こんにちは。とくだです。今年ももう年の瀬です。M-1もSASUKEも終わって、あとは紅白でしょうか。
「生きるのに意味なんていらんねん!」(Byバッテリィズ)と言いきれたら楽なのに!と思う現代社会。
心理の研究テーマの中に自己感、というのがあるようで、現代の私たち、ここ数十年の間で結構変化しているそうです。現代では、自己感、というのはどうしても希薄になるらしく、多元的な自己感というのを保っているとのこと。SNSでの自分や、リアルな自分、それらが場面によって目まぐるしく入れ変わる、それに対応しているのが現代の私たち。
おそらく、デジタルの世界では、自分を断片的にしておけるメリットもあって、自分の全体をまとめあげて繋げなくてもいい。セルフプロデュース(?)が上手な方が生きやすいのかもしれない。自分の主張を形にして、素早くアウトプットするのが良し、とされる価値観もありそうです。自分の意見を発信する場も、デジタルの世界が広がることによって、生身の人間関係を介さなくてもできるようになった手軽さもあるんでしょうかね。色々な顔?ペルソナ?を持つことが増えているのでしょうか、多元的な自己感とは。
自己感の話とはまた少し逸れるけれど、現代人の苦手な所は、不意にやってくるリアルな心理的な体験に脆い、ともいわれています。特に、生死にまつわるようなリアルな感覚に直面した際、抑うつやその片鱗に触れ、不安に圧倒されてしまう。不眠や過呼吸、等の「症状」が露呈する、といったことも多いようです。
私たちは、この「症状」をきっかけに心の内側にも目を向けて考えていきたいと思うのです。価値観も自己感も多様化して生身の関係性が希薄になったこの現代で、心理療法(カウンセリング)はかなり生身な関わりなんですよね。それはコロナを通して、心理の業界でも、改めて痛感した体験でした。
「症状」は自分自身の内面の問題と向き合う世界への入り口で、そこを入口に、自分の内面について少し向き合ってみようと思ったら、私たち心理の仕事が役に立つ時だと思うんです。
そして、その内面との対話は、いつどんな風に終わるのか。「症状」がなくなったら終わり、とも限らなくて、自分が本当に大丈夫、そう思える時、そういう時が来るので、それも含めて一緒に考えていけたらと思い、日々の臨床を行っています。
自分の心の内側と柔軟に触れ合えるようになることが、少しこの多様な現代を生きやすくすると思うのです。
とりとめもない話ですが、このブログの2024年、オオトリでした。
2025年も、どうぞよろしくお願いします。