カワクリ心理インビテーション②~invitation! To心理検査フィードバックコース~

 こんにちは。とくだです。
お久しぶりです。相談室だよりも更新できぬままでしたが、
invitation!という形で、またやってきました。
さて、川原先生と大平さんが心理検査について書いてくださっていた記事(3部作-③もう一人の自分に出会うための心理テストのすすめ)、さらに原さんからも検査についての紹介がありました。
いろんな種類の検査があることがお分かりいただけたと思います。
 原さんの記事にもありましたが、結果については自分の感覚と一致すること、だけじゃなくて、しっくりこない部分も大切だと思います。
また、鵜飼さんが言っていた「自分のことは自分でわからない/結果は自己評価になってしまう」こと、
この疑問への一つの答えとして、質問紙では確かに自己評価になりますが、その用途として、
川原先生は質問紙の結果を薬物療法の効果の判定や、診断書作成の一つの指標として臨床的に用いています。
統計的な処理で『誰かとの比較(標準化されたT得点)』で判定し、
用途としては、『継時的にみたかつての自分との比較』をして用いているのです。
 
 カワクリでは、以前から心理検査のフィードバックは、大切な時間としてきました。
結果についてあまり知らされなかった、精神科臨床の現場でそういう声が多くある中で、
川原先生は、きちんと伝えることの大切さを、それこそ開院当初から私たち心理士にもいつも伝えてくださっていました。
たとえば、血液検査でもそうですが、結果の数値などは、専門的でよくわからないものです。
心理検査も、専門用語や数値化したそのスコアだけ見てもよくわからない、そういうところが多々あります。
ただ、たとえそうだったとしても、それも含めて説明し、受けた人が自分で結果を知るということ、そのための時間を設ける、
ということをしてきました。
日本人は数値化(可視化)が好きなので、これはある程度好評でしたが、ある日、川原先生がショックを受ける事件がありました。
 それは、SCTやP-Fスタディなど、記述式のテストを、数値化したりして、統計的にフィードバックしたところ、
その患者さんは、「先生、私のSCTやP-Fスタディの中身、よく見てくれました?あの感想を聞かせてくださいよ」だったそうです。
つまり、人間の心とは、振り子のようなもので、「本人の言ったまま」をそのままにしておくと、不満足になるので「数値化」する。
しかし、「数値化」が進みすぎると「本人の言ったまま」に触れて欲しくなるという、ごくごく自然な二元論です。
ということになると、果たして、「数値化」してそれを伝える、それだけでいいのだろうか?ということが、今回この企画の発端でした。
そこで、先生と、私たち心理で、その両方を満たす方法を模索し始めたのです。
川原先生と、そういった心理検査の話、結果の返し方についての話をしていて、思い出したことがありました。
 私も、特に学生時代、いろいろな心理検査を体験しました。
心理の学生は自分でもやってみたり、実習もしたりするんですが、その頃に印象深かったことがありました。
確かあれは授業で、描画テストと、その他諸々やった時のこと。
描いてみた絵について、詳しく知りたい人は授業の後で個別に対応してくれるという話だったので、
興味があった私は、授業後に先生のところを訪ねてみました。
そこで言われたことは、なんとなく、私の想像とは違うものでした。その先生は、解釈を伝えてくれたんです。
でもその解釈は、私にとってはすっと入るものではなかった。
それは今思うと、そういう見方もできるな、その通りだなとは思うんですが、多分、そこではなかったんですね。
授業だし、遊び心もあって、描いてみたんです、ってところを、結構しっとり真面目に解釈されてしまった、その温度差、でしょう。
ただ、その『温度差』(不一致だった)というなんともいえない感覚だからこそ、今も覚えているんでしょう。
そういう意味では、温度差、不一致の部分は、必要かもしれない。考えるきっかけにはなりうるかも。
いや、不一致の部分ていうのは、多かれ少なかれ、必ずあるものなんじゃないかな、うーん、それにしても温度差は結構大きかったけど(苦笑)。
 その後、そのことはすっかり忘れて時間は経っていき、今、その例でいえば、私はその先生と似たような立場、解釈する側にいるんですよね。
当時の先生が、その立場で言った意味は当時よりもよく分かる、正しい、こともわかる。
心理検査を習得していく中では、まずそれを使えるようになるために、正しい部分を知る必要があるし、それを目指してきました。
 ただ、今思う『難しい』点は、正しい、ということだけでは相手の理解につながらないことも多いんじゃないかな…
心理検査の結果をただ伝えるだけでなくて、その結果についての対話って大事なんじゃないか。
それが、冒頭にも言っていた、果たして結果を伝えるだけでいいのな?という、川原先生の問題提起と一致した部分、私が共感した部分でした。
この『難しい』と感じていることを意識して、以前の自分の体験談が私の中で意味を持ったのも、先生との話で再認識したわけで。
ぼんやりと違和感があった部分を意識できると、問題として扱えますね。
やはり、私たちは、こういう言葉でのやりとりを通して、漠然とした体験に、少しずつ意味を持たせられることで、
新たな自分の理解につなげられるんじゃないだろうか、そう思うのです。
気づくことで、問題として焦点が当たり、それについて対応が考えられる、
私たちは、その気づきをお手伝いしたいと思っています。 
③へつづく


