僕が精神科医になった訳 2024

13/Ⅶ.(土)2024 久しぶりにはれ 今日22時よりABEMAにて「撫物語」第2話なでこドロー其の壹、無料独占配信開始!

フェリーに乗って帰宅途中。どこかの島で散々遊びつくしたのだろう。すっかり疲れて愚図った顔をしている、それなのに帰路の船の中「まだ帰りたくない」って泣いてわめいるのは子供の頃のボク。それを横でみてるのが大人になった今の僕。まわりには母や兄や親戚のおじさん&おばさん(共に教師)、いとこや従業員のお姉さんたちが10人以上。みんな小さなボクをなだめてて、大きな僕の存在には気付かない。見えないみたいだ。

僕は今でも飲み会で「はい、お開き」となっても「まだ帰りたくない。もう一軒行くぞ」と先輩や後輩たちを困らせる。みんな「明日は朝から用事がある」と。だから僕はすねて「もうあんな奴らと飲まない」と飲み会に参加しなくなった。フェリーのボクと何も変わらない。

季節は夏か。島で大きな浮き輪を持って大笑いしてはしゃいで走り回ってよく動いている。海の上で転覆して泳げないから誰かに救出され、泣いたカラスがすぐ笑って、走り出したかと思ったら転んでケガをして膝小僧から出血して、その血をみて兄が卒倒する。落ち着きのない子供だから怪我ばかりする。10人くらい大人がいるから何とかみれてる。これだけ動けばよく眠れるだろう。食べ物は好き嫌いがあって、玩具を買ってもらって夢中になるが結局うまく操作出来なくって放り投げる。教師であるおじがそれを拾って使い方を教えるが興味を失くしてるから見向きもしない。

ピアノとか絵画教室とか書道とか学習塾とか習い事もいくつかするが勘だけ良いから最初こそさっさと出来るが壁にぶち当たると投げてしまう。ちょっときつく言われるとヘソを曲げてもう何もしない。母は根気強く怒らないでボクが嫌だと言ったら無理強いせず次の物をあてがった。こんな育て方をしてたら将来こらえ性のないロクな大人にならないぞ。言う時はビシッと言って、怒る時は怒らないと本人のためにならないんじゃないか?

フェリーは島から離れどんどん港に近付いて行く。旅の終わり遊びの終わりだ。わめき疲れてボクはお姉さんの腕の中で寝息を立てている。この時分の性質や性格が奇跡的に矯正されないまま、今の僕になったかと思うとちょっとゾッとする。とはいえ人間は社会的な動物だから、福祉うんぬんではなく、何か弱ってる個体がいると周囲の個体が守ってあげようとするのか。ボクはそんな風に誰かに助けられながら甘やかされながら今日まで生きて来た。人間は支え合いだというが、それはギブアンドテイクしてる人が言うもので、ボクのような人間があまり偉そうに言うことでもないな、とフェリーの中で僕は思った。

 

以上、夢日記でした。さて、今回も「心のゴミ箱」兼用です。昔の知り合いでたまたま、ここを見つけた人も「元気ですか?」と声をかけて下さい。「非公開」希望の人はそう書いて下さい。今月はお誕生日月なので過去の記事を手直しして自己紹介の代わりです。

 

