

今日はラスプーチンが主役。ラスプーチンは男の子だから、照れるけどヒロインたちとツーショット。擬人化「ゼットンさん」と。

猫娘。

川原の暗黒時代を救ったヒロイン・エスパー魔美。

綾波レイは農婦姿。

推しの子から、重曹ちゃんのお掃除スタイル。

同じく、黒川あかね。

ダンダダンからアイラ。ダンダダンは7月に第二期が始まります。

 

・木曜日

まるで梅雨が明けたみたいに暑い日が続いていますね。

蕎麦屋で、カレー丼にミニカレー南蛮うどんを注文したら、ベテランの店員が「カレーにカレー?」と驚いてました。
長く働いていたらそんな人いるでしょ?と思いましたが言いませんでした。
ドールは「匂い」で食事をします。

ムンクはカレー丼、ラスプーチンはカレー南蛮うどん(小)。

 

・金曜日

猛暑に川原からのプレゼント。「七変化 × SS♡T」です。画用紙に言いそうな「一言」を添えました。
まずは、トランプ大統領から。「イラン攻撃?承認したよ」。

次いで、プーチン大統領。「ぼくにも、ぼくの正義があるよ」。

長澤まさみ「だれにもわたさない。」「映画ドールハウス、みてね」。

ピノキオ「うそなんて、ついたことないよ」。

以前に劇でもやった、シラノ・ド・ベルジュラック。「私の鼻?それは天の贈り物だ」。リンクをクリックすると昔の記事に飛べますよ。

コキンちゃん「コキンちゃん、悪くないもん」。

美少女マスクを被って、地下アイドルに成りすます。「サランラップ越しのキス、1回5000円ね!」。

 

・土曜日

熱中症予防に患者さんからもらったゼリー。今年の6月はみんな具合が悪いですね。まるで「6月病」。今日は休憩がとれなかったから、おかげでこれでしのぐ。

今週の診察も終わり、今週は忙しかったです。仕事が終わって何を食べようかな?何で呑もうかな?そう考えてる時が「一番幸せ」なのかもしれません。幸福を呼ぶために、フグを食べに行くことにしました。
クリニックの近くの自由が丘に「ふぐ屋」があります。

すっかり給仕役に慣れたムンクです。

お酒は獺祭にしました。

お通しは、フグの皮刺し。

泳ぎてっさ、です。ポン酢で食べます。

とらふぐ唐揚げ。

とらふく焼き白子(塩)。

泳ぎてっちり、です。

薬味を用意してくれるムンク。

これがとらふぐ。

お野菜。

実は今日はこれが食べたかったのです。だから「コース」にもしなかったのです。ふぐ飯です。とらふぐの切り身や皮刺しを山芋やとろろ昆布と混ぜます。混ぜるのはお店の人がやってくれます。

お新香を準備するムンク。

これが混ぜ終わったふぐ飯です。ふんわりしてヘルシーです。お酒のあてにもなります。

そろそろ天然の鮎が出て来る頃ですね。天然の鮎はスイカのような香りがします。ドールは「匂い」で食事をするから、食べさせてあげようと思います。

次号につづく。


SS♡Tは、今日も平和です。~日刊ムンク⑪

~前回までのあらすじ~

 

中1の頃から川原のそばにいるドールの名前は「ムンク」。

テディベアの第一人者の作家さんにリペアをお願いしたら、川原の「守護」を祈るクマ「抱き熊スーティー」をくれる。名前をラスプーチンにする。

生まれ変わってムンクが帰って来た。

ムンク・川原・ラスプーチンのトリオの名前は「SS♡T」。「夢洲万博」・地元お披露目・ミスターとのお別れを経験し成長して行く「SS♡T」が織りなす一週間の様子をお届けする「日刊ムンク」の第11弾。

 

・日曜日

早くも今年の紅白のニュース、目玉は「聖子と明菜」ですって。東スポ情報。

アイドルとドールは発音が似てるので聖子ちゃんを研究する気になったムンク。

すぐに飽きました。「物語シリーズ オフ&モンスターシーズン」のBDを紹介。

ラスプーチンは「うる星やつら」と「タッチ」の全巻BOXを紹介。

どちらも僕の部屋(地下室)の本棚です。

 

・月曜日

ミスターの追悼番組を二人に見せる。

引退試合のファンへの挨拶。

「昭和33年~」の有名なマイクパフォーマンス。

今日は雨だから二人を置いて銀座でネイルをして来る。鬱陶しい梅雨を明るく軽く吹き飛ばすように爽やかな紫陽花柄にしました。
紫陽花は母の好きなお花だったし、実家の茅ヶ崎の名物は「大船軒の鯵の押し寿司」だったから、アジサイって「鯵が彩る」みたいで花より団子ですが親子二代で好きなお花です。
下の写真は僕のスマホで撮ったもの。

こちらはネイリストさんの撮影。加工が入ってるから手が綺麗です。こんなに変わるものなのですね?!

でも、もう一度、よく見て。
僕の写真の方が爪の紫陽花が綺麗じやないですか?

ネイリストさんのは紫陽花も加工されて色が薄くなってる。

皆さんは、どっちが好きですか?

 

・火曜日

今日は文化部長のスーちゃんが早番なので、朝からケアをしてもらえるムンク。

まずは衣装を整えてもらいます。

スカートの下も。

こうすると綺麗になりますね。

スカートの裾をギュッと引っ張るとシワが消えますね。

そして髪の毛のケアです。

この帽子の位置を合わせるのが難しいのです。

スーちゃんは、小さい頃からお人形遊びをしてたらしく得意みたいです。

仕事の電話をしながらも気にしてくれてます。「お母さん」みたいですね。

出来上がったから診察室の定位置に。

バランスを考えて置いてくれます。

靴の方向もきちんと正して。

ヤドンのソファは「人をダメにする」ほどフカフカなのでゆらゆらします。

はい、うまく仕上がりました。

少しスカートの裾を直して。

こうしてムンクは皆さんを診察室で待っています。

下はムンクとスーちゃんが用意してくれたアイスコーヒー。

 

・水曜日

「日刊ムンク⑩」のミスターの新聞一面に「何故、東スポがない?」という声がありましたがその答えです。それは東スポは毎日、ミスターの記事を出すからです。今日はそんな東スポの記事をまとめてお送りします。6/4。

6/5。

同日、猪木と長嶋のツーショット(03年12月)。

6/6。

同日。

6/7。

6/10。

水曜日は雨が多いですね。「水」だからかな。今日は雨だけど混んでいてお昼休みが取れなくて珈琲館の「BLT」をテイクアウトしてもらう。

「あ」で始まり「ん」で終わる言葉は?「あ~ん」とムンク。

 

・木曜日

昨晩、帰ろうとしたら緊急事態。ドリームケースのファスナーが閉まらなくなってしまいました。

イヒヒちゃんがうまくレールを走ってくれません。

無理に引っ張ると壊しそうなので、明日の朝、文化部長のスーちゃんにみてもらうことにする。

なので急遽、二人はクリニックに初のお泊り。

寂しいといけないから、ボンドやキメラ長官も一緒のソファに。

一晩たって朝になり、文化部長のスーちゃんに託す。

異常な箇所を発見したスーちゃん。

どうやらファスナーの端っこがズレてたらしいです。

そこを修繕してくれまして。

そうすると、イヒヒちゃんが滑り出しました!

やった~!直りました。

治りました!!

ネイティブアメリカンやケルト人は、先祖の魂は死んでもこの世に留まり「物」に宿り、その人に何か体調の変化とかがありそうだと、わざと「故障」して、「体を気遣えよ」としるしを出すと信じられているそうです。ひよつとしたら、ドリームケースが不具合を出したのは僕の体調を思い計ってくれたのかもしれないです。そこで今朝、目が痒いから眼科に行って目薬をもらって来ました。早速、ラスプーチンに目薬をさしてあげるムンク。

今日のお昼はドトールでテイクアウトして来てもらいました。

ミラノサンドAです。

SS♡Tは、今日も平和です。

 

・金曜日

こんなものが届きました。

箱の中身は何でしょう?