カワクリ心理インビテーション③~親ガイダンス

こんにちは、臨床心理士のやつだです。
原さん、徳田さんからは心理検査についての新しい取り組みでしたが、今回「親ガイダンス」についてお伝えします。
「親ガイダンス」とは、子どもとの関わりあいを振り返り、親としての自信を回復することを目指しています。
親も一人の人間なので、すべてをパーフェクトに行うことは難しく、エネルギーを溜めることが必要なことがあります。
川原クリニックでは、2つのパターンを考えています。
一つは、子どもが当院に通院しており、親として本人への対応等相談したい場合です。
もう一つは、子どもがクリニックには来られないが、親が本人のことで相談にのってほしい場合です。
具体的に言えば、人の目が気になり外にでることが難しく、不登校や家にひきこもっていることが当てはまります。
子ども本人が相談に来ないと診ることができないとよく聞きますが、親がまず相談してみることが問題解決の一歩となります。
多くの場合、子どもが受診を嫌がっても、親が子どものことで相談に行くことを拒否することは少なく、
「行きたければ行けばよい」といった態度が多く見られます。
そして、具体的に子どもへの対応や、どういった関わりをすればよいのかを話し合うことで、親の態度が変化してくると、
本人がクリニックや治療に興味を示すことが起こります。
一言でいえば、「なぜあの親が変ったんだろう?」といった不思議な感じが生まれるようです。
そこから、子どもが受診やカウンセリングにつながることがあります。
イメージとしては、家族の中にささやかではあるが、風が吹き、何らかの変化をもたらすといった感じでしょうか。
このことを、少し専門的に言えば、家族を一つのまとまりとして捉えて、どこを治療の「入り口(port)」とするのかということになります。
親ガイダンスを最初の「入り口」として、治療が家族全体に広がっていくことを考えています。
子育てが失敗だと自分を責めたり、苦しんでいるご家族が多くいらっしゃるのではないでしょうか。
それは何らか、親が子育ての責任をとろうとする現れだと思います。
川原クリニック心理部門の親ガイダンスが、親と子どもを支える「器」になれるよう、一緒に考えていければと思います。