僕の家は眼科で二人兄弟だから、将来の親の希望は、父と兄と3人で眼科を大きくすること。そういうのを「是」とする時代だった。僕は物心付いた時から、医者になることになっていた。勿論、その後の人生で、思春期や反抗期はあったけど、僕は医者になった。それは眼科医になる、のではなく、精神科医になろうという強い意志があった。医者になるには医学部に入り全教科を勉強して全教科の国家試験をパスしないといけない。だから、逆に言えば、医師免許があれば、何科にでもなれる。僕に対しての約束は、医者になることだったから医者にさえなれば何をやっても良いとも言えた。
僕の生まれは茅ヶ崎の海側で、そこは別荘地の多い温暖な風土だった。幼稚園の頃、近所をブツブツと独り言を言いながら、乳母車を引いている貧しそうな老婆が徘徊していた。老婆は乳母車に古い赤ん坊の人形を乗せていて、その人形を本当の赤ん坊だと思っているという噂だった。すずめ、を捕まえて食べてるという噂もあった。僕は母親やお手伝いさん達に、「タッちゃん、あの人に話しかけてはダメですよ」と教えられていた。ある日、狭い路地で老婆と鉢合わせた。
僕は思わず、「すずめ、って食べれるの?」と聞いた。すると、老婆は「坊や、そんな可哀想なことをしてはいけないよ」とビックリするほど、優しい声で言った。僕は一瞬で、この人は良い人だ、とピンと来た。すると、そんな気持ちが以心伝心、彼女にも伝わったらしく、僕らは仲良くなった。老婆は乳母車から赤ん坊を抱え上げて、「ほら、こうするとお日様が透けて見えて綺麗なんだよ」と僕に教えてくれた。セルロイドの人形に夕陽が差し込んで、それはキラキラと反射して輝いて虹のように見えた。しかし、僕はこの事は、親には秘密にしておいた。
同じ頃、似たような事件があった。
僕の実家は広大な家だった。だから、時々、「乞食」(←これは不適切な表現なのでしょうが、差別を助長する意図ではないので使用します)が来た。母親やお手伝いさんは、「タッちゃん、乞食が来たら、食べ物をあげちゃダメですよ。クセになってまた来るから」と言った。僕は言う通りにしていた。ところが、ある日、僕しか家にいない時に、勝手口から、女の乞食が、「何か恵んで下さい」と入って来た。僕は、「お前に、何かあげるとクセになってまた来るから、やらない」とピシャリと言い放った。すると女の乞食は、「坊ちゃん、もう何日も何も食べてないのです。約束します。今日だけですから」と懇願した。僕は女乞食の目をジッと観察して、僕にはこの人が嘘をつくようには見えなかった。そこで、従業員がいつでも、食べれるように台所に置いてある塩むすびを持って来てあげた。女乞食は何度も何度もお礼を言い、約束は守る、と言って帰って行った。僕はこの事も、大人達には話さなかった。
代わりに、毎日、「ねぇ、今日、乞食、来なかった?」と聞くのが日課。すると、親やお手伝いさん達は、「変な事を気にするのね。乞食なんか来ませんよ」と笑った。女乞食は僕との約束をちゃんと守ったのだ。僕はこれらの事を通じて、大人たちの言う事はなんていい加減なものだろうとあきれた。
そして、こういう「常識」とか「普通」は疑ってかかる必要があると思った。
僕はそれ以来、無批判にこの世を支配している「常識」とか「普通」とか「規則」とか「一般」とかを敵視するようになった。それは、そういう事によって、無力な人が、抵抗する術もなく、不当に扱われてることに義憤を感じると同時に、「常識」に縛られて、生きている大人たちも決して、自由に見えなかったからだ。僕は将来、医者になったら、歪んだ「常識」や「普通」で窮屈をしている人達を助ける仕事をしたいと思った。その頃の知識で、精神科という科があることを僕は知っていた。僕は医者と言う権威を武器に、差別や誤解を受けてる人や、不自由に生きている大人たちの心を解放するために力を発揮しようと決めた。そして、それは僕の性質上、とても向いていると思った。
これが僕が精神科医になった訳で、その初心はブレることなく今に至る。

BGM.  薬師丸ひろ子「守ってあげたい」(ねらわれた学園・オープニング)


12 Replies to “僕が精神科医になった訳 2024”

  1. トランプが銃撃されたとか、大谷選手がメジャー初200本塁打を打ち立てたとか、まあ、色々です、米国も。
    ネットのニュースも、都知事選以来、どうも変。情報は集めるものでなく削るものだよ、と私の父は言っていましたが、確かにそうですね。いらない情報は捨てるに限る。
    ところで、ABEMAに行ってみましたが、見方が分からず、四苦八苦。そこで気づいたのが、番組表。「そうか、この時間にならないと見れないんだ」と分かりました。千石撫子、すぐわかりましたよ。「恋愛サーキュレーション」を聞いて、「何だ、この曲か。何度も聞いた曲じゃんか」って。
    ・・・・・私の感想で言えば、世間の常識や、普通のことの規範なんて、すぐ変わりますよ。アメリカの昔の白黒テレビドラマのスポンサーは、たいていタバコ会社で、色々なタバコを勧めていましたが、今はご存知の通りで。日本もそうなっちゃった。他にも沢山あります。
    今じゃ、「お金持ちの男の子なら誰でもいい」とか、10代の女の子や、タレントがメディアで言うと嫌われますが、80年代のバブルのころはあちこちにありましたよ、そういうこと。もっとも今でも陰で言ってる人は多そうだけどね。無視。
    先生は、「大人の言ってることは当てにならない」と思った時期があったそうですが、医者が定期健診で言うことも、私は参考にはしますが、鵜呑みにはしません。だって、医者ごとに、見解が変わるから。
    だから自分を作るには、他人と付き合い、ちゃんとした親、色々な人の言うことを聞いて参考にしたり、ネットなり、本なり、テレビやラジオなりを見て聞いて、情報を集めては、必要のある物以外は削除していくのも、ひとつの手ですね。あと、医者の薬で言うなら、合わないと感じたら、主治医に言ったほうがいいです。経験上言えます。
    偉そうなことばかり言っちゃったけど、そんなことをこの記事を読んで感じました。