そうです、中野ブロードウェイの「墓場の画廊」で繰り上げ当選になった、ライトグリーン・ブースカです。

受付カウンターには、ブースカ・コーナーがあります。

その中でもライトグリーン・ブースカは目立ちますね。

存在感、大きいですね。

ムンクとライトグリーン・ブースカ。

バンダイの安いブースカ。

イヌクマのジャイアント・ブースカ。

イヌクマのブースカ&チャメゴン。

ラーメンを食べるブースカ達。

ピンク色は、ブースコ。

ムンクとブースカ勢揃い。

「俺もいるぞ~」と滑り込むラスプーチンも一緒に。

 

・土曜日

佳子さまの「日めくりカレンダー」は毎年使えるから便利です。今はプレミアがついて300万円の値段がついてるそうです。

僕が買った時は、980円でした。

しかし、ジョンレノンではないですが男と言うのは嫉妬深いもので、たとえそれがお父さんや弟くんでも好きな人の隣に男がいると嫌です。自分の顔写真を重ねて貼りました。

弟になりすます。

側近になりすます。

似たもの父子になりすます。

アニメ風になりすます。

ここには嫉妬深い女だっています。そんな佳子さまを品定めするムンク。

「まぁまぁ」となだめるラスプーチン。

SS♡Tは、今日も平和です。

次号へつづく。


SS♡T、はじめてのモーニングワーク~日刊ムンク⑩

~前回までのあらすじ~

 

中1の頃から川原のそばにいるドールの名前は「ムンク」。

川原はテディベアの第一人者のお人形作家さんにリペアをお願いし、代わりに「抱き熊スーティー」をもらい名前をラスプーチンにしました。

川原の「守護」を祈ってくれるクマです。

「夢洲万博」を経て、地元凱旋お披露目も済んだムンクちゃんたち「SS♡T」が織りなす一週間の様子をお届けする「日刊ムンク」の第10弾。

 

・日曜日

午前中はBlu-ray「忍物語(中)」と押見修造の新刊「瞬きの音」をみて過ごす。

昼過ぎからクリニックの近くの店で買った焼鳥で一杯やりながら留守録した「博士ちゃん」をみる。焼鳥塩。

やみつき手羽先。

芦田愛菜がサグラダファミリアに行く神回。

サグラダファミリア、は日本人にとっては発音しにくいが、うまく言える方法があって、それは東北訛りでサグラダ⤴︎ファミリア⤵︎と言うとすんなり言えると番組で渡辺直美が言ってました。

 

・月曜日

朝一から胃カメラと大腸ファイバーの検査。麻酔を使うからドリームバッグを担いでいくのは危険なので、ムンクとラスプーチンはお留守番にします。
念のための定期検査なので、心配はいりません。
お見送りするフレンズたち。

検査はやれる限り何の問題もなく無事でした。
と言うのも精神安定剤を射っていたから不安がとれて、いつもなら我慢するのを大袈裟に騒いじゃったのです。逆効果でしたね。検査はもうあと少しの所で中止。可哀想に気の良いドクターは、「私の実力不足です、お代はちょうだい致しません」と代わりに別日にもう一度チャレンジすることになりました。
こうなることを予想してたのか、出掛けにムンクが、どうしてもついて行く、というから実は一緒に来てました。

検査を痛みにこらえてよく頑張ったからと、飲み物とバームクーヘンをくれました。

僕だっているぞ〜と主張するラスプーチン。

 

・火曜日

スーちゃんにムンク用のブラシを買って来てもらった。

髪の毛の手入れをしてもらうムンクは「クイーン」。

綺麗にしてもらって良かったね。

本当は今日は雨だからムンクは家でお留守番のはずだけど、朝のニュースでミスターが死んだという。だから、家には置いておけない。雨の中、ドリームケースを背負って来た。
ミスターと二人。

ミスターと二人。

ミスターと二人。

ミスターと三人。

いよいよ昭和も終わりですね。合掌。

 

・水曜日

コンビニでみた今朝の新聞の一面はみんな「ミスター」だ。

全種類新聞を買った。

SS♡Tで追悼の記念撮影。

SS♡Tで喪に服すなんて初めてだから、どんな顔をしていいのかわからない。

カメラマンは受付の羽田さん。

三大新聞。読売。

朝日。

毎日。

産経新聞。

東京新聞。

安倍元首相が暗殺された時だって「阪神タイガースの記事」を一面にしてたデイリースポーツでさえ。

スポーツ報知。

スポニチ。

サンスポ。

ニッカン。

下は僕が描いた松井とミスターが国民栄誉賞をW受賞した時の絵をみる二人。

 

・木曜日

一夜明けて、今朝も一面はゴジラ松井だ。ニューヨークから緊急帰国した。

なんでも生前にミスターと「二人きり約束」があるそうだ。

新聞をよく読んだがそれが何かは分からなかったが。

という訳で今日はゴジラとムンクの記事にします。

怪獣と少女はよく似合う。無垢と悲哀の邂逅、だったり、世界が少女に冷たくても怪獣だけが守ってくれるとか、怪獣に語りかけることで少女が何かに気付いていく、など2人にだけ通じる「ロマンティック」があるからです。

言葉がなくても通じ合い、「守る/守られる側」が時に転倒し、この世に馴染めない者同士が共鳴する。「少女」も「怪獣」もこの世界の規範から少しズレているもの同士。孤独同士が触れ合う時に生まれるロマン。それは決して、人に見せびらかすようなロマンスではないけれど、触れたら壊れてしまいそうな関係だけれど、愛とも友情とも名づけられない、ただ「わかってくれる存在がいる」ということだけが救いになる、そんなロマンティックを僕は好む。
ムンクとゴジラ。

ムンクと緑色の怪獣。

ムンクとゴジラシリーズに登場する怪獣たち。

 

・金曜日

昨日、NHKで松田聖子の昔の映像をリクエストでお送りする番組をやってた。それに感化されて今日はムンクとアイドル。

昔のアイドルのブリキの看板とのツーショット。まずは松田聖子。

明菜ちゃん。

薬師丸ひろ子。

原田知世。

三田寛子。

ミノルタの宮崎美子。

キャンディーズ。

山口百恵とピンクレディー。

ラストはアイドルじゃないけど、志村けん。志村けんと長嶋茂雄は同じ誕生日。2月20日誕生日は他にもアントニオ猪木がそうです。すごいメンバーですね。

 

・土曜日

今週の仕事も終え、馴染みの寿司屋へ。女将さん気分でムンクが差し出すおしぼり。

いつものお酒。

ホタルイカは今シーズン、ラストみたいです。

僕は読み残した論文などをパラパラと。

数の子をあてに。

「お通し」の平貝のイソベが来ました。

金目鯛の焼きです。

フグの白子ポン酢。

握りは、白味の食べ比べ。

お椀は先に貰おう。噛まなくていいからお酒のあてに良い。

本マグロの赤身。

同じく中トロ。

あわび。

生トリガイ。

さより。

さよりの皮を竹串に巻いて。

かんぱち、かな?わかんない。

これも食べ比べ。

海老も食べ比べ。

こっちが車エビ。

車エビの頭を焼いた部分。

カツオ。

魚編にブルーと書いて、サバ。

イカ。

小肌。

忘れた。

それのエンガワ。

ブランド級のイクラらしい。

最後は、穴子。

後は家に帰って寝るだけ。

という訳で、SS♡Tの一週間はまた来週に続く。


文化部通信~その陸拾陸~

こんにちは、文化部通信66弾。文化部長スーです。
雨が多い季節になってきましたね。関東の梅雨入りも間近です。
そんな雨降りの中、宅配のお兄さんが大きな箱を2つ持って来ました。

先生は記憶にない様子‥。しかも2つ。
開けてみると同じものが2つではなく、2人セットで飾れるフィギュアでした。

すごくクオリティが高くて可愛いです。せっかくなので1人ずつ紹介します。
「葬送のフリーレン」 フリーレン

フェルン

そして2つを合わせると‥

すごく神秘的で躍動感(?)も感じますよね。
おまけでついてきたアクスタも合わせて。

せっかくなので、ウォーターサーバーの上に居てもらってます。お水が美味しくなる魔法をかけてくれているはずです。

受注生産のフィギュアはクオリティが段違いですね。しかし注文してから届くまで結構開くので、今回みたいに記憶のないサプライズになっちゃうことも。

さらに、可愛いぬいぐるみと同時に少し怖い(?)ぬいぐるみも増えました。

ダンダダン より、モモ、星子、アイラ。そしてセルポ星人でした!
可愛い3人組を紹介するようにセルポ星人にしゃべらせてみました(笑)いかがでしょう?

