メメントモリを笑え

29/Ⅷ.(日)2010 はれ
土曜はクリニックの飲み会。今回は、森国さんも参加し全員参加。
初参入のため店の場所がわからない森国さんを待つ間、徳田&岡田&吉田と楽器屋で時間をつぶす。
電子ピアノやグロッケンやおもちゃのドラムをいじったり、ギターやショー・ウインドウの管楽器を見て過ごす。
鍵盤がペラペラのキーボードをみつける。マフラーみたいに首に巻いても弾けそう。
昔、クレージーキャッツの映画で、石橋エータローとピアノの連弾をしていた桜井センリが、
石橋に邪魔されて突き飛ばされた腹いせにピアノの鍵盤を捲り上げて
、首からかけて踊るというナンセンス・ギャグがあったが、それが現実化したのだと思いびっくりした。
ショーウインドウには小さいホルンがあったり、クラリネットのような形態で吹き口はリコーダーのように気軽に音楽を楽しめる楽器もあった。
そういえば、僕は中1の音楽の時間に笛の授業があり皆と同じのを使うのが嫌で貯金をはたいてドイツ製のリコーダーを買い、
さっそうと授業に参加したまではよかったが、ドイツ製は「ファ」の音の指使いが違い、とても苦労した。
いとう君は僕と同じ了見で、アルト笛を持ってきた。大きくて目立ったのは良かったが、合奏すると一人だけ音色が違った。
のなか君という子は、横笛を持って来た。もはや、楽器が別。世の中、色んな人がいて面白い。
書籍のコーナーの方に行くと、フィル・スペクターの本をみつけた。2010年7月に出たばかりの本だ。
少し立ち読み。
もう森国さんが来てるかもしれないから~と徳田さんに言われ、いったん店を出るが、気になったのでUターンして戻って買う。
それが、コレ↓。

森国さんと合流後、お店へ。店の前で塚田さんが待っていて、全員揃ってお店へ。
僕はいつもワインを呑み過ぎるので、今回は日本酒にしてみる。
カマンベールおやき、を徳田さんが皆のお皿に取り分けてくれたが、柔らかい食材なので丸いお皿に乗っけると、
先っぽの方がしなやかなカーブを描いて、外へグニュっとはみ出した。サルバドール・ダリの時計みたいだった。
日本酒で、記憶が溶けていくのを暗示しているようだった。
飲み会を月例化し、この店も4度目。
すっかり慣れたものだと思っていたら、トイレから出てきたとき、「ここ女性用ですよ」と注意された。
入り口の上に「姫君」という木札が貼ってあった。
僕は、普通に酔っ払って、家に帰って、ブドウを食べて寝た。
朝、起きてUFCでB.J.ペンが負けたのを聞き、ショック。
その流れのまま、下北沢に「メメントモリを笑え」というライブを観に行く。
これは単に、立川志の輔が出演するという理由だけでチケットをとった。下北沢で降りるとビラをもらった。
「SHIMOKITA IS DEAD?」。

会場に行って、イベントの趣旨を知った。
下北沢駅には再開発案があるらしく、駅にロータリーと26メートル幅の道路を作るという計画があるらしいのだ。
知らなかった。シモキタは、駅付近にほとんど車が入れず、小路が多いので、独特の文化を作って来た。
そこに大きな道路ができると、周辺のビルが高層化し街が様変わりしてしまう。
地価が上がり、昔ながらの店が撤退し、大型店やチェーン店が増え、コンビ二やサラ金ばかりになる。
今宵、シモキタに思い入れのあるアーチストが集い、道路計画見直しを訴えようというイベント・ライブだったのだ。
一組目は『Les cocottes』という2人の女性グループだ。
レトロな曲調に囁き系のボーカルで、1人は赤、1人は緑のゴシック風の衣装で客席から登場した。
表情を極力抑え、本人達は「バレー・ショウ」と言っていたがストリップのダンスでもあるようなデカダンな世界観を演出する。
ココッツとは、‘淫売婦’という意味もあるらしいが、さながらパリの高級娼婦と言った感じ。
「冗談画報」があれば出演しそう。なかなか面白い。シモキタっぽい。
二組目は、『TWO-STRUMMER』。The STRUMMERSの岩田美生と渡辺明人のユニット。
「傷だらけの天使」のテーマに乗って登場。テーマは「昭和の男」。クラッシュやARBやサンハウスの歌なんかを歌ってた。
そういえば、鮎川誠もシモキタに住んでたはずだ。
三組目は、『KIRIHITO』。ギターとスタンディング・ドラムの2人組。ノイズ、という感じ。これも、シモキタか。もの凄い爆音。
僕は、急に冷房が効き始めてきた。急激な音刺激で自律神経がやられたのかもしれない。
シモキタが下北半島に思えてきた。つらいよぉ、寒いよぉ、と心で唱えてたら、急に笑い出してしまった。
どうしよう。おかしくもないのに、笑いが止まらない。
人間、極限のストレスにさらされると気分が倒錯するものだと身をもって知る。
しかし、彼らのシモキタ愛は感じ取った。人柄も良さそうな人たちだった。
その後、立川志の輔の落語を聞き、ホッっとして、抜けて帰る。
実行委員の平松昭子さんは、可愛いイラストレーターなのだが、
「きょうの参加者が別の人に伝えていかなければ」と提言した。
僕は、会場で売ってた一部100円の吉本バナナのエッセイを幾冊か買い、
まずはクリニックのスタッフに配る、草の根運動から始めてみようと思う。

