お水の話。

25/Ⅲ.(金)2011 はれ
地震の影響で、都心でもトイレットペーパーやお水のペットボトルが売ってませんね。
地震直後の外来で、避難中の女の子が帰り際、
「もしもの時に」とペットボトルのお水2本と携帯カイロを1袋くれようとした。
<あなたが大変そうだから、こっちはいいよ>と断ると、「先生にじゃなく、もし患者さんが困ったら」と置いていった。
わざわざ返すのも何なので、診察室の「スモーク君」という引き出しにしまっておく。
一昨日の昼過ぎ、「乳児には水道水を飲ませないで」とニュースが言ったら、あっという間に、
水が売り切れてなくなった。
夕方に来たある患者さんに、<「そういえば赤ちゃん、いなかった?>と聞くと、
まだ数ヶ月だが、どこにも水がなくて困ってるって。
僕は、あの女の子が言ってたことを思い出し、その事を説明してペットボトルの水2本をあげた。
その人はとても喜んで、1本だけ受け取って、1本を返してきた。
僕は、<1本じゃ、足りないでしょう?>とそれも渡そうとすると、
「いえ、他にも困ってる方がいられるでしょうから」とやんわり言われた。
僕は、この人も先の女の子も、2人ともすごいなぁと感心した。
それに比べて、自分は何も考えてなくて恥ずかしいなと思った。

BGM. 忌野清志郎&ニーサンズ「空がまた暗くなる」


2 Replies to “お水の話。”

  1. 私は江戸っ子だkら、お世話になっている人や困っている人に良く物をさしあげる。そういうやりとりに慣れている人同士の場合はやりやすい。困るのは、ある程度の年齢でこちらとしてはそれなりの付き合いをしているつもりで、ちょとのことと思っているのに、それをたいそうなことだと対応にこまっている人や団体が最近多くなっているように思える。
    差し入れや、お礼など、それは日本の文化だと思っている。だから、あげた人に対してもらう人はその行為に礼を尽くして「素直にありがとう」と言って、心地よく全てもらうべきだと思う。
    それが、プライベートでも仕事関係でもこっそり恩恵をもらうべきだと思う。
    それを、やじる現代の人たちがおかしいのである。
    全て平等にはいかず、全て公平なのである。

    1. 白い子さん
      いつもコメントありがとうございます。この後の2通は、出さないでおきますね。クイズの答え、誰だかわかりませんでした。

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