お久しぶりです。とくだです。相談室より今年最後の投稿です。
大トリの記事を担当していると、高校サッカーの話など突然始めてしまった過去記事を思い出したりして・・・高校サッカー選手権は相変わらず私の年末年始の楽しみの一つですが、応援していた高校生の選手たちは、段々と海外リーグやJリーグで活躍していきます。最近では観戦プラス、そんな選手の成長を見守る(?)ことも楽しみになりつつあります。
成長、ということで思うことなんですが。
人の心の発達でポイントになる年代というのがあって、
0歳、2歳前後、7歳、10歳、14歳、17歳、私たちが心身ともに大人として1人の人格が出来上がっていくまでの間、これらの年代は重要な年なんだろうと思います。本人にとってもそうですが、その周りとの関係性もその人の発達には欠かせないわけで、
この時期をどんな風に過ごしてきたか、そのあり方にその人らしさが表れ、
誰しもがこの時期をサバイブしてきているんだなと思うのです。大袈裟な言い方に聞こえるかもしれませんが、大事な時なのです。
例えば10歳〜14歳頃、いわゆる思春期が一番激動ではないかと思います。
なぜ激動になるのか、それは脳の急激な成長、に関連しているそうです。
人間の脳が急激に成長する時期は3つあって、まず、胎児期。次に乳幼児期。そして、思春期。特に変化が激しい思春期には、成長ホルモンと性ホルモンが大量分泌されます。身体的な変化だけではなく、心も大きく変化していく。たいてい成長ホルモンの分泌は10歳頃から少しずつ増えていくので、この頃は、大人になっていく自分の誕生の時期と言えるのではないでしょうか。子供時代の自分とは違う自分に出会っていく過程、そんな激動の時期の始まりです。
0歳や2歳前後の記憶がある人はあまりいませんが、意識的に記憶はなくとも、当時に体験した辛かった体験の記憶は身体が覚えている、身体記憶ということもあるようです。後々そういった忘れていた記憶がフラッシュバックのように出てくることもあります。
例えばある人の、記憶にないような小さい頃、きょうだいの誕生の際に、一時的に母親と離れ離れにならざるを得ない状況が起きたとします。子供は、母のいない状況に不安を感じます。生後7ヶ月くらいではっきりと子供は不安を示し始めるといわれます。ただ子供は事情があって離れ離れになったんだ、とは理解できないので、単純に、自分が見離された、捨てられた、といった体験になりうるのです。そういう時に感じた漠然とした不安、不快感は、意識的には忘れてしまいますが、身体は覚えていることがある。
そしてその人が思春期になって、親からの自立とか、依存とか、そういう親離れのテーマが葛藤の中心になってきた時を引き金に、本人の意思に関係なく、理不尽な思いとなってよくわからない感情が湧き上がる。この理不尽な思いは、本人は説明もうまくつきません。イライラした感情をぶつけるしかできないかも、いや、ぶつけられるならまだよいかもしれませんね。
ただ、ぶつけられる相手は一番身近な存在の母親であることも多かったりして、そういう生のままに近い感情をぶつけられた側も穏やかではいられません。よくわからないものをぶつけられると、親も人間ですし、イライラしてしまったり、落ち込んだりするかもしれません。あるいは非常に無関心になってしまったりもするかもしれません。
ここで親の側も、実は自分が自分の親にされて嫌だったことを知らず知らずのうちにしてしまっているというようなこともあり得るのです。私たちは誰しも自分が体験したことが基盤になっているので、無意識のうちに繰り返してしまうというのはあるわけで。もう親世代になっていれば10代の頃の気持ちは忘れ去っていることだって多いと思いますが、子供との関わりを通して、それこそ理不尽に記憶が蘇る。世代間伝達、ということとも関連します。そして親も冷静になってから、反省や罪悪感が強くなる・・・。この時期は親子間で何事も起こらないわけにはいきません。
思春期の変化が急激なので、今ここに例を挙げましたが、先程あげた年代では多かれ少なかれ、只中にいる人たちがもがき、周りも揺れる、そういうことがよく生じるように思うのです。ではこういうことにならない方がいいのか、というとそうではなくて、これは関係性を見直していくチャンスだと思うのです。
その時期の只中にいる人も、親も、自身の体験をちょっと立ち止まってみてみてはどうでしょう?その上で、親の側は、自分自身の体験の整理が少し必要かもしれません。自分の体験や親としての期待といったいろんな思いがあって自然なことだと思いますが、その辺りをおいておいて、今、子供が体験していることはどういうことなのだろう?と思いめぐらせていくこと、“もの想い”というようなものに繋げていけるとよいのではないでしょうか。
そういう親が戸惑いながらも子供に思いをめぐらせる姿勢に、子供は抱えられていくのだと思うのです。それは子供にとって、自分の混乱はありのまま抱えられているという体験、他者への安心感に繋がっていくでしょう。
成長を見守るというのは、なかなか大変なものですね。
2020年も残りわずか、皆様、どうぞ良いお年をお迎えください。