人間失敗作

国会が、もり・かけ、や、稲田防衛大臣の問題で騒然としてる中、北朝鮮、ミサイル撃ってきますね~
防衛大臣不在(誰かが兼務)なのに、危機感を感じないのは、平和ボケなのか厭世的なのか。
「デデデデ」の5巻に、国がヤバイとアイドルのスキャンダルをリークして国民の関心をそらす場面が出てきますが、
元・SPEEDの今井議員の略奪不倫はけしからん(東スポの一面は、「ノーパン疑惑」)と、
ワイドショーは本来の下世話感に水を得た魚のようで、そりゃPKOより不倫でしょ。
そんなマスコミがくだらない、とお怒りの方も多いが、民主主義とはそんなもので、
我々が選んだ代表がそんなレベルなのは我々がその程度ということなのでしょう。
不倫は文化だ、と石田純一が言ってもう、20年くらい経つでしょうか。
文化と文明は違う、といいます。
文化が「精神」を、文明は「物質・経済」を意味することが多いでしょう。
地球の温暖化とか環境の汚染の多くの原因は、人類の文明のせいだと思う。
「原発」はその代表か。
人間がいなければ、地球はもっと良い星になるはずで、人間なんてクズだ。
こんな風に思う人は、どの世代にも少数だが必ずいる。
小学校の3-4年くらいで考える子が多いか。
そのくらいの年齢だと、皆がそう思っていると思っていて、まさか自分だけだった、などとは夢にも思わない。
だから、他の人がそうでないと知った時、愕然とするのだ。
親や身近な大人に言っても、判ってもらえるケースは稀だ。悲しがられたりさえする。
だから、それ以来、自分の心の奥にそういう考えをしまって生きて行こうと決めるのだが、
中2くらいになると、またぞろムクムクとそんな悪い虫たちが騒ぎ出します。
アインシュタインは、「私は少数派が好きだ。何故なら、いつもそっちの方が正しいからである」みたいなことを言ってる。
僕もそう思う。
だから、今回の記事では人間の愚かさや、文明批判をやってみたいのだ。
そこで白羽の矢を立てたのが、受付のソネさんです。
彼女の採用面接の時、
<もし、イジメがあって、その子は嫌いじゃないが、イジメないと自分もハブられるとしたらどうします?>
という質問に、彼女はしばらく考えて、「私は、しません」。
<それでいいです。でも、世の中、時には長い物に巻かれないと損をしますよ?>
という返しにも、しばらく考えて、「それでも、しません」。
<いいでしょう。ただ、それでは社会人として困りませんか?>
それに対しても、「その通りだと思います。でも、しません」。
芯が強いですね、鉛筆でいうと、2Bくらい。合格!
という訳で、ソネさんには、手塚治虫の「火の鳥」(未来編)のラストで、火の鳥がつぶやいたセリフを送ります。
「人間はどんどん文明を進歩させ結局は自分で自分の首をしめる。
でも、今度こそ、今度こそ信じたい。今度の人類こそが間違いに気付いて生命を正しく使ってくれるだろう」と。
ソネさんに「火の鳥」(もしくは、手塚治虫)が世代的に通じるの?と疑問の声も聞こえてきそうだが、
彼女は、「知ってることは何でも知ってて、知らないことは何も知らない」人で、お正月の記事にも書いたけど、
「火の鳥」は知っていました。
でも何がすごいって、僕も大概ですが、そんな僕をもってして、そう言わしめる所です。人死にが出るレベルです。うそです。
ソネさんはその外見から可愛らしい庇護したくなる対象に見えますが、決して、ホワイト・ラビットではありません。
彼女は常にレーゾン・デートルに疑問を持ち、哲学的で、文明批判的な、(サブ)カルチャーなグループの住人です。
内省的な人です。
そんなソネさんは、よく日本語が難しいと嘆きます。
最近、ネットなどでは、「過去形かよ!!」と最も嫌われてる話言葉に「よろしかったでしょうか?」というのがあります。
ソネさんも使いますが、僕は全然いいと思います。
エレベーターガールの「上へ参ります」が「過度な敬語だ!!」と目くじらをたてる人も減りました。
そのうち、「よろしかったでしょうか?」かも普通になるでしょう。
日本語は、「主語がない」とか「文法の問題」で他の言語より難しいと言われています。
しかし、俳句のように「繋がっていれば文章になる」とも言えます。
要は、伝わればいいのです。
伝えたいのは理屈ではなく、想いなのです。
それでは、ソネさん、この時代の中で、大人をあきらめてる小3-4、or中2(精神年齢の人も含む)に、
話が通じる相手がここにいるんだよと発信して下さい。
「こんな大人がいたら良かったな」と当時の自分が思えるような語り口で。
どうぞ、愚劣な人間どもに鉄槌を下してやって下さい。多くの少数派のみんなのために。退行せよ、少女の心へ。
 
 
 
 
こんにちはソネです。
よく考えたんですが、私は正直自分の考えをネットで発信するのは人に分析されたり、誤解を生んでしまう事もあるので、
とても苦手です。
ブログ自体あまり書かないのは、文章では読み取れないニュアンスとかありますし、苦手なので余り書きません。
日本語は遣い方が難しいです。丁寧に丁寧を重ねても失礼とか。敬語が過去だと失礼とか。
一文字加わっただけで敬語として間違ってるとか。難しい。ややこしい。もう、何が何だかよく判らない。
かといって英語が出来るわけでもなく、拙い日本語を駆使するしかないですね。
退行ということで、さらっと中二っぽく書きたいとおもいます(願望)
願望です。かけるか判りません。
考えを言語化すると自分の伝えたい事と言葉の間にのズレが生じてしまい腑に落ちなくなります。
と前に言い訳しておくと書きやすくなりますね。
人間は人間のためと言って自然を壊し、いくつもの命を軽々と奪ってきて今も奪い続けています。
命は大切だと教えられているのに人間ではない命は軽々と奪っている。
矛盾に苛まれる日々を送る事になるでしょう。
道徳に矛盾を感じた人は考えに考え、人類滅亡に思考が至ったり。
人類滅亡願望に至った人に是非見て欲しいショートアニメがあります。
イギリスのアーティストでSteve Cuttsさんが作ったMANと言う作品です。
これは人類の誕生から何をしてきたか。をアニメ化したものです。
5分程度のもので、見やすいです。
自分と似たように考える人は少なからず存在し、日本だけでなく世界中にいるんだと思えますよ。
そして素晴らしいくらいの表現力。
人のいない世界は素晴らしいって考えてもそれがどのように素晴らしいのか言葉にして説明するのは難しいですよね。
このショートアニメの結末は宇宙人がやってきて…
ですが実際はどうなるんでしょう。地球。
人視点でのすばらしいせかいは人の存在しない世界だとしても地球にとっては生物が齎す一種の変化かも知れないですけどね。
考えることはとっても大事な事だと思うんです。
でも答えが出ないことを考えることはすごく疲れちゃうんですよね。
数学で喩えるなら円周率をひたすら計算し続けるような感じです。
人間失敗作の私が言うのもなんですが、考えすぎるのは良くないです。
生きるのにも体力がいるし、考えるのにも体力がいるんです。
同等の体力が必要なんですよね。
自論です。人それぞれです。
でも、考えに考えて消えたくなっちゃったら。
考える事を辞める勇気。
考えが止まらなくなってどうしようもないときは寝ましょう。
睡眠です。
クビキリサイクルの友ちゃんも言ってました。
睡眠、それは神が人間に与えた唯一の救いである、みたいな。
って。↓この子が友ちゃんこと玖渚友(くなぎさとも)です。