セルポ星人はこんなところにも居ます。

圧がすごいです。

こうして並べて見ると、セルポ星人も可愛くみえて‥く‥るような‥。

さてさて、気を取り直して。

~文化部通信アーカイブス~
掘り起こしのイラストをどうぞ。

6月生まれの10人のイラストです。

 

1「マリリン・モンロー 6/1」

2「バイきんぐ 小峠 6/6」

3「ジョニー・デップ 6/9」

4「ゴジラ松井 6/12」

5「アンネ・フランク 6/12」

6「トランプ大統領 6/14」

7「チェ・ゲバラ 6/14」

8「アウンサンスーチー 6/19」

9「徳川家康 6/1(命日)」

10「織田信長 6/23(誕生日) 6/21(命日)」

先生は当時、ゴム人間にハマっていたんですかね?
ゴム人間にも個性があって面白いですね。

やっぱり先生作の織田信長にキュンとしちゃいました。

よし!今年も気合で梅雨を乗り切るぞ~!

 


ムンクの凱旋お披露目週間~日刊ムンク⑨

~前回までのあらすじ~

 

中1の頃から川原のそばにいるドールの名前は「ムンク」。

川原はテディベアの第一人者のお人形作家さんにリペアをお願いし、代わりに「抱き熊スーティー」をもらい名前をラスプーチンにしました。

川原の「守護」を祈ってくれるクマです。

ムンクが帰って来てトリオ「SS♡T」を結成。前号では「夢洲万博」へ初来日を果たしました。無事、帰国した「SS♡T」が織りなす一週間の様子をお届けする「日刊ムンク」の第9弾。

 

・金曜日

ドリームケースのチャックが開いてしまうことがあります。

こないだ親切な中国人に、背中開いてるよ、と教えてもらいました。こんな風に空きます。

こうしてると大丈夫なことが多いです。

逆に、このように雑に締めて歩いてると開いてしまう傾向に気付きました。

お人形作家さんに聞いたら、イヒヒちゃんに重りが少し入っているからそのせいもありますね。イヒヒちゃんも大切な仲間だから、ポジショニングを大事に気にして行きましょう。

 

・土曜日

今日は混むから朝にお昼ご飯を買っておく。

新発売のミラノサンド。

いつもお世話になってる知り合いが困ってたから、chatGPTで手伝ってあげる。その姿をムンクとラスプーチンも見ていて、大切な人の役に立てるというのは嬉しいものです。

 

・日曜日

エネルギー療法の先生に、ムンクを始めて会わせに行く。

僕の施術をおとなしく待つ二人。

ラスプーチンにはお茶を、ムンクにはお酒を用意してくれる。ムンクは大人扱い?

今日は川原の身体のメインテナンス、仕上げは鰻屋で滋養強壮と来たものです。行きつけの鰻屋にはムンクは初来日です。

酒のあては自家製らっきょ。

板わさ。お酒は二本目。

肝焼き。

焼鳥。

僕はキュウリが嫌いなのでお新香はキュウリ抜き。

鰻重で〆ますが、結構、酔っていてお箸がうまく使えません。

さすが、ムンクは気が利きますね。スプーンを持って来てもらいました。やっぱり男は女にはかないませんね。

 

・月曜日

休みのあいだ、ワックスをかけました。眠っていた床が目を覚まし、鏡のような輝きを取り戻しました。
この日、ムンクとラスプーチンを連れてチェックに行きました。

一歩足を踏み入れた瞬間、
そこに広がっていたのは異界のような透明な光の海。
ムンクは足元のきらめきに目をまんまるくし、
ラスプーチンは息を呑み、しばし言葉を忘れてしまいました。

「……これは、夜の間に床の妖精たちが通った跡かもしれないね」

誰がともなくそうつぶやいたとき、
床の奥の奥から、かすかな笑い声が聴こえたような気がしました。

 

・火曜日

ドリームケースの背負うところの左右のバランスが崩れてることに気づきました。このせいで、チャックが開いちゃうのかも。

そんな時は文化部長のスーちゃんの出番です。

僕は手先が不器用なのでからっきしダメだからです。

上手に調節してくれます。

はい、出来上がりです。

ムンクのヘアスタイルのメインテナンスもスーちゃん任せです。

今度、ムンク専用のブラシを買って来てくれるそうです。

上の帽子も整えます。

はい、仕上がりました。

 

・水曜日

診察室の模様替えをします。見物する二人。

BABYMETALの「イジメ、ダメ、ゼッタイ」を通路のベビメタ・コーナーに移します。

そこの部分が空白になりました。何を持って来ようかな。

黒澤明とゴジラとアグネスラムにしました。昭和レトロでまとめました。

 

・木曜日

今週はムンクの凱旋お披露目週間なので、大岡山のラーメン屋「むらもと」へ行きました。

つけ麵にトッピングをたくさん。

刻みチャーシュー。

メンマ・煮卵・ほうれん草・海苔3枚・チャーシュー2枚。

煮干しの出汁が効いた醤油味のスープで、麺は少し縮れた麺で堅茹です。スープなくなり次第終了。女性には嬉しいミニラーメンもあります。

 

・金曜日

今日は降水確率100%だから二人は僕の部屋でお留守番。最近整理してる本棚と。

永井豪。

水島新司。

ジョージ秋山。

プロレス漫画。

青林堂、1982~1983年の単行本。

川原好きな子ランキング、トト子ちゃん(おそ松さん)・響子さん(めぞん一刻)・エスパー魔美・市井舞菜(おしぶどう)・レゼ(チェンソーマン)。

 

・土曜日

最終土曜日はクリニックの勉強会。ムンクも負けじと「女子校生ドール」を集めて何やら会議をするつもり。

いの一番に現れたのが、からかい上手の高木さん。

制服で駆けて来ました。

次いで、女学館リカちゃん。

うる星やつら、のラムちゃんも制服姿。

けいおん!の唯ちゃんの妹の憂ちゃんです。

最後になりましたが、アニメヒロインランキング不動の一位・タッチの南ちゃんは着替え中。

どんな会議になるのでしょう?

 

「SS♡T」の成長譚は次号につづく。


クリニックに来た少女~日刊ムンク⑦

~前回までのあらすじ~

 

中1の頃から川原のそばにいるドールの名前は「ムンク」。

カツラや髪の毛はとれて帽子や靴も無くなり、服も日に焼けて色褪せてしまいました。川原はテディベアの第一人者のお人形作家さんにリペアをお願いし、代わりに「抱き熊スーティー」をもらい名前をラスプーチンにしました。

川原の「守護」を祈ってくれるクマです。

ムンクが5/11の母の日に帰って来ました。トリオ結成です。ネーミングは「SS♡T」です。そんな「SS♡T」が織りなす一週間の様子をお届けする企画の第7弾。

 

・月曜日

ムンクをドリームケースから出して「定位置」の枕元に。いつもの風景になります。

おはよう。起床時の「SS♡T」。ラスプーチンの寝相の悪さが分かりますね。

 

・火曜日

受付の3人に抱っこしてもらうムンク。
まずは、羽田さん。

続いて、渡辺さん。

そして、スーちゃん。

スーちゃんは「高い高い」も。

唯一、文化部長のスーちゃんのみ、「元のムンク」を知っています。

クリニックのぬいぐみの仲間たちと仲良くなるムンク。
シン・ゴジラの蒲田君。

ラスプーチンも一緒に。

「けいおん」のクタクタ唯ちゃん。

2025年はハンギョドンは40周年イヤーです。

巨大なキティちゃん。

ラスプーチンも一緒に乗ろう。

ピンクフラミンゴ。

ムンクの帽子が横にズレ落ちそうだから、スーちゃんに直してもらっています。

首のフリル紐はゴムタイプなのでそれのひっぱりを利用しながら頭にもクリップでとめると、頭の帽子がズレたりしても、首のフリルゴムタイプの顎位置や長さを一度決めておけば、スッとスタイルはまとまる、のだそうです。

可愛くなっています、大丈夫。

 

・水曜日

おはようございます。今日は、2人とも(正確には3人ですが)寝相が悪いです。寝相悪くても、可愛いから良いです。

心理の3人にも抱っこしてもらうムンク。
まずは、原さん。

次いで、德田さん。

そして、松井さん。

お昼にはお蕎麦屋へ。商店街を歩く。

ムンクがお蕎麦屋に行くのは今日が初めて。

 