    BGM:frank zappa「バカヤロばかり」

    1. まつりごと(政)&(祭りごと=MLBオールスター・大阪万博・パリ五輪etc)など、もう問わないサ。気になることと言えば今をどうするかだ、そうさ、あいつとうまくやらなければ~ああ、またあの悲しみを置き去りにしたまま。
      ぴぴさん、おはようございます!吉田拓郎の「おきざりにした悲しみは」の2番の歌詞で初めてみました。

      千石撫子みれて良かったですね。ひょっとして、リアタイでみました?一緒に観てたのかもしれませんね。

      今回の記事は、お誕生日ということもありますが、ブログをみて、「この医者はどんな人だろう?」と初めて見る人もいるだろう、と自己紹介記事を出したのですが、
      「細かいニュアンス」や「言葉の定義」、自分で出した期待値と受け取り側の感触って、「こんなにも違うんだ」とあらためて恥ずかしく思っています。今後の参考にします。
      医者との付き合い方は、ぴぴさんの言うように頭を使った方がいいですね。ネットも駆使して、質問をぶつけるとか、セカンドオピニオンをとるとか一人の医者を鵜呑みにしない方がいいですね。

      拓朗の「おきざり」です。↓

      https://www.youtube.com/watch?v=w9Iu_ExL6mY

  2. 私は、オリンピックが嫌いです。だから今度のパリ五輪も一切見ません。開会式も閉会式も。
    ドゥーピングや、勝つためだったら卑怯なことも平気でやる。スポーツマンシップもかけらもない国や、そういう奴もいて。何より日本の場合、学校から会社に至るまで競争なのに、その象徴のような気もして。山口瞳が言っていましたけど、「勝負で買ったやつが、大喜びで、敗者の前で、手を振ったりするのが気にくわない。敗者に対する配慮も遠慮もない」「敗者がいなければ、勝者は存在しない」
    「そんな、真面目過ぎるよ。ただ楽しめばいいじゃないか」という人もいるでしょう。でもね、今の問題、自分の片づけるべきことに追われていると、オリンピックも何もないのですよ。そりゃ色々言ってりゃ、キリがない。だからあ、オリンピックが嫌いだから見ないだけ。
    なんかね、もう本当に疲れきってるみたい。昨日は、おふくろに「俺を殺してくれ。自殺も他殺も自分がやることが許されないなら、いっそ殺してくれ。もうあの二人には耐えられない」と言いました。
    結論としていえることは、あの二人には、一切、なるべくタッチしない。メールが来ても見ない。そういうこと。
    聞いてる曲を書きます。もうやってられんわ。

    BGM:frank zappa「鎮静剤ない?」

    1. ぴぴさん、こんにちは。

      ロス五輪の時、柔道無差別級で山下(のちの国民栄誉賞)は金メダルを取りますが、前の試合で右ふくらはぎを痛めます。決勝の相手、エジプトのモハメド・なんとか選手は、「スポーツマンシップで相手の弱いところは攻めない」と山下の右足を狙わず、そのおかげで山下は金メダルをとったという美談があります。
      初代タイガーマスクの佐山サトルが作ったセイケン道という武道は相手への礼を大事にするので仮に勝った者が敗者の前でガッツポーズをしたら「負け」になるルールです。
      今年のオリンピックの見どころは女子50㎏級レスリングの須崎優衣ちゃんです。キュートなのに無敗です。好きな食べ物は「パフェ」だそうです。

  3. 部屋で暖房をかけています。自分を包み込んでくれる温かい何かが欲しいのでしょう。
    母も、姉弟関係の問題を扱う会を知っていて、知り合いの友人や、色々な人に電話したりしてくれています。「もうしわけない」という気持ち。ヤケお茶を、酒を少し飲んだ後、しました。自分が何に苦しんでいるのかもわからなくなってきました。

    1. ぴぴさん、こんにちは。

      須崎優衣さんの素敵さをおススメしたいですが、圧倒的に強いレスリングの動画しかなくて、それでも見つけました。
      須崎さんが柔道にチャレンジする企画です。
      暇な時にみて下さい。今、純潔を求められるのは、10代のアイドルではなく、女子アスリートです??

      https://www.youtube.com/watch?v=fw5mHNDusUE

  4. 川原先生、こんにちは。

    フェリーの夢、不思議な良い夢ですね。大人になった先生が少年時代の自分とその周りの人との様子を俯瞰して眺めているんですね。なんだか、息子もそんな風に周りに見守られながらのびのび自分らしく育ってくれればいいなぁと、先生の文章を読みながら思いました。

    昨日は下北沢のヴィレッジヴァンガードに行きました。サブカルや色々な本の歴史を熟知している、長谷川さんという、(知っている人だけ知っている?)ちょっと有名な店員さんに生で会えた事に興奮して、「一緒に写真でもとって貰えば良かったなぁ」と後から少し後悔しました。つげ義春のねじ式、水木しげるのヒットラー、ヘミングウェイの老人と海、漫画のひらやすみ3巻と4巻を選んで、それを誕生日プレゼントに買ってもらいました。

    先生も誕生日月間ですね。誕生日月間の特集?「川原達二の履歴書」の再掲、楽しく読んでいます!