結局言いたいことがまとまってないです。
つまり、程よく考えたいなと。自分自身、身をもって感じます。
クビキリサイクルというのは、先生も大好きな物語シリーズの作者、西尾維新さんのデビュー作です。
西尾さんと言えば物語シリーズですがこの本は戯言シリーズ(ざれごとシリーズ)と呼ばれています。
下記はクビキリサイクルの最初の方に記されている台詞です。
これはクビキリサイクルの中で1番私が心に残った台詞です。
無能だったらそれはそっちの方がいいんだ。とんでもなく鈍感だったなら。
生きている理由をそもそも考えないほどに、生きている意味をそもそも考えないほどに、
生きている価値をそもそも考えないほどに鈍感だったなら、この世は楽園でしかない。

↑は主人公です。
戯言(ざれごと)シリーズは自分も10年くらい前に読んでいて内容が曖昧なので再度読み直してます。
OVAになってるらしいです。先生が教えて下さいました。
ミステリーなので苦手な人は気をつけて下さい。
戯言(ざれごと)だけどね。
BGM.ステレオポニー「ツキアカリのミチシルベ」


花弁の夢をみながら目を覚ます

こんにちは、また受付の大平です。
8月に入り、16日間連続の雨は観測史上40年振りだそうです。
日照不足、皆さん、お洗濯物に苦労しますね。
部屋干しですか?浴室乾燥ですか?
私は、石油王に新しい服をおねだりして買ってもらっちゃいますという妄想を
川原先生と受付で話していたところです。
最近新たに仲間入りしたTシャツを着たモガちゃん。
モガちゃんは先日、でんぱ組を電撃的に脱退したため、川原先生が急遽、でんぱ組コーナーを作ったのです。
なんと、このニュースは芸能界に疎い私の耳にも届きました。
ですがそのTシャツ、しわしわ過ぎて何のTシャツなのか飾ってもよく分からず
「湿気のせいか、シワシワになるのなんとかならない?」と川原先生に言われ
こちらのスプレーとクリップでしわのばしをしました↓↓

しわのばしちゅうのモガちゃんTシャツ↓

周りのポスターを張り替えてでんぱ組コーナー、完成型。↓

ちなみに、モガちゃんが着ているTシャツ何のデザインなのかわかりますか?
これは濡れ透けTシャツです。
スクール水着の上に白いTシャツを着て濡れたところがプリントされたTシャツなのです。
Tシャツといえば、カラ松もお馴染み。カラ松の顔のハンガーに、カラ松の代名詞のタンクトップ。別売りを合わせました。↓

診察室に場所をかえて、中原中也、のTシャツも仲間入り↓

中原中也って有名らしいですね。私は聞いたこともない人だったのですが、
ある患者さんが「≪汚れちまった悲しみに≫ですよね。教科書に載っていて、
弟がみていたアニメにも出てきたから覚えてました」と私に教えてくれたのでその後すぐ調べました。
川原先生は、スプレーが気に入ったらしく、診察室の大森靖子ちゃんのTシャツにもスペシゥム光線のポーズで噴射。


靖子ちゃん&ねもしゅうー、サイドにも。乗りに乗っています。コラム作成のストレス発散になって良かったです。


以前の名刺の裏は、先生のリクエストで美化された
キラキラ川原先生がなぞなぞに登場するところが見所です。
この絵は私が描こうと思ったのですが.…私が描くとあまりに幸が薄そうで不健康そうな先生になってしまい
いくらなんでも先生に失礼だと思い、我が妹に描いてもらいました。

