16/ⅩⅠ.(金)2018 くもり 寒い 急転、フロイド・メイウェザー・ジュニアvs那須川天心、やっぱり実現?
えばるような事じゃないから言わなかったが、僕は企業のアドヴァイザーをしていて、精神科の啓蒙とかもコツコツしてる。
そして平成最後のクルズスが12月に予定されてて、テーマは「統合失調症」。
幅広い分野であるが、過去の文献などを読み返し、「統合失調症」の歴史的な変化を僕なりに咀嚼してレクチャーするつもり。
現在、その準備中。
そこでどうしてもぶち当たるのが「統合失調症」の予後で、寛解と回復、つまり、レミッションとリカバリーについてである。
レミッションの定義は、一定期間、症状がとれてる状態で、リカバリーはレミッションにプラスして、仕事が出来ている、とか、
QOL(クオリティー・オブ・ライフ)も含まれて、つまり本人が「大丈夫です」って言えること。
「統合失調症」の当事者でありながら、ピア・サポート(当事者だからこそ他の患者さんに出来る援助)をしている、
優秀な子と縁があった。その子は僕の患者ではない。
しかし、このテーマを考える時、忘れられないし、色んな事を教えたり教えられたりした間柄だ。
話は飛ぶが、2018年ももう終る。
今年は大相撲の日馬富士に始まり、日大アメフト悪質タックルに代表されるスポーツ界のパワハラ、官僚のセクハラ、
東医の女子・多浪受験者差別など、おそらく今に始ったことじゃないことが、一斉にあぶり出された1年だった。
こんな事件は今までいくらでもあって、ハラスメントの被害にあった患者さんが調子を崩して受診して、
こちらが「診断書」を書いていくら言っても、たいていそういうハラスメントをする上司は「優秀」だったりして、
もみ消されて、上司を飛ばすことは出来ないから、「経験の少ない」「戦力にならない」被害者が異動になっていた。
僕は随分、戦ったが、診断書や意見書の効力など、そんなものだ。
ところが今年から潮目が変わった。
おそらく先に述べた事件の影響で世間の認識の変化や、「外圧」に対する企業のおそれや保身のせいだと思う。
今まで泣き寝入りだった人の、「人権」が尊重されるようになった。
「優秀」でも「ハラスメントをするような人格に問題のある人」がペナルティーを受けるように世の中が変わった。
皆さんも気付いているかもしれないけど、世の中は少しだけ良くなっているところもあるのです。
そこで話を戻すが、「統合失調症」である。
僕の知ってる患者は、その指導者のせいで調子を崩し入院した。
僕はものすごく頭に来て、そのことを入院先の病院に告発したが、「それは彼女の妄想」と簡単に処理され、
そもそも「男」は将来有望で、機関としても変な噂はもみ消したかったのだろう、「彼女」だけの問題になった。
そして、僕に至っては「おかしな医者」だ。
もし、これが今年の出来事だったら違う展開になったのかもしれないぁと、今、勉強会のまとめを作っててそう思った。
医療従事者と患者の「純愛」というものをどう考えるか?という命題はある。
そこには「禁欲原則」というのがあって、自分の立場に相手が惚れ込む要素がある立場の場合、
それを利用してはいけないという掟だ。
だから、例えば、2人がそういう関係になるなら、「治療者・患者関係」を辞め、「代わりの治療者をきちんとみつけた上で
交際しろ」、という明確なルールがあり、問答無用でロマンスの邪魔をしているのではない。そんな野暮天ではない。
ただ、ズルいことするな!、というだけである。
それは「教師・生徒間」とか「主従関係」とも同じで、「あこがれ」や「尊敬」や「援助」などが先に立つ関係すべてに言えることで、
プロとしてのモラルの問題である。
要は、モテない男が、地位や立場を利用して、SEXしようとしてんじゃねぇよ!っていう話である。
おい、こらお前だよ、お前。反省しろ!
