5/ⅩⅡ.(木)2019 はれ 大岡山のタピオカ店、1件つぶれる??
もうそろそろ年賀状を準備しないといけない季節だ。僕は前もって年賀状を書くことはせず、大抵、正月に書いている。
年内に「新年おめでとう」なんて書くのは、うそつきみたいで嫌なのだ。って、そんな潔癖症でもないのだが、要は、明けてもないのに「明けましておめでとう」って気分になれないのである。
だから、先輩や恩師から年賀状が元日に届いても、それをみて返事を書いてるような失礼な現象が起きている。今年は大殺界だし、改めようと思い立ったのです。
来年は、調べたら、ねずみ年だ。どうせ、ミッキーかピカチュウにイラストが片寄るに違いない。ちょっと皆の意表をつきたい。ねずみ…チュー…で思いつくもの。荒井注だ。そこでこんな年賀状のイラストを作ってみた。↓。
荒井注を選ぶ人もいるかもしれないから、あえて流行語の「なんだ、バカ野郎」と「This is a pen」を避けてみた。
「だからオレが悪かったよ」とは、「ドリフのツンツン節」で荒井注のパートの♪借金、月賦は踏み倒し♪の歌詞のあと、荒井注が捨てゼリフのように語るワードだ。これは歌詞カードにも載ってないから、これはかぶるまい。そう満足してたら、受付のうかいさんは、荒井注・自体を知らず、「なんだ、バカ野郎」と「This is a pen」だって、かぶりませんよ、と自信満々だ。
これはメモ用紙に走り書きしたのだが、出来が良いので、このままでいいかなと思う。ビートルズの「レット・イット・ビー…ネイキッド」のような荒々しさを残したい。荒井注だけに。そのため右下に裏のカレンダーが写り込んでいるが、それでもいいやと思ってる。初期のボブ・ディランのレコードも椅子のキッキッって音が入ってるし。気にしない気にしない。
年賀状で思い出したのだが、僕が医者になったのは平成元年。だから医者になって始めての年賀状は平成2年の午年だった。こないだの入船の記事にも登場したボスは、僕を入局させてくれた恩人なのだが、当時は助教授だった。
正月明けに、ボスは少し怒ったような顔で、「おい、川原。あの年賀状は、なんだ?」。<えっ、午年だからですよ>と答えたら、「うちのカミさんに、あなた悪い事してるの?、って疑われただろうが!余計な物、送ってくるな!」と八つ当たりされた思い出があります。
どんな年賀状かというと現物はないので、再現してみました。こんな感じです。↓。
あとは、機械の操作さえうまく行けば、荒井注の年賀状、皆さんへのお返事としても送れますね。
BGM.吉田拓郎「お正月」
P.S. 受付の杉山です。
この年賀状を受け取ったときに、色はこのままでいいんですか?と聞いたら、
書き終えたばかりの先生は、「荒井注はモノクロの時代の人だからこのままでいいんだよ。」と言っていたのですが・・・お昼を食べ終えて気が変わったのか、「色、塗っといてもらえる?」とのお触れが出ました。
なので、塗ってみましたがいかがでしょうか。↓
色鉛筆、背景塗りすごく難しいですね・・・。でも、私にしてはよくできたと思います。・・・200点!
受付の杉山です。
毎年、クリニックに送っていただいた年賀状には、お返事させていただいています。
もしご希望があれば、今日紹介したカラーバージョンで返信しますよ。①荒井注 か、②馬がみてる か、希望の番号をお書き下さい。
機械の操作がうまくいくといいですね。馬だけに。
どうも。さっきタバコに使うライターを、買いに行ってきました。
おふくろに何か感謝することがあり(どういう感謝かは、忘れてしまいましたが)、3000円のステーキをごちそうすることに。
12日と26日に、カウンセリングに行きます。
19日は、前に書いた、電化製品を自由が丘に買いに行きます。
時には電車で、あるときは別の方法で行きます。あんまりあせっちゃダメですね、電車に乗ることは。
papaさん、こんばんは。
まぁ、焦らず、少しづつやって行きましょう。
2人3脚、いや、カウンセラーも含めてだから3人4脚でやって行きましょう。
親孝行エライですね。僕は母によく「寿司屋で貝」をご馳走してやりましたよ。