1/Ⅷ.(土)2020 梅雨明け。杏と東出昌大、離婚。
きのうの東京の感染確認463人、全国一日の感染は最多1500人越えで、沖縄独自に「緊急事態宣言」外出自粛を求めたそうで、感染漸増段階、だと、分科会の尾身会長が力説していた。聞いたところだと、上野の美術館も前もってチケットを買わないと入れないそうで、以前のようにフラッと上野駅まで行って改札口のところのカウンターで「どこにするかな?」なんてその場で決めれなくなった。食べ物(外食)や鑑賞(映画・美術館など)って、その日の天気や気分でビビっと決めて動くのは最早もう古き良き時代の行動様式になったのかもしれない。
そんなノスタルジックなおセンチなあなたを今日は美術館に招待しましょう。2014年梅雨に行った「バルテュス展」です。↓。
僕が、バルテュス、を知ったのは、澁澤龍彦の本で、だ。
「部屋」という絵に衝撃を覚えた。
少女が全裸でソファに弓なりにヒステリー発作のように海老反っていて、その部屋のカーテンを意地悪そうな顔をした小人女がめくって、そのせいで部屋の中に対角線上に光が入って、少女の裸体を照らし出していた。
そして、テーブルの上の猫が小人女の方に視線を送っていた。
僕は二十歳前後に「部屋」を見たものだから、ものすごくインパクトがあった。
今回の「バルテュス展」にあたって、澁澤龍彦の本を読み返してみた。↓。
すると、それは僕の記憶違いで、「幻想の画廊」で紹介されてるのは、「部屋」ではなくて、「夢見るテレーズ」だった。
ちなみに「部屋」は今回の「バルテュス展」では展示されなかった。
「夢見るテレーズ」は今回の展覧会の目玉で、チラシやチケットの絵柄に使用されていたから、目にした人も多いかも。
下が、美術館近くの立て看板の「夢見るテレーズ」。↓。
モデルの、テレーズは、バルテュスが起用した最初の少女モデルで、隣に住む失業者の娘だったそうだ。
テレーズは、第2次世界大戦が迫り来る暗い世相を反映した雰囲気を持つ少女で、それがバルテュスを惹きつけたようだ。
澁澤龍彦の解説を読むと、これはただ少女が頭の上で手を組んでうたた寝して、かた膝立てて、パンチラを見せてる絵などではない。
こういう難しい理論武装をすれば、アニメやエロゲーの表現の規制もかわせるのではと思った。
頑張ってみたらどうだろうか、そっち系の人。
話をテレーズに戻そう。
テレーズは、他にも「兄妹」という絵のモデルになっていた。
しかし、同じ画家が同じモデルを書いたとは思えない程、こっちは可愛くない。おまけに妹なのに兄よりデカいし。
犯罪性がグッと低くなる。↓。
これは、「美しい日々」というタイトルで、ポストカードも買ってきた。↓。
「美しい日々」で思い出すのは、片山健という人の画集だ。ちょっとバルテュスっぽいのである。↓。
あとがきで、片山健は自分が絵を描き出したきっかけは、シュールレアリズムの傍流の一連のきわめてエロチックな作品にふれたからだ、と書いている。
しかし、実際のバルテュスはシュールレアリズム運動には1度も参加していない。
アンドレ・ブルトンの目にとまり、初期の作品がシュールレアリズムの雑誌に載ったりしたが、バルテュスは距離をとっていた。
アンドレ・ブルトンが、バルテュスの家までわざわざ出向いて、話をして、決定的な考え方の違いにガッカリして帰った、という
エピソードもこの展覧会で紹介されていた。なんか、ちょっと笑った。
しかし、バルテュスはジョルジュ・バタイユとは仲が良かったらしい。バタイユと言えば、エロティシズムの巨匠ですね。
寺山修司の年譜には必ず、「バタイユの眼球譚」に出会う、みたいなことが重要な事件として載っている。
下が、バタイユの「眼球譚」。デルヴォーとバルテュスの画集で挟んでみました。↓。
バルテュスの絵にはよく猫が出てきます。パンフの裏表紙も猫です。↓。
これもポストカードを買ってきました。この絵は、シーフード店の宣伝に書かれたもので、店内に掛けられていたそうです。
シーフードの新鮮さを表現するため、海から虹に乗って魚が、猫が待ち受けるお皿に弧を描いて直接、舞い落ちてくる様子はマンガチックですね。
左下でボートで手を振る少女は、バタイユの娘、ローランス・バタイユ。↓。
大人たちが延々と喋ってるのに退屈して、1人でボートに乗って港を探索していたという逸話を題材に取り上げたみたいだ。
さすが、ローランス!バタイユの娘だけありますね。↓。
ローランスは、「決して来ない時」という絵のモデルもしています。この絵は僕が冒頭で言った、「部屋」にちょっと似ています。
「決して来ない時」の原題を直訳すると、「木曜日が4日ある週」になります。
