今日は池袋

21/Ⅱ.(月)2011 獨協の校医のあと
「東京ボーイズ・コレクション」をみにゆく。「国立演芸場」でやるものだと思い込んでいたが、「東京芸術劇場」だった。直前に、チケットを見直して良かった。うっかり半蔵門へゆくところだった。
この会は、「立川談志作品集」というサブタイトルがついていて、それというのも歌謡曲ばかりがネタだった東京ボーイズに談志が「ジャズやシャンソンやハワイアンやタンゴなどのスタンダードをやりなさい」と指導したことがきっかけで、その後も「政界ネタ」や「なぞかけ小唄」なども立川談志のアドバイスによるからだという。ゲストには、談志も出演し、他に立川談志の弟子が集まった。そういう意味での「作品集」。タモリの赤塚不二夫の弔辞と同義。

プログラムは、最初は東京ボーイズの「スタンダード・ネタ」、次にバイオリン漫談のマグナム小林が登場。
マグナム小林は元は談志の弟子で落語をやっていたが、立川流は弟子が家元の談志に上納金を払うシステムがあるのだが、それを5年くらい滞納して破門になったゆかりがある人だ。バイオリンを弾きながらタップダンスをしたりときちんとした芸を持つ。さすが、立川談志作品だ。その後は、東京ボーイズが2度目の登場「政界模写」という政治家のものまねをした。これも、談志の案だそうだ。
東京ボーイズは、ボーイズといっても僕が子供の頃からやっていてもう70歳くらいだろう。演芸の世界ではボーイズというと3人以上のことを言うのだが、東京ボーイズは2人で、1人がウクレレでもう1人が三味線。ボーイズは、音楽と関係してないといけないという約束もある。坊屋三郎のいた「あきれたぼういず」みたいに。
中入りがあり、立川談笑が登場。談笑をみるのは2日連続だ。談笑は「子供の頃からみていた東京ボーイズさんの舞台に出れて光栄です。今日は、自分のネタで一番面白いものをやります」と言って「時そば」をやった。今風のギャグも散りばめて、なるほど自信の出来栄えだった。次いで、東京ボーイズが3度目の登場。「なぞかけ小唄」。当然だが、ねずっちよりもずっと昔からやってる芸で、なぞかけ小唄と歌謡曲コントを音でつなげて披露した。
最後は、お楽しみと題して家元・立川談志の登場。談志は昨日と打って変わり、赤と黒のタータンチェックのジャケットを羽織り、バンダナをしめてスタンダップ・ジョーク。
ジョークというよりも、思いつきで話すから最初は雑談みたいで、新宿で大江健三郎とばったり会ったら、大江健三郎は立ち止まって帽子をとって鞄を置いて「大江健三郎と申します」と丁寧にお辞儀をしたから、「ちょっと待ってくれよ。あんたノーベル賞作家だろ」と答えたけど、よくわからない、と自分で話しながら首をかしげてた。
談志は「幸福の招待」という映画が好きでおとといもそれをみてテーマ曲を聴いたら泣けてきたという。それはβビデオだがこれだけは捨てずに持っているのだと言った。
この日の客層はざっとみて平均年齢5~60歳。僕より若そうな人はいなかった。僕の後ろの座席にはおばさんの3人連れで、談志は声が出ないから時々咳をするのだが、「可哀想ねぇ~」とその度に言うのがやさしいなぁと思った。
談志は師匠の小さんと取っ組み合いの喧嘩をした時のことを語り、「そうしたらおかみさんが俺のケツを蹴るんだよ。夫婦愛はすごいな、と思った」と想い出にもふけった。
談志は寝る前に眠くなるまで、たとえば「アイウエオ順」に映画のタイトルを「ア、雨に唄えば」、「イ、インディー・ジョーンズ」、「ウ、ウエストサイド物語」などと、そんなことをしていると眠れなくなるよと言ったりもした。そういうのは覚えてられてるもので、落語を忘れたらどうしようと思うとも言った。そして、「忘れたら、出直してきます、と言って帰っちゃおう」とはにかんで笑った。
わからない人のために説明をしておこう。昭和を代表する落語家に八代目・桂文楽という人がいた。
精巧な機械にまでたとえられたすぐれた技術で、いつ、どこでも一言半句のちがいもなく口演してみせたのが文楽の芸だった。その文楽の最後の高座になったのが、「大仏餅」で登場人物の名がどうしても出て来なくて絶句してしまい、「申し訳ありません。もう一度、勉強しなおしてまいります」と客席にふかく頭を下げて舞台のそでに姿を消した。                                             
何度も何度も稽古して、その日に演じる作品は必ず事前にさらい直し、その稽古でも手を抜かなかったという努力の人にすら、「絶句」というおそろしい日が来るのだ。しかも晩年の文楽は、その日にそなえて、「申し訳ありません。もう一度、勉強しなしてまいります」という、わび口上の稽古までしていたという。
談志の照れ笑いは、そんな文楽のエピソードのパロディだ。いや、昨日の文楽のままの「明烏」とセットで考えれば、この「忘れたら、出直してきます」は、オマージュというべきか。談志は、最後にジョークをやりますと言って6つほど披露した。記憶の限り、以下に再録してみる。
①病院で。「先生、もの忘れがはげしいんです」。<いつからですか?>。「何の話ですか?」。
②病院で。「耳が遠くて困ってるんです。自分のオナラの音も聞こえないんです」。<じゃ、この薬を飲みなさい>。「耳が良くなる薬ですか?」。<いや、‘へ’の音が大きくなる>。
③飛行機事故の現場。黒こげの死体が並ぶ悲惨な場面。そこに泣きながら、「わ…わたしの兄の死体は?」。<落ち着いて。お兄さんの体にどういう特徴があるんですか?>。「耳が遠いんです」。
④サーカスで、ムチを持ってライオンを膝まづかせたり、縄跳びをさせたり、火の輪をくぐらせたりしている。客席でみてた奴が「そんなこと俺だってできる!」。<やれるんですか?だったら、やって下さい>。舞台に上がった客が、「俺はどんなライオンよりうまくやるよ」。
⑤ここでしかできない話。(それを書いていいのか?ま、いいか)。せがれと妹がヤッテいる。兄が「お前のは、お袋よりいいよ」。妹が<お父さんも、そう言ったわ>。
⑥迷子になった子供が警察に行く。「オマワリさんは、私のような男の子を連れた女の人を見ませんでしたか?」。
談志は、「この姿を見せたでけで、ご勘弁を」とお辞儀をした。
大拍手。そでから、東京ボーイズ、談笑、マグナムが拍手を贈りながら登場して談志を取り囲んだ。東京ボーイズは、「最後は家元、手じめで終わりましょう」と談志に敬意を表したつもりで言うと、談志は「これは大声で言うのが決まりなんだ」と言って息を呑んだ。
一瞬にして、出演者全員と客席全員が真っ青になり、凍りつくような、微妙なグルーブ感が生じた。談志はお構いなし、「ヨォ!」とあらんばかりの声を張り上げ、三三七拍子。それを3回。それでおしまい。
「♪天気が良ければ晴れだろう。天気が悪けりゃ雨だろう。雨が降ろうと、風が吹こうと、東京ボーイズ!、さようなら~♪」。
BGM. 堺正章「幸福への招待」


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