今回のリクエストは、植木等。

1964年の東京オリンピックの頃だそうです。
私はまだ生まれていませんが、妹に植木等の映画をみてもらい描いてもらいました。
それが新作バージョンです。

この絵、ポーズはデジタル、先生はこんなに体幹強くないので。
背景デザインは、けいおん。
もっと生き生きした顔で妹は描きたかったみたいですが
私が持っている川原先生の写真がこんな感じのものしかなくて・・・。
コメントくれた人に名刺をプレゼント?かもしれません。
BGM.Red Velvet 「Huff n Puff」


真夏の出来事

こんにちは。また、受付・大平です。
川原先生が8月はコラムを書くから忙しくてブログを書けないかもと前の記事で書いていましたね。
だから今日は、8月の模様替えをお知らせします。
喫煙室前の天井がキュゥべえだらけになりました。
今まではキュゥべえだけだったのですが↓↓これです。

このMADOGATARi コラボクッションが仲間入り↓↓

忍ちゃんキュゥべえ↓↓

よつぎちゃんキュゥべえ↓↓

阿良々木くんキュゥべえ↓↓

それをこんな感じに並べました↓↓


全部並べるとあまりに可愛くて個人的に大満足。
これをぶら下げてからここを通るたびに、上を向いてしまうんですよ。
そして先生がもう一つ「秘密兵器」と言って持ってきたのがこちらの忍ちゃん↓↓

受付が忍ちゃんだらけですね。
あと、前は処置室前に貼ってあったベルハーの写真がカウンセリングルーム扉横の壁に。
川原先生は「死んだ子の年を数えるようだ」と言っていましたが・・・
それがこれ↓↓

マンガの新刊も追加されましたよ。
私の少年3巻↓↓

川原先生の好きななぎちゃんが出てくるかんなぎの12巻↓↓

私がこの表紙の笑ったなぎちゃんかわいいと言ったら、
鵜飼さんは「食べてるなぎちゃんが好き」とつぶやいておりました。
その鵜飼さんの作ったなぞなぞも新作に↓↓

私は今回のなぞなぞもほぼ解けなかったです。
ぜひ挑戦してみてくださいね。
近々、鵜飼さん、(曽根さん?)、心理のブログがアップされる予定です。
ちなみに今回の心理ブログのタイトル案を先生から教えてもらったのですが、
心理フェア、心理カーニバル、心理フェスティバル、心理コンペ、心理インビテーション。
私はインビテーションが気に入ったのですが、最終的に何になるかはブログがアップされるまでのお楽しみです。
8月のブログ盛りだくさんですので気が向いたらブログチェックをしてみてくださいね。
BGM.f(x)「Hot Summer」


ダンスハスンダ

川原先生からツイッターのように〈なう〉なブログを更新せよと指示をうけました。
こんにちは。受付の大平です。
本日、カワクリがカオスになると言われている大岡山北口商店街の盆踊りです。
朝から道路にはテープが貼られ↓↓

去年はこの上でお兄さんが太鼓をたたいてましたね~それもカワクリ前に↓↓

今年のカワクリ提灯は去年よりちょっとずれたところに↓↓

川原先生は診察なうで盆踊りには参加できないので、
午前中に診察室で踊ってくれた様子をお見せします
(先生の盆踊りが激しくてぶれている写真がありますがご了承下さい)↓↓







盆踊りは、今日と明日。
診察予約はなくても、もし時間があるなら大岡山北口商店街へ踊りに来てはいかがですか?
BGM. 好きな盆踊りの曲


ちょっと待ってて

3/Ⅷ.(木)2017 くもり、割と涼しい
今朝見た光景から。
交通安全とは、世界中の信号機がみんな「赤」になる瞬間、というくだりが、
「化物語」の副音声にありましたね。↓。