    1. いずみさん、こんにちは。

      ヴィレッジヴァンガードは下北沢へ行ったんですね!!クリニックにあるマリア様&イエス様グッズは実はあそこで買いました。近くの本多劇場では「シソンヌ」のライブをみたことがありますよ。
      つげ義春と言えば「夢」というくらい、特に単行本「ねじ式」には夢作品が多く載ってるでしょう。
      僕は「無能の人」という新しい作品が好きなのですが、これは竹中直人が監督して映画にもなりました。
      映画化を記念して、流浪の番組「タモリ俱楽部」で多摩川の河原にゴザをひいて自ら持ち寄った「自分にしか価値がわからない」物を持ち寄って売り合う「無用の物」という回が面白かったです。みうらじゅんや安齋肇らが「水道料金の領収書」などを自慢しあうのですが、つげ義春原作の「石を売る」(つげが、多摩川で拾った石を多摩川でゴザに広げて売ろうとするマンガで、結果、当然売れない)と同じように仲間内でも買い手がつかない「無用の物」たちでした。この回はゲストに、つげ義春を呼ぼうと番組がオファーしたのですが、つげ義春がメディアに出る訳もなく「お断りのハガキ」をタモリが読みます。読みながら、タモリが気付きます。「こ…これ、直筆か?」に一同、自分のコレクションを置き去りにして、つげ義春からのハガキに群がります。そして番組の終わり間際に「1万円!」「1万5千円!」「2万円!」…とオークションが始まり、「無用の物」大会で唯一、価値があったのがつげ義春からの番組辞退のハガキだったというオチで面白かったです。

      なんか過去の記事を焼き直すのはなるべくやめようと思いました。次回は心理が記事を書きます。しかし、梅雨ですね。お互い誕生日ですね。ハッピーバースデー梅雨~。「旅サラダ」で神田正輝が言ってたギャグのパクリで〆てみました。ではまた~

    1. きもちEくないさん、OHA!

      低級霊の仕業かも?僕の知り合いのエネルギー療法の先生に除霊してもらうか?

  5. フェリーに乗り込んでいた少年のなかにはもう一人の大人が潜んでいて
    少年時代には大人が見え隠れしていて、
    大人になった時には少年が見え隠れしている。
    大人の姿をした少年の眼差しはエスペシャリーで、
    〝僕〟は真理を見逃せないよ
    〝目の前の君〟の想いは生きにくいよね、って, , , ,

    もう誰のことも信用ができなくて
    頑なで何もお話も一年間できなかった私を紐解いていくかの様に沢山のお時間を費やして診てくださりありがとうございました

    おかげで現在の私がいます。

    私の中の少女はいまでも小学二年生で、
    今も変わらず絵画や造形など仕事でもある作品作りには強く真っ直ぐでキラキラしながら興奮ぎみに小学生はでてくるのです

    でもその反動か反面か, , , ,
    ここ一~二年の間はほんの些細な出来事で

    何かしら底辺より床を潜ってもっと下の方に私はしょっちゅう猛スピードで転がり落ちます。

    そして浮上するのも些細なきっかけで、
    猛スピードで今度は最高潮にまで高まり興奮状態になりながら小学生が創作をしていたりするので私はその落差が短い時間内でまるでジェットコースターの様でひどすぎて付いていけないものがあります。。
    私はそんな日常を私の普通として過ごしています。

    先生はお元気にされていますでしょうか、?

    二人の〝僕〟がさらさらと私のメモをとりながら『生きにくいですね』とおっしゃった日のことを忘れられないでいまもいます。

    今頃(といってもこのくらい期間が離れていた方が良いのかもしれないです。)ここにコメントしても良いのかも?と気がつきましたので書かせていただきました。

    1. ひささん、こんばんは。

      僕は元気ですよ。前より元気かもしれません(笑)
      活躍は時々目にしてますよ。
      コメントをくれてあありがとう。覚えていてくれてありがとう。是非、またコメントして下さいね。
      取り急ぎ返信までですが。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です