4/Ⅵ.(金)2010 快晴2連荘
書庫の整理をしていたら、古い教室年報を見つけた。
1990年3月、僕が医者になった時のもので、新入医局員たちの「入局にあたって」という作文が掲載されている。
僕のもあった。
折角なので下に無断転載しませう。
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『父の魂ー入局にあたって 川原達二』
小学校2年の時だったと思う。
ごくありふれた1日だった。
私はいつものように遠回りをして家路を歩いていた。
ふと道端にキッカイな物体があるのに気がついた。
亀のミイラだった。
私は何の気なしに近くの貯水池にそれを投げ入れた。
するとどうだろう。亀は息をふき返し泳ぎ始めた。
私はしばらくその光景を見ていたが直にあきた。
そしていつもと同じ様に暗くなるころ家に帰った。
翌朝、学校に行くとまわりのフンイキが変だった。
妙に慣れ々々しく女どもが寄ってくる。
競い合うかの様に、私の靴をぬがしてくれたり、
お弁当のおかずを分けてくれたり、鉛筆を削ってくれたりしてくれた。
きのうの一件を誰かがこっそり見ていたらしい。
誰が付けたか「川原浦島ばなし」。
1日にして私はスターだった。
嘘の様にモテた。
事実私は今でもモテるが、あの時は「第一期黄金時代」と呼んでもいいだろう。
下校時には列をつくり、こぞって女たちが私のあとをついてきた。
みんなで私が救った亀を見に行くのだ。
女は口々に「元気に泳いでるね」「タッちゃんはやさしいのね」などと私を賞賛した。
他人の評価というものはどこかいい加減なもので、
いつもマジメなA君がちょっと魔がさしてカンニングしたのをみつけられようものなら
「実はズルい奴だった」「あいつは善人の仮面をかぶった悪魔だ」「私はウスウス感づいていた」
などと散々である。
ところがふだん意地悪なB君が帰り道で捨て犬の頭なんか撫でてる処を見つけたりすると
「実はやさしい人なんだ」「ただ照れ屋なだけなのよ」「私はウスウス感づいていたワ」
なんて勝手なものである。
今までの‘行ない’のスコアでも付けてたら、A君の方が全然いい子なのに、だ。
然しこれは私にとっては好都合だ。
私はよく「変な奴」だと思われる。
だから損するかというとむしろ逆で、ちょっと普通のことをすると
「意外とマトモだな」「あなどれない奴だ」「私はウスウス感づいていたよ」
などと、思いもよらない評価をうける。
だから「変な奴」と思われるのはけっこう得なのだ。
損とか得とかの問題じゃないのかもしれないけど。
子供の頃、よく父親に「損得勘定ばかりするな」とおこられたものだ。
しかし、今だに直っていない。
父は私が大学2年の時、胃癌で死んだ。
生前、父が楽しみにしていたのは、
私が医者になることと、ザ・ローリング・ストーンズの来日だった。
今年その夢が一遍にかなえられて、さぞや草葉の陰でよろこんでいることだろう。
↑ ↓
よくも入局の挨拶にこんなふざけたものを提出したものである。
と言いながら、恥の上塗り、またここに載せているのだからさすが同一犯の考えそうな仕業である。
実際、他の新入医局員の文と読み比べてみると決定的な温度差を感じる。
それは「異彩を放つ」とか「個性的」という意味ではない。
他の人が希望を語ったり抱負を述べたり、ベクトルが未来へと向かっているのに対して、
僕は一人だけ昔話をし、まるで何かにしがみつくように過去を振り返っている点である。
「ヨ~イ、ドン!」の合図で一人だけ背走するコントみたいだ。
BGM. GO-BANG’S「かっこイイダーリン」