ここのところよく見るのは、この木から落ちてる実。↓。

「万有引力とは、引き合う孤独の力だ」と、寺山修司が言ってました。
この実とアスファルトの地面は愛し合っていたのかしら?アップします。↓。

これを思い切ってキックしてみました。コロコロ転がりますが、シャッタースピードが追いつきません。↓。

ここに止まりました。↓。

さらに続けようとしたら、木の上でカラスが見てたからやめました。
しばらく歩いていると、今度は、赤い実、を見つけました。↓。

これも蹴ってやろうと助走をしたら、別のカラスが別の木からこちらを偵察しています。
ハローバイバイの「都市伝説」で聞いたのですが、カラスは伝達し合って人間を見張っているといいます。
しつこい奴らだ。江戸所払いにしてやる。都民ファーストの会、に任せるか。
そんなことより重要なのは、8月は僕は依頼された「コラム」に専念しますが、自分で縛りを1つ付けました。
それは専門用語を使わないことです。
患者には判らない医療言葉を揶揄して、ジャルゴン、と言います。
ジャルゴンは、それ以外でも、ある集団特有の普通には理解出来ない用語のことをさします。
語源は、うがい、で喉をガラガラいわすgargle、だそうです。
鵜飼じゃないよ、うがい、だよ。
しかし、ジャルゴンを用いずに専門誌の原稿を書くのは、案外と大変です。出だしからして難しい。
それで思い出したのだが、現役で共通一次を受ける時、あまりに科目数が多すぎて、何から手をつけていいか判らず、
何もしないでいたら、何もやることがない、という錯覚に陥って、何もしないで、読書をしました。
普段は読んでもすぐ飽きてしまうのに、勉強しなくちゃいけない時にする現実逃避的読書はスイスイ進みます。
家にはクルクル回る椅子があり、僕は共通一次の前日なのに、椅子に座って、クルクルしながら、本を読んでると、
父が、「達二、何をしてる?」と声を掛けました。
それは「勉強しろ」とか「関係ない本など読んでる時じゃない」とか「真面目にやれ」みたいな意味ではなく、
重要な試験前日に居間でクルクルクルクルしながら本を読んでる息子への心配。
重い言葉だ、「達二、何をしてる?」。岸から、「戻って来~い」、と呼びかける父親の心の声だ。
そんなことと重ね合わせてしまう、8月のスタートダッシュだ。
このままだと、5/18問題、の時と同じように締め切り間際で徹夜になるかも。それはさけなきゃ。
それでは皆さん、しばしの別れじゃ。ちょっと待ってて。
BGM. Sam and Dave「Hold on I’m coming」


貼り紙いろいろ

1/Ⅷ.(火)2017 雨
ブログにも書いたし、実物を見た方もいて、心配されてるので、後日談。↓。

結局、当人がその日に名乗り出て平身低頭、「外で呑んでクリニックで捨てた」とのこと。
その日は、とても暑い日で、「太陽が眩しかったから」だって。カミュ「異邦人」か!
今回は、貼り紙特集です。今日は雨なので、足元が滑るから、受付が作った貼り紙があります。↓。

石川町のパトロールは、高齢者。大丈夫か?。↓。

そう思ってたら、防災訓練は、若手が中心。↓。でも、これ明らかに「高齢者」の上に貼ってありますね。

自由が丘の、トンカツ屋さんの店の前。「ネ」が可愛い。↓。

何かを注意する時、その理由をどこまで教えるかが問題になることがあります。
ボヤかしておいた方が良い場合もあります。模倣犯とか出るとイケナイからね。
たとえば、新宿三丁目の貼り紙。↓。

これ見て、「ここで小便する人いるんだ」とマネされたら困りますね。
だから、中野ブロードウェイ3階のトイレの貼り紙は、こんな感じ。↓。

でも、これだと、何があったんだろう?って気になりますね。
そう思って、2階のトイレをみたら、正解がありました!
おばちゃんの筆圧がすごいですね。おばちゃんとは限りませんが、おばちゃんっぽいパワーを感じる。↓。

昨日、中野に行ったら、ブロードウェイのトイレは綺麗になっていて、残念ですが、今はこの貼り紙はみれません。
さて、今日から8月です。
僕は専門誌から、コラムを依頼されていて、その締め切りが、8月中なので、しばらくそちらに集中します。
だから、ブログは、受付や心理に、8月は頑張ってもらいます。
V9の頃の巨人のなぞなぞ。「ジャイアンツがピンチになるのは、何月でしょう?」。
答えは、8月。8月は英語で、オーガスト。王がスト。国鉄がストとかしてる時代だから、なぞなぞになったのでしょうね。
BGM. 堀江美都子+ザ・モンジュ「アクビ娘」
追記、近くの駄菓子屋さんでみつけました。ろうせき、って何でしたっけ?。↓。


しょこたん30才のバースデー・ライブ~プロローグ

4~5/Ⅴ.(水~木)2015 はれ
中川翔子超☆貪欲生誕際「30だぉ!全員集合!」はTDRのイクスピアリのそばにある舞浜アンフィシアターで
2days2公演づつ、計4公演、多彩なゲストを交えて、合計約8000名のファンを動員して行われました。
4公演はすべてお祝いにかけつけるメンバーが異なり、いとうのいぢ、も来てて、初めて実物見たが、可愛かった。
4公演を続けて観ると、ステージが成熟して行く様子がみえて面白かったです。↓。