・木曜日

川原の歴代の「カノジョ」を全員知ってるムンク。
中1の頃、父が知り合いからアグネスラムの生写真をもらって来た。まさに黒船。

中3の時の山口百恵。「近所のお姉さん」みたいで一番好きなポスターで部屋に貼ってたのも知っています。

高1は石野真子に夢中です。

浪人中は伊藤つかさに励まされて勉強をした。

病院勤めが大変な時は小倉優子に救われて。

クリニック開業当時は、しょこたんの日比谷野音にムンクも一緒に行ったね。

サイリウムを振るムンク。

しょこたんとムンク。

ムンクは僕が中1の時に、1年だけ五反田のマンションに住んでた時にいた子です。しばらくして、「ところでこのフランス人形どうしたの?」って聞いたら誰も「知らない」って。皆気味悪がったからそんな彼女が可哀想だから僕の部屋に引き取りました。それから、高校や浪人や大学や父の死があり、大学を放校させられそうになったり、失恋したり、国家試験に受かったり、医者になったり、引っ越したり、一人暮らししたり、やけ酒飲んだり、友達が遊びに来たり、挫折したり、天狗になったり、ピアノを買ったり、ギターを売ったり、マンガを描いたり、レポート書いたり、風邪で寝込んだり、医者になって頑張ったり、結婚したり、子供が出来たり、僕の喪服姿も何度も見てるし、中野の関連病院に行ったり、開業したり、そして今に至ります。母は僕が44才の時に死にました。僕とムンクの関係は50年だから母を抜きました。どんな家族より長く僕のそばにいます。歴代の「カノジョ」のことだって、皆んな知ってます。

 

・金曜日

いよいよ、明日から「SS♡T」で夢洲万博へ初来日です。「ユンケル」でエネルギー補給をしろ、と、イチローとラスプーチンが言います。

今日からムンクは診察室で陪診です。

可愛いからピンクのソファーが似合いますね。

 

・土曜日

寝起きの二人。

そろそろ行くぞ~。

まるで宇宙旅行にでも行くみたいですね。

今朝は雨だから、しょこたんのピンクの「雨女」というレインコートを着て、ドリームケースをカバーして出かけました。

これでドリームケースも濡れないからバッチリです。

車内で食べるご飯は受付の羽田さんが新横浜の「牛たん・ねぎし」で、牛たん弁当とトンテキを予約しておいてくれたから乗車前にそれを受け取りに行き、車内で食べる。

行きの新幹線は、心理の徳田さんがチケットを取ってくれて、大荷物を置けるスペースも確保出来たので電車の旅は楽でした。ムンクはここでお休み。

電車の中で食べる牛たん弁当とトンテキ単品。

食べ進めると、麦飯にたどり着きます。

 

次回、万博レポートです。


文化部通信~その陸拾伍~

こんにちは、文化部通信65弾。文化部長スーです。
GWの前半が終り、後半のお休みが迫って来ましたがいかがお過ごしですか?
今年のGWは物価高の影響かでホテルの宿泊費が高くなったせいか、車中泊が流行っているみたいですね。
いかに車の中の環境を快適にするかがみそですね!

 

さて、5月5日は「男の子の日」ですね。クリニックに居る「いい男(の子) 2025ver」を紹介していきたいと思います。

大谷翔平 今やクリニックの中で一番目立つ存在ですね。

怪盗キッド

忌野清志郎

尾崎豊

ジャスティン・ビーバー ジャスティンのお面の目の色は想像で”青色”に塗ってしまったんですが、実際は”茶色”でした。でも青色も似合いますね。

渚カヲル

タイガーマスク 漫画ver

タイガーマスク 実写ver

北野武

小沢一敬(スピードワゴン)

高松翔(漂流教室)

前田日明

ザ・ローリング・ストーンズ

男 アラーキーの裸ノ顔

この冊子の中から今回選んだのは‥

松平健 でした!なんとも”男”らしさが溢れるいい写真ですよね。目が釘付けになりました。
そんなマツケンですが、最近はマツケンサンバカフェを開催したりして若い方にも人気ですね。4/29~6/22の間は、なんと東京ジョイポリスで「ビバ!マツケン遊園地inJOYPOLIS」を開催してるらしいです。
何かしらのパワーをもらえそうですよね(笑)

なんだか宣伝みたいになっちゃいましたが、そんな5月の幕開けでした。


文化部通信~その陸拾肆~

こんにちは、文化部通信64弾。文化部長スーです。

クリニックに素敵なものが届きました♪
今年初めにクリニックは19年目を迎え、先生お手製の百恵ちゃんポスターをクリニック入口に貼っています。

このクリニック記念日ポスターを、今年も元受付の鈴木さんが今年も書いて送ってくれました。

いつもながら、色々な色が混ざってすごく素敵な色合いになってます。
そしてもちろん上手い・・!これはぜひ肉眼で見ていただきたいです。
先生の百恵ちゃんと並んで、クリニックに来る方をお出迎えしてくれています。

そんな嬉しいニュースから始まりましたが、最近は少しずつ暖かくなって春を感じますね♪
桜も見ごろを迎えて、今年は何回花見に行けるか楽しみです。

そんな今回は”さくら”がつくものを探してみました。
では、どうぞ。

カードキャプター”さくら”
さくらと言えばコレ!!ですね。

”さくら”学院

「けいおん」 ”桜”高軽音部

「千本”桜”」 初音ミク

「ひとり歩き」 ”桜”田淳子

”さくら”ももこ

「君の膵臓を食べたい」 山内”桜”良

「日常」 ”桜”井泉

「ヱヴァンゲリヲン新劇場版」 鈴原”サクラ”

”桜”庭和志

”さくら”んぼキューピー と ”桜”えびキューピー

”さくら”色のブースカ

「魔法少女まどか☆マギカ」 佐倉(”さくら”)杏子

「エスパー魔美」 ”佐倉”魔美

「BELLRING少女ハート」 朝倉(あ”さくら”)みずほ
2ショットチェキが盛沢山あります。

↓先生の誕生日に描いてくれた直筆イラスト。超レアですね!

「タッチ」 浅倉(あ”さくら”)南

「からかい上手の高木さん」 高木さん(”桜”和装)

おそ松さん ”桜”並木

長嶋茂雄 出身地:千葉県”佐倉”市

クリニックにも”さくら”がたくさんありましたね。
花の”桜”が少ないのはカワクリっぽいですよね(笑)

それにしてもキューピー懐かしくないですか?
「ご当地コスチュームキューピー 完全カタログ700」という本から抜粋したんですが、キューピーってこんなにバリエーションあったんだ!?と読んでて楽しかったです。

さぁ、今年も桜を楽しむぞ~!


ラスプーチンも加入

今日は「ムンク」のその後です。

よくよく考えたらムンクは僕が中学の時に、1年だけ五反田に住んでた時に、マンションにいた子です。しばらくして、「ところでこのフランス人形どうしたの?」って聞いたら、誰も知らない、って。いつのまにか家にいた。皆気味悪がったから僕が引き取った。以来ずっと僕の部屋にいる。もう母が死んで20年くらい経つ。僕とこいつの関係の方が50年くらいだから母を抜いた。誰よりも長い。

残念ながら、ムンクに何か特別な力がある訳ではなくて、ただ、僕の中学受験のための塾通いの頃から中学合格、その後の僕の生活をずっと見てきて知っている。僕がマンガを読んでいる時も、投函しそびれたラブレターを書いていた時も、ホルンの練習をしていた時も、深夜ラジオを聴いていた時も、友達が遊びに来て馬鹿騒ぎしてる事も、親に隠れてウイスキーをこっそり飲んだことも、憬れのアイドルのピンナップも、好きなプロレスラーのポスターも、僕のお気に入りの歌手とレコードも、整髪料で髪型に異常にこだわって鏡の前に立っていた姿も、それから、僕の喪服姿も何度か見て知っている。
僕の歴代の彼女も、一回きりの人も僕の部屋に遊びに来たことのある人は皆会っている。

今は、霊能者から「もはや呪物だから、手離した方が良い。呪物コレクターを紹介します」と言われてしまいましたが、それではムンクが可哀想です。球体関節人形なのですが、関節もイカれて脱臼しているし、髪の毛もとれちゃっています。対症療法でいいから治してあげたいのですが、まずは綺麗なお洋服を着せてあげたくて、Facebookで見つけたお人形作家さんにダイレクトメールしてみたら、色良い返事が来たのでムンクのお洋服の交渉をしました。

