21/Ⅺ.(水)2024 雨 きのうの午後休んだせいで今日は混む。
もう今年は大々的に談志の追善興行はやらないらしい。という訳で、ここでは談志の供養の記事に。まずは昔の記事の抜粋から。
①6/Ⅲ.(日)2011
新百合ヶ丘で、立川流一門会。
新百合で談志をみるのは、2度目だ。1度目は、談志に癌がみつかった直後の落語会で、ワイドショーのレポーターがいっぱい取材に押し寄せて来てた。その日の談志の演目は、「居残り佐平次」だった。
「居残り佐平次」を、ある落語評論家は「落語の品位を落としている」作品だというが、談志は、これこそが落語の料簡だ、という。
佐平次は、人生成り行きと決めつけ、金もないのに何人も引き連れ女郎屋でさんざん飲み食いし、夜中のうちに連れを帰し、自分が居残りをする。居残った後もまるで反省の色はなくいい加減の限りを尽くすが、これが全部うまく行く。
川島雄三という人気の映画監督が、フランキー堺・主演で「幕末太陽傳」という映画にしている。「幕末太陽傳」でも、落語の原作でも、佐平次は肺病を患っている、設定になっている。しかし談志は、佐平次を肺病にしなければいけない理由が判らない、と、談志の落語では、佐平次が肺病だという描写はない。
ところが、談志は癌になった。癌を患った談志が、「佐平次」を演じる。命をかけて悲壮なまでに「いい加減」を演じる談志。まるで、ジグソーパズルの最後のピースがおさまったみたいで、談志は、この日のために佐平次を病気にしないでとっておいたのではないかとさえ勘繰りたくなった。その日に立ち会えたのは、僕にとっては今では勲章のように思っている。
②23/ⅩⅠ.(水)2011 勤労感謝の日 寒い、少し雨
夕方、寝ていたら息子に「談志が死んだ」と起こされた。
寝ぼけて、「ダンス・ハ・スンダ?」とミカ・バンドの歌かと思い聞き返すと、「立川談志が死んだんだよ」と大声で言われた。そりゃ、大変だ、とあわててTVをつけると、4チャンが特集みたいにしてやっていたから、それを観ていた。談志は「笑点」の初代司会だから、4は力を入れたのかな?ゲストが始めは「きくぞう」だったが、後半に円蔵(昔の円鏡)が加わったのは良い人選だと思う。円鏡は何度も、「洒落じゃないの?なさけないなぁ。生きてなきゃ。洒落じゃないの?」と画面越しにもガッカリしてみえた。
談志と円鏡と言えば、「談志・円鏡の歌謡合戦」という番組が伝説だ。
談志の言うイリュージョンの世界だ。今はCDで聴ける。↓。
談志はおととい亡くなったらしい。
息子が、夜の9時から「ニコニコ生放送」が独占で遺族による記者会見をするという情報をゲットしたので、8時半くらいから2人で、パソコンの前に椅子を並べ、中継を待った。すると、8時51分に、「ご遺族の意向により、中継中止となりました」というテロップが流れた。
ここに一冊の手帳がある。これは、1999年8月10日から2000年11月30日までの、談志の「ひとり会」や「独演会」に行った時に用いたものだ。↓。
爆笑問題の太田光が何かで談志と落語について語っていたことがある。
落語には‘まくら’と言って本題の前にウォーミングアップみたいな小話が入る。
そこで談志は漫談のようなことを長々と言うのだが、そのジョークの数々がウイットに富み、毒を含み、社会に切り込み、そして爆笑をさらう。
それは自分たちの漫才よりもすごいものを見せつけ、その立川談志が談志よりも落語はすごいのだと言って見せ付けられる「落語」にはかなわない、という様な趣旨のことを言っていた。
僕はこの手帳に、その‘まくら’のジョークを走り書きでメモした。
その日の着物の様子も後で思い出せるようにスケッチした。↓。
国立演芸場の「ひとり会」は毎月欠かさず通ったし、その他の「独演会」もほぼ追っかけた。99年8月10日の「ひとり会」の前座は、アンジャッシュと底ぬけエアラインが出演。NHKの「オンエアバトル」の審査員を談志がして、目をかけた彼らを「ひとり会」の舞台にあげたのである。12月9日の「ひとり会」の前座は志の輔がつとめ、談志は「もったいない前座。今度は、小さんを使おう」と自分の師匠である小さんの名前をあげたりしていた。2000年になると、談志の体調は悪くなり、落語が出来ず、テリー伊藤や毒蝮や山藤章二が舞台にあがりトークをしたりした。ファンは、それで十分だった。ただ、そこに座って、お茶を飲んだり、居眠りしてるのを見てるだけで十分だった。しかし、談志自身が一番それを嫌った。ファンに満足行く落語を見せれない葛藤を吐露していた。
1月11日の「ひとり会」は前座の後、談志が出るかと思いきや、何と突然、円楽(笑点の司会をしてた、もう死んだ人の方)が登場して「蒟蒻問答」を一席演じた。
談志は、普段から「笑点は俺が作ったんだ。あいつらは、俺のおかげで食えてるんだ」みたいなことを言い、円楽のこともバカにしたりしてたのに、談志のピンチに円楽が駆けつけるとは思わなかった。
皆、ビックリして、そして歓迎した。円楽が舞台を下りると、談志が登場し、
「風邪で今、ボーっとしてんだよ。それで、俺よりもボーっとしてる奴、前に出しゃいいと思ってね」と憎まれ口を叩いて、友情への感謝の表現としていた。
そして毒蝮や山藤章二や西丸震哉も壇上に上がり、座談会をしようということになり、円楽も呼ぼう、ということになったら、楽屋から「円楽師匠、お帰りになっちゃいました」という声。
ヒーローは颯爽と登場し、ピンチを救うと、姿を消す、みたいな感じだった。
だけど、円楽の方が、先に死んだんだよな。
久しぶりに、「ひとり会」のビデオでも観てみるかな。↓。
二期のサインには、「遺言がわりに…」と書いてある。
2000年正月だから、上記の円楽が助っ人に来た頃だ。↓。
せっかくだから、メモ帳に書かれてる中味を少し紹介しましょう。
・野球好きの2人。先に死んだ方が、天国にも野球があるか知らせようと約束。
1人が死んで、約束通り(幽霊になって)やってくる。
「良い知らせと悪い知らせがある。良い知らせは、天国にも野球がある」。
生きてる方は喜び、<で、悪いのは?>、「来週の火曜、お前が先発だ」。
・「あなた!変なことすると妹を呼ぶわよ!」。
<じゃ、俺も弟を呼ぼうか?>。
・酒は人間を駄目にするのではなく、酒は人間が駄目だということをわからせるためのもので、呑んで後悔するためにあるもの。
・「人生は真面目に生きなさい」って言うけど、「そうはいかないよね。いいんだよ、ちゃんとしなくって」というのが落語だった。それが、近頃、みんな、ちゃんとしなくなって、落語家が「ちゃんとしよう」と言わなくちゃいけなくなった。これを「末世」という。
・「芸人ってのは、どんなにつらくても客にサービスをして」って言うでしょう?
オレ、そういうのないから。
嫌でしょ?オレがそんなことしても。お互い、嫌な思いしても。
・(横山ノックが訴えられた時)芸能界では、女の人が来たら、お尻触ってやるのが礼儀ですよ。触り方に、センスがいるんですよ。
・オレん所に来る客は一筋縄でも二筋縄でもいかない連中。良く言えば、マニアック。社会から認められてない連中。傷を舐め合ってるんだ。
・(国立演芸場での「ひとり会」は今日でおしまい。毎回「ひとり会」の券を買うのが大変だったという話から)。「もう走らなくっていいから。ごめんね、苦労かけてるって知らなかった。でも、知ってると、心配したり、変に優越感にひたったりするから。また、どこかでやる。引退なんて言ってないし、できない」。
2000年3月9日。
・酔っ払って、最後にチンポコ出して踊ってるんだ。一緒に連れてった、(ビート)たけしも出すよ。小朝は出さないんだ。ここに差がある。下品ね、って言われりゃ、それまでだけど。円楽は出さないね。志ん朝は出すかな。勘九郎は出すね。意外に、染五郎は出すと思うよ。鶴瓶は出すね。
ざこばは、言う前に出すよ。こういうところに差が出るんだよ。
ここからは、カワクリでみれる談志関連のものの紹介です。
まずは化粧室を出た正面にある談志コーナー。談志の訃報を伝える新聞紙の一面は「談志が死んだ」。
これはチケット。
談志の「志」が週刊誌の「誌」にミスプリされてる珍しいチケット。
診察室の本棚から。
談志がアメリカに落語を布教させようとデーブ・スペクターに監修させて作った英語字幕のビデオ。
診察室の本棚2。
談志のCD「アメリカ」。
「談志の遺言」という新刊が販売された時に、娘の弓子さんがいたのでサインを頼むと、それは謙虚に、「私でいいの?」と聞いて、「人生成り行き、立川談志byゆみこ」と書いてくれました。クリニックにも1冊買って来たので、見てみて下さい。
談志とたけしと太田の対談本。談志の言う「落語とは人間の業の肯定」とか「イリュージョン」とか「江戸の風が吹く」などの意味がわかります。クリニックにも置いておきますが、自分で買ってもいいかも。
サイン色紙。診察室から。
待合室から。
以上こんなもので、今日はおしまい。