ところで、中世ヨーロッパでは、「メメント・モリ」というラテン語の言葉が流行したという。
この言葉は「汝の死をおぼえよ」「死を忘れるな」という意味で、中世の修道士たちは、この言葉を常に心に刻み、
自らの生きる姿勢を正したといわれている。
当時はコレラやペストが流行し、人々は常に死と隣り合わせの中で暮らしていた。
寺院や修道院へ巡礼して癒しを願う行為が各地で見られた。                                                         中世の修道院では、この「メメント・モリ」というあいさつが交わされたという。宗教の時間で習った。
Y.P.さんによると、メメント・モリには今を楽しめ(我々は必ず死ぬから)の意味があるそうだ。
話は戻るが、シモキタには色んな思い出がある。
DORAMAという古本屋&レンタル・ビデオ屋にはよく行った。
掘り出し物の漫画やマニアックな映画やUWFのビデオが揃っていた。
大学の野球部の先輩のセンダさんとコウノさんもこの町に住んでて、
僕は大抵、飲み会では酔い潰れるのでどちらかの家に泊まらせていただいた。
1人で、外で酒を呑んだのもシモキタがはじめて。
マックの坂を降り切った処に、おでん屋がありそこで1人で呑んで、
そのあと先輩のボトルがキープしてある店に入って「I.W.ハーパー」を勝手に呑んだ。
大学4年の時、「居酒屋で呑むより、王将で呑んだ方が、うまくて安いのでは?」とトモエ君が発案して、
シモキタの「餃子の王将」でテストの打ち上げをした。ホイコーローが5皿、マーボードーフが5皿、
レバニラ炒めが5皿、鳥の唐揚げが5皿、餃子5人前というラインナップだった。
大学2年の時、クラスのアイドルのAZが軽音部のバンドでリード・ヴォーカルをやるというので観に行ったのも、
シモキタの「LOFT」。
AZのタキシード姿は凛々しくて、チープトリックやシーナ&ロケッツの歌を歌ってた。
大いに酔って、騒いで叫んでつぶれた。
それは、丁度、父が死んで35日目だった。
BGM. シーナ&ロケッツ「ピンナップ・ベイビー・ブルース」


4 Replies to “メメントモリを笑え”

  1. 下北沢懐かしいですね。短大生の頃休講があると下北沢に行ってました。カフェドパルファンとても雰囲気のいい喫茶店でした。酔ったテニス部のコーチが、「加藤健一だ。」と本人の前で指差し青ざめたことを覚えています。俳優さんが、普通にいるのもシモキタっぽいですね。再開発で変わってしまうのとても残念です。
    あと社会人になって私の同期に「下北沢のことシモキタって言わないでね。下北半島みたいだから。」とたしなめられました。慶應ボーイは、こだわるんだよなぁ。

  2. 下北沢には、いくつか思い出がありますが、餃子の王将にもいい思い出があります。
    大学時代、寿司を先輩が食べたいだけおごってくれる会があり、
    その前に王将の餃子を3皿ずつ食べさせられました。
    結局寿司屋はやっておらず、代わりにマックシェイク4杯飲んだのを覚えています。

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