お人形作家さんが今週の水曜日、クリニックまで来てくれると言うのでそこでムンクと対面してお話をしてお渡しです。だから家からムンクを連れて来ました。

厳重に袋にしまって。

中を開けますね。

あらあら、髪の毛が取れちゃった。

こうやって乗っけていますが、ボンドか何かで接着した方が良いのかな?それも相談しよう。

帽子もボロボロになっちゃって。

これも上にかぶせるだけです。新調してもらいましょう。

これが現状の「ムンク」です。

この子の名前は長いことなくて「お人形」と呼んでいましたが、僕の夢の中に出て来て「わたしはムンク」と名乗ったから、それで名前はムンクです。

ムンクひとりを預けると寂しがりそうだからいつも一緒に寝てるサンリオの人形もお供させます。

おうちで寝てるムンクたち。

仲良さそうに寝ていますね。

ムンクを預ける時に一緒に旅立たせます。埴輪の発想です。

文化部長のスーちゃんにも抱っこしてもらいました。最初は恐る恐るですね。

でも、しばらくすると慣れて、優しく抱っこしてくれました。

人形作家さんが来てくれてムンクを預けました。そうしたら預けてる間の代わりのお人形をくれました。ムンクの友達にして欲しいと、抱き熊スーティー、というそうです。木毛(もくもう)とお腹は「激落ちくん」というスポンジで出来てるそうです。アンティーク調ですが、全部、新品です。チョコミントのミント色はなんとなくカワクリのロゴの色とも似てますね。赤い蝶ネクタイがポイントです。

お人形作家さんが作ってくれた、抱き熊スーティー、を運ぶ時の布バッグ。だきぐまSOOTY、とはイギリスの番組にいた「耳黒スーティー」から来てるそうです。

「気持ちよく心地よく過ごせるように僕はいつも君のことを守ってみてるよ」っていう子なのです。

名前は勝手につけて良いと言われたので、ラスプーチン、にしました。意味は、反戦を願って、プーチンでラスト、みたいな願いを込めました。

ラスプーチンを連れてお昼に行きます。鍋焼きうどんを分けてあげます。

いつも守ってくれる約束だから、連れて出かけますよ。

 

お人形作家さんは、テディベアの第一人者です。実はムンクを渡した翌日にテレビのロケでお教室にテレビ局が来たそうです。芸人のさまーずの二人が来て、一緒に作家さんがあみだした似ベア絵を描きながらテディベアの雑談をしたそうです。時系列で言うと、この企画は僕がムンクのお願いをした直後に来たものらしく、作家さんは「ムンクちゃん効果」と本気で呼んでくれています。

アートな仕事をする人の思考回路って古代的で素敵ですね。すっかり懐いちゃいました。

ムンクをお預けした3月19日は、偶然、母の命日だったから、とても感慨深かったです。

僕は、ムンクの居場所にラスプーチンを配置して一緒に寝ています。

ムンクの服が仕立てあがるのが楽しみです。


親切な川原達二の育て方~30のエピソード

僕が中学に上がると僕と兄は東京に住み、母がその面倒を見に来ていたから、父は茅ヶ崎でほぼ1人で暮らしていた。
僕が医者になると、兄はアメリカに留学して、もう父は死んでいるから、母は茅ヶ崎で1人暮らしをしていた。
父も母も、1人で暮らしてる時間が長くあった。
1人はさびしかったのかな。僕は1人になったことがないから、わからない。
母は‘1人暮らし’の頃、時々、手紙を寄こしたり、短歌の雑誌を送って来たりした。
それは同人誌みたいなもので、僕もそこに入っていたのだけれど、歌などまるで詠んでいなかったので、母が僕の名で歌を作っては、勝手に投稿していたものだから、その雑誌には、毎号、僕の歌が載っていた。
僕はあまりそれが気に入らなくて、母を怒ったこともある。「著作権の侵害だ!」、みたいに。正確には意味が違うけれど、言わんとしてるニュアンスは判るでしょう?
僕は比較的若くして結婚して、妻がいて、子がいて。
母はどんな気持ちで、僕と妻に手紙を寄こしたのだろう。
封筒の宛名には必ず、僕と妻の両方の名前が書いてあった。
僕は手紙を読んだら、そんな時は茅ヶ崎に帰って、顔を出してあげればよかったのにな。そう遠くもないんだし。母には、もう少し、やさしくしてあげればよかったな、と思う。
でも、もう死んじゃったから、今さら言ってもしょうがないですね。
その代わり、これから関わりのある人には親切にしていこう。罪滅ぼしというのかな、利己的な理由だけれど。
「人の為」と書いて、「偽り」と読むのは、こういうことを言うのかな。
でも、それで誰かが損をするとか、他人に迷惑をかけると言うのではないから、自己満足だって自覚してる分、無自覚な善人よりは無害なんじゃないかな?
つまり、これからは縁のある人には、出来る限り、親切にしようと思った訳です。口先だけ、みたいに聞こえるかもしれないけれど、なるべく、そうしようと努力するつもり。

 

これは、母の遺歌集。↓。

海桐花は、とべら、と読みます。海岸に咲く花ですね。
さて、問題です。この表紙の絵、どこかで見覚えはありませんか?正解は、心理相談室の額縁の絵でした。↓。

中の写真に、自宅前とあるが、これはある先生のお家を訪問した時に玄関先で撮ったもの。それが、自宅前にて、となってるから、さぞかしその先生は驚いたことでしょう。↓。


母の死後、押入れから、僕が子供の時に描いた絵が出てきた。これは近所の養鶏場で描いたもの。診察室に置いてある。↓。


裏を見ると、絵画教室で描いた油絵みたい。↓。


小学校の何年生だったか夏休みの宿題が終わってなくて、一番大変だったのは、「自由研究」。母は何の変哲もない木箱を持って来て、その蓋に、僕に絵を描かせた。僕は、蕎麦屋の前の置物の、タヌキ、の絵を描いた。母は、趣味で、鎌倉彫、をやっていたから、僕のタヌキを上手に彫って、色をつけて、上にニスを塗って完成。これが優秀だと評判になり、神奈川県の賞をとり、どこかに展示された。
「子供らしい視点、自然との調和と、子供らしからぬ技術の確かさ」みたいなことが評価された。
母は、ニワトリの絵はとっておきながら、その鎌倉彫、は捨てていた。僕が作ったものじゃないからかな。親心って、そんなものなのかな?

 

母は2006年3月19日に死にました。僕はろくにお墓参りなどしていません。そのお墓は父が死んだ時に建てたもので、そのお墓には両親の骨が入っています。でも、僕はどうにもそのお墓が好きではなくて、墓参りに行く気にならないのです。そもそも、親が死ぬまで、そこにお寺があることもしらなかった縁もゆかりもない場所です。僕は墓参りどころか、三回忌だとか七回忌だとかの法要にも行っていない。そもそも法要があったかどうかさえも知らされてない。こんなことを皆さんが知ったら、とんだ親不孝者だと思うかもしれないですね。なので母の思い出を過去の記事から抜粋し加筆・訂正して編集して僕なりの供養にしてみました。お暇な時に、読んで下さい。題して、「親切な川原達二の育て方」です。

 

(1)小学校の頃、僕は背が小さくて、ある日、母は小学校に行って、カンカンに怒って帰って来ました。「山椒は小粒で、ピリリと辛い!」と叫んでいました。どうやら「たっちゃんは小さいから」とバカにされたそうで。僕は人間は中味が肝心だから、たとえデブでもチビでもブスでもハゲでも、そんなことは関係ないと思っていたけど母が悔しがってるから、母を馬鹿にした奴の名前を聞き出して、そいつらの息子たちをブッ飛ばした。それで、家に帰って、その報告をしたら、母は嬉しそうに、一件、一件に、お詫びの電話をかけてました。
写真は、母が作ってバザーに出した麒麟のぬいぐるみ。
僕の方が、少し背が高く設計されている。赤いマフラーはサイボーグ009。↓。

(2)もっと小さい頃、大勢で熱海に旅行に行きました。僕は、その温泉旅館に着くなり、ソファベッドみたいなものにダイビングして、打ち所が悪く、額から大流血。すぐ病院に直行、家路につきました。その旅行は秒単位で終了しました。

(3)箱根に旅行に行ったのは、僕が高校生の頃。お正月をゆっくり過ごそうと出かけたんだけれど、そのシーズンは旅館は混んでて、サービスが悪くて、僕は不機嫌になって口もきかない。母は困って、結局、この旅行も一泊もしないで、わずか数十分で帰ってきちゃいました。

(4)大学の入学式、僕は大学生になってまで、親が入学式に来るのは恥しいと思っていたのです。僕が嫌だったのは、周りの新入生たちで、皆、親子で来てて、嬉しそうに記念写真なんか撮っていて。
僕は、こんな奴らと一緒にされたくない、と思って、入学式を途中で脱け出して、母を置き去りにして、1人で帰っちゃいましたね。母は、遅れて家に帰って来て、僕が居間で寝転んでテレビを見ていたら、「良かった。いた」と笑ってました。
あの場面は、怒るとか、「心配したでしょ!」くらいのことを言っても良かったんじゃないかな。でもなぁ、相手が僕だから。あれが正解だったのかも。