 
 

振り返ってみれば、去年は熱愛発覚でやけ酒して、しょこたん生誕ライブ行かなかったんですよね。
あの娘とスキャンダル参照。
5/5のゲストの小林幸子は、アニメの主題歌のため、しょこたんとユニットを組みました。↓。

 
 

小林幸子は、コミケ用の、さちさちにしてあげる。しょこたんと一緒に、風と一緒に、を歌う。
これは、しょこたんが初めて映画をみて号泣した映画・ポケモン「ミュウツーの逆襲」の主題歌で、小林幸子の持ち歌。
今さら僕が言うほどのことでもないが、小林幸子は、アイドルやアニソン歌手と一緒の舞台で歌を聴くと、やっぱり抜群に歌がうまい!
他が有象無象に思える。金魚の中に一匹、鯉が泳いでるみたいな。それも、 金兜(きんかぶと)。
5/5のもう一組のゲストは、でんぱ組。
でんぱ組も、アニメの主題歌でしょこたんはコラボしてて、パンチライン、を7人編成で共演。
プリチョコも一緒に歌う。でんぱ組は、面白いです。下が、しょこたん・でんぱ組。↓。

 
 

5/4のゲストは、水木一郎とPile。
Pileは近頃、しょこたんの「空色デイズ」をカバーしたらしいが、ラブライブの西木野真媛で有名だ。
しょこたんは、そのファンらしく、一般人にまじって、握手会に行ったことがあるらしい。
ラブライブの曲、ダーリン、をしょこたんとデュエットした。
下が、お花。↓。

水木一郎は、しょこたんのために、アニソンメドレー。しょこたんの好きな曲で構成されていた。
しょこたんは着替えが終わって出てくるなり、「アニキ~、バビル2世、の歌詞、間違ってましたよ」と笑って出てきた。
客席も歌ってる本人も誰も気付かなかったのに。
水木は「本当?」と聞くと、しょこたんは、「悪魔の基地をこわすため」の所を「悪魔の基地を守るため」って歌ってましたよ。
「守っちゃ駄目じゃないですか(笑)」って。しょこたんは衣装替えの最中でも、ちゃんと聴いていたのだ。
ごめん、水木一郎の写真はない。
さて、お待たせしました!次回から、しょこたんの30才のバースディ・ライブのレビューを4回に分けてお送りします。
予習(または復習)は、イースター、と、中の人
BGM.野村義男「待たせてSorry」
つづく


しょこたん30才のバースデー・ライブ~5/4-①

4/Ⅴ.(水)2015 はれ
4公演の1発目は、チケット運が良く最前列中央。
5/4は、29才最後の日、20代最後のライブであり、しょこたんも緊張。
その緊張が直に伝わってくる近さ。
高3の時、ビジー4のライブに友人と行き、客が僕ら2人でビジー4より少なく緊張したのと似てる。
お祝いだから、皆、サイリウム持参だが、僕は手ぶら。
すると、左隣のおじさん(と言っても、きっと同い年くらい)が「これ良かったら。単色ですけど」と、
赤色のサイリウムを貸してくれた。
右隣は2人組の女子高生でとにかく活発、にぎやか。
客層は老若男女だが、こんなクラスカーストの上の方にいそうな子も来るんだ。
前説の、あばれる君、の言動にも一々何か返している。
そして彼女達のすごいのは、全曲しょこたん、もしくはバックダンサーと同じ踊りが出来るのだ。
コスプレもしてないし、しょこたんのTシャツを着てなきゃ、誰のファンなのかわからない。
舞浜アンフィシアターのシートは前の席との間隔が広くスペースがあり自由に踊れるのは結構だが、
その度に、彼女のそよぐ髪や伸ばした手が僕の頬の辺りに触れる。
しかし、彼女らは、若いってそういうことなのかな、まるで正義は我にある、と言うようで、謝りもしない。
それで、こっちがよけないと、「痴漢」呼ばわりされたらたまらない。
こっちの潔白を示すのに隣のおじさん(と言っても、ほぼ同い年)だけじゃ役不足だ。
ま、そんな事態は杞憂だった訳だが。
そんなことに気を取られてるうちに、ゲスト出演などで、しょこたんの緊張もとれ、場が暖まり、ライブは進む。
しょこたんが、「この曲はピンクで統一してくれたら嬉しいな」とサイリウムの色を指定。
おじさん(赤のサイリウムを貸してくれた、多分、同い年)が申し訳なさそうな顔をするから、こっちも恐縮。
すると、隣の女子高生2人が自分達のサイリウムを僕の目の前に出して、
「これでピンク、使いなよ」と一人が言い、、もう一人が「2本持ちで」と、二人分を貸してくれる。
<いいの?>と僕。答えは、「モチのロン」。
<触られて、キモイとか言わない?>と僕。
「言わないよ」と一人が言い、もう一人が」「暗いこと言わないの!」と、サイリウムを押し付けた。
暗い?…そんなこと、親にも言われたことがないぞ。
「私達、サイリウム使わないから」と一人が踊る準備、もう一人も同様に「なくて平気だから」と。
<そうでしょうね…>と僕が言い、そのやりとりを見たおじさん(ほぼ同い年)が、「撤収します」と単色のサイリウムを引き取った。
曲はパンチライン。フリがパンチラする歌で、2人はクルっと回ってパンチラする。
奥の子が、僕を直視して、手を開いて、自分の顔の前で、指を小指から順に折り畳んで、
カモーン、みたいなポーズをとって、こちらを挑発。
僕とおじさん(同い年)は、ステージより、2人のパフォーマンスに釘付け。
この曲は、でんぱ組、とのコラボで。明日は、ゲストが、でんぱ組と小林幸子だから楽しみだ。
そして、ラストの曲は、しょこたんがバックダンサー3人と計4人で肩を組んで歌うのがサビだが、
そこで2人は僕の背中にも手を伸ばして来て、即席ユニットを組む。
そして、「隣の人も」と僕に顎で指示を出す。
そうか、あくまでも、ステージと同じに、か。すごいな。とりあえず、女子高の先生は大変だ。
こんな感じになる。↓。

