28/Ⅶ.(木)2022 暑い、疲れる。「VOGUE」8月号のカバーガールに「腋毛モデル」起用。米ミレニアム世代の女性は、もはや3割が「剃らないわ」
こないだの誕生日のあと現役JKから「ケーキ食べましたか?」「(笑)食べないよ。ひとりで店、貸し切って吞んでたよ」「結婚してないんですか?」「えっ?なんでそんなこと聞くの?」「だって誕生日って家族で祝うでしょう?」「あっ、なるほど!」というやりとりがあって考えました。僕には生活感が足りないようです。
そうは言ってもこのご時世、「生活感がない」は特別なことでもなく逆にそれを売りにしてる人もいます。ギャップが好きな民度だからでしょうか。「アフロヘアの精神科医」とか「ヤンキー教師」とか「ヒップホップをやるお坊さん」など。しかし、これらは嘘ではないのでしょうが数%の戦略を感じます。そこへ行くと僕の生活感のなさは幹が太いものです。
僕は一軒家に住んでますが、変わった家で地下に入り口がありそこは地下倉庫で光が入りません。そこには僕の趣味のマンガやフィギュアやビデオや写真集が飾ってあり、クリニックの待合室みたいなもので、時々、待合室の物と倉庫の物を交換している僕の空間です。そこにベッドとエアコンとテレビと大量の水のペットボトルを持ち込んで僕はそこで寝起きしています。家族は二階より上にリビングやおのおのの部屋があって、僕は地下で起きて家を出て仕事が終わると地下室に帰るので、何週間も家族と会わないこともあります。だから僕は実質一人暮らしで、死んでても数日は発見されないと思います。人間は皆死ぬ時は孤独死ですね。
でも洗濯や掃除はしてもらってるし、上で虫が出たら退治に呼ばれるから、winwinの関係です。
こないだ疲れとストレスが重なった上に誕生日も来たから「アイデンティティーのクライシス」も手伝って、精神が参ってしまったのでしょう、部屋にお化けが出ました。本当に、お化けって夏に出るのですね。それで怖くなって夜中に上の階に行って、「お化けが出た!」と騒いだら、家族は「またか」と言う顔をして、「そんなことより、その足の爪、何?鬼の爪みたいに伸びちゃってる」だって。人の足元をみやがって。
僕はネイルをしてて足もやってたが両手両足やるとものすごく時間がかかるので手だけにしてるから足の爪は伸び放題なのだ。
僕くらいの年になると足の爪を切るのは難儀なもので、体は硬いし、お腹は出てるし、体を丸めて足の爪を切るなんてヨガのポーズみたいな苦行である。それなのに家族からそんなことを言われるなんて心外だ。だって、こうなってるのはお前らが切らないからじゃないか。
もしも僕が外で倒れて救急車を呼ばれて集中治療室に運ばれたらまず最初にやるのはルート確保だ。ルート確保はいくつとってもいい。とにかく数人で一斉に両手両足の血管を探して点滴をするのだが、その時に、靴下を脱がして、足の爪が鬼のように伸びてたら笑われるのは俺じゃない。看護婦さんに「まぁ、ここの奥さん、足の爪も切ってあげなかったのね。可哀そうに。だから体調の変化にも気づけず外で倒れしまったのね。どんな鬼嫁かしら?」なんて言われて恥をかくのはお前だぞ、と一喝した。
すると渋々、押っ取り刀で爪切りを持ってきて真夜中の地下倉庫のベッドで爪を切ってもらったので今は綺麗です。夜に爪を切ると親の死に目に会えないと言いますがもう両親はとっくに死んでるので、爪を切ろうが口笛を吹こうが霊柩車をみても親指を隠さなくてもなんの心配もなくなった僕は「永遠の17才同盟」ですが、人間換算すると「60才」です。
昔、西城秀樹がハウスバーモントカレーのCMで「ヒデキ感激」というキャッチコピーが流行ったもので西城秀樹が60才になった時に新聞各紙は「ヒデキ還暦」と書きました。西城秀樹と言っても分らない人も多いでしょうか。郷ひろみ・野口五郎と3人で「新御三家」と呼ばれ一世を風靡しました。「新」というからには「旧?」もあり元祖「御三家」は1960年代、西郷輝彦・橋幸夫・舟木一夫で大人気でした。「新御三家」では西城秀樹、「御三家」では西郷輝彦だけが亡くなっています。どっちも名前に「西」が付きますね。もし3人組で活躍してて名字に「西」が付く人で死にたくない人はグループに誰かを入れて「4人組」にするとか、結婚して名字を変えたらどうでしょう?…まぁ、サンプル「2」の粗い統計でこんなこと言っちゃいけませんね。すみません。お詫びして訂正します。
BGM. 吉田拓郎「爪」