(5)そう言えば、兄の結婚式の時も僕は間に合うように家を出たんだけれど、電車の網棚にスーツを置き忘れて、それを取りに行ったりして、遅刻して。結婚式の途中で、バタバタと親族席に僕が遅れて到着すると、母はホットした顔をして、振り向いて笑っていました。

(6)母は薬剤師の資格を持っていて、僕が風邪をひくと、葛根湯(かっこんとう)を少し多めに飲ませた。「ちょっと多い方が、すぐ効く!」と言っていた。喘息は、息をするたびに、ヒューヒューと音がして、夜になったり、運動をするとひどくなった。母は、庭にあるサボテンみたいな(アロエ?)植物を千切って、それを液状化して、僕の胸に塗り込んだ。すると不思議と、ヒューヒューが止まった。(医学的根拠なし)。あれは何だったのか、いまだに判らない。

(7)僕は母の作る「ロースト・ビーフ」が好きでした。でも、あれ厳密には、「ロースト・ビーフ」じゃないですね。高級な肉の塊を、セロリとか薬草と一緒に焼いて、その野菜のダシと肉汁に醤油か何かで味付けしたソースを作って。それをたっぷりかけてヒタヒタにして食べる。僕は今でも、この世の中であれが最高に旨い食べ物だと思っています。
有名店の「ロースト・ビーフ」を色々、食べましたが、どれも劣りますね。
あの味は、もうないのです。母は、息子のお嫁さんたちには、「ロースト・ビーフ」の作り方を教えなかったのです。

(8)鳥皮は「川原3大好物」の1つです。小学校の頃、母の買い物は日本橋の三越か横浜の高島屋で、付き添い役は僕。
横浜の帰りは、ダイヤモンド地下街というところの『鳥ぎん』で釜飯を食べた。
釜飯が炊き上がるまでの間、焼鳥をつまみながら待つのだけれど、僕は偏食なので、鳥皮を30本とか40本とか食べるのです。そして、母の釜飯を少し分けてもらう。鳥皮だけを馬鹿のように食べる小学生を見て、店のおじさんは「この子は、将来、大物になるよ」とあきれ返り、それを真に受けた母は喜んで、「このお店だって繁盛するわよ」とお世辞で返してたのが微笑ましい。ちなみに、今、『鳥ぎん』はない。

(9)穴子も「川原3大好物」の1つです。子供の時、寿司の出前は高級な「寿司政」と決まっていたが、僕は近所の立ち食い寿司屋の「寿司寅」の方が好きだった。子供心に「寿司政」は気取って見えたし、性分としてのアマノジャクと判官贔屓もあった。さらに、親に怒られて家から締め出されると、家のお金をチョロまかして「寿司寅」に寄っていた、常連気分も手伝った。
僕は、穴子の甘いツメが好きで、マグロもエビもタコも全部ツメで食べたが、穴子が断然旨かった。「寿司寅」のおじさんは笑って、「それは、ツメは穴子から作るんだから当たり前だよ」と教えてくれた。それ以降、10年以上、僕は寿司屋では穴子しか食べなくなるのです。
だから、家で寿司の出前をとる時は「寿司政」で大きな桶を頼むのだけれど、僕用に「寿司寅」で穴子だけを注文した。
そんなある日、「寿司政」の出前と「寿司寅」の出前が玄関で出くわしてしまった。桶の大きさが全然ちがう。「寿司寅」のおじさんの決まりが悪い風に見えて、「寿司寅」のおじさんに嫌な思いをさせたのではないか、と僕は気にした。
それに気づいた母は僕に、「達二の1番は『寿司寅』なんだから、堂々としていればいい」と言い、僕は「なるほど」と思った。

(10)川原3大好物の最後は、うぐいす餅。家の近所には母の母が住んでいて、僕は暇な時におばあちゃんちに寄っていた。
相撲をやってるシーズンは相撲中継を、それ以外の時は時代劇の再放送を見ながら、おやつを一緒に食べるのである。たまに、お茶菓子を買ってってやるのだが、年寄りなのでケーキなどは好まず和菓子屋に行く。
そこで季節に応じて、団子やらおはぎやら桜餅やら草餅やら黄身しぐれやらを土産に買う。そんなある日、僕の目を奪ったのが、鮮やかな薄みどり色の和菓子だった。和菓子屋は、その色をうぐいすに喩えたが、僕はイグアナとかカメレオンを想像した。僕は爬虫類や両生類の生き物が大好きで、それは勿論、怪獣や恐竜に似てるからだ。このうぐいす餅の薄みどりは、刺激の少ない老人とのやさしい時間の中で、東宝ゴジラ・シリーズのガバラやゴロザウルスを連想させた。僕はゴジラ・シリーズでも、彼らのような敵役や脇役が好きだった。
下の写真が、ガバラ。子供の時のをまだ持っている。↓。

これが、ゴロザウルス。これは、大人になって復刻版を入手した。↓。

(11)11月5日は、母の誕生日。子供の時、兄弟でお金を出し合い、プレゼントをした。それは、おもちゃの指輪で、多分、数百円の代物で、エメラルドのイミテーションで、キラキラの緑色がカメレオンみたいで魅力的だった。
母は、その日、父に「子供達が、これをくれた」と報告しているのを、僕はコタツでうたた寝しながら聞いていた。
父は、「子供達は、宝石のつもりなんだから、一生、大切にするように」と言うのを、僕は寝たふりをして聞いていた。
実際、母はその通りにして、母が亡くなって遺品を分ける時、宝石箱の中にそれをみつけた。僕は素早く、その指輪を抜き取って持ってる。
この幼児体験は、のちのちの僕の女子との付き合い方の原型となった。要は、「お金より気持ち」である。
僕は大学時代や医者になってからも女子に高価なプレゼントをするのは不誠実だと思った。プレゼントには、オリジナルの彼女を主役にしたマンガを描いたりしてた。
結構、大人になってから、価値観の合う女の子が、「プレゼントに、ブランド物を貰うと嬉しい」と言ったのを聞き、とても驚いた。

(12)ワニが死んだ日のこと。僕はワニを供養のために、食べる、と言って母を困らせた。
母は、ワニの料理をしたことがない、などと言い訳をして、父は寄生虫がいるからと説得した。しかし、そんな理性的な理由は僕の衝動にブレーキを掛けるのには不十分だった。
結局、母は鶏のササミか何かを買ってきて、それをワニの形に切り抜いて、フライにした。その日の晩ご飯のおかずは、「ワニのフライ」だった。
当時は公害の問題で、魚の値段が釣り上がっているという時事ネタを「サザエさん」の4コママンガでやっていて、
サザエとフネが「子供達が魚が好きだから困るわね」と言い、苦肉の策、鶏のササミを魚の形にしてフライにする、
という同じシーンがあった。
その4コマのオチは、カツオがワカメに「大人も苦労してるんだね」とこそりと言い、「協力しよう」と。カツオが「あっ、魚の骨が刺さった」と口に指を突っ込み骨を取るマネをして、ワカメも「私も」と同じポーズをとり、
サザエとフネが青ざめるというものだった。
僕はそのマンガを見た直後だったから、仕方ない、黙って、「ワニのフライ」を食べた。淡白で味も素っ気もなかった。
「ワニの肉は本当だ、うまくないね。もう、これからはいいや」
母は安堵の表情を浮かべ、そうして、我が家の食卓に「ワニのフライ」が登場することは、2度となかった。

(13)僕が医者になり母がまだ生きてる頃、寿司屋に連れて行ってやると、必ず「貝の盛り合わせ」か「サザエの壺焼き」を頼んだ。母が貝が好きだったから。
徳田さんは、「先生は貝が好きですね」というけど、僕が貝を頼むのは「好み」でなく「習慣」なのだ。
徳田さんはおそらく、自分では絶対気付いていないと思うが、「サザエの壺焼き」を食べる時、「おっ、すごい!サザエの中からワカメが出てきました~!」と必ず言う。毎回言う。

(14)河岸といえば、僕も子供の頃、年の瀬になると母親に連れられて買出しに行った。母は、東京の人だから、年末には築地に行ってものすごい量を買い、従業員や近所に配っていた。母からは河岸のルールをいくつか教わった。場内を車が通るのだが、それは車がよけるのではなく、人がよけるのだと。ひかれたら、ひかれた人が悪いらしい。母は、場内に入ると、俄然キビキビしてきて、チャキチャキしてくる。
ある店で買い物をして、店の人がお釣りを渡すのにまごついていたら、「いくらお釣りなの?200円?それなら、ここにあるわよ!」と店の人に200円を渡して帰って来るのだ。僕が、「今のは、おかしいぞ。200円向こうが払うのを、こっちが200円払ったら、400円の損だ」と指摘したら、「達二、ここでは、それでいいの!」と言い切った。
寿司屋の大将に、母から聞いた「河岸のルール」をたずねてみると、「車は今でも、そうです。だから、場内は勝手を知ってる人と行かないと怖いですよ」と真顔で言った。「お釣りの件は?」とたずねると、「う~ん、それはないんじゃないでしょうか~」と笑いながら答えた。