BGM. ザ・タイマーズ「偽善者」
このブログを読んでいたら美女と野獣の事を書きたくなったのですが、何か感じるものがあったのだと思います。
クリニックに行ったらハリーポッターをやっていて、エマ・ワトソン(ハーマイオニー)てこの頃からかわいかったなあ、まあそれはいいとして、そのエマワトソン版の美女と野獣を見たかったのですが、アマゾンビデオにもネットフリックスにもないので、また拾った話をさも自分の話のようにつなぎ合わせました。間違ったところもあるかもしれませんが。
どうせ最後はイケメンと結ばれる話だろと考えていましたが少し違いました。これ、どんどんさかのぼっていくと、エロスとプシュケーのお話が確認できる最古のもので、興味深いのはプシュケってたぶん精神科の語源になった言葉じゃないかなと思うんです。ここは掘り下げません。
要約すると91年公開の美女と野獣はいかにも昔の女性像で、古臭いのですが、理由があって、この原作が書かれた当時は女性の結婚相手を親が決めたり、借金の形で結婚したりと、要は好きでもない相手と結婚しなくてはいけなかった時代で、まあ、不細工でも、じじいでも、お金もあるし一緒に暮らしていればそれなりに幸せだよ、みたいなメッセージが込められていたようです。
対してエマワトソンが出ている2017年の美女と野獣のヒロイン、ベルは自立していて教養もある女性として描かれていて、むしろBeastはヒロインの方で、とても現代的。
野獣は要するに女性との接し方がわからない男性、引っ込み思案で、ひきこもりで、物語を書く人はこういう人が多いから世界各国似た話が多いようです(誰かに似ている)。オペラ座の怪人、ノートルダムの鐘、雪女、鶴の恩返し、青髭、千と千尋の神隠し、この世界の片隅に、など。夫婦であっても個人的な事や過去には触れないでおきましょうね、言ってはいけない事、見てはいけないものに触れると結婚もうまくいかなくなるんだよっていう教訓のようなお話。ファンタジーのようでとてもリアル。うまくまとまらなかったですがこの辺でおしまい。
タイムマシンにお願い ホームさん、OHA!
キヨシの「お弁当箱」というラブソングがあって、「君の過去を全部、お弁当箱に入れて僕が食べてあげる」という受容の歌なのですが、
そんな歌でさえ、「隠しても消えやしない。君の中の謎の影。死ぬまで君と一緒なら、死ぬまで消えない事実」という不安感を吐露するフレーズもあります。
人を愛するというのは、「誠実」であることが大切なのか、「知らせない」のも、「やさしさ」なのか、「裏切り」との境界線がわかりませんね。
畠山みどりは、「東京ブルース」で、「どうせ私を騙すなら死ぬまで騙して欲しかった」と歌っています。
愛って、よくわからないけど、傷つく感じが、ステキですね。
ではまた~
どうも。ご機嫌いかがですか。
今日は、朝の5時半に、何故か目覚めてしまったので、日光浴をしました。
私が、統合失調症についての話をするなら、きわめて慎重にしないといけません。でも専任のカウンセラーさんがいますし、雑感を話すのも、カウンセリングでは出来るようなので、それはここではパスにします。
今日は、晴れてますね。例の体のブルブルは、電話連絡をクリニックの大平さんにした日の夜から、全然なくなりました。
先生は、季節のせいがあるかもと言われていましたが、私のような過敏な体質だと、そうなるのかもしれません。
今年も色々なことがありましたね。でも、5月からの猛暑で、体調を何度も崩したせいもあって、とにかく時が経つのが遅くて。でも、それはそれで、とにかく蒸し暑くて。ですから季節が肌寒くなったら、ホッとしましたね。
ここ最近の、私のブームは、大昔の邦画のDVDを音なしにして流しておくことです。
「隣の八重ちゃん」っていう映画があって、昭和9年制作で、当時としては珍しい、東京の、中流階級より少し上ぐらいの人たちを描いた映画で、特にストーリーはないです。しいて言えばあるにはありますが、基本的にはスケッチです。
ただ新しいものが好きな人、若い人たちの場合は、楽しめないでしょうね・・・・・。
来週、カウンセリングと診察をして、2週間ぐらい、間をあけます。
12月のスケジュールを今、考えています。
papaさん、こんにちは。
体のブルブルはよくなりましたか?とりあえず、良かった。
渋いマイブームを展開していますね!
また何か面白い事柄があったら教えて下さいね。
カウンセリングの件、了解です。
統合失調症とアセクシャルの人は両方人口に対して1%、そして天才肌の人が多い。血液型と同じく何か意味があるに違いない。
性的倒錯と病気とは何が違うのかと思ったこと。少し前に夜中にセーラー服を着て歩いていた男の人が(これは違法ではない)おまわりさんを見て、逃げて、不法侵入か何かで捕まったというニュースを目にした。CNNのドキュメンタリーを見ていたら、色んな性についての特集で、はげたおじさん(心理学者だという)が女装をして化粧をして、はじめて街を歩くというのをやっていて、これは病気じゃないんだという。NHKで精液の作られる量が人の何倍も速い人の特集をやっていた。これは病気でホルモン治療を受けているんだという。
反対に自分の意志であえて性別を変える人がいる。ナンパしたい男の人とか。ある映画監督は男だったけど、ニューヨークで一番有名なSMの女王様と結婚してから「女性」になった。ちなみに女王様の元旦那は、どう見ても男のプロレスラーみたいな体格だが生物学的には女性である。それって自分の意志なの?どこで分けたらいいんだろう。差別はよくないとゲイやレズのパレードをわざわざ見せに行く親もいるそうで。物心つく前にそんなもの見せたら、わけわかんなくなるんじゃないかと僕は思った。
興味深いのは、女性と男性をグラデーションがあるものと表現しているところで、自閉症のスペクトラムと考え方が凄く似ているなと思った。もともと母親のおなかの中で初めの頃はみんな女の子なのだ。とってもややこしい。ジェンダーとか、ゲイ、レズ、バイとかそんな分け方ではもう分けられなくなってきている。恐らく、日本の精神科医もそういう問題を突き付けられることだろう、もうそうなのかもしれない。そもそも頭の中なんて、病気かどうか正確に定義できた人なんていない。
たまにフロイトをバカにする人がいる。全部リビドーだとかいうから。だけどいろんな時代でその時の科学で説明できないものを定義しないと、不都合が生じる時にはそうするしかなかったのではないか。陰陽とか、八卦とか、五行とかそんなの。そしてのちのち、いがいと役に立っている。
僕は数学は苦手だけど、パソコンは全て0か1か、オンかオフか(2進法)で動いているらしい。たった2つでもそれだけ多様性(ダイバーシティー)があるってことだ。これからどんな世の中になっていくんだろうか。どうでもいいけど。
タイムマシンにお願い ホームカミングさん、こんにちは。
このコメントは、まさに「最先端」のことを言っています。これ以上、言うことなし。
ただし一つだけ。
統合失調症が、どの時代、どの文化圏でも、1/100という統計が、ここに来て、狂ってきてるらしいですよ。
いよいよ、世も末か…。
難しい話しだが確かに潮目は変わってきている、だが気がついたら自分が加害者にならない様にいつもセルフチェックが必要だ!
sinさん、こんばんは。
本当にそうですね。それは絶対、忘れてはいけないですね。僕はうっかりしてるところがあるから気をつけよう。
こんばんは。 なんだか いつも土曜日でスミマセン。
今日はとても寒かったですね。 寒くありませんでしたか。 困りますね。 ・・・そのような境遇も手伝ってなのか。
じんしぇいで初めて、ポンチョ なる衣類を求めてまいりました。 そう。 かつて日曜の夜7時半頃に。
イタリアのジェノバから船に乗って はるばるアルゼンチンまで 【何かの都合】 で訪ねていったマルコが。
(歌の中で、) 夜明けの風をはらませていたと云う、あのポンチョです。
ワリと気に入ってます。 マルコのとは違い、赤ですが。
さて。
私が統合失調症の方々と接する機会を自覚できていたのは、まだ3年と少し前のことに過ぎません。
そうとは知らずに ・・・と言うよりも、統合失調症という病気の認知すら出来ていませんでしたから。
そんな一例が、青年期以来でもう何度も読み返してきた ある小説の中の登場人物でしょうか。
彼女は小学生の時に、慕っていた高校生の姉を自殺で失っていて。 そして幼少の頃からまるで兄妹(姉弟?)のように接してきた、愛する相手をも自殺で失っていて。 そんな痛々しい設定の人物でした。 でも小説なのでして。
3年前の彼女は。 ・・・今でも顔を合わせれば挨拶したり立ち話したりする間柄にはあります。
自らもそう言う、ドラえもんの 『のび太』 みたいなメガネをかけていて、バイクで通所していました。 でもコンディションの許す限りで毎日ではありません。 ある時からバイク姿は見かけなくなり、そんな折に通所仲間の一人から 『もうバイクは卒業ですか?』 などと訊かれていました。 そして彼女は 『あー、卒業って言うかぁ、 引退?(汗』 などと答えていました。 自分の関わっていないところで交わされていた些細なやり取りなのですが、不躾な質問に対してとても丁寧な回答だなとでも感じて、こうして今でも記憶しているのかもしれません。
ある日の午前・作業中だったのかと思います。
隣のテーブル席で作業していた彼女が、静かに周囲から気遣われ始めていたのですね。 私はチャカチャカと作業に集中していて、そんな周囲の小さな異変に気付いた時には、うつむいた彼女の 『のび太』 みたいなメガネの内側には、あたかも水溜りのようになりつつある涙がもう、今にも溢れんばかりでした。 あんなに静かな号泣(?)は これまでに経験したことがありませんでしたから、作業していた私の手もさすがに止まりました。
あるいは、その時に彼女を襲ったのは 彼女自身のある記憶なのかもしれません。
一方で、これから先を彼女が生き抜いてゆく上で力となるのもまた、彼女自身の記憶なのだろうなと切に希望します。
自称・記憶マニアの散文気分でした。
散文気分さん、OHA!
12月も近くなったのに、また少しあったたかくなって、秋めいて来ましたね。
お天気はまるで気分のようにアップダウンするから読めませんね。一喜一憂しないようにしましょう。
ポンチョと言えば、2人有名人を思いつきます。
ピンキーとキラーズの、ポンチョかがみ、と、ドラフト会議の進行役ポンチョ伊東です。あれ、パンチョだっけ?
2人とも死んじゃいましたね。
僕は高校の頃、みすず書房の「分裂病少女の手記」という本を読んでいたく感動したもので、
どこか薬物療法以外の手立てがあるのでは…という幻想に浸っています。
そういうスタンスは忘れないでいたいと思いつつ、現代医療にも追いていかれないにと必死です。