当時、フランスの小学校は木曜日が休みだったため、「木曜日が4日ある週」とは「決してあり得ない」という言い回しに使われていたそうです。
これも、ポストカードを買ってきました。猫が見てますね。↓。
僕が今回の展覧会でもっとも注目したのは、「読書するカティア」です。これは、ポストカードが無くて残念でした。
なぜ、僕が注目したかと言うと、このモデルは、ベルハー(BELLRNG少女ハート)の「みずほ」に似てるのです。
パンフから、カティアをクローズアップしてみました。↓,
僕が、高2の時、好きだった女の子が紺のスィングトップをよく着ていて、僕はいつもその子のことを想っていました。
スィングトップがオシャレな女の子の間で流行っている時代でした。
だから、僕は原宿とかですれ違うスィングトップの女の子が皆一瞬その子かと錯覚して見間違えるほどイカレテいました。
そんな心理と似てるのかな?「読書するカティア」を「みずほ」に見間違えるのは。
下が、「みずほ」、タワレコのポスターより、クローズアップ。↓。
今日の記念のお土産は、パンフやポストカードの他に「蜂蜜」を買いました。
バルテュスは早熟で、11歳の時に作品集を刊行しています。
お母さんの恋人が、あのリルケだったそうで、リルケが序文を書いてくれたそうです。
その作品のタイトルが「MITSOU(ミツ)」なので、それと「蜂蜜」を引っ掛けた商品です。
「ミツ」の絵が瓶にデザインしてあります。↓。
「ミツ」とは愛猫の名前で、日本語の「ミツ(光)」が由来だそうです。
バルテュスは日本びいきで奥さんも日本人。来日して三島由紀夫とあった時の通訳をしていた人で一目惚れしたらしい。
バルテュスは勝新太郎に絵をあげて、替わりに勝新から着物をもらったりして。「座頭市!」と言って喜んで着てたそうです。
別角度の蜂蜜。↓。
さて、最後になりましたが、冒頭でお話した「部屋」。
僕の持ってるバルテュスの画集の中にあったから、紹介しましょう。↓。
ソファの少女に、カーテンをまくりあげ、陽の光を浴びせる暴行を働く小人女の顔は、角張っていて無表情。
髪型も変なクセに、カーテンを持ち上げるその身振りは、確信犯みたいに断固としています。
ただ猫だけがこの犯行の証人ですが、猫とこの小人女は同じ属性で、共犯者みたいにもみえますね。↓。
BGMに選んだのは、受付にいっぱい貼ってあるチェキの正体で僕がよくライブに行ってた頃のベルハー(東京最凶、と謳われた地下アイドル。パフォーマンスは学芸会並みと恐れられた)です。ユーチューブでみつけました。今見ると、こりゃ確かに、コロナ渦じゃダメだわ。これも古き良き時代、僕の50代の青春。↓。
バルテュスー!先生の本棚の写真にいつも載ってましたっけ??私がバルテュスを知ったのは、奥さまの節子さんの本でした。スイスの山奥で絵本の中みたいな生活をしていて、うわあと思って、その後バルテュスの絵の諸々を知って、おーい、って思ったような。。
美術館でたまたまバルテュスの展覧会をしていて、代表の絵が余りにも綺麗で、うっとり眺めて、離れ難かったのを覚えてます。「ベンチシートの上のテレーズ」です。少女の美しさと儚さとエロスが、独特の緊張感とバランスの中に保たれてて、素敵な絵でした。
バルテュスにどっぷり浸った後のベルハーの破壊力は最強でした。。
シロクマ@節子さんが描く白熊は可愛いだろうなさん、こんばんは。
さすが、美術、詳しいですね!
ベルハーも聴いてくれたんですね、ありがとう。
こんな小噺があります。
奥さんがピアノを弾いて、お客に、「音楽がお好きだと聞いたものですから」。
お客、「はい。音楽は好きです。でも、どうぞ」。
そんな感じですかね?ベルハー。
川原先生、こんにちは
芸術って見る人の心境が解釈になりやすいから言葉にすると色々誤解招いてしまいそう。「兄妹」という作品は妹なしでは兄にはなれないのだから「兄妹」の原点は妹であり妹を強調して大きく描いたのだと勝手な解釈(笑)自分は絵画だとフェルメールやレンブラントのもつ「光と影」をテーマに油絵のもつ鈍い光が綺麗で好きですね。
ネコスッキーさん、こんばんは。
美術、詳しいですね。
僕はどちらかというと、マンガチックなものが好きです。
川原先生、こんばんは。
診察室横の、エッグアンドフライの絵(今勝手に命名)あれ、中身を想像してるだけでしたっけ?実際に描いてましたっけ?記憶がオボツカナイ…ところで、想像、を、妄想、という言葉に置き換えた途端、意味深になる日本語って不思議。
タモさんが好きさん、こんばんは。
あれはマグリットの「透視」という絵です。