(15)ある日、女子のお母さん達から、母が話を聞いてきた。
「タッちゃんは、やさしくて、班を作る時に、班に入れない子を誘って組んでいる」って。
母は、そのことを聞いてきて、大喜びで、「さすがは、達二だ!清水の次郎長の血をひいている」と真顔で言った。僕は、女子ってそんなところを見てるんだぁ、とちょっとびっくりした。すると母は、そこは女の子を選ぶ時の必須条件で、顔やみてくれは、二の次と言った。
この言葉は案外、その後の僕の女子を見る目に大きく影響を及ぼした。

(16)小4の頃、上級生達も引き連れて、休み時間に野球をやって、ゲームをキリの良い所まで延長したから、皆を授業に大量遅刻させてしまい、そのことで学校から注意を受けた母が、親戚に電話してるのを、こっそり聞いてしまった。電話口に向って、母は、「上級生まで従えて、野球で授業に遅れるなんて、達二は将来、竹見太郎のような大親分になるんじゃないかしら?」
と、相談事のはずが、自慢話に変わっていて、僕はそれを盗み聞きしながら、「このままじゃマズイな」と思ったものです。
ちなみに、竹見太郎、とは、ケンカ太郎、とも呼ばれた、その頃の日本医師会の会長。

(17)僕には、イジメ、というものを受けたことが、ほぼない。もしそれに近いものがあるなら、小学校の高学年の頃だ。
僕は受験のために、日曜日に、茅ヶ崎から東京の学習塾に通ってた時期がある。僕は途中から参加したので、もうグループが出来ているところに入った。
あまりよく覚えてないが何度目かで、まかれる、か何かの嫌がらせを受けた。それが何回か続くとさすがに気分が滅入った。
僕の様子がおかしいことに母が気付き、しつこく聞かれて、ぼんやりと輪郭だけ話したんだと思う。
自分が、イジメられてる、という事実を認めたくないという心も強かったから、ぼやかして喋ったんたと思う。
すると母は、和服に着替えた。これは母の本気モードだ。母はどこかに出かけて行って、しばらくして帰ってきたが普段通りの母に戻っていた。
翌週、僕が塾に行く準備をしていると、母は、「達二、どこに行くの?」と聞いた。
僕が、「塾」と答えると、母は、「あらっ、あそこはもうやめにしたのよ。言わなかったかしら?」とトボけた。
男の子のプライドを大事にしたんだと思う。
僕と母は、その後の人生で、このことについて、1度も話したことがない。
しかし、このおかげで、僕には嫌なことがあったら逃げればいいんだ、という選択肢が出来て、随分とストレスに対する対処作のバリエーションの幅が広がった。
逆に、だからこそ、攻撃的に人生を送れているのだとも思った。

(18)母はバレンタインに毎年、チョコレートをくれた。
皆さん、思春期の男子にとって、その年のバレンタインデーのチョコレートが、「収穫ゼロ」と「母親から貰った1個だけ」、のどっちが嫌だと思います?。ビミョーなラインだと思います。
中2のバレンタインに、母から原宿で買ったという机一面大の板チョコをもらった。こんな物を売る奴も考える奴もおかしいが、買ってきちゃう母も母だ。
翌日、教室で「昨日、チョコ、もらった?」と探り合いの会話があって、僕は「このくらい」と机一面の面積を両手で示した。
すると、クラスメートから、「すげー」と驚嘆された。
ま、僕は嘘もついてないし。
しかし、中学生の男子なんてこんなことでクラスのカーストが決まったりして、おかげで僕はその後の学園生活は随分と楽だった。

(19)中学1年の時の「サングラス事件」。僕は学校にサングラスをかけて行ったら、担任にみつかって、没収&親の呼び出し。
母が茅ヶ崎から目白までやってきた。高級な着物だった。これは母の戦闘モード。担任が、「校則違反で…」と言いかけると、「学校にサングラスをかけて来てはいけない、という校則ありました?」と上品に答える母。担任、絶句。ここまでで、勝負あり。担任は、気を取り直し、「しかし、達二君は、サングラスをかけないと目が変性して三つ目になる奇病だ、という嘘を…」に、母は、「先生、それは嘘ではなく、ユーモアですよ(笑)達二は昔から、トンチが効いて」と、むしろ自慢気。
大人のやりとりをみてるこっちが冷や冷やする。
母は、問題のサングラスを手にとって、「先生もかけてごらんになったら?」と無理矢理、担任にグラサンをかけさせ、「あら、あまりお似合いになりませんね。似合ってたら、差し上げようかと思ったのですが、達二の方が似合いますね。じゃ、これは家でかけさせます。先生、サングラス、持って帰りますね~ごきげんよう~」と、つむじ風のように帰って行った。職員室に取り残されたのは、僕と担任だ。
担任は、真顔で、「オレ、お前の母ちゃん、苦手。川原よ、もう学校に余計な物を持って来てくれるなよ。これは指導じゃない、お願いだ」と言った。

(20)母校の卒業生が、元・担任に在校生の家庭教師のバイトを依頼したそうな。
担任はその話を僕に振って来た。僕は少しムカついた。
それは成績が悪いから、家庭教師をつけろ、と呼び出されたからではない。OBのバイトの斡旋を、安易に俺に回して来るという安直な物件探しにで、<俺も舐められたモンだぜ>と思った。
結局、担任と母が相談して、そいつがうちに来ることになった。
当時、プロレス界はアントニオ猪木が異種格闘技路線を引いていた。僕は猪木から目が離せなくて、毎日、学校帰りに、駅の売店で東京スポーツを買って帰っていた。その家庭教師は、東スポを見つけると、「その新聞、やらしい記事あるだろ」と下品に笑った。僕はエッチな紙面を見開きで渡し、「ちょっと、僕、水を飲んで来ますので、それまでそれでも読んでて下さい」と丁寧に言うと、そいつは、「おぅ!」なんて調子をこきやがって。
僕は水など飲まず、急いで母の所に行き、「先生がお呼びですよ。お急ぎみたい!」と母をせかした。
母は大慌てで部屋に入ると、堂々とスポーツ新聞のエッチ欄をニヤニヤして見てる男の姿に出くわして。
そいつの楽しみは、家庭教師の帰りに、駅前のパチンコ屋に寄ることだった。一度、家庭教師が終った後、こっそり尾行したら、そいつは嬉しそうにパチンコ玉を両手ですくって席に向かっていた。
僕は家に帰ってから、少し深刻そうな顔をして、「言おうかどうか迷ってるんだ」と母に言った。当然、母は聞き出そうとする。「あの先生、毎回、ここの後に楽しみに寄ってるお店があるのを見ちゃったんだ」と僕は答える。
母はまだ冷静で、やさしく「どんなお店なの?」と尋ねる。「中学生は入っちゃいけない店なんだ」。
母の顔はにわかに曇り、「なんて店なの?」。「うる覚えなんだけど、確か、看板に、チンコ、って文字が書いてあったよ」。
すると母は激怒して、勝手にハレンチな勘違いをして、担任にも文句を言って、そいつをクビにした。
パ・チンコなのにね(笑)

(21)僕が中3の頃、異常なスペースインベーダ―のブームが来た。ゲームセンターだけではなく、喫茶店のテーブルもみんなゲーム機だった。東中野の駅前のパチンコ屋の2階もゲームセンターになった。僕はそこでスペースインベーダーをやっていたら、後ろから不良に椅子を蹴られ「順番変われ」と脅された。僕はそんなに喧嘩が強い訳でもないし、相手の学校の縄張りだから席をどいた。家まではすぐ。でも帰り道に段々腹が立ってきて、「これはおかしい!」と思い、家まで走って帰り、何か武器を探した。あまり役に立つものはなく、かと言って包丁を持っていくのも違うから、丁度、お風呂の湯船の栓をするのが、黒いまん丸い球状のものでそれが鎖のようなものにつながってるから、それを引きちぎり、ゲームセンターに逆戻りをしようとした。その時、家には母がいて、「どうしたの?」的なことを聞かれたと思うが、僕は頭に血が上ってたから、何も言わずに家を出た。ゲームセンターにつくと不良の二人組がゲームをやっていた。僕はそいつらのところに行き、風呂の栓をブラブラさせて相手を威嚇して、「席を返せ」とすごんだ。不良たちは「なんだよ!」と声を荒げてこっちをみたが、俺の形相におじけづいたのか、あっさりと退散した。僕はいささか拍子抜けだが、ゲーム機が空いたからそこに座ってスペースインベーダーを再開する。何か店の隅に異変を感じたから振り向いたら、母がこっちを見守っていた。不良たちがビビって去ったのは、僕の武器にではなく、背後で睨みつける母にだった。