しかし、僕は高1の夏、鰻屋のアキモト君とその友人に誘われて、「南こうせつのサマーキャンプ」と云う、
つま恋でやるオールナイトのライブに行ったことがある。↓。

前の晩、アキモト君ちに泊まった。
そこに出てきたアキモト君のおばあちゃんが、僕の寝る部屋を案内してくれて、振り向きザマに笑って、
「猫のシタイみたいな部屋で」と奇妙な笑い声をあげた。
僕が<猫の死体?>とビックリしてると、アキモト君が「猫の額、だよ。狭いって意味さ」と解説。
おばあちゃんは、「あたしは江戸っ子だから、ヒ、と、シ、の区別がつかなくてね」って、
ババァ、ヒ、と、シ、の区別、ついてんじゃねぇかよ!
当時はフォークがニューミュージックに魂を売り、プロテストソングとか反戦歌などなくなり、
愛とか恋の歌を、やわに、夜通し歌ってる訳ですよ。
オールナイトのライブの雛形は、「拓郎とかぐや姫のつま恋」にあると思うが、
原型は、中津川フォークジャンボリーやウッドストックにある。
夕方から始めて、深夜を越して、陽が昇るまで、夜通し、徹夜でやるライブだ。
若い男女が集い、そこから恋が生まれる幻想もあった。
だが、僕らはまだ高1でその集団に溶け込むには少し若かった。
南こうせつのサマーキャンプでも、エンディングに近付くと、日の出とともに、仲間意識が高まり、
若者達が輪になって踊るのである。それはその場の強制力のようであり、そうしないとならないような凝集性を生む。
アキモト君たちは何度かその輪に入ろうと試みていたが、僕は気が進まなかった。
なぜなら、徹夜明けの男のギラギラした女へのまなざしの中に、僕のようなチェリーボーイが参入したら、
オンナ達も徹夜明けで興奮していそうだから、ナオンの欲望が一気に僕に集中して、
(何故か、僕ら、にとは思わなかった。あくまで、僕に。アキモト君、ごめんね)
面倒くさい色恋沙汰になりそうだったからだ。
僕は男子校だったので、男の嫉妬は女の嫉妬と同じくらい面倒くさいものだと、よく知っていた。
だから僕は世代的なものもあるが、このサマーキャンプの洗礼のせいで、余計、コンサートで一体になるという空気に
嫌悪感があって、反発があって、馴染めず、遠ざかって、縁遠くなって、回避的になって、疎遠になって、孤立していて、
それを正当化していた。だから、ライブでは地蔵のようにしている。
しかし、まさかの、しょこたんLV29最後の宴で、15の夏にやり残した課題をクリアしたのである。
僕がこの年になってリベンジ出来たのである。だから、皆も出来るさ、きっと。
だって、北山修が、25才のばあすでい・こんさあと、「サムの朗読」で言っていたように、
「青春に終わりはない。始まりだけである」、だからね。
BGM.しょこたん・でんぱ組「PUNCH LINE」
つづく