27/Ⅵ(日).2010 はれ
オウム事件のあった年、僕は大学院を修了し関連病院に出向した。
当時、その病院には「ファントム理論」という何やら難しげな学説を唱えられた安永浩先生というとても偉い先生がいた。
とある席で、安永先生は「オウムがやっている拉致監禁や洗脳や電気ショックと、
我々の行っている精神科医療のどこが似ていて、どこが違うのかを明確に考えるべきではないか?」
という趣旨の発言をされた。
その場にいた少しだけ偉い先生や中堅の先生は「全然違いますよ」と一笑にふした。
確かに、「全然、違う」のである。
それでも安永先生が問題提起した意図は何か?
僕は安永先生の反応に注目した。
しかし安永先生はそれっきり何も答えず、それ以降オウムについては何も言わなかった。
賢者とは人里離れた森の奥にただ1人で住み、乱世になると人々の前に姿を現し一言だけ意見をするという。
人々がそれを受け容れれば事態は改善し、受け容れなければ黙って森に帰るという。
安永先生をみていてそんな話を思い出した。
僕がこの病院を辞め別の病院に移る時、送別会には行けないからと安永先生から手紙をいただいた。
筆圧の弱い薄~い、それは風流な文字だった。
もし、人が水に字を書くことに成功したら、きっとこんな字になっただろう。
BGM. さだまさし「天文学者になればよかった」