(22)カワクリは、2023年6月から法人化して、医療法人綾枝会、になりました。
綾枝会の綾は、母の名前からとりました。
母はここのクリニックをみることなく死んでしまいましたが、あの母のことだからどこかから見ていることでしょう。

(23)僕は、元々は開業する気はまるでなかった。勤務医の方が気楽だし、臨床の仕事は好きだが院長ともなると管理的な業務や経営的なことを考えなくちゃいけないから、そういうのは不向きだと自分が一番知っていた。
それでは、何故、開業する気になったかというと、うちの母親は古い人間で、
「医者になったのなら、他人に使われてるようでは駄目。独立開業して一人前!」という自分の価値観を押し付けてくるタイプだった。
僕は、平気の平左(へいきのへいざ、と読む。‘平気’という意味)で、その時にやりたいことをやれる病院を渡り鳥みたいに、気ままに見つけて、渡り歩いて生きていた。
晩年の母は末期癌でどんどん年老いていき、僕は親孝行なもので、仕事が終わるとほぼ毎日、茅ヶ崎の実家まで見舞いに寄って帰った。
そこで、血迷ったんだろうな、母が生きてるうちに開業して一人前の姿を見せてやろう、と決心したのだ。僕は開業すると言っても、ほとんど思いつきもいい所で、何のビジョンも、具体的な案も、現実的な資金もなかった。
開業支援の会社があってそこが物件探しから、コンピューター・システムの導入も、看板や広告も、従業員の応募も、役所への届出も、必要な書類の整備も、ご近所への挨拶も、開院披露パーティーの提案も、取引する業社も、普段使う電話機も金庫もタイムレコーダーもロッカーも、開業支援の会社がやってくれた。スムーズに事が運んだ。一つだけ誤算があったとすれば、開院披露パーティーを待たずに母親が死んだこと。僕が開業すると知って安心して、死期を早まらせたのかもしれないな。

(24)僕は親のことをよく知らない。父親は大正10年の生まれで親から離れて北海道やら満州に移り住んでいたらしいが、理由は知らず、それに比べれば母親のことはよく知ってると思ったのだが、大正14年生まれで東京に育って、実家が薬局のようなものをやっていたということくらいの知識しかなかった。
母の葬式で色々な親戚に会い、開業する時は、ご案内状みたいなものを送った。
すると親戚から、驚嘆と絶賛のお電話を頂いた。内容は総じて、「タッちゃん、よくぞ大岡山にしてくれた」というものだった。
なんと!母親の実家の薬局は大岡山にあったらしいのだ。
それまで母と大岡山の関係をまったく知らなかったから、ビックリした。
こういうのを縁って言うのだろう。大切にしようと思った。

(25)川原家は、兄の進路の話し合いがされていた。応接間に両親と兄が入って、僕はのけ者です。それでも、しばらくは、テレビをみたり、一人でおとなしくしてたはずです。でも、我慢しきれなくなったのです。子供だし、寒い日だったから。僕は何度か応接間の戸をノックしましたが、話は終わらない。よほど、大事な話し合いらしく、僕はずっと放っぽかされてました。
そして、いよいよ、どうにも我慢できず、親の気をひくため体温計で熱を測りました。平熱でした。そこで僕は「もう少し熱を上げなきゃ」と思い、ガスコンロで水銀計をあぶったのです。目盛を見ましたが、よく数字が見えませんでした。でも触ると熱いから、「これで良いだろう」とそれを持って、応接間の戸をノックしました。まだ話の途中のようでしたが、母が体温計を受け取りました。母は、体温計を見て、仰天した顔をしました。
どうやら、直接炎に点けたから、目盛を振り切っていたのです。母はそれを父に見せました。すると、父はその体温計を見て、両親は一瞬顔を見合わせ、父が母に言いました。
「達二の看病をしてあげなさい」
母は僕の方に来て、何をしてくれたのかは具体的には覚えていませんが、「良い体験」として記憶しています。
僕は仮病が親にバレタのは、すぐ判りました。仮病だと判りながら、よくしてもらえると何かが、ストンと心に落ちたのです。
僕はそれ以降、親を振り向かせるために仮病を使う事は、あまりしなかったと思います。

(26)さくら学院の舞台「秋桜(しゅうおう)学園合唱部」を観た時、映画「野のユリ」を思い出しました。
「野のユリ」は母が好きな映画で、子供の頃、何度も何度もテレビの洋画劇場で放映されていました。
その都度、母は、「野のユリ」は良い映画ねぇ、と感嘆していました。

(27)こないだファミレスで1人で本を読んでいたら、隣のテーブルに家族連れがいて。僕の真向かいに座った男の子はやっと言葉を喋りだしたくらい。その子は「飲み物」が欲しくて、母親に「あぁ!あぁ!」と指差すんだけれど、母親は「口で言えるでしょ?」と言う。多分、ちょっと前までは、その子はそうやって「あぁ!あぁ!」って言えば、欲しい物が目の前に出てたのだろう。だけど、言葉を覚えたら、口で言わないと、取ってもらえない。
その子と目と目が合った。僕は、「お前、意地でも喋るな!」と気合いをこめて合図を送った。しかし、その子は僕のエールを無視して、「じゅーちゅ」と言いやがった。その子の両親は、拍手して、「良く言えまちた~」なんて言って、飲み物を取ってやり、頭なんか撫でていて。僕は本を閉じて、店を出た。
親子でも、言葉が無ければ伝わらないのか、言わなければ判らないのか、と思うと、僕はブルーな気分になってしまった。こんなエピソードは毎日、ザラにあって、僕はそんな時、母のことを思い出したりしますよ。

(28)小学校低学年の頃。母が死んだら僕はどうやって生きて行っていいか判らない。だからカルメン・マキの「時には母のない子のように」というヒット曲を聞くとやるせない気持になり、母が死んだら後を追おうと決意して、母が死んだ後に、死ねる場所をいくつかみつける。僕は泳ぎが出来ないので、海や川は候補から外した。死ぬことより溺れることの方が恐ろしいからだ。
茅ヶ崎駅から少し離れた所に開かずの踏切があり、そこなら確実だと考えた。何度か下見に行った。
ある日、線路の脇の草むらにエロ本が捨ててあった。中味を見た。オバさんがセーラー服姿で載っていて、吐き気をもよおしたが、掲載されてるマンガがシュールで面白かった。誰かが定期的にエロ本を捨てる場所だったらしく、僕は「エロ本の墓場」と名付け、いつしかそこに本を読みにいくのが愉しみに変わっていた。エロスがタナトスに勝利したのだ。
後日、「有害図書ポスト」みたいなものが設置されエロ本の不法投棄はなくなった。そしてその頃には、僕はあまり自殺について真剣に考えなくなってしまった。

(29)思春期反抗期だった頃にみてた子が今はお母さんになる時代。彼女は、自分があれだけ嫌ってた母親みたいになったらどうしよう?、とか子供が思春期になって自分のような反抗期を迎えたらどうしよう?と今から心配している。だから僕は、もしも、この子が思春期になって手を焼いたらうちに連れてくれば、「お前のお母さんがどんな青春時代を過ごして、どんな気持ちでお前を産んで、どんなに大変な思いをしてお前を育てたか」を俺が言って聞かしてやるからと伝えたら、「それはとても心強い」と笑う。これがこれからの僕のライフワークの一つになる。患者は言う「だから、先生、本当に長生きして下さいね」。

(30)「蛙に似た女でも蛙のお袋とはかぎらない」、ペーパームーン。
下の写真のTシャツは、ケロヨン。となりの婦人は、「木馬座」のもぎりのおばさん。うそ。母。↓

永六輔の言葉に、人間は2度死ぬ、と言うのがあります。1度は肉体の死で、2度目は忘却の死。つまり、忘れられてしまうこと。
だから、時々、その人の話をしてあげることが大切で、そうしていれば記憶の中では生き続けるのです。なので母の命日にこんな記事を書いてみました。それが、実家や墓参りに行かない僕